mikipu のすべての投稿

1人旅好き。2022年12月に世界一周出発。

アブダビから日帰りでドバイ観光、遠過ぎて無謀(Day460)

1AED(アラブ首長国連邦ディルハム)≒38.5円
2024年8月。アラブ首長国連邦2日目、アブダビ2日目

宿のエアコン温度問題

昨晩は宿、Paradiso Backpackers Nest 1の部屋が寒過ぎた。
外は暑いのだが、部屋についているエアコンの設定温度が16℃になっている。日本のエアコンだと18℃までしか下がらないものが多いが、アブダビは暑いから16℃まで下げられるのだろうか。

「寒過ぎる。」とオーナーに言ったら
「大丈夫、ここにエアコンのリモコンがあるよ!」と渡してくれた。
26℃にしたいところを、他の男性らに遠慮して22℃に設定したのだが(それでも寒い)、シャワーを浴びている間に同室のデブデブアラブ人男性に16℃設定に戻され、リモコンは隠されてしまった。

確かに彼はかなり太っている。暑いのだろう、そして昨晩のいびきも大音量で大迷惑だった。
くたばれば・・・(以下自粛)

宿のキッチンに付いていた洗濯機は無料だったので洗濯した。
洗濯するだけで宿泊客男性らが「洗剤もっと入れたらどうだ?少ないぞ。」など面倒をみてくれる。
距離感が近すぎて、ほっといてくれ(関西弁)と戸惑い、時に迷惑だったりする。
しかし人の温かさを感じていいかも知れない。エアコンリモコン隠しは困るが。

この日もデブデブアラブ人から朝ご飯とコーヒーが振舞われた。ありがたくいただいて、他の宿泊客らとも雑談。しかしこんなことしている場合ではなかった。

ドバイ行きのチケットが買えるバス停

Musaffah Bus Station

昨日で10AED分しか買わなかったバスカードを全部消費してしまった。宿のオーナーに聞いて、バスカードが買える、1番大きくて近いバス停を教えてもらう。

バス停に到着。
今夜空港まで行くので、アブダビで使えるHafilat Card10AED分と、ドバイ行きのバスに乗るのに使うNol Cardを、ドバイまでの片道分+発行手数料で35AED分購入しないといけない。

窓口は2つとも別。そして両カードともなんと、この辺鄙な場所にあるバス停では現金支払いのみ。近くにATMはない。

「現金持ってないんだけど。」と言うと「あっちの窓口に頼めよ。」と、2つの窓口をたらい回しにされた。「どうすりゃいいのよ!」と助けを求めたら、ドバイ行きチケット販売側の窓口の男性が、隣のコンビニに連れて行ってくれ、コンビニの店員にアラビア語で何かお願いしてくれた。

どうやら私のクレカをコンビニの決済で読み込ませ、10%の手数料で決済金額分の現金をくれるように頼んでくれたようだ。宿のアラブ人といい、レストランやコンビニの店員といい、英語が通じる人が少ないので助かった。

アブダビからドバイへバスで行く

なんとかコンビニで現金を得て、バスカードは買えて乗れたが、時間も手数料も取られた。
最初から空港のATMで現金を下ろしておけば良かっただけの話。ドバイはクレジットカードだけで済むだろうが、アブダビでバスに乗るなら現金は必須だ。

14時にホテル近くのアブダビのバス停に来たのだが、ここからドバイ行きは1時間に1本しかないらしく、14時50分のバスになってしまった。番号はE102番。

アブダビからドバイへ行くのなら、朝の8時位からもう移動しておかないといけなかったようだ。それかドバイでもう1泊。
Googleの地図で見てなんとなく「20分位で着くんじゃない?」とか思っていた。
タクシーで1時間半、バスだと空港などに寄るので2時間半かかる。往復5時間!
宿でアラブ人と昼までくつろいでいる場合ではなかった。完全に失敗した。

ドバイ観光で有名なのは世界一高い建物のブルジュ・ハリファや、世界一広いショッピングモールのドバイモールだろう。しかしドバイ中心にあるそれらに行っていたら、今夜のアブダビ発の飛行機には完全に間に合わなそうだ。

イブン・バットゥータ・モール

16時50分。アブダビを出てから2時間。
時間がないので、仕方なくドバイ中心地までは行かず、1つ手前のバスの駅で降りる。ここにもショッピングモールがあり、世界一美しいスタバがあるらしいのだ。

降りて直ぐにクレカが使えるバスの券売機があったので、帰りのアブダビまでのチケット、30AEDをチャージしておいた。

バス停のすぐ目の前がショッピングモール。
帰りのバスも1時間に1本しかないので、空港に行く時間を逆算したらここには1時間しか滞在出来ない計算になってしまった。

アンダルシア・チュニジア・エジプト・ペルシア・インド・中国の6エリアに分かれているらしい。

エジプト、こんなんじゃなかったけどな。

かなり広い。1時間では周りきれなそうだ。

世界一美しいスターバックス

モール内にはスターバックスが3軒あった。最初違う方へ行ってしまったが、真ん中にあるここが世界一美しいらしい。

綺麗だけど、しょせんショッピングモールにある最近造られたタイル貼りの壁・・・という感じはする。
こんな風に商業的に造られたものより、やはり世界各地にある、宗教や歴史を感じる何百年も前の本物の建物の方が美しさを感じる。

世界一美しい図書館やスターバックス、マクドナルド。世界一周でかなり見てきたけど、ここもやはり来るほどではなかったな。
なぜ有名なのだろう。

イブン・バットゥータ・モールからアブダビまでバスで戻る

18時のバスに乗らないと、飛行機に間に合わない。
17時50分、周囲の人に聞いてアブダビ行きのバスはどれか聞く。
1番ターミナルのバスのようだ。

乗り込んだら凄い混んでいた。私より5分後に来た大勢の人らは、満席でバスに乗れていなかったので10分前に来ていて良かった。

そう思って安堵していたが、乗り込んで1時間半を過ぎた辺りで、宿の方にではなく、海辺にある大きなバスターミナルへ向かっていることに気付く。

どうやらアブダビ行きのバスはAbu Dhabi Main Bus Terminalへ行く101番と、宿の近くや街中を通る102番のバスがあり、私は102番のバスに乗らないといけなかったようなのだが、路線が2種類あるとは露知らず、101番のバスに乗ってしまった。

Abu Dhabi Main Bus Terminalに19時50分に到着。
宿には荷物を預けてある。宿に到着したかった19時半は大幅に過ぎていた。
空港は遠いし出国審査もあるのに、22時半の飛行機に間に合うのか???
もう焦りしかない。

迷っている暇はない。バスを降りたら即Uberを呼ぶ。
ドライバーに、宿に寄ってから空港へ行くようお願いした。

Zayed International Airport

ドライバーは通常の道路は安全運転だったが、空港までの高速道路は飛ばしてくれた。
21時に空港に到着、料金は6,000円。
ドライバーに厚くお礼を言って別れた。Uberアプリは、こっちもドライバーを評価出来るがドライバー側もこちらに点数を付けることが出来る。そのことに気付いてから、好感度を上げるため、ドライバーとは感じ良く会話することにしている。

飛行機出発の1時間半前。エア・アラビア・アブダビのカウンターはまだ開いていた。
今日、ここからインドへ行く。

カウンターの女性に予約番号を告げると、「インドビザは?」と聞かれた。
「日本人はインドの空港でアライバルビザが取れるから、インドに着いてから取るよ。」
そう告げたが首をかしげる。
「インドビザを持っていないと乗せられないわ。それかビザの申請画面があるなら。」

は?

「なぜ?日本人と韓国人はアライバルビザ取れるんだよ。だから申請なんかしてないよ。」
「申請中の画面がないなら乗せれない。」

私が勘違いしているのだろうか?今から申請して間に合うだろうか?
慌ててスマホでインド大使館のHPからインドビザ申請を試みるが、E‐VISAはインド到着3日前までに申請しないといけないと表示された。これだと明日の到着に間に合わない。

「ちょっと、ちゃんと調べて!」
そうお願いしたらどこかに電話し、しばらくして上長っぽい男性が現れ、カウンターの女性とネットで何か調べ出した。
飛行機出発の1時間15分前。出国審査が並んでなければいいが・・・

直ぐに「日本人がアライバルビザでインド入国が出来る」のが分かったのか、カウンターの女性は何も言わず、私の荷物を通して飛行機のチケットをくれた。謝れよ。
アラブ人は事前申請をしておかないとインドのアライバルビザは受け取れないので、日本人もそうだと思い込んでいたようだ。そりゃ世界中の人のビザの要件を覚えていないのは仕方ないけどさぁ・・・
海外の人ってほんと、自分が間違っていても絶対謝らないよね。

出国審査をすませ、直ぐにゲートへ行き飛行機に乗り込む。

ドタバタの大変な1日だった。思えば今朝、アラブ人からもらったナン1枚しか食べていない。
飛行機内で何か頼もうかと思ったが、食欲よりトラブル続きで疲れの方が勝ってしまった。

この日アブダビ到着の飛行機が安かったので、アブダビは1泊だけにしたのだが、タクシーに6千円もかかる位なら、ドバイで1泊すれば良かった。ドバイは物価が高いイメージだが、千円台の安宿はたくさんあった。
帰国までの他の国での計画を練っていて、アラブに関しては完全な調査不足で失敗。

食事は何も頼まず、疲れで電気が消えたら直ぐに寝てしまった。

明日はとうとう、あれだけ避けていた20年ぶりのインドだ。

不安しかない笑

オランダからアラブ首長国連邦へ。アブダビのモスクが凄過ぎた(Day458-9)

1€≒162円、1AED(アラブ首長国連邦ディルハム)≒38.5円
2024年8月。オランダ2日目、アムステルダム2日目

ヨーロッパ最後の地、オランダを後にしてアラブ首長国連邦(UAE)へ向かう。
UAEに行きたかったという訳ではなく、この国を経由すれば、他の国へ行く航空チケットがどこも安いからだ。アブダビやドバイへ行くビジネス客が多く、飛行機の運行が多いせいらしい。

アムステルダムのスキポール国際空港へ

朝の9時半、アムステルダムのスキポール空港へ向かう。
昨日購入した乗り物24時間チケットは、やはりこの空港への路線には使えなかった。
仕方なくクレカタッチで料金を支払って乗る。
あとでクレカの明細を見たら、オランダでは全部1€=166.5円で換算されていて800円だった。
市場レートは162円だが、オランダだけなぜクレカのレートが166.5円になるのか不明だ。現金を下ろした方がお得かも。

バスで空港に到着。飛行機に乗るためにスーツケースを持ってバスに乗っていたのは私だけだった。
ということは・・・よくよく考えたら列車で空港へ行った方が特急がありダントツ早い。失敗した。

オランダの空港はそこまでおしゃれな空港ではない。
航空券の購入時にTrip.comからプレゼントされた「ラウンジ無料券」を持ってラウンジへ行ったのだが、「混んでるからプラチナカードのVIP客しか入れない。」と気の強い女性スタッフに追い返された。
こんな場面ではいつも「アジア人差別??」とか思ってしまうのだが、入ろうとした人は白人でも全員断られていたので、今回はそういう訳ではなさそうだ。

仕方なくマクドでチーズバーガーとコーラを購入。(他の飲食店はびっくりする程高かったので。)
これも後からクレカの請求額を見たら1€=166.5円換算で、チーズバーガーが825円、コーラが608円だった。ぼったくり・・・
ラウンジに入れないって事前に知っていたら、朝にちゃんと宿で自炊して食べてきたのにな。

経由地のトルコに到着

13時に出発して、17時、乗り継ぎのトルコのイスタンブール空港に到着。

前にトルコに来た時にも思ったけど、空港のWi-Fiは、その辺に備え付けの機械にパスポートを読み込ませ、表示された4桁のパスワードを入力したら接続できるタイプ。その機械が凄い行列で、やっと接続したとしても、カスのように速度が遅い。

あまりにも空港のフリーWi-Fiが遅いので、ラウンジでWi-Fiに接続。しかし、それですら遅く、なんでトルコはこんなにもネット環境が遅れているのだろうと思う。

ラウンジは、またも「プライオリティパスの有効期限が切れてるんだけど、入れてくれる?」とお願いして無料で入れてもらった。外国人のこういういい加減おおらかなところは、日本人も取り入れて欲しい。(のちにアジアに突入するとこの方法は使えなくなる。)

ラウンジでかなりゆっくりできた。22時半のアラブ首長国連邦行きの飛行機に乗り込む。

アブダビ到着

朝の4時。アラブ首長国連邦の首都アブダビにあるザイード国際空港に到着。

空港のWi-Fiは無料でトルコより全然速い。なので色々調べると、市内やドバイまでのバスは交通系カードを購入しないといけなくて、現金やクレカタッチでは乗れないようだ。
ドバイという世界的に有名な都市がある国なので、もっと進んでいるのかと思っていたのだが。

空港のバスカード販売カウンターで「Hafilatカード」を買う。いくら分の料金チャージで買えばいいのか分からなくて「10AED分(380円)くれ。」とカウンターの男性にお願いしたら、「2回分しか乗れないぞ?」と言われた。
後でチャージすればいいやと思って購入したが、もらったカードはよくよく見たら、チャージ式のものではなくtemporary(一時的)だった。

空港からバスに乗って予約していたホステルがある市内へ向かう。
バスからの景色を見てみると砂漠の上にデザイン性のない建築物がずっと並んでいるだけで、誰も外を歩いていない。(夏は気温が50度を超えるから。)
この国は人口が少ないのか?初めて降りた国だが、殺風景過ぎて不安になる。

冷房の効いたバスを降りたら、あまりの暑さと湿気で目眩がした。ヨーロッパで1番暑いと思ったアテネの比ではない。熱気が凄過ぎる。
外を誰も歩いていなかったのは、この強烈な暑さのせいだと納得した。

Paradiso Backpackers Nest 1(ホステル)

Booking.comで予約した安宿は、ビルの住所しか載っていなくて、何階がホステルなのか凄く迷った。

入口に小さくこの紙が貼ってあって6階だったようだ。たまたまエレベーターで遭遇した、オーナーの感じのいい若い男性に部屋へ案内してもらう。

部屋はマンションの1室をホステルに改造したタイプ。1泊32AED(1,230円)。ヨーロッパから来たら異様に安く感じる。安いからなのか、イスラム教の国だからか、ドミトリーの女性は私だけで、他はかなり恰幅のいいアラブ人と、出稼ぎに来ているインド人とシリア人。

アラブ人のかなり太った男性が「これがイスラム式のおもてなしだ。」と言って食事やチャイを振舞ってくれた。人をもてなすのがイスラム教の教えだそうだ。そのもてなしの精神は、ウズベキスタンからイランの国を旅した時にもう体験済みだ。

宿の人らとお互いの職業や、旅の目的などを喋っていたら、すっかり夕方になってしまった。ヨーロッパを抜けると急に人と人との距離が近い。英語の下手くそなアジア人だからと会話に入れてくれないこともない。ヨーロッパの大人数宿では、あまり宿泊客らと会話をしなかったから新鮮だ。
お腹が空いたので、宿の人らに「ご飯を食べてくる。」と告げて外に出た。

外へ出て歩いてみる。思った通り、昼間よりは人が歩いている。
そして意外なことに建物のデザインや看板のロゴがダサイ。昭和を彷彿とさせる安っぽい全て同じようなデザイン。アラビア文字以外のアルファベットは全部同じフォントでデザイン性がない。

Samacoza Seafood Resturant(レストラン)

GoogleMapで見ると、近くにシーフードカリーのお店があったので行ってみた。
客が私だけだったからか、ホールのおば様が「観光なの?何人?」と嬉しそうに話し掛けてきて、日本人だと言うと歓迎してくれた。やはりヨーロッパ以外の国は温かくていいな。
カレーも少し辛かったが美味しかった。33AED(1,350円)。

イスラム教の国なので、やはりモスクがありアザーンが聞こえる。

夜のシェイク・ザーイド・グランド・モスク

夜になったのでシェイク・ザーイド・グランド・モスクを見に行く。
ドバイではなく、アブダビに宿をとったのはこのためだ。
これまで見てきたモスクも、昼より夜の方が綺麗だったので夜に見に行きたかった。

空港で購入したバスカードで、GoogleMapを見ながら最寄りのバス停まで行ってみる。

相当な大きさだ。歩いても歩いても近づけない。2007年に完成し、世界で最も大きなモスクの一つ。総面積は22,000平方メートル以上で約40,000人を収容出来る大きさ。

降りたバス停から近づいても裏門にしか行けず、警備員に「ぐるっと回ってゲート6へ行け。」と言われた。

ゲート6に着いて、モスクへ向かう。
正面入口から入ろうとしたら「観光客は別入口で、あの鳥かごみたいなドームの地下にある、ショッピングモールから入るのよ!」とヒジャブを被った女性職員に言われた。
・・・・また遠い距離をショッピングモールまで戻る。何も調べず来たら、入口探しだけで翻弄されまくりだ。

Souq Al Jami’(モスク入口)

結局、イスラム教徒以外はこのショッピングモールにある地下の入口からしかモスクには入れない。
到着したバス停からはだいぶ歩いて時間を無駄にした。

↑入口はここ。

予約なしで無料で入れるが、事前にアプリから国名などを登録し、QRコードを見せないと入場できない。長袖長ズボン、女性は髪の毛も覆わないといけない。
モスクには慣れているのでそこはぬかりなく、ちゃんと腕と足が隠れる服、髪の毛を隠すスカーフは持って来ていたのですんなり通してもらえた。

地下の長い距離をモスクまで歩いて行く。
かなり遠いなぁ・・・普通にさっきの正面入口から入れてくれたらいいのに。

地上に出て、やっと中に入れた。・・・美し過ぎる!来て良かった・・・

柱はインドのタージマハルで見た模様に似ている。

モロッコ、インド、トルコ、エジプトなどの多様な様式で建てられているらしい。

このモスクは・・・

美し過ぎて声が出ない。シャンデリアはスワロフスキーのクリスタル。
石油産出国って金持ちで羨ましい。

やはり夜のライトアップが見どころありではなかろうか。
アブダビには、こことルーヴル・アブダビ美術館以外は観光出来そうな場所はないので、わざわざ宿泊する人も少ないと思うが、この夜の景色を見たければ1泊することをお勧めする。

これは世界最大の手織りカーペット。所々アラビア語と英語で説明書きがある。

広いし、美し過ぎて閉館の22時近くまでいてしまった。外にでてホステルへ戻ることにする。

モスクの最寄りのバス停からは、バスを2本乗り継いでホステルに帰れるようなのだが、人がいるバスチケット売り場はもう閉まっていた。ショッピングモールの警備員に、どこかでバスチケットが買えないか聞いてみたが、この時間はバスカードに現金でチャージ出来る機械でしか購入は無理だと言う。
私の持っているカードはチャージ式ではないし現金は持っていない。20AED分位は買っておけばよかった。

その機械で、持っているバスカードの残金を調べたら3.5AED。あと1回だけは乗れそうなので、宿まで乗り継ぎなしの1本で行けるバス停まで15分歩く。
アブダビの夜道は誰も歩いていなかったが、ホームレスもいないし明るいし、危険は感じなかった。

22時も過ぎてやって来たバスはほぼ満席で女性もたくさん乗っていた。アラブは治安は良さそうだ。

そのまま宿の近くで降り、スーパーに寄る。4軒寄ったがお酒はどこも置いていなかった。
イスラム教の国はこれがキツい。ノンアルコールビールなら売っていたので仕方なくそれを購入。

宿に戻るとまたアラブ人に夜食をもてなされた。遠慮してもいつものごとく外国人には通じない。
他の人らはビーガンで卵が食べられないらしく、私しか一緒に食べてくれる人がいないらしい。

遠慮なくいただき、この日は就寝した。
明日夜は飛行機でまた移動だ。飛行機の時間までドバイへ行ってみよう。

ヨーロッパラスト、オランダ。無計画で美術館全く入れず、風車とミッフィーで満足する(Day457)

1€≒161円
2024年8月。オランダ1日目、アムステルダム1日目

朝8時、深夜バスでヨーロッパ 最後の地、オランダのアムステルダムに着いた。
この国の隣国、ベルギーとドイツは昔行ったことがある。なので、ここからはもう日本帰国に向けて東へ、東へ向かうつもりだ。

オランダの英語名は昔はホーランドだったが、今はネイザーランドになっている。大麻が非刑事化の国。

アムステルダムのバスターミナル

フランスで利用した安いBlaBlaCarBusもあったのか。今や懐かしい。
FlixBusの方が遅延情報などアプリで届くので後半はずっとFlixBusを利用していた。

バスターミナルは中心地からは少し離れた東にある。
中心地に宿を取りたかったが、この国もまた中心地近くのBooking.com最安値の宿(Xplore Hostel )は『年齢40歳まで』となっていた。
なぜ年齢で区切るのか不思議に思いAIに聞いてみたら『若い人らだけで共同生活や社交活動を楽しむため。』ということらしい。別に無理に若い人らの中に入ろうともしないし、年齢関係なく仲良くすればいいのに。心が狭い。

仕方なく私の年齢でも泊まれる、中心地から鉄道で30分西に離れた場所に宿を予約した。
移動しようと券売機で電車のチケットの金額を見ると24Hチケットが9€。

明日は10時頃に空港行きのバスに乗ろうと思うので、その時でもこの24時間チケットが使えるよう、この駅のカフェで2時間、時間を潰すことにした。コーヒー4€(650円)。
(結果、空港行きのバスは別料金となっており、本当は空港行きのバスも含まれる18€のチケットを購入しないといけなかった。)

10時前になったので24時間チケットを購入して列車で移動する。

Hostelle – women only hostel

女性専用ホステル。23.3€(3,800円)。
ホテル自体が女性専用になっている宿は初めてだった。静かで秩序が保たれていて化粧スペースまであって快適だ。だが女性だけだと全員自炊するようでキッチンが混み過ぎていて全然スペースが足りない。

そしてここに来てやっと気づくが、夜に中心地に行きたい観光地がある都市では、多少評価が低かろうが高かろうが、中心地に宿を取れば良かった。
アムステルダムは夜のピンク街が有名なのだが、夕方にホステルに戻って来てからはまた外出する体力はなく、行けなかった。失敗した、

アムステルダム中央駅

まだチェックインできないので荷物を預けて観光へ向かう。
アムステルダム中央駅。凄い賑わい。

そう言えばオランダは大麻が合法(の中の非刑事化)の、リベラルな国だった。たまに、通りすがりの人から、たばこではない甘い匂いがふっとする。公共の場では禁止らしいのだが。

ダム広場。ここからSingelというアムステルダム運河のほとりに家々が並んでいる場所へ向かう。

今回はチケットを買っているので体力温存のため一駅でもトラムに乗ることにした。

アムステルダム運河

美しい町並みが続いている。建物は細長くて本当にかわいい、これがオランダを代表する景色なのか。

しかし川は茶色く濁っていた。都会なのでしょうがないか。

Rudi’s Original Stroopwafels Albert Cuyp Markt Amsterdam

お腹が空いてきたので、美味しいオランダワッフルが食べられるという通りへ移動。
上記のお店が有名なのだが、日・水・木は定休日で休みだった。

近くの開いている屋台でオランダワッフルを購入。せんべいのような薄い生地が2枚あり、間に甘いはちみつが挟まっている。かなり美味しいが、隣国のベルギーワッフルの方がモチモチしていて好きかも。
1枚4€。

アムステルダム国立美術館

ゴッホ博物館

アムステルダムではゴッホ博物館アンネフランクの家に行きたかった。
1週間位前からHPの予約欄を見ていたが、どちらも1ヶ月先まで埋まっていた。しかも今回は2つともツアー会社経由でも満席だ。
東欧に入ってから特に、毎日毎日次の日~3日後の行き先を決めている。無計画ってだめだな。

仕方ないので国立博物館に来た。
手持ちのユーロがかなり余っているので、現金が使えるチケット窓口を探したがなかった。ネット予約しか受け付けてないようだ。HPの予約受付を見ると入場ラストの15時半の回が空いていた。

入場料は22.5€(3,600円)。国立美術館前の公園を眺めながら、意を決し入場を決める。
予約しようとすると、30分後以降の入場回しか予約出来ないようで、15時半の回が予約不可になっていた。現在15時4分。

4分迷っている間に入れなかった。恨めしくガラス越しに中を覗いてみる。
レンブラントの「夜警」、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」などが展示されていたらしい。
これまでも予約出来ていなくて、相当、ヨーロッパの美術館は逃しているしな。いつかまたもっと時間とお金にゆとりがある時に来よう。その方が将来の楽しみもあるってものだ。

ザーンセ・スカンス

他にアムステルダムで行くところはないかと調べてみたら、「ザーンセ。スカンス」という中心から1時間程北に行ったエリアに風車が並んでいるエリアがあるようだ。
オランダと言えば風車!オランダと言えばミッフィー!
こっちの方が楽しいかも知れない。早速向かうことにした。

お腹がすいたので、途中でレストランに入ろうかといくつかメニュー表を見たが、どこもかなり高かった。調べたらオランダと次に行こうかと思っていたベルギーは、ヨーロッパの中では北欧に次ぐ物価の高さ。イギリスやフランスより食費が高いようだ。
朝食兼昼食は抜くことにした。こんなことばかりしているから、最近、鎖骨とあばら骨の浮き出方が凄い。一体今体重はいくらなのだろう。体重計を置いてある宿はないので想像がつかない。

中央駅へ向かい、2階のバス乗り場まで行く。
持ってる 24時間チケットでザーンセ・スカンスまでバスで行けるかと思ったが、ザーンセ・スカンス行きの800番のバスは、会社が違うので、このチケットでは乗れないと運転手に言われた。
・・・ということは明日の空港行きの100番のバスもこのチケットでは乗れないのではないだろうか。(乗れなかった。)今朝、カフェで時間を潰した2時間が無駄になった。

仕方なく、列車で往復8.4€のチケットを買い、ザーンセ・スカンクへ。
駅から、皆が歩いて行く方向へ向かうと、早速、風車があった。

橋を渡る。17~18世紀は数百もの風車があった地域で、現在でも10基の風車が保存のために残されているらしい。

ちゃんと稼働している。白と青のイメージだったけど、このザーン地方では塗料には緑色が好まれていたらしい。

なので家も緑。
観光客向けの家かと思ったが、人が住んで生活していた。18世紀の家を再現した地域だけど、住んでもいるって感じか。かなり観光客がのぞいていたが、落ち着くのだろうか。

観光地化されていて、再現なんだろうけど、それでもこの付近を歩くのは楽しい。

チーズ工房もある。

会いたかった、ミッフィー!ブルーナの故郷のユトレヒトまで行かなくても会えた笑

木靴工房。農業をする際、水や泥から足を守る役目をしていたらしい。そうか、痛そうだけど中に水が入らないから実用的だったのか。

十分楽しんだので、そろそろ宿へ戻ることにする。ここからバスで直接アムステルダムへ戻れたようなのだが、列車の往復券を買ってしまっているので駅まで戻る。

ザーンセ・スカンスの駅は改札がないタイプ。
誰もチケットを有効化していないよなーと思っていたら、次の駅で検札官が乗って来て全員のチケットをチェックし出した。皆ちゃんとアプリでチケットは買っていたようだ。良かった、私も往復券を持っていて。検札されたのは初めてかも。

ザーンダム

アムステルダムに戻る途中のザーンダム駅は面白いデザインのホテルが並んでいるので駅から写真を撮った。

本当は線路沿いに建っているインテル ホテルズ アムステルダム ザーンダムが見たかったんだけど、駅から出ないと見えないようだ。

ネットからお借りしました

こんなホテル。なんとも外観は落ち着かないがユニーク。中はどうなっているのだろう。

ホステルに戻って来て、近くのスーパーでサーモンとビール2本を購入してヨーロッパ最後の晩餐を楽しんだ。
スーパーに売っていた野菜以外の食材で1番安かったのがこのサーモン、4€だった。
ビール2本と合わせて全部で7.5€(1,200円)。外食がどこも4,000円超えだったので安いと思って買ったが、日本だと数百円でいける食事だな。

夜になったのでオランダのレッド ライト ディストリクト地域、ピンクのネオンが光る売春婦宿街へ行きたかったが、ここから列車で30分かける体力がもうなかった。
まあ面白がって見に行くものでもないか・・・など考える暇もなくビールを飲んだら速攻で寝てしまっていた。

今日でヨーロッパ最後。
世界一周では旅人たちから「アフリカが1番キツかった」などよく聞いたが、総合的に私はヨーロッパ3ヶ月が1番キツかった。体力的にだけど。
2~3日に1度は深夜バス移動、早朝に次の街に着いて荷物を預けてシャワーも浴びず、ご飯も食べずに観光・・・

こんな旅のスタイルだとそりゃしんどい。後半は記憶が飛んでるし、ちょっと無理し過ぎた。

しかしそれももう今日で終わりだ。行ってみたいなと思えたヨーロッパの国は(アイスランド以外)はほぼ周れた。

明日は飛行機でヨーロッパを脱出する。

デンマークのコペンハーゲンで人魚の像へ、更に物価が高くてもう体力も限界(Day455-6)

1€≒162円、1DKK(デンマーク・クローネ)≒21.7円
2024年8月。デンマーク1日目、コペンハーゲン1日目

スウェーデンのストックホルムを21時発のFlixバスに乗り、朝6時にデンマークのコペンハーゲンに到着。

ストックホルムからコペンハーゲンに到着

夜が明けてきたところ。北欧だし暗くても治安は悪くないだろう。
バスで一緒だった日本人女性のChさんとはここで別れた。

ビルがおしゃれだ。曲面部分のガラスとカーテンはどうなっているのだろう。

コペンハーゲン鉄道駅

GoogleMapで予約している宿までの経路を調べて、その通りのバスに乗る。
これまでの国のようにクレカのタッチ決済で乗れると思って何も調べず乗ったのだが、専用のチケットかカードを当てないと無理だった。検札の人が来たら罰金になるので、慌ててひと駅で降りた。

降りた先はたまたまコペンハーゲン鉄道駅。

機械の券売機があったが、ゾーン1~10迄のチケット、24時間券、48時間券・・・かなりチケットの種類がありややこしい。コペンハーゲン券まである。
『ゾーン1は〇〇から△△駅の範囲まで』とか書かれても外国人には全く分からないのだが・・・

どの乗り物チケットを買えばいいのか調べるのも面倒になり1回チケットを買おうとしたが、24クローネ(520円)。高いので宿まで45分、スーツケースを引き摺りながら歩くことにした。
まあいい散歩になるだろう。

信号機が吊られていておしゃれ。これまでの北欧の国よりさらに道路が太い。自転車専用の道が歩道の横に造ってあるからだ。

そこをベビーカー付の自転車が、凄いスピードでビュンビュン飛ばしているから赤ちゃんは大丈夫なのかとビビる。運転しているのは男性も多い。ヨーロッパでは男性もちゃんと子育てに参加しているんだろう。
バイクだらけのアジアと違って、自転車メインの移動手段は空気が汚れなくていい。

コペンハーゲンの恐ろしい物価

7時にホテルに着いたが、「レセプションの出勤9時」と書かれていて入れなかった。

仕方なく近くの空いているカフェへ。このカフェラテと小さなクロワッサン、料金なんと74クローネ(1,800円)。信じられない、そりゃ歩くよ・・・もうバス代も節約しよう。

フィンランド→スウェーデン→デンマーク→ノルウェー・・・と、西へ行けば行くほど物価が高くなるようだ。
そしてノルウェーに関しては、オスロのドミトリーが1万円近かったので飛ばすことにした。
ノルウェーと言えば村上春樹の小説「ノルウェイの森」の印象しかない。あの小説のようにどこまでも暗い印象の国なのか・・・行ってみたかったのだが。

9時を過ぎたので宿に戻り、荷物を預けた。やはりチェックインはまださせてもらえないので、観光に出ることにする。さっきのカフェの綺麗なトイレで顔洗い歯を磨いていて良かった。

白鳥の親子がかわいい。グレーは子供なんだけど大きさは親と変わらない。

コペンハーゲン観光

この物価の国で私が出来ること、無料の植物園の散歩を堪能する。

市内中心の方へ向かってまた40分歩く。ローゼンボー城を眺める。入場は3,000円なのでもちろん眺めるだけ。

小物、服、家具屋をウインドウショッピングすることにした。

見るだけならタダだ。やはりインテリアを見るのは楽しい。そろそろ帰国してインテリアの仕事をしたいと思いだしてきた。

ロイヤル・コペンハーゲン本店

コペンハーゲンといえばロイヤルコペンハーゲンの食器。名前もそのまんま。
本店があったので入ってみた。「買わないけど見学だけ」という観光客ばかりいた。
ここの食器のブルーが好きなのだが、珍しいオレンジやグリーンの模様のものも展示されている。
昔5千円でティーカップ1客を買ったが、今見るとかなり値上がりしていた。

建物ごとに色が塗り分けられていて歩くのは楽しい。

教会は無料。この隣にある塔「ラウンドタワー」は500円位で登れる。

お腹が空いたので、Googleで「庶民の料金」と書いてあった中華食堂に入った。焼きそばが1800円したので、もっと安いエビフライを頼んだ。ビール小瓶700円にエビフライ1250円。
量は全然足りないけど、久々食べたマヨネーズに醤油をかけたら凄く美味しくて感動した。

デンマーク王立図書館

デンマーク王立図書館まで歩いて来た。左が1648年に設立された方で、右が1999年に完成した「ブラック・ダイヤモンド」と呼ばれている増築した建物。

ブラックダイヤモンドの方。

中に入ってみると、これら2つが段差なしで繋がっていることに驚く。
17世紀にもうこっち建物の図書館があったのが驚きだ。その頃の日本だと寺小屋程度か。

デンマーク建築センター

デンマーク建築センターにもやってきた。建物がおしゃれだ。入り口はどこか全然分からず、ジムに入ってしまったけど。

吊り下げられる椅子の数々。映像や写真でもデンマークの建物や家具の歴史を流していた。

ここらで疲れてきたので、また宿まで30分歩いて戻る。

Globalhagen Hostel

ホテルに戻って来てチェックインした。

しかもデンマークではホテル代と別にシーツレンタル代が掛かるようだ。予約規定に書かれていたが、英語だったのでもちろん見落としている。
5千円の宿泊費にプラスしてシーツレンタル代が35クローネ(800円)。
もうひとつ目を付けていたホステルはシーツレンタル代は15クローネだったのでそっちにすれば良かった。詐欺に合った気分。

すぐ裏のスーパーでズッキーニとハムを買ってパスタを作った。これが1番安くすむ。キッチンではアメリカ人のおっちゃんがコミュニケーションを取ってくれた。

ふとスマホの歩数計を見ると3万歩以上を示していた。疲れるはずだ。
バス代、宿代、食事代・・・バックパッカーにはデンマークは楽しめない。体力の限界ですぐに眠りについた。


次の日。
デンマークは一泊だけ。この日の夜もオランダ行きの深夜バスを予約している。

外食が高過ぎるので、朝食と別に夜ごはんも作って弁当箱に詰めた。この宿はチェックアウト後は共用部分には入れないようになっているのでチェックアウト前に作らないといけない。このキャンプ用品の火にかけられる弁当箱を持ってきておいて本当に良かった.

リトル・マーメイドの像

今日はデンマークで一番有名な場所へ行ってみる.

カステレット要塞を通る。

そう、リトル・マーメイド、人魚姫の像。童話『人魚姫』の作家アンデルセンはデンマーク出身なのだ。
世界三大がっかりスポットなんて言われているが、凄い人。日本人団体ツアー客もいた。やはりこんなところに来れるなんて日本人はまだまだ金持ちなんだろう。

人魚というか、ほぼ人だけど。憂えいを帯びていて全然がっかりではないと思う。

デザインミュージアム・デンマーク

デンマークで一か所だけ課金しようと思ってやってきたのがここ。
130クローネ(3,000円)。

変なファッション。

特別展が日本の昔の絵の展示が多くて面白くなかった。外国人には珍しいのかもしれないが。
これだけ矢が刺さったら普通死ぬだろう・・・

かなり広かったのだが、期待していたようなものはなかった。私自身、おしゃれな建築物に興味はあってっも、椅子にはあまりないのかもしれない。

フレデリック教会を見ながら海の方へ。

海・・・というか河かな。ここでワインでも飲んだら楽しかったのかも。

宿に荷物をピックアップしに戻り、もう流石に足が痛いのでバスに乗ることにした。
バス停横にあった券売機で1回券を購入してタッチする。

バスは途中のバス停で全員降ろされたので乗り換えないといけなくなった。そこから先へ行くバスが全然来なくて、Flixバスのバスターミナルに到着するのはギリギリになりそうだ。

コペンハーゲンのバス乗り場

最寄りのバス停から、FlixBusのターミナルまで徒歩15分のところを、また方向音痴炸裂で逆方向に向かって歩いていた。
GoogleMapを見て10分程歩いてから気付いたのだが、普通に歩いて向かうと全然間に合わない。慌ててバスターミナルまで25分、スーツケースを引きずりながら走る。

バスの出発時刻の5分前にターミナルに到着した。
全力で走って、汗だくになりながら運転手に駆け寄ると、笑いながら「あと5分もあるのにゆっくりでいいよ!落ち着けよ。」となだめてくれた。

思えば他の北欧の国同様、カフェの店員、レセプションの人もみんな愛想良かったな。
きっともっと食事やお酒、観光にお金を使っていたら楽しいデンマークになっていただろう。
ハンガリー以降位から、毎日凄い距離を歩いているのと食事をろくに取っていないため、観光を楽しもうにも疲労の方がキツイ。

ヨーロッパを3ヶ月も旅していたらどうしても節約モードに入ってしまう。
ヨーロッパは国が多い。シェンゲン協定内で全ての国を周るのは無理だろう。

そろそろヨーロッパを出ないと。次の国、オランダで最後だ。

ストックホルムのスクーグシュルコゴーデンへ。デンマークへ移動(Day454)

1€≒162円、1SEK(スウェーデン・クローナ)≒14.3円
2024年8月。スウェーデン2日目、ストックホルム2日目

ストックホルム最終日。
グスタフスベリに高級食器の数々を見に行くか、ストックホルムの建築士、アスプルンドが設計した森のお墓のスクーグシュルコゴーデンのどちらかに行くか悩んだ。
どちらも今いるホステルからは片道45分ほどかかる。電車はどちらも片道600円。
グスタフスベリにあるリサ・ラーソンの工房は日曜の今日は休みとなっている。なのでグスタフスベリではなく行くのはやめ、世界遺産にもなっている森のお墓へ行くことにした。

スクーグシュルコゴーデン(森のお墓)

グンナー・アスプルンドとシグルド・レーヴェレンツが設計した近代建築の共同墓地。1994年にユネスコの世界遺産に登録。

最初、お墓なんか見に行って楽しいのかと思ったが、そのデザインとコンセプトが国際的に高く評価されているらしい。墓地という機能を超えて芸術的・文化的な価値を持っているのだとか。
期待して行ってみる。

森の墓へ列車に乗って45分。ストックホルムの鉄道は同じホームから3方向行きの列車がいる出してるようだ。また違う方向へ進み出し、しばらくしてから気付いた。慌てて戻る。
駅からは徒歩で15分位で到着。

墓には無料で入れる。このエントランスからしてお墓らしくない。
実際に個人を忍んで訪問しに来ている人もいるし、観光客の写真を撮りに来ている人、家族でサイクリングやハイキングに来ている人も。

単なる埋葬の場所ではなく、生と死、自然と人間の関係について深く考えさせられる空間という点で優れているらしい。このなだらかな丘も計算されているんだろう。

上に長く伸びる木、光が当たる緑とお墓。
なんとなくここは死者を弔う場所というより、残された者の悲しみを癒す場所なんだと思った。

私がここを見て1番に思い出したのは「ペットセメタリー」という古いホラー映画という貧困な想像力だが・・・

礼拝堂は日曜日は全て閉館なのだろうか。3つあるのだが、全部閉まっていた。

のぞき窓から隠し撮りだけする。これもアスプルンドデザインだ。

途中にはカフェもある。老人たちの憩いの場になっていた。ぬいぐるみがお茶をしていてかわいい。

訪れる人々にとって、静かな瞑想や感情の浄化を行う場所。その精神的な価値も高く評価されているらしい。

アスプルンドは晩年、ほとんどをこの墓地の設計に没頭していたらしい。相当な思い入れで設計したのだろう。

中はかなり広く静寂に包まれている。散歩しているだけで、心が落ち着く。
確かに、お墓を見ながらここを歩くと、生と死について色々考えてしまう。

亡くなった知り合いの人たちのことも考えるし、私は今死んでも幸せな人生だったかとかも考える。

チェックアウトを済ませてあるホステルへ戻る。いつも占領されていて使えなかった共用スペースが初めて空いていた。

IPAビールがスーパーで売られているので、深夜バスの時間までここでビールを飲んで過ごす。
高いけど、日本でIPAを買うよりは安いと言い訳をしながらここ数日はIPAを購入。ビールはIPAが1番美味しい。

スウェーデンのストックホルムからデンマークのコペンハーゲンへ移動

ストックホルムは鉄道駅とバスの駅が一緒になっている。
昨日スターバックスを購入した駅へ荷物を持って向かう。

バス停が見つからなくて焦った。駅の2階へ上がる。
スウェーデンは土地の高低差が大きいのか、通常の道でも上下2段式になっている所が多く、GoogleMapで見ていると上なのか下なのか分からなくなる。下の土地と上の土地を違和感なく繋げている建築技術も凄いと思うけど。

21時15分発のバスに乗り込む。
なんと隣の席は日本人女性だった。ヘルシンキには腐る程日本人がいたけど、スウェーデンになんて珍しい。

30代のChさんとお互いの北欧旅について盛り上がる。一度社会人になったけど、北欧に大学院のプロジェクトで自然環境について学びに来ているらしい。

昨日の日本人男性とは話が合わなくて、私のコミュニケーション能力がおかしいのかと思ったが、やはり話が合う人とは違和感なく心地よい雰囲気になれる。
きっと昨日の彼とは波長が合わなかっただけだ。彼には彼に合う人がきっといるだろう。

バスで会話を楽しみながらデンマークへ移動。
デンマークでの観光も誘おうかと思ったが、宿代が高過ぎてまた1泊だけで次はオランダへ向かう予定だ。一緒に周る時間はないだろうから、1人で観光することにした。

バスが消灯したらすぐ寝てしまった。
デンマーク、次の国はどんなところなのだろうか。

スウェーデンのストックホルム観光。物価が高過ぎて手も足も出ない、対策法(452-4)

1€≒162円、1SEK(スウェーデン・クローナ)≒14.3円
2024年8月。スウェーデン2日目、ストックホルム2日目

ストックホルムのスウェーデンは北欧だから来たというだけなので、なかなか観光の足も進まない。

街を歩くと、車止めが全てこのかわいいライオンデザイン。さすが北欧。

ストックホルム観光2日目

スウェーデンの通貨はクローナ。フィンランドはユーロだったのに。どこでもカードが使えるので現金を下ろす必要はないが、計算が面倒なのでユーロに統一して欲しい。

マクドナルドなら金額的に出せるかと思い入ってみたが、ビッグマックが650円。
ドリンクを付けたら千円超え、フィンランドより高い。

外食は高いが、スウェーデンの名物のミートボールは食べたい。
レストランだと4,000円以上する。だがIKEAのレストランだと800円位のようだ。
そう言えば、スウェーデンはIKEA発祥の地だった。
日本のIKEAのレストランのように、安いが冷凍食品なんだろう。味は期待できないが、一番近いIKEAへ行ってみる。

ストックホルムのIKEA

ストックホルムのIKEAは、日本のように郊外の大型店舗ではなく、ショッピングモール内にある珍しい形態の店舗のようだ。

機械でミートボールとビールを頼むが、精算ボタンを押した瞬間に「年齢確認のため店員を呼べ。」という表示が出てきて精算が出来ない。これは昨日のスーパーのセルフレジでもやられた。

フィンランドではお酒がよっぽど悪なのか、購入するのに毎回店員の確認がいるようだ。
機械のランプはついているが、店員が誰も来ないし、近くにもいないので、諦めてノンアルコールビールに変更して頼み直した。フィンランド、ちょっと面倒くさい。

味は普通のミートボールでまあ想像通り。 ミートボール59クローナ、ノンアルビール25クローナ。全部で1,200円位。この国の物価にしてはかなり安くは済んだ。

IKEAも見て周る。キッチンや洗面などやはりかわいいデザイン。

今の日本でも同じものが置いてあるのだろうか。インテリアの仕事から遠のいて久しい。またやりたい。でも旅も続けたい。

王立公園

王立公園に寄った。チェス盤が並んでいて、知らない人と対戦出来るシステムのようだ。

路上でビッグサイズのチェスをするかっこいいおじさんたち。
見にくいだろう、このデカさ。

また宿までの長い距離を歩いて戻る。

ストックホルム市立図書館

ストックホルムで一番楽しみにしていたのが、スウェーデンの著名な建築家グンナール・アスプルンドによって設計の1928年開館の図書館。
これも世界にいくつもある「美しすぎる図書館」シリーズだ。
わざわざ歩いて来たみたが、何ヶ月も前から改装中のようで入れなかった。こんなのばっかり。

宿までの帰り道でスーパーに寄る。ここで食材を買うと、外食よりかなり安く済むことに気付く。

魚とベーコンを焼いてご飯と食す。変な甘いジャムが乗ってるIKEAのミートボールより、こっちの方が美味しい。魚とご飯だけは、毎日食べても飽きない。1食300円位。


次の日。

ストックホルム観光3日目

ストックホルムのインテリア

チェックしていた家具屋さんをいくつも見て周る。Östermalmstorg地下鉄周辺に集中しているようだ。

センスのいいお店がかなり並んでいる。フィンランドより、スウェーデンの方がデザインが洗練されていて楽しめるのではないだろうか。

家具屋は日本でもかなりの頻度で訪問する位好きだ。時間をかけて見て周った。

Östermalms Food Hall

1880年代に建設されたフードホールへ来た。

カフェや市場があり、ワインや伝統的なスウェーデン料理が置いてある。市場なのに食事4千円超え。もうこの国では何をするのにも手も足も出ない。

船の博物館がある港の方へ歩いてみる。
途中、人がかなり入っているインテリアショップがあったので入ってみた。

中華??これまでのショップと違って北欧っぽくない。スウェーデンの人らはこっちのデザインの方が好きなのだろうか??

ヴァーサ号博物館

17世紀建造の軍艦ヴァーサ号が良い状態で保存されている博物館。チケット3千円超え。
中は凄い綺麗な船があるらしいのだが、そこまで興味がないので飛ばす。

無料で入れる船の博物館2つ

そこから少し歩いた海の上に、無料の海洋博物館がある。インスタで紹介されていた。

こっちは中に入れて楽しい!船員の個室。

ここ一帯は冬の海は凍るようだ。豪華な船長室や、砕氷船の氷を割りながら進む映像や写真など公開されている。ここで見れる無料の2船は、役目を終えた船のようだ。かなり楽しめた。

フェリーに乗る

今からグスタフスベリへ向かう。スウェーデン市街地から東へ向かって1時間かかる。
リサ・ラーソンの工房兼、Arabiaや、グスタフスベリのヴィンテージショップがあるのだ。

今いる場所からフェリー乗り場に移動。

ストックホルムの地形ってこんなのだから、いる場所によってはフェリー移動になる。これは1回券1時間以内なら600円の料金に含まれる。

クレカタッチで改札を抜け、最初に来たフェリーに乗り込んだら、同じフェリー乗り場から色んな方向へ出てるようで、行きたい方向と反対方向に到着した。失敗。

今から向かうとリサ・ラーソン工房の16時の閉店時間に到着することになる。明日は日曜日で閉館しているので、もう行く機会はなさそうだ。方向音痴は辛い。

1時間以内ならこのままバスを乗り継いでもお金はかからないはずなので、クレカの請求がどうなるのかちょっと怖いが、有名なアイアンボーイストックホルム一細い道を見学。

この細さ程度でストックホルムで1番細い小道と言うなら、日本の住宅街は有名小道だらけになるな。
大阪市内はもっとひっついている。

ぎりぎり1時間以内で地下鉄に乗って宿へ戻る。
船、バス、地下鉄と3台乗ったが、クレカの請求は1回分の600円だけだった。

クラフォード プレイス ホステル

窓なしの部屋は最悪だったので、今日は宿を移る。

昨日までの窓なし部屋は24€、こっちは22€。
こっちの方が安くて窓も大きく最高だった。一昨日は満室で空いてなくて予約出来なかったのだ。

部屋でくつろいでいると、日本人男性が隣のベッドにチェックインして来た。

男性「日本人ですか?あー、さっき道で見掛けて声をかければ良かった〜!ずっと日本人が居なくて心細かったんですよ〜!!
私「そうなんですね。いつからひとりになったのですか?」
男性「昨日、日本を出発して、乗り換えのアブダビからは日本人は僕だけになっちゃったんです!!」

ずこーーーっっ!!(昭和)数時間だけやん。

ほぼ初海外の彼は、その後もひっきりなしに話し掛けてくる。
彼は話すスピードも、話の後の返答までの間も長く、会話が壊滅的に面白くなかった。(すまん)

私が廊下のテーブルに移動すると向かいに移動してくる。外出しようとするとついてこようとする。「私は廃棄予定食品を、すっごい遠い場所へ取りに行くんです。あなたはせっかく北欧に来られたんだから、ちゃんと外食された方がいいですよ~」
そうアドバイスして一人で外出した。

フードロス撲滅アプリ、To Good To Go

ヨーロッパにはTo Good To Goというフードロス対策アプリがあり、お店が廃棄する予定の食料を、中身は選べないが格安で手に入れることが出来る。
インスタで紹介されているのを見て、物価の高い国で使おうと思っていて登録しておいた。日本のGoogleアカウントだと登録出来ないので、ポーランド在住の新規アカウントを作成して登録しておいた。

お店はどこもだいたい800円位の金額で廃棄食料を販売していて、登録されているお店はパン屋が多い。
今朝、駅中のスタバを予約しておいた。日本でもスタバにはよく行くので試したかったのだ。
駅のスタバに行き、貰った紙袋を開ける。

チキンサンド、サーモンベーグル、ハチミツヨーグルトにチョコクッキー。850円でこの中身は大満足だ。キッチンのないホステルに宿泊した時には大いに役立つだろう。

人との距離感のむつかしさ

駅の地下のスーパーで缶ビールを買い、宿へ戻る。
途中、昨日まで同室だったスーダン人とばったり会った。宿を移ったと言うと「いいなー!あの部屋、相変わらず臭くて最悪だよ!!」と言っていた。凄い奥まった部屋で窓なくて風通しゼロだもんな・・・

廊下で持ち帰った食料を食べていたら、あの日本人男性が向かいに座って来た。
会話を楽しもうとしたが、まだ会って間もないのにかなり距離感を縮めてこようとするので、引いてしまった。

部屋にいたらずっと彼に話し掛けられっぱなしで、うるさくて同室の他のメンバーにも迷惑になる。廊下に出て、ひとりPC作業をすることにした。


次の日も彼を避けて、シャワーを浴びたら直ぐに部屋を出て共有スペースで過ごした。彼は1度ちらっとこちらを見に来たが、目を逸らしてしまった。
そしてチェックアウト時間の間近に部屋に戻ると、彼はもうチェックアウトしていた。

・・・・

あーあ。

傷付けてしまったかな。悪いことをした。たまにこういうことをやらかしてしまう。
相手を傷つけないように上手く振舞わないと。人を傷つけたくはない。

世界を旅していても全然成長しないな。。。
色んな人に会うので、自分がどんな人が苦手で、どんな人に惹かれるのかは明確に分かってきたが。。
彼がいたベッドを少し寂しい気持ちで眺めながら、自分の態度を反省した。

今日も次の国への移動は時間とお金の効率を考え、深夜バスを予約している。

さて、昼からどこを観光しようか。

フィンランドからスウェーデンへ、寝台付フェリー18時間(Day450-451)

1€(ユーロ)≒163円、1SEK(スウェーデン・クローナ)≒14.3円
2024年8月。フィンランド3日目、ヘルシンキ3日目

北欧は物価高過ぎなので首都間だけ移動して軽快に飛ばす。北欧自体飛ばそうかとも思ったが、帰国したら次来るのは大変なので周ることに。

フィンランドのヘルシンキ→スウェーデンのストックホルムの移動

ヘルシンキ→ストックホルム間はバルト海があり、陸路ではぐるっと北に回らないと行けない。
飛行機とフェリーで検討し、ほぼ同額だったが、やはりロマンあるフェリーに決定。
チケットの予約はこのDirectFerries(フェリー料金比較サイト)。日本語でも検索出来る。

チケットはVIKING LINEという会社の夜行便を66€で購入。昼便だと3千円台であるのだが、昼便は座席なし、夜便は必ず寝台の部屋が付いてくるので、その差。10時間以上の昼移動は時間の効率が悪いと判断し、夜行便にした。
ちなみに飛行機だと1時間だが、フェリーだと18時間。

バスで16時過ぎに港に到着。

出発は17時15分。チェックインは機械でセルフ。1時間前から乗船が始まった。

乗船してすぐエレベーターがあり、乗客らは各々どこかへ行くのだが、自分はどこへ行っていいかわからない。チケットに411号室という記載があるので係員に聞いたら、今いる場所が既に7階で1番下の階の2階へ行けと言う。
1番安い窓なし部屋のチケットを取ったからそりゃそうだな。

寝台付フェリーの内部

2階に降りてみたら・・・大興奮!

何度かフェリーで国境を越えているが寝台なんて初めてだ。
これ、サスペンスドラマや、コ●ンのアニメでよく見る現場ではないか。タイタニックでもいい。映画やドラマのワンシーンのようでワクワクする、何か起こりそう。

部屋に入ると壁に折り畳み式ベッドが2段付いている。寝台列車のコンパートメントのように、誰か他の人と同室なのかと思ったのだが、誰も来なかった。列車みたいに外から見える部屋じゃないからセキュリティ上、他人と同じ部屋にならないのかもしれない。

部屋にはトイレもシャワーも付いている。ずっとドミトリーだったので、自分専用の個室と水回りはかなり嬉しい。飛行機でなくフェリーを選択は正解だった。

船内を探索。

各階にバーやカフェ、レストランなどある。夕食ビュッフェのオプションは45€、7千円超えだったので付けていない。売店で売っているペットボトルの水の値段を見たら4€(650円)だった。
水、ビール、パンを買い込んできていて良かった。

船内のバーのシャンパンタワー。はいはい、この人らはカネモ、カネモ。

デッキに上がり、離れて行くヘルシンキの街を眺める。
白のヘルシンキ大聖堂と黒のウスペンキー大聖堂を1度に見れるのは、このフェリーに乗った人だけの特権だろう。

夜は部屋で持ち込んだ食料とビールを楽しんだら他にすることがない暇になった。

Wi-FiもSIMの電波も繋がらない。窓がなく、話し相手がいないとこんなにも退屈だと思わなかった。ネットが繋がらない窓なしの船は誰かと移動した方が楽しいな。

ストックホルム到着

Kindleにダウンロードしていたガイドブックを読み、早々に寝たので早起きした。

デッキに出るともうフィンランドの陸地が見えている。しかし島が点在する地形のせいで船の速度がかなり遅い。それで18時間もかかるのか。

10時過ぎ、ストックホルムのフェリー乗り場に到着。時差1時間。
フェリーのバスに他の乗客らが乗り込むので、無料で市内まで行けるのかと運転手に聞いてみたが、有料だった。仕方なくローカルバスに乗る。ローカルバスは1回乗ると60分乗り放題だが600円以上する。フィンランドよりスウェーデンは更に物価が高い。

Grad Hotel

11時、宿に到着。まだ部屋には入れないが 共有部分でネットを繋げてゆっくりできた。

14時にチェックインしてみると部屋は驚きの狭さ。隣のベッドの人と距離が近過ぎて気まずい。
窓も換気口もないので、空気の停滞感が凄い。湿気ともわっとした空気。
私の部屋は大丈夫だったが、他の部屋にのベッドには虫がいるようで、アレルギーを持ちの人はずっと共用部分にいてかなり参っていた。

このクオリティで24€(3,900円)。

スウェーデンには3泊するので日にちに余裕がある。
もっと早く出たかったが、4日後以外のデンマーク行きのバスチケットが宿1泊分より高かったのだ。

今日はさらっと軽く観光する。

Stockholm Station

観光地に向かう途中にある駅。鉄道もバスもある。4日後にここからバスに乗るのだが、バスは2階から出ているのが盲点だった。

歴史ある建物なのだろうか。スタバやおしゃれ雑貨店があり、地下はスーパーになっている。夜はここでビールを買うことにしよう。

北欧と言えばフィンランドが1番に浮かぶので、フィンランドが1番おしゃれな街かと思っていたのだが、スウェーデンの方が街並みはかわいらしい。

ストックホルム市庁舎

ストックホルム市庁舎に来てみた。ノーベル賞の晩餐会が開かれる場所で中は大変豪華な内装らしいのだが、入場は2,000円以上したので外からだけ眺める。

市庁舎からなら眺める、海の向こうの街並みも美しい.

がラムスタン

かなり歩くがバス代節約。中世の街並みが残る、狭い石畳の道とカラフルな建物が特徴のガラムスタン広場にやってきた。

この建物形状といい、色使いといい、なかなかハイセンス。 8月の今はちょうどいい気候だが、冬はよほど寒いのか、全ての窓が二重窓になっているので光を反射している。

レストランを3軒のぞいたが、どこも並んでいる上に名物のミートボールが一品4,000円以上する。
ステーキじゃなくただのミートボールで。
帰り道に屋台レストランを見つけたので、そこで食事をとることにする。

スウェーデン名物のニシンフライ。魚は美味しかったがジュースは全く美味しくないのに高かった。ビールはノンアルコールしか売っていない。
両方合わせて90クローナ(1,850円)。ロサンゼルスの物価に近いな。

一時間以上歩いていて足がかなり痛い。バスに乗りたいところだけど、1駅乗るだけで600円はなぁ・・・

ストックホルムの街は美しい。珍しく日にちに余裕があるので、明日以降またゆっくり観光することにしよう。

アルバアアルトの自宅とアアルト大学を訪問、アアルト三昧な日(Day451-452)

1€(ユーロ)≒163円
2024年8月。フィンランド3日目、ヘルシンキ3日目

ヘルシンキの女性専用ドミトリー。
一昨日は静かだったのに、昨日はどこからか電子音がするので少し寝つけなかった。

今朝、起きて上のベッドをふと見たら、ヨーロピアンのおば様が共有部分にあった冷風機を自分のベッドに持って来て置いていた。これは初めてのパターンだ。しかもヘルシンキって夏でも少し寒いのに。
ドミって色んな人がいて面白いな。

1番嫌なのが部屋で大声で長電話されること。夜中にベッドで寝ながら喋りたいみたいで、これをやる奴が本当多い。どこの国の奴らかと言えば、日本人と韓国人以外全般。
なので電子音位なら全く腹が立たない。

アルヴァ・アールトの自邸ツアーに参加

今日はフィンランドの建築家、アルヴァ・アールトの自邸ツアーをHPから申し込んでいる。30€。
Alvar Aalto(1898-1976) は、近代建築の巨匠として知られ、建築や家具デザイン、ガラス製品など、幅広い分野でその才能を発揮している。

英語かフィンランド語のツアーしかないので、英語ツアーを申し込んでいたが、Aalto Houseから「13時に申し込まれていますが、日本人参加者が多いので10時から特別に日本語ガイドを企画しました。時間変更されますか?」とメールが来ていた。
喜んでそっちに変更してもらう。

場所は中心地から少し離れている。宿泊している宿からはバスで40分。
Googleマップで経路を調べ、500番のバスに乗り込む。昨日もマリメッコ本社へ行くのに500番のバスに乗ったので楽勝、楽勝と、直ぐにやって来たバスに乗り込む。

アアルト自邸、行き方失敗

すっごいバカ、バカ、バカ。
マリメッコの本社は街の中心地から東で、アアルト自邸は西の反対方向なのに、同じ番号だからと昨日と同じバスに乗ってしまった。
反対車線の500番のバスに乗らないといけなかったのに。
気づいたのはバスに乗り込んでから20分後。今からバスで戻ってもツアースタートの10時に全然間に合わない。慌ててバスを降り、Boltアプリでタクシーを呼ぶ。

やって来たBoltの運転手は若いイケメンの男性だった。
「急いで!」と告げたので飛ばしてくれながら、よく喋ってくる。日本人だと言うと
「嘘ーーー!?感激。僕、日本人初めて乗せたよ!日本人ってこんなに綺麗なの??」
と赤信号で停まる度にお世辞を言ってくれる。日本だと私はおばさん扱いなので、悪い気はしない。
昼からお茶にも誘われたが、フェリーでフィンランドに移動しないといけないからと断った。

ヘルシンキをどう思うか聞かれたので「おしゃれで綺麗なところだね(語彙力)。」と言うと、
「どこがーー!!冬は3時間しか明るくなくて最悪だよ!!日本の方がよっぽど美しいじゃないか。僕、いつか日本に行くのが夢なんだ~。」と語ってくれた。その後もお互いの国について楽しく会話する。
ヨーロッパに入ってからほぼタクシーを使わなかったが、こうやって現地の人と話せるからたまに使うのもいいな。

アルヴァ・アアルト自邸

8分遅れで到着。当日参加は無理で、入り口は閉まっている。
Boltを待っている間に「少し遅れるけどいいですか?」とメールしていたので、ベルを鳴らしたらすんなり入れてくれた。

ツアーは始まったばかりのようだ。
中に入るとびっくり。なんと日本人が私以外に20人位いる。ヨーロッパ以降、こんなに沢山の日本人を初めて見た。30€もするのに、結構建築が好きな人っているもんだ。

ツアーは日本人が案内してくれるのかと思い込んでいたが、フィンランド人の女性スタッフだった。
ぎこちない日本語でガイドをしてくれる。日本語が喋れるだけ凄いが、かなりゆっくりでつまりながらの説明だったので、英語が聞き取れる人なら英語ツアーの方が情報量は多い気がする。

ここは彼の自宅兼アトリエ。
妻アイノ・アアルト(Aino Aalto)と共に1936年に設計し、以後40年暮らした自邸。
後に名が売れてからはスタッフの数が増えて入り切らなくなり、ここの近くに新しくアトリエを建設している。そちらも別料金でツアー参加可能。

あの1番奥の角の机が、アアルトが作業していたお気に入りの席。彼の建築はどれも自然環境との調和を重視していて外の景色が見渡せる。

アアルトの手書きのスケッチ。インテリアコーディネーター試験の二次試験でこんなの描いたな。

棚1つ取ってもセンスがいい。彼がデザインしたパイミオチェアなど、椅子がたくさん置いてある。

両開きのキッチン戸棚で、キッチンとゆるく仕切られたダイニング。
椅子は新婚旅行の時にイタリアで買ったもので、彼はとても奥さんとの思い出を大切にしていたらしい。
まあ2回結婚しているんだけど。

バスルーム。洗面はアアルト設計のパイミオのサナトリウム(1932年完成)にある洗面ボウルと同じデザイン。
この家は彼自身の生活空間であると同時に、彼のデザインの実験場でもあり、日常の中で実際に使用し、改良が可能な設計を重視していた。これもきっと、結核患者が使い易いかどうか実験的に配置したのだろう。

ガイドによると、ここに来た人は、思っていたより普通の家なので、がっかりするらしい。
しかし今から90年前だとこのデザインは斬新で、あまりにも大勢の人が彼のデザインを真似し、そのインテリアを取り入れたから、これが「普通」になったと言う。それ位彼は偉大だ。

彼はフィンランドの建築とデザインを国際的に広め、ユーロ導入前の50マルカ紙幣には彼の肖像画が描かれていたというから、どれだけ国民に尊敬されていたことか。

2階の寝室。客室ルームもあるが、全てベッドは小さく、かなり質素。

2階の中心に暖炉がある。ヘルシンキは寒いから冬は自然とここに家族も客も集まるだろう。
自然と調和し、愛するものとつつましく暮らす彼の理念がつまった家は、普遍的なデザインで温かかった。このツアーはアアルトを知るのに大満足のツアーだった。

ツアーは40分程で終わり、後は自由に撮影タイムを作ってくれた。他のお客さんも熱心に写真を撮っている。女性2人組のグループが多い。

しかし笑ってしまったのが、盆休みで来たと思われる家族4人組の、中学生位の男の子がずっとふてくされた態度で離れてぼーーっと立っていたことだ。父親の方はかなり興味津々に見ていたのだが、そりゃ中学生には面白くないだろう、これ。
外国で息子だけ別行動ってわけにもいかないだろうし、彼にはちょっと同情した。

アアルト大学へ

アアルトデザインのパイミオのサナトリウムも行きたかったけど、ヘルシンキからかなり離れている上に、ツアー代も高かったので断念。無料で入れるアアルト大学へ行くことにする。

バスで到着。アアルトの建築らしく、温かみのある赤レンガデザインに光を取り入れた設計。
勝手に大学に入っていいか不明だが、入ってみることに。

建物はいくつもあるが、どこもセキュリティで鍵が掛かっている。
1つセキュリティがなく入れた建物があったので潜入。
学食があったが、流石に購入には学生証がいるようで試せなかった。アジア人のおばさんがいるだけで既にめっちゃ浮いてるし。

アアルト設計の図書館

手前の図書館に潜入。こっちは一般の人にも開放しているようだ。

曲線の天窓が無数にあって日差しをゆるく取り入れている。開放的で気持ちのいい空間。
これまでの図書館では紫外線で本が傷まない設計が主流で、これもかなり斬新だったらしい。

天窓。

アアルトがよく使っていたデザインの柱。おでんに入れるかまぼこに見えるけど。

北欧デザインの椅子。なんと贅沢な空間・・・全部座ってみる。

地下もある。改修しているらしいので新しい部分もある。

ボールチェアにだれも座っていなくて勿体ない。

存分にアアルト建築を堪能できた。

テンペリアウキオ教会

宿までの帰りに、教会へも寄ってみた。1969年に完成したキリスト教の教会。中は岩で出来ていて木の天井の周囲にガラスが埋め込まれているらしい。しかし行ってみると入場料が必要だったので入らなかった。教会なので無料じゃないなんて。

フィンランドで日本と違って気を付けないといけないのは、ペットのワンコがバスやトラムに一緒に乗っていて床に寝そべっている。一度床と同化した真っ黒なワンコを踏みそうになった。お店もペット同伴可のとこも多い。日本だと無理だろうな。

ホテルで夕食作り

既にチェックアウトが済んでいて荷物を預けてあるホテルへ戻り、キッチンでズッキーニと玉ねぎを炒め、下のスーパーで今夜の缶ビールと明日の朝食用のパンを買い込む。
今から深夜便のフェリーに乗るが、オプションの夜ご飯が45€もしたので申し込まなかったからだ。

準備が整い、17時発のフェリーに間に合うようフェリー乗り場へバスで向かう。

昨日レストランで会った日本人の女の子が「ヘルシンキ、来てみたらなんとなく暗い雰囲気じゃないですか?」と言っていたけど、恐らくこの道の広さと人の少なさからだろうか?
日本人はフィンランド=おしゃれと思っているので、来てみたらこの町並みには肩透かしを食らうかもしれない。

そう言えばサウナに行くのを忘れていた。宿の近くに、ボランティアだけで成り立っている無料のセルフサービスのサウナがあったのに。フィンランドの8月は22時でもまだ全然明るいので、昨日行けば良かったとも思ったが、体力的に22時まで全力で動くのはもうしんどい。

サウナに行くのを忘れていたのを少し後悔しながら、フィンランド行きのフェリー乗り場へ向かった。

フィンランドのヘルシンキに飛ぶ。マリメッコは日本人だらけ(Day449-450)

1€(ユーロ)≒163円、1ポーランドズウォティ≒38円
2024年8月。ポーランド4日目、クラクフ4日目

いよいよヨーロッパも最終場面になってきた。今日は東欧から北欧へ飛ぶ。

ポーランドからフィンランドのヘルシンキへ飛ぶ

朝5時半に宿を出て、300番のバスに乗ってヨハネパウロ2世・クラクフ・バリツェ国際空港へ。海外は列車やバスがかなり早朝から走っているから助かる。

空港到着。アフリカの空港と違ってちゃんと無料の高速Wi-Fiが飛んでいる。

手持ちのプライオリティパスのカードが有効期限が7月末迄で切れてしまっている。4月に出国した時はまさか8月になってもまだ旅を続けているなんて思っていなかったし。
空港のラウンジの受付の男性に「新しいカード、日本にあるけど半年前から旅してるから受け取れないんだよ・・・」と説明すると「いいよ、入りなよ。」と快く入れてくれた。これまでの宿で会った人らの印象など、ポーランド人はいい人が多いと思う。

それにしても、ラウンジでノンアルコールビールを間違えて取ってしまったのだが、めちゃくちゃ不味かった。アサヒのノンアルはかなり美味しいので海外で売れるのではないだろうか。

久しぶりにお腹いっぱい食べて、8時45分のフィンエアーの飛行機に乗る。
料金は荷物代込みで2.6万だった。

11時45分、2時間でフィンランドのヘルシンキに到着。時差があり、フィンランドの方が1時間進んでいる。
空港はおしゃれで、ムーミンショップ、マリメッコ、サンタクロースショップなどあった。本当は冬に来てオーロラを見たかったな。夏は夜の時間が短すぎて見れないらしい。

チープスリープ ホステル ヘルシンキ

北欧はめちゃくちゃ物価が高いと聞いていたが、その中でフィンランドは1番マシなようだ。
そしてヘルシンキには、救世主のように名前からして滅茶苦茶安いドミトリーがある。
こんな部屋がいくつもあり大型収容タイプ。だが、キッチンもあり水回りもとても綺麗だ。
女性専用ドミで23.4€(3,700円)。民度の低い人はいない、部屋はいつも静かだった。

ヘルシンキの乗り物乗り放題チケット

ヘルシンキでは3日間鉄道、トラム、バス乗り放題券を購入した。ゾーン別で料金が違うので、1番安いゾーン2まで乗れるチケットを空港の券売機で18€(3,000円)で購入したのだが、空港はゾーン3に当たるようで、バスに乗る時に「ブーッ」と不正音が鳴ってしまった。

運転手の男性に「どうしよう?空港からはこのチケットダメなんだ・・・」と言うと「もういいよ、乗りなよ!」と笑顔で乗せてくれた。
細かい日本だとダメだろうな。40円不足の迷惑系外人YouTuberがバスの運転手によって閉じ込められ警察に突き出されていたし。ありがたい。

ヘルシンキ観光

乗り放題チケットで遠慮なくヘルシンキの町をうろつく。これは鉄道駅のヘルシンキ中央駅。

ヘルシンキ中央図書館

駅の近くに図書館がある。ヘルシンキには美しい図書館があると聞いてやってきた。
この時点でフィンランド国立図書館と間違えてるんだけど。

曲線が近代的でこっちのデザインの方が北欧っぽくて美しい。

かなり立体的な造りで解放感がある。勉強に飽きたら場所を変えたら気分が変わるのがいい。
中にいる人らもいちゃついていたり、インド人を囲んで瞑想していたりと好きなことをしている。

有名チェア、エーロ・アールニオデザインのボールチェアがある。座ってみたら座り心地が最高だった。包まれている感じと外部から程よく遮断された感じがいい。家に1つ欲しいな。ずっと座っていられそう。

ヘルシンキ現代美術館。北欧ではちょっと入場料が高過ぎてこういった系はパス。

無料のヘルシンキの自然や風景を存分に楽しむことにする。
風が吹くと寒い。ユニクロダウンを失くしてしまい、長袖は3着しか持っていないが足りるだろうか。

Café Engel

ガイドブックにも載っている、歴史的な有名カフェにやって来た。
今はお盆休み中だからか、レストランの中は半分以上が日本人だった。あちこちから日本語が聞こえてくる。

内装は歴史あるレストランでGoogleMapにも高級マークがついていたのだが、注文はスターバックスのようにレジに並んで注文するタイプ。
前の客がコーヒーを頼むと、レジの後ろでコーヒーを淹れ終わるまで次の客が注文出来ないので結構並ぶ。

フィンランドに行ったら誰もが絶対頼めと言ってくるサーモンスープを頼んだ。16.5€。
バターの風味が効いていてかなり美味しいが、まあそりゃ3,000円も出したら日本でもこの味は出せるだろう。

隣の席に「ここいいですか?」と夏休み旅行中の日本人の女の子が座ってきたので、彼女とヘルシンキ観光について話が盛り上がる。彼女に教えてもらって、もう一つ有名な図書館があるのを知った。
明日トゥルク観光に行くと言う。私もそこは検討したが宿代がドミで1万円近かったので断念した。


次の日。

フィンランドはその寒さゆえ、サウナ文化がある。
サウナから出た後そのまま裸で海に飛び込めるサウナ施設がいくつかあるのだが、どこも2週間以上先まで予約でいっぱいだった。私は3日先の滞在先も決めていないのでしょうがない。今後もこのパターンで入れない施設が結構出てくる。

マリメッコ本社

フィンランドといえば「マリメッコ」なので、パスで30分以上揺られやってきた。
デザインスタジオ、オフィス、ショールーム、そしてアウトレットストアが一体となった施設。

中に入るとびっくり。8割がた日本人だった。あとは欧米人。

昨日の女の子も言っていたが、施設は思っていたより小さく、それほど惹かれるものもなかったので何も買わなかった。というか高い、アウトレットなのに高い。円安のせいか。

14€でお客さんも社員食堂が食べられる。
しかし宿で自炊して食べてきてしまったので、お腹がいっぱいだった。失敗した。

せっかく乗り放題チケットを持っているので、帰りは気分を変えて地下鉄で戻ってみる。

ヘルシンキ観光再び

フィンランド国立図書館へ。入り口に荷物を預けて中に入れ、ほぼこの部分のみの小さな図書館。1845年設立のネオクラシック様式。ここはよくある歴史的建造物なので、昨日の図書館の方が北欧ならではで好み。

ヘルシンキ元老院広場にあるヘルシンキ大聖堂。現在改装中。

ヘルシンキ中央市場にやって来た。ヘルシンキ湾に面していて、海の景色を眺めながらシーフードが楽しめる。スモークサーモンやトナカイの肉など売っている。
路上のお店なら安いかと思ったのだが、一皿10€~・・・
退散。

隣にある建物に入ると、昨日16.5€で頼んだサーモンスープが12.5€だった。こっちで頼むのが正解だった。

ウスペンスキー大聖堂
東方正教会の大聖堂で、ロシアの影響を感じさせる壮大な建築。丘に上がったところにあるのでここからフィンランド湾を見渡せる。

おしゃれ建築もあるが、こんな建物ばかりではない。

カンピ礼拝堂
静寂と瞑想を提供する場所として、フィンランドの自然や伝統的な木工技術にインスパイアされた建物。どんな宗教の人も入れるが有料。

ショッピングモール。フィンランドならではの曲線の木のデザインが温かみがあっていい。

最上階には無印良品があり、お客さんも結構入っていて人気があるようだ。化粧水を購入しようかと思い値段を見てみたが、金額が日本の3倍したのでやめた。

ショッピングモールが並ぶ大道りへ。ムーミンショップもある。

北欧といえばイッタラ。食器も大好きなので中へ入ってみる。

ガラス製品やテーブルウェア。おしゃれ、おしゃれ。家に飾りたい。全部1万円以上したけど、うん。

イッタラはアルヴァ・アールトとコラボしているので、彼のデザインのガラス製品も多数置いてあった。日本のショップではこれだけの数は見ないので興奮する。

そして明日はアルヴァ・アールトの自宅を訪問する。ツアーは数日前にHPから予約しておいた。
これはかなり楽しみだ。

ポーランドのクラクフへ。アウシュビッツ博物館に無料で入る方法(Day446-8)

1€(ユーロ)≒163円、1ポーランドズウォティ≒38円
2024年8月。チェコ3日目、プラハ3日目

チェコのプラハからポーランドのクラクフへバス移動

チェコ、プラハの朝。今日は晴れている。昨日の天気が残念だ。
9時前に宿を出て、FlixBusのバスターミナルへ地下鉄で向かう。

バスターミナル併設の売店がコーラ400円もしたので、鉄道駅の横にあるスーパーまで戻って朝食を買ったらバスに乗るのがギリギリになった。コーラは半額で売っていた。
9時45分発。ポーランドのクラクフ迄のバスは6,000円と結構高かった。

19時半、約10時間掛けてクラクフ到着。バスも列車と同じクラクフ中央駅に着いた。
やはり昼に移動すると、他に何も出来ないので時間が勿体ない。しかしこの日の夜行バスは高かったのでこのバスに。

Lorf Hostel&Coffee(ホステル)

バスターミナルからホステルまで、歩けそうな距離なのでいつも通り歩く。
最安値の男女混合部屋を予約していたが、女性専用の部屋に無料で変更してくれた。
中央に化粧用のテーブルもあるし、何よりいびきがうるさくなくて静か、綺麗、ありがたい。男性がいないとこんなに平穏だなんて笑。1泊52ズウォティ(1,900円)

旧市街を歩くと、石畳の道を優雅に走る観光用の馬車に出会うことができ、中世にタイムスリップしたかのようだ。
狭い通りで馬車が車と正面から出くわしていたが、馬は後退が苦手なので、手綱を引く女性が文句を言って、スマホで通話しながら車をバックさせていた。器用だ。

今後のルート

クラクフには3泊する。4日後のフィンランド行きの飛行機が安かったからだ。
東欧に入った当初はバルト三国を抜けて、フェリーでフィンランドのヘルシンキへ行く計画を立てていたが、ヨーロッパの景色に飽きてきた。建物や雰囲気が似ていて刺激がない。南米とアフリカは刺激しかなかった。

同じような雰囲気の国を周っていても時間が勿体ないので、新たな景色や体験を求めることにする。

Szalone Widelce(レストラン)

昨晩、チェコでタタラークという生肉のタタキを食べられなかったのが残念で、隣の国のここにもあるのではと思い、Googleで検索してタタラークのあるレストランへやってきた。並んでいて人気店のようだ。
メニューにタタラークはあったが、メニューに載っていた写真のタタラークの量の多さで断念。

ポーランドの伝統料理の餃子「ピエロギ(Pierogi)」を頼んだ。
中の具はポテトやチーズなど選べたが、豚肉をチョイス。
ジョージアのヒンカリみたいなものを想像していたが、中はパサパサのツナのようなものが入っていた。しかもお通しで出来たこのパテとどうも同じ具材の気がする。

不味くはないが、ジューシーさに欠け飽きてくる。53.9ズウォティ(2,000円)と宿代より高い。


次の日。

今日はいよいよアウシュビッツ博物館へ向かう。ずっと行かなければと思っていた場所だ。

アウシュビッツ博物館への行き方と無料で入れる時間帯

アウシュビッツはクラクフから西へバスか列車で1時間。列車だと、降りた駅から博物館まで20分ほど歩かないといけないので、バスで行く。

アウシュビッツは、「多くの人に知ってもらいたい」という方針から入場は無料である。ただし、通常はガイド付きでの入場が基本とされており、ガイド料が必要となる。
数日前、日本人ガイドとして有名な方にメールで依頼を試みたが、直前すぎたため既に締め切っており、予約は無理だった。

英語ガイドを公式ホームページから予約することも考えたが、今回は一人でじっくり見学したいと思い、ガイドなしで訪れることにした。

ガイド付き入場の予約が可能なのは、通常10時から16時まで(※季節により変動あり)である。それ以外の時間帯、すなわち7時半〜10時までと16時以降であれば、ガイドなしで無料入場が可能となっている。
「朝に行って入れなかった」という記事をネットで見かけたため、安全策として16時の入場を目指すことにした。

アウシュビッツ強制収容所行きのバスターミナル

昨日、FlixBusが到着したのと同じセントラルバスステーション。
待合室にオシフィエンチム(Oświęcim)行きのバスの乗り場番号がD10と出ていたので、そのホーム、地下へ向かう。時刻表は予めネットで調べていた。

アウシュビッツ行きバス時刻表

16時から無料で入るため、15時半位にアウシュビッツに到着する14時のバスに乗ることにする。
駅で何か食べてから行くことにするが、安いのはパンのみ。ポーランドはヨーロッパの中では物価がまだマシなイメージがあったが、マックのカフェラテが430円と日本のスタバ並み。
(追記:帰国してみたらスタバのカフェラテはもう500円に値上がりしていたが。)

14時。地下へ降りD10のホームへ。運転手に「オシフィエンチム!」と告げて22ズウォティ(800円)をカードで支払う。

アウシュビッツ強制収容所

予定通り15時半にアウシュビッツ収容所前に到着。

入場自体は無料であるが、人数制限が設けられているため、チケットカウンターで整理券を受け取る必要がある。
バスは空いていたにもかかわらず、チケット売り場には長蛇の列ができていた。どうやら多くの人が、16時半以降の無料入場を狙っているようであった。
最終的に列に並んで整理券を受け取ることができたが、チケットに記載されていた入場可能時刻は17時15分であった。整理券の取得にはパスポートの提示が必要である。

Googleマップには閉館時間が19時と記載されていたが、それまでに2つの収容所を見学しきれるのだろうかと不安に思った(結果として、夏季時間帯だったためか、20時でも入場は可能であった)。

もうひとつの強制収容所の場所(ビルケナウ)

アウシュビッツ博物館には、アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)と、もう一つのビルケナウ強制収容所記念跡地の2つが存在する。後者へは、ここから無料のシャトルバスで約10分の距離である。そちらを先に訪れる時間はなかったため、大人しくこの場で1時間待つことにした。

アウシュヴィッツ第1強制収容所(基幹収容所)

17時15分前にセキュリティチェックを受けて中に入る。指定された時間の15分前から入れるようだ。入って直ぐのお土産屋で日本語の「案内書」を購入。

1番左下の「案内書」が役に立つ

アウシュビッツ第一強制収容所の構内には多数の建物があり、敷地も広いため、入口付近で販売されているガイドブック付きの地図が非常に役立った。地図に記載された順路に従わなければ、どの建物に入れるのか分かりづらく、効率よく見学するのは難しい。展示内容の簡潔な解説も掲載されており、予備知識がなくても理解しやすかった。購入して正解であった。

静寂の中、レンガ造りの建物が並ぶ。有刺鉄線に高圧電流が流れていた柵。

有名な「働けば自由になる」のアイアンの看板。実際にここから生きて出られた人はほとんどいない。

有名なガス室。もうひとつの収容所にあったものは、終戦時すぐにジェノサイドの証拠隠滅としてドイツ軍に爆破されている。

その横に遺体を焼却するための焼却炉。これが100年も前のことではないのが恐ろしい。
アウシュビッツでの経験を乗り越えた生存者は少数だがいて、現在ほとんどの方が90歳以上。

ドイツは第一次世界大戦の敗戦により物資が不足し、ユダヤ人たちから取り上げた品。
松葉杖、ギブス、眼鏡、歯ブラシ…ないと生活に困るだろうなと思われるものばかり。これらを取り上げられて働けないと判断された者は即ガス室行き。女の人の髪の毛は絨毯になった。

労働させられるユダヤ人たちの横で笑っているナチスのドイツ人。どういう神経なんだろう。

脱走しようとした人らを銃殺する場所。花が添えられていた。

1947年、収容者ではない人物が処刑された絞首台が残されている。処刑されたのは、初代アウシュビッツ強制収容所所長であったSS大佐ルドルフ・ヘスである。一方、収容者用の絞首台は一度に複数人を処刑できるよう、より長く大きな構造となっていた。

他にもいくつも展示品はあったが、当時を想像してしまい、見ていられない。人体実験まで行われていたというから驚きだ。人類の犯したおぞましい行為。

入れる建物が多く、収容品だけでなく、写真、解説、映像など様々な展示がある。絞って入らないと何時間も掛かるだろう。

アウシュビッツ第2収容所ビルケナウ

案内所を見ながらかなり速く見学したつもりだが、2時間掛かった。
19時10分前。人も少なくなり、入れるのか不安だったが無料シャトルバスに10分乗り、もうひとつの強制収容所へ行く。

こちらも整理券チケットの確認があった。8月は日が長いので19時を過ぎていてもまだ入れるようだ。

TVでよく見る風景。私はこれを見ると「白い巨塔」のスペシャルを思い出す。

アウシュビッツについては世界遺産の番組やNHKの特集などでよく見ていたので展示の内容は理解できた。インスタに日本人ガイドの方の説明を丁寧に載せてくれている人もいたし。
それと映画の「シンドラーのリスト」で見る光景ばかりだった。あれはかなり忠実に現場を再現したものだろう。

実際に来てみて、初めて感じられるのはその広さ。想像を遥かに超えて建物が多く広い。
調べたところ、アウシュビッツで命を落としたユダヤ人の数はおおよそ110万人から120万人とされている。ホロコースト全体で迫害により命を奪われたユダヤ人は約600万人とされており、その中でもアウシュビッツでの犠牲者数はきわめて大きな割合を占めている。桁が他のジェノサイドと違い過ぎる。どれだけ毎日ガス室で・・・

半分は子供用の収容所だった。ただの木が横たわるひとつのベッドに何人も寝ていた。ガス室送りにならなくても餓死する人もいた。

この線路を走る列車に乗って連れて来られた。こういった施設でジェノサイドはの警鐘を鳴らしても、戦後も各地でそれが行われているのはなぜだろう。差別や戦争はなくならない。

20時。見学を終え、クラクフへ戻ることにする。

アウシュビッツ収容所からクラクフへ列車で戻る

ここへ来たのと同じバスは最終が19時半で、もう終わっていた。仕方なく他の観光客について行って鉄道駅まで20分歩く。
駅に到着してGoogleMapで路線検索をしたら、ICと言うウィーン迄の国際高速列車で戻れるようなのだが、チケット窓口はもう閉店。券売機を操作してみるも、表示がかなり難しくて全く購入方法が分からなかった。

列車がすぐ来たので仕方なくチケットを持たずに乗る。国際線だから駅員が検札に来た時に買えばいいだろう。もし罰金と言われたら払うしかない。

クラクフ迄の1時間、罰金が気になり気が気じゃなかったが、検察官は来なかった。

宿の近くのスーパーも閉まっている時間だろうから、鉄道駅にあった大きなスーパーでビールと寿司を買う。
酢飯じゃないし、パサパサのご飯でめっちゃ不味い笑
寿司と一緒に缶ビールを飲んでいたら、レセプションの人に怒られた。アルコール禁止らしい。
酔っ払いに騒がれるのが嫌なのか、たまにそういう宿がある。しかしキッチンの壁に小さくポーランド語で「アルコール禁止」と書かれていても読めるわけがない。理不尽。
昨日のレストランのメニューもポーランド語オンリーだったし、英語はあまり浸透していないのか。


次の日。

クラクフ観光

無事アウシュビッツを見学出来たので、安心して今日はクラクフの街を観光することにする。

クラクフ旧市街へ。お決まりのヨーロッパの風景。ポーランドは淡い色の建物。

ヴァヴェル城。

モロッコのシャウエンで同室だったポーランド人たちに「ヴィエリチカ岩塩坑」へ行けと推奨されていた。塩でできた広大な地下空間に、美しい彫刻や礼拝堂があるらしい。ネットで調べたらコロンビアで見た塩の洞窟「シパキラの塩の大聖堂」とコンセプトが似ていて、そっちの方が神秘的だと感じたので行くのはやめた。ごめんって感じだけど。

コロンビアのシパキラの大聖堂

こっちの方がお勧めな気がする。南米のコロンビアだけど。

首都のワルシャワも、バルト三国も行くべきだったかまだ悩んでいるところに、アルバニアで一緒だったMlさんから連絡が来た。昨日迄エストニアにいて、住みたいかと思う位良かったらしい。人が親切で物価も安く、街並みがかわいいのだとか。
もう少し早く聞いていたらエストニアに寄っていただろう。凄く残念。

明日はいよいよ北欧、フィンランドへ飛ぶ。

チェコ観光。エロ美術館が強烈過ぎてそこしか覚えてない(Day444-5)

1€(ユーロ)≒160円、1チェコ・コルナ≒6.5円
オーストリア2日目、ウィーン2日目

オーストリアのウィーンからチェコのプラハへ移動

前回乗ったレギオジェットという会社のチケットが列車だったので、今回も列車だと思い予約したら、実はバスだった。「プラハ?」と聞いてバスに乗り込む。
ちなみにウィーンは海外でウィーンと言っても通じない。「ビエナ」と言う。

プラハのバスターミナル

20時半にプラハに到着。予約している宿は街の中心地にあり、そこまで徒歩15分。
もちろん歩いて向かう。

ホステル ホーマー

1泊16€。ここでの滞在は、レセプションの男性の接客態度が最悪だった。カウンターに誰もいなかったので覗き込むと、黒人のドレッドヘアの男性が外から見えないように腰を低くして座っていた。「予約してるんだけど」と声をかけると、彼はだるそうに「name…」とだけ呟く。

その後も追加のデポジットの支払いについて、遠くから鬱陶しそうにボソボソと話してきたが、声が小さすぎて何度も聞き返さざるを得なかった。こんな態度で給料がもらえるのかと驚いた。同僚の女性とは元気に話していたので、やる気ないか嫌がらせかどちらかだろう。チェコで最初に話したのがこいつなのでチェコの印象は最悪になった。

部屋は屋根裏の、男女混合20人部屋。広々としていてキッチンも最新式なのはいいが、なぜ寝室にキッチン??
欧米人は昼も夜も寝ているので音を気にして使いにくい。あと油汚れとか寝具につかないのかな 。
トイレとシャワーは1つずつしかなく、トイレの鍵は壊れていて、女性が一度男性にドアを開けられて大声で叫んでいた。

すっかり真っ暗なので就寝。


次の日。

プラハも2泊しか予約していないので、観光は今日しかない。なのに曇っていてとても残念。

キュビズム博物館

まずはキュビズム博物館へ。中は有料なので入らなかった。
キュビズムとは20世紀初頭にフランスで発展した前衛的な美術運動で、特に絵画において革新的な手法が用いられ、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって主導されたらしい。何のことかわからん。

ここでは、ザッハ・カフェのリベンジを果たすために来た。博物館の2階にカフェがあり、キュビズムなインテリアを眺めながらチェコの伝統ケーキを楽しむことにする。

ウエイターのおっちゃんは挨拶程度の日本語が話せて、陽気に声を掛けてくる。ここでチェコのイメージは回復した。
それにしても中東やアフリカでは私はずっと「ヘイ!チャイナ!」と呼ばれていたのに、ヨーロッパに入ると自分が一発で日本人だと判断されるのが不思議だ。ヨーロッパは中国人より日本人観光客の方が多いのだろうか。

メニューには伝統ケーキとしてハチミツケーキともう一つ載っていた。Google翻訳を使っても両方とも「伝統ケーキ」としか訳されないので違いが分からない。
ハチミツケーキは甘そうなので、もう1つのチーズケーキっぽい見た目のものを注文した。

食感も味も落雁(らくがん)みたいなのが来た笑
裏切られた気分だが、生クリームは濃厚で凄く美味しかったので良しとする。カフェラテと会わせても164コロナ(1,000円)と日本カフェで食べるよりは安い。

チェコ社会主義博物館

宮殿や美術館は飽きたので、共産主義の博物館って珍しいなと思い、チェコ社会主義博物館に入ってみた。チェコスロバキア(現在のチェコ共和国およびスロバキア共和国)が共産主義体制下にあった時代は、1948年から1989年までの約41年間。

ゴルビー

380コルナ(2,400円)とかなり高額な割に展示品は少なく、ほとんどが長文の英文パネルの解説だった。英文を読むのは時間が掛かるので、Google翻訳で訳しながら読み進めるも、それでも量が多すぎてかなり疲れた。チェヒー・ブジェゾヴァー事件、オタカル・シュヴェッツの作品と自殺、スターリン記念碑、プラハの春、ビロード革命の説明など。
これだったら専門の本を買って読んだ方がいいだろう。失敗した。

共産主義体制下での住宅展示は、皆平等という感じで面白みに欠ける。もしかすると、この辺りの国が今、変わったデザインの建物を造りたがるのはその反動かもしれない。

有名なベルリンの壁に描かれている1979年の「社会主義的兄弟のキス」。私が小さい頃、ドイツは西と東に分かれていたが、今ヨーロッパを歩いていると、それが信じられない。

プラハ城

プラハ城へ向かって丘を登って歩いてみた。

お城。城や教会、博物館はどれも有料だったので入らず。ケチっぽいが、2,3ユーロとかだったら入るが、本当にヨーロッパはひとつひとつの入場が高いのだ。

赤い瓦屋根の景色は自分の中でもう飽きているのが残念だが、それでも綺麗だった。ここからの夜景も綺麗なんだろう。

ホラーレストランのディスプレイ。

ホームレスかと思い、ちょっとびっくりさせられた。

ダンシングハウス

さらにダンシングハウスと呼ばれる有名な建築物を見に行く。
フランク・ゲーリーとヴラド・ミルニッチによって設計され、1996年に完成。

ビルバオのグッゲンハイム美術館をデザインしたフランク・ゲーリーって今も95歳で現役なのか。長生き。

中世の街並みの中に突如現れる奇抜な形のビル。まるで二人のダンサーが踊っているように見える。

建設当時は、そのデザインが街の雰囲気に合わないのではと賛否両論があったらしいが、今ではそのユニークな外観が有名な観光スポットとなり、皆に愛されている。この橋の袂で夕日に照らされながら踊っているように見えるビルはとても美しい。曲線が温かみを感じさせ、プラハの街並みにアクセントを加え、上手く溶け込んでいると感じた。

今日もかなり歩いた。宿に戻ってから少し休憩。

チェコの料理で有名な「タタラーク」という生肉をガーリックで和えたものを食べに、近所のレストランに閉店2時間前に行った。しかし、「キッチンはラストオーダーを閉めたので、飲み物だけなら注文できる」と言われてしまった。もし知っていたら、もう少し早く来たのに。

仕方なく近所でインスタントラーメンとビールを買い、宿のベッドの中央にあるキッチンで、寝ている人もいる中、静かに調理して食べた。

Sex Museam(性交機械博物館)

は、モロッコとルーマニアで一緒に飲んだAmさんがインスタで紹介していた、宿からすぐ近くのSex Museumに行った。

彼女が「女一人で行った」と言っていなかったら、私も恥ずかしくて行かなかったかもしれない。20時に行ったら団体客で混んでいたので、閉館間際の23時に再訪した。入場料は300コロナ。

「自分の知らない世界が知れるかも?」と思いながら3階建ての建物を上から順に見学したが、ほとんどが自分で行う行為に関する中世の器具の紹介だった。

展示がバカバカしくて楽しい。

日本の江戸時代の器具や現代のエロ祭りなど、日本のものの展示も多く見られた。他のアジアの国々のものはないのだろうか?それともやはり日本人は昔から変態ばかりだったのか。

この最後の博物館の印象が強すぎて、チェコと言えばこの場所…という感じになってしまった。まあ、それも良いか。

ヨーロッパで行きたかったスポットがいくつかあったが、明日はその最後のスポットがある土地へ移動する。

ポーランドのアウシュビッツ博物館だ。

ブダペストのセーチェーニ温泉で水着を忘れる。ウィーンでフンデルトヴァッサー建築に触れる(Day443-4)

1€(ユーロ)≒160円、1ハンガリーフォリント≒0.14円
ハンガリー3日目、ブダペスト3日目

ブダペストの朝。

同じ部屋に久々日本人

昨晩、同室のタンザニア人男性と話していると、30歳位の男の子が話に入ってきた。
聞くと日本人だと言う。
彼の旅のスタイルは、旅先で友人になった外国人に会いに行くことで行き先を決めるタイプ。家に泊まらせてもらう代わりにお寿司など作ってあげたりしているらしい。
行き先にはこだわらない、初めて見る旅のスタイルだ。人の懐にスッと入るのが上手いタイプなのだろう。彼は今日は同室のインド人とダンスの練習をしている。凄いコミュニケーション能力。

私もインド人ダンス教師に誘われたけど、案の定、断ってしまった。今日は行きたいところがある。

ブダペスト観光

セーチェーニ温泉

ハンガリーは、温泉で有名なので、温泉に行ってみる。
いくつかあるが1番有名なところ。
私は日本では、よくスーパー銭湯に行っているのだが、間違いなく日本の方が綺麗だろう。だが海外の温泉施設がどんなものか体験してみたい。

10時。宿から地下鉄で30分かけて到着。チケットはその場で購入で10分位並んで入れた。(これが午後には長蛇の列と入場制限で入れなくなっていた。)
料金は29€(4,750円)と驚愕の高さ。

入場券を買ってから気付いた。
なんと「床が汚いから サンダルを持って行け。」という口コミに気を取られ、水着を持ってくるのを忘れた。どうかしている。インド人と喋りながら用意していたし、
喋りながら何かするといつも失敗する。

宿に水着を取りに帰ろうかと引き返しかけたが、午後からオーストリア行きのバスを予約しているので、温泉に入る時間が短くなってしまう。
熟考した結果、今ちょうど水着っぽいデザインの黒のユニクロ下着上下を身に付けているので、これで温泉に入ることにした。異論は認めない。

スペイン以降、暑すぎるせいかヨーロッパでは「ほぼ裸ですか??」みたいな恰好で路上を歩いている人を見掛ける。それに比べると「プールでユニクロ下着」なんて目立たないだろう。

ちゃんとシャワーを浴びてからユニクロ下着で温泉へGo!
外人は誰も、入る前にシャワーなんか浴びてなさそうな不潔具合だったけど。。。

そして案の定、アジア人おばさんの私のことなんて、誰も気にして見ていない。
ユニクロ下着、全然水着の代わりになる。さすが世界のユニクロ!

外にあるのは温泉というより温水プール。

やはり塩素の匂いがする日本のプールと違い、何か皮脂のようなものが浮いている・・・
金髪の長い髪の毛の束がごそっと流れてきた。おえーーーーー。
気にしたら負けなので、顔はつけずに泳ぐことにする。

建物内部には、地下と1階部分にいくつも、温度の違う温水プールとサウナがある。
地下は素っ裸で入るタイプのサウナ。覗いてみると、素っ裸のヨーロピアのおじさまが2人いた。とても一緒に入る勇気はないので早々と退散。

同室の日本人の男の子が言うには、昨日ここに来たら「素っ裸の若いドイツ人女性3人組」が入って来たらしい。男性には嬉しい施設かも知れない。

混雑具合と温水プールの大きさが合っていない。この位、小さいものだとおっさん臭と汚染度が酷い。だって日本じゃ見たことないような、背中までびっしり毛が生えているようなおじ様たちが入っているんだもの。

一応まだ綺麗そうな温泉にいくつか入ってみたが、どれも40度以下で熱くない。外国人は高温の温泉は苦手なのだろう。サウナもぬるい。
まあ、でも海外の温泉プールを皆がどんな風に楽しんでいるのか体験出来て楽しかった。

課金すればビアサウナエステも体験出来る。

ブダペスト中央市場

バスの時間までまだ少しあるので、中央市場へやって来た。

2階が食堂になっているようだが、高かったので食べるのはやめた。

ハンガリーのブダペストからオーストリアのウィーンへ移動

この辺りの地域の移動だとRegojet(レギオジェット)という、チェコを拠点とする民間の鉄道&バス運行会社が1番安いことを発見した。
チェコ、スロバキア、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツで運行されている。
HPから鉄道チケットを予約してあるので14時55分発の列車に乗り込む。結構満席。料金は11€。

17時半、3時間半でオーストリアのウィーンの鉄道駅に到着。シェンゲン圏内はパスポートコントロールもなく楽ちん。

a&o ウィーン ハウプトバーンホフ(ホステル)

ウィーンでは、鉄道駅に近い場所に宿を取った。17€。

観光は明日にして、近所の中華料理屋で焼きそばにエビフライが乗っているご飯を頼んだ。
変わった組み合わせ。オーストリアは通貨がユーロなのが、簡単に計算できてありがたい。

ピンボケ。焼きそば9.4€(1,500円)って、日本じゃあり得ない高さだけど。


次の日。

オーストリアのウィーン観光

ウィーンは地図を見て1日で周れそうな気がしたので1泊しか宿を取っていない。これが失敗だったけど。午後には次の国へ移動するので今日、半日だけ観光する。

効率よく周るために鉄道とバスの乗り放題チケットを8€で購入。せっかく買ったのに誰も検札に来なかった。

クンストハウス・ウィーン

1番最初に1番行きたかった美術館に。1991年オープン。フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの美術館。15€。

オーストリアの芸術家、建築家で、環境保護活動家。彼の絵画やグラフィック、設計図などが展示されている。
大阪の舞洲のゴミ処理場をデザインした人。

彼は直線を嫌い、自然の形状を模倣することを重視していたため床も階段も波打っている。

大阪にあるゴミ処理場「舞洲工場」はとても斬新で可愛いデザインだ。世界一美しいゴミ処理場と言われているらしい。美術館内のこの柱も美しい。

絵をこんなにも描いていたとは知らなかった。1つ1つじっくり眺める。

いい笑顔。生涯独身だったらしいが、好きなことに没頭できて幸せな人生だっただろう。1997年に大阪のゴミ処理場が竣工、その2年後に心不全で亡くなっている。

1階カフェには無料で入れる。かなり混んでいた。満喫して次へ移動。

ハンドヴェルクハウス(Hundertwasserhaus)

10分ほど歩いたところに彼がデザインした住宅もある。今も人が住んでいるので中には入れない。
このお洒落な住宅を借りたい人は多いらしい。

1983年から1985年にかけて建設。彼独自の曲線とカラフルな色が特徴。彼は環境保護活動家なので屋上に庭園もある。

フンデルトヴァッサーは、デザインの美しさと住み心地の良さの両方を大切にしていて、住宅の中も床は波打っているが、住民が日常生活で不便や危険を感じないように工夫されている。テーブルを置く場所などは少し平らになっているらしい。

向かいに彼がデザインした商業施設もある。ユニークで温かみのあるデザインなのでつい見入ってしまう。

建築をゆっくり見過ぎて、すっかり遅くなってしまった。スーパーで買ったパンを慌ててベンチで食べ、次の観光地へ。(美味しかった。)

シュテファン大聖堂

お決まりの大聖堂類を見て周る。一応有名らしいので・・・12〜14世紀建築。高さ136メートルの南塔と、美しいモザイクタイルで飾られた屋根が特徴。

オーストリア国立図書館

ここもよくある「ヨーロッパイチ〇〇な図書館」ってやつ。図書館って普通、無料だろうと思ってやって来たけど、入場10€だった。なので入口から隠し撮り笑
よくあるデザインだっだし、入らなくてもいいだろう。

カフェ・ザッハ

チョコケーキ、ザッハトルテの発祥のレストラン「カフェ・ザッハ」へ。インスタでもよく見かける人気スポットだ。行ったら少し並んでいた。もう今日は私には入る時間はない。

ザッハトルテ自体、甘すぎて日本でもほとんど食べたことないし、恐らくここで2千円もするケーキを食べるより、日本で食べた方が美味しいだろう。そう自分を納得させる。

シェーンブルン宮殿

ここだけ少し離れていたがなんとか行けた。ハプスブルク家の栄華とウィーンの歴史を今に伝える重要な文化遺産。
世界史の授業でずっと出てくる、名家ハプスブルク家の夏の離宮だ。幼少期のマリーアントワネットもここで過ごした。

デカい。でか過ぎるだろう。部屋数1441。
たかだか夏しか使わないのに、掃除も維持費も大変。どれだけ金持ちなんだ。自分たちでも全部屋把握していないだろうし、こっそり忍び込んで誰か住んでても分からなそうな程の広さなのが恐ろしい。

入場料38€(6,100円)。高い、高過ぎる。しかも当日券は1時間待ち。買わなかった。

広い庭だけは無料なので堪能する。

テラスから中を覗き見。お金がなくてこんなのばかりだな笑
ゴテゴテした装飾でここも好みではないのでいいだろう。入場6千円って・・・

ウィーン、もう1泊すれば良かった。有名観光地なのに完全に舐めていた。この日出発のバスが安かったので、こんな計画になってしまった。

この街も夜景は綺麗だったのではないだろうか。そしてクリムトの「接吻」があるベルヴェデーレ宮殿も行けなかった。
いや、私はまたいつか必ずリベンジする。

後ろ髪をひかれながら次の国、チェコへ向かう。

ハンガリーのブダペストへ。ドナウ川の真珠、ハンガリーの本気を見た(Day441-2)

1€(ユーロ)≒160円、1ルーマニアレイ≒33円、1ハンガリーフォリント≒0.14円
ルーマニア7日目、ブラショフ4日目

ルーマニアのブラショフからハンガリーのブダペストに21時15分発のバスで移動する。
シギショアラからの列車は19時56分ブラショフ着の予定だったが、現在20時半。

ブラショフの鉄道駅からFlixBusのバスターミナルまで移動

ブラショフの鉄道駅からFlixBusの乗り場までは、ローカルバスで30分ほど離れている。
GoogleMapを見ながら駅前のバス停でバスを待ったが、20時45分になっても来なかったのでBoltタクシーを呼んだ。

ヨーロッパに入って初めて使ったタクシー。
タクシーは中東みたい安くないから、ひたすらバス利用をして45分以内なら歩いていた。

直ぐにやって来たBoltドライバーは若い女性だった。
「何日ルーマニアに居るの?ブラショフはどう思う?ブカレストは?」など聞いてくる。そしてバスの出発まであと30分しかないと告げると「大丈夫、10分で着くから!」とものすごいスピードで飛ばしてくれた。急ブレーキもあったけど笑

最後に「ブラショフ、とても綺麗なところだよ。Bolt、いいレビュー付けとくね。」と言うと凄く喜んでくれた。

FlixBusターミナルからハンガリーのブダペストへ

無事、出発20分前にバスターミナルに到着。
到着してチケットを見せると、ドライバーは「もうあと1,2分で出発するから。」と言ってきた。
予約客で私が最後だったのだろう。ギリギリ来て当日券を買うお客さんはいないのだろうか?
「コーラ買ってくるからちょっと待って!」と告げ、売店でルーマニアの残りの現金全てをコーラとキットカットに変える。

乗り込んだら直ぐ出発した。

ハンガリーのバスターミナル

9時にハンガリーのブダペストに到着。エアコンが効いていてUSBコンセントもあり快適だった。車輛により違いが大きい。
市内までは離れているので地下鉄に乗る。クレカタッチで乗れる。ゲートはないが、観光客がよく利用する駅はチケットチェックの従業員が複数人立っている。

シーズン ホステル

9時半、ホテルに到着。レシェプションの人は感じが良く、もうベッドが用意できていると言われ直ぐにチェックインさせてくれた。これはヨーロッパで初めてのパターンではないだろうか。これまでベッドが空いていてもチェックイン時間にならないと入れてくれない宿ばかりだった。
ものすごくありがたい。深夜バスの後にベッドで横になれる!

共有スペースがないので、各部屋に食事が出来るような大きなテーブルがある。

お腹が空いたので、キッチンに行き手持ちのスープを飲む。キッチンは地下にあり辛気臭い臭いがする。料理は簡単なものしか出来なさそう。

ブダペスト観光

仮眠したらお昼を過ぎていた。スッキリしてブダペストの町を散策する。
ホステルから出たら、もうこんな景色。

なんだこの街は。ハンガリーはチェコやオーストリアに比べたら物価が安く、そこまで街の綺麗さには期待していなかったのだが。ヨーロッパの中心に位置しているので、色んな国の美しい建築様式が入り込んでるらしい。

セーチェーニ鎖橋を渡って行く。

ホロコースト慰霊碑、ドナウ川の靴

ドナウ川に来た。
2005年にハンガリーの映画監督カン・トーラーイと彫刻家のパウエル・トガイによって設計された、ホロコーストの犠牲者を追悼する慰霊碑がある。鉄製の60足の靴が石畳の上に固定されている。

第二次世界大戦中、ドイツナチスはユダヤ人をドナウ川のほとりに連行し、彼らに靴を脱がせた後、川に向かって射殺。靴は当時貴重な物資であり、無駄にしないようにしたらしい。犠牲者の遺体はそのまま川に流された。

空っぽの靴が犠牲者が突然奪われた命を物語っていて、虐殺の現場と犠牲者の置かれた状況を強烈に想起させる。ホロコーストや第二次世界大戦に関する警鐘として、十分過ぎる効果だ。

地下鉄に乗って英雄広場にやって来た。ここまでの地下鉄は小さくておもちゃのようなデザインでかわいい。

改装中ばかりだな、ヨーロッパ。のんびり工事をしているから工期が長いって聞いたことがある。

両サイドに美術館がある。有料なのだが建物に興味がある。

入るとお土産屋までは無料でアクセス出来るので両方入った。やはり美しく、お土産屋だけでも価値があった。

ヨーロッパイチ豪華なカフェ、New York Café

18時。インスタなどでもよく上がっている有名カフェに来た。ヨーロッパイチ豪華なカフェらしい。
大人気で凄く並んでいる。

30分以上並んで入店。出る時にはそんなに並んでいなかったので混んでいる時間に来てしまったようだ。

カフェオレなど人の手が加わっているものは高いので、注ぐだけの安いビールを頼む。それでも1,000円以上した。ケーキは2,000円したのでやめた。

1894年にオープンしたニューヨーク生命保険会社が設計した建物らしい。イタリアン・ルネサンス様式で当時もエリートたちがこぞって集ったとか。しばしエリート気分を味わう。

外に出たらすっかり夕方。やはり美しい。

ハンガリー国立歌劇場の前まで歩いてみる。
この前で多くの観光客に「写真を撮って。」と頼まれたので撮ってあげ、自分も撮ってもらったのだが、中国人に撮ってもらった写真は全部目をつぶっていた

21時。セーチェーニ鎖橋まで戻ってきた。いつの間にか夜だ。

これは・・・これまでの旅の中でも屈指の美しさではなかろうか。
ブダペストはドナウ川の真珠と言われている。ハンガリーの本気を見た気がする。

昼間見た国会議事堂は全く違う表情を見せている。川とのコントラストが神秘的で美し過ぎる。
上に何か白いものがいっぱい飛んでいて不思議だったのだが、インスタで「かもめだよ」と教えて貰った。鳥目なのでは??

ハンガリーの夜景に見とれていたら22時を回っていた。
中心街のスーパーはすべて閉まっていたが、お腹が空いたので町の外れのガソリンスタンドへ行く。
そこのコンビニでパンとお菓子を買った。

中心地から外れるとほとんど人が歩いていないので少し怖い。ホームレスを一人だけ見た。ブダペストの治安はいいのか悪いのかよくわからなかったが、走って帰った。


次の日

トラムに乗ってブダ城のまで行く。川を挟んでこっち側がブダ地区で向こう側がペスト地区なのでブダペストというらしい。

ブダ城へ

ブダ城がある山頂へは、この有料のミニケーブルカーで登れるが、歩いても直ぐらしいので歩いて行ってみる。

昨晩も歩いて登って山頂から夜景を見ようと思ったのだが、道が見つからなかった。どうやら外構工事中で2024年現在、遠回りしないと入れないようだ。

どこまで遠回りするんだと歩いていたら、こんなものを見つけた。上まで登るエレベーターだ。
なんだエレベーターで登れるのか。トロッコの意味がわからない笑

ハンガリー国立美術館など

エレベーターでブダ城まで上る。ここから見下ろすペスト地区は、穏やかで美しかった。

その後、国立美術館、教会、漁夫の砦など歩いてみてまわる。白い三角屋根の漁夫の砦ってかわいいな。1895年にハンガリー建国1000年を記念して建設されたらしい。
どこも入場料が掛かるので入らず。

2B Hostel & Rooms

ブタペストの2泊目は、昨日の宿は凄く値上がりしていたので移った。こっちの方が中心地にある。
ここは14時を過ぎないとチェックインさせてくれなかった。
部屋は広くて窓も大きく解放感がある。しかしWi-Fiが遅い。使いものにならない。
たまらずeSIMを購入した。Trip.comから購入すると安い。

沈む気分

この日、日経平均がマイナス4,500円以上をつけていた。20年株取引をしているがこんなのは初めて見た。昨日も1日で25万以上資産が減っていたが、今日は1日で50万以上。

もう数千円節約のために、夜行バスで移動したりドミトリーに泊まっているのがばからしくなってきた。その何倍ものお金が一瞬で吹き飛んでいるのだから。

Café Kör

ずっと自炊したりして節約していたが、ヤケフォアグラでも食べることにした。
ハンガリーは温泉とフォアグラが安いことで有名。

フォアグラだけだとポルトガルで食べた時にかなり胸焼けしたので、ステーキの上にフォアグラを乗せたロッシーニにした。美味しかったけど、しまった。宿から醤油を持ってくれば良かった。

一皿4,500円。3年前のYouTubeでは1,800円だったのにな。美味しかったけど、この金額だったら日本の「俺のフレンチ」で食べれるのではないだろうか。

まあそれでもハンガリーの夜景は珠玉だった。これはプライスレスだろう。
私は今、お金では買えない経験をしているのだ。お金のことは忘れよう。旅の気持ちに支障が出ないよう、そう自分に言い聞かせた。

ルーマニア、ブラショフ観光。さらに小さな町、シギショアラ1泊観光(Day440-1)

1€(ユーロ)≒160円、1ルーマニアレイ≒33円
ルーマニア6日目、ブラショフ3日目

8月に入り突然円高になり1€が160円になった。こんなの予想出来るだろうか。
私は西欧やスイスなど1€=175円の1番高い時に旅していたことになる。15円も違うと全然違うよなぁ・・・自分の運の悪さを呪う。

ブラショフ街観光

ブラショフをじっくり観光していなかったので、午前中に街を観光する。

ブラショフはかつて防御のための要塞都市だったため、今でもいくつかの城門や塔が残っている。

石畳の広場にはカラフルな建物がかわいい。山の景色も良くて結局2泊した。

黒の教会へ。1689年の大火災で煤に覆われたことから黒くなったらしい。ドイツのケルン大聖堂の方が排気ガスと酸性雨で全然黒いけど。中は有料なので入らなかった。

1460年代に建てられた白い塔へ。かなり坂か階段を登る。

石灰岩で出来た塔。外敵の侵入を監視するための見張り台として使用され、また砲台も設置されていて攻撃に備えてあったらしい。

ブラショフの街を一望できた。この赤い瓦屋根の感じも、もう見飽きてきたが。
あのロープウエイで山頂まで行けるみたいだ。

聖ニコラエ聖堂へ。

お昼になったのでホステルに荷物をピックアップし、ブラショフの鉄道駅へ向かう。

ブラショフから鉄道でシギショアラへ

今度はちゃんと10分前に鉄道駅について券売機で14時55分のチケットを購入。24レイ(780円)。
今回もネットで1番安い時間の便を調べてある。
ブラショフからシギショアラまではなんと列車で4時間。ミニバスだと2時間くらいで着くらしい。どれだけ鈍行なんだ。ただ圧倒的に列車の方が安いので列車で行ってみる。帰りはバスにするかも。

チケットに書かれてあるホームで待っているが全然電車が来ない。あと2分というところで、ふと後ろを振り返ると3両だけの電車が端っこの方にひっそりと停まっていた。これだ。見逃すところだった、危ない。

のろのろ運転だからか、列車は人気がなくガラガラ。4人席を占領して足を伸ばして座る。

車窓を眺めながら次に行く国のガイドブックを読んだりしてのんびり過ごす。8時間移動とかばかりしているので4時間位の移動だともう短く思えてきている。

シギショアラ駅到着

シギショアラ駅到着。寂しい、すごく寂しい。誰もいない、職員すらいない。

人気のない観光地なんだろうか。宿のある市街地へ向かってみるが、道も誰も歩いていない。ゴーストタウンのようだ。

川を渡って旧市街へ。シギショアラは、想像していたよりもこぢんまりとした街だった。駅から旧市街までは歩いてすぐで、石畳の道がまっすぐ続いている。

シギショアラ旧市街

シギショアラは12世紀に、ブラショフ同様トランシルバニアに移住したドイツ系のザクセン人によって建設。中世の頃には、要塞都市として重要な役割を果たし、その防御システムと戦略的な立地から、長い間経済と商業の中心地として栄えたらしい。

階段やガタガタの石畳を登って旧市街に到着。やはり人は少ない。

パステルカラーの家々が並び、どこか温かみが感じられる。この色もドイツのロマンチック街道沿いの家々を思いださせる。

Burg Hostel

旧市街に一泊だけホステルを取ったが、旧市街自体が城壁に囲まれた丘の上にある。スーツケースで石畳の道を登ってくるのなかなか大変だった。71.4レイ(2,300円)。キッチンと電子レンジはあるがコンロはないので他の人らはフルーツやハムを切るだけの料理で工夫していた。
8人部屋だがシギショアラで宿泊する人は少ないのか4人しかいなかったので快適。

Terasa Cafe La Scara(レストラン)

かなりお腹が空いたので外へ食べに行く。テラス席で食べられる雰囲気の良さそうなレストランへ。

この辺りの国で名物なグヤーシュというスープを飲んでみたくて頼んだが、間違えてただのスープを頼んでしまったようだ。朝にしか出ないメニューのようで、最初スタッフは「えーあるかな?」と言いながら厨房に聞きに行ってくれた。

出てくるのは遅かったが、これが実に美味しかった。この辺りの国ではスープと言っても食べるスープ。牛肉をはじめ具材たっぷりだった。スープは29レイ、ビールは15レイ。

夜のシギショアラを歩いてみる。中世の街に溶け込んだかのよう。
人が全然いないのが静まり返っていて良かった。1人で歩くのはロマンチック。

来てみたら1時間ぐらいで回れてしまう町だったので、日帰りにしなかったのは失敗だったかと思ったが、夜のこんな綺麗な町並みを見れてやはり宿泊して良かったと思った。
ドラキュラ伯爵の生家がある町。明日はゆっくり観光しよう。


次の日。

シギショアラ散策

靴屋の塔を見に行く。中には入れない。曇っていて少し残念。

お土産屋をのぞく。ルーマニア土産ってこんなのなのかな。絵が雑過ぎてかえってかわいいかも。

時計塔

シギショアラのメイン。町のシンボルである時計塔。高さ60メートル、登るのにはまたお金がいる。時間になると仕掛けが動いて音楽が流れるので人が集まってきた。この時間帯位からツアーバスで来ている観光客で賑わってきた。

街を見下ろす丘の上に登ってみる。雨の日でも登れるように屋根を造ったのだろうか。

丘の上の教会

教会に到着。家??

シギショアラの町も美しい。こことブラショフに来なかったらルーマニアのイメージは全然違うものになっていただろう。旅先で会ったアドバイスをくれていた人が、ルーマニアがいいと言っていたので長居しようと思ったのだが正解だった。ルーマニアには他にも魅力的な町があるのだろうか。

街に降りてきた。

ドラキュラ伯爵の実家

ドラキュラ伝説の元となったヴラド3世が幼少期を過ごした家。現在はレストランとして営業。
他に名物がないのか、ドラキュラが大人気なのか凄いウリにしているな。中をのぞいてみたいが、まあ高かったのでパス。

昼間は賑わっている。ここには皆ツアーバスで来るようだ。宿泊したら誰もいない中世の町を味わえる。

食事は昨日の店がかなり美味しかったので同じ店にした。小さな町なのでレストランもそれほど選択肢はない。

今度こそグヤージュスープを頼む。本当は隣国のハンガリーの伝統スープらしい。牛肉やジャガイモをパプリカで味付けした濃厚なスープ。かなり美味しい。59レイ(1,900円)。

ブラショフ、夜がロマンチックで良かったな。ひとりなのが残念だが。誰かと食事出来たら楽しかっただろう。ここではアジア人は全く見かけない。

宿をチェックアウトして鉄道駅へ向かう。今日はここからブラショフへ戻って更にハンガリーへ移動しないといけない。

駅までの道にある至聖三者大聖堂にも寄る。

シギショアラからブラショフへ鉄道で移動

昨日来た鉄道駅に戻ってきた。隣にミニバス乗り場があるので見てみたのだが、人が全然いない。今日が土曜日だからなのか、ここは終着駅ではなないからなのか。短時間で行けるバスでブラショフに帰りたかったが、仕方なく鉄道にする。

15時44分発。行きと同じ24レイ(780円)。

帰りの列車は最悪だった。
車両は3つしかないが、たまたま自分が乗った車両は家族・親戚全員顔見知りの地元の人が乗っていて、若い男の子らが特大スピーカーを持ち込んで大音量でビール飲みながらダンスパーティーを始めた。めちゃくちゃうるさい。父親はルーマニア語で「ごめんねぇ~」と謝ってきたが、あほか。非常識過ぎる。

離れた車両に移って事なきを得たが、16時になると全て窓から強い日差しが入ってきてカーテンもブラインドもないし、影になるところが全くない。
そして線路は単線なので駅に到着する度に、反対車線からくる列車とすれ違うために長時間停車する。昨日途中の駅で停車していた理由がこれで分かった。単線だから。

時間通りにブラショフに着いてくれないと予約しているバスには間に合わない。日差しの眩しさに耐えながら、ずっとハラハラしっぱなしだった。

20時半。ブラショフ駅に30分遅れで到着。ここからFlixBusバスターミナルまではバスで30分位かかる。21時15分発、ハンガリーのブダペスト行きのバスに間に合うだろうか?慌てて駅を出た。

ルーマニアのかわいい街ブラショフへ。ブラショフからシナイアに日帰りでペレシェ城へ行く(Day438-9)

1€(ユーロ)≒168円、1ルーマニアレイ≒58円
ルーマニア4日目、ブカレスト4日目

今日はルーマニアのブカレストからブラショフへ鉄道で移動する。

アルバニアのベラトで会った日本人と再会

インスタを見ていたら、アルバニアのベラトの宿で一緒だったAlさんが同じルーマニアにいることが分かり、会うことになった。

私は今日の午後ブカレストからブラショフへ。彼女は今日の午前中にブラショフからブカレストに来る。お昼の時間少しだけブカレストで会うことにした。

ベラトでは彼女は後から宿泊してきたのでそこまで会話しなかったが、2人で話してみると人の言うことをちゃんと肯定しながら聞いてくれるいい子だった。働いていた業界も同じだったので話が盛り上がる。もっといっぱい話したかった。

ブカレストの鉄道駅

楽しい時間はあっという間に過ぎ、2時間だけお喋りして別れ、ブカレストの鉄道駅へ。チケットは出発時間が読めなかったのでまだ買っていない。出発時間によって全然金額が違うので、予めネットで15時7分発の列車が1番安いことを知りその時間に駅に向かう。

チケット窓口が長蛇の列でびっくりしたが、券売機はガラガラだったので直ぐにチケットを買えた。35.5レイ(1,160円)。

駅で6レイのパンを買ってギリギリに慌てて乗り込む。時間ぴったりに出発。

ブラショフ鉄道駅でチケット購入

17時50分、約3時間でブラショフに到着。ドラキュラ伯爵を全面アピールしたいのかおどろおどろしい城の絵が駅に描かれている。

鉄道駅から街の中心までは離れているのでバスで移動。バス停は直ぐ隣にある。チケットはバス停の券売機で買うのだが2枚セットでしか売っていない。購入した紙チケットをバス内の機械で有効化するのだが、ここも誰もチケットを買って乗っていないように思える。

ブラショフ中心地に到着。

かわいい、街が凄くかわいい。ブカレストと全然違うので驚いた。背景の山の景色に映えるカラフルな建物がいっぱい。ここは12世紀にドイツ系のザクソン人に創設されたので、ドイツ風の建物が残っているらしい。
ブカレストだけで次の国へ移動していたらルーマニアのイメージが全然違っていただろうな。

Downtown Hostel

ブラショフで1番の安宿。61レイ(2,000円)他の宿はブカレスト宿の金額の2倍以上する。
キッチンはあるにはあるが1人立てる位の大きさなので使えない。共用部分はそのキッチンのみ。

Alさんもここに宿泊していたらしいので情報は聞いている。入口から手前のベットの男性が太っている訳でもないのに恐ろしくいびきがうるさいらしい。本当に寝れなくてAlさんは「トラウマでしばらく女性専用ドミにする。」と言ってたほどだ。

8人男女混合ドミトリーの部屋に入るとドイツ人のおばさまだけが部屋にいた。
「耳栓持ってる?私たち以外全員男なんだけど、この部屋のこいつとこいつが恐ろしくいびきうるさいわよ。」
と親切にも教えてくれた。Alさんの言ってたベットだ。気が重い…

宿から直ぐのブラショフの中心地を歩いてみる。

ドイツのロマンチック街道沿いの家々を思い出す。
こんなにかわいい街ならブカレストを延泊しないで早くこっちに来れば良かった。

そうしたら夕食もAlさんと過ごせたのになと後悔しながら、路上の素敵なレストランで豚肉ステーキを食べる。この辺りは豚肉の産地らしく凄く美味しかった。70レイ(2,290円)

夜もロマンチック。観光客だらけの小さな街なので夜も歩ける。

宿に戻ると中華系のドイツ出身の18歳の男の子がチエックインしてきていた。人懐こくて色々聞いてくるので会話した。私の年齢を言ったら驚いていた。母親より上だもんなぁ。

そして問題のいびき男は明け方まで飲みに行ってたらしく、4時に帰って来たので悩まされずに済んだ。だが、中華系男子が朝の7時にUberドライバーと大声で電話していて起こされた。部屋の全員起きてきて注意されていたが「大丈夫、大丈夫。もうすぐUber来るから!」との返事。
いや、そうじゃない、そこじゃない。かわいい子だと思っていたがしばきたくなった。


次の日。

この宿は人気で延泊出来なかったので、宿を移動した。

Viva la Vida Hostel

昨日のところより1.5倍高いが広くて快適。90レイ(2,915円)。キッチンはないがテラスがあるので手で洗った洗濯物をここぞとばかりに干した。
オーナーは下のレストランで精いっぱいでホテルは放置状態なのかBooking.comから検索は出来るのにシステムを切っていて予約は出来ない。なのでagodaで予約した。Booking.comから予約出来ないせいか「満室」となっているのにガラガラで快適だった。穴場。

ホステルを移動する時にドイツ人のおばさまと会話。
「昨日ラッキーだったわよね〜!いびき野郎は明け方に帰ってきたから寝れたわ。」
「そうだけど、クソガキが明け方Uberに電話してて起こされたわー。」
「そうそう。あのクソガキ笑、朝の7時よ!」

そんなことを話して2人で笑った。
それにDowntown Hostelの方は男共が部屋で寝ながらおならをしまくるのが気になった。思わず出でしまったとかでなく、明らかにお腹に力を入れて寝たままの姿勢でブーブーこいでいる。1回ではなく凄い頻度で。
普通、他に7人いる中でする?!このパターンも初めてだ。ドミには色んな奴がいる。

日帰りでシナイアへ行く

Alさんがシナイア地方のペレシェ城が良かったと教えてくれたので行くことにする。
ブラショフから南のトランシルバニア地方へ列車で1時間ちょっと。

当初はドラキュラ城のモデルになったブラン城に行こうと思っていたのだが、GoogleMapの口コミを見たらドラキュラ伯爵のモデルになったヴラド三世の城ではなくおじいさんの城。しかも小説のモデルかどうか確かでないとのことで、それ、もうドラキュラ関係ないやん?ってことで行くのは止めた。

鉄道でシナイア地方へ向かう。
昨日と同じく鉄道駅の券売機でチケットを購入して乗ろうとしたら、出発5分前だとギリギリ過ぎて販売していなかった。

鉄道に乗り込みながら乗務員のおばさまとおじいちゃんに列車の中でチケットを買えるか聞いたが英語が全く通じない。この辺の国って通貨も言語もバラバラ。陸で直ぐ繋がっているのに不思議だ。
おばさまには鬱陶しそうにされ無視されたが、おじいちゃんにGoogle翻訳でルーマニア語で聞いたら笑顔で頷いてくれ、列車のチケットを売ってくれた。
支払いは現金のみ。現金を持っていて助かった。券売機だと10レイだったのに車内で買うと17.5レイと高い。

シナイア到着

シナイアの駅に到着。ここから城までは徒歩30分かバス。景色が綺麗そうなので歩く。

途中町中のスーパーでコーラを買いに寄り道。
売店で売っているのと、スーパーに売っているのとでは金額が倍違う。

中世の田舎町に来たかのような景色。山岳が美しい。
途中の家の庭で、家族と遊んでいる小さな男の子に「ヒーヒー!ジージー!」と声を掛けられる。意味が分からないので無視していたらお母さんに何か耳打ちされ「こんにちはーー!!」と叫んできた。
中国人と思って挨拶していたのか。かわいい。「こんにちは!」と返すと喜んでいた。

ペレシェ城

30分坂を登ってペレシェ城到着。これは白の近くのホテル。

想像していた城のイメージと違って領主のお屋敷って感じ。1875年にカロル1世が王室の夏の離宮として8年かけて建てたそう。

チケット購入と入場で30分以上並んで入場。ガイド付きツアーでなく単独で回るチケットを選んだ。50レイ(1,635円)

武器庫。中世の甲冑。かっこいい。

何世紀にも渡って改築されたので、イタリアルネサンス、バロック、ロココ調など様々なデザインが混じっているらしい。

城と言ってもベルサイユ宮殿のように派手な感じではなく落ち着いた雰囲気が凄くいい。住んでみたくなる。

食堂はこれは喋りにくいかな。映画で見たようなまんま。

部屋数は多くて、それでいてどれもデザインが違っていて本当に楽しかった。今では手に入らなそうな大量の木材の装飾も美しい。1500億かけたブカレストの国民の館よりこっちの方がよっぽど美しい。

ペリショール城

隣にカロル1世の狩猟用の城もある。

狩猟用だから?屋根が犬に見える笑

入ってみたかったけど節約。

シナイア駅の方まで戻る。

シナイア僧院

途中にまた17世紀の僧院があるので寄ってみる。

天井のフレスコ画が綺麗。私はステンドグラスのある教会はいくらでも入りたいんだけど、フレスコ画は興味ないんだよな。好きな人は好きなのだろうか。

シナイア駅で痛恨のミス

駅でまた券売機でブラショフ行きのチケットを買う。10レイ。行きも帰りもネットで1番安い時間帯を調べてある。

ここで耳からワイヤレスヘッドホンを外して手に握ったままチケットを購入したのだが、その後いくら探しても見当たらない。

ドミで動画を見る時に使っている他、長時間歩く時もいつもワイヤレスヘッドホンで音楽を聞いていた。歩くのが嫌いな私がメテオラでも何時間も歩けているのは、音楽を聴きながら歩いているからに他ならない。あれがないと困る…泣

結局駅構内を探しまくったが見つからず、列車の時間になったので乗り込んだ。
乗ってから、駅のゴミ箱にくしゃくしゃに丸めたレシートを捨てた時に一緒に捨てたのではないかと思い当たった。しかし後の祭り。

ルーマニアの列車はAlさんから「遅れまくるよ。」と聞いていたが、途中の駅でずっと停車していて発車しない。アナウンスも何もないからなぜ停車しているかわからない。幸い30分位の遅れですんだ。

夜にブラショフに戻って来た。

今後ワイヤレスヘッドホンが無いのは痛い。有線のヘッドホンも持ってるけど歩きながら聴くには不便過ぎる。ここで買おうかとショップに寄ったが高い。日本は本当にモノが安くて性能がいい。
スマホの画面も割れてて見にくいし、他にもユニクロライトダウンなど、無くしたものはいっぱいある。日本製のメイク落としもなくなりそうだし、日焼け止めもなくなったからアルバニアで購入したが、日本のものよりかなり高いのに性能が悪くて日焼けしまくり。(この数日後エア枕も手洗いしたら壊れた。)

4月に日本を出てから5ヶ月目、8月に入ってしまった。そろそろ帰国かな。モノが紛失して不便を強いられそんなことを考えるようになってきた。

ブカレスト負の遺産、チャウシェスクが建てた国民の館と自邸訪問(Day436-7)

1€(ユーロ)≒168円、1ルーマニアレイ≒35円
ルーマニア2日目、ブカレスト2日目

Nest Boutique Hostelは朝食が付いていた。野菜パサパサ、ハムやパンも焼いたら美味しいだろうけど生。お腹に入れるだけって感じだが、ないよりはマシか。

食べ終わり、シャワーを浴びたらリュウと廊下で遭遇。「今日は何するの?」と聞かれ、今日もなにか誘いたそうだったが「今から、今から、国民の館へ行くの!」と慌てて誘われないようにした。
「僕も今日の夕方そこに行くけど、予約していないと入れないよ?」
「知ってる。でも直接行ってみるんだ~。」
そう言って別れた。私が日にちに余裕ある旅人だったら一緒に行動するんだけど、ごめん・・・

国民の館(Palatul Parlamentului)

今日こそは自分が行きたかった場所を観光する!

国民の館へ歩いて向かう。ルーマニアの首都ブカレストは独裁者チャウシェスクが己の権力を誇示するため、建物が何もかも巨大。
スコピエの銅像に続いてこれも異様な光景だ。

国民の館に到着。入口はこの地図にある北門から。

国民の館とは

「国民の館(Palatul Parlamentului)」。この建物は、アメリカの国防総省(ペンタゴン)に次ぐ世界で二番目に大きな行政庁舎。建設費用は当時の日本円に換算して1,500億円。地下4階~地上10階建、総面積は330,000㎡、部屋数は3,107。ほとんどの部屋は使われていない。無駄無駄無駄無駄ー。
チャウシェスクが自身の権力を誇示するために建設を命じたものだが、当の本人は建設途中でルーマニア革命によって夫婦ともども処刑されてしまう。

まるでフランス革命時代かのような野蛮な話だが、これは1989年の話で、TVで銃殺後の映像と共にニュースに流れてきたのがうっすらと記憶にある。そんなこともありルーマニアは怖いイメージ。

なぜルーマニアが治安が悪いと思うのか

ルーマニアを1番怖いイメージにしているのはドラキュラ伯爵のモデルになった「串刺し公」がいたことでもなく、2012年の日本人女子大学生殺害事件だろう。
ルーマニアと言えば・・・という感じでどの旅人と話しても皆知っていたし、日本人のルーマニアの印象に与えた影響は大きい。

ブカレストの空港に到着して市内までの最終バスが出ちゃってて、(偽の)空港職員のプラカードぶら下げた人に「タクシーで行きなよ、案内するよ。」と言われたら、私でも従うと思う。
今の時代ならUberがあるのにな。彼女に何の非もないのに可哀想過ぎる。

国民の館入場方法

国民の館はガイドと一緒じゃないと入れない。HPを見るとネット予約は8名以上~で、それ以下の人数は電話予約のみとなっている。めんどくせー。
GoogleMapの口コミを見ると、当日いきなり行っても入れそうなので直接行ってみる。

14時に行くと、チケット売り場にスタッフが1人しかいないので並ぶが、当日券が買えた。

14時45分からの英語ガイドのチケット購入。60レイ(2,000円)要パスポート。この紙を貰って、お土産屋のカウンターで金額を払う。カード使用可。

45分待つが仕方ない。周囲に変な絵画展や無料トイレもあるので時間は潰せる。
14時半以降は窓口もガラガラだったので、14時半以降に来たら並ばずすぐ入れるだろう。

時間になり、ガイド付きツアーに参加して館内を見学。
大理石で装飾された廊下。このカーペットは継ぎ目がないらしい。お金掛かってるね。

国中のクリスタル、木材、大理石、綿などが集められ、ルーマニアでは大理石が不足したとか。

大理石の量は凄いんだけどね。いや・・・デザインが全部同じだし、装飾が細かくなく面白くない。

1時間みっちりガイドだった。歩き回ったけど見学したのはこの建物の5%部分。
高価な材料でとにかくデカイ建物造れって指示だったんだろうな。
装飾やデザインが美しいイラン建築などに比べると全く面白くなく、建築物というよりチャウシェスクの愚かさを見たという印象。ツアーの狙いもそうなのか。この建設のために当時、国民の生活は圧迫されたそうだ。

7割建設した途中でチャウシェスクが処刑され、どうするか議論が起こったらしいが、解体するより完成させる方が工事費が安くすむ試算から完成させた。
現在は国会議事堂として使用され、国際会議やイベントも開催される。一部の部屋は会議室やコンサートホールとして使用されているが、それでも全部は使い切れず、その広さゆえ維持費が膨大過ぎて税金を圧迫しているという。全く負の遺産だ。夏や冬の冷暖房費とかもどうなっているのだろう。維持費まで試算したら解体した方が良かったのかも。

クレツレスク教会

その後、ノルマのように見飽きた教会群観光。

Caru’ cu Bere

インスタで紹介されていた創業150年のグランカフェへ。

メニューの金額が高いので一番安いビールとサラダを頼むが、サラダは葉っぱしか入っていなかった。そしてこれまで取られたことのないチップを取られる。場所代ってとこか。

モロッコで会った親子と再会

インスタ繋がりでモロッコのシャウエンで会った親子が今ブカレストにいるらしい。飲みに誘ってみると即返事でOKだった。お子さんがいるのでどうかと思ったがノリがいい。

一度宿に戻ってシャワーを浴びてから待ち合わせ場所のブカレスト中心地へ向かう。

前回はお子さんが退屈そうだったので気にしていたのだが、今回はiPadを持たせたとのことで退屈しなさそうなのでほっとした。
Amさんはノリが良く、私に興味を持って色々質問してくれる。そして感想や自分の考えも返してくれるので会話が楽しい。見た目やんちゃそうなのだが、振舞いから育ちは良さそうだし、美容やおしゃれに興味があるところも気が合った。

こっちの話も全部自分の話に持っていって一方的に自分のことばかり話す人、自分のことは全く話さない人、こちらの会話に一切共感してくれない人。まあこれらの人はしんどい。

子供がいる人とは話が合わないとずっと思っていた自分も視野が狭かった。旅をしているとまだまだ新しい発見がある。そして途中から彼女のお子さんと遊びだしたのだが、これもめちゃくちゃ楽しくて可愛くて愛おしかった。また会いたいな。

この日は盛り上がり過ぎて2人でワイン2本を空け、フラフラになりながら歩いてホステルまで帰る。


次の日。
またリュウから「SPAに一緒に行かないか?」と誘いがあったが断った。マッサージも併設しているプールがあるらしい。だけど今日もチャウシェスク邸を予約している、ごめん。

歩いて地下鉄の駅へ。宿の目の前からトラムが出ているが、10分歩いてでも地下鉄に行った方が速い。

トラムは無賃乗車可能だけど(検察庁来たら罰金)、地下鉄は改札あるのでクレカタッチで乗る。

チャウシェスク邸(Palatul Primăverii)

ここもガイドツアーのみ。前日にHPから英語ツアーを予約しておいた。

外観。チャウシェスク夫妻が住んでいた私邸で、非常に豪華な内装が施されているらしい。住宅デザインの仕事をしていたので昨日の館よりかなり興味がある。

高級絨毯が敷き詰められているそうで、中はこの靴カバーをつけて入る。

チャウシェスク夫妻。処刑された人の自邸を博物館にするなんて・・・と、この写真を見ると切なくなるが、よくよく考えたらベルサイユ宮殿もそうだ。
国民の貧困さに目を向けず、贅沢三昧をしていると罰せられるって、この夫婦はフランス革命から学ばなかったのだろうか。

中は撮影禁止。GoogleMapに写真をアップしている人がいるので数年前まではOKだったのだろう。
以降、ツアーが終わった後の庭と出口までの通路の写真。

邸宅は、豪華な家具や美術品で飾られ、プライベートプールやサウナ、映画館、インナーガーデンまである。
プールはジムにある位大きくて深い。水の無駄使い・・・周囲は綺麗なモザイクタイルで装飾されいくらお金かかったんだろうって感じ。

内装は昭和の少し古臭いクラッシックデザイン。いくつものリビングルーム、個室全てにシャワールームとトイレ。エレナ・チャウシェスクが使用していた豪華なドレッシングルームには彼女の服や靴、バッグもそのまま展示されていた。彼女自身も強い権力を持っていた証拠だ。

1時間のガイドが終わり庭で解散。とにかく今では手に入らないような高級木材やタイルが、家にも家具にもふんだんに使われていて見ごたえがあった。絨毯も相当大きくて高級そうだった。

ツアー客は30人位いて大人気。見て回るには多くて窮屈だった。ガイドはかなりゆっくりの英語で話してくれたので理解出来た。隠し撮りしている人も何人かいたので私も撮りたかったな。

出口までの通路に貼ってある写真。各国の首相とよく写っている。

チャウシェスク夫妻はこの邸宅で多くの政治家や外国の賓客を迎え入れ、自分たちの権威を誇示していたらしい。しかしその一方で、邸宅の外では多くの市民が貧困に苦しんでいたという現実を思うと滑稽でならない。

人は権力を持つとここまで周りが見えないものか。欲望には終わりがないのか。など考えさせられる。
軍事裁判にかけられ判決が出てから、わずか10分で刑が執行されたということは、国民の怒りは相当凄まじいものがあったのだろう。その原因の贅沢三昧の象徴がこの邸宅と昨日の国民の館だ。

帰りはバーガーキングで食事してからまた地下鉄で宿へ戻る。

本当は今日ブカレストから北の街のブラショフへ移動する予定だったが、安宿が埋まっていて、ブカレストの倍の金額になっていたのでもう1泊することにした。
もう少し安い宿へ移った。中心地から外れているがこっちの方が静かでいい。昨日のところは朝食付きのせいか人気で人が多過ぎで落ち着かなかった。

色々発見があったブカレスト、来て良かった。

明日こそドラキュラ伯爵の城から近いブラショフへ移動する。


ブルガリアのソフィアからルーマニアのブカレストへ。宿の人らとの観光はキツイ・・・(Day434-5)

1€(ユーロ)≒168円、1ブルガリアレフ≒84円、1ルーマニアレイ≒33円
ブルガリア3日目、ソフィア3日目

ブルガリアのソフィアからルーマニアのブカレストへ深夜バスで移動する。夜まで宿の共有スペースで過ごし、バスステーションに移動。

ブルガリアの印象

ブルガリアはリラ修道院とヨーグルトの印象しかないが、宿やスーパー、チケット窓口、ツアーガイドの人など、愛想良くて親切だった印象だ。

バスステーションまでのトラムに乗る時も、バス停で一緒になった地元のブルガリア人のおっちゃんが片言の英語で必死で駅まで道案内してくれた。いや、GoogleMAPあるから分かるんだけど…
トラムはクレカタッチで乗れるけど、やはり地元の人は誰もお金を払っていない。

ソフィアのバスターミナル

ルーマニアは治安が悪いイメージ。昼に着くバスに乗りたかったが、バスはルーマニアのブカレストに夜中1時に着くか、朝6時に着くかの2択しかなかった。仕方なく朝6時を選択。

バスターミナルは賑わっていた。ここからイスタンブール行きのバスが本数が多い上に満席だ。ここはもうトルコに近いのか。

23時。いつもの緑色のFlixバスが来るかと思ったがイカツイ柄のバスが来た。運転手もプロレスラーのような雰囲気の人で男なのか女なのか分からない。女・・・かな?

バスは乗車率50%位で、1番後ろの座席を独り占めして足を伸ばせて寝れたのでこれまでの深夜バスで1番楽だった。後日ルーマニアで会ったAmさんは、同じ経路でもう少し安いバスに乗ったら満席で、隣の座席の女性の手がずっと鞄のチャックに伸びてきて、財布をすられそうになったらしい。治安・・・

ブカレストのバスターミナル

トイレ休憩でも起きずに後ろの座席で爆睡していたが、朝の5時にパスポートコントロールで叩き起こされた。ブルガリア出国とルーマニア入国の2回。あと警察の検問が1回。なので睡眠不足。

6時半にルーマニアのブカレストに到着。8月はこの時間で十分明るい。外を歩いて大丈夫そうだ。

終点なので全員が降り、バスから全ての荷物を取り出される。そして誰も引き取り手のない大きなボロイ鍵のかかっていないスーツケースが1つと、大騒ぎする男性がひとり。どうやらスーツケースが無くなったらしい。

「これじゃないの?」
「こんなボロイやつじゃない!!」
運転手は「知らん。」と言って荷物が全部下ろされたのを見届けると去っていった。

初めから狙ってスーツケースをすり替えられたんだろうな。鍵がかかってないスーツケースなんて不自然だし。余ったスーツケースには女性用のピンクのヘアゴムが付いていたから、途中下車した女性が、これの代わりに高そうなスーツケースを持って行ったのだろう。
ルーマニア、早速治安が悪そうだ。

バスターミナルからホステルへ移動

ブカレストもクレカタッチで地下鉄、バスに乗れる。

あの男性はあの後どうしただろう。ソフィアのバスターミナルで1番に並んで1番奥に荷物を入れておいて良かった。同情しながら宿へ向かう。

Nest Boutique Hostel

7時にホステル到着。しかし入口に鍵がかかっていて、ブザーを鳴らしても誰も出ない。Booking.comに掲載されている電話に掛けてもWhatsupで連絡してもメールしても返事がない。駅のトイレが有料だったから行ってなくて、めちゃめちゃトイレ行きたいんだけど!!

8時過ぎにレセプションが出勤してきた。こういう大型タイプのホステルはオーナー=レセプションじゃないから電話しても出ないのは仕方ない。トイレは裏口が開いていたからそこから入ってさせてもらっていた。セキュリティとは?

14時からしかチェックイン出来ないと言われたので後で撮った写真。
女性専用ドミトリー55レイ(1,860円)。
静かで民度がいい。アテネだけなぜあんな民度が低かったのだろう。

国立村落博物館(”Dimitrie Gusti” National Village Museum)

シャワーを浴びたいと思いつつ共有スペースにいると、台湾人の男の子が話し掛けてきた。今から皆で国立村落博物館に行くから一緒に行かないかと言う。たまには宿の人らと過ごすか・・・と誘いに乗ることにした。

彼の他はタスマニア人のおばあ様とアメリカ人男性、フランス人女性。2チームに分かれてUberで博物館へ向かう。

私のチームは台湾人のリュウとタスマニア人のマリー。入場料が学生のリュウは8レイ、退職者のマリーは15レイ、私だけ30レイ。皆私の半額以下!
2人ともチケット売り場の人に身分証を見せろと言われなかった。リュウは28歳なので本当に学生なのか怪しい。法律を勉強しているとは言ってたけど。

なんか私だけ損してる気分だなー。ヨーロッパは65歳以上は、どこの博物館や美術館も割引があるので定年してからヨーロッパを周るとお得だ。

ルーマニア語と英語で解説の看板あり。ルーマニア各地から移築された伝統的な家屋や農業用建物が並ぶ。

これは教会の内部。民族衣装もある。

日本の縄文時代の竪穴式住居に似ている。リュウに「日本も昔こんなのだよね?」と言われたが台湾もそうだったのだろうか。

私は仕事柄、凄くこういった建物に興味があるんだけど・・・

最初全員興味深々で解説を読んだり写真を撮ったりしていたのに、途中からマリーがベンチに座り出す。そしてその時間が長くなる。年配だから仕方ないよね。

リュウは建物よりインスタ映えスポットを探しているようだ。夏なのに長袖ジャケットと中折れ帽、動画を何度か撮らされた。

マリーは1時間歩いた所でとうとう休憩すると言い出した。まだ3分の1も見てないのに。中はかなり広い。

ジュース、コーラ、アイスで談笑するが、お喋りなマリーの話は止まらない。
私は台湾人のリュウの言っていることは聞き取れるのだが、タスマニア出身、つまりオーストラリア人のマリーの英語は速過ぎて全く分からない。Google翻訳も追いつかない速さだ。内容も娘の精神的疾患のことから義理の息子の愚痴、政治・世界情勢についてなど多岐に渡り、私の語彙力では聞き取り不可能。

こういう場面になる度に、もうどれだけ頑張っても英語習得は無理、諦めようと毎回思う。

全員ドリンクを飲み終わって、いざ観光に出ようと思ってもリュウが「君のアイス美味しかったから僕も買ってくる!」とアイスをオーダーしに行く。

なんでやねん!最初に頼まんかい!!

結局休憩している時間の方が長かった・・・ブカレストには2泊しかしないつもりだったから、今日はこの他にあと2か所は観光地を周りたかったのに到底無理な計画だ。

今から3人でこの近くでご飯を食べようと誘われたが、まだ見ていない残りの古民家を見たいので「深夜バスで眠いから先に帰ってるよ、ごめんねー。」と断ったのだが、2人とも私について来ると言う。なんでー。日本人には伝わる婉曲な断り、表情から読み取れる言葉の裏に隠された「ひとりでチャッチャと周りたいの!」という空気感が彼らには伝わらない。

深夜バスでは5時間位しか寝ていないので本当に眠いのだが、帰りも「こっちの出口から帰ろうよ。」など意見が分かれ、なかなか宿に辿り着かない。眠いと言っているのにリュウは「あ、あっちに台湾のタピオカミルクティーのお店あるから紹介するよ!」と寄り道させられた。日本人なら空気の読めない人だな。それか私が協調性が無さ過ぎるのか。

海外の人と交流してこそ旅の醍醐味だと思うのだが、ヨーロッパは物価的に速いペースで周りたいのでイライラの方が募ってしまう。

ホステルに戻ってからは本当にシャワーを浴びて仮眠した。

目が覚めるとすっかり夜になってしまい近くのルーマニア料理のレストランやスーパーは閉まっていた。20分位歩いて、開いているトルコ料理のお店に入る。高かったがお店の人も愛想良くて美味しかったのでよしとしよう。

帰り道。宿の近くは誰も歩いていないのでやはり怖い。中心の観光地なら大丈夫そうだが。
安全を取って1駅だけだがトラムに乗って帰った。トラムには女性の乗客も乗っている。
トラムもクレカタッチだがリュウが無料で乗れたと言っていた。たまに検察官のおばさまが乗っていて、無賃乗車がバレると何十倍も罰金なのだが。

やはり私は旅先での集団行動は向いてないな。
今日の観光は、誘われてからも皆テラスでだらだらお茶したり朝食を食べたりしていて、出発したのは1時間以上先だった。ここに4泊も5泊もする彼らは、のんびりすることも旅の目的なのだ。2週間の休暇で来ている彼らと180日のシェンゲン協定内でヨーロッパを周らないといけない私とは旅の種類が違う。

彼らには悪いが、明日からはまた1人で行動しようか・・・そんなことを思いながらこの日は寝た。

北マケドニアからブルガリアへ、しょっぱなから散々のソフィア。リラ修道院へ行く(Day433-4)

1€(ユーロ)≒171円、1ブルガリアレフ≒84円
北マケドニア3日目、スコピエ3日目

今日はブルガリアのソフィアへ移動する。

北マケドニアのスコピエからブルガリアのソフィアへバス移動

宿のオーナーの息子さんは昼過ぎにしか出勤してこないので、挨拶なしで8時に宿を出る。
それにしても頭が割れるように痛い。昨日ニュージーランドの男の子と飲んだ赤ワインのせいだ。スペイン産と言っていたが、かなり質が悪かったのか、自分の体調が悪かったのか。

駅までは徒歩5分。余った170マケドニアディナールをバスターミナルのカフェの愛想の良いお姉さんに見せ、全部パンに変えてくれとお願いした。このパンが明日リラ修道院でのランチ代わりになり助かった。リラ修道院には高いレストランが1軒あるだけだったから。

今日も鉄道駅にホームレスのおっちゃんがいるかと覗いてみたが、荷物はあったがお出かけのようで不在。ちょっと寂しい笑
8時半のチケットは昨日購入してあるので1番の乗り場から乗り込む。ミニバスはほぼ満席で座席指定はあるが好きなとこに座っている。皆1番後ろの席はリクライニング出来ないから嫌らしく、5席全部空いていたのでそこをゆったり使わせてもらった。1,600ディナール(4,360円クレカ可)と結構高い。

パスポートコントロールは、北マケドニア側は自分らで降りてやり、ブルガリア側はバスのなかでポリスが全員分集めてやってくれた。バスの運転手がやってくれるパターンもあるのし、これは国境によるのか。

降りてバスがやってくるのを待っていると、電柱の上でコウノトリが子供に餌をあげていた。電柱が低いので距離が近くて迫力ある。子供は親と同じ位の大きさだがまだ巣立ち出来ないんだろう。

14時過ぎ、ブルガリアの首都、ソフィアに到着。この国境超えはたった2時間で着くのでもっと遅い時間のバスでも良かったかも。そしてこの時間になってもまだ二日酔いの頭痛が治らなかった。

悲劇①バスチケット購入失敗

ソフィアのバスターミナルは横に鉄道駅があったので覗いてみたが、ルーマニアのブガレストまでのチケットは高かった。FlixbusのHPで明後日のブガレストまでのバスの料金を調べると、安いやつで4,000円であったが、念のためバスターミナルにあるツアー会社で値段を聞いてみる。

チケットカウンターのお姉さんに「100〇※△」と言われ、単位が聞き取れなかったが自分のスマホでレートを見ると4,000円より安かったので購入。

これが大失敗。

さっきまでルーマニアのことを調べていたので、二日酔いのせいなのかルーマニアの通貨単位「レイ」で計算していた。ここはブルガリアなのに。
クレカのレシートを見ると「100レフ」となっていて計算したらなんと8,400円!!慌ててキャンセルをお願いしたが、キャンセル手数料50%を取られた。キャンセル手数料4,200円を払ってネットで4,000円のバスチケットを購入。意味ない行動笑 

チケットカウンターのお姉さんが「なんでキャンセルするの?」と言うので「ネットだと半額以下じゃ!なんでここそんなに高いねん!」と言うと「知らんがな。」と言われた。
4,200円分のブルガリアレフで返金してくれたので、ATMで現金を引き出す手数料代が浮いたと自分を慰める。

ブルガリアは北マケドニアより少し都会な感じ。高層ビルまではないが。

GoogleMapで経路が出るのでトラムで宿まで移動。トラムはクレカタッチで支払いが出来るが、ここもセルビア同様、現地の人らは誰も料金を支払ってないようだ。1回1.6レフ。

Hostel Mostel

宿は20人部屋ドミトリー8.4€。
1階の共用部分が広く、皆とコミュニケーション取れる設計なのはいいが、20人部屋は屋根裏でたわんだマットレスが敷いてあるだけ。

窓は小さな天窓1つで薄暗く換気が出来ていない。男性たちの体臭でもわっとしている・・・おえー。女性は私を入れて2名のみの満室。
写真だと明るく写っているけど、エアコンないし臭いし奴隷船の雰囲気。エアコンは夜になると点けてくれた。そして凄い太ったホテルスタッフが、夜、入口付近のマットレスに寝に来るのだが、彼のいびきが凄かった。

悲劇②スマホの画面割れる

早速観光しようと外に出て、信号が変わりそうになるので走ったら、ズボンの裾を踏んでしまい思いっきり派手にこけた。痩せたのでずれてくるのだ。
両膝ずる向けなのは治るからまだいいが、スマホの画面がバキバキ。見にくい、凄い見にくい。

さっきの4200円の損といいブルガリアに着いてから散々なことばかり、旅が嫌になってきた。

ソフィア観光

聖ネデリャ教会

奇蹟者聖ニコライ聖堂

カザフスタンにもあったロシア系の正教会。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

モスク風。地下に博物館がある。

悲劇③国立考古学博物館と地下遺跡を間違えて入場

で、国立考古学博物館に入ろうとGoogleMapを見ながらここ!と思って6レフ払って入ったら、あっという間に終わった。ただの地下浴場遺跡。おかしいと思い調べたら微妙に位置がずれている施設に入っていた。この遺跡、お金払って入らなくても半分は外に展示されている。入る意味があるのだろうか?

まだ二日酔いの頭痛が続いているが、頭が痛いと思考が働かなく、何もかも上手くいかない。何もかも失敗する。ここまで嫌なことが立て続けに起こると、もう帰国した方がいいかなという考えもよぎってくる。

国立考古学博物館

気を取り直して本来行きたかった博物館に行ったが、18時閉館で入れなかった。縁がなかったんだな。


リラ修道院の自力での行き方

ブルガリアに来てリラ修道院に行かない人もいないだろう。
しかし飽きている。修道院、教会、大聖堂。行くか悩んだがソフィアはこれが目玉だしこれ位しかないし・・・行くことにした。修道院に宿泊するのを勧めるインスタも見たが、そこまではいいだろう。

自力での行き方を調べると、コロナ以降はソフィアからの直行便はなくなったようだ。
Автогара Овча Купелというバス停まで地下鉄で行って、そこからドゥプニツァ行きのバスに乗る。これが1日2本な上に、季節に応じで時刻が変わるらしい。ドゥプニツァの街からはリマ修道院行きのバスに乗ると到着。帰りも1日2本・・・・

って失敗しそうな予感しかせんわっ。今のこの不運が付き纏う私だと。

自力で行ってもバス代を計算したら2,000円以上かかる。ツアーは嫌いだが4,000円でGetYourGuideであったので、大人しくそれを申し込んだ。もうひとつ小さな教会見学もついてくるし。

リラ修道院ツアー

朝9時に集合場所の昨日行ったアレクサンドル・ネフスキー大聖堂の裏に行く。様々なツアー会社のバスが何台も停まっていた。やはりソフィアはこれが目玉なのだろう。
そこにソフィアに来る迄のバスで一緒だった台湾人の女の子もいたので盛り上がる。

11時、真っすぐリラ修道院に到着。楽だ。ツアーは実に楽だ。
ここでガイドに「3時間後にバスに集合」と言われ下車。

3時間?!

洞窟に行くトレッキングコースに行ってもいいよとのことだったが、道が分からないし他の人らと同様、ガイドについて行ってリラ修道院を見る。

リラ修道院とは

10世紀に聖イヴァン・リルスキーによって創設された今でも現役の修道院。オスマン帝国の支配下でも、ブルガリアの民族意識とキリスト教の信仰を保持していた聖地、世界遺産。ブルガリア・ルネサンス様式で、独特のフレスコ画や木彫りの装飾が美しい。これまで見たイコンと違い、色彩がかなりカラフルだ、破壊と再建を繰り返し、19世紀に今の形になったらしい。内部は圧巻の美しさだが撮影禁止。

部屋がいっぱいあって安い金額で宿泊も可能。要事前予約だけど空いていたらいきなり来ても泊まれるようだ。

中のフレスコ画がこれまで見たどの教会よりも色鮮やかで綺麗だった。

中は撮影禁止。これらは外のイコン。

で、ここで3時間もどうしろと?
他の客のTシャツを眺めて過ごしたがとても3時間もいれそうにない。

博物館は2個あるが、現金払いのみで宿代をレフで払ったので手持ちの現金がないのだ。外に出てレストランで食事でもしたら時間が潰せるかと思ったが、Googleの口コミが最悪な上に値段がめちゃくちゃ高い。そりゃ1軒しかないから。

隣の売店に人が群がっていたのでそこで2レフで飲むヨーグルトを買ってみる。

まっずー。甘くない。全然甘くないので不味すぎる。

自力で来た方が30分位で帰れて良かったのかな~でも帰りのバスも1日1本だし時間分からないし。話し相手がいないとバス待ちが暇そうだ。同じバスの他の人らも暇を持て余しまくっていた。

やっと14時になりツアーバスに乗り込む。なんでこんなスケジュールなんだろう。

ボヤナ教会

16時、ソフィアの近くボヤナ教会に停車。小さな教会だが世界遺産らしい。

入口も中も小さな教会で13人ずつしか入れない。3回に分けてツアー客らと入って中のフレスコ画を鑑賞。ここも中は撮影禁止。

17時ソフィアに到着して解散。

温泉が湧き出ていて皆が汲んでいる横を通る。ちょっと飲んでみたが生ぬるい水なんて美味しいわけがない。

夜ご飯はレストランを探したが土曜日はどこも閉まっていた。やっと開いているとこを見つけて入ったが混んでいて散々待たされ、出てきたのはホッケだった。

最後までブルガリアの魅力が良く分からなかったので、余った現金でスーパーでヨーグルトを買った。高かっただけにこれは美味しかった。

首都じゃなくもっと他の都市へ行ったらブルガリアも素敵な場所があったのだろうか?調査不足で首都移動が主な経路になっている。

明日はルーマニアのブガレストへ移動する。ルーマニアはドラキュラ伯爵のいた国なので興味がある。楽しみだ。