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1人旅好き。2022年12月に世界一周出発。

コソボから北マケドニアのスコピエへ移動、北マケドニアの首都は銅像だらけの変な街(Day431-2)

1€(ユーロ)≒171円、1北マケドニアディナール≒126円
コソボ3日目、プリシュティナ3日目

安くて居心地のいい宿に長くいたかったが、プリシュティナには何もないので2泊だけして、本日は北マケドニアのスコピエに移動。

コソボの宿

コソボの宿Center House Hostelはキッチンが綺麗だったので自炊した。外食も安いがあっさりしたものが食べたい。夜は6€でスパークリングワインのロゼを買い、スモークサーモンをつまみにした。

2つあるリビングのどちらにいても、昨日から一緒のオランダ人のおじいちゃんが、正面に座って喋ってくる。
食事に出る時も誘ってくれたり、チェックアウト時も挨拶してくれたりと律儀な人だった。

リビングで会話していると「日本と韓国は少子高齢化で大変だよね。なぜ子供が減ってるの?」って聞いてくる。他の国の人は日本のこと詳しくてびっくりする。
「若い人の給料は安いし、高齢化で老後が心配だし、女性はキャリアアップの時期と重なるし、責任持ちたくない若者が増えてるんだよ。日本経済はずっと停滞してるし。オランダは?」って聞いたら「ずっと調子いいし、少子化問題もないよ。」だって。日本と韓国はどうなっちゃうんだろう。

彼は定年済、私の仕事は家のデザインと答えるとオランダの建築家レム・コールハースを教えてくれたので、世界の安藤忠雄を教えておいた。彼は知らなかったが笑

コソボのプリシュティナ駅から北マケドニアのスコピエへ

GoogleMapでバスターミナルまで行く7C というバスの経路が出るが、7Cのバス停へ行くと何もなかった。一昨日も変な場所に行っちゃったし、この国のGoogleMap案内はあてにならない。
仕方なく来た時に乗ったバス停まで行くバスに乗り、そこから15分程歩いてバスターミナルへ。

ここからローカルバスで1時間位で、グラチャニチュア修道院というセルビア人の居住区にある修道院に行けるらしいんだけど、修道院・教会は飽きたから行かなくてもいいか。わざわざ揉めている地域に行かなくても。

15時の北マケドニアのプリシュティナ行きのチケットを購入してミニバスに乗り込む。9€現金のみ。
国境でのパスポートコントロールはドライバーのおっちゃんが全員分パスポートを集めてやってくれた。
コソボの出入国のスタンプ。これがあるとセルビアに入る時は嫌な顔されるのかな。

2日前に来た北マケドニアのスコピエ駅に2時間で到着。
鉄道駅を覗くと2日前にも話し掛けられたホームレスのおっちゃんがまた話し掛けてきた。たぶん何かくれと言っている。ここまできたらもう親近感しかわかんわ笑

スコピエの駅はフリーWi-Fiが飛んでいた。
北マケドニアの通貨はユーロではないので駅のATMでマケドニアディナールを3千円分位下ろす。ATMの画面には手数料について何も表示されなかったが、ここにきて初めて300円余分に引かれていた。街の中心のATMに行ったら手数料無料だったのだろうか。

北マケドニアという国

私の持ってるkindleの中欧ガイドブックには「北マケドニア共和国」ではなく「マケドニア共和国」となっている。
が、マケドニアという地名は元々ギリシャのアレクサンドロス3世を生んだ古代のマケドニア王国に由来していて、この地名はギリシャ北部も含んでいるので「勝手に使うな」とギリシャからクレームになった。揉めているとEUに加盟出来ないので、マケドニアは2019年「北」を付けたという。

ホステル バレンティン 2

宿は1番安いのが駅のすぐ近くにあったのでそこにした。
集合住宅の一部、2階がホステルになっている。

ホステル バレンティン 1の方は北マケドニアのリゾート地、オフリドにあるらしい。
チェックインすると斜め掛けのバックを持った若い男の子が出てきて「どこで予約した?ホステルワールド?」など聞いてくる。誰が何時に来るかなど把握してないようだ。

ここもコソボ同様、靴を脱いで入るタイプなので綺麗だった。レセプションの子が「どのベッドがいい?」と聞くので1番手前の下の段のベッドを選ぶと「今から準備するね!」とベッドメイクし出した。
斬新チェックインタイプだ。掃除が嫌いなんだろうか。
他の人からの情報だとオフリドの宿は奥さんがやっていて、このスコピエの宿はご主人と息子がやっているらしい。彼は息子なんだろうけどやる気あんのかこら。

…というのは冗談で、彼は愛想良くてめちゃめちゃかわいい。この宿はお勧め。

宿には日本語、中国語、韓国語の客からのお礼のメッセージの張り紙がいっぱいある。
北マケドニアの国旗って大日本帝国風で日本人にはちょっとドキッとするよね・・・。
TVはこんなの今でも動くんだろうか。誰も点けなかったので不明。

大雨が降って来たので今日は観光はやめて近所のスーパーに買い物に。ワイン135ディナールは350円位。北マケドニアはコソボより物価が安いかも。

オイルサーディンでパスタを作る。ガーリックさえ持っていれば何を合わせても味付けは美味しい。

宿に人の良さそうな男性が入ってきて、日本人っぽかったので聞いてみたらそうだった。
4日もここにいたと言うので「ここって観光何もないですよね?」と聞いたらここからちょっと足をのばしてマトカ渓谷や鍾乳洞へ行ったらしい。明日はミレニアム十字の丘にトレッキングに行くという。
「そこ楽しかったですか?」と聞いたら「いや・・・行く程でも・・・」と言う。やめとこ。


スコピエ観光

旧市街

ざっくり観光。旧市街まで歩いて行く。古い建物が残っていて外国人観光客らがレストランでビールを飲み賑わっている。

ハマム(共同風呂)を改装した高級ギャラリー。有料なので入らず。

スコピエ要塞

要塞が見えたので登ってみた。入口がどこか分からず周囲をぐるっと周ってしまう。

かなり暑いし登るのも結構しんどい。

上からの眺め。スコピエの街が一望出来る。これが首都か。こんな規模でもEU加盟出来るのかな。あの奥の山の上に見えているのが独立を記念して建てられたミレニアム十字架。ケーブルカーでも登れるようだ。

それにしてもスコピエ・・・銅像があちこちにある。かなりの頻度で。

1番賑わっている広場。これでもかという位銅像の嵐。中央の銅像はかなり大きい。うーん。銅像造るお金あるならもっと他のインフラ部分を整備した方が・・・

ネットで調べたらやはり市民もこれは公金の無駄遣いであり、都市の景観に不釣り合いと思っていると出た。どこの政治家もほんと全く頭悪いんだな。

マケドニア美術館。

歩き疲れたので伝統サラダとクラフトビール。上に乗っているチーズが食感がふわふわでめちゃめちゃ美味しい。
この辺りのサラダはどれもこんな風にチーズが乗っている。ビールもサラダも600円位。クラフトビールなので高め。

マケドニア正教会

マザーテレサ博物館

ここはマザーテレサが誕生した地。無料の博物館がある。そしてやはり銅像。
コソボにもマザーテレサ教会があるが、あれはマザーテレサがアルバニア系の家庭に生まれたかららしい。

小さいけど。

マザーテレサの生涯を紹介する写真、文書、遺品などが展示。彼女が使用していた物品や手紙、受けた数々の賞や栄誉も展示されている。若い頃の写真もあってかわいい。皆おばあちゃんの頃の写真しか知らないよね。

2014年、安倍昭恵さんも訪れていたんだな。各国の首相訪問の写真があり、マザーテレサがどれほど偉大だったかが伺える。

スコピエにはパリにあるような凱旋門ちっくな建物があり、ロンドンにあるような2階建てバスが走っている。両方とも公金の無駄のような気がするが、これもユーゴスラビア連邦から解放されて西欧への憧れの象徴なのだろうか。

宿で夜ご飯。スーパーで色んな種類のパテが売られていて、あまり好きじゃないがあまりにも種類があるので買ってみた。想像通りの味。

宿は朝は私以外全員チェックアウトして不安になったが、夜には人がたくさんチェックインしてきた。
リビングに韓国人男性とニュージーランド人の男性がいて、一緒にワインを飲まないかと言うので有難く頂戴する。
ニュージーランドの男の子が「僕何歳に見える?」と聞くので「30歳」と答えたら19歳だった。ごめん、ごめん・・・

「ニュージーランドではお酒19歳からいいの?」と聞くと「20歳からだよ。」って。おい。
赤ワインを二人であけたけど、失敗。次の日は丸1日頭痛で苦しみあんなことになるなんて夢にも思わずこの日は就寝。

明日はブルガリアのソフィアへ移動する。

コソボのプリシュティナ観光、ヨーロッパで1番新しい国は何もないかも(Day429-430)

1€(ユーロ)≒171円
コソボ1日目、プリシュティナ1日目

14時45分。アテネのテッサロニキから国境を越えて一気にコソボの首都、プリシュティナまで来た。

コソボという国

コソボはヨーロッパで1番新しい国というので興味があって来た。
地図で見ると、中米のベリーズ同様、国境が点線。これは国境位置で揉めている証拠。

コソボは旧ユーゴスラビアの一部で、セルビアの自治州。コソボ紛争(1998-1999年)でセルビア軍の攻撃により大量の難民が発生。最終的にNATOが介入し空爆を行ったことでセルビア軍は撤退。その後コソボは2008年に一方的に独立を宣言するが、セルビアはコソボを独立国家として承認していない。国際社会も100以上の国がコソボを国家として認めているが、一部の国は認めていない。

なのでセルビア⇔コソボ間の移動はパスポートにスタンプ貰えなかったりとややこしいので、下の北マケドニアから入ってきたのだ。因みに日本はコソボを認めているのでここでは堂々としていい。

駅から歩いてすぐ、さっそくアルバニアの国旗。コソボの人口は95%がアルバニア人。
やっぱアルバニア人とセルビア人って歴史上、仲悪いよね。

バスターミナルから市内まで

暑い。バスターミナルからは全く影がなくて市内まで歩くのは無理。
10分位歩くと飛んでるフリーWi-Fiが捕まったので、経路を調べて最寄りのバス停から宿までバスで行くことにした。「4番か3番のバスに乗る」とGoogle先生は教えてくれたのだが、やってきた3番のバスに乗ると全然違う方向に走り出した。3番は3aなど色んな3番があるようだ。

焦っているとチケット回収のおっちゃんがやってくる。しまった、ATMでコソボの現金を下ろすのを忘れた!と焦る。
「ごめんユーロしか持ってないんだけど。」と言うと「は?0.5ユーロ」と言われた。
コソボってユーロだったのか。岐阜県と同じ大きさの国なのに。理由はモンテネグロと同じで1999年にドイツマルクを導入していたから。

Center House Hostel

バスを降り、またフリーWi-Fiが飛んでいるとこまで歩いてからバスに乗る。…時間の無駄だし今後はもうeSIM買おうかな。

ホステルはこのビルの最上階。プリシュティナでの宿はもうここしかないだろう。とにかく雰囲気が自宅のようなのだ。ヨーロッパで1番快適だったかも。GoogleMapの口コミも脅威の5.0。料金はヨーロッパでほぼ最安値の6.5€。

ホステルに着いて下のゲートのインターホンを鳴らすと、中にいた宿泊客が1階のセキュリティを解除してくれた。オーナーは出掛けているという。Wi-Fiを繋げてオーナーにBooking.com経由で連絡した。
靴を脱いで上がる自宅リビングかのような部屋が2つ。ずっと点いているエアコン。
バスルームはちょっと古かったけど洗濯機が無料で使える。

清潔なキッチン。器具もかなり揃っている。

男女共用ドミトリー。オーナーは若いご夫婦で別の場所に住んでいて朝と夕方に清掃にやって来る。
ドアを開けてくれたのは、ここが居心地良くて4泊しているぽっちゃり目の韓国人男性。
映像プロデューサーらしく日本の映画監督「濱口竜介」の話などをした。半年旅をしているがそろそろ資金が尽きるので韓国へ戻ると言う。1年半旅をしていると言うとびっくりしていた。

とにかく彼は人がいいのが雰囲気から全面に出ていた。新規のお客さんがホステルのチャイムを鳴らす度に不在のオーナーの代わりにゲートを開けてあげ、世話を焼いている。
「日本に行った時に少し日本語覚えたんだ。」とはにかみながら片言の日本語で話してくれる様子がかわいい。いいなあこういう人。しかしかなり年下なんだろうな。
後日キルギスの宿で一緒だった人が「それってこの人ですか?僕エジプトで友達になったんですけど。」と送ってくれた写真は彼だった。・・・世界って狭いなぁとつくづく思う。

Sarajeva Steak House(レストラン)

国境を2本越えたので疲れた。インスタで紹介されていた近所のステーキ屋へ行ってみる。

同じような旅をしている世界一周の人のインスタだったのだが、お店に入ってみたらかなり高級店っぽそうだ。一体いくら取られるんだろうと入ったことを後悔した。

メニューはかなり品数がありどれを頼んでいいかわからない。インスタに載っていた「キョフテ」を頼む。

ハンバーグ系のミンチ肉はあまり好きではなかったが、これはハーブの味付けにヨーグルトチーズソースでかなりパンチのきいた味で美味しかった。サラダ、ポテト、パンまで無料でついてくる。

恐る恐る会計をしてみたら、キョフテ4.5€、ビール2.5€だった。
目を疑った。昨日までギリシャにいて一皿13€とかだったから。こんな高級そうなお店でたったそれだけしか取らないの??連泊して他のメニューも食べたかったな。

The Sun – Thai Massage

ここのところずっと宿までスーツケースをゴロゴロ引きずっていたので全身が筋肉痛だ。
たまには贅沢もいいだろうとタイ式マッサージへ。モロッコのマラケッシュ以来か。
やってくれたタイ人の女の子は全く英語は通じなかったが凄くきつくほぐしてくれ気持ち良かった。
オイル全身マッサージ1時間で35€。日本と変わらないので物価の割に高い。

夜は韓国人の彼がかなりのムードーメーカーなので、彼を中心にオーナー夫婦と宿の人らが会話していた。本当に会話に入りたかったのだが、朝から国境越え、マッサージしてビール飲んでシャワーを浴びたら眠過ぎて先に寝てしまったので後悔。


次の日。プリシュティナを観光する。

モーニングセットが1€。ここに長くいたらお金を使わなくてすみそうだ。

アメリカが(NATO経由で)セルビアを爆撃したのでアメリカと仲がいい。

独立宣言モニュメント。

マザーテレサ教会。マザーテレサはインドの人ではなく、出身はこの辺りの地域らしい。明日から行く北マケドニアにも博物館がある。

中のステンドグラスにもマザーテレサの生涯が。

コソボ国立大学図書館。未来の要塞みたいでかっこいいな。

中はこんな感じ。たいして本は置いてなさそうなのが気になる。

廃墟になったセルビア正教会。まあここら辺に住んでいるのはほぼアルバニア人ですから。
ちょっとこの辺りの話題には触れない方がいいだろうな。

ところどころに意味不明な銅像があるのだが、いきなり道に置かれている彼は皆気になるようで、インスタでよくアップされていた。憂いのある表情が人を惹きつけるのだろうか。

コソボ博物館。なんと無料だ。

中には日本のと同じような埴輪が。遠く離れているのに同じようなものが出土してるなんて。

階段の踊り場にホッチキスの芯だけで造られたマザーテレサのタペストリーがあった。
笑っていれば幸せだよってことだろうか。

宿に戻ると韓国人の彼が「モンテネグロへ行く。」とチェックアウトするところだった。
いつも部屋にいてレセプションの人みたいだったので、いなくなるととたんに淋しい。
またどこかで会いたいな。

代わりにチェックインしてきたオランダ人のおじいちゃんが今度は私を気に掛け優しく接してくれた。

宿が居心地いいので長居したいところだが、プリシュティナの観光地は周りきってしまった。そう、期待して来た割にあまり見るべきものはない。
明日は昨日通り過ぎた北マケドニアに移動する。

ギリシャのテッサロニキでシーフード。北マケドニアを抜けて一気にコソボに移動(Day427-9)

1€(ユーロ)≒174円
ギリシャ5日目、アテネ3日目

今日はギリシャのアテネからテッサロニキへ、列車で移動する。

アテネから鉄道でテッサロニキへ

駅にあった鉄道時刻表。ギリシャ文字を見るとやはり宇宙人文字みたいに思うのは何故だろう。
窓口のお姉さんは愛想良かった。10時58分のチケットを購入する。43€(¥7,530)とかなり高い。

ブログとリアルタイムは10日位タイムラグがあるんだけど、今日のレートで見たら43€は¥6900。10日で600円以上の差額…1€が175円なんて1番高い時期にヨーロッパを旅していた自分の運の悪さを呪う。今は1€=160円。

10時58分の列車に乗る。凄い人。昨日チケットを買っておいて良かった。(ギリシャの国鉄のサイトでも買えるが。)あのホテルのいいところは鉄道駅から歩けることぐらいだろうか。
乗車率95%位。指定された席に座らず4人掛けテーブル席を陣取っていた若い女性らが、その席を予約していた家族と大喧嘩になっていた。

・・・列車は定刻通りに出発したが、走って45分でガゴンっという音と共に低速走行。
この何もない駅に2時間停車した。エンジントラブルらしい。エアコンも切れて暑い。ついてない。
朝7時発の電車にしておけば良かったか。

18時20分、テッサロニキ駅に到着。もちろん予定より2時間遅れ。バスの経路もあったんだろうか?私は見つけられなかった。朝7時の列車に乗っていたらここから15時発の北マケドニアのスコピエ行きのバスに乗れたかも知れないのだが、列車が少しでも遅れると乗れないのでテッサロニキに宿泊する計画にしている。

Googleで宿までの経路が出るので、ローカルバスに乗り込んで「チケット買いたいんだけど。」と運転手に告げる。

「あー。最新型のバスにはチケット販売機置いてないんだよね。」と言われた。キオスクで事前に買わないといけなかったか。
「どこで買えるの?」と聞くと「もういいよ、乗りなよ♪」と愛想よく無料で乗せてくれた。

RentRooms Thessaloniki(ホステル)

テッサロニキの最安値のホテルは予約でいっぱいで、3番目に安いホテルしか取れなかった。22€。アテネのホテルより千円以上高い。そのかわり女性専用ドミは6人部屋で、部屋の中にトイレ、シャワー、洗面が2台づつある。テラスに洗濯物も干せるし、住んでいるような人も一人いたが、まだ秩序が保たれていた。

夜ご飯を食べに行く。テッサロニキは遺跡がゴロゴロしておて、入場料も無料のとこがほとんどだ。明日観光しよう。

Ouzerie Lola(シーフードレストラン)

宿にキッチンがなかったので食べに行くしかない。口コミが良かった近所のシーフード レストランへ。

イカ焼きを頼んでみる。味付けがオリーブオイルと溶かしバターにハーブの味がついていて、ヨーロッパに入ってから食べたシーフードの中でダントツで美味しかった。
イカ9.5€、ビール4€。アテネで見たシーフードは16€前後したので、これを食べに来ただけでも価値はあったかもしれない。会計中に食後のアイスまでくれた。


次の日。
この日に北マケドニアへ移動したかったが、日曜日はバスがないので仕方なくもう1泊する。
同室のハンガリー人の女の子が「今日、飛行機でブダペストに戻るんだけど、荷物になるからシャンプーあげるわ。」とシャンプーをくれた。・・・私もいらんけどな。「ありがとう!嬉しい!」と言ってもらっておいた。あぁ日本人。

テッサロニキ観光

炎天下、頑張って徒歩で遺跡・教会を周る。結局テッサロニキの歴史に精通していないので何がなんだか分からず。

海辺の白い塔へ行ってみる。

クルーズも出来るようだ。

ビニール傘の変なオブジェ。暑さでボロボロになっていた。

アギオス・ディミトリオス聖堂

ここだけ特別に面白かった。ギリシャ最大の教会で世界遺産らしい。無料で入れるのだが、地下に行くと・・・

5世紀頃の広い公衆浴場の遺跡がある。公衆浴場で殉教した聖ディミトリオスを祭っているらしい。

ギリシャ最終日なのでギリシャ料理のムサカを食べる。9.5€。
ラザニアにナスとトマトが入っていて上にマッシュポテトが乗っている感じの想像通りの味。
結構飽きる。

夜はスペインでもよく売られていたタコの足を食べに近所の路上レストランへ。
12€もした割には味が全然なく美味しくなかった。昨日のイカ焼きお店に行けば良かったな。

宿にキッチンがないので仕方なくギリシャ最後だからいいかと外食しまくったが、出費が大きい。
昔から憧れていたギリシャだが、アテネは期待外れだった。
ここから南にあるリゾートの島々に行くとまたギリシャのイメージは変わるだろう。昔からサントリーニ島に行ってみたかったが今はその気持ちがそがれている。アテネからの飛行機代は思ったより安かったが、ひとりでリゾート地へ行っても淋しいだけかな・・・


次の日、今日こそ移動する。

ギリシャのテッサロニキから北マケドニアのスコピエへ

テッサロニキのバスターミナルへローカルバスで行く。鉄道駅の隣。
ローカルバスのバスチケットの買い方は分からないので、やはり無料で乗る。無賃乗車チェックのおばさまがたまに乗っていると聞くのだが、セルビアでもここでも(そしてこれ以降のブルガリアやルーマニアでも)会わなかった。

テッサロニキからスコピエ行きは、月曜日は8時半発、火曜日は15時半発、それ以降は交互にこのスケジュール、日曜日は休み。金額は30.9€と高い。

あらかじめFlixBusのチケットをネットで購入している。運転手にスマホのEチケットの画面を見せると「横の建物の中でパスポート見せてチケット印刷して貰って。」と言われた。
またモンテネグロのポドゴリツァみたいにチケット印刷代を取るのかよっ!と思ったが、窓口にチケットとパスポートを見せると、それらが印刷されたA4の紙を無料でくれた。国境を便宜よく越えられるよう手配してくれているようだ。ありがとう、ギリシャ!!そして見習え、モンテネグロ!

バスは満席なので予約しておいて良かった。

走ってすぐにギリシャと北マケドニアの国境到着。
シェンゲン協定国とそうでない国の国境なのでパスポートコントロールあり。
先程の印刷してくれた紙のお陰か、運転手が紙とパスポートを集めて両方のイミグレに行ってくれ、バスを全く降りずに国境を越えられた。

北マケドニアのスコピエからコソボのプリシュティナへ

12時。北マケドニアの首都、スコピエのバスステーションに到着。薄暗い。汚いし2階は廃墟なのか雰囲気は最悪だ。
今日はここから一気に隣の国コソボに移動したい。この上に鉄道駅があるので鉄道で行こうかと思ったが・・・

鉄道駅の入口が分からない。外からみたら上にあるのだが。

入口は中にあった。そして廃墟ですか。
中にホームレス男性が1人住んでいて、中に入る度にマケドニア語で何か声を掛けてくる。大丈夫なんだろうか、この国の鉄道。

チケット売り場に一応人はいたが・・・時刻表を見ても、今は国際線は走っていないか早朝にしかなさそうだ。

上に上がってみる。ホームには地元の人4人だけ。

鉄道は諦め、下のバスステーションの窓口でコソボのプリシュティナ行きのチケットを買った。
北マケドニアの通貨を持っていないのでカードが使えて助かった。550デナール(1,500円)。
12時半出発なので直ぐだ。バスは頻発してそう。

チケットが全く読めなかったが、建物出口に係員がいてチケットを見せると乗り場を教えてくれる。廃墟感たっぷりの駅の割に親切だ。

やってきたのはミニバスで乗り込む。荷物代やターミナル使用料は取られなかった。取られる最悪の国はボスニアのセルビア居住区、セルビア、モンテネグロ。中米ではどこも取られたけど。
そして運転手はチケットすら確認しなかった。まあこの規模のバスでチケットなしで乗る人もいないだろう。

チケットに座席番号は書いてあるが皆好きな場所に座っている。いつも通り、進行方向と日差しが当たる位置を計算して日陰になる席を確保した。

北マケドニアとコソボの国境ではバスを降りてイミグレに行かないといけなかった。北マケドニア側ではパスポートを見せるとイミグレのお兄さんは「ジャパン?」と笑顔になり一瞬でパスポートを返してくれた。北マケドニアと日本は仲がいいのだろうか。

コソボのプリシュティナ駅

コソボのプリシュティナ駅に到着。人は少ないが、北マケドニアのバスステーションよりは明るい。
鉄道駅は併設されていなかったので鉄道で来ていたらどこに到着していたのだろうか。

アテネでは日本からAmazonで購入して持って来ていた3のSIMカードが使えたが、北マケドニアとコソボでは案の定繋がらない。バスターミナルにフリーWi-Fi位飛んでいるだろうと期待していたのだが、ここにはWi-Fiはなかった。何この未開の地。

仕方ない。宿まで徒歩40分位あると思うが、歩いて行って途中でフリーWi-Fiが捕まえられたら、そこからバスで行くことにする。

列車でカランバカからアテネへ移動してアクロポリスへ、アテネの民度とは(Day425-6)

1€(ユーロ)≒174円
ギリシャ3日目、カランバカ3日目

今日は列車でカランバカからアテネに向かう。

カランバカからアテネまで列車移動

宿をチェックアウトし、10時のバスに乗るため鉄道駅に到着。
昨日ここで購入したチケットは2枚あったので、窓口の人に「乗り換えるの?」と聞くとPalaeofarsalos駅まではバス、そこから列車に乗るらしい。やはりカランバカに鉄道が走っている気配はないし廃線になっているようだ。

バスは半分ぐらいの乗車率だったので、当日チケット購入でも大丈夫そうだった。

Palaeofarsalos駅

11時40分。
Palaeofarsalosの鉄道駅に着いたら、リアル北斗の拳の世界のような駅。鉄道駅はどの駅も落書きだらけだし、ギリシャの人って民度低いのか・・・

廃墟かと見間違うような駅。他の乗客も全員降りたので、ここで乗り継ぎなのは間違いなさそうだ。

駅の売店でトイレを借りたので、何か購入しないと悪いかなと思いサンドイッチとコーラを購入。
サンドイッチは常温で置いてあったのだが、びっくりするほど不味かった
ギリシャ料理も期待出来ないな。

12時15分。列車が来て乗り込む。トイレもあるしゆったりしている。やはりバスより快適。

アテネ駅

15時。2時間でアテネ駅に到着。ギリシャ文字が宇宙文字のようでびびる。
この路線はバスで行くより列車の方が断トツ速い。

ここのところずっと誰かと一緒だったので、観光やホテルをじっくり調べ切れていない。
昨晩慌てて予約したホテルに地下鉄で向かう。
アテネなんて有名都市なのに珍しく地下鉄でクレカタッチが使えなかった。毎回券売機でチケットを1.3€で購入。

地下鉄を降り、炎天下の中15分歩いてGoogleMapに印を付けていたホテル、Acropolis View Hotelに到着したが、レセプションの男性に「予約ないよ?」と言われる。あまりにも高級ホテルだったのでおかしいと思っていた。
スマホを確認したら、予約していたのはAcropolis View Dreamだった。

予約していたAcropolis View Dreamは鉄道駅からすぐだった。
・・・この炎天下の中、また戻らないといけない。地下鉄代も往復無駄だったし、あほあほあほ。

高級ホテルのレセプションの男性は地図をくれて「君のホテルはこうやって行くんだよ。」と説明し、ホテル自家製のレモネードジュースをくれた。やはり高級ホテルは違う。
お願い、安宿過ぎて恥ずかしいから私のホテル、いやホステル見ないで。

Acropolis View Dream

アクロポリス駅から宿のあるアテネ駅に戻る。
戻って来る時のアクロポリス駅には改札がなく地下鉄に乗れてしまったが、帰りは改札があったので出れなくなった。駅員に言っても面倒そうに改札を指差しギリシャ語で何か言ってくるが何を言っているか分からない。やる気あるのかこのやろう。
困っていると通りすがりの黒人男性が自分の定期券をタッチしてくれたので駅から出れた。

ホテルに入るとかなり大人数のホステルなのだが、レセプションには人がいない。
これ以降、こういったセルフチェックイン形式の宿が多くなる。1泊15€。

セルフチェックインをしてメールに送られてきた番号の部屋に入る。女性専用ドミトリーなのだが。

民度低くないですか??なんだこれ。住んでるの??住んでるんだろうな。
窓際に飲みかけの多数のペットボトル。汚い、汚い、汚いー
全部同じ女の子のもの。やはり期待を裏切らず、ヒスパニック系のぽっちゃり女性だった。そして予想どおりスマホの音出し&観光も行かず部屋でずっと電話。舞台女優ですか?と思う位の大声だった。小さい声出せないの?

ベッドは早いもの勝ちのようで、下の段のベッドは全部取られていたので上の段にする。
はしごに服がいっぱいかかっているので踏まないと登れない。もう知らん。踏む。

登った後、ベッドを降りると上の段の中国人に「電気のスイッチ点けてくれない?」と命令された。あんたのベッドからの方が近いでしょうが。
ベッドの上でかちゃかちゃ音がするので何かと思ったら、彼女はキッチンから持ち込んだ食器で食事していた。もう、何この宿ーーーー\(^o^)/このパターンは初めて見た。

全く心休まらない。女性専用ドミってこれまで大体静かだったのに。

夜になると、入口も自分の部屋もメールに送られてきた暗証番号で開けられなくなった。レセプションに男性がいたので聞いたら「セキュリティの為に番号変えたんだ。」だと。

なんでやねーーーーん!!\(^o^)/
昼にチェックインした人はどうやって入るの?ふざけてるのかこんにゃろう。
2泊予約していたがもう出て行きたかった。


次の日。

宿の冷蔵庫。宿泊客の多さに比べて容量が足りな過ぎてパンパン。ペットボトルに入れた水を特大サイズで何本も冷やしている人がいて全然入らない。まあ同じ部屋のあの女の子なんだけど。
それでもやっと入れた昨日購入したヨーグルトは、今朝見たらなくなっていた。

で・す・よ・ね~\(^o^)/もう嫌

この宿、これまで最低レベルと思っていたパナマのボカスデルトロ島の宿を抜いたかも。

アテネの街を歩く。汚い。本当に汚くてドン引き。モロッコのフェズより汚いのではないだろうか。これぞ実際来てみないと分からないギリシャの現実。

落書きのないシャッターなど1枚もない。ギリシャって2008年の金融危機で経済崩壊してたんだっけ。政治を間違うとこうなるというアルゼンチンと同じ例だ。日本も他国のこと言えないけど。

アクロポリスのチケットはクレカがはねられる

アテネに来てアクロポリスに行かない人はいないだろう。
この時期のアテネは暑すぎて熱中症対策で12時から17時までアクロポリスは閉館している。

前日にHPを見ると19時〜のチケットしか空いていなかった。定価20€。30€を出せばここを含め、全部で7つの神殿に入れるチケットもある。
そして19時の予約で自分の持っているクレカを4枚とも試すが、全部セキュリティではねられた。

どうしようもないので、GetYourTourの予約サイトから申し込む。800円の課金だ。Klookの予約サイトからだったら朝1番の8時のチケットが取れるのでそれを予約しておいた。19時でもアテネは全然暑いのだ。

アクロポリス駅

朝の8時にアクロポリス駅に来る。まあ昨日もホテルを間違えて来たんだけど。
凄く並んでいる。当日チケット窓口も開いていたが、恐らく入場出来るのはもっと後の時間帯だろう。

30分並んで入場。朝の8時はまだ涼しくて良かった。円形劇場?潰れてる。

アクロポリスの丘をどんどん登って行く。

1番上。見えた!パルテノン神殿!しかし人、多過ぎ…

小さい頃から教科書や図鑑で見ていたあの神殿が目の前に。
紀元前5世紀ごろにアテネの守護神、女神アテナを祭るために建てられた神殿。
柱は美しく見えるように真っ直ぐでなく中心が膨らんでデザインされている。

裏側。

人、多!!笑
もっと感動するかもと思ったけどなんかこの手のもの見飽きちゃってるのか、人の多さにうんざりなのか。来なくても良かったかも笑
紀元前、日本が弥生時代の時にこんなもの造れている建築技術は凄いと思うけど。
これ、中に女神像があったけどトルコ軍の攻撃で火薬庫が爆発して屋根が吹っ飛んだんだよね。
あとアテネも地震が多いから崩れたのもある。

新アクロポリス美術館

アクロポリスでアテネの景色など堪能してから降りて来た。
麓の無料トイレに行き、目の前の美術館へ。

新しそうな建物。考古学博物館とどっちにしようか迷ったが、暑過ぎて動く気力もないのでここへ。

古代ギリシャの住居跡の上に建てられている。トイレは男女別ではなく時間帯で分けられてたとか。そんなのタイミング調整出来るのかな。

建物の中はエアコンが効いててWi-Fiも速くていい。宿のWi-Fiは遅すぎて使い物にならなかったから。

これより奥は撮影禁止。これは屋根の部分の装飾?頭は3体、下半身は蛇だった。
ギリシャ神話に出てくるのだろう。なんか今にも動きだしそうな感じが気に入った。

4階のパルテノンギャラリー。
パルテノン神殿の屋根の三角部分の彫刻。パルテノン神殿に祀られてたのは女神像だし、この彫刻も男女同じ数だけあるので、昔のギリシャって男女平等だったんだろうなと思う。

レプリカ。本物はまた大英博物館に盗まれていたりして笑

かなりの彫刻が置いていて、全部の説明を読むのは無理。他には大理石の補修ビデオ等が流されていた。

アテネ中央市場

お腹が空いてきたので、美術館を出て近くのレストランのメニューを見てみたが高い。
GoogleMAPを見て市場なら安いのではと期待して歩いて行ってみる。

私の好きな魚介もビールもレストランより安い。ビール1.9€。

この市場内の食堂に決める。素手でボンボン盛られたので衛生面は保証されないが。

ビールはミニサイズだったが美味しかった。魚介類7€はエビ以外はマリネでめちゃくちゃ酸っぱい。つまみとしてはいいかな。

鳩だらけのアテネの街を通り宿へ戻る。

インスタを見たらアテネに行ったことある人らから「そうそう、アテネの宿って汚いよね」と共感メッセージが届いていた。

今日の宿の様子

他の宿を予約していても同じ位の民度だったのだろうか。
ネットでよく見る「ゼウスホステル」は、ポリシーに「18〜45歳迄宿泊可」と書かれていたから行かなかったのだ。しかしこの日アテネに移動してきた50代のYさんは宿泊出来ていたので、何歳でも泊まれるようだ。どうせレセプションはバイトだろうし、チェックしてないだろう。

とにかくあの宿のせいで、アテネのイメージは最悪。早く出たいので明日のテッサロニキ行きの鉄道チケットを買いに駅に寄る。

ホステルの部屋に戻るとヒスパニック系の女の子が、凍らせた特大ペットボトルを壁にガンガン打ち付けながら大声で電話してる。
呆れて見たら「あっ凍ってるから壁に叩かないといけないのよ~」なんて言ってくる。

いや、つっこみたいのそこじゃないから。

外でやれ、そして凍らすな。あの小さな冷凍庫をひとりでペットボトルだらけにすな。
そして同室の中国人も注意しない、彼女も部屋で大声で電話しているから。

最初に間違えて辿り着いたホテルにチェックインしてたらストレスは無かっただろうな、と金額を調べてみたら155€だった。ここと10倍違うわ、無理。

明日行くテッサロニキではきっと安らげると信じ、彼女が静かになるのを待って寝た。

ギリシャの空中修道院、メテオラに自力で行く(Day424)

1€(ユーロ)≒174円
ギリシャ2日目、カランバカ2日目

今日はカランバカから、自力で世界遺産のメテオラの修道院に行く。

昨日はYさんと0時を過ぎても飲んでしまっていた。
その後彼女がツアーに申し込もうとしたら0時で締め切られていた。彼女にはまだ帰国まで時間がたっぷりあるので、ここにもう一泊延泊して明日ツアーで行くという。楽し過ぎて気付いたら0時を過ぎていて申し訳なかった。

メテオラの修道院とは

メテオラとは「空中に浮かぶもの」という意味。
14世紀、ビザンチン帝国末期の不安定な時代に修道士たちが外部からの侵略や略奪から身を守るため、アクセスが困難な岩山の上に修道院を建てたのが最初。かつて24の修道院が存在し、現在も6つ活動している。

街に近い順から・・・

  1. 聖ニコラオス・アナパフサス修道院(Holy Monastery of St. Nicholas Anapausas) – 壮大な壁画
  2. 大メテオロン修道院(Great Meteoron Monastery) – メテオラ最大の修道院で、重要な文化財が多く保存
  3. ヴァルラーム修道院(Varlaam Monastery) – 美しいフレスコ画
  4. ルサヌ修道院(Rousanou Monastery) – 美しい景観と庭園
  5. アギア・トリアダ修道院(Holy Trinity Monastery) – ジェームズ・ボンド映画『ユア・アイズ・オンリー』のロケ地
  6. アギオス・ステファノス修道院(Holy Monastery of St. Stephen) – 最もアクセスしやすい修道院

上記6つの修道院に入れる。全部行く体力もないし、どれも入場に3€かかるので行く場所は絞ることにする。

注意点は入場料は現金払いのみ。軽装禁止、女性はパンツ姿も禁止なため腰に巻くスカーフを持って行った。あとは暑さ対策で帽子、サングラス、日傘、特大コーラ。

メテオラ行きのローカルバス

若干2日酔いの体を引きずって8時半起床。9時のバスに乗るべく何も食べずにバス停へ向かう。

このバス停から1日3本、メテオラ行きのバスが出ている。
隣のチケットオフィスでチケット購入、2€。時刻は9時、12時半、14時半
帰りは終点のアオギス・ステファノス修道院で折り返し11時、14時、16時半出発。

9時にこんな大きなバス到着。カランバカの街にいくつか停まり、メテオラめがけて山を登る。

宿の近くの噴水前にも9時10分に停車したので乗り遅れてもここからでも乗れそうだ。

大メテオロン修道院

バスは1つ目の修道院に差し掛かるが、そこでは2人しか降りない。皆、目的は2つ目の1番大きな1番古い修道院。

9時20分。2つ目の大デカメロン修道院みたいな名前の修道院に到着。ここで乗客全員が降りる。
バスを降りても、1度谷を下ってまたあの階段を登らないといけないんだけど。階段は約300段ある。

登り降りしている間にオープンの9時半になった。階段から隣の修道院も見える。
いかにもメテオラって感じ!
どうやってあんな危うい感じのところに建てたんだろう。

猫もへばる暑さ。メテオラはより天に近くより暑い気がする。
ベラトで出会った若い女の子にも「本当に暑いから自力で行くのはやめた方がいい。」と言われたが、階段300段はあっという間だった。私は自分が思っているより結構脚力があるのかもしれない。

入口で3€払い中へ入る。雰囲気抜群。

綺麗な中庭に出た。

修道院だけあって中のイコンや装飾が綺麗なのだが、そこは撮影禁止。

中にあるミニ博物館に貼ってあった写真。撮影禁止だけど中はこんな感じでとても幻想的で綺麗だ。
ここなら大いに瞑想にふけれそう。

そこから炎天下、歩いて次の修道院へ。

行きのバスには20人位観光客が乗っていたのにどこへ行っちゃったんだろう。誰も歩いていない。
ツアーバスか自家用車の人しか見掛けない。
たまーにレンタル自転車の強者も見るが。レンタル自転車も30€と結構高い。

炎天下、2€だけで観光しようとしている貧乏人は私だけなのかな。

ヴァルラーム修道院

20分位歩いて次の修道院に到着。2番目に大きな修道院。ここも160段の階段と坂道を登る。

入場料3€を現金でお支払い。カード不可。

14世紀に隠遁者ヴァルラームが建てた礼拝所跡に、16世紀ごろ修道士の兄弟によって建てられたのがこの修道院。

庭園が美しい。地下に博物館や100年近く前の修道院での生活の映像があった。
本当にこんな場所にこんなものを作り上げる、宗教への思いは尊敬する。

当時は階段などないので、物資や人はこうやって上に運んだらしい。なんかシュールじゃない?

人を吊り上げるのは4人位でこの棒をくるくる歩いて回していた。
敵が登って来れないための修道院だから階段は作らなかったのか。

最初に登る人は大変。骨楽した人もいそう。落ちたら死ぬよね・・・

ここもここから先の修道院の中が綺麗なんだけど撮影禁止。
さっきの修道院はトイレがあったがここには下の有料トイレしかなかった。デカメロンでトイレに行っておいて良かった。

Viewpoint Meteora

また降りて炎天下の中歩く。
6つの修道院はどれも週に1つ休日がある。次のルサヌ修道院は水曜日の今日は休みなので入れず。

途中に2か所ビューポイントがある。修道院と下のカラバンカの街並みが見える。
見えているのがどの修道院なのか、方向音痴の私には分からない。

ここまでもここ以降もやはり歩いている人を全く見かけなかった。途中でしんどくなってもタクシーが通っていないのでもう歩き続けるしかないんだけど。

暑さの中、体力が心配だったが帽子・日傘・サングラス、そして特大コーラを持って来ていたので全然しんどくなく歩けている。日傘の威力って凄いな。これを差してみるのと差さないでいるので歩いてみたら全然体力の消耗具合が違う。80g最軽量日傘、日本から持って来ていて良かった。

特大コーラはこれ。アルバニアで最後、現金を全部使おうと思ったらこのコーラを買うしかなかったのだ。朝食抜きの身体に糖分が行きわたり、食事抜きで周れたので買っておいて助かった。

13時。最後のアギア・トリアダ修道院アギオス・ステファノス修道院に辿り着いた。
入場は3€いるので外観だけ見る。
アギオス・ステファノス修道院は唯一階段を使わずに入れる。

アギア・トリアダ修道院は、映画007シリーズの『フォー・ユア・アイズ・オンリー』(1981年)のロケ地。ここの130段の階段は6つの修道院の中で1番キツイらしい。

この時点で13時だったら、大人しくアギオス・ステファノス修道院で14時に来るバスを待っていたら良かったのだ。

アギア・トリアダ修道院の入口でこんな「カラバンカはこっちですよ~」と街が近そうな看板を見つけてしまった。この看板通りに進んで行く。

山道を降りる。直ぐに町に着くかと思ったら全然だった。
メテオラを歩くのは、修道院を見ながらだし風も吹いていたので楽しかったのだが、この帰り道がしんどくて体力を奪われてしまった。

1時間近く掛かって山を下りてカラバンカの街に戻って来た。道が合っているか不安だったが途中1組だけ登ってくるカップルとすれ違ったので安心していた。
街からバスを使わずこの道を登って来る人もいるのだろう。かなりしんどいと思うが。

アテネ行きの鉄道チケット購入

そのまま重い足を引き摺って街の一番南にある鉄道駅まで行く。
14時過ぎなのでオフィスはやっていた。窓口の愛想のいいお姉さまから明日10時のアテネ行きのチケットを購入。バスより少しだけ安い30.9€だった。

15時に宿に戻ったがYさんと話す元気もなく寝てしまっていた。
起きたらYさんはもう就寝していたので、今日は一人で夜ご飯を食べて寝ることにする。

パスタを茹でて日本から持って来ていた「ヤマキのだしの素」で作ったつゆにつけると五島列島の細麺みたいな食感のうどんとして食べられることを発見した。
パスタならいくらでも手に入るので、もっとたくさんだしの素を持ってきておけば良かった。

明日はアテネへ移動する。

日帰りでブルーアイへ行く。ジロカストラからメテオラのあるカランバカへ移動(Day422-3)

1€(ユーロ)≒174円、1アルバニアレク≒1.75
アルバニア7日目、ジロカストラ3日目

今日はジロカストラから日帰りでブルーアイという水の綺麗な景勝地へ泳ぎに行く。

7時に起床。服の下に水着を着こみ、バスターミナルへ向かう。途中のパン屋でパンを購入。

ブルーアイへ行く

8時出発のサランダ行きのミニバスに乗る。400レク(700円)。

乗ってるのは地元の人がほとんどで満席になった。
バスの中で購入したパンを食べたかったが、隣に座ったベルリン在住のドイツ人のおば様にずっと話し掛けられ食べれなかった。

アルバニアのテスに行きたかったが宿代が高くて断念したと言うと「あれ?ゲストハウスは安かったわよ?たったの40€。」と言う。その40€が日本円だと×175円になって高いねん!!・・・とは言えず「そうなんだ。」と貧乏人じゃないふりをしておいた。
今は息子と二人旅をしていて冬は娘と日本の北海道に来て温泉とスキーをすると言う。息子は20代後半位なのに仲が良くて羨ましい。うちの兄ってこんなことしないし笑。

ブルーアイのバス停

1時間弱で到着。帰りはここを12時半~13時にバスが通る。

降りたのは私たちとドイツ人親子だけだった。ぼーっとしていたら乗り過ごすとこだった。
ブルーアイの入場料50レクを払い、橋をずっと進む。
日陰のない道で暑い、そして周囲の水が停留しているのか臭い・・・藻臭い。汚れているし本当にブルーアイなんてあるのだろうか?。

ブルーアイへ行く橋。そして到着すると・・・

ブルーアイ遊泳禁止

遊泳禁止になっていた。ショック。看板は新しいので、おそらく最近遊泳禁止になったのだろう。
私の他にも水着でそのまんま来ていてショックを受けている人多数。

ここまで歩いてきただけでも、服が全身びしょびしょになるぐらい汗をかいていた。本当に泳ぎたい。
でも誰も泳いでいないので泳げない。
靴を脱いで看板の手前の水たまりに足だけつけた。水はかなり深い所から湧き出ているのか、物凄く冷たい。恐らく冷たすぎて泳ぐのは数秒が限界かと思われる。

遊泳禁止なので水が濁ってなくて美しい。

しかし泳ぎたいので恨めしく眺めた。

左の方のトレッキングコースへ皆が向かうので、私もついて行くことにした。
Yさんはしんどいので行かないと言うので、バス停に12時半に待ち合わせをする。

みんな泳ぐ気満々で水着でやって来ているので、こんな姿でトレッキングしている。トゲトゲに刺さってめちゃくちゃ痛そう。笑いをこらえながらあとを続く。

大勢人がいたのに、なぜか途中から私しかいなくなった。道を間違えているのか?どんどん先に行かれたのか?
GoogleのGPSが繋がるので大丈夫と言い聞かせながら湖の周りを歩く。

最後はバスで通って来た大通りに出た。途中で道を間違えたのかな?私しか歩いていない。
ここからバス停まで何も影がない中15分歩く。車は通るがウズベキスタンやイランのように「乗って行く?」なんて誰も声を掛けてくれない。イスラム教とキリスト教の違いかな・・・

結局トレッキング開始から1時間以上かけて元のバス停に戻り、Yさんと合流出来た。

Yさんが元の道を戻っていると、このブルーアイの入口にあるレストランの奥だと遊泳禁止にも関わらずこっそり何人も泳いでいたので少し水に浸かったらしい。羨ましい。

13時にやって来たバスに乗り込みジロカストラへ戻る。

Trigona Hostel

ジロカストラで延泊することになったので、近くの別のホテルを取った。
こっちの方がキッチンも共有スペースも広く、水回りも複数あるのでかなり快適だった。

だがベラトの宿にいたオーストリア人男性が同じ部屋にチェックインしていて昼の14時だというのに寝ている。
チェックイン時にレセプションの人に説明を受けているだけなのに「うるさい」「ドア閉めろ」などと注意してくる。・・・うーんフィリピン人男性が文句いうのもうなずける。スーツケースを開けただけで、カーテンを開けてこっちを睨んでくるので心休まらなかった。3回やられた。
そんなに神経質なら個室取れよ。

彼は同い年位かと思われるが、1日10€以内に収まるように計算して生活しているらしい。ここまで来る朝8時のバスも他の全員が1,400レク払っているのに、彼だけ「(14時発のバス代と同じ)1,000しか払わない。」と言って1,000レクしか払わず運転手と大モメしたそうだ。

また、夜ご飯をYさんとシェア。

明日アテネに行くので、アルバニアの現金をパンやコーラなど買って使い切る。
旧市街を歩いていると、ベラトの宿で最後に入ってきた日本人女の子のOさんにも偶然会ったので一緒にアイスを食べた。
アテネよりかなり安く食べられるのでここでピスタチオアイスを食べておいて良かった。

宿にテラスがあったので、そこからジロカストロ城のライトアップを眺める。
ジロカストラ、ベラトよりさらに南だから暑かったけど、綺麗な石造りの街だった。

明日はアテネのメテオラがあるカランバカに行く。


次の日。

アルバニアのジロカストラからアテネのカランバカへ

5時50分のカランバカ行きの(本当はイオニアナまでだけど)バスに乗るべく4時半起床。神経質じじいに文句を言われないよう、荷物は全部部屋の外に出してから荷造りする。

朝5時過ぎでも明るい。夏のヨーロッパは日が長いのはいいが、宿代が高いのがネックだな。

宿に来るまでも苦労したこのガタガタ道をスーツケースを引き摺りながら降りる。同じ50代のYさんももちろんスーツケースだ。下りなので登りよりだいぶ楽だったが道を間違えかなり遠回りした。

Dhropoli Toursの前から出発する5時50分のバスに乗り込む。ツアー会社の人らはちゃんと出勤してきていて英語が話せる人がいたため念のため「これイオアニアまでしか行かないんだよね?」と聞くと「そうだよ。イオアニアで15時発のバスチケット買ってね。」と言われた。待ち時間長いなぁ。

8時。アルバニアとアテネの国境到着。
アルバニアは違うけどアテネはシェンゲン協定国のため両方の国で一度全員降りてパスポートコントロール。

アテネのイオアニア到着

10時。イオアニアのバスターミナルに到着。窓口で15時発のカラバンカ行きのバスチケットを買う。ネットで見たのはは12€だったが14€に値上がりしていた。
出発までまだ5時間ある。バスターミナルにはロッカーがあったのでそこに荷物を預けてイオアニア観光をしてもいいが・・・

あまりの暑さに外を歩く気になれない。しばらくバスターミナルのベンチに座ってYさんとメテオラ観光について調べごとをしていたが、あまりのフリーWi-Fiの遅さにイライラし、近くのカフェに移動することにした。

カフェラテを飲みながらソファ席で4時間居座る。本当に一歩も歩きたくない位ギリシャは暑いのだ。

15時。カランバカ行きのバスに乗り込む。ほぼ満席だった。

17時。2時間でカランバカに到着。降りる人が少なかったのでまたあやうく乗り過ごすところだった。
到着していきなりこの景色。凄い。明日行くメテオラに期待が膨らむ。

The Holy Rock Hostel

10分程歩いて宿に到着。

受付の若い女の子はもの凄く感じが良く、聞くとマレーシア人でボランティアで宿のレセプション業務をするからタダで宿泊させてくれとオーナーに頼み込むスタイルで世界中を旅しているらしい。
「南アメリカはやっぱペルーが最高だよね~」とお互いの旅について話が盛り上がった。マレーシア人は英語ベラベラだから、ここのオーナーも南アメリカのオーナーも自分より安心して宿を任せられるだろうな。彼女は夜中も起きていたからレセプション業務も楽ではないだろうけど・・・羨ましい。

部屋は床置きエアコンも扇風機もあり。2日間ほぼYさんと二人きりだったから快適だった。

キッチンも広くてコンロが2か所あるので使いやすい。これまでの経験ではコンロよりシンクが2か所ある方が複数人では使い易かったけど。まあキッチンが全くない宿もあるのでこれで十分。

メテオラのツアー

明日はメテオラ観光。

Yさんは暑いからツアーで行きたいと言うので現地のツアー会社で金額を聞いてみたが高額なプライベートツアーしかやっていないと言われた。
大型ツアーバスに申し込むならネットのGetYourGuideTripドットコムのサイトから6,000円弱のツアーに申し込める。

カランバカのこの暑さ・・・
自分の体力でメテオラ修道院を周れるかかなり悩んだが、ツアーで行くと人の多さで風情がなくてモロッコでうんざりしていた。私は自力で現地のローカルバス2€で行くことにした。

アテネまでのチケットを買いにカランバカの鉄道駅へ

カランバカからアテネまではバスか鉄道で行けるが、できれば鉄道の方がロマンがあるので鉄道に乗りたい。ネットでは列車が夜便1本しかないと見たので明日のチケットを買いに鉄道駅まで来てみた。

宿から10分~15分歩く。廃墟??これは昔使われていた駅舎。

こっちの落書きだらけの隣の建物だった。

それでも列車が通る気配はない。廃線になったかと思ったが、駅舎を覗くとアテネ行きの列車の時刻表が貼ってあった。営業が18時までで今10分過ぎているので閉まっているようだ。

1日4本ある。
途中にあったバスターミナルでアテネ行きのバスの時間を聞いたら朝の8時半出発で32€。明日もう一度ここに来て32€より安かったら鉄道で行こう。

帰り道のスーパーでYさんと買い物。

サラダオイルかと見間違うが、ワインがたったの2€なので2人で半分こすることにした。
私の希望に合わせてくれてロゼ。めちゃくちゃ美味しい。

夜食にパスタを作ってアテネビールと共に談笑。半分Yさんにあげた。
自炊はパスタが断然簡単で安上がりだ。この旅でパスタのレパートリーが増えた。

明日は体力が不安だがメテオラ観光。
世界遺産検定で興味を持った、岩の上の修道院を訪問する。

ベラトから石の街ジロカストラへ移動。ギリシャのメテオラまでのバスチケット購入(Day420-1)

1€(ユーロ)≒174円、1アルバニアレク≒1.75
アルバニア5日目、ベラト3日目

今日はベラトから石の街ジロカストラへ向かう。

宿のいびき問題

昨晩は新しく来たフィリピン人のぽっちゃり男性の大イビキでなかなか寝れなかった。
1年以上ドミトリーに宿泊しているが、聞いたことのない地獄の地響きかと思うような大音量だった。脳梗塞か何かかと心配なのと、寝れないので何度起こそうか思ったことか。

起きるとがその彼が愚痴を言ってきた。
『夜中にもう一人のオーストリア人のおっちゃんに「いびきがうるさい」と2回起こされて不快だったが、彼もいびきをかいていた!』
いや・・・彼もかいていたけど、あなたの方が録音して聞かせようかと思った位大いびきでしたよ、なんてとても言えない。
「はは、そうだねー」と濁してその場を逃げる。彼はその後起きてきた他の女性たちにも次々に同じ愚痴をこぼしていた。
・・・こんなに恨まれるなら起こさなくて良かった。本人に言えばいいのにかっこ悪いなぁ。彼は1日目はナルト、2日目はドラゴンボールのTシャツをぴちぴち状態で着ていたので、夜になるまではまだ好感を持っていたのだが。

ベラトのバスターミナル

Yさんがバスターミナルに貼っていた時刻表を写真に撮ってくれていて「ジロカストラ行きは12時半だよ。」と言うので12時にバスターミナルにやってきた。行きはここで降ろされなかったから初めて来た。

写真の時刻表、古くて怪しいと思っていたら案の定、ジロカストラが終点のバスは14時の1日1本だけだった。1,000レク
後で会った人に聞くと8時のサランダ行きのバスに乗ってもジロカストラに停車するらしい。だがそのバスに乗るとジロカストラで降りようがサランダで降りようが、全員サランダ行きと同じ1,400レク取られる。14時のバスに乗るのがいいだろう。

あと1時間半もあるので、建物の中に入ってみる。奥に潰れたような誰もいない食堂があり「閉店しちゃったか~」と看板のメニューを眺めていたら奥から店主が出て来てメニューを渡してくれた。

wi-fiもあるので快適だ。牛とタマネギのスープはとても美味しかった。パンも入れて850円位。
私が食事をし出すと他の外国人たちも次々入って来た。閉店したと思っていたのに営業していることに気付いたのだろう。次の日ここに来たYさんもやはり閉店した店と思って入らなかったそう。

ベラトからジロカストラまでバス移動

2時のバスに乗り込む。エアコンがんがんだし、シートも運転手も見たことあるなぁと思ったらバスの時計が7分進んでいる。これはティラナからベラトまで乗って来たミニバンと運転手だ。同じ経路ばかり運転してるんじゃないんだな。飽きるからだろうか。

目の前の座席のおじいちゃんが、語学学習アプリで日本語の勉強をしていてびっくりした。声をかけたいとこだが、厚かましいかなと思いやめておいた。

これまで同様やはり絶景だったが、久々の雨。晴れているところと雨のところがあり、虹が出来ていた。

Hotel Cico

ジロカストラのバスステーションに到着。
Googleで宿まで徒歩20分となっていたのでいつも通り歩くことに。しかし、バスのメンバーは私以外は皆タクシーに乗り込むので不思議だったが、理由がすぐわかった。

コンクリートで舗装された道路を5分位歩くとガタガタの石畳の道に変わった。そしてかなり急な上り坂。ここをスーツケースに登るのはかなりキツイ。暑い日差しが照りつける中、スーツケースの車輪が壊れないようにゆっくり慎重に上る。途中スーツケースを持ち上げたりしながら進んだ。

はぁはぁ言いながら登っていると、皆見てくるし、向かいから来た車に「タクシー乗った方がいいよ。」と言われる。そんなこと言うならUターンして乗せてくれよイラン人たちみたいに、と思う。タクシーは通るが全部客が乗っているのだ。ここまで歩いてタクシーのいる駅まで戻るのも嫌だった。

宿は清潔だが凄い狭さ。1泊11€。
これらのベッドをどうやってドアから入れたのか不思議だ。中で組み立てたにしてもスペースがなさすぎる。どの通路も人1人がやっと通れる分しかなく荷物は全く広げられない。2段ベッドの上の段しか空いていなかったが、カーテンがついていてプライベート感は良かった。

キッチン付きとネットには書いていたが、横がオーナー家族のベッド・・・・笑
とてもじゃないが使いにくかった。たまに昼寝してる時は扉閉まってるし。
限られたスペースでどうやったら最大限に客を呼べるか考えられた宿だろう。
共有部分もあるが、家族でアイロンがけをしてたりする。若い息子さんも手伝っていてとても感じのいいご夫婦なのでその雰囲気を味わいたいなら、ここもいいかも知れない。

ジロカストラ散策

宿にたどり着くだけであの坂道で疲労困憊しているが、ジロカストラの旧市街を散策する。宿からはすぐ。

ここもベラト同様、紀元前4世紀から続くオスマン帝国時代からの世界遺産に登録されている古い街だ。
やはり窓がたくさんあるオスマン形式の建物が多い。

ティラナのバンクスアートのようなトンネルを見つけた。

何があるのだろうと、他の人の後をつけて奥を抜けていくと絶景だった。
ベラトよりこっちの方が絶景ではなかろうか。

ぐるっとジロカストラ城の周囲を歩いて景色を楽しむ。城は19時に閉まるので明日ゆっくり回ることにした。

北の方の住宅街ドゥナヴァト地区へ行くとレストランの人たちにかなり声を掛けられる。

旧市街の市民広場で何かのイベント。この街、皆楽しそうなのがいいな。

中心地のレストランはどこも観光地価格だったので、宿のすぐ近くのレストランに入る。

この地方名物のチフチ(ハーブの入ったライスボール)を食べる。出てくるのはかなり遅かったが出来立てのほかほかで美味しかった。ビールと合わせて600レク(1,000円)。メニューの中ではこれが1番安い。


次の日。

旧市街に大きなスーパーがないのでバスターミナルまで歩いて行く。途中の大型スーパーで食料やビールを買い込んだが、クレカは1,000レク以上買わないと使えないと言われた。ベラトでは500以上からだったけど。「現金持ってない。」と言うと不機嫌そうにカードを切らせてくれた。

アテネのカラバンカ行きのバスチケット、直行便と乗り換え便

バスターミナルでアテネのメテオラがあるカラバンカ行きのバスチケットが売っていないか聞く。
ターミナルから出て左に曲がった「LICO&KOSTA」というツアー会社で売っていると言う。そこに行ってみたが、朝と夕方しかオープンしておらず閉まっていた。昼寝してるのかな・・・

仕方ないので宿に戻る途中にあるツアー会社「Dhropoli Tours」を見つけて訪問。
英語が全く話せない感じのいいおじいちゃんがいて「アテネのカラバンカに行きたい。」と言うと壁に貼ってある紙をにこにこしながら指差す。

この建物の前からロアニアナ行きのバスに朝5時50分に乗ってたったの8€。安い。おじいちゃんが電話で英語を話せるオーナーに代わってくれたのでカードを使えるか聞き、ユーロでもレクでもいいけど現金しか無理と言われたので「今現金を持っていないから、明日友人と来るね。」と伝えて電話を切る。

カラバンカに行きたいって伝えてこれ見せられたら、乗り換えのことも何も言われなかったし、ロアニアナ行きのバスに乗って途中カラバンカで降りるんだなって思うよね、普通。
チケット購入後に気付いた結果はロアニアナ行きのバスに乗り、ロアニアナのバスターミナルでカラバンカ行きの15時のバス14€のチケットを自分で買って乗ってね。ってことだった。
ロアニアナでの待ち時間5時間
全部で22€掛かるしこの経路は失敗。英語通じなかったし仕方ないな。

次の日の夕方に、駅前のツアー会社「LICO&KOSTA」で聞いたらカラバンカ行きのバスチケットは20€と言われた。ここのお姉さんの英語もかなり怪しかったので確証はないが、こっちは7時出発の乗り換えなしの直行のバスだったと思われる。こっちが正解の経路。

Taverna Labëria

ATMで現金を下ろし、焼き物レストランで魚を食べる。魚は900レクとちょっと高めだが、ジョッキが凍らせてあり、パンもこっちで初めて見るガーリックトースト。魚も野菜も最高に美味しかった。

宿に戻りしばらくすると、待ち合わせしていたベラトの宿で一緒だったYさんがチェックインしてきた。

私がチェックアウトした後、マルガリータの宿ではやはりエアコン問題が勃発して客に「同じ商売人として言うけど、こういう商売をしてたらダメだよ。」となだめられ、その日から一晩中エアコンがつくようになったらしい。悪い口コミが書かれる前に誰か注意してくれてよかった。

ジロカストラ城

Yさんと一緒に城に入る。料金400レク。

アルバニアの国旗は初めて見た時は全然可愛くないと思っていたが、そこら中に掲げてあるので見ているうちにだんだんかっこよく思えてきた。15世紀にオスマン・トルコを撃破した英雄スカンデルベグが、軍旗に使ったことに由来するらしい。そりゃかっこいいはずだ。

赤と黒柄に便乗して、コーラの蓋も全てこれ。

時計塔。動いていないが。

廃墟、ラピュタ感。
城は広く、景色も良くて見ごたえたっぷりだった。

夜はYさんとまた飲みながら語り明かす。
もうここからアテネに行こうかと思っていたが、ブルーアイという透明度が高くて泳げるスポットがあると教えてもらった。暑いので是非泳ぎたい。

明日は日帰りでブルーアイに行く。

アルバニア、千の窓を持つベラトへ。最安値の宿へ行くと日本人が3人もいた(Day418-19)

1€(ユーロ)≒174円、1アルバニアレク≒1.75
アルバニア3日目、ティラナ3日目

アルバニアの核核シェルターを堪能した後は千の窓を持つ街、ベラトへ向かう。

ティラナからベラトへ

14時半、宿からローカルバスを2本乗り継ぎティラナのバスターミナルに着いた。ジョージアやアフリカを思い出すようなミニバス乗り場。懐かしい。

ティラナから出ているバスの時刻表。かなりいろんなところへ行ける。

アルバニア、バスターミナルの人たちも人懐こい。アフリカ程ではないけど。

私が到着した時にちょうどバスが出発するところだったが「飲み物を買いに行っていい?」と聞くと「もう出るからダメ」と言われたので次のバスにした。次のバスは30分待ったが、エアコンが効いてるバスだったのでずらして良かった。

後に同じ経路で来た人に聞くと、その人のバスはエアコンなし、満席で通路に椅子を置いて座らされたらしい。便によって車体のグレードが違うようだ。

ベラト到着

17時、ベラト到着。ここでもバスターミナルじゃなく変に立派なホテルの前で降ろされた。
やはりここから予約している宿までの行き方が分からない。このパターンばかりだな。

Villa Elena(ホステル)

ベラトの市内から徒歩30分の遠い場所に宿を取ってある。なぜなら新規オープンキャンペーンで6€だったからだ。ベラトの他の最安値の宿は11€。

ホステルの近くは住宅街だった。あからさまにみんなこっちを見る。よほどアジア人が珍しいのだろう。「ホテル?ここだよー」なんてアルバに語で教えてくれる。

到着するとオーナーの人の良さそうな女性、マルガリータがターキッシュコーヒーやメロンで歓迎してくれた。そしてなぜか頭をなでてくれる。

部屋に入ると私より少し年上の女性Yさんがいた。日本のグッズを持っていたので「日本人ですか?」声を掛けた。2人で話が盛り上がっていると若いスタイルのいい女の子、Mさんが入って来た。彼女も日本人だった。

なんと。日本人の99%が行かないアルバニアで日本人女性が3名集まってしまった。凄い偶然だ。
いや、円安過ぎて3人ともこの安宿ホイホイにまんまと捕まってしまったのだろう。
ベラトはティラナより南なので更に暑かったが、この安宿はエアコンをつけてくれなかった。
マネージャーの男性に聞くと「昼2時間、夜2時間だけ付ける決まりだ。」と言う。ティラナの宿も夜しかエアコンを付けてくれなかったし、6€だからこんなもんかなと思っていたが、他の日本人2名はオーナーやマネジャーに抗議していた。それでもつけてくれなかったけど。

…私って忍耐強い方なんだな。文句を言うより面倒臭いが勝ってしまう。

宿で女3人、話が盛り上がりずっと喋っていた。3人とも年齢はバラバラだがこの宿をチョイスしただけあって、旅はバックパッカースタイル、感性も似ている。全員バツイチ、参考にしていた旅YouTubeはジョーブログ、この周辺の参考旅案内ブログは「さ●わーる」。
「『さぼ』って、情報古いよね〜更新してあげようか?」など話が合いまくって大笑いした。

Traditional Food Anxhelo

夜になり、皆で宿おすすめの近所のレストランに行く。
3人で飲むのなんていつぶりだろう。南アフリカのケープタウン以来か。

全員お酒好きというのも一致。久々の楽しい乾杯。
Yさんはグルメでインスタの投稿も食べ物とお酒ばかりだ。蛙料理が大好きらしく、この店のメニューにあったので楽しみにしていたらしい。しかし店員に聞くと仕入れていないようで出来ないと言われた。

メニューはアルバニア語だけで読めない。Google翻訳で見てチキンチーズと『ナスのぬいぐるみ』を頼んだが、一行間違えたのかパプリカが来た。どちらも美味しかった。
1人460レク(790円)。

夜はドミトリー部屋の皆がブーブー文句を言う中、夜の11時過ぎにやっとエアコンをつけてくれた。だが、朝起きてみると消されていて汗でびっしょりだった。夜中の2時にマルガリータが入ってきて消したらしい。
暑すぎてたまらずYさんは窓を開けたらしいが、そのせいで蚊に何か所刺されたと文句を言っていた。もちろんマルガリータ本人にも。「それは蚊ではない、ただの虫だ。」と言い返されていたが。

しかし誤解のないように言っておくとマルガリータはエアコン以外はいい人で、いつもニコニコ優しい笑顔で声をかけてくれ、自家製ジャムをくれたりする。夜テラスでパソコンをしていたら、なぜか私の頭をなでてくれ、まるでお母さんのようだった。

ホテルを経営し始めたところで、経費と客の不満度のバランスが取れていないのだろう。booking.comやGoogleに悪口を書かれると客が一気に減るので、エアコンを付けた方が結果的に儲かる筈だが。


次の日。

朝の涼しいうちに行動した方がいいのだが、やはりこれまで一緒に旅してきた人ら同様、若いMさんはたっぷり寝れるので起きるのが遅く、皆で出かけるのは昼過ぎになった。50代2名はきっちり早起き。

Yさんがチェックしてくれていた中心地のレストランへバスで向かう。バスはこの路線1本だけなので簡単。だがバス停の目印はないので皆が立っている場所に立つ。料金回収の人に30レク払う。

バスに乗ったらおじいちゃんがやはり遠慮なくアジア人私たち3人を見てくる。目が合うとニコニコアルバニア語で話しかけてくるのが可愛らしい。しかし何を言っているのか全くわからない笑

Restaurant Bar Çuçi

このレストランには「牛の脳みそ」というメニューがあり、他の2人も食べてみたい言うので頼んでみた。皆チャレンジャーだ。ケニアのホテルで会った「訳の分からないモノは食べれないから」と滞在日数分の日本食を持ってきていた子が見たら目を回すだろう。

牛の脳みそを揚げたものは食感がフグの白子そのままで美味しかった。もうひとつは羊肉のヨーグルトチーズソース。少し飽きる味付け。ここでもビール1人1本飲んだのを入れても800円位の支払い。

ただ、数年前のネットの記事を見ると1アルバニアレクは1円だったようで今は1.75円なのでこの半額近い金額で飲食出来ていたことになる。そりゃ出会う人出会う人「アルバニア安かったよ」って言うよな。

お腹が膨れ、やっと本来の目的、千の窓を持つ都市ベラトを観光。

家はいろんな方向を向いているが、窓はどこも同じ位の大きさ、同じ間隔でたくさんある。
ベラトは紀元前4世紀から続く都市で、オスマン様式の家は中に光を取り入れるのがいいとされているらしい。ここの地形のい理由から傾斜に階段状に家が配置されているため、各階の部屋に光をたくさん取り入れる工夫らしい。

これだと家具は置けないし、時計も絵も飾れない。そしてエアコンが普及したら冷暖房効果最悪で大失敗ではなかろうか。

川があるので橋を渡って向こうの土地も観光。向こう側にも千の窓の家がいっぱいあった。

14時、おそらく暑さのピークだ。3人とも日傘をさしているが暑すぎてバテていた。一度宿に戻ってベラト城に登るのは夜にすることにする。

宿には新しくオーストリア人のおっちゃんとフィリピン人の恰幅のいい若い男性がチェックインしていた。2人とも暑いのに寝ていた。エアコンをつけてくれなくてびっくりしてるだろうな…
そして若い日本人の女の子がもう一人チェックインしてきた。これで日本人女性4人。

4人でまた行った国の話などで盛り上がる。新しく来たAさんは早目に寝たいと言うので、昨日の3人だけで城壁へ行くことにした。

18時になり、またバスで街の中心へ向かう。この時間になってもまだ昼に地面にこもった熱で暑い。

ベラト城は受付の人がいる8時から19時以外は無料で入場できるらしい。だが営業時間中でも細い山道から登っていくと受付がないので無料で入場できた。

城と言っても城の跡があるだけ。1番上の展望台まで行く。ベラトの町が見下ろせた。

ここはイスラム教なのか。アザーンを聞きながらかなり長時間眺めていたが、気づけば20時を過ぎている。宿の近くのレストランは22時に閉まるので慌ててベラト城を降りる。

ベラトの夜景を見たかったんだけどな。この時期のヨーロッパは20時を過ぎても全然暗くない。

時刻表はないが、誰もバスを待っていなくてローカルバスはとっくに終わっていたようだ。
30分歩いて戻る。

昨日と同じレストランへ、また3人で楽しく飲む。今度はちゃんとナスのぬいぐるみ(Google翻訳でこう出てくる)を頼んだ。想像通りの味だけど美味しい。

旅で出会う人は男性が多い。世界中を旅している女の人なんてめったに会わなかったし、本当に楽しい2日間だった。

一度ここで皆と別れ、明日は一人でジロカストラへ行く。

ネズミ講で経済破綻したアルバニアの首都ティラナの核シェルターが面白過ぎた(Day416-8)

1€(ユーロ)≒175円、1アルバニアレク≒1.75
アルバニア1日目、ティラナ1日目

モンテネグロからアルバニアへ向かう。

アルバニアという国

アルバニアはエンヴェル・ホッジャが首相の共産主義時代(1944年から1985年)に鎖国していた国。1991年に共産主義体制が終わり、市場経済に移行すると多くの人々が投資の知識が乏しいままネズミ講に参加し、多くのアルバニア人が貯蓄を失い、1997年に国全体の経済が崩壊したという興味深い国。

日本人の99%が死ぬまでに行かない国と言われている。

モンテネグロのポドゴリツァからアルバニアのティラナへ移動

16時、モンテネグロのポドゴリツァを出発したミニバスは、窓が運転席と天窓しか開かないミニバン。なのにエアコンが壊れていて正に地獄の灼熱移動だった。

隣の席はレストランで一緒だったシンガポール人男性。私たちの席の隣はカーテンも壊れていてなく、直射日光とエアコンなしの状態で彼も参っていた。あまりの暑さに他の乗客たちも文句を言うが、壊れているものはどうしようもない。

国境でパスポートコントロール。外に出たら少し暑さはマシだが、ここで手持ちのペットボトルの水がなくなりかけ。頭痛もしてきたし熱中症になりかけかもしれない。これ、なくなったら死ぬのかな・・・なんて妄想が浮かんでくる位暑かった。

アルバニアに入ってから休憩所で停車する。
手持ちの水が全くなくなったのでコーラを買いたいがアルバニアのお金を持っていない。店主に聞いたらユーロでもOK と言われ、お釣りもユーロで返ってきた。アルバニアのお金はレクだがユーロも流通しているのだろうか?
水とコーラで合わせて1.5€。このバスに乗る時に買おうとしたモンテネグロのコーラは1本2.5€だった。

ティラナのバス停車場所

19時半。3時間半でティラナの市内に到着。

ティラノのバスの停車場所は、新しく出来た市内から車で30分以上南にあるバスターミナル(名称East Bus Terminal)なのだが、ドライバーが気を利かせて市内のショッピングモールの前で全員を降ろしてくれた。
バスターミナルから宿までのバスの番号は前日に調べていたのだが、訳の分からない場所で降ろされたらもちろん宿への行き方が分からない。

ボスニアのショッピングモールだとフリーWiFiが飛んでいたのになぁ。。。
ここのショッピングモールにWi-Fiはなかった。アルバニアはバルカン半島最貧国。その辺りは遅れているのかも知れない。中のATMでアルバニアのお金を下ろす。(やはり手数料は取られていなかった。)

宿の方角に向かって10分程歩いていると、パスワードなしのフリーWi-Fiが飛んでいるカフェがあった。すかさず電波をキャッチして、宿までのバスの番号を得る。

バスはこれまでの国と違って、中米であったような車内でチケット回収係が乗って来た人にチケットを販売するタイプ。40レク(80円)。アルバニアの物価は相当安そうだ。

バスに乗るとこれまでの国と明らかに違うのが、アジア人がほとんど来ないのかよほど私が珍しいらしく、皆私を見てくる。
チケット回収のおっちゃんは愛想良く金額を教えてくれるし、歩いていると挨拶してくれる人もいる。歓迎ムードではあるようだ。

Me & You Hostel

20時半宿に到着。
ヘトヘトだったので、オーナーの奥さんと思われる人に、1泊しか予約してないけど2泊お願いした。
1泊11€。宿の支払いは現金のみ。アルバニアレクで払いたいと言ったのだが、奥さんには英語が通じずユーロで払わされた。

ここはただチェックイン時間が遅くまでやっていたから選んだだけの宿なのに延泊を希望して失敗した。チェックイン後に気づいたが、ファンはあるがエアコンなし。もちろんむちゃくちゃ暑い。

夜、寝る時だけ部屋のドアを開けて廊下に1台だけあるいつの時代かというボロポロのエアコンを付けてくれた。
そして同室の黒人男性が「あなたさっき一瞬部屋に入りましたね?」というのがわかる位ワキガ臭い。そんなこと思ってしまう自分も嫌だが、本当に鼻がひん曲がる位臭くて耐えられないのだから仕方ない。そして、夜中を過ぎてもスマホから音を出している。今後は、延泊するかどうかは翌朝決めた方が良さそうだ。



ティラナ散策

次の日ティラナ観光。

経済崩壊から立ち直り、新しいビルがどんどん建っている。

そして、デザインがバラバラ、町の景観もバラバラ。

統一性ゼロでちょっと落ち着かない。
なんでわざわざそんなお金のかかる変な形のビルを建てるのだろう。抑圧された共産主義から解放され一気に弾けちゃったのだろうか。

ジャーミア・エトヘム・ベウト

歩いてると若いアルバニア人の男性に声をかけられた。何かの勧誘かと思ったが、よくよく喋るとナンパらしい。
「キュートなのでずっと前から貴方を見ていました。」と言われた。キモ男なら通報ものだが彼はかっこよかった。
「日本人は世界の美女200人に入っていましたね、家はイギリス、食は中国、嫁は日本人をもらえて言います。」
明るく喋ってくる。夜、一緒に飲みに行かないか誘われたが、どう見ても20代で申し訳ないし疲れていたので断ってしまった。

The Cloud

・・・断った後で、アルバニア人のことを知るいい機会だったのにと後悔した。若い彼もめったに見ないアジア人と交流を深めたかっただろうに。
自分の英語力がないせいでしんどさの方が勝ってしまう。もっと英語力を上げないと。

エンヴェル・ホッジャ博物館

道端のアイス100レク。175円。西ヨーロッパだと500円近かったのに。

Oda – Traditional Albanian Restaurant

夜はよく紹介されているODAというお店に行く。

羊肉のレバーのヨーグルトチーズソース。絶品と紹介されていたので食べたが、レバーはそんなに好きじゃなかったので違うものを頼めば良かった。ビールと合わせて1,155レク(2,000円)。


次の日。

BUNK’ART

共産党時代に作られた地下シェルター、BUNK’ARTを見に行く。

エンヴェル・ホッジャ政権時代に外部からの核攻撃に備えるために建設された多数のバンカー(核シェルター)。政府高官や軍事指導者のための避難施設として設計され、その数173,000。建設には巨額の資金が投じられ、これが他の経済的・社会的発展を阻害する一因となったという。だめだこの政治家。
アルバニアの共産主義時代の歴史と文化を理解するための重要な施設で、外国人に人気がある。

博物館として開放BUNK’ARTBUNK’ARTは1と2があり、市内中心にあるのは2。
しかしGoogleの口コミを見ると1の方がかなり広くて面白いらしいので、遠いがバスで向かってみる。

バス停を降りてからの行き方が複雑で分からなかったが、アルバニア人男性が声をかけてくれて、入口まで一緒に歩いて案内してくれた。バルカン半島以降、アルバニア人がダントツで親切だ。

このトンネルの向こうがチケット売り場。

ひんやりとした長いトンネルの中を歩くと、いかにもといった感じの怪しい電波的な音楽が流れていて怪しい雰囲気を盛り上げてくれる。センスいいな。

チケット代900レク(1,560円)を払い森の中を通ってバンカーへ。

地下シェルターの入口。

106の部屋と地下5階まであるトンネル。これはわくわくする。

秘密の通信部屋?この隣はベッドとシャワー室。独裁者エンヴェル・ホッジャの部屋らしい。窓がなくて鬱蒼とした雰囲気だ。

懐かしい黒電話。

共産主義時代のティラナ。雰囲気がまるで北〇鮮。
かなりの数の部屋に様々な写真や映像の展示がある。とてもじゃないけど全部見れないのでサラっと見て行くことに、

毒ガスを投げ込まれた時用の訓練らしい。馬まで・・・??

秘密警察に捕まった人か下っ端の部屋だろうか。なぜももひき状態なのか不明。

BUNK’ART、さらっと見ただけでも1時間以上かかった。
しかし地下シェルターなんて初めて入るし、80年前の鎖国時代のど田舎なティラナの映像など、展示も興味深いものばかりでかなり楽しかった。
外国人観光客もまぁまぁいて、皆、興味津々に見学していた。

またバスで40分掛けて宿に戻り、チェックアウト。
ATMでお金を5000レク降ろしたら5000レク札(8700円)が1枚出て来て困った。
両替屋で「細かくして」と頼んだら、手数料無料で笑顔で細かいお金に両替してくれた。やはり親切。

今からアルバニアを南下し、ベラトという千の窓を持つ街へ向かう。

モンテネグロの美しい街コトル観光後、ヨーロッパ一醜い首都ポドゴリツァへ(Day414-6)

1€(ユーロ)≒175円
モンテネグロ1日目、コトル1日目

モンテネグロの首都ボドゴリツァからコトルへ向かう。

ボドゴリツァのバス停

2024年7月のボドゴリツァのバス停の時刻表。
バスはボドゴリツァのバス停から頻発しているので、チケットは当日購入で問題ないだろう。このバス停からは、ドブロヴニクや北マケドニアのスコピエなど、かなりの便が発着しているようだ。東ヨーロッパをどう周遊するか、経路にますます悩む。

バス代9€、荷物代1€。たった2時間半なのに高い。ここでも荷物引換券はくれないから、運転手のポケットマネーになっていても分からない。
途中プドヴァというリゾート地も通る。

コトルのバスターミナル到着

11時40分。コトルのバスターミナルに到着。
ここで、明日の北マケドニアかコソボ行きのバスがないか窓口で聞いてみるが、両方とも1日1本、あるにはあるが、明日は満席だという。

私「明日のチケットある?」
窓口のおっさん「No!」

・・・ここのチケット窓口のおっさんも「明日はないけど明後日ならありますよ?」位言えないのかな。セルビアに続き、旧社会主義国家のモンテネグロもつくづく印象が悪い。
コトルは宿が高すぎて一泊しか出来ないので、明日どこへ行くかまた検討しなければ。

ブログでよく見かける、コトルで皆が泊まるHostel Pupa(ホステル・プハ)は満室だった。
今日空いてる1番安い宿は、市税も入れて37€と高級リゾート地ドブロブニク超え。7月に入ってからどこも宿が高騰している。この日、1€は円安史上最安値の175円を付けている。

37€は高過ぎるので歩きながら予約サイトに載っていない安宿を直接訪問してみることにした。アフリカなど、他国ではBooking.com非掲載の安宿があり、訪問してみると安い宿があったからだ。
しかしGoogleMapに掲載のある宿の場所に行ってみると、全て閉店していた。(コロナ中に閉鎖したと思われる。)他の国だとHostelworldというサイトにしか掲載していない宿などもあったが、ヨーロッパでは、Booking.com(オランダの会社)掲載されていない宿はないと思われる。

日差しはかなりキツい。スーツケースを引き摺りながら仕方なく街中の37€の宿へ向かう。

暑すぎて、ここまで歩いてくるだけでかなり体力を消耗した。
宿に行ってみるとチェックインは12時~となっているが、12時を過ぎているのに入口に鍵が掛かっていて入れなかった。

仕方なく、レセプションの人が出勤してくるまで、向かいのレストランに入り待つことにする。
魚が9€で安いと思って入ったのに、100g 9€だった。「何グラムがいい?」と聞かれたが、高そうなので別のものを頼むことにする。

エビのリゾットを頼んだが、メニューの写真ではお米の中に大ブリのエビが入っていたのに、出てきたのは中にミニ冷凍エビが入っている、ただのケチャップ味のリゾット。ビールも合わせ26€(4,500円)。
高い、高過ぎる。日本だとフランス料理のフルコースランチが食べられる金額だ。

Montenegro Backpackers Home Kotor

宿のGoogleMapの場所は間違えているので、最初かなり迷った。上記が正しい位置。その辺の人に聞きまくった。小さな門をくぐって長い階段を上ったところがホテル。

レストランでWi-Fiを繋げて予約し、ホテルの人にレストランで待っている旨メッセージを送る。
13時にホテルスタッフが来たようなので、チェックインした。受付のおばちゃんは愛想が良く感じいい。

キッチン、部屋、水回りも綺麗。

ルームメイトらも上品で静かで、片付けられないだけで民度も高い。まあ高かったからね。
しかし同室のこのヨーロピアン女性、洗濯びちょびちょのままベッドの上に干すし、よく私物をこの状態のまま観光に出かけられるなと思う。「片付けられない人」ってやつか。

コトル旧市街を散策

コトルの旧市街散策。
美しい街並みに山岳が迫っていて、その美しさを際立たせている。山の近さがケープタウンを彷彿とさせる。
ケープタウンで出会った人らは元気だろうか。あれからインスタを見ていると弓場農場から全く動いていないので沈没しているようだが。(後日追記:彼らとは帰国後も再会して飲みに行けて幸せだ。)

あの山の上に登るのが、コトル観光の定石らしい。だが寝台列車で到着した早々の今、そんな元気はない。明日の早朝、余力があれば登ってみようか。

猫もへばる暑さだし。海が近いので猫がかなり多い。猫好きならここはとても楽しいだろう。

コトルは「コトルの自然と文化歴史地域」の名で世界遺産に制定されている。
そりゃ皆が勧めるのも分かる。旧市街は、どこを切り取っても絵になる。猫と石畳、山の上から見下ろすフィヨルドのような景色。

アドリア海に抱かれたこの町を歩いていると、風景の美しさに言葉を失う。美しい街並み。来て損はないだろう。

しかし7月のこの時期、ものすごい数の観光客と暑さでうんざりの方が勝ってしまった。

仮眠をしたらもう夜、外食は高いので懲り懲り。スーパーで店員が投げてよこした、インスタントラーメンですます。

夜のコトルも素敵だ。

コトルを勧めてくれたOさん(一緒にアルメニアとトルコを旅した男性)が行ったのは冬。宿も10€だったらしいし、冬に来て誰もいない中、こんな路地を歩いたらさぞかしロマンチックだっただろうなと思う。7月の今は写真に観光客が入らないように写すのが無理な程、人だらけ。

ここの土産屋の店員も、スーパーの店員も、喧嘩売っての??って態度だった。
土産屋は入ろうとすると「もうすぐ閉まる!入んな!」と制してくる。
スーパーでは「袋いるのか!カードか!現金か!」と怒鳴りながらモノを投げてよこす店員に、私の前の列の観光客のおっちゃんも、怒りを通り越して奥さんと苦笑いをしていた。どちらも若い女性店員。

明日の登頂を悩みながら寝る。


次の日。

やはり山を登る元気はなかった。登山口から上り下りしたら無料らしいのだけど。(登りか下りか、どちらかを正規の入口を通るとお金を取られる。)
1泊で移動とか、タクシー全く使わず徒歩のみとか、50代の私がする旅のスタイルではないよな。。。


宿でゆっくり休んだあと、徒歩でコトルのバスターミナルへ。10時半到着。
10時45分のバスのチケットを現地で購入。チケットは8.5€だが、またも荷物代2€とバスターミナル使用料1.5€を取られる。バスターミナルなんてギリギリに来ているし使用していないんだが。ほんと旧ユーゴスラビア、いい加減にしろ。
バスは11時過ぎに遅れてやって来た。

やはりプドヴァ経由でポドゴリツァへ向かう。

14時にポドゴリツァ到着。
昨日、ネットでポドゴリツァからアルバニアのティラナへ行くチケットを予約してある。
北マケドニアとコソボは後で行くことにする。

16時発なのであと2時間ある。この窓口の左端が1時間1€で荷物を預かってくれるので、預けてポドゴリツァの街を観光することにした。

ヨーロッパ一醜い首都ポドゴリツァ

ポドゴリツァはヨーロッパ一醜い首都と言われている。
第二次世界大戦時に古い建物はことごとく全て破壊され、新しい建物しかないからだ。

どれどれ・・・と眺めてみる。
確かに。都市デザイン計画が全くなされず、戦後のお金がない中、慌ててバラバラの団地のようなデザインの住宅を建てたって感じ。

こんな建物ばかりなのは戦争被害のせいだし「ヨーロッパ一醜い」って酷い言われようだ。
元々はコトルにあったような風情ある石造りの建物ばかりだったのだろうか?だとしたら本当に全部破壊されたのだろう。

駅のトイレは有料だったので、無料トイレを探してあのショッピングモールへ入る。

うーん。閑散としているしデザイン性が・・・笑。デザイナーとかいなかったのかな。私がデザインしてあげるのに(一級建築士)。
中のトイレはロックが掛かっていたが、建物の外側の通路に、従業員らが使っているであろう、無料のトイレがあった。

一応、GoogleMapで観光地マークが付いていた独立広場とやらに行ってみる。
・・・これだけですか。

時計塔。
ポドゴリツァに宿泊していたら、もう少し他に少し観光場所はあったかも知れないが、1時間半で歩ける範囲はここまで。慌ててバスターミナルへ戻る。

バス出発の45分前にバスターミナルに到着。お腹が空いたので、隣接するレストランでハンバーグステーキを頼んだら、案の定出てくるまでに25分かかり、大急ぎで食べたがバスに乗るのが出発ギリギリ。運転手にめちゃくちゃ怒られた。

ボドゴリツァからティラナまでのバス代は15€。
ネットに「環境保護チケットです。Eチケットを印刷する必要はありません。」って書いてあったからネット予約したのに、バスに乗ろうとしたら「チケットを印刷しろ」と言われ、印刷代とバスターミナル使用料と合わせて3€も取られた。荷物代も、もちろん別で2€。

Eチケットを印刷する必要があるか?Googleの口コミには「ターミナル全員グルで詐欺」と書かれている。

やはりこんな金の亡者モンテネグロを好きになれないまま、次の国、アルバニアへ向かう。

ベオグラードのNATO空爆ビル観光後、景観列車バール鉄道に乗る。寝台列車のシート席は快適なのか(Day413-4)

1€(ユーロ)≒175円、1セルビアディナール≒1.5円
セルビナ3日目、ベオグラード3日目

夜の列車の時間に間に合うようにベオグラードを観光する。

起床してキッチンに行くと日本語の動画を見ていた男の子がいたので「日本人ですか?」と聞いてみた。セルビア以降、日本人どころかアジア人すらほぼ見ないので珍しい。
現在大学生でオランダ1年留学が終わり周辺を周りながら帰国するらしい。少し話しただけで聡明なのが分かった。話が広がるので彼から周った国の感想や留学中の話を聞きたかったが、ノビサド観光に行くとのことで1時間しか話せなかった。とても残念だ。そして彼もベオグラードではずっと無賃乗車らしい。

セルビアのベオグラード観光

ベオグラード観光。かつてのユーゴスラビア王国や連邦の首都。
ガイドブックに乗っているお決まりの要塞、教会を見に行く。

聖天使首ミハイル大聖堂

ネオ・ビザンティン様式。ビザンティン帝国の建築様式に触発されているらしい。

ベオグラード要塞

1本だけ大きなビルがあるね。暑すぎて即撤退。

うーん。美的センスなし・・・

ホテル・モスクワ でモスクワ・シュニットを食す

1922年に開業したモスクワ・ホテルのケーキが美味しいというので要塞から歩いて行ってみる。
セルビアにあるのに名前がモスクワって。ロシアとセルビアの関係性を表してる。

ここのモスクワ・シュニットというケーキのレシピは、二人のパティシエしか知らない門外不出のレシピらしい。期待に胸が膨らむ。

内装はとても豪華だし、流れるピアノ音も癒される。店員の接客もパーフェクト。
セルビア人全員が不愛想というわけでもない。

うーん、ただのフルーツを混ぜたケーキ?
味が上品過ぎるのか全くしない。レシピもうちょっと広めて皆に味の感想聞いたほうがええんとちゃいますか

食感だけを楽しんだ。
ケーキ650ディナール(950円)、ビール350ディナール(510円)。

1999年のNATO攻撃による空爆ビル

1990年末のコソボ紛争の時に、NATOが紛争を抑えるために軍事介入。アメリカ主体で78日間セルビアとモンテネグロを対象に空爆開始。
その時、中国人大使館が誤爆されたらしい。アメリカ、やっちゃってくれたな。わざとかな。

セルビアではここぐらいしか紛争の爪痕は見つけられなかった。
ボスニア・ヘルツェゴビナはボコボコにやられた建物だらけだったけど。

聖サワ大聖堂

ここが1番有名な教会らしい。完成は2000年代と新しい。セルビアはセルビア正教会が主な宗教。

教会のキリストの絵はウェルカム的で可愛かった。しかし当のセルビア人のスーパー店員などは愛想が悪くてしばきたくなる。ジョージアとかもそうだったし昔から侵略されてきた土地柄なのか。

夕方になったので宿に戻る。日曜日でバスが全然来ないせいで観光に時間が掛かった。
途中、スーパーで歯磨き粉や石鹸などを購入して残りのセルビナディナールの現金をほぼ使い切る。
宿に戻ると今朝の大学生がいたので、余った現金を全てあげて連絡先を交換して別れを告げた。

絶景列車バール鉄道に乗車

19時。20時半の列車に乗るために無賃乗車でまたベオグラード中央駅へ向かう。
朝の9時発と20時半発の2本しかないが、絶景はモンテネグロ側にあるのでそれを見ようと思うとベオグラードからは20時半発の選択になる。

バール鉄道は1919年着工、1928年にバールとベオグラードを結ぶ鉄道路線が完成。旧ユーゴスラビア時代の重要な交通網だったらしい。
乗車券2,296ディナール、シート席代358ディナール。10~12時間乗車寝台列車がまさかの4,000円。

20時に到着。鉄道駅の地下のホームは人でごった返していた。

15分前に列車が来た。ラクガキ・・・ガラ悪・・・これが国際列車なのか。

シート席は新幹線のような座席配置を想像していたが、チケットに記された車両に行くとコンパートメントの中に向かい合わせに6つ席があるタイプだった。
同室の人らは姿勢はお行儀が悪い(なんか見えそう笑)が荷物を持ち上げてくれたりお菓子をくれたりと感じがいい。英語は通じない。

しかしまさかのエアコンもファンもなし。満席の人口密度。風はない。あっという間に服が汗でびしょ濡れになった。奴隷船ってこんな感じだったのかな?なんて思いながら出発まで耐える。さらっと書いているがかなりキツかった。そしてネットもないのでかなり暇。kindleで本を読もうかと思ったがコンセントが窓際にしかなくスマホが充電出来ないのでやめた。

走り出したら少しは風が入ってくるかと思ったが、窓が開けられる面積がすごく小さい上に、通路部分にタバコを吸う人らが密集して部屋に全く風が入ってこない。何なんだこの国の喫煙率は。たばこの値段をもっと上げろ。

日が暮れてくると車内の温度は下がってマシになっていった。
椅子が広くてふかふかなのでゆったり座れる。座席は座る部分が二段階に引き出せ、全員が全て引き出すと全面床状態になるので、夜になると皆でその状態で寝ることにした。コンパートメントの皆で協力すればシート席でも寝れる。

途中3回の切符拝見があり、夜中に叩き起こされ2回のパスポートコントロールがあった。国境越えの列車だから仕方ない。

この鉄道は座席に空きがなくても乗れるようで、夜から何人か通路に座って寝ていた。
私のコンパートメントのドアやドアの引き位置にもたれて寝るもんだからドアが開けられない。本人もいちいちこっちがトイレに行く度に起こされるのに、なぜ壁部分にもたれないのか不思議だった。

バール鉄道の絶景

朝、6時頃目が覚めて窓の外を見てみたら…物凄い絶景!
バール鉄道の絶景はモンテネグロ付近にあるのでセルビアから行けば早朝に見れることになる。

これは…なかなかこれまで見た車窓の中でも1番位の絶景鉄道かも知れない。
山岳地帯のためトンネルが多く、美しい景観が短時間で見え隠れするのも希少感があっていい。
絶景は数時間続いた。

セルビア、バスはボロポロなのによくこんな線路を建設するお金あったな…
長大トンネル工事は難航を極めたらしい。

Wikipediaより

写真はWikipediaからお借りしたが、こんな橋の上を鉄道が通るのか。そりゃ絶景だ。

たまたまセルビアに来たけど、たまたま鉄道があるのを知り、乗って本当に良かった。少しスイスの絶景を思い出した。

モンテネグロのポドゴリツァ到着

8時。予定より2時間遅れでモンテネグロの首都ポドゴリツァに到着。
私以外はほとんどバールまで行くようだ。私と他数名だけ降りる。

ポドゴリツァには何もないらしいが、ここから行けるコトルという町がとてもいいらしい。
なので、このまま横にあるバスターミナルでコトルまでのバスチケットを買って行くことにする。

ボスニアからセルビアへ移動、ローカル列車でノビザドへ。セルビアのバスは無賃(Day411-412)

1€(ユーロ)≒175円、1兌換マルク≒88円、1セルビアディナール≒1.5円
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ5日目、サラエボ3日目

今日はセルビアの首都、ベオグラードへ行く。ボスニア・ヘルツェゴビナからは、先にモンテネグロに行った方がいいのか判断がつかなかったので、もはや気分で行き先を選定している。

サラエヴォの東ターミナルへ行く

9時半。
宿の近くのバス停から103番のバスに乗り、セルビア人居住区にある東バスターミナルへ向かう。

運転手に1.8兌換マルクを払い乗り込む。連結部があるタイプの大きなバスだが、ガラガラ。
しかしかなりの頻度でバス停に停まるので到着が遅い。

サラエボの東バスステーション

10時20分。サラエボの東バスターミナルに到着。閑散としているがカフェが併設されていて出発の11時までは時間が潰せそうだ。

建物に入ってみる。これだけ人がいないバスターミナルも珍しい。
チケット売り場のおばさんに「荷物代っていくら?」と聞くと「ここで手荷物チケット買えるわよ、2マルク。」と教えてくれた。ボスニア・ヘルツェゴビナのお金はここから出ると紙屑同然。手荷物チケットを購入し、残り手持ちの3マルク全てを隣のパン屋でパンを購入した。これが失敗・・・

10時50分。セルビア行きのミニバンが来た。近くに立っていた男性が「あのバスだよ、運転手にバスターミナル使用料2マルクを払ってね。」と言ってくる。
・・・バスターミナル使用料!?この閑散とした場所の??

同じボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールのバス停ではそんなもの取られなかったので盲点だった。運転手に手荷物代のチケットを渡したが、更にバスターミナル使用料3マルクを払えと言ってくる。

さっきの人は2マルクと言っていたし、引き換えチケットをくれなかったらただの運転手のポケットマネーじゃないか。それより手持ちのマルクがない。
「もうマルクは持ってないんだけど・・・」と財布を見せると、背の高い気難しそうな運転手は人の財布の中を勝手に指で掻き回してくる。そして5ユーロ札を見つけると、何の断りもなしに勝手にそれを抜き取って自分のポケットにしまった。

むかついた。めちゃくちゃむかついた。断りもなしに勝手に人のお金抜き取る奴がいるか?あと3兌換マルクは1.5€だ。

「ふざけんな!返せ!」と私が手を伸ばすと5€札を自分の頭上に高々と上げる。それを続けると「釣りを渡す、ほら!」とやっと8.5マルクの小銭を渡してきた。
「ボスニア出るのにこんな金いるか!ぼけ!他の店で両替してくるから一度5€返せ!」
私がお札を取り返そうと手を伸ばしても、札を高々と上げて一向に返そうとしない。なんなんだこいつは!もう行く前からセルビア人が大嫌いになった。

結局返してくれないので、仕方なく8.5兌換マルクを受け取り、近くの売店で5兌換マルク分のお菓子とコーラを購入した。大型バスじゃなくトイレが付いてないから、休憩時に寄るトイレ代に少し残しておいた方がいいだろう。エルサルバドルの国境のように「国境使用料くれ」とか言われる可能性だってあるかも知れない。(結局全額余った)

パンを3マルクで購入しなければ払えていたのにな。そして購入したパンは驚くほど不味かった
移動中は絶景だったので何とか気を静めようとしたが、その後も運転手は客はそのままで自分だけコーヒー休憩に行ったり、休憩中にトイレに行っていいかと聞いたら渋ったりと物凄く態度が悪かった。くたばればいいのに。

ベオグラード到着

19時。怒りが治まらないままサラエボのバスターミナルに到着。運転手は最後まで1度も笑顔がなかった。
駅のATMでセルビアのお金を下ろす。手数料は記載はされるがやはり後日明細を見ると引かれてはいない。

宿までバスで行く。SIMカードがないのでマクドナルドを見つけてWi-Fiとトイレを拝借する。何も購入していないが。

この目の前にバス停があるのでここから乗る。ここのバス停は女性も男性もほぼ全員がたばこを吸っている。なんという喫煙率、そしてガラが悪い。あまりの煙たさに一瞬で肺がんになるかと思った。

予約した宿のGoogleの口コミを読むと「駅からは離れていますが、大丈夫、あなたはここまで無料で来れます。」というのがあった。バスのチケットの買い方がわからないので乗る人らを観察すると誰ひとりとしてチケット代を払っていない。セルビアは全員無賃乗車なのか。

それでバスはこんなにボロボロなのか??どうやって運営しているのだろうか。
そして私も地元の人にならい無賃乗車することにした。

Fair and Square Hostel

ホテルに到着。広くて清潔。11.5€、セルビナディナールでも支払い可。ここの受付の女の子は感じが良かった。

同室のトルコ人男性がまた一日中部屋で電話をしているタイプだったのでルームメイトガチャはハズレ。
そして私に「チン?」と聞いてくる。「チャイナ?」はいいが「チン?」は無性に腹が立つ。

共用部分もキッチンも広く使いやすい。

そして何よりこいつらがかわいい。毎日癒された。

近くのスーパーで買い物をして自炊する。ラム肉が安かったので買ってみたが、めちゃめちゃ固かった。日本で売られているのは子羊の肉だけだったのか。野菜はタダかと思う位安い。


どこでバール鉄道のチケットが買えるか

次の日。
今日は「ベオグラードから鉄道やバスで行けるノビサドという街が綺麗」とネットで見たので行ってみる。
あとベオグラードとモンテネグロのバールを結ぶバール鉄道というのがバルカン半島で1番の絶景鉄道という記事を見た。是非それに乗りたいのだが、最近駅の場所が変わったらしく、ブログの記事の駅はどれも「閉業」となっていた。チケットはネットでは買えず窓口でしか売っていないらしい。ノビサドに行くついでに鉄道駅に行って聞いてこようと思う。

ベオグラード鉄道中央駅

宿からバスに乗って鉄道駅へ。45分かかるので結構遠い。まあ無賃乗車なんだけど。
かなり最近出来た駅舎のようだ。だからネットに情報が出てこないのか。

近距離のノビサド行きのチケットは機械で買えた。機械はクレカ払いのみ。
窓口ではバール鉄道のチケットが売っていた。乗り場もここから。
しかし窓口のおばちゃんが「明日の寝台は空いてる?」「明後日は?」「寝台いくら?」「6人用と4人用コンパートメントの金額差は?」「シート席はいくら?」など質問する度に鬱陶しそうにするので自分の乗りたいベストな座席を決めにくい笑 これもネットや機械で買えるようにしてくれないかなぁ。

結局、鬱陶しがられるので悩む時間がなく明日の夜の便のシート席を購入してしまった。寝台は明日はいっぱいだが明後日の6人コンパートメントなら空いていると言う。千円ちょっとしか変わらなかったので寝台にした方が良かったかな・・・

鉄道でベオグラードからノビサドへ

ノビサド行きの列車に乗り込む。直近の30分で到着する特急は満席で買えず、鈍行の1時間掛かる列車に乗った。鈍行の方が393ディナール(580円)と激安だ。

ノビサド鉄道駅

ノビサド駅に到着。Wi-Fiが繋がったので1時間はあっという間だった。

さすがにここはバスは無賃乗車出来ないだろうなと町の方まで歩いて行く。徒歩20~30分。

暑い…もの凄く暑い…

確かに綺麗な街なんだけど、西ヨーロッパから来た人からしたら見飽きた景色だろう。

途中で昼食。ここら辺でよく食べられているパンの中に鳥やケバブの肉が入っているピタパンだ。765ディナール。ビールも入れて千円以上したので観光地価格。

ヴァラディン橋を渡って更に街の奥まで行ってみる。

時計塔がある丘まで登る。ちょっと頑張り過ぎたかな。かなり暑くてしんどい。

ミニミニドブロクニク。

景色が良く楽しめた。涼しかったらもっと気持ち良いだろうな。
帰りも駅まで40分歩いたが、暑すぎて途中スーパーでジュースを2本買って飲み干してしまった。これならバスに乗った方が安かった。

帰りも鈍行列車で帰ってきた。20時にベオグラード到着。
ノビサド駅からはいろんな方面に列車が出ているようで、残りの現金を消費しようと窓口に行くとかなり並んでしまった。

バスで宿に戻る。同じ部屋のトルコ人はやはり観光もせず1日中部屋で電話しているか寝ているだけ。夜も寝るの早いし、昼を過ぎてもまだ寝ている。本当に外国人ってなんであんなに寝れるのだろう。


明日はベオグラードを観光したら期待のバール鉄道。寝台シート席の旅。

サラエボ事件の現場とジェノサイド博物館でスレブレニツァの虐殺について知る(Day409-410)

1€(ユーロ)≒175円、1兌換マルク≒88円
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ4日目、モスタール3日目

モスタールから首都のサラエボに移動する。
ヨーロッパに入ってからずっと繋がっていたamazonで購入したヨーロッパSIMは、ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってから全く繋がらなくなった。シェンゲン圏外は繋がらないようだ。

そしていつの間にか荷物が少なくなり、ドゥブロヴニクのどこかで日本から持ってきていたユニクロウルトラライトダウンを失くしたことに気付く。ペトラに続いて2回目だ。6,900円と地味に結構するのだが。
夜や飛行機の中での防寒用にと持ち歩いていたが、イタリア以降、夜も暑すぎるのでもう要らないだろう。荷物が減ってすっきりしたと思うことにする。

モスタールからサラエヴォへ移動

12時45分。
モスタールのホテルムサカの親切なオーナーに別れを告げ、サラエボ行きのバスに乗る。
車体にバス会社名も行き先もないので、人に聞かないとどのバスに乗っていいか分からない。

ここで、これまでヨーロッパに入ってからは全く取られなかった荷物預け代1.5マルクを運転手から取られた。モロッコや中米同様、これを取られると発展途上国感がある。しかし、ボスニアヘルツゴミナは近いうちにEUの仲間入りを果たすべく準備中の国。

Sarajevo Bus station

16時、サラエヴォのバスターミナルに到着。

市内中心地に近い方のバスターミナルだが、ここは治安が悪いらしく、降りてすぐ移民風の女性に笑顔で「お金をくれ」と言われた。外国人観光客が少ないので私を見つけて一目散に駆け寄ってきたのだろう。ボスニアに入ってからアジア人観光客は私以外全く見ない。

次はセルビアへ行くので、明後日のベオグラード行きのバスチケットが買えないか窓口で聞いてみたが、東バスターミナルからしか出ていないという。このバス停からもバスが出ているという記事を見たが、現在は出ていないようだ。

サラエボは紛争の名残でボスニア人居住区とセルビア人居住区とに別れていて、地図を見てもボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国で線を引かれている。セルビア人居住区のある東バスターミナルからしかセルビアには行けない。ちなみに東バスターミナルという名前だが中心地よりかなり西にある。

バス停から宿まで徒歩35分。スーツケースを引きずって歩き出したが、やはりしんどいのでバスに乗ることにした。近くにあるショッピングモールに寄るとwi-fi が飛んでいたので、乗るべきバスの場所と番号を確認し、3番の黄色いバスが来たら運転手に現金1.8マルクを渡してチケットを購入。

Ljubicica Hostel

宿は男女混合ドミトリー。市税も入れて20マルク(1,780円)。受付の女性は感じ良かったが、共用スペースの落書きはカオス。

下の段をアサインしてくれたが、ヨーロッパに入ってからはどういうベッドの造りなのか、下の段だと首を曲げないと座れないことがあり上の段の方が良かったりする。ここもそんな感じ。

長期滞在のイタリア人男性は部屋で何時間も大声で家族と通話していてうるさい、ルームメイトガチャにまたハズレた。観光も仕事もしないのに毎日スーツ姿でドミトリーに居るので意味不明だ。イタリア人ってやはりかっこつけなのだろうか?

この宿はWi-Fiが遅い。使い物にならなかった。

サラエボ観光

お腹が空いたので夜ご飯を食べに行く。宿の目の前が観光地の広場で便利だった。

歩いていて勧誘されたレストランに入り、キノコリゾットとビールを頼む。
レストランのwi-fi を繋げてから見たらGoogleの口コミが2.7と悪過ぎて出たくなった。やはりSIM欲しいな・・・

だが、出てきたリゾットはびっくりするぐらい美味しかった。30分以上待たされたけど。
ボスニアにはきっと不味いものなどないのだろう。
13マルクだったが、何故か最後に2マルク追加て請求される。サービス料かな。

サラエボローズ

街を歩いていると、道に血痕かと思うような跡がいきなり現れぎょっとする。これはいくつもある。

サラエボローズという。
セルビアによる迫撃砲の砲弾で死者を出した爆発の跡を、後に赤い樹脂で埋めたものである。毎日平均300個以上の砲弾を投下し、12,000人以上が亡くなったという。
過去の忌まわしい記憶を思い起こさせるのに、これほど視覚に訴えるものはないな・・・
見る度にここで何人亡くなったのかと考えさせられてしまう。

ラテン橋

サラエボといえば第1次世界対戦の引き金となったサラエボ事件が起こった橋があるので歩いて行ってみる。

ラテン橋。1914年、ここでオーストリア皇太子夫妻をセルビア人青年が暗殺し、第一次世界大戦が勃発した。

皇太子夫妻が乗っていた車のレプリカもある。二人を乗せた運転手が道を間違えなければご夫婦は暗殺されなかったかもしれない。ただこの事件がなくても当時バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていて第一次世界大戦は免れなかったという見方が多い。


次の日。

Gallery 11/07/95 (スレブレニツァの虐殺博物館)

歩いていると「Gallery 11/07/95」という目立つ看板を見つけた。ジェノサイド博物館だ。
近くには他にも紛争博物館は「人道に対する罪と虐殺に関する博物館」「戦争の中の子ども博物館」などがあり、サラエボ事件に関する博物館もある。
なぜかこれにひかれ恐る恐る入ってみた。

入場料15マルク。なんと日本語オーディオガイドがあった。いつも中国語しかないのに。オーディオ4マルク。

ここは1995年7月、セルビア国境に近いスレブレニツァの街で、7000人に及ぶ男性が虐殺されたことに関する博物館だった。これまでカンボジアやアルメニアなどでこの手の博物館は見てきた。しかしそれらよりも更に最近の出来事のため、鮮明な映像や写真が生々しい。生き残った人のインタビューも沢山ある。

「国連の管理下にあるので安全」と言われたスレブレニツァにいたボシャニャク人らは男性と女性に分けられ、男性のほとんどはスルプスカ共和国軍によって殺害された。当時国連のオランダ軍がここにはいたが、何もしてくれなかった。

スルプスカ共和国軍はこの虐殺を隠すために遺体を何箇所にも移動させながら埋めたので、遺骨や遺品はバラバラに埋められてた。DNA鑑定をしながら今でも家族の元に戻す活動は続いている。
スルプスカ共和国軍ってすぐ隣の・・・お互いどう思っているのだろうか。聞ける訳もないが。

この橋も暗殺場所でなければ、綺麗な景色を楽しめるのに。

戦争で犠牲になった方を忘れないために灯してる永遠の炎。

宿の横のパン屋でボスニア名物のブレクというパンを購入。筒になったパイ生地の中に引き肉やチーズなどが入っている。

スーパーで購入したビールやウインナーと食す。少し噛み切り辛いが、美味しかった。
そしてイタリア人男性は今日も電話でうるさく、ドミトリーの電気が消えたら他のベッドの男性が隣に座って話し掛けてきた。真っ暗なので怖かった。私の年齢知ってんのかな、この人。「もう寝るので。」と断って無視する。

明日はセルビアへ移動だ

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールへ。負の遺産、スナイパータワーに登る(Day408-9)

1€(ユーロ)≒175円、1兌換マルク≒88円
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ2日目、モスタール2日目

昨晩、クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールに到着。小さい町なのでバスターミナルから歩ける。

今後の東欧周遊計画

イタリアからもっと安い国へ移動しようと東欧に逃げてきた。ドゥブロヴニクは観光地なので高かったが、ボスニア以降は金銭的に少し楽になるだろう。

冬に一緒にアルメニアやトルコを周ったOさんがトルコで別れた後、東欧に3ヶ月も居たのでどこが良かったかメッセージを送ってみた。
彼はもう帰国しているが、行った国のリストを作成して送ってくれ、良かった国や町を丁寧に教えてくれた。相変わらず爽やかで性格がいい。モスタールも勧められたので来てみた。

ホステル ムサラ

宿はバスターミナルから歩いて行ける所を選んだ。かなり評判が良く、会って直ぐに若い男性オーナーのホスピタリティぶりが身に染みて分かった。

インテリアは綺麗でおしゃれ、コーヒーと紅茶が飲み放題。支払いはユーロでもマルクでもいいらしい。ボスニアではカードを使えるところは、観光客向けレストラン以外には難しそうだ。

そして宿を出たら、向かいの建物にものすごい数の弾痕跡。紛争の跡が生々し過ぎる。引く、普通に引く。

ボスニア紛争

私が学校で習った世界史の記憶は1991年まで。
ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビア脱退後の1992年~1995年まで激しい紛争があった。
国内に居住するムスリム(スラブ人のイスラム教徒) ,セルビア人,クロアチア人の3民族による武力衝突。3勢力が「民族浄化」の名のもとで他民族の追放、虐殺を行なうなど凄惨な戦いが続いた。

私はその頃「この辺の国っていつも戦争しているなぁ」位の感じでのほほんと学生生活を謳歌していた。しかしここでは、こんなにも銃弾が撃たれ、凄まじい数の市民が亡くなったのだろう。胸が痛む。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が解体された後、この周辺の国々は今はそれぞれどう発展しているのだろうか。紛争のことももっと知りたいし、東欧にものすごく興味がわいてきた。Oさんのように、ここを陸路で全部回ってみようと思う。

幸い今日のモスタールは雨。どこの都市からどこの都市をバスや列車で移動できるのかじっくり調べることにした。Amazon で地球の歩き方をダウンロードし、作戦を練る。

Aščinica Sahan(レストラン)

雨が止んだので、近所の評判の良さそうなレストランへ。

メニューもボスニア語、英語も全く通じないのでゼスチャーで上から2番目のものを頼んでみた。何が来るのだろう。

ボスニア料理。ビーフシチューとご飯、マッシュポテト的なもの。めちゃくちゃ美味しい。
パンも柔らかいし、660円でこれだけのものが食べられるなんてボスニア・ヘルツェゴヴィナ滞在は楽しいものになりそうだ。

モスタール観光

スーパーに行くとこれまでの西欧では見なかったパテの缶詰が沢山売られていた。ブタのパテが多い。私は苦手なので全く試さず。

観光地で有名な橋へ行く途中に紛争を忘れないためにか、わざと廃墟のまま残してあるビルがいくつかある。そして街の建造物は、使われているものでもかなりの割合、恐らく築30年以上のものはほとんど壁に弾痕がある。

スターリ・モスト

モスタールを象徴する橋にやって来た。1566年に造られたらしい。

1993年に橋を挟んでボスニア人とクロアチア人が対峙していたため破壊され、2004年に再建された。今では平和の象徴のように美しい。世界遺産。


次の日の朝も橋へ出かけてみた。

というよりモスタールにはここ位しか観光する場所はない笑

近くの都市からツアーバスが来るので観光客でごった返している。今日は快晴なので、泳ぐ人、橋から飛び込む人もいた。

美しい町だな。30年前に紛争があったなんて信じられない。

Restaurant Šadrvan

橋の近辺は観光地価格のレストランばかりなのだが、せっかくなので昨日は並んでいて入れなかった人気のレストランに来てみた。朝なら入れる。

ドルマ、ナスの米と肉詰めを頼んだ。ウズベキスタンでもあったな、こんな感じの料理。しかし味付けはビーフストロガノフ風で美味しい。15兌換マルク(1,300円)と昨日の倍の金額。

昨日行った廃ビルの場所を通りながら宿へ戻る。

スナイパータワー(Abandoned building)

モスタールの観光を調べると、スナイパータワーというものに登った人のブログに辿り着いた。
この建物の向かい。

紛争当時、この元銀行のビルが1番高かったため、セルビア軍がここに潜み、道路を横断する人を狙って狙撃したらしい。渡る人は命がけだ。

ビルの側面も弾痕だらけだった。この数で撃ち込まれたら生き残るのは不可能だろう。

廃ビルなので、入口は封鎖されていて入れない。

そこからビルをぐるっと時計周りに周ると地元の人らが詰んだ足場があり、そこをよじ登って入れる。
・・・不法侵入だろうな。警察に見つかったら怒られるかも。中も地元のジャンキーとかいたら怖い。

しかしどうしても入って登ってみたかった。30年前、スナイパーはここからどんな気持ちで人を狙撃したのだろうか。同じ場所に立って紛争を感じたかった。付近に誰も見てないことを確認し、塀を乗り越えて中に入る。

中は誰もいなかった。壁に書かれた絵がひたすらホラーで恐怖心をあおる。

廃墟具合が凄い。階段は側壁も手摺もないし、こんな薄っぺらいコンクリートで大丈夫だろうか。崩れたら一巻の終わりだな。

登っていいのか自問自答しながら、下を見ないようにしてどんどん登る。

最上階、8階だろうか?そこまで行く。
つまづいて横にこけたら落ちて死ぬな。直ぐ横に普通の住居があるのもなんか怖い。

最上階に来た。エレベーターもドアも籠も無くなっている。柵もないし誰も落ちたりしないのだろうか。

ここから狙撃したのか。下の道路を覗いてみる。

こんなに美しい景色なのに。この銀行ビルも当時は綺麗だったんだろうな。
ここを横断するどれだけの人が亡くなったのだろう。
ここから撃つスナイパーは心は痛まなかったのだろうか。

目的が民族淘汰だから痛まないか。自分たちと違う宗教の人らは全滅させてもいいという考えは無宗教の日本人にはピンとこない。
今でも戦争している国がある。そこではここで30年前に行われていたことがリアルタイムに行われているのだろう。
ボスニア・ヘルツェゴビナの人らは愛想がよく印象がいいので余計に町の銃弾の跡だらけなのが心に痛む。

複雑な気持ちのままボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボへ向かう。サラエボでもっと酷いものを見るとも知らずに。

ローマからクロアチアのドゥブロヴニクへ。魔女の宅急便の街は暑い(Day405-7)

1€(ユーロ)≒174円
イタリア4日目、ローマ2日目

空港バス

9時45分。空港行きのバスに乗り込む。
ネットで予約した方が安かったので昨晩GetYourGuideから予約しておいた。6€。

フィミチーノ空港

高速で事故渋滞があったが、なんとか出発2時間前に到着。悪名高いラインエアーで予約したら窓口に預ける荷物は凄い行列。8,500円という破格の金額なので仕方ない。
オンラインチェックインを済ませていたら、カウンターの向かいにある機械で簡単にSelf Luggage Dropで荷物を預けられるようだったのでそっちに並べば良かった。

それでも何とかラウンジ滞在時間を1時間確保して飛行機へ。13時40分発。

ドゥブロブニク到着

15時到着。空港バス10€でドブロヴニクの中心地へ行く。

通貨はクーナだったけど2023年からユーロに変わったらしい。便利だけど高い。EUだけどユーロじゃない国もあるのか。

シーズンのドゥブロブニクの宿はどこも高かった。直前に行き先を決めているので安宿は埋まっている。仕方なく中心地から離れた宿を予約。中心地から宿までのバスでの行き方はメールをくれていたので助かった。バスは車内で現金で購入すると2€、カードは2.5€。
チケット売り場で買った方が安いようだが面倒で毎回運転手から買っていた。

Hostel best offer

ホテルに40分で到着。かなり奥地。

裏の湖の景色もいい。2泊で45€。現金しか受け付けていないのと・・・

10人部屋でコンセントが2か所しかないのがちょっと難点。延長コードも置いてくれていない。エアコンは壊れているのか効きが悪かった。

部屋で休んでいたらいきなり轟音と共に床のタイルが割れだした。

オーナーに知らせたら、直射日光が当たるとタイルが膨張するのか反るのか、何度もこうなっているらしい。目地幅をもっと広く取って弾性目地にしたらこんなことにはならない気がするが…

客がいるのにその場で修理仕出した…^^;

キッチンはシンクと冷蔵庫しかないので、その日は近所のスーパーでビールと生ハムを買って就寝。
ユーロが使えるのが便利だが物価は安くない。首都のサラエボは安いらしいのでここは特別リゾート地だからか。

ドゥブロブニク・パス

ドゥブロブニクと言えば映画「魔女の宅急便」のモデルとなった街。あの上から眺めるオレンジ色の屋根の数々と海の入江は旧市街の城壁に登るか山のロープウェイに登らないと見れないらしい。

それに便乗しているのか、城壁に登るのは入場料35€。6千円超えだ。同じ35€でドゥブロヴニクパスというものを購入すれば、城壁+あらゆる博物館+バスが無料になるので、そっちをネットで購入した。

ドゥブロヴニク散策

若いバスの運転手にスマホのドゥブロヴニクパスのチケットを見せると宿から旧市街まで無料で来れた。本当はバスオフィスで24時間バスチケットに交換しないといけないらしく、この時乗れてしまったことで後にトラブルになるのだが…

フランシスコ教会

城壁の中、旧市街に入り散策する。

暑い、とにかく日差しがキツくて暑い。ローマと緯度はそんなに変わらないかと思っていたが気温が全然違う。来る時期を間違えたかも知れない。4月5月位が丁度いいだろう。

Cultural-Historical Musem

この中はまだエアコンが効いててマシ。冬に中欧を周った男性にアドバイスを貰っているが、宿の料金も私の3分の1以下だったらしいし、人がいなくて貸し切りだったらしいし。

35€の元を取るために入れる教会、博物館は先に全て入る。

食事は旧市街内にあるスーパーでコーラを購入し、パン屋で買ったパイを頬張りながら歩く。

ドゥブロヴニクの旧市街の街並みは可愛くて、観光客の少ない時期ならテンションが上がっただろう。今は人が多過ぎるのと暑さでしんどさが優る感じ。

城壁に登る

入口は何箇所もあるらしく、どこから入っていいか迷ったが、結局旧市街に入ってきた1番北西の入口、ミンチェタ要塞付近に入口を見つけた。

そこから階段を何段も登る。暑い…

ぐるりと城壁の上をずっと歩いて行く。

これがドゥブロヴニクのよく見る有名な景色。
日差しを遮るものがなくてひたすら暑いが、透明度の高い海とオレンジ色のかわいい家々を眺めながら人の少ない城壁を歩くのは楽しかった。

海水浴も出来るようで、泳いでいる人等がいる。砂がなく、岩場なので透明度が高いらしい。

この後は城壁を出て直ぐの要塞にも登り、街を眺めた。この時期はサンセットの時間か遅すぎて待てないな。

クラフトビール

またドゥブロヴニクパスを見せてバスに乗り、バスターミナルへ向かう。

クラフトビールのお店が近くにあったので寄ってみた。地元の人らは誰も頼んでいなかったけど4種飲み比べ。

日本のと変わらない味。

ドゥブロヴニク・パスのバスチケット有効化

帰りもこれまで通りドゥブロヴニクパスのQRコードを見せてバスに乗ろうとしたらおっさん運転手にめっちゃ怒られた。
「ちゃんとバスチケットに交換しろ。」
「今朝2回ともこれ見せただけで乗れたし!運転手がバスチケットに交換してくれるって聞いたし!」

お互いこのセリフの繰り返し。バスは動き出したのでそのまましれ~っと宿まで乗った。
35€も払っているんだから柔軟に対応してくれ。

ドゥブロヴニクは物価が高いので、その日もスーパーでオイルサーディン缶とフルーツ、ビールだけの夜ご飯を済ませた。


次の日。宿からの湖の景色は美しい。

ドゥブロヴニクからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールへ

昼過ぎにチェックアウトして、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタール行きのバスに乗る。ネットで予約、24€。

16時発のバスが1時間以上遅れて来た。Frixバスだったので遅延の連絡がメールで来たので安心出来たが、人がいっぱいのバスターミナルに椅子が3つしかないのが結構辛い。

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタール到着

21時前、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールに到着。

バスが遅延して宿にチェック・イン出来るか心配だったが大丈夫だった。手持ちのヨーロッパSIMがクロアチアを出てから通じないので連絡出来ない。EU圏内しか繋がらないようだ。これ以降、EU国以外はSIMカード無しで過ごす。

ATMに寄ってボスニアのお金をキャッシングし、宿の近所で夜ご飯。手数料は1,000円位の金額が表示されたが、ヨーロッパに入ってからはキャッシングの明細を見ると全く引かれていない。ここも大丈夫だった。

チキンガーリックステーキとビールを頼んだ。現金しか使えなかったが、全部で9兌換マルク(780円)。しかもかなり美味しい。

これまで何かビールと一緒に食べる度に3〜5千円掛かってたいたのに。EU圏外、物価の安い国にやっと入って来れたようだ。

中欧旅、楽しみになってきた。

世界一小さい国、ヴァチカン市国へ入国。当日予約では美術館には入れない。(Day404)

2024年夏。1€(ユーロ)≒174円
イタリア3日目、ローマ1日目

ローマは人生で2度目。前回は入れなかったヴァチカン市国へ、今回はそのリベンジだ。

ローマの地下鉄

地下鉄でヴァチカン市国の最寄り駅Ottaviano駅へ行く。

ここもVISAタッチで乗れるし、GoogleMapで経路が出る。

最寄り駅、Ottaviano駅に到着。ここから10分歩く。

ヴァチカン市国到着

1929年、ベニート・ムッソリーニによって独立した国家となった、国有面積0.44平方km、人口約800人の世界最小の独立国。 ローマ教皇が国を治めている。国全体が世界遺産登録されている唯一の国で、1984年に登録。

どこまでがイタリアでどこからがヴァチカンなのかよく分からないまま到着。

サン・ピエトロ大聖堂

9時。サン・ピエトロ広場をぐるっと囲むように人が並んでいる。取り敢えず、皆に習って最後尾に並ぶ。

日差しがかなり暑くて並ぶのはキツイが、列はすいすい進む。1時間並んだら入れた。
無料。入口に荷物のセキュリティチェックがあるので、それのせいで並ぶようだ。

中は金ピカで荘厳。YouTubeなどで「威厳があって凄い感動した。」などの感想を見たが、まぁ・・・ふーんって感じ。
かねてから来たかった場所のはずなのに、いざ入ってみると感動は薄い。世界一周の終盤、美し過ぎるものを見慣れてしまったことの“弊害”だろうな、これは。

他の大聖堂より豪華だとは思うけど。そりゃキリスト教の総本山だし。

イギリスのセントポール大聖堂の方がデザインは綺麗だった気がする…とか言ったら罰が当たるだろうか。初めて見たら感動するのかも知れない。

途中、団体客の後に付いて入ったら、ガードマンがいる横を抜けて、ガイド付きツアー客しか入れない場所に紛れ込んでしまう。まあラッキーだったか。

スイス兵交代式。この暑い中、あんな変な服装で微動だにしないなんて大変なお仕事だな。

いつの間にかサン・ピエトロ大聖堂を出ていた。入るのに並んだから、このまま奥の美術館に行けるかと思ったらまた並び直さないといけないようだ。ショック。
(調べたら美術館側からなら秘密のルートを抜けてこっちに来れるが、こっちからは美術館には行けない感じ。行く予定の人は、他の詳しいサイトをよく調べてね。)

ヴァチカン美術館

歴代のローマ教皇が収集してきた数多くのコレクションの美術館。ルネサンス3大巨匠であるレオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの作品が見れる。

入ろうとしたらこの列。並びながら調べたらこれは当日チケットの列で、事前にネット予約しておけばこの列を飛ばして優先的に入れるらしい。もちろん、今から公式サイトやツアーサイトを見ても、すべてSold Out。

仕方なくこの列に並ぶが、サン・ピエトロ大聖堂と違い、列が全く進まなかった。1時間以上炎天下の中並んだが、3分の1も進んでいなかったので諦めることにした。入るのに3時間はかかるってことだし。中も広過ぎて見学には2時間はかかるようだ。

ローマ観光

事前に調べておかないと、ヨーロッパは予約なしじゃあらゆる場所に全然入れない。

20年前にも訪問したが、ローマの見どころを周る。

川に凄い量のカモメ。モロッコのエッサウィラ感。

サン・タンジェロ城

この橋を渡る時は少しだけ興奮した。何か有名な建物なのだろうか。

ローマにもあるショッピングモール。昔、ここにも来たような気がする。

昼食にCantina e Cucinaでパスタ

お腹が空いてきたので昼食を食べることに。口コミのいいパスタ屋。

ボロネーゼとタップビア。手作り麺でモチモチ歯ごたえがありめちゃくちゃ美味しい。さすがイタリア。まあビールも入れて全部で4~5,000円位払った気がするが。

その後も観光を続ける。歩けば何かしら世界遺産にぶち当たる。

地下鉄に乗るには微妙な2駅、歩けば17分…といった具合の遺跡間を隈無く歩く。

トレビの泉

通算すると凄い距離を歩いていてもうヘトヘト。

白目剥いてる??

この後歩いて真実の口にも行く。

コロッセオ

ここも20年前に入りたいと思って入れなかった場所だ。仕事で来ていたので。

中はこれまで世界各地にあった円形劇場と変わらないのだろうか。これが本場だろうし中を見たい。

入ろうとチケット売り場を見たら当日券は売り切れだった。ネットで見てももちろんSoldOut。

スイス滞在時にイタリアの観光について調べてチケットは予約しておかないといけなかった。今は宿代が高いため毎日移動でそんな余裕がない。

そこまでヴァチカン美術館やコロッセオに入りたかったかと言えば、ガウディやアルハンブラ宮殿程ではなかったので、縁が無かったと思うことにする。入場料浮いたし。

飛行機代より高い週末ローマの宿泊費

2泊して体を休めたいが、明日のドミトリーは直前&週末のせいで検索するとどこも50€超(9千円)だ。ローマの宿泊費は恐ろしい。

ライアンエアーの飛行機代の方がローマでの宿代よりも安いということに気付き、ここから飛べる東欧の国を探す。西欧は日本から直行便が飛んでるから、就職してからでもまたいつでも来れるだろう。

ローマから距離が近いクロアチアのドゥブロヴニク行きの航空券が8,000円であった。

明日はドゥブロヴニクへ飛ぶ。

さらっとミラノ観光をして、深夜バスでローマへ。ローマのホテルは高い(Day403-4)

1€(ユーロ)≒174円
イタリア2日目、ミラノ2日目

スイスからイタリア到着。

初ランドリーサービス利用

次の日、そろそろ服を洗濯したくてたまらず、洗濯5€、乾燥5€を払い、ホテルで全ての服と鞄を洗濯した。洗濯機で洗うのは日本出国以来初めて。
75℃の高温で洗濯してくれるので、アフリカやモロッコでの汚れも高温洗濯で綺麗に落ちたに違いない。

たまには課金して快適さを手に入れるのもいいもんだ。

ツェルマットではマッターホルン観光やミラノへの抜け方を調べるのが精一杯で、イタリアでの観光については全く調べることが出来ていなかった。 乾燥待ちをしながらミラノについて調べる。

ミラノ観光

どうやらレオナルドダヴィンチ作の「最後の晩餐」がサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂に描かれていて、これがミラノの唯一の世界遺産。壁画保護の観点から、1日1,000人しか入れず、2.3ヶ月前に予約は埋まるらしい。
2日前位に気付いていたらGetYoueToursから課金して申し込めてただろうな。

地下鉄に乗ってミラノ観光へ。VISAタッチで乗れる。料金は後で請求を見ると「1日まとめて¥1,200」と請求が来ていた。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

まぁ壁画にそんなに興味はないし。ダヴィンチの絵でしかも壁画だから凄い価値なんだろうけど。

教会の外観だけ見に行く。当日券などもちろんなし。

サンタンブロージョ教会

そこから歩いて行ける場所を観光。ロマネスク様式の教会。

ドゥオーモ

建築期間600年の世界最大級の大聖堂。中に入るのは12€するので入らなかった。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

19世紀のショッピングモールへ。

建築家ジョゼッペ・メンゴーニより、1865年からわずか2年間で完成。中世のショッピングモールってなんておしゃれなんだろう。

20年前にここに来たことをぼんやり思い出す。当時と変わらない景色。

トイレに行きたくなり、横にある普通のデパートでトイレを探したが標識はあるが入れるトイレはなかった。
マクドに入り、そこでランチを食べてトイレをすます。イタリアってホームレス侵入防止の観点からか?なかなか公共トイレがない。

スフォルツェスコ城

ミケランジェロの像がある美術館も中にあったがもう閉まっていた。

地下鉄でホテルに戻り、荷物をピックアップ。近所の中華レストランで食事をすます。めっちゃ美味しかったけど食事を頼むと謎の2€加算され全部で14€(2,500円)。高いなぁ。

深夜バスでミラノからローマへ

21時過ぎ。ミラノのバスターミナルへ。鉄道駅からは離れているので地下鉄で向かった。
ミラノのバス停は治安が悪いと聞いたが、待つのは外の野ざらしのベンチしかなく他の観光客もいっぱい立っているので大丈夫だろう。

FlixBusもあったが、イタリアに入ってからはItaBusの方が安かったのでItaBusにした。
ローマまで15€。

案の定、私の窓際の席に意気揚々と体格のいい黒人男性が座っている。
「私の31番の座席が窓際であなたの32番は通路側ですよ。」と言っても「俺の32番が窓際だ。」と言い張る。「隣の席の番号を見て下さい。端から31番~34番と並んでいます。32番は通路側です。」と言っても引かない。・・・もうあほなんだろうな、諦めた。座席も太陽マークじゃなく窓マークで記載してくれ。
体格のいい人が横にきたら体が少し逃げれる通路側に座った方が圧迫感がなくかえって良かったが。21時半に出発。

彼は夜中の2時半にフェイレンチェで降りていったが、この時間に降りて行ったのは彼だけだった。あんな時間に到着してバスも電車もないのにどうするんだろう。やはりあほなのか。

ローマ到着

ローマのバスターミナルは鉄道駅の横にあった。鉄道は高いのでバスにばかり乗っている。朝の6時でも出勤の人が多い。イタリア人は働き者なのか。

フリーダム トラベラー(ホテル)

6月末のローマの週末のホテルの金額はどこも38€を超えていた。
最近では全く使っていないが、コロナ中に国内旅行で使っていたホテルズドットコムのスタンプが10個溜まっていて、使用期限が迫っていた。ホテル1泊8千円引きになるので、ローマで使用することにする。

早朝に到着してまだチェックイン出来ないというので共用スペースでのんびり。

ホテルズドットコムは高いホテルしか掲載されていない。
掲載ホテルで、バスターミナルから歩ける1番の安宿を予約したが53€。9千円超でパイプベッドってなめてんのかって感じ笑

一応朝食にはパサパサのパンと、夕方のハッピーアワーにはワインと湿気たポテチが支給される。誰も来ないし全く盛り上がらないハッピーアワーだったが。

赤のスパークリングワインは美味しかったし、キッチンもあるし、部屋はかなり広い4人部屋だったので実は快適だった。

落ち着いたらローマに来た目的、ヴァチカン市国へ行く。

スネガからのマッターホルントレッキングコースの後は6回乗り換えてイタリアミラノへ(Day402)

1€(ユーロ)≒174円、1CHF(スイスフラン)≒180円
スイス4日目、マッターホルン3日目

ツェルマット最終日。

ゴルナーグラード鉄道停止のため、上記のコースでツェルマットスネガ展望台ブラウヘルトまで行き、シュテリー湖をトレッキングする予定。

朝のマッターホルン

今朝も5時に起きて愛しのマッターホルンを見に行く。「日本人橋」はやはり9割中国人。
曇りで隠れてしまっていたので昨日見に行っていて良かった。

高速地下ケーブルカーでスネガ展望台まで行く

オープン時間の8時半に地下ケーブルの入口へ行く。往復53CHF(¥9,600)。
チケット売り場から乗り場迄のトンネルは冷房が効きすぎていて寒かった。

地下を通るケーブルカーに乗り込む。

閉所恐怖症の人はちょっと怖いかも。

数分でスネガ展望台に着いた。ヨーロピアン団体観光客ばかり。

ゴンドラでスネガからブラウヘルトまで行く

記念写真を撮る彼らを横目に次は絶景ゴンドラに乗る。団体客はスネガ展望台までしかいかないようで、ここから上のロープウエイは空いている。ひとりで乗り込んだ。

今動いているロープウェイで行ける最上地点、ブラウヘルトまで行く。

ブラウヘルトからのトレッキング

ここには日本人団体客らがいた。毎回ダサイファッションのアジア人集団がいるなと思ったら日本人だ。今時マスクしているとかも。うーん。なんとかならないものか。

ここからトレッキングコースの案内標識を見ながら山道を歩く。

途中の道、迫りくる積雪が残る山々、そして振り返れば堂々とそびえ立つマッターホルン。畏敬の念すら呼び起こす。雪山をトレッキングしたのが初めてだからだろうか?

空気も景色も綺麗過ぎて、途中の道は楽しかった。
マッターホルンは見る度に雲の形を変える。1時間程歩いたら、湖に着いた。

湖に映る逆さマッターホルン!
本当はイタリア側から見たマッターホルンのことを言うみたいなんだけど。
美し過ぎて言葉が要らない。ここでしばらくその荘厳な姿を眺める。

風はないのだが、下から雪解け水が沸いてきていて湖面が揺らめいているのはしょうがない。

周辺の山々もなんて美しいんだろう。スイス、その物価故に来るのは迷ったが、本当に来て良かったと心の底から思った。この景色を知らないで一生を終えるなんてもったいない。

その美しさを存分に堪能し、同じ経路でまたツェルマットまで戻った。

スイスのツェルマットからイタリアのミラノへ

13時。チェックアウトして宿の目の前の鉄道駅へ向かう。やはりトラブルがあり、すんなりイタリアへは行けないようだ。「ティッシュで乗り換えろ」と駅員に言われる。

マチュピチュ村のような絶景路線。

やはり線路が途中で土砂崩れで停止している箇所があり、ティッシュ駅からはバス輸送になった。

ティッシュ駅からBrig駅へ。Brig駅からはまた鉄道。
途中、早朝に宿で作っておいたガーリックバターパスタを食べる。結局スイスでは全く外食しなかった。1人でチーズフォンデュとか頼みにくいし・・・

モロッコで食事した女性のインスタをその後見たら、同じようにヨーロッパを周遊しているようなのだが、バンバン飛行機を使っているし「1日でバルはしご5軒行きました。」「洗濯は毎回ホテルのクリーニングサービスに出しています。」などアップしている。
同じ世界一周でもこんなに旅のスタイルが違うもんなんだな。20代の時のバックパッカースタイルと変わらず旅している私みたいなのって古いんだろうな。
それにしても洗濯5€、乾燥5€だからなぁ。ヨーロッパに入ってからホテルには干すところはないし、下着と靴下しか洗ってないや。勿論手洗いで。汚い・・・

イタリアのドモドッサラ駅到着。ここまでしかネットでは通しチケットは購入出来なかった。

駅でミラノ行きのチケットを購入。「次のバスは乗り換えがあるけどいい?」と言われ、それを購入。

鉄道駅の窓口でチケットを買い、すぐ横のバスターミナルから出るバスに乗ったけど、まさか次の乗り換えが15分間しかないのに、バスに乗り換えじゃなくて鉄道に乗り換えなんて夢にも思わなかった。チケット1枚だし。ルール知らなかったら罠にはまるな。

結局スイスのツェルマットからミラノに行くのに

ツェルマットティッシュVipsBrigドモドッサラArmaミラノ

と、6回乗り換えて到着したことになる。ピンクは列車、黄色はバス。
まあなんとかなるもんだが、疲れた・・・
ツェルマットからドモドッサラのチケットが37CHF(6,389円)、ドモドッサラからミラノまでが10.8€(1,850円)。

ミラノ中央駅

18時半、ミラノ中央駅に到着。

立派な駅。ムッソリーニに指示で豪華に造られたらしい。材料費めっちゃ高そう。しかし人口密度が高過ぎて、駅の重厚な雰囲気とちぐはぐな感じ。

駅まで歩く。治安は悪くなさそう。

ミラノ オステロ(ホテル)

GoogleMapで見て、駅の北側のホテルを予約したのだが・・・
ミラノ中央駅から出ようと思うと南の一番端からしか出れず、かなりホームの長い駅なので凄い遠回り。駅近ホテルを予約したつもりがかなり歩いた。もうへとへと。

マンションの一部を改装したようなホテルにチェックイン。
27.41€(4,800円)。部屋は清潔、レシェプションも愛想が良くて感じがいい。そう言えばイタリアに入ってから運転手やチケット売り場の人など男性のノリが良くて気持ちいい。やはりイタリア男性は陽気な人種なのだろう。

広々キッチンなのに誰も料理していない。イタリアだと皆外食するのだろうか。
いよいよ宿代などもキツくなってきたので、近所のスーパーでサバ缶とビールを買って夕食を済ます。

ミラノは、4月のミラノサローネの時に来たかったのだけれど、その時期は皆1年前からホテルを予約するらしく、高過ぎて断念した。その時期以外は特に見どころもなさそう。明日少し観光したら夜行バスでローマへ移動することにする。