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1人旅好き。2022年12月に世界一周出発。

タンザニアのザンジバル島へ、無人のパジェ(Day337)

タンザニア3日目
100TZS(タンザニアシリング)≒6円

ザンジバル島行きのフェリーターミナル

8時半。タンザニアのダルエスサラームのフェリーターミナルに着いた。
Uberを降りた瞬間からポーターの男たちが寄ってきて、人の荷物を勝手に頭に乗せて運ぼうとする。チップを払いたくないので「自分で運ぶから。」と断固断るが「窓口はこっちだ。」と案内してくる。いや、窓口もう見えてるから分かるし。
タンザニア人、もしくはフィリピンでもそうだったようにフェリーターミナル付近の人らはかなりウザイ。

窓口に行くと、次の9時半のフェリーはエコノミークラス35$は満席。60$のVIPクラスしか席がないという。その次のフェリーは12時半だった。60$は高過ぎるので12時半のチケットを購入したが、あと3時間も観光客丸出しの荷物を持ったまま、最凶都市のダルエスサラームを観光できるだろうか。

12時半のフェリーチケットで9時半のフェリーに乗り込む

取り敢えずトイレに行こうかと、窓口まで一緒に歩いただけでチップをせがんでくる男を振り切り、その辺の人にトイレの場所を聞いた。聞いた人もポーターでトイレはフェリー乗り場の建物の中にしかないと言う。入口にはセキュリティーチェックゲートがあり、一度中に入ると出て来れそうにない。

「待って。私のチケットは12時半なのでまだ中に入れないよ。」と言ったのだが「9時半のフェリーに乗りたくないか?安心しろ。9時半のフェリーに乗せてやる。」と言われた。
とにかくトイレに行きたかったので男と一緒にセキュリティーチェックを抜ける。

トイレから出たら正面に通路が2つあり、左が乗客用、右が荷物用だった。ポーターの男はついて来いと手招きして右の荷物用の通路をスイスイ通って行く。
私も後に続いたが私は入口にいたチケットチェックの人に止められた。ポーターが何か言い返している。それでもチケットを見せろと言われたので、しれーっと見せると乗船時間など全くチェックしておらず通過出来た。左の長蛇の列となっている乗客通路を眺めながらスイスイと荷物用通路を通る。その後もう1度チェックがあったがそこも通れた。

だがいよいよ船に乗り込む場所でチケットをバーコードリーダーにかざさないといけない場面になった。チケットをかざすと当然変な音が鳴る。チェックの人に変な顔をされ「チケットを見せろ。」と言われ、乗る時間が違うことに気付かれてしまった。もはやここまでかと思ったが、チケットを破かれただけで「通れ。」と言われ乗船することが出来た。いいんだろうか。
ポーター男は「どうだ。俺の言った通りだろ?」と得意気だ。
3時間も時間が短縮出来たことに感激し、かなりの金額のチップを奮発した。時間はお金より貴重だし。ポーター男も嬉しそうに帰っていった。

フェリーでダルエスサラームからザンジバル島へ

出発直前のフェリーに乗り込むと座席がほとんど空いていなかった。私みたいに満席のはずのフェリーにこっそり乗り込んでいる奴がいるのだから当然だろう。フェリーに乗り込む長蛇の列をスルー出来たお陰で座席を確保できた。あれに並んでいたら座れなかっただろう。

席がなくて立ち乗りの人たちが何十人もいた。座席数以上に販売しているっぽい。デッキに出ると更に座席がなくて座り込んでいる人たちがいる。

1時間半後にザンジバル島に到着。同じタンザニアなのに、入国カード記載とパスポートコントロールがあった。

ザンジバル島のストーンタウンからパジェへダラダラで行く

ザンジバル島はフレディ・マーキュリーの生誕地らしいので、フェリー乗り場があるストーンタウンにはその博物館がある。しかしパスしてミニバス乗り場へ急ぐ。

ミニバス乗り場はここ。ミニバスはザンジバル島ではダラダラと呼ぶ。

ザンジバル島に行ったことがある人らに、ザンジバル島は西側のストーンタウンではなく、東のパジェの方がずっといいと聞いていたのですぐにパジェに向かうことにしたのだ。

ごつごつした石や歩きにくいドロドロの道を抜けてミニバスターミナルに行き「パジェに行きたい。」と言うと「これだ」と乗り合いバスに乗せられた。相場が分からないので言われるがまま1500TZSを払う。

15分位走ったところで降ろされ乗り換えろと言う。降りたら直ぐ「どこへ行く」と聞いてくる男につかまり「パジェ」だと言うと「10!!」と言われた。いくらなんでも乗り合いバスがダルエスサラームで乗ったUberより高いわけはないと思い何度も聞くが「荷物があるから10!」しか言われない。10とは恐らく10,000TZS(600円)のことだろう。45分は乗るのでそんなものなのだろうか。
この男から逃れられず仕方なく「これに乗れ」と言われた乗り合いバスに乗り込む。集金の男に10,000TZSを渡しお釣りをくれないか期待したが、私がつかまった男とグルのようでお釣りはもらえなかった。

・・・後日同じ経路を戻る時に、行きは正規料金の5倍ボラれていたことに気付く。1本目は500TZS(30円)2本目は2,000TZS(120円)だった。つまりたったの150円で島の東から西へ移動出来てしまうのだ。

騙してきたタンザニア人、くたばればいいのに。

恐らく他の客の集金金額に気付かれないように1番前に乗せられた私は、そんなことも知らずご機嫌でパジェに到着。

Tamu House(パジェの宿)

そこから歩きたくないのでBooking.comで見て目の前に口コミのいい宿があったのでそこに宿泊することにした。まだチェックイン時間前だが、女性オーナーが部屋に案内してくれた。

10人部屋ドミトリー。エアコンもファンもあり、とても綺麗で申し分ないが他に人の気配がない。どうやら雨期でシーズンオフなので宿泊客は私だけのようだ。リゾートの島でこれは・・・淋しい。

その後もキッチンでもずっとひとりぼっちだった。

パジェの海岸

シャワーを浴び海辺へ向かって歩いてみる。途中のお土産屋の店員が次々に「ジャンボー!!(スワヒリ語の挨拶)」と挨拶してくれる。モシの人らのようにしつこくはなく、人も良さそうだ。

海岸に出た。曇っていても海の水の色も白い砂浜もとても綺麗だった。確かに「アフリカの楽園」と言われるだけある。晴れればとても美しい景色が見られることだろう。

昨夜からずっと移動しているので疲れを癒すためにぼーっと海を眺めていたかったが、すぐにマサイ族の男の子らに声をかけられた。住んでいる場所や宗教、家族のことなど色々聞いてくる。海岸を歩き出してもついてくる。座ると横に座って会話してくる。彼の目的がよく分からなかったが、何か要求されることもなく会話だけで終わった。

パジェの地元食堂

お腹が空いてきたので宿に戻る。

パジェには野菜や果物が沢山売られていてどれも安い。自炊すればかなり食費は抑えられそうだ。

目の前の食堂に入る。手前にもっとおしゃれな観光客向けのバーやレストランがあったが1,000円以上したので地元の人らが入っているカレー屋にした。
椅子やテーブルなどの衛生状態を見るとなかなか勇気はいる。

カレー2種で2,000TZS(300円)。
モシで両替した100$が残り少ない。帰りのミニバス代も10,000TZSするなら食事をかなり削らなければ。

行きのミニバスが盛大にボラれていたとは露知らず、そんなことを考えながらひとりぼっちの宿で就寝した。

モシのティンガティンガアート見学、ダルエスサラームへ移動(Day336-337)

タンザニア2日目
100TZS(タンザニアシリング)≒6円

バスターミナルで今夜のダルエスサラーム行きのチケットを購入した後「Tinga Tinga Artist Cooperative」という場所をGoogleMapで見つけたので行ってみることにする。

ティンガティンガアートとは

1960年代にタンザニアのダルエスサラームで生まれた伝統的な絵画スタイルで、主にアフリカの動物や植物、自然を描いた作品が特徴的なアート。 6色のエナメルペンキ(黒・白・赤・青・黄色・緑色)を使い、下書きなしで自分を信じて描き切る手法。

とのこと。

バス停まで案内してくれた男性2名は、私がチケットを買った後でもまだついてくる。その先でお土産屋をやっているから見るだけでも来ないかとのこと。
断って離れ、バス停の建物をウロウロした後も建物を出たら「やあ!また会ったね。」といる。完全にロックオンされてる。昨日の再来だ。

その後も「お土産屋には行かないよ、ごめんね。」と言いながら早足で逃げ、大きなレストランの中を通り抜けてまいたのに、しばらくして振り返ったらいた。探偵につけられるのってこんな感じなのかな。タンザニア人、本当しつこい!「僕のオフィスはこっちだよ!」と言う男性を振り切り目的地の方向へ走る。

Tinga Tinga Artist Cooperative

GoogleMapの口コミも少ないしネットにも情報はないけど、どんな所だろう。

歩いて行く途中の道もアーティスティックだ。

入り口に到着。建物が10軒ぐらいあり、中に居る人達がにこやかに呼び込みをしてくる。

まずは一番左のお店から。絵を見るだけでワクワクしてくる。

お店の人がティンガティンガアートの説明を丁寧にしてくれる。動物、マサイ族の絵が多い。原色使いの絵は独特で、魅せられて欲しくなってきた。

お礼を言って次の店に向かう。特に売りつけようともしないし、写真や動画もOK。むしろこの場所を広めてくれないかと言われた。いっぱい説明してくれたのにお金を要求してくることもない。いい人たちではないか。

こっちは木のプレート。アーティストによってデザインや塗り方も違う。

バナナの樹の皮を伸ばして描いたポストカード。かなり説明してくれたお店ではお礼も兼ねて購入したポストカード300円、絵画1500円位。とても喜んでくれた。

アートに触れ親切な人に触れすっかり気分が良くなった。帰りに市場にも寄ってみる。これまで中東で見てきた市場と変わらない感じ。

宿のテラスからまたキリマンジャロを見てみる。やはり厚い雲がかかっていて、恥ずかしがり屋なので早朝にしか見れないというのは本当らしい。今朝見れたのはとてもついていた。

Coffee Union Cafe

宿のすぐ近くに、観光客用の高級なコーヒーショップがあるので行ってみる。キリマンジャロコーヒーをキリマンジャロを眺めながら堪能するために。

ホットドッグとコーヒーで11,000TZS(660円)。タンザニアの物価からするとかなり高く、欧米人しか入ってない。コーヒーは宿の食堂で飲む方が安くて美味しかった。

モシのバスターミナルへ

ドミの同室のおじいちゃん、感じのいいオーナーに別れを告げ、21時発のバスに乗るためにバス停と向かう。10分位の距離だが、お店は全部閉まっているし街灯がなく真っ暗。強盗に遭ったらひとたまりもないだろう。ひとりで歩くのは結構怖かった。

バスターミナルに到着し、話しかけてくる人たちにチケットを見せると「ここで座って待っていろ」と言う。
そのまま21時を過ぎても1間以上放置され、すごく不安になる。どうやらここが始発ではないので、バスが遅れているようだ。

22時過ぎにやっとバスが到着。私がバスへ向かうと近くにいた男の人たちが勝手に私のミニスーツケースを運んでチップを取ろうとするので制止して自分で運ぶ。
そういえばエチオピアでは夜はバスは走れなかったし、ザンビアもそうらしい。ケニアとタンザニアはOKのようなので1泊宿代が浮く夜行で移動出来る。このバスでダルサラームへ向かう。

モシからダルエスサラームへ

座席は2列2列のバス。空いていたので2席使えてラクチンだった。ただ5台位天井にあるTVがずっと大音量でついていて耳栓がないと寝れない。

トイレ休憩も適度にある。タンザニアでの大型バス移動は結構楽ではないか。

夜が明けてきた。こんな亜熱帯の景色が続いていて、本当にこれから凶悪都市ダルエスサラームに着くのが信じられない。

ダルエスサラームのバス停に到着。ダルエスサラームはタンザニアの首都というだけで特に見どころはないらしいので、このまま行きたかったザンジバル島へ行く。

Uberを呼んでフェリーターミナルまで向かう。運転手は愛想が悪かったので会話しなかった。途中で警官に止められ、何か違反切符を切られていた。スマホのながら運転だろうか?厳しいな。

タンザニアのダルエスサラームでは流しのタクシーに乗ると、100%位の確率でタクシー強盗に遭うらしい。凶悪都市過ぎるだろ・・・
どんな街だったのだろう。怖すぎなのでUberで通り過ぎるだけにする。

もうすぐフェリーターミナルだ。

ケニアのナイロビからタンザニアのモシへ移動(Day335-336)

タンザニア1日目
100TZS(タンザニアシリング)≒6円

早朝のバスでケニアからタンザニアへ

朝4時のバスでナイロビからタンザニアのモシへ移動する。

真っ暗だけど、宿のすぐ側のバス会社でチケットを購入し、そこに集合なので大丈夫。
ここに宿を取って良かった。

相変わらずバスの近くへ行くと凄い勢いで「どこへ行くんだ?!」と話し掛けられる。

予約時は4列席の座席表を見せられて窓側の席を予約したのに、バスは3列座席で真ん中の席だった。ゆったりしていて移動は楽だった。

ケニアとタンザニアの国境

2時間でタンザニアとの国境のナマンガに到着。ケニアのイミグレもタンザニアほイミグレも横に並んでいる楽な建物。
タンザニアビザ50ドルを現金支払い。入国カード記入必須。

後日、この国境を通った日本人にケニア側のイミグレでビザを延長していることに難癖をつけられ200ドルを要求され、払わないと通れなかったので泣く泣く払ったと聞いた。ケニアは警察などの賄賂要求が酷いと聞く。
私はケニア側もタンザニア側も他の乗客よりもスムーズに出入国終了。
こういうのって担当によるし運だな。

他の乗客が入国審査で引っ掛かっていたので、待たされている間に明るくなってきた。
国境は閑散としていて両替屋など見当たらない。ケニアのお金を使い切っていて良かった。

バスは広大な景色の中を走り、乗客もどんどん入れ替わる。

タンザニアのアルーシャに到着

9時。アルーシャという町に着いた。ここもキリマンジャロへの登頂やサファリが有名な町だ。
キリマンジャロに登るのって3泊4日だっけ?会社の先輩は大学生の時にチャレンジして高山病が酷くて最後の1日で断念したと言っていた。私も高山病にすぐなるし、体力的にチャレンジする気はない。

今は雨期なので毎日数時間、雨が降る。
バスが停車すると写真のような物売りがバスに入ってくるが、押しつけがましくなく控え目ですぐ去って行く。バナナ、お菓子、水だけでなく時計、モバイルバッテリー・・・そんなもの買う人がいるのかと思うが、たまに売れていたりする。

タンザニアのモシに到着

11時。出発して6時間でタンザニアのモシに着いた。
バスを降りると客引きにしつこくついてこられたが、断って宿まで15分ほど歩く。

Climbers Home(ホテル)

ドミ1泊17000TZS(1000円)。2階がレストランで料金も安くて美味しい。かなりお勧めの宿。

予約していたホテルの目の前まで来たらドレッドヘアの若い男性に「ホテルを探しているのか?」と声を掛けられた。ホテル名を言うと「ここだよ。」と言いながら勝手に人のスーツケースを持ってホテルのレセプションまで上がる。
自分で運べるし、チップ目当てだから苦手なんだよな・・・こういうぐいぐい来られるの。

ホテルのオーナーの男性は落ち着いた信頼出来そうな人だった。
ドミトリーはスイス人の定年後ゆっくり旅しているおじいちゃんと二人きり。ベッドに蚊帳がついていた。タンザニアは蚊が多くてマラリア予防なんだろう。今の時期は少ないのか私は全然刺されていないが。

ずっとあとをつけてくる男

1歩宿を出て歩き出すと、先ほどスーツケースを持ってくれたドレッドヘアの男性がずっとついてくる。「どこへ行く?モシで何をする?」まずはATMでお金をおろしたいしので「銀行行くの」と断るのだが断っても断っても行く方向を急に変えてまいてもついてくる。この迷惑がって走って逃げている感じが全然伝わらない。

銀行を3つ訪れてATMは3台試したが500円以上の手数料が表示された。表示されても明細からは引かれていないパターンかもしれないが・・・
その間もドレッド男は「銀行行くの?場所教えるよ!」と陽気につきまとってくる。銀行の場所はオーナーに聞いてるしチップをせがまれるのはごめんだ。
手持ちの100$を両替した方が手数料がかからなくていいかなと思い、ドレッド男をまいてから銀行に戻り、警備員に「両替したいんだけど。」と言うと後ろからまた「両替所?俺知ってるよ!」とドレッド男がひょっこり現れた。
!!!かなり遠回りしてまいたのに!恐怖でしかない。「なんでついてくるんだ!」そう言い返していると女性警備員が察して、両替所まで私を案内してくれた。

宿に戻ってビールを飲みながら休憩。曇っていてキリマンジャロは見えない。
オーナーに「ドルを両替しに行ってたんだ。」と言うと「ドルを持ってるのか?」と一瞬止まって聞かれたので、もしかしたらタンザニアでも闇両替はあるのかも知れない。先にオーナーに聞けば良かった。

宿の2階のレストランで1番安いナポリタンパスタを頼んでみた。ビール2000TZS(120円)、パスタ6000TZS(360円)。たっぷり30分以上待たされて出て来たパスタはコンソメ味で全然想像していたナポリタンとは違ったが、量も多くて格別に美味しかった。

タンザニアのSIMカード

また宿の外に出てSIMカードを買いに行くことにした。
外に出るとまたドレッド男がいて「やあ、どこへ行くんだ?」と聞いてきた。偶然じゃない。明らかに私待ちだ。オフシーズンで今朝到着したバスでも外国人観光客は私だけだったので、私はピンポイントで「お金」の的にされているんだろうな。

無視して近所のVodafoneへ行く。値段やプランを聞いているのに、ショップのお姉さんは答えずに「先にパスポートを出せ」と言い勝手にSIMカードを登録し出す愛想の悪さ。結局5Gで900円弱だった。
一方、宿のレストランの人たちは愛想がいい。キリマンジャロコーヒーを頼んでゆっくり休んだ。これで250円。この宿は当たりだ。私の他は欧米人の女の子3人組がいた。仲間に入れるわけもなく、部屋のおじいちゃんと軽く会話してからこの日は寝た。

早朝はキリマンジャロが見える

宿は朝食がついていた。出てくるまでまた40分は待たされたが有難い。

ふとテラスから外を見ると・・・昨日は曇っていたが山が見えた。あれがキリマンジャロか!!
名前はよく聞くし1度見てみたいと思っていた。ついてる。もっと尖った山かと思ったら平たい山だった。登る道はそれほど険しくないが、標高が高いので高山病のせいで登頂が難しいらしい。

ダルエスサラームまでのバスチケットを買いに行く

モシではキリマンジャロ登山の他に、滝やら温泉やらセノーテのような泉がある場所もあるようだが、どこもツアーでしか行けない位離れている。セノーテはメキシコ、温泉はエジプトで行ったので明日もうダルエスサラームへ移動しようと思う。

10分程歩いた場所にあるバスターミナルへ来てみた。手前が短距離のミニバス、奥が長距離のバスターミナルになっていた。これ、どうやって出庫するのかな。凄い駐車技術。

ここまで10分の距離もまあ、たくさんの人に声を掛けられ、ついてこられた。
中には赤い布を纏ったマサイ族の男性もいて「近くにマサイ族の村があるから見に来ない?」と控えめセールスだった。写真を撮っていいか聞いたが「観光に来てくれた人しか駄目なんだ。」と断られた。決まりがあるんだろう。

他にもずっとついてくる男性がいてもう諦めて会話を楽しむことにした。
「キリマンジャロは恥ずかしがり屋で、早朝以外はほとんど雲がかかっていて見れないんだ。」と教えてくれた。

長距離バスターミナルのダルエスサラーム行きの窓口まで連れて行ってくれる。
今日の夜か明日の朝発バスが選べた。朝に出発すれば夜にダルエスサラームに到着すると言う。アフリカ三大凶悪都市のひとつ、ダルエスサラームに夜に到着はしたくなかった。今夜の夜行バスのチケットを38000TZS(2250円)で購入。定価は42000TZSとなっていて、ついてきた男が案内してくれた窓口が1番安く買えた。

遠くの温泉や滝に行かなくてモシで何をしよう。
GoogleMapで見ると歩いて行けそうな場所に「Tinga Tinga Artist Cooperative」とある。ティンガティンガって聞いたことある。日曜日は休みとあったがそこに行ってみることにした。

ナイロビからモンバサへの鉄道予約・・・が出来ていなかった!国立博物館へ(Day334)

ケニア4日目
1KES(ケニアシリング)≒1.2円

旅友からのアドバイス

昨夜は治安の悪そうなナイロビ中心地で治安の悪そうなホテルにいる中、アフリカにいる旅友が電話をくれてほっとした。彼が言うには

・タンザニア→ザンビア間を鉄道ではなくバスで移動したがこの間は特に見どころなし
・ザンジバル島はどこにでもあるような島だった。特に行かなくてもいいのでは。行く船が5千円以上して高い。
・アフリカを南下するにつれ人が段々話し掛けてこなくなってくるので、自分からいく工夫が必要

といった感じのアドバイス。
旅は情報が命ということをイランで痛感した私は、アフリカに来るまでにも複数人にアドバイスを貰っていたのだが、人によって言うことがマチマチなのが悩ましいところ。「ザンジバル島最高!」という意見が多かったのだが・・・
彼はヒッチハイクとテント泊で旅しているので私とは感じ方は違うかも知れない。

久々で1時間以上も話し込んでしまった。旅の出会いなんて一期一会と思っていたのに。こっちから連絡したわけじゃないのに、インスタを見て私がアフリカにいると知ってわざわざ親切に電話をくれる人がいることに感動した。

今後の移動経路

ナイロビ(鉄道)→モンバサ(バス)→ダルエスサラーム(船)→ザンジバル島(船)→ダルエスサラーム(2泊3日鉄道)→ザンビアのカピリムポシ

という鉄道好きならではの計画を立てていたのだが、北上してきた人からの情報だと

・モンバサ→ダルエスサラーム間の陸路国境閉鎖
・タンザン鉄道が洪水で無期限停止中

とのことらしい。計画が崩れていく。これがアフリカなのか。
ちなみに当初行くつもりだったウガンダとルワンダもビザを取るのが面倒でやめてしまった

ナイロビ→モンバサの鉄道予約

ケニアのサファリを予約しなくても、広大なジャングルを鉄道から見れると思い昨晩、以下のHPから本日の15時発の鉄道を予約した。

ナイロビ→モンバサの鉄道予約のHP

決済はケニア版PayPay、MPESAが無いと予約できない(クレジットカード不可)。MPESAsafaricomという現地SIMを使用し、お店で現金をチャージしないと使えないので、昨日ショッピングモールで済ませておいた。

鉄道の時間はナイロビ発、モンバサ発ともに8:00、15:00、22:00
8時発は人気で数日前から満席だったので15時を予約した。予約番号が付与されMPESAチャージも1500KES引かれている。その後「Confarm」というボタンがあり押したのだが、長時間、画面が遷移しなかったのでそのまま放っておいていた。

そして今朝。
鉄道のチケットって送られてきてたっけ?と思い、自分の予約番号をHPから入れてみたら「決済出来ていないのでキャンセル」となっていた。MPESAのチャージ料金も元に戻っていた。「Confarm」のボタン押下後に出る番号でMPESAアプリを更に操作しないといけなかったようだ。その後、発券番号が付与されるしくみ。

・・・もらった予約番号とは?!は?!
HPが混んでて画面が遷移しないのにどうしろと?

もう今日の鉄道で移動するつもりだったのに。
慌てて今日の夜や明日以降の鉄道チケットを検索するが、週末か連休と重なっているのか3日後まで満席だった。ツイてない。

ナイロビにもう1泊

鉄道に乗ってケニアの広大な景色を見たかったが仕方ない。どのみちモンバサまで行っても国境が閉まっているならまたナイロビ近くまで戻って来ないといけないで、経路を変更してバスでタンザニアに入ることにした。

宿の近くのバスチケットオフィスを2軒訪ねて安い方のバスで購入。タンザニアのモシという町まで2500KSH(2900円)だった。朝4時出発というのが辛い。

バス会社はすぐなのだが、この少しの距離を歩くのが大変。
エチオピアでもそうだったけど、アジア人どころか欧米人すらも歩いてないので私は現地の人らの格好の的。ひっきりなしにずっと話しかけられ続ける。
掛けられるのは「へい!チャイナ!どこへ行く。」「ニーハオ!」ばかりだ。

鉄道に乗らなくなったので、携帯ショップに行ってMpesaにチャージしていたお金をすべて現金化してもらった。そのお金で今日の観光と食事を賄う。

宿の近くの元日本人宿のNew Kenya Lodge Hotelから20$でキベラスラムのガイドを雇えることは知っていたが、風邪で熱があるので人と話したりスラムの風に当たる元気がなかった。
ひとりで町を歩きながら国立博物館へ行くことにした。

マサイマーケット

途中、土日にやっているマサイマーケットが面白いと情報をもらって寄ってみたが、今日は平日なのでこんなマーケット。砂ぼこりだらけ・・・

ケニア国立博物館

30分位歩いて到着。1200KSHというまぁまぁ博物館にしては高い料金を払い中へ。

この剥製、本物かな・・・
鳥の剥製は何百匹とあったけどやはり生きているものを見ないと面白くない。来て後悔した。

ケニア人の原点??このクオリティ・・・
そう言えばケニアに入ってからエチオピアの人たちと全然顔や体格が違うことに気付いた。
肌の色も真っ黒になったし、エチオピアはかなりの美男美女ばかりだった。女の人がその辺の商店の人から全員細くて顔が小さくて目が大きくて綺麗。子供も天使のような顔の子ばかりだった。

博物館横に公園があったので川まで下ってみる。ゴミだらけで、人も住んでいた跡がある。ここを見てスラムを見たような気分になった。

帰りも排気ガスと砂埃にまみれながら30分歩いて帰る。
途中、タイルや洗面台、キッチンなどのショールームがずっと続いている通りを通った。
2年前はこういうお店へ毎日お客さんを案内していた。少し仕事に戻りたい気分になる。私の旅はいつ終わるんだろう。

ケニアのお肉は美味しい

宿の近くのお店で、牛肉炒めとご飯を頼んでみた。エジプトではチキンがメインで売られていたが、ここではチキンはあまり見かけない。
期待していなかったが思いのほかケニアの牛肉は美味しい。ジュースも入れて600円位。

食事しに入ったエリアは、後日地球の歩き方を見ると「治安が悪いので絶対歩くな。」と書かれていた場所だった。現地の女性もたくさん歩いているし、もうそんなこと気にしてられない。人通りのない通りだけは避けて歩いていたら大丈夫そうだ。

ビールを売っている場所を探しながら歩いていると、建物の角に立っていた女性(もしかしたら売春婦の人かもだが)に、目が合った瞬間、大声で「チン・チョン!!」と叫ばれた。中国人を話し方を真似て馬鹿にした言葉だ。イランでもずっと言われたので慣れていたが、その後バカにしたように仲間たちとゲラゲラ笑われたので、さすがにキレて思わず言い返しに戻った。

「私は中国人ではないし、お前は旅行中にケニア!と言われたらどう思うんだ。」

彼女は最初、私が言い返しに戻ったことにかなり驚き「あ、あら・・・中国人じゃないの・・・」と小声で返してきたが、私が離れるとまた仲間たちとバカ笑いしていた。
中国人だからって何がおかしいんだろう。コロナの時もこの周辺の国の人らはアジア人を見ると石を投げてきたらしいが、そういう教育水準なんだろうな。

明日は国境を越えるので、ケニアのお金を全てビールとお菓子に変えておいた。
宿へ清潔だが、治安の悪い場所だし雰囲気が暗くて淋しい。やはりシングル部屋よりドミがいいな。

明日は朝4時のバスだからもう寝ないと。熱があるのと埃と排気ガスのせいなのか鼻水と痰が止まらなくてかなり体力を消耗している。宿は各部屋のドアの上部のガラスが外れていて他の部屋の人のバカ笑いが筒抜けで全然寝れそうになかった。

ケニアのナイロビ郊外に滞在、ジラフセンターへ(Day332-333)

ケニア2日目
1KES(ケニアシリング)≒1.2円

ナイロビの宿

インスタを通じて「割引するので宿泊しませんか?」と連絡をくれたナイロビ郊外の宿に昨日から宿泊。
飛行機の機材トラブルのせいで空港で2時間待機、SIMカード購入に1時間並びヘトヘト状態で宿に到着だったが、チェックイン後の館内ルールの説明が10分位あってあちこち移動させられ疲れた。よくいえはルールがきちんと守られていて綺麗な宿だが、自由気ままなバックパッカーには少し窮屈だった。

かなり広いドミトリー10人部屋に入ると私と同年代位の女性が先に1人宿泊していたが、全てのベッドに彼女の洗濯後の派手な下着や服が掛けられていた。洗面所のタオル掛けにも洗濯後の靴下がかけられていて不快だった。彼女はバックパッカーではなく日本から直接来た旅行者。私とは金銭感覚が違うので、一緒に行動することはないだろう。

夕方に宿に到着したが、住宅街で付近に店も何もないので仕方なく何も食べずに寝た。エチオピア航空の頭上の空調の向きが変えれず風邪をひいてしまったようで、夜から熱が出て来た。かなり熱が上がってきてぼーっとしてしまいスマホからうっかり音を出してしまったのだが、彼女に凄い剣幕で大声で怒鳴られた。

そりゃ私が悪いのだが、怒鳴らないで「すいません、音消してくれませんか?」とか言えないのだろうか。初対面の人にこれだけ怒鳴ってくる人って余程度量が狭いんだろうな。次の日も謝ったのだが返事はなく「風邪をひいてしまって・・・」と言うと「私ケニアあと3日しかないのにうつったら困る」と宿のスタッフに言って狭い方の部屋に変えられた。彼女じゃなく私が。コロナでもインフルでもないんだが・・・

近くのショッピングセンターへ

取り敢えず昨晩から何も食べていないので、30分位歩いた所にあるショッピングモールへ来てみた。「歩いて行く」と言うと宿スタッフは驚いていた。車移動しかしたことがないらしい。
昨日、Uber運転手に「ナイロビは危険か?歩けるか?」と聞いたら「夜20時以降は危険だけどそれまでは大丈夫」と言われたから大丈夫だろう。

近くのショッピングモールは想像していたイオンモールのようなものではなく、アウトレットモールのような造りのもので退屈だった。取り敢えずケンタッキーでお腹を膨らます。

そこから少し歩いたところにスーパーもあった。アディスアベバでこんな綺麗なスーパーは見たことがない。ケニアはエチオピアよりは発展しているのだろう。

ケバブを買い食い。85円位だったので物価は安い。

ジラフセンターへ

Uberでバイクを呼んでジラフセンターへ行く。中東ではUber系の乗り物はめちゃめちゃ安かったが、エチオピア以降、1回500円以上かかって高いのでバイクを呼ぶことにした。20分位乗って300円。

ジラフセンターの入場料は1500KES。結構する。

入口で入念に手を洗い、キリンのご飯を貰う。

説明書きに「ロスチャイルドキリン」とあったので子供を亡くしたの??とか思ったがイギリスの動物学者の名前から付けられたキリンの種類の学名らしい。キリンは10頭程いたが、餌を貰おうと近づいてくるのは2頭位。しかしかわいい!角がかわいすぎる。

思うように餌を貰えなくてしかめ面??
手で直接エサをあげると猫のようなザラザラした舌でベロンベロン舐められた。他の地元の観光客らは怖いのか手を舐められるのが嫌なのか・・・恐る恐る餌を1つづつ投げて与えており、私のことを「コリア、お前は平気なのか?」と呆れたように言われた。この舐められるのが愛おしいのに。

付近にはイノシシファミリーもいてかわいい。

ケニアのモバイル決済

キリンを堪能したのでまたUberバイクで戻る。ケニアはM-pesaというモバイル決済が浸透していて、昨日からUberで現金を支払っても、誰もお釣りを持っていなくて貰えないハメになっていた。
なのでジラフセンターを出たところで、路上で売っていたバナナを購入してお金を細かく崩そうとしたのだが、バナナ売りの人も明らかに確信犯で細かいお釣りはくれなかった。
ふう、これがケニア人なのかな・・・

ケニアは4月は雨期らしく毎日短時間だが雨が降る。バイクで戻って来る時に雨に濡れてしまい更に風邪を悪化させてしまった。スーパーに寄る元気もなく宿で売っているビールでお腹を膨らます。350KESして、安くも美味しくもない。

宿には30代位の女性が新しく入って来ていた。
彼女もバックパッカーではなく日本からの短期旅行者。「一緒にサファリ行きましょうよ~」と感じ良く誘われたが金額を聞くと680$!!ケニア国立公園2泊3日なので妥当な金額なのかもしれないが、私には高過ぎる。お断りした。日本からわざわざサファリ目的で来た人には高くない金額なのだろう。

その後お互いのことを少し話したが、彼女は海外で出された出どころが分からない食べ物を食べるのが怖いらしく、大きなスーツケースにインスタントラーメン5袋セットを3セットも入れてきていた。そっちの方が身体に悪いんじゃ

色んな人がいるなぁ・・・私なんてこの宿のから出てくる水道の水が茶色いの忘れて、水道の水でみそ汁とインスタントラーメン食べちゃったよ。彼女は私の旅のスタイルに驚いていた。
客相やスタッフと話した感じ、この綺麗な宿は私には場違いのようだ。明日ナイロビの中心地へ移動することにする。


地元食堂を堪能

ケニア3日目。

昨晩大雨が降ったので道路冠水。
ここで右往左往していたら、通りがかったかなりお金持ちそうな地元の人が車で昨日のショッピングモールまで乗せて行ってくれた。

地元の屋台?並ぶところで美味しそうな匂いがしたのでのぞいたら魚の唐揚げが売っていた。200KES(240円)。かなり美味。

ディープな屋台。このバケツの水で食器を洗っていて中は真っ黒な水。かなり汚そうだが魚は揚げているので大丈夫だろう。私はインドでもお腹を壊したことはない。健康な身体に感謝。

ケニアに闇両替はあるのか?

ケニアでもエチオピアやエジプトのように闇両替があるのではないかと思い、その辺の人に「両替屋へ連れて行ってくれ。」とお願いしたのだが、歩いてすぐの普通の両替屋に案内されてしまった。「ブラックマーケットはないのか。」と聞いたら「ブローカーは捕まるのでない。」と言われたので仕方なく正規のレートでドルを両替。
ATMだと毎回500~800円位の手数料が表示されるので、手持ちの1$=150円の時に両替したドルをケニアのお金に両替した方いいだろう。今のレートは1$=160円近くになってしまっている。

案内してくれた男は、たった数十メートル先の両替所に案内しただけだったのにお金を要求してきた。ケニアは警察も賄賂を要求してきまくりと聞いていたので、こんな国民性なんだろう。100KES渡すと少ないと言われたが無視した。

ナイロビ中心へ移動(INKS HOTEL)

宿をチェックアウトして、ナイロビシティの中心にあるホテルへ移動した。
Uberで移動中、明らかに治安が悪そうな途中の町の信号で停車した時、町全体がトイレのような臭いがした。道路上にいたホームレスたちが、外人の私を見るとゾンビのように寄ってきて窓から手を入れてこようとする。運転手は窓を閉めた。

Uberがホテルの近くに来ると、運転手はホテルの前で停車するのを物凄く嫌がり、付近を2周された。
「お前は何も分かっていない。停車したら素早く荷物を降ろしてダッシュしてホテルまで走れ。俺は降りない。」と文句を言われた。ここはそんなに治安が悪いのだろうか。

ホテルの部屋は雑居ビルの上部にあった。世界最凶都市の1つがナイロビだが、女性も多いし昼なら歩けそうな感じだ。それとも私の感覚が鈍いのだろうか。

最上階で荷物を運ぶのが大変だったが、個室、シャワートイレTV付でたったの100KESの宿だった。アフリカにしてはめちゃくちゃ安い。すぐ近くに昔日本人宿だったというNew Kenya Lodge Hotelもある。今は日本人は泊まっていないらしいが。

ケニアの首都歩き

ナイロビ中心地を散策してみることにした。

首都・・・首都でこれ。この世紀末感。やばい。リアル北斗の拳??
やはりナイロビはやばい街なのか。歩道をこの状態で放置できる感覚が分かりかねる。

派手なバスが行きかい、人が多い。ホームレスも沢山いる。アジア人どころか白人も歩いていないので私は相当目立っているだろう。次から次に「ニーハオ!にーはお!」と声を掛けられる。そのあまりの多さにいい加減ウザくなってきた。

ケニアは写真撮影禁止の場所が多く、そうでない場所でも撮影していると警官に難癖付けられて賄賂を要求されると聞いたことがある。なので写真は全てスマホを見ている振りをしながら隠し撮りをした。

夜は危険だというUber運転手の忠告通り大人しく部屋にこもる。
旅のせいなのか年齢的なものなのか、この1年で24時間位何も食べなくても平気になってしまったので昨日に引き続きこの日も夜は食べていない。
窓から外を見ると、人通りは少なくなったがそれでも歩いている人はいる。

エチオピアの宿で会った南アフリカから北上して来た人の話を思い出した。
「南下するに連れ、都会になっていって段々面白味が無くなってきますよ。そしてケープタウンからアディスアベバまで他に日本人に全く会いませんでした。」

危険でウザいアフリカ旅だけは一人旅派の人でも誰かと行動した方が楽と聞いていたが、もうこれ以降私は誰とも会うことなく、ひとりで南下するのだろうか。この宿にも地元の人以外宿泊している気配はない。

そんなことを考えていたら、以前他の国で会った人が私のインスタを見て電話をかけてきてくれた。

つづく。

バハルダール→アディスアベバ→ケニアへ飛ぶ。また宿に面白い日本人が来た(Day330-331)

リアルタイムは南アフリカ。やっと画像アップ出来そうなネット環境になったので徐々に更新していく。

最近はインスタのハイライトで動画更新しております。

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バハルダールの空港

エチオピア5日目
1ETB(エチオピアブル)≒2.7円、闇両替1ETB(エチオピアブル)≒1.4円

朝7時半にタクシーに迎えに来て貰えるよう宿に頼んでおいた。
本日バハルダールからアジスアベバへ飛行機で戻る。10時半の飛行機だが、この街はネットが繋がらないので早目に空港に行ったらwi-fiが使えると思ったのだ。ラウンジもあればそこで食事が出来る。

宿のお姉さんにタクシーを呼んでと頼むと彼女の弟の車が来てくれていた。7時半と言ったのに7時に来たので慌てて用意して乗り込む。
同じ部屋に宿泊していたSはまだ寝てた。ここにあと1週間はいるという。私もこの素敵な町にもう少しいたいが、たぶんネットが繋がらない環境に1週間も耐えれそうにない気はする。

空港迄の道のりも、頭に大きな荷物を乗せて器用に歩く人々、牛たち…といった風景でのどかだった。

空港のゲートに到着したが、8時にならないと開かないと言われたので運転手と30分時間を潰した。時間通りに来てよ…運転手。

空港に入るとwi-fiも食べるところも何もない空港だった、することがない。ギリギリ迄寝てれば良かった。

モニターもないし、アナウンスが現地の言葉なので自分の飛行機のチェックイン時間が分からない。この町の人は親切なので、その辺の人に聞きまくって、同じ飛行機の人を見つけたのでチェックインが始まったら教えてくれるよう頼んでおいた。

無論ラウンジもない。路上コーヒーショップのみなので、そこでエチオピアコーヒーを飲んだ。エチオピアのコーヒーにはお香が付いていたり、床に香りのする草を撒いていたりするのが独特の文化で面白い。撒き方が大胆でホラーちっくだが。

1泊2日で来た道を1時間で戻る

この空港の職員の人のチェックインはめちゃめちゃ遅くて時間がかかった。町の雰囲気通り。日本時間で動いている私には慣れない。

やっと時間になりプロペラ機に乗り込む。

飛行機が離陸し出すと隣の席のおじさんの携帯が鳴り「ハロー♪」と電話に出てずっと喋舌っていた。モラルとは?!

エチオピア航空、乗車時間が1時間でもマフィンが出た。しかし上部の空調機が壊れていて向きが変えれず、ずっと冷房直撃だった。このせいでこの後1週間は風邪で高熱が出ることになるので、乗務員に言って席を変えて貰えば良かった。

アディスアベバの前回の宿に到着

あんなに苦労してバスで来た道を、数千円の航空券代で1時間で戻ってくるのは何か空しさを感じた。断然こっちの方が楽だけど、バス移動も経験しないとエチオピアの本質は味わえなかったのかなとも思う。

2回目なので空港から宿迄の道のりも慣れたもの。boltで宿まで行くと数日前と同じメンバーがいてホッとした。170ヵ国訪問済のTさんと世界一周初心者の荷物激少ない男の子。

バッテリーを調達しに行く

バハルダールで手持ちのバッテリーが全て壊れてしまったので、電気街っぽいとこまで購入しに行くことにした。
数日前に行ったバスや電車の始発駅が集中している場所。お金を持っていそうな人らとホームレス、物売りの人らが入り混じった混沌とした場所だ。

30分位歩くのでタクシーアプリを使ったが、待っている間ひっきりなしに「お金をくれ」という男性や子供たちに絡まれた。やはり宿の近くですら治安が悪い。

電気街のビル内のお店を3軒訪問し、バッテリーの金額を聞いたらどこも1万円を超えていた。私が持って来ていたバッテリーはネットで購入した1000円と2000円の2台だったのに。
日本でネットでモノを購入するとなんて安いのだろうと驚愕する。

なんとかビルの外にあったお店で7千円位の金額のバッテリーを見つけ購入。闇両替で倍のレートで両替をしているので実質3500円で購入出来た。

宿の人らと食事、宿に凄い人が入ってきた

電気街から30分位の道のりをサモサを歩き食いしながら戻る。
途中、マレーシアに滞在している友人たちから「今飲んでいる。」と電話がかかってきた。思わず少し話したが、アジスアベバの治安で外人が路上でスマホを喋りながら歩いていたら、スリにあってもおかしくなかったかも。

宿の近くも何人もの人らが首絞め強盗に遭っている。気を付けないと。電話は早々に切って、宿の人らと暗くなる前に数日前に行ったレストランへ食事に行った。

Tibsが美味しかったのでやはり同じものを頼む。数日前のものより肉が固すぎて噛み切れず、残してしまった。煮込み過ぎ。またもピラフとパンという炭水化物×炭水化物をチョイスした、旅初心者くんは今朝インド人に分けてもらったカレーが辛すぎたらしく、お腹を壊していてここでもほとんど食べていなかった。

宿に3人で戻ると今朝新しくチェックインして来たという男性が観光から戻って来ていた。
「どーも、どーも!」
と満面の笑みで大きな一眼レフカメラをぶら下げ、輪に入り込んできた彼は底なしに明るい人だった。

「そのカメラぶら下げながらアディスアベバ歩いて来たんですか?!」
「はい!そうです!歩いていたらエチオピア人に何度も鞄にしまえって注意されました!そんな時は相手のことを撮ってあげたら喜んでくれてます。そしてさっき牛乳ぶっかけ強盗に遭って、ポケットに入っていたバッテリーを盗まれました~」

強い・・・クセが・・強すぎる…

彼は南アフリカから北上してきた旅人で、先日、ケニアでサファリ中に全財産を盗まれたらしい。
車にリュックを置いたままカメラに夢中になり、振り返ったら座席にパスポートだけ置かれていて鞄がなくなっていたそう。

「この国、パスポート再発行出来ませんからねぇ。それ知ってて優しさを残してくれたのか、『警察や大使館に行くな』って意味で置いていったんですかねぇ」

1,000ドル以上入っていたらしいが、凹まないのだろうか。宿に同じく首絞め強盗に遭って1,000ドル盗まれたチュニジア人がいるが、彼はずっと宿で落ち込んでいる風だった。このメンタルが羨まし過ぎる。

彼の話が面白過ぎてこの日も夜遅くまで宿の地下のバーで皆で話し込んでしまった。

私がエチオピア→ケニア間は飛行機でなく1泊2日のバス移動にすれば良かったかなぁと言うと、一眼レフカメラマンもTさんも一斉に口を揃えて「止めたほうがいい」とアドバイスをくれた。なんでも国境のモヤレという町の宿がほぼ野宿&汚な過ぎで耐えれないんだとか。20代の頃ならそんな移動もしてみたいが、今の私にはお金があっても体力がないので、面白みに欠けるが飛行機で移動出来るとこは飛行機を使おうと思う。

アディスアベバは宿で出会った人々が楽しかった。ケニアがビザなんて要らなければ、事前に航空券を取っていなくてもっと滞在していただろうな。

ケニアのナイロビへ飛ぶ

次の日の朝、Boltでアディスアベバのボレ国際空港へ。エチオピアブルが少し余っていたが、この国のお金は信用が無さすぎて他国で一切両替出来ないので、トイレ掃除をしていたおばちゃんにあげた。

プライオリティパスがあってラウンジに入れるので私は空港でお金を使わなくていいのだ。
ラウンジ飯ーーーーー!!久々に美味し過ぎて盛りだくさんに食べてしまった。
エチオピア・・・インジェラ主体の食生活はやはりキツかったんだろうな。卵が!ズッキーニが!美味し過ぎる。

11時発の飛行機だったが、機材トラブルで2時間遅れで出発した。待っている間、日本人の大学院生に「SIMのWi-Fiを貸してくれ」と声を掛けられた。スーツを着て大学の研究のためにケニアに来たという彼とは縁がないだろう。連絡先も交換しなかった。

エチオピア航空でもまた機内食が出たけどラウンジ飯で食べたので食べきれなかった。ビールだけ堪能する。

ケニア到着

ジョモ・ケニヤッタ国際空港に2時間遅れの15時に到着。ケニアの入国審査はあっさりすぐ終了で、今年から始まった新しいeVISAはほとんどチェックされなかった。これ、航空券や滞在予約書を事前に取っていなくても適当な航空番号でいけたんじゃないだろうか。たらればなんだけど。

ケニアのナイロビはアフリカの三大凶悪都市のうちの一つだ。流しのタクシーでは強盗に遭うかもしれないのでUberで移動したい。そのためには空港のATMでお金を下ろし、SIMカードを購入しないといけないのだが・・・欧米人旅行者が激並びで1時間以上待った。

夕方にやっとSIMを購入出来て、Uberで宿まで移動する。空港からは遠いので高速代も入れて1000円位かかってしまった。

宿はインスタから連絡を貰っていた郊外にある綺麗な宿を予約しておいた。
バックパッカーには少し高いが、治安の歩いケニアを一緒に観光出来る人がいたらいいなと思ったからだ。宿には私以外にお姉さまがひとり。高級ツアー志向の人で見事にその期待は裏切られたが・・・

飛行機内が寒くて風邪をひいてしまったようで、その日の夜は高熱が出てうなされた。前途多難なケニア旅の始まりだった。

バハルダールで癒しの日々(Day329)

エチオピア4日目
1ETB(エチオピアブル)≒2.7円、闇両替1ETB(エチオピアブル)≒1.4円

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同じバスで今度こそバハルダールへ

朝の5時集合と言われたが、出発するのは6時。
5時半にバスに行ったら昨日のバスと同じメンバーのエチオピア人らがちょうど降りてきていた。ずっと同じバスにいるとなんとなく仲間意識が芽生えてくる。

Sが昨日は3人席の真ん中でしんどかったというのでお互い窓際の好きな席に移動したのだが「昨日の席に戻れ」と元々座っていた人たちに戻されてしまったので窓際の席と代わってあげた。

17時間掛けてバハルダール到着

出発してからまたも検問、検問、検問の嵐。北上するにつれて間隔が狭まってきているので北のスーダンかエリトリアと何か揉めているのだろうか。また10回近くは検問があったが、今回はスムーズに3時間半でバハルダールに着いた。

念願のバハルダール到着

ヤシの木の下を走るトゥクトゥク、土の道に頭に大きな荷物を乗せて運ぶ民族衣装の人々。確かにのんびりできそうな町だった。バスターミナルで降りると、凄い数の客引きが寄ってきた。昨日からずっとsimは繋がらないのでタクシーは呼べない。

勝手に人の荷物を運び出すトゥクトゥクたちを断りながら、Sが昨日予約しておきながら泊まれなかったホテルまで一緒に歩く。彼は荷物があっても30分位ならいつも歩くというが、20代の彼には容易でも私には暑い日差しの中キツかった。

ホテル到着

ホテルに辿り着いて、従業員に「昨日バスの遅延で泊まれなかったけど今日泊まるからいい?」とお願いすると快く了承してくれた。今回も節約でSと同じ部屋に泊まることにした。1名でも2名でもシャワートイレ付で1室6$なので、やはり誰かと旅した方がアフリカではお得になる。

宿にはwi-fiがなかった。町もSimが繫がらなしい困っていたら、たまたま宿にいた、ピンク色のシャツを着たバーバパパ風の近所のおっちゃんがその後Wi-Fiが繋がるこの町唯一のホテルに案内してくれた。

ホテルで3人で談笑。航空券を空港まで買いに行きたいとバーバパパに言うと旅行会社にも闇両替にも案内してくれると言う。

私は明後日、ケニア行きの航空券をもう取ってしまっているため明日にはアジスアベバに戻らないといけない。ケニアビザを取得するのに航空券番号が必要だったので日本で取ってしまっていたのだ。

ダハルバールまで行きはバスで17時間もかかった距離だが飛行機だとたったの1時間、1.5万円の金額だ。飛行機で戻ろう。

旅行会社と闇両替へ

Sとは別れ、20分位歩いておっちゃんと旅行会社に行くと、なんと航空券の金額はエチオピア航空のHPに載っていた1.5万ではなく1万円。しかもエチオピアブルで支払可能らしい。ということは・・・闇両替で公定レートの倍の金額で両替したら実質5千円で明日のチケットが買えるということか。まあここまでのバス代800円よりは勿論高いがコスパで考えたらなんと効率のいい移動なのか。昨日のあの地獄のようなバス移動はなんだったんだろう。まあ初っ端からアフリカバス移動の洗礼を全身で味わえたが。

その後バーバパパに闇両替のバイヤーの所まで連れて行ってもらい100$を両替してもらった。ちなみにエチオピアのお金は他国では全く価値も信用もないため、エチオピアブルからドルへの両替は出来ないので、使う予定のギリギリを両替しないといけない。。

両替しているとフェリーのキャプテンという男が話し掛けてきた。「今日一緒にフェリーツアーに行かないか?」と言う。金額を聞いても「コースに寄るから。フェリー乗り場でプライスリストを見せるよ。」しか言わない。後で友人と寄るからというとその後航空券を買うまでずっと付いてきた。

Sのとこまで戻り、フェリーツアーの料金を一緒に見に行かないかと誘った。航空券の金額や闇両替のレートも教えた。

私、S、バーバパパ、キャプテンの4人でトゥクトゥクで移動して旅行会社まで行き、最後の1席になっていた明日のアジスアベバ行きのチケットを購入した。この時、スタッフに「お前はアジスアベバまでエチオピア航空で来たのか?」と聞かれたがなぜそんなことを聞くのか分からず「あと1席しかないので早くチケットを買って」とお願いした。どうやら後から聞いたら国際線でエチオピアに入ったら国内線が半額になるらしい。それを使えば良かった…

それにしてもバーバパパと道を歩いていると数十メートルおきに知り合いや友人に会い挨拶される。ここで生まれ育ったというのもあると思うがとても顔が広い人だった。しかし昼間から私とずっと過ごしているし仕事は何をしているのだろう。こうやって外国人相手に両替やチップで稼いでいるのだろうか。

フェリー乗り場で騙されそうに

バーバパパにチップを渡して別れ、キャプテンにフェリー乗り場に連れて行ってもらった。

陸地でプライスリストを見せてと言っても「船の中にあるんだ。船の中で見せる。」と言う。「大丈夫、大丈夫、怖くない。」と笑いながらいい、訝る私とSが船に乗ってプライスリストを覗き込んで見ていたら、いつの間にかフェリーを発車させられていた。Sがすぐに気付いて「待って、待って止めろ!」と言いながらフェリーから降りようとする。私も隣の停泊しているフェリーに飛び移ろうとした。私たちの様子にキャプテンも他の組員も慌て驚き、フェリーを岸まで戻した。

勝手にフェリーを出港させてお金を払うまで陸に戻らない作戦だったんだろう。私泳げるから平気だけどさ。

そしてプライスリストも1番安い島を2つ巡るコースで1.2万円。ボリ過ぎ。そして勝手にフェリーを動かしたキャプテンがもう全く信用ならなかった。

「どうする?今からどのコースにする?ディスカウントするよ。」どの口が裂けてそんなことを言うんだろう。「考えとくー」と言いながら早々に退散した。

昼ご飯にSとフルーツスムージーを飲みながら語った。彼も世界一周中で南米は終了しているので、「どこへ行ってもあのウユニ→アタカマ抜けツアーの絶景を超えるものはない」と意見が一致し、話が盛り上がった。

ここから飛行機でアジスに戻れば楽だけど、昨日のバスの雰囲気もエチオピアを味わえたし何より怖かったので1人じゃないくて良かったと話した。彼はこれまでで昨日のバスが1番辛かったと言うけど、私にはインドのぎゅうぎゅう詰めのローカル深夜バス、コロンビアの隣の難民に座席を占領されまくるミニバン…もっと辛いバス経験はいっぱいある。

ふっ彼もまだまだ青いな…

ひとりでバハルダール観光

彼は1週間はここにいるのでホテルでゆっくりすると言うのでひとりで出掛けた。

教会や市場を見学して…

湖のビューポイントまで来た。野生のカバは見えるかな。

カバは居なかったけど湖のほとりに地元の人が行くような屋外コーヒーショップがいくつかある。

かわいい小さい子がいる一軒のお店に入ってみた。

めっちゃくちゃかわいい。エチオピアは美男美女が多い。というか美男美女しかいない。顔が小さく目がぱっちり。子供の頃から顔が整っている。

その子の母親らにエチオピアコーヒーを入れてもらった。焚火をくべてお湯を沸かし丁寧に作ってくれ、御香と一緒に差し出される。その御香がまた森林の匂いというかずっと嗅いでいたいような香りだった。時間はかかるが癒やされることこの上ない。

飲んでいると隣の席の若い男性が同じテーブルに座って話し掛けてきた。カバいるよ、ここの人らはほとんどキリスト教だよといった話から、エチオピアには85以上の言語があるから英語を公用語にしていて数学の授業も英語なんだ。だから田舎のお年寄り以外皆英語が話せるよ。など色々教えてくれた。最後にまたチップを要求されるかと思ったがただのいい人だった。この辺の見極めが難しい。

コーヒー代15ブルと最初に言っていたお爺さんは払う時になったら50ブルとか言い出した。その辺の聞き間違いを誘ってるんだろう。コーヒーを煎れる動画や子供を撮らせて貰ったので、意表をついて100ブル渡したら母親の方は凄く喜んでくれた。してもらったことの対価を払うのは気持ちいい。

停電レストラン

ホテルに戻る道を歩いていたら、かなりのローカル食堂の前でSと遭った。「この食堂、インジェラ以外をくれと言ってるのに英語が全く通じないんですよ〜」と困っていた。どこまでも地元に溶け込む旅スタイルで羨ましい。私がホテルオーナーお勧めの魚レストランに行くと言うとSも一緒に行くことになった。

オーダー中に停電になったが、ガスコンロとスマホの灯りで魚料理を作ってくれた。

ガーリックがきいていて本当に美味しかった。これで500円位だったのでここにずっといたい。Sはすっかり気に入り1週間はいるという。

夜も安全なバハルダール

帰り道も子供や大人が道にいっぱいいた。20時でも外に人がいっぱいいてアジスアベバの治安とは雲泥之差だ。

日本の子供は小さい頃からYoutubeを見てTVゲームをしてる印象だが、ここの子供たちは自転車のタイヤを転がすだけで楽しそうに遊んでいた。

カメラを向けると最高の笑顔!

スマホの画面を見てはしゃいで動きまくるので全然ちゃんと撮れない笑

凄く幸せな気持ちになれた。エチオピアが普通に好きで楽しかった。あれほど旅友たちから「エチオピア最悪」とか聞いていたのに。都会?観光地?田舎?行く場所に依るんだろうか。

ケニア行きのチケットをもっと先にしなかったことを後悔した。

エチオピアのアジスアベバからバハルダールへ・・バス強盗にあったと思った日(Day328)

エチオピア3日目
1ETB(エチオピアブル)≒2.7円、闇両替1ETB(エチオピアブル)≒1.4円

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宿からバス停へ移動

ズワイへ行く日。バハルダールへ行くSと同じ朝6時、同じバスターミナルなので一緒に宿からBolt(エチオピアの配車アプリ)で5時過ぎに宿を出ようという話になった。
4時半に起きてシャワーを浴び、待ち合わせの5時過ぎに降りたらSは共有スペースのソファで寝ていて私が降りてきてから出発準備をし出した。

彼は一人でソファを占領していて他の人が座る席がなくてうろうろしていても気付かないし、外国人からもらったご飯を目の前に人がいても分けなかったり、重そうな荷物を持ち上げる時に手伝うとか全くしてくれない人だった。悪い人ではないんだけど気が利かない。うん。今から彼が準備するのを待とう・・・

5時半頃に彼が準備が出来たようなので私がBoltを呼んだ。宿を出ようとすると高い場所に設置した一畳ほどの監視台が庭に設置してあって、そこから宿のガードマンが眠そうに降りて来た。

外が暗い時間帯はこの宿を出てすぐの場所でも首絞め強盗が頻発しているので一緒にタクシーが来るまで待つと言う。Boltタクシーが捕まり易いように大通りに自分の位置を立てたのだが「絶対外を歩くな。」と言われ運転手に電話をかけて現地の言葉で宿の目の前まで来るように交渉してくれた。

そんなに治安が悪いのか、アジスアベバ・・・大通りはここから見えているというのに。
(実際この宿を出てすぐ首絞め強盗に遭った人は何人もいる)

昨晩も同じ宿のカメルーン人に「一人で移動するのか?本当に本当に気を付けろよ。」と忠告された。凄く不安になってくる。

Boltタクシーが来たのでバス停まで向かった。バス停付近の大通りは早朝でも地元の人がまばらに歩いていたがそれ以外の道は外灯も少なく人は全くいなかった。

長距離バスターミナル

昨日来たバスターミナルには大勢の人がいた。Sは「バハルダール行きのバスどれ?」と聞いてすぐ見つけていた。私はここで急に彼と同じ方向へ行くことにした。地元の人らに危険を警告をされ、男性と行動した方が安全だとふんだのである。

気のいいSは快くOKしてくれ、一緒にバスに乗り込んだ。チケットは580ETB(800円)だった。

ちゃんとひとりにひと座席あり、インドのバスみたいに3人席に5人乗ってくるといったことはなさそうだが、座席はへたっていてクッション性なし。皮製でつるつる滑るのでバスが揺れる度に姿勢を保つのが大変だった。これで10時間の距離はまあまあ辛い。

助手席はこんなだし、立って乗っている人らもいたので早目に来て座席を確保しておいて良かった。

6時過ぎにバスは走り出し、1時間もしないうちに停車した。周囲の人に何事かと聞くと「警察の検問だから荷物を持って全員降りろ。」と言う。降りてPoliceにパスポートを見せた。こっちのPoliceは長いライフル銃を背負い、腰にはナイフを何本も巻き付けていて威圧感がある。いちいちIDと乗客の顔を照らし合わせていて、これが乗客全員分なので結構時間がかかる。

エジプトのシナイ半島では検問は2時間に1度位の頻度だっただろうか。ここでもそんな感じかと思っていたら甘かった。それ以降、1時間に1回位だったのが北へ向かう程、その間隔が狭まってくる。40分に1度位が30分に1度位になり、検問が終わったところなのにまたすぐ次の検問の時もあった。

検問はバスを降りないといけない時もあれば、座ったまま全員がIDを上に掲げるだけで終わりの時もあった。それでもいちいちバスを停車させられるので全然進まない。

そしてトイレ休憩は1回もなかった。5時間位走ったところでトイレに行きたくなったがどうやら男性も女性も検問で降ろされたタイミングでその辺の野原でしているようだった。しかたないので私も塀に隠れて青空の下でした。歩いてくる牛と目が合った。

途中、軽食休憩とお昼休憩はあった。軽食の場所では物売りの子供たちからオレンジやバナナを買って写真を撮らせてもらった。

軽食休憩では皆が30ETBでパンを購入してチリソースを付けて食べている。パンにチリソース。。。全然美味しくないがこれしか売っていないから仕方ない。

お昼休憩のメニューはインジェラしかなかったので遠慮しておいた。「味はゲロ」は言い過ぎだが食べたくはない。そしてそこのトイレは凄まじく汚くドアがなかったので男性が来ないことを祈りつつすぐに済ませた。

バス強盗にあったと思い後悔した瞬間

アジスアベバからバハルダールまではGoogleMapで見て10時間の距離だったが、検問に続く検問で、これは夜に到着するなと思っていた15時頃。牧場の中にあるような田舎道を走っていると、牧場からこちらに向かって何か叫びながら凄い勢いで走ってくる男性が2名いた。

Sと「はは、このバスに乗りたいのかな?」と言いながら呑気に写真を撮っていると、男たちが近づくにつれ車内の乗客がざわめき出した。皆が身を乗り出して見ている方向を見ると・・・なんとさっきの男性を先頭に、何か叫んでいる男たちが8名、こちらに向かって走ってくる。8名とも長いライフル銃を持っていた。しかし警察ではない。

前後に走っていたバスも全て停車させられ、ライフル銃を向けられてUターンさせられている。乗客たちは撃たれないように頭を伏せ、隣の席の男性は手持ちのお金を財布から隠しだした。

・・・?!えっ?

隣の男性に何事か聞くと「オリジン・・・怖い」とひそひそ声で言う。地元の人ってことだろうか。とにかく車内は尋常ではない緊張した雰囲気。至近距離にライフル銃を持った人たちがいる。

お金を隠すということは・・・これ、バス強盗だよね??

中米やメキシコではよく聞いたがエチオピアでもあるのか・・・まさか自分が遭遇するなんて・・・。隣のSも「何?テロ?」と焦っている。彼がいてくれてまだ心強かった。ひとりだと泣きそう。取り敢えず周囲の人の真似をして手持ちのお金やクレカを分散して隠したが、バレるだろうし現金とスマホは諦めた。命だけは助かるよね・・・?

バハルダールへ行こうとしたことを大後悔していたら、男たちが乗り込んでくる気配はなく、バスはそこで何十分か停車させられていただけに終わった。隣のエチオピア人に聞くと「この先の道で警察とオリジンが揉めているから今はバスは進むなと言われている。」と教えてくれた。

1時間位バスは停車させられ、走り出したがその後も検問の連続だった。北に行く程治安が悪いのだろうか?女性と外人のID確認はすぐすむのだがエチオピア人のID確認は長い。Sと「今日だけで20回以上は検問あったよね、数えておけば良かった。」なんて会話した。

バスの乗客の人らは素朴で、片言の英語で外国人の私たちを安心させようと声掛けをしてくれる。運転手も「大丈夫!ちゃんとバハルダールに着くからな!」と言ってくれ安心する。
来る前は「エチオピア人最悪」なんて聞いてきたのだが、いい人たちばかりじゃないか。場所によって人の感じが違うのだろうか。

ダハルバールに辿り着かず1泊

日が暮れてから、バスは最寄りの町で停車した。全員が降車し出し「Finish!」と言われた。エチオピアでは夜にバスを走らせてはいけない規則があるらしい。GoogleMapを見るとMottaという町だった。そしてネットは数時間前から全く繋がらなくなっていた。

バスを降りると凄い人が私とSに集まってきて「俺の宿に泊れ!こっちだ!」と引っ張ってくる。その通り付いて行こうとすると警備員のような服装の人らが注意してその人らを追い払ってくれた。どうやら全員バスが停車したこの目の前の宿に泊まるようだ。バスの乗客全員がチェックインしている。「明日朝、バスに11時に来いよ。」と言われた。エチオピアの11時は朝の5時だな。。。

Sとツインの部屋にした。綺麗でひとり340円という安さになった。ホットシャワーもトイレもついていてSはご機嫌だった。Wi-Fiはない。

隣の食堂に皆食べに行っていたので行ってみた。賑わっていてお店の人も愛想が良くて楽しい。

エチオピア人は全員インジェラを食べている。飽きないのだろうか。分けてもらった。店によって酸っぱさが全然違う。これはあまり酸っぱくなくて美味しかった。

Sと「本当に今日は怖かったしひとりでなくて良かった、ひとりだと不安過ぎた。」と語りあった。私はこうやってよく旅先で知り合った人と行動を共にするのだけれど、Sは私と同じく1年半旅をしていて初めてのことらしい。彼みたいにすぐに現地の人とコミュニケーションを取るタイプはひとりの方がいいんだろうな。

ビールがキンキンに冷えていて美味しかったので2本目。パスタを頼んだら1人目の従業員には「ない」と言われたが2人目の従業員は「いいよ」と言ってくれた。出て来るまでかなり時間がかかったので無理矢理作ってくれたのかもしれない。渡したち以外は全員インジェラだし。これがガーリックが効いていて美味しかった。

バハルダールを勧めてくれたTさん、「移動は楽だしすぐ着く」って言ってたな。彼が行ったのは16年前だそうだから今と全然情勢が違うのだろう。検問があるなんて言ってなかった。
アジスアベバからこのMotta迄で14時間かかり、ダハルバールはまだ先。体力、精神的にもしんどいけど2人で移動していたら笑い話に出来るのが救いだ。アフリカのひとり旅は辛いと思う。

ネットがないのですることもなく、この日はすぐに寝た。

アジスアベバに日本人がいた(Day327)

エチオピア2日目
1ETB(エチオピアブル)≒2.7円

最近はインスタのハイライトで動画更新しておりますのでよろしくお願いします。

https://www.instagram.com/mikip_travel

Mad Vervet Backpackers Hostelの人たち

次の日、起きてキッチンで手持ちのコーンスープを飲みながらスマホをいじっているとふいに日本語が聞こえてきた。私が昨日から見てずっと外国人と思っていた金髪の男性はドイツ人と日本人のハーフだった。彼とカメルーン人の男性を入れて会話する。情報を聞ける人が現れてほっとした。

このハーフのSさんも数日前にこの宿に来たらしい。
話しているともう一人日本人のTさんが降りてきた。彼は170ヵ国も周っているという旅の強者。もう未承認国家などマニアックな国しか残っていないらしい。
昨日誰も見かけなかったのは外出するタイミングがちょうど私と入れ違いになっていたようだ。もう一人若い男の子もいるらしいが、その子はダナキルツアーから帰ってきたところで、疲れで熱が出て寝込んでいるそう。

昼頃、その日本人男性3名らと一緒に近所の食堂へ食事に行った。
初インジェラ。有名な「見た目雑巾、味はゲロ」というやつ。これがエチオピアの主食で80ブル(200円)。舌触りは柔らかいクレープみたいでふわふわしているし、味も酸っぱいだけで悪くはない。ゲロだなんて酷い言われようだ。まあ・・・でも同じ頼むなら米かパンかな・・・という感じで二度と頼みはしなったのだけれど。

どの食堂を覗いても、エチオピアの現地の男性らは昼間から何もしていないか飲んでいるか。
仕事がないのかな・・・

ローカルバスでメルカートへ

ハーフのSさんと一緒にメルカート(市場)に行くことにした。他の2名は体調不良なので宿でゆっくりするらしい。

宿から15分位歩いた所に大きな交差点があり、ここが色んな方面へ行けるバスの始発らしい。
周囲の人らに「メルカート?」と聞くと親切に乗るべきバスを指差してくれる。大型のバスで金額は20ブル(55円)。

噂には聞いていたが、ぎゅうぎゅうに人を詰め込めるだけ詰め込むまでバスは発車しない。市場まで直行便だったようで、この状態で誰も降りず、40分位乗っていてキツかった。高いけどBoltという配車アプリで来た方が楽だっただろう。

これがメルカート??凄い広い。想像していた他国のものとは違っていた。

何本も道があって道によって電化製品だったり雑貨だったり・・・という風に分かれているよう。市場・・・というより町だった。ウズベキスタンなどにあった市場みたいにいい雰囲気でもないし早々に退散。

長距離バスのバス停

明日、Sさんは旅ベテランTさんから聞いた北にあるダハルバールとへいう町へ向かうらしい。そこは10時間位かかりそうなので、私は地図で見て5時間位で行けそうな南にあるジワイという湖の横に村へ行くことにした。明日のチケットを買いに一緒に市場からすぐのバス停に来てみた。

Sさんはこの世界一周のために日本で2年間英語を勉強していたそう。あと社交的なので地元の人らとも会話が弾む。なので彼といるとすぐに目的の切符売り場が見つかった。
どこ行きのバスであろうと明日一斉にこのバス停から朝の6時に出発するらしい。チケットは当日乗ってから払えと。
そしてエチオピアでは何故か世界標準時刻より6時間ずれている独自の時間を使用している。バスターミナルの人らには「明日、12時ね。」と言われる。これ、知らなかったら昼の12時に来ていただろうなぁ・・・

アジスアベバの電車に乗ってみる

バス停の横に高架を走っている電車があったので帰りはこれで帰ることにした。渋滞は避けれるし揺れるバスよりは楽だろう。地元の人らに「切符どこで買うの?」と聞いたら皆親切に教えてくれる。ほとんどの人が流暢な英語が話せるので会話もスムーズだ。

Sさんは宿に戻ると言うが、私はエチオピアコーヒーで有名なTomoca Coffeeの本店へ行ってみたいので反対方向なのでここで別れた。

「PIAZZAへ行きたい。」と言うと10ブルだった。
高架の駅に入るには手前に3名の警官が立っていて厳重な荷物チェックと身体検査があり、スーパーで買ったばかりの水が没収されてしまった。

上からの景色はカオス。バスも人も入り乱れている。10分位待って電車に乗り「PIAZZA」と英語のアナウンスが流れたところで降りた。

またも教会。中は入れないので皆ガラスから覗き込んでいる。

訳すと『植民地化されなかったエチオピアの勝利』みたいな名前の博物館を横目に・・・

Tomoca Coffee

Tomoca Coffeeの本店に着いた。カフェでのんびり・・・なんて思っていたがまさかの狭さと立ち飲み形式だった。そして本当に店の時計は6時間ずれていた。海外のニュースを見た時など不便じゃないのだろうか??なぜそんな独自路線を行く。

カフェラテを頂く。美味しいけどコロンビアの方がダントツ美味しかったと言ったらエチオピア人に怒られるだろうか。比べることが出来ていい経験だった。

市場からPIAZZA行きの電車が空いていたので気を良くし、宿までも電車で帰ろうと反対方向の電車に乗ってみた。
これが東京の中央線より混んでいて失敗した。自分が乗った駅でもこの状態なのに、次の駅、そのまた次の駅でも後からどんどん人が乗ってくる。誰も降りないし次の電車を待とうともしない。ホームにいる警備員は無理矢理人を押し込める役目のようだ。そして人が挟まりドアが閉まらなくて、何度も何度も開閉を繰り返す。乗車率400パーセント位??

1人黒人の中にうずもれて腕も動かせない状態。誰も腕を動かせないのでここまできたらスリにすら遭う心配はないだろう。それどころかヘタしたら圧死するかもしれない。すぐに降りてタクシーに切り替えたかったが、車輛の真ん中まで追いやられ、どの駅に停車しても人が乗ってくるばかりで誰も降りないので身動き出来なくて降りれない。この状態で何駅もやり過ごし、やっと誰か降りるタイミングで人を押しのけ降りられた。

宿の人らの夜ご飯

なんとか降りた場所から45分位歩いて宿に戻ってきた。

一緒に市場に行ったSさんはテイクアウトを買ってきたというので、他の3名と近所のレストランに行った。ビールは置いていないので仕方ない。Tibsという肉の煮込みみたいなものを頼んだが少し辛い味付けで美味しかった。パンは2ヶ月位外に放置した?と思える位乾燥していたけど。
他の2名はピラフと米という炭水化物×炭水化物。

その後宿に戻り4人でビールを飲みながらお互いの旅について語ったり情報交換をした。
1年旅をしていてもう観光に飽きているのか、この時間が私には1番楽しい気がする。
旅先で出会う人らの経験や人生観を聞くこと。

170ヵ国達成のTさんはもう行ける国がほとんどなく、ほぼ未承認国家を周る旅になっているそう。今はソマリランド共和国(ソマリアではない)のビザ待ちでかなりまたされているらしい。
そこまで苦労して高いビザを取って現地の滞在時間は短くて、何のために行くのかと問うと「本音を言えば行きたくない、もはやスタンプラリー」とのこと。吹き出してしまう、修行かよ。

ダナキルツアーから戻ったばかりの24歳の男の子は社畜を辞めて旅に出たばかりの初心者。その割に英語は堪能だし、荷物が小さなリュック一つで1泊2日の荷物より少ないので旅のベテランにしか見えない。荷物の少なさに「絶対下着1枚しか持ってないよね?」と皆につっこまれていた。そしてずっとお腹を壊している。

ハーフのSさんは、他の2名と違い明るいパリピな人。どこからどうみても日本人には見えない。宿にいてもずっとipadで絵を描いていて「人と人が絵で会話出来る世界を造りたい」とか言っている。いや、それ面倒臭いでしょ。言葉の方が早いよ。

クセが強い人らとお酒を飲みながらの会話は楽しかった。私の電車体験を聞いて、他の2名も「エチオピアの洗礼を受けるためにこのホテルはエチオピアの天国みたいな場所だな。ずっとこのホテルに居たかった。

世界一周再開、エチオピア入国(Day325-326)

最近はインスタのハイライトで動画更新しておりますのでよろしくお願いします。
場所の雰囲気は動画の方がかなり訴求力があるので。

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世界一周再スタート

トランジットだとビザなしで行けるのを利用して中国の上海→韓国の済州島を経由してからアフリカのエチオピアへ。

世界一周で残るところはモロッコとヨーロッパ位なのだが(東南アジア、インド、ネパール、オーストラリアは昔周遊したため)エジプト以外のアフリカは未踏。

私が聞いていたアフリカは「石を投げられた」「宿やビザ代、ツアー代が高い」「ウザい」だったので行くつもりはなかった。しかしエジプトのカイロの宿で出会った人らが揃いも揃ってアフリカを縦断すると言うので気になってしょうがない。どんなところなのか興味が沸いてきてしまったので行ってみることにした。

エチオピア航空

クアラルンプールを経由し、朝の7時にアジスアベバに到着。
エチオピアン航空は機内食が付いていたが、ビールはぬるかった。後ろの空いている座席を3席取って寝れたので疲れはマシだが、自分以外黒人しか乗っていないのが不安でたまらない。これから未知の世界へひとりで行くのだ。

エチオピア入国

空港の入国審査で事前に申請・取得していたエチオピアビザが引っ掛かる。カウンターで「お前の持っているのは『ビザ取得のレシート』だ。あっちへ行け。」と言われる。

エチオピア大使館からきた「ビザ取得できました。Succesful!」と書かれたメールにはこれしか添付されていなかった。一瞬入国出来ないかと焦ったが、アライバルビザカウンターに行ったらメールに書かれた発行番号を見ながらちゃんと発行してくれた。メールにはレシートが2通届いていたからきっと大使館が添付を間違えたんだろう。ビザ代は80$もするのにこのいい加減さ・・・

無事入国審査を通過したら、いつものように空港内でSIMカードを購入。一番安いので20G、10$だった。

エチオピアも闇両替あり

カード屋のお兄さんに「ブラックマーケットで両替したいんだけど。」と話を持ち掛けるとブローカーの人を呼んでくれて、早速空港内で闇両替が出来た。30$と少額紙幣のみ両替したのでレートは悪い。公定レートが1$=56ブルのところ、67ブルで両替してもらえた。
(この後、街中かつ$札だ100と105ブル、つまり公定の倍のレートで両替してもらえた。)

Mad Vervet Backpackers Hostel

空港から20分歩いたところにあるバス停から、市内へ行くローカルバスが出ているのだが宿とは違う方向だった。RIDEというタクシーアプリが使えたのでそれでBooking.comで1番安かった宿へ向かう。

(宿に宿泊していたチュニジア人が空港を出て少し歩いたところで首絞め強盗に遭い1000$盗られたらしいので空港から歩かなくて良かった。)

8時頃宿に着き、チェックイン時間前だがベッドで寝させてもらえた。
ドミトリーは男女で分かれているようで、同室はドイツ人の留学生の女の子だけだった。宿の人からは「日本人の男が今3人宿泊してるよ。」と聞いたのだが見かけない。取り敢えず長時間飛行だったので少し寝ることにする。

アジスアベバの街散策

13時頃起きてシャワーを浴び、外出の準備。宿には人が誰もいなくなっていた。この周辺はひとりで歩いて安全なのだろうか?情報がなくかなり心細い。

宿はダウンタウンからは離れている。周囲は小さな商店や食堂、コーヒーショップなどがぽつぽつ並ぶ。子供が何かくれとジェスチャーしながらついてくる。食堂の人らに声を掛けられるが客が他に誰もいないしひとりで入る勇気がない。取り敢えず、タクシーは高かったので(15分乗って600円位した)ダウンタウンの方へ歩いてみることに。

キリスト教の教会を見かけた。中には入れず、皆外からお祈りしている。
出る時に、入口の鉄格子の門に全員キスをしている。軽い感じではなく舐め回している感じ。コロナ中ならあっという間に感染が広がっただろうな。

ガイドではないという男に付きまとわれる

アジスアベバは首都だけあって想像していたアフリカよりずっと都会だった。低中層程度のビルと途中で会社が倒産して建設が中断したような廃墟ばかり。観光客は私以外全く歩いていなかった。

アフリカって本当に楽しいのだろうか?私はなぜこんなところに来てしまったのだろう。特に特徴のない街を誰にも会わず30分以上歩いているとそんな疑問と後悔が頭をもたげてくる。

エチオピアと言えばナメック星に似た場所に行けるという1泊2日の「ダナキルツアー」が有名だが、そのハードな内容から「世界一過酷なツアー」と言われている。400$。そんなものは行かない。

スーパーで水を買う。40円位。野菜はシナシナのしか売っていなかった。

30分歩いてショッピングモールと書かれた場所にやって来たが全く賑わっていなかった。そこを出たら一人のエチオピア人に纏わりつかれエチオピアについて色々説明される。

「ちょっと待って下さい。ガイドはいりません。」と言うと
「心配しなくていい。私はドライバーをしていて駐車場まで帰るところなので一緒に歩いているだけ。」と言う。
もちろん信用出来ないがどこを観光していいか分からないので彼が案内してくれる通りに従ってみることにする。

最初ビッグマーケットというところに連れて行かれたがただの小さな店が2軒あるだけ、しかも閉店中だった。今日はラマダンの最終日らしくほとんどのお店が閉まっているらしい。

テカ・ネゲスト・ベアタ・レマリアム修道院

次は教会。陸ガメが何匹がいて写真を撮ってくれた。同行の男は警備員に怒られていたから本当は写真を撮ってはいけなかったのかも。

教会・・というか偉大なる皇帝のお墓らしいが中は見れず、見たければ鍵を開けるから外国人料金で200ブルと言われた。千円って・・・断る。

景色のいい丘にあるエチオピアのモニュメントへ連れて行ってくれ、ガイドではないと言う男は色んなことを教えてくれた。

『アジスアベバとは「新しい花」という意味。エチオピアはアフリカの中で唯一占領されていない国。他の国はイタリア、フランス、イギリスなのに占領され奴隷として酷使された。日本はアフリカに全く来てないだろ?だから日本は好きなんだ。走っている車は全部日本製だし性能がいい。あとアメリカも嫌いなんだ。日本はヒロシマとナガサキがあるからアメリカの敵だろ?』

彼の言い方はヨーロッパ諸国への憎しみがこもっていた。占領され酷使されたアフリカ人と原爆を落とされた私たちは感覚違うと思うし・・・センシティブ過ぎる話題はどう答えていいか分からない。

「エチオピア人って生肉食べるの?」
そこらじゅうの食堂の看板に生肉の写真があったので話題を変えた。
「そうだよ。昔ジャングルだったから。」
なるほど。まあ日本人も馬刺し食べるしな・・・外人に言うとドン引きされるけど。
食べてみたい好奇心はあるが、常温保管だろうしやはりやめておこう。

彼がまたマーケットへ行こうと言い連れて行ってくれた場所は小さなお土産屋だった。本物のビッグマーケットはラマダンの今日は休みで明日からオープンするらしい。これまでのお店も全て彼の知り合いのお店なのだろう。

やはり最後に揉める

16時を過ぎて日が傾きかけてき、1時間以上歩いて足が痛い。彼にお礼を言って別れようとすると急に態度が豹変して「ガイド代30$払え」と言ってきた。
案内してくれたのでいくらか払おうかと思ったが1時間もしないガイドで4500円とは強欲過ぎる。

200ブル渡そうとすると『もっと寄こせ!』と言うのでムカついて走って逃げてしまった。周りの人らが「いいぞー逃げろ、逃げろ!」と笑いながらはやし立てる。

大通りに面したところまで出てアプリでタクシーを呼んで宿まで帰ったが、200ブル位は渡したら良かったと後悔した。私もまだ30$しか両替していないので手持ちのお金がないのだ。早く両替商を見つけないと。

宿にはレセプションもキッチンも人の気配が全くなかった。
もう暗いのでひとりで外出するのは危険だろう。朝から何も食べていないがしかたない。
かなり疲れたのでそのまま少し寝てしまった。

23時頃起きて共有スペースに行ったが外国人が2名いるだけ。日本人がいると聞いたのは聞き間違いだったのか・・・

明日からもひとり。

孤独で不安な気持ちのままアジスアベバの初日を終えた。

帰国してからいろいろ

2月の頭に帰宅してから2カ月近く経ってしまった。今また世界一周を再スタートさせ上海にいる。

誰かにブログを見られている気がして更新していなかったのだが、案の定、海外で出会った旅友に「ブログ見つけた」と言われ、とても恥ずかしかった・・・

恥ずかしいなら公開しなければいいのだが、文章を書くのは好きだし、旅の記録やその時感じたことを残したい気持ちが強い。
インスタに写真はアップしているのだが、「綺麗だった、これが美味しかった」といった感想じゃなく、ブログには本音を残している。その性質上、ネット上の知らない人に見られるのはいいのだが、知り合いに見られるのは顔から火が出る程恥ずかしい。

旅先で出会う人らには、容易に検索ワードでここを見られてしまうのは覚悟しないといけない。
しかし私の辿った経路の記録が誰かの役に立ったり、反応があるのは嬉しい。
そしていつか読み返したいとは思うので、ブログは続けてしまうんだろうな。今後非公開にするかもだけど。

帰国してからの感想

先月、4ヶ月半の中東~エジプトの旅を終え帰宅し、久々自分の部屋に入るとスッキリし過ぎていてびっくりした。ミニマリストだったのでほとんどモノを置いてなく、快適極まりない。これは続けたい。
再び家の中の不用品を探してはメルカリで売りまくった。

そして書類が想像していた通り、かなり届いていたのでその処理をした。
アゼルバイジャンで止められてたメインのクレジットカードの再発行が届いていたり、株主優待の商品だったり。退職してからiDeco口座もほったらかしにしていたので処理した。1年以上経っていたのでややこしかった。

イランで半分破られたパスポートも日本の優秀な紙用ボンドで修復した。何の遜色もなく元通りになった。1.6万の再発行代が助かった。

スーツケースも靴も穴が開いていたし、持っていっていた服もボロボロだったので、次の旅に備えて必要なものは全て買い直した。ヨルダンで盗まれたユニクロウルトラダウンも。

こうして準備が整うとまたすぐ旅に出たくなる。帰国後の仕事は心配していない。この歳で再就職出来るか分からないけど、前の職場の人らから元上司らが「戻ってきてくれへんかなー。」と言ってると聞いた。戻らないけど最悪頼んだらどこか空いてる部署にねじ込んでくれるのかな。

就職出来ないことより、旅に行けなくなることの方が遥かに怖かった。早く旅に出たくて毎日うずうずした。

しかしすぐには出れなった以下の理由で。

保険適用で眼瞼下垂手術

旅の後半、鏡に映った自分の顔をふと見ると、いつもおでこが上がっていてシワが刻まれていることに気付いた。加齢のせいかと思ったが、おでこに力を入れていないと目が開かない。

ネットで調べると瞼の筋肉が伸びきって働いてなく、保険で4.5万で治療できるらしい。
瞼を切開し、瞼板から離れた挙筋腱膜を瞼板の近くに縫いつける・・・という恐ろしい手術のようだが、今のままだと目を開けるのがしんどくて日常生活に支障をきたしているので手術を受けることにした。肩コリや頭痛も治るらしい。

慎重に3社カウンセリングに行き、予約が取れなくてそれに3週間かかった。手術の予約が2週間後、手術後の1ヶ月検診も受けないといけないのでこんなにも日本滞在が伸びてしまった。

現在は手術後の瞼が腫れている状態。二重のラインが太くなって、今の自分の顔がとても気に入らないが、半年から1年かけて腫れは引くらしい。目を開けるのはかなり楽になったので受けて良かったのだろう。あとは半年後に元の自分の目の形に戻るのを祈るばかり。

クロス補聴器を購入

旅先で出会った外国人の人たちと凄く交流がしたいのだが、私は3歳の頃から左耳が聞こえず、左側に座られると会話が全く聞こえない。疲れたふりしていつも部屋に戻っていた。

日本でも大勢で会話する場は苦手だし、避けてきたが、海外ではそうもいかない。
今回旅先での会話が上手く聞き取れないのがもどかしく、色々調べると片耳難聴の人用のクロス補聴器というものがあることが分かった。

これを3週間、補聴器センターに通って音を調整しながら購入してみた。28万もしたが効果はいまいち不明…失くすのが怖いが海外でも一応使ってみることにする。

この片耳が聞こえないせいで人との交流が制限され、小さい頃から悔しい思いをいっぱいしてきた。両耳が聞こえていたら違った人生だったかもと思うこともある。英語は特に聞き取り難くて辛い。

歯の治療

昨年の5月に歯の神経が痛くなって急遽パラグアイから帰国したくせに、実は治療していなかった。

歯医者には何度も通ったのだが、医者には「虫歯ではないし腫れているだけだけど様子を見る?」と言われ、2年前につけたセラミックの被せに穴を開けるのが嫌で様子見にしていた。
しかしその後、汚いが歯茎からずっと膿が出てくるようになってしまい、いよいよ治療することにした。歯の中の神経が腐っていたようだ。

ずっと膿んでいたのでケチらず早く治療しておけば良かった。不衛生だったし歯の下の骨が少し溶けてしまっていると思う。

日本での暇つぶし

そんなこんなで日本滞在が長引き、お金は出て行くばかり。
旅先で出会った人らの中には短期でリゾートバイトしてお金を貯め、また世界一周に出ている人らがいる。うらやましい。

私の職種ではそんな短期の仕事は出来ないし、そもそもリゾバなんてする体力がない。
暇なので証券会社にいた頃の知識で毎日9時~15時まで株取引。今回の中東旅の旅費位は稼げてしまった。

なんであの時エジプトで90円ごときを払った払ってないで揉めたんだろう。ああ恥ずかしい。

そして旅先で出会った韓国人らの影響を受けU-Nextの会員になり韓国ドラマ「ペントハウス」を見始めたのだが、ハマってしまった。

シーズン1だけで41話あり、シーズン3まで1ヶ月かけて全部見てしまった。本当は洋画を見て英会話の勉強をしたかったのに膨大な時間を無駄に・・・しかしやめられない位面白い。

あと、旅で出会った人らがインスタのストーリーに面白い投稿をしていてよく見ていて、自分もアップしてみることにした。動画を編集してハイライトに保存。

見返すことがないと思っていた、昨年の中米旅で撮りためた動画を世に放出することが出来た。そして意外と1年以上前に旅先で知り合った人らが見て連絡をくれ、また繋がれたのも嬉しい誤算。

今はインスタで本当に世界が広がる。
旅情報もいっぱい貰えるし、昔の旅と楽さが変わった。

そんなこんなで目と歯の治療も終わり、今上海。
わくわくする日々がまた始まった。

2024年 中東・エジプト4ヶ月半の費用

イラン滞在中にクレカの保険が切れ、パスポートも破れ、メインクレカがアゼルバイジャン以降不正利用で止まっているし、2月のエジプトは寒すぎるしで旅を続けるのを断念、一時帰国。

暑くなる前に3月中にモロッコへ飛ぼうと思っていたが、またも歯医者などで4月半ばまで日本に足止めされることになった。
2月3月と丸々何も出来ない空白期間になるのが惜しいが仕方ない。英会話の勉強とインスタの写真整理でもしようか。
4月半ばにミラノサローネが開催されるので、デザインの勉強のために治療が終わり次第イタリアへ飛ぼうかと思う。

9月にウズベキスタンから再出発した中東・エジプト旅の費用をまとめてみた。

期間:2023.9.22~2024.2.5

最初のウズベキスタン12日間だけ友人と3名での観光旅行。
ドミトリーではなく、朝食付きのいいホテルに泊まった。

それ以降はひとり旅で、ドミトリー宿泊のバックパッカースタイル。
締め付け過ぎず、たまにシングルに泊まったり、高くて美味しいものを食べたり。
ウズベキスタン以降は全く行き先を決めていなかったので、出会った人らに聞きながらフラフラ周遊。

経路

  • ウズベキスタン:タシュケント→ヒヴァ→ユルタキャンプ→ブハラ→サマルカンド→タシュケント
  • キルギス:ビシュケク→カラコル→アルティンアラシャン→チョルポン・アタ→ビシュケク
  • カザフスタン:アルマトイ→飛行機で飛ぶ
  • アゼルバイジャン:バクー→シェキ
  • ジョージア:シグナギ→トビリシ→<アルメニアへ>→カズベキ→トビリシ→ムツヘタ→クタイシ→バトゥミ
  • アルメニア:エレバン
  • トルコ:トラブゾン→カッパドキア→アンカラ→コンヤ→アンタルヤ→パムッカレ→セルチュク→イスタンブール→飛行機で飛ぶ
  • イラン:テヘラン→イスファハーン→ヤズド→シーラーズ→バンデラアッパーズ→ケシュム島→バンデラアッパーズ→バム→バンデラアッパーズ→テヘラン→飛行機で飛ぶ
  • ヨルダン:アンマン→ペトラ→アカバ→フェリー移動
  • エジプト:ダハブ→カイロ→アレキサンドリア→シワ→カイロ→ルクソール→カイロ

飛行機・フェリーと記入のあるところ以外は全てバスか列車で移動。
南米はLCCとバスの金額があまり変わらなかったのでよくLCCを利用していたが、中東はバス・列車が安かったので陸路移動。
イスラエルがあんなことにならなければヨルダン→エジプト間は陸路で行けたのだけど。

項目別グラフ

4.5ヶ月間の滞在費は上記グラフの690,570円。
往復の航空券代【日本→ウズベキスタン(70,487円)、エジプト→日本(37,463円)】を含めると・・・

総計798,529円となった。

同じ位の期間でアメリカ→メキシコ→中米→南米は150万よりはかなり安く終わった。
中南米がほとんど日本人に会わなかったのに対し、今回は様々な出会いがあり、人やイスラム文化と深く関われた楽しい旅だった。特にイランが。

暑いウズベキスタンから入ったため、途中でセーター3枚とジャケット1枚を購入。日本でも着れるようにZARAで購入したので、この服代は旅費に入れなくてもいいかもしれない。

シュクメルリ

生活用品はシャンプー、リンス、化粧品、歯磨き粉などの買い直し。
食費は食い倒れジョージアで散財し過ぎた笑

国別グラフ

国別グラフ。
アゼルバイジャン、イラン、ヨルダンには飛行機で飛んだのでその費用が含まれている。
そしてイランとエジプトにはビザ代が含まれている。しかしこの2国の滞在費が群を抜けて安い。(闇両替のお陰だろう)

国別の費用内訳

ウズベキスタン12日

タシュケント→ヒヴァ→ユルタキャンプ→ブハラ→サマルカンド→タシュケント

総計79,015円
主にホテル代。レジャー費の大半はユルタキャンプ代120$。

キルギス・カザフスタン14日

キルギス:ビシュケク→カラコル→アルティンアラシャン→チョルポン・アタ→ビシュケク
カザフスタン:アルマトイ

総計54,266円
カザフスタンには3日しかいなかったのでキルギスと一緒にまとめた。カザフは外食費高い。

アゼルバイジャン7日

バクー→シェキ

総計51,292円。
カザフ→アゼルバイジャンまでの飛行機代を除いた純粋な滞在費は19,612円
自炊していたし、博物館や城に入っていないし、何してたんだという位安い。

ジョージア20日

シグナギ→トビリシ→<アルメニアへ>→カズベキ→トビリシ→ムツヘタ→クタイシ→バトゥミ

総計117,717円
前半7日、アルメニアに行って戻ってきた後半13日の計20日。
日本人の人らと、飲み、ワインセミナー、鍋パーティなどに参加していたので食費が凄い。
ジョージアの外食は全然安くないし、ドミトリーも1泊千円を超える。
寒くなってきたのでセーターや靴下など購入、歯磨き粉やシャンプー、化粧水も無くなったので補充。
縦断した割に移動費は安い。

アルメニア7日

滞在はエレバンのみ

総計30,385円
高級アルメニア料理や日本食レストランに行って散財。レジャーはツアーと博物館代。935円の博物館は入る価値なかったかも。

トルコ17日

トラブゾン→カッパドキア→アンカラ→コンヤ→アンタルヤ→パムッカレ→セルチュク→イスタンブール

総計104,515
トルコもジョージアと同じく縦断。気球ツアー、パムッカレ入場費などレジャー代が一気に高くなる。SIMカードも高かったのでeSIM購入。宿代もイスタンブールのドミ以外高かった。

イラン24日

テヘラン→イスファハーン→ヤズド→シーラーズ→バンデラアッパーズ→ケシュム島→バンデラアッパーズ→バム→バンデラアッパーズ→テヘラン

総計91,669円。
トルコ→イランまでの飛行機代と2024年2月から廃止されたビザ代を除いた純粋な滞在費は
68,805円
外食もしていたし、個室にも泊まったし、正月料金の5,400円の宿にも宿泊したのにこの滞在費。
本当に100$両替したら全然減らなかった。ヒッチハイク・・・というか親切なイラン人たちが5回タダで車に乗せてくれた。安過ぎ、イラン。

ヨルダン9日

アンマン→ペトラ→アカバ

総計79,347円。
イラン→ヨルダンまでの飛行機代と出国税を除いた純粋な滞在費は
39,912円
殆どが世界一高い入場料のペトラ遺跡代。

エジプト23日

ダハブ→カイロ→アレキサンドリア→シワ→カイロ→ルクソール→カイロ

総計82,373円。
ヨルダン→エジプトまでのフェリー代11,039円とビザ代25$を除いた純粋な滞在費は
67,581円
ここも外食もして、ダイビング2回して、クフ王のピラミッドの中に4,900円で,入ったというのにこの滞在費。宿もタクシーもずっと複数人で移動していたのもあるのだろうな。エジプト楽し過ぎ。

所感と反省点

最初のウズベキスタンとキスギスは本当に食費・移動費が安くイージーモードだった。
ジョージアとアルメニアでは、もっと自炊すれば食費は抑えられた。
トルコのアンタルヤとアルメニアのエレバンの博物館は面白くなかったので行かなくてもよかった。
ヨルダンでカードを使うと勝手に日本円換算ボタンを押されて請求額が高かったので(ペトラ遺跡も)現金を下ろして使えば良かった。

一人で移動するより、知り合った人らとタクシー、宿、食事をシェアしたら安くあがるし楽しい。人に合わす忍耐力、自分と違った価値観も学べたと思う。
日本人じゃない人も入れて周る方が、学びの振り幅や刺激も大きく楽しい。しかし私の英語力だけでは話が盛り上がらないので、色んな国々、場面で一緒にいてくれた日本人の方々に感謝する。

去年から旅をしていてつくづく感じるのは、その町の印象は、宿泊した宿とそこにいたメンバーによるところが本当に大きい。
この宿だから快適で楽しかったと言うわけでなく、そこでどんな人と出会うかが旅の楽しさを左右し、それは正に運とタイミングである。

私は今後もドミトリーに泊まり、様々な人と関わり、自分とは違う価値観や考えを学びながら旅を続けたいと思う。

次の出発が待ち遠しい。

3度目のカイロ、ニューカイロショッピング。旅の終わり(2024.2.1~5)

2024.2.1(木)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒65エジプトポンド(闇レート)

ウェイク アップ!カイロ ホステルからの景色。
カイロの建物は廃墟のようなものばかり。

宿の朝食。まあエジプトだとどこもこんなもの。
ここに日本人の大学生の男の子もいたので私たちと4人で食べる。ひとりで卒業旅行に来ている素直でかわいい子だった。

ここまでずっと一緒だった中国人のLenが、朝食後すぐ空港へ向かうと言うので下まで見送る。
彼の起床時間の遅さとシャワーの長さには散々振り回されたが、ダントツで彼の人格の魅力の方が勝っていた。本当に楽しかった。他の中国人たちとも触れ合い、中国人に対する見方が変わった。
この年齢になっても、人から影響を受けることがあるのが楽しい。

昼のハンハリーリ・バザール

カイロは3週間前に初めて来た時よりかなり寒くなっていた。
同行者のTがひとりでキャンプ用品を買いに行くと言うので、私は闇両替屋を探すことにした。
あと3日しかいないが、ホテル代をエジプトポンドで払うと足りない。ルクソールであんなにいいレートだったのでもっと替えておけば良かった。

宿の他の客が「GoBusステーション前で両替した。」と言うので行ってみたが、両替商みたいな人は見当たらない。外国人がたむろするバザールにならいるのではないか思いやって来た。
道路に寝そべっているノラ犬たちを、エジプシャンの女性たちは「どけ」と蹴りまくっている。エジプトのノラ犬は弱い。

Uberでバザールの入口で降りると、降りた瞬間から若いエジプシャンの男の子に「英語を練習したいから案内させてくれ。」と声を掛けられる。やはりひとりの方が、現地の人に声を掛けられる率は高い。

彼が付近を説明してくれる。
「あっちは〇〇モスク、登るのにお金がいるよ。あっちは香辛料マーケット、あっちはカーペット、あっちはブラックマーケット・・・」
「ちょっと待って。ブラックマーケットって何?」
やった、ビンゴ。しれーっと聞いてみる。
「闇両替屋だよ。」
「私両替したいんだけど。」
「僕が両替してあげるよ。1$=45ポンドでどう?」

昨日ルクソールで1$=65ポンドで両替したので、そんなレートでは両替しないと告げると、彼はあるカーペット屋の亭主の所へ案内してくれた。亭主は1$=55ポンドで両替してくれるという。
Tも両替したいと言っていたので、後で友人と必ず来ると約束して店を出た。

エジプシャンの男の子がもっと案内してくれると言うが、間違いなくチップを要求されそうなので丁重に断り、ひとりでファラエルサンド屋で昼食。たったの10ポンド(30円)だった。

バザールを歩いてみる。

前回は夜に来たので全く形相が違う。モスクが点在していて昼に来た方が建物見学としては楽しめる。

Al-Aqmar Mosque(モスク)

入口でエジプシャンに「中に入れよ。」と勧められるがままにモスクに入る。

無料のはずなのだが、出る時に「お布施、マニー!」とやはり請求される。

そのモスクの向かいの、モハメド アリの時代に設立されたというモスクにも入ってみる。

この地下は水を貯めていた場所らしい。ここのカギを開ける人が、鍵と一緒に100ポンドの札束を手にちらつかせていたのでそうなるとは思っていたが、見学後に100ポンドも請求された。
笑いながら謝ってダッシュで逃げた笑

その後、キャンプ用品店からやって来たTと合流して、さっきのカーペット屋へ行き2人で50$を両替した。Tは交渉が上手いので、一度1$=60ポンドで両替してもらえた。

ニューカイロ

Tがお目当てのキャンプ用品が見つからなかったと言うので、観光も兼ねてニューカイロのショッピングモールへUberで来た。移動は1時間近くかかった。

目星を付けていたモールは閉店。ニューカイロ、大丈夫なのか。
少し離れたショッピングモールにも行ってみたが、どこもショボかった。

ニューカイロは高級住宅地として開発中のような雰囲気で、車でしかモール同士は移動出来ない位離れている。モノレールは工事中だし、開発が失敗している感が否めない。

Citystars Mall

ニューカイロでキャンプ用品が見つけられなかったので、またUberで移動して、オールドカイロ近郊のショッピングモールへ。
ここに入っている店舗はどれもかなり高級店だったので、近くのキャンプ用品屋をみつけてお目当てのものを購入し、夜ご飯を食べて宿へ戻った。

サファリ ホステル

昨日のホテルが延泊出来なかったので、そこから徒歩で行けるホテルに移った。

雑居ビルの5~7階まで名前がは別だが経営者は同じっぽいホテルが並ぶ。昔日本人宿だったと思われる「ベニス細川家」という名前のホテルも6階にあったが、オーナーの細川さんはとっくに亡くなられていてフロントはエジプト人になっていた。

なかなかディープな内観のビル。

最上階なのにエレベーターが壊れている。スーツケースを上まで運ぶのは地獄だ。幸い登る時も降りる時も同じ宿の日本人男性が運んでくれた。助かる。

部屋はかなり天井が高くて広く快適だった。ツインで一部屋7$。


次の日。
宿は一応朝食付きだったが、キツイ内容。キッチンは使えるような清潔さではなかった。
1泊1人3.5$なのでまあいいが。
ここも昔日本人宿だったのか、本棚には日本語の漫画が並んでいた。
ここと下の階の「ベニス細川家」に日本人男性がいた。皆、今後アフリカへ南下すると言う。
アフリカへ行く人らが集まる宿なのか、ここは。

Tと最後の食事を食べに出掛ける。

レバー肉が美味しかった。彼は今日の夕方、別の国へ旅立つ。
3週間も一緒にいたがとうとうお別れだ。

何をするでもなく彼の飛行機の時間まで一緒にロビーで漫画を読み、時間になると下の階まで見送った。別れの時間が近づくにつれ淋しくなってきて会話がなくなった。

彼が「また会いましょう。」と言って手を差し出すので、握手をして別れた。

「ありがとう。」そう言って、彼に背を向けて町中へ歩き出す。ボロボロ涙がこぼれた。
他の人と別れる時はそんなことなかったのに。
ずっとほとんど一緒だったからだろうか。
なぜか彼とはいつまでも会話が続いて楽しかった。そして凄く頼りにしていた。

年齢も、性別も、住んでいる場所も全然違うので、もう会うのはきっとこれで最後だろう。
旅での出会いなんて一期一会。

大丈夫、日常に戻れば私はすぐに忘れるだろう。

ベニス細川家(ホテル)

昨日宿泊していたサファリ ホステルに「同じ料金で私一人だけ延泊したい。」と言ったら、面倒臭そうに「コンプリート(満室)」と言われた。嘘っぽいが鬱陶しいので下の階のベニス細川家の男女混合ドミトリーにBooking.comから予約を入れて宿を移る。

ドミトリーを予約したのに、フロントには「政府からの指示で女性はドミトリーに泊れなくなったんだ。予約システムが機能してなくてごめん。」と言われた。
ベッドが3台ある部屋に一人で泊めさせてもらう。190ポンド。

夜ご飯はウェイク アップ!カイロ ホステルで一緒だった大学生の子を誘って一緒に食べた。
イランに行った話をすると「イランって歴史あるんですか?」「イランってキリスト教?」など聞いてくる。これが日本の大学生と思うと頭が痛い。
高校でペルシャ時代とか習わないのだろうか?ニュースを見てもイランが何教なのか分かりそうなものだが・・・
しかし素直で人懐っこくて、倍以上の年齢の私に普通に会話してくれる彼はかわいかった。


次の日。ホテルからの景色。私も今夜の夜中3時の便で帰国する。

キッチンは上のホテルより清潔さがマシだったので、ここで余っている手持ちの米や調味料を全て使い切った。
ロビーで日本人男性に会った。今このホテルのドミには日本人男性が5名も宿泊していて、全員今からエチオピアまで飛行機で行き、そこからアフリカ大陸を縦断するらしい。

そこまで皆が行くアフリカに何があるのか。辛いと聞くので自分のルートには入れていなかったが興味が沸いてきた。サファリやマダガスカル位はルートに入れてもいいかも知れない。

カイロ国際空港まで地下鉄で移動

最終日にどこかのモスクにでも観光へ行こうかと思っていたが、気分が切れてしまい、行く気分になれなかった。

飛行機は夜中の3時だが、暖房のないホテルのロビーが寒すぎるので、もう空港へ向かうことにする。
時間がかなりあるので、暇つぶしに空港までタクシーではなくローカル移動に挑戦。

宿から地下鉄の駅まで歩き、グリーンのラインに乗る。8ポンド。24円、安過ぎる。

GoogleMapで見ると「El Nozha(エルノズハ)」という駅が空港に1番近いようなので、40分位乗ってそこで降りる。

降りるとすぐミニバスステーションのようなところがある。
「エアポートに行きたいんだけど。」とその辺りに立っているおっちゃんに聞くと
「このバスだよ。」と教えてくれた。そしてなぜかおっちゃんも一緒に乗り込んでくる。

地図で見ると空港まで近いのに、ミニバスでかなり走った。降りる時に30ポンド支払った。
ここからまた無料のシャトルバスでターミナル2まで移動しないといけないらしい。
一緒に乗り込んできたおっちゃんは手ぶらなので空港に用事はなさそうなのだが、親切に案内してくれる。
しかし・・・先程から微妙にボディタッチをしてくるのが気になる。

無料の空港シャトルバスが来た。
ここまで案内してくれたおっちゃんには「ここからは一人で行けるから大丈夫だよ!」と告げるが「俺も空港に行くから。」とまた一緒に乗り込んでくる。
2人掛けの座席の奥に私を座らせ、自分は通路側に座る。案の定、右手が伸びてきて、ずっともも、腰、お尻を触られた。

体をひねって抵抗して「もしもーし?」と話し掛けるが、その度にとぼけて「僕と手をつなぐ?」などと言ってくる。座席の奥に座らされて逃げれない。
エジプトではずっと複数人で移動していたから男性のセクハラ具合に気付かなかったが、女一人になったとたんやはりこんな目に遭う。イランでもすれ違いざまにお尻を触られた。イスラム教の国の男性って外国人は触ってもいいと思っているこんな人ばかりなのだろうか。

長い時間かけてやっとターミナル2に到着。

空港内まではおっちゃんはついて来なかった。

タクシーに乗らなかったおかげでお金が余り、空港内の高いケーキもラテもいただくことが出来たが、これはセクハラと引き換え・・・

0時になってチェックインカウンターが開いたので、荷物を預けセキュリティを通ってラウンジへ。

カイロ国際空港のラウンジはショボかった。シャワー有料、アルコールなし。

エディハド航空に3時に乗る。日本まで3.7万円という格安飛行機なのに預け入れ荷物も機内食も付いている。夜中3時発だから安いのだろう。

アブダビ国際空港

早朝、経由地のアラブ首長国連邦のアブダビ空港に到着。
トランジットの時間は12時間以上ある。職員に「1度外に出てもいいよ。」と言われたのでドバイ観光でもしようかと検討したが、眠過ぎて止めることにした。今の私にはあのソファで昼寝する方が魅力的だ。

さすがお金持ちの国。空港が綺麗過ぎる。外に出なくても、広いアブダビ空港のデザインを見ながらウロウロするのは楽しかった。ラウンジ内でもないただの通路にあるトイレに無料のシャワーが付いているのも驚き。持ち込み荷物にシャンプーを入れておくんだった。

ラウンジに行ってみた。プライオリティパスのHPには「滞在3時間まで」と書かれていたが、空いているからか、いつまででもいれるようだ。

ラウンジで思う存分食べ、ビールを飲み、昼寝した。
ギリギリまで寝てしまい、目が覚めるとまたいつものように私の名前がファイナルコールで呼ばれていた。

21時発の関空行きの飛行機に乗り込む。乗っているのは日本人ばかり。
ガラガラだったので3席利用して睡眠を取らせてもらった。
それにしてもエディハド航空の人たちはめちゃめちゃ感じがい

帰国

次の日の朝。10時間で関空に着いた。

ダサいデザインの空港。荷物受け取り所の床の、無機質なデザインのPタイルを見て1番に思ったことは

「帰ってきたくなかった。」

その思いが強かった。カイロからヨーロッパかアフリカ大陸南下か・・・そのままどこかの国へ移動してずっと旅を続けたかった。
ずっと、次に行く国のこと、国境の越え方など考えてワクワクしながら過ごしたかった。

保険が切れている状態で旅を続けるのは危険だろう。
昔、保険が切れていて病院へ行かずマラリアで亡くなられた夫婦の話はバックパッカー界隈では有名だ。
日本で色々書類で手続きをしないといけないこともあったし、このタイミングでの帰国は仕方ない。

9月半ばにウズベキスタンから始まり、ジョージア、イラン、エジプトにはかなり長い時間いた。
中東・アフリカ旅がこんなにも楽しいものだなんて。
まさか自分がイランに行くことになるなんて。行く前には想像だにしていなかった。

イスラム教の国のイメージがテロがあって怖いだなんて勝手な思い込みだ。
そこに暮らす人たちは皆、フレンドリーで親切だった。宗教観念上、助け合いの精神が根付いていてヒッチハイクが容易に出来、困った時にいつでも助けてくれる。島国で暮らす私たちは無知すぎる。

南米旅ではコロナ禍もありほとんど日本人に会わなかったが、今回はなんて沢山の出会いがあったのだろう。日本人だけでなく、出会った外国人らも含め、私は様々な影響を受け、考え方が変わった。

もう仕事を辞めて1年以上にもなるが、まだまだ行きたい国がある。もっと色んな人から色んな影響を受けたい。もっと見たことがない世界を見たい。
旅の途中で仲間の訃報を聞いて思ったが。。。

人はいつ死ぬか分からない。
今やりたいことを全力でやらないと「いつか」なんて思っていると、そんな日は永遠にやって来ないかもしれないのだ。

だから私は旅を続ける。これからも。

現在、一時帰国中。

私の旅はこれからも続く。

カイロまでミニバスで向かってみる。旅の途中で聞く仲間の訃報(2024.1.30~31)

2024.1.30(火)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒65エジプトポンド(闇レート)

10時頃起床してパッキング。残りのご飯やラーメンで朝食を作って食材を片付け12時にアパートをチェックアウトする。Lenは相変わらず12時位に起きてきて私たちと一緒にカイロに向かいたそうだったが「今から朝食を作って食べてから行く。」と言い出したのでアパートに置いてきた。

ルクソールからカイロへミニバスで向かう

いつも通り10ポンドを払って西岸から東岸へ移動。

荷物を引きずってルクソール神殿の前を通り・・・

鉄道駅付近の旅行会社へ来た。
ここからカイロ行きのGoBusに乗るつもりだったが、同行者が「それじゃあ面白くないからローカルバスで北上して途中の町で1泊しながらカイロへ行く。」と言うので、面白そうなのでついて行くことにした。
そんな経路はネットのどこを探しても載っていない。誰もがルクソールからはカイロ直行だろう。

旅行会社で、英語が堪能なTがローカルバスでの行き方をスタッフに聞いている。
私には「ここから15分歩いた所にあるミニバスステーションからバスでキナという町に行ってで乗り換えろ。キナからはソハグアシュートなど色んな町へ行く大きなミニバスステーションがあるよ。」という話しか聞き取れなかった。
15分以上スタッフと話し込んでいるTに「何を話しているの?全然聞き取れない。」と聞くと「ずっと同じ内容を繰り返し言ってた。」と言う。うーん、エジプト人しつこい。

最高レートの闇両替

更にここのスタッフに頼んで別の場所にいた闇両替屋も呼んでもらった。
最初1$=50ポンドと言われたのに、Tは「昨日65って言ってた人いたし、じゃあいいや。」と帰るふりなどして、あっという間に1$=65ポンドまで価格を釣り上げた。器用で交渉術に長けている人は羨ましい。私なら最初の50ポンドで両替していただろうな。ありがたく便乗してこの金額で30$だけ両替する。

それにしても本当はいくらでエジプトのブラックマーケットは流通しているんだ。
65ポンドで応じるってことは75ポンド位で取引されているのだろうか??

徒歩15分のローカルバスステーションまで歩いて行こうとすると、旅行会社のスタッフが知り合いのタクシーを呼んでくれた。ドライバーは自分で「俺はいい奴。バス停まで30ポンド(90円)でいい。」と自己紹介する。
そしてタクシーの中で話込んでいると、最後の方で「北上するのか・・・昨日オーストラリア人カップルを送迎したんだけど、川沿いのルートは検問があって外国人は通れなかったと言っていた。」と言い出す。

ルクソールのケナ行き、ミニバスステーション

そしてバスステーションに着くと、ドライバーはアラビア語で入口のガードマンに何か色々聞いていて「やはり川沿いを通るこのバスでは、途中でパスポートコントロールが3か所あり外国人は通れないらしいぞ。俺が検問のない砂漠地帯を通って送ってやる。2人で10$でいい。」と言う。

確かに、カイロからルクソールまで来るバスも、大きく迂回して砂漠地帯を通って来た。なので本当だろうか。
考えあぐねていたら、Tが「通れなかったら、もうケナに行くの止めて、ルクソールの町に戻って大きなバスでカイロまで行くよ。タクシーでは行かない。」とはっきり断る。
ドライバーは「絶対行けないぞ!それにタクシーの方が楽じゃないか。じゃあ8$!」と金額を下げてくる。それでも断ると「7$でいい、日本人からしたら7$は高くないだろう、なぜなんだ!」と態度急変。

ルクソールからケナまでミニバス移動

タクシーで1時間以上かかる距離を7$は高くはないけど、嘘をついて騙すその態度が嫌だ。それにローカル移動がしたい。
怒るドライバーを後にしてバスに近づくと「外国人は無理」など全く言われず普通に乗れた。

満席になったら出発するスタイル。30ポンド。「外国人は行けない」なんてやはりタクシー運転手は嘘をついていた。

途中の景色がのどかでいい。
砂漠地帯を通るGoBusに乗っていたら見れなかったであろう、川沿いののどかな田舎町の風景を堪能する。

ケナのミニバスステーション

1時間で終点のケナの町中に降ろされた。
乗客に英語を話せる人がいたので聞き込みをすると、ここからまた西へ車で10分程行ったミニバスステーションからでないと、他の町へ向かうミニバスには乗れないらしい。

その乗客の人がタクシーを呼んでくれ、バスステーションまでタクシーで40ポンドで行ってくれると言うのだが、さっきのタクシー運転手のせいで疑心暗鬼になっていた私は、更にその辺の地元の人に聞いてローカルバスに乗り込んでバス停へ向かうことにした。5ポンド。

15時半。ミニバスステーションに着いた。
Tが今日はアシュートという町まで行きたいと言うのだが、アシュート行きのバスはさっき出たばかりだと言う。

まあトイレに行ったりご飯を食べたりしていたら、すぐに人が集まってくるだろうとたかをくくっていたのだが・・・

私たち2名の他に全く人が集まらない。1時間以上経ってやっと他に2名だけ来た感じ。
ケナの町中に着いた時に、ここまでローカルバスじゃなくタクシーで来ていたらもう1本前のバスに間に合っていたのだろうか。自分が選んだ手段に後悔するが、たらればで判断が難しい。

2時間以上待っても6人しか集まらなかった。もうこの町に宿泊しようかと相談していたところ、運転手に「もう出発するけど一人100ポンドでいい?」と聞かれる。本当は70ポンド位の料金なんだろうけど快く了承する。

17時45分に出発。
満席になっていなくてもバス会社の負担を心配することはなかった。途中の道路でこのバスを待っていた地元の人たちが何人も立っていて、直ぐに満席になった。
そしてミニバス。昼間は感じなかったが、日が暮れるとびゅんびゅん容赦なく引き違い窓の隙間から冷たい風が入ってくる。それが冷たすぎて凍えそうになった。これは盲点だ。

アシュートに到着

21時にアシュートという町に到着した。
観光地ではないのか、Booking.comで予約できる宿がない。
町中の繁華街付近で今夜泊まれそうな宿を歩いて何軒も聞くが、安いところは満室、他は1泊1人3千円位と高かった。

エジプト最安値宿

歩いている地元の人に聞いて案内されるホテルも全部高かったので、Tがミニバスの中で予約しておいた郊外のユースホステルへタクシーで移動して行くことにした。
どうやって見つけのたか聞いたらGoogleMapで検索し、そこに載っている電話番号にかけて値段を聞き、押さえのために予約しておいたと言う。

ドミトリー1泊65ポンド。闇レートで両替しているせいもあるが、200円を切っている。しかもホットシャワー付き。なんでこんな安いんだ。

近所でチキン屋を見つけて食事。これも150円位。この日は移動だけの1日だった。

Tに付いて来たおかげで、他の人がどういう旅をしているか知ることが出来た。外国人向けの長距離バスでありきたりのルートを移動するのも楽だが、こうやって地元の人に聞きまくってローカルバスで移動するのも、ネットで見たことがない町へ行けて風情があっていい。

しかし私もこれなら経験はある。
ほぼ情報がないイランのホルムズ島だ。しかしホテルを探して長時間彷徨い歩くのは、楽しみより苦しみの方が大きかったような・・・次からは中東では英語が通じないと決めつけず、電話しまくろう。


アシュート町歩き

次の日。アシュートという町を歩いてみる。

ルクソールの旅行会社のスタッフは「とてもいいところだよ。」とお勧めしてくれていた町だ。
ナイル川の景色が美しい。

昼ご飯にハンバーガーセットを2人で分けて食べている時に、前の会社の人から「〇〇が亡くなった。」と連絡が来た。

〇〇さんというのは日本で皆でよく一緒に飲んでいた40代の男性だ。
花見、ビアガーデンんど毎年一緒に行っていた。なぜ亡くなったのかよく分からず頭が混乱したまま町を歩く。

同行者の気分が沈まないように、このことは黙っていたが、頭がぼーっとしていて私にはこれ以降の記憶があまりない。

列車、モスクや教会も訪問。かわいらしいデザインだ。この教会は外観の写真を撮っただけで警備の警官にめちゃめちゃ怒られた。付近のビルからいくらでも撮れると思うのだが・・・

アシュートからカイロまでGoBus

中に入る気分でもなく、そのまま15時発のGoBusでカイロへ向かう。

GoBusの方が隙間風はなく快適だった。200ポンド。

3度目のカイロに到着。

ウェイク アップ!カイロ ホステル

前回と同じホテルも面白くないので、バス停近くのドミを予約しておいた。朝食付きで1泊300ポンド。

場所もいいし、ベッドのふかふか具合がエジプトでNo.1だった。しかも安い。
延泊したかったのに次の日は予約でいっぱい。

近所の有名なコシャリ屋さんへ。5階まで満席という人気店。

有名店のコシャリなら好きになるかと思ったがやはり残飯感・・・柔らかいパスタ麺にただのトマトソース味は好きになれなかった。

そして本当にここ辺りの記憶がない。親しい人が亡くなったと聞いて精神状態が少しおかしかったと思う。全然喋らないし同行者に変に思われていないだろうか。
観光する気分でもないし、たまたま一昨日、一時帰国の便を予約していて良かった。

この日はここで就寝。

3日後に日本へ戻る。

ついにルクソールの王家の谷とルクソール神殿内部へ。1番良かった闇両替レート。(2024.1.29)

2024.1.29(月)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒60エジプトポンド(闇レート)

teraホステルの朝。

昨日、延泊したいと言ったら最上階は予約が入っているからと言われ下の階に移らされた。ベッドは2台しかなかったのでLenは床に敷いた布団で寝ている。料金は1$まけてもらった。
下の階は洗濯機は古いし、門の鍵をくれずに締め出しをくらうしでよくなかった。
昨晩、オーナーに門が閉まっていると電話すると「門の扉のホールに別のカギを入れて右に押せ」と何度も言われたのだが、エントランスホールに鍵を置いたら鍵が手元から無くなるじゃないかと全然意味が分からず開けれなかった。ホールはhallでなくhole(穴)のことだった。つくづく自分の英語力が嫌になる。

早朝から隣でプールを作っている工事の音が煩い。
タイルってあんな積み方で合ってたっけ?
ちゃんと糸で水平を取ってからモルタルも均一に塗らないと。

付近を散歩。今日はひとりで観光へ行く。
男性陣らは帰国便の予約や次に行く国のビザ取得に忙しそうだ。
私はまだ帰国日を決めていない。エジプトから日本までの航空券はいつ見ても3.7万円であるので、直前に購入しても大丈夫だろう。
帰国したくなかったが、パスポートは破れているしクレカの保険も切れているし、1度リセットしないと。

王家の谷へ

ナイル川を挟んで東岸は神殿などがあり生するものの町、西岸は墓がある死するものの町らしい。

ひとりで西岸にある王家の谷まで行くことにした。通常フェリー乗り場付近にたむろしているタクシーと交渉して行くのだと思うが、ネットで「自転車で行った」という情報を見たので、節約して自転車で行くことにする。

レンタルサイクル屋

3時間借りたいと言うと150ポンドと言われた。値切って120ポンドで借りる。

しかし、自転車は完全なるママチャリ。しかも油を差していないのか、漕ぐとギコギコいって全然進まない。ダハブで借りた自転車と大違いだ。自転車をチョイスしたことを後悔し出す。

漕いでも中々進まないまま、遠くに見える王家の谷を目指す。
小学生の頃に読んた伝記にあった、ハワード・カーターがツタンカーメン王の墓を発見した場所だ。
ついにそんな昔から憧れていた場所に行けるのだ。

メムノンの巨象

やっと一つ目の目的地に着いた。2体ともアメンホテプ3世の像らしい。
右の像の下に人がいるので、それと比べるとこれがどれだけ大きいか分かる。

所々に神殿跡やお墓のようなものがある。
王妃の谷へ行く道に迷い込んだりと寄り道をしていて、全然王家の谷へは着かない。
この道で合っているのだろうか。

向こう側にハトシェプスト女王葬祭殿が見える。
行ってみたかったがこの時点で自転車を漕ぎだしてから40分位過ぎている。それに遠過ぎて行く気になれない。

よく下調べをしないで勢いだけで来たのが間違いだった。王家の谷へのチケット売り場までの道のりをGoogleMapで調べ直すと、自転車を借りた場所から車で25分。しかもずっと登り坂だ。
タクシーがたまに通って心配そうに声掛けしてくれるが自転車があるので乗れない。ひとりだけ徒歩で来ているヨーロピアンの男性を見かけたが、それ以外誰もいない。辛い。。。

1時間以上漕いでやっとチケット売り場に到着した。
徒歩よりも遅い速度でひぃひぃ言いながら自転車を漕いでいたら、入口の警備員たちに大笑いされた。

王家の谷の入場料

入場料が600ポンド(3000円)、それとは別にツタンカーメン王の墓は500(2500円)、セティ1世の墓は1800ポンド(9000円!)かかるらしい。
カードしか使えないのでもちろん公定レート。なめてんのか、このぼったくり料金。

入場券だけ購入した。上側の枠の墓の中から3つだけ選んで入れるらしい。

チケットの入口の係員にパンチで穴を開けられ、3つ空いたら終了。
どの墓に入るべきか調べたかったが、ここではネットが繋がらなかった。

入場してからも有料のカート(10ポンド)で5分程進む。
後ろの座席に座りたかったが、運転手に「隣の席に座れ。」と言われた。
どこの国か聞かれ「ジャパン」と言うと座席の横のドリンクホルダーを指差し「チップ、チップ」と言われる。何もして貰っていないのにチップを要求される意味がわからない、もちろん逃げた笑

王家の谷に到着。
紀元前3000年頃にお墓として建てられたピラミッドは盗掘されまくったので、紀元前1600年頃、盗賊たちに発見されないように、この外からよく見えない谷に王の墓群が造られたらしい。
王の墓24個を含め全部で64個の墓があるらしい。

どれに入ればいいのだろう。分からないのでツアー客たちが群がっている人気の墓に入ってみることにする。これが正解。

ラムセス4世の墓

取り敢えずラムセス4世の墓へ。

たまたま誰もいない写真が撮れたが、この後あっという間にツアー客たちでぎゅうぎゅう。
ライトアップされた壁画は天井までカラフルでとても綺麗だ。
この石の棺にミイラが入っていたのだろう。

これが古代エジプトの象形文字、ヒエログリフというやつ。色付けまでされている。雨が降らず湿気が全くないので色が残っているのだろう。紀元前のものがこれだけの色彩で残っているなんて、結構感動。

ラムセス3世の墓

次も人気がありそうなところを選んで入った。さっきのお墓のお父さんの方だろう。奥までびっしりヒエログリフ。一体何が書かれているのだろう。

2階建てになっているホールもあり、結構大きな壁画が描かれている。頭が鳥なのは神様らしい。

メルエンプタハの墓

この「ラムセス2世の墓」が大きそうで入りたかったが、整備中で入れず。

ラムセス系以外のものにも入ってみようかと、最後の1つはメルエンプタハの墓にする。かなり地下まで潜って酸素が薄いのか息苦しい。

入口付近の壁画は洪水などの被害で少し色が落ちている。これまでの墓に比べて色彩は地味。

途中に石棺のようなものがあり、警官が立っていた。スマホをよこせと言うので渡したら、手を伸ばして下のガラスケースに入っているものの写真を撮っていた。

ばんざーい。なんじゃこりゃー。
案の定、警官に「チップ、1ダラー」と言われるが、丁重にお礼を言って走って逃げる。
彼は警備員ではなく制服を着た警官なのに、なに小遣い稼ぎをしているんだ。

一番奥のホール。復元された棺などが置かれている。

もう3つの墓に入ってしまったので出る。どこに入るべきか悩みまくってウロウロしていたので、閉館の17時に近い。
Tから電話があり「今日の夕方、ルクソール神殿に行きたいって言ってましたよね?どこにいます?」と言われた。私が夕方に入りたいって昨日言ったんだっけ。「すいません一人で入っていて下さい。」と謝って急いで向かうことにする。

帰りのカートは無料。
もしかしたらお金がいったのかも知れないが、チケット売り場が分からずタダ乗り。

帰りは自転車は下り坂なので楽ちん。

日が暮れ始め、結局他の所には入れなかった。
しかしすっかり遺跡には飽きてしまっているのと、どこも入場料が高いので例え朝から来ていたとしても入らなかったと思う。

夕日に染まる砂漠の死者の街を自転車で走るのはいいものだ。
景色が黄金に輝いていて綺麗なので自転車で良かったかもしれない。

昼に見たメムノンの巨象も夕方の方が美しい。

この時間帯の王家の谷は美しかった。夕日に染まるルクソール神殿も見たいので急ぐ。

自転車は約束した3時間をとっくに過ぎていたが追加料金は言われなかった。
ルクソール神殿がある東岸へ行こうといつものフェリーに乗るが、行ったばかりだったようで人が全然集まらない。

結局30分近く待ったので、出発した頃には日が落ちてしまった。間に合わなかった。

ナイル川東岸

東岸に着き、ルクソール神殿を目指す。

昨晩はルクソール神殿を北側からしか見なかったが、南側に回ってみるとライトアップされた神殿の全体を見ることが出来た。

もう十分見えたし、これでいいのでは・・・
しかし丁度神殿から出て来たTと合流すると「間近で見たらとても良かった」と言うので今から入ることにする。今頃観光に来たLenはやはり「入場料が高いので入らない。」と言う。男性2人に今日の晩御飯の食材とビールを買ってきてもらうことにし、その間に私だけ入場させてもらう。

チケット売り場は目の前の広場から少し北へ行った場所。
GoogleMapに「入場料250ポンド(1250円)」とあったので安いし入ってもいいかなと思っていたのだが、入口に来てみたら手書きでマジックで400ポンド(2000円)に値上がりしている。入ろうかどうしようか、かなり躊躇した。

結局、明日はもうルクソールを出るので入ることにした。
ライトアップされた夜の方が人気があるのか、ツアーバスから団体客がぞろぞろ降りてくる。
あの尖塔、オベリスクは2本あったのに1本はナポレオンがフランスに持って帰り、パリのコンコルド広場にあるらしい。5年前にパリに行ったけど、その時はデモ中でコンコルド広場へは行っていないので見ていない。

入場して右側はスフィンクス参道。もっと北の方は台座しかなかったが、スフィンクスはここにいたのか。よく見ると一体一体形が違う。

左の本殿の方にも入ってみる。

壁画は夜なのでよく見えない。やはり夕方から入場するのが正解だったようだ。

建物内はかなり広く、外側にも展示物が沢山あった。夜でよく見えないのが残念。

ルクソールの闇両替

男性らが買い物を終えたと言うので、3人で合流した。
そして彼らがお土産屋に持ち掛けられた闇両替のレートは1$=60ポンド、鉄道駅の近くで声を掛けられた人からは1$=65ポンドを提示されたという。
偽札が混じっていることもあるようなので路上での交換はやめ、Lenだけお土産で20$だけ両替してもらっていた。すると見たことのない2$札が混じっている。Lenは偽札を疑いまくっていたが、ネットで調べたらヤフオクなどで高値で落札されているレア札のようなので「もらっておけ。」と言っておいた。
「中国でも売れるかな?」と不安そうだったが。

フェリーに乗ってまたアパートへ戻る。

明日は皆バラバラにカイロへ向かう。3人で過ごす最後の夜。
Lenがナス、インゲン、ジャガイモで時間を掛けて一品作ってくれた。やはり少し辛いけど、肉が全く入っていないのに凄く美味しい。これまでドミトリーで会った中国人は男性も皆料理が得意だ。

こういった3人の奇妙なシェアハウス生活も、20代の時のワーホリ以来で楽しかった。
世界一周に出る前は、もうそんな経験なんて一生することはないだろうと思っていたのに。
自分以外の人らの見た目が若いので、ずっと一緒にいて会話していると私は自分の年齢を忘れてしまっている。そして鏡を見て初めて思い出すのだ。残酷だ。

このまま楽しい時間が続けばいいのに。
しかしお別れはもうすぐそこ。

シワからルクソールへ移動、地元の人が歩くルクソールの地域を散歩(2024.1.27~28)

2024.1.27(土)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒60エジプトポンド(闇レート)

西のシワの町から一気にルクソールまで移動する。

1日で凄い移動距離だなぁ。

シワからカイロへ、バスで移動

19時半にシワを出発し、早朝、カイロのGoBusオフィスに着いた。南米のバス程快適ではないが、同行者とずっと喋っている間にいつの間にか眠っていた。このままこのオフィスで10時発のルクソール行きのバスチケットを購入する。295ポンド。

オフィスにはなんとシワでお別れしたLenがいた。メルサマトルーでのパーティはどうだったのか聞いたら「宿のオーナーが最悪でパーティはなかった。騙された。一緒にルクソールへ行く。」と言う。あの涙のお別れはなんだったんだ、まあいいけど。

彼がお腹が空いて何か食べたいと言うが、6時なのでまだどの店も開いていない。
開いていて安そうな店をGoogleMapで検索して行ってみたら屋台だった。

いやーどうみてもゲロ・・・このセットで1人150円位。私は遠慮しておいた。

10時に3人で乗り込む。空いていて皆2席取れたので、ここで横になって爆睡しておく。

川沿いを走るかと思っていたが、地図を見るとずっともっと東の砂漠地帯を走っていた。川沿いは混むのだろうか。

砂漠を通る遠回りのせいか、20時半にルクソールに到着。シワから24時間以上かかった。
ここからタクシーでホテルまで向かう。

ルクソールの東側へ移動

去年ロスで一緒に食事したみどりさんから「自分が予約したルクソールのホテル4泊がキャンセル出来なかったので無料で使ってくれないか。」とありがたい提案を受けていたが、見事に4日丸々日にちがずれてしまった。残念。
シワの宿はキッチンがなく、男性陣らが「ラーメンが食べたい」とぎゃーぎゃーうるさかったので「3人でキッチン付きのアパートを借りないか。1日4回も外食するならそっちの方が食費が浮くのでは。」と提案したら採用。

ルクソールの町は、ナイル川を挟んで博物館などがある東側と王家の墓がある西側に分かれている。
予約した安いアパートは西側だが、バスで降ろされたのは東側。「フェリーで川を渡れる」とネットで見たのだが、乗り場がよく分からない。安全を取ってUberを呼んだら、川を越える橋はかなり北か南にしかなく、川のすぐ向こうに見えるホテルに着くのに40分も要した。

tara hostel

一応ホステルとあるが、3階建てアパート2LDKの3階部分をレンタル。

豪華なキッチンと・・・

洗濯機付きバスルーム。Lenは「これまで泊まった中で1番豪華だ!」と感動していた。
1室14$。西側のドミトリーが1泊1人6$だったのでこっちの方が安いし、食費も洗濯費も浮く。

他の観光客との交流がないのがちょっと寂しいが、久々の綺麗な個室で荷物も思いっきり広げられる。
男性陣らは「3週間ぶりに洗濯出来る。」と騒いでいた。そう言えばシワでは水シャワーだったからここ何日か風呂も入ってないみたいだし、汚いなぁ・・・男の人ってそんなもんなんだろうか。

もう夜中近かったが、10分程歩いた所に商店があったので卵、トマト、インスタントラーメンなどを買い皆で食べる。3人でわいわい料理するのもまた楽しい。オーストラリアでシェアハウスに住んでいた時を思い出した。


次の日。
屋上のテラスが気持ちいい。先に洗濯機を使わせてもらった。

エジプトでも1月は寒いが、日なたにいると暖かい。テラスから西側の町が見えた。

ルクソール町歩き

Lenは相変わらず昼を過ぎても起きてこないので、Tと町を散策に出掛ける。

フェリー乗り場(西岸)

川を渡った西側に行きたいが、GoogleMapにはいくつも「フェリー乗り場」と称する場所が登録されている。そこへ行って金額を聞くと「5~10$」などと言われ、観光価格だ。
普通の地元民が使っているフェリー乗り場をなんとか探す。思っていたよりかなり北のここ。

ここからだと向こう岸までたった10ポンド(30円)。地元の人らは5ポンドしか払っていないのでこれでも外国人料金を取られているが。

フェリーは2階建で、満席になったら出発するスタイル。2階の方がナイル川を見渡せて楽しい。

フェリー乗り場(東岸)

5~10分で向こう岸に着く。到着地点はルクソール博物館の裏。
町の中心へは10分程歩く。

ここから北にはカルナック神殿、南にはルクソール神殿があり、このスフィンクス参道で結ばれている。しかしスフィンクスはなく、台座しか見当たらない。

ルクソール神殿の前の広場までやって来た。

ルクソール鉄道駅でアスワン行きを検討

広場から5分程歩くと鉄道駅に着く。私とTはこの後、更に南下してスーダンとの国境近くにある有名な観光地、アスワンへ行く予定だ。しかしルクソールからアスワン行きの長距離バスはないらしく、誰に聞いても鉄道を案内された。鉄道は相変わらず外国人料金の26$。

鉄道以外で行くなら、旅行会社のバスに乗るかタクシーをチャーターするしかない。旅行会社のバスは全然安くならない。タクシーチャーターは3人で900ポンドまで値切ることが出来た。

ここからは、Tが「地元の人らが歩くような場所へ行くのが好き。」というので付いて行ってみた。

私は騒がしかったり人が多いところはスリに遭いそうで苦手なのだが、他人の趣味に付き合うのもまた違う景色が見れ、視野が広がりいいものだ。
有名な観光地のルクソールでは、ほとんどの日本人が神殿・王家の墓・博物館だけで終わるのではないだろうか。

シワと同じく、道路は車とドンキ(ロバ)、馬が混在していてカオス。

地元の子供たちの公園に来た。熱烈な歓迎を受ける笑
たまにエジプト名物「マニ、マニー!」と言う子がいると、最年長らしき少年がその子らをドツく。
この子たちは貧しそうではないし、本気で言ってるのではないと思うが、彼位の年齢になると「そんな恥ずかしいことを言うな。」というプライドがあるのだろう。

Tが荷物が増えてきたので日本に荷物を送りたいと言うので、郵便局へ行くのも付いて行く。ノートPC1台1万円位かかり、送るのは断念したようだ。

お洒落なカフェがあったので入ってみる。全部で500円位とエジプトにしてはまあまあな値段。他の客は地元の若い女の子たちばかりだった。お金持ちでないとここは入れないだろう。

無料で外から見れるルクソール神殿

夕方、やっとLenから連絡があったのでルクソール神殿の前で集合する。何をしていたか聞いたら、客引きにあって市場を連れまわされた挙句、チップを請求されたらしい。
「大変だったよー、懲り懲り。」とか言いながら、彼のことだから1円も払っていないんだろうけど。

Tが「どこも入場料が高いのでルクソールでは1か所だけ入りたい。僕はルクソール神殿に入りたい。」と言うので「明日、夕方から夜にかけて入らないか。」と提案する。Lenは入場料を聞いて「そんな高いもん入らなくても、あのモスクの中から見えるらしいよ。」と言う。さすが中国ネットワーク。

モスクの中に入り込んで見下ろすと、なるほど。ライトアップされたルクソール神殿が無料で見れた。
入場料は最近値上げしたようで、400ポンド(2000円)もするのだ。

無料で見れて、神殿はもうこれでいいのではないだろうか。

ルクソールで散髪

Tが「散髪したい」と言うので、これまた3人でぞろぞろ連れだって行く。お店のクオリティもなかなか・・・どんな髪型にされるか楽しみだったが、案の定、オーダーしたのとは全く違う短いパツンパツンな髪型になって出て来た。しかし散髪屋の亭主は「どうだ。」と言わんばかりに満足そうだ。

そう言えば女性のヘアカットは見掛けない。人前で髪の毛を出してはいけないイスラム教の女性たちはどこで髪の毛を切っているのだろう。

帰り道、お祭り騒ぎの道路を覗いてみたら結婚式のパレードだった。若い綺麗な女性とおっさん・・・いや、それはいいのだけれど。
ウエディングドレスでも女性は髪の毛を隠した衣装になっている。髪の毛は出していた方が絶対綺麗に見えると思うが、イスラム教の教えなので仕方ない。

予約した宿のある西側は淋しい雰囲気だが、東側はお店がいっぱいある。
シワにはなかった酒屋も見つけたので皆ビールを買い込み、スーパーでチキンとラーメンを購入。
中国人のLenが「胸肉がいい」と言うのを日本人の私たちは「もも肉がいい」と対立、Lenが変な香辛料を大量に買おうとするのを止めたりとスーパーでかなり時間をくう。中国人と日本人は顔は一緒でも育った国が違うと味覚が全然違う。Lenは辛い食べ物が大好きだが私は全く食べれない。

フェリー乗り場まで15分歩くが、馬車の客引きがずっと声を掛けてくる。Tが適当に相手していたら1台40ポンド(120円)にまで値段が下がった。3人でフェリー乗り場まで乗せてもらった。

ナイル川をフェリーで渡る。たった30円のフェリーから見る夜景は、まるでヨーロッパで見た景色のように綺麗だった。

もも肉、胸肉対決は決着がつかず、それぞれ自分の好きな部位を購入して自分で料理することに。
寒いので、米よりラーメンの方が身に染みておいしい。

アスワン行きのタクシーの話をすると、Lenは「高いし春節までに中国に帰らないといけないので行かない。」と言う。アスワンからはアブシンベル神殿へ行けるのだが、そこもまた遠いし行くのが面倒になってきた。Tと相談してアスワンには行かず、もうルクソールでのんびりすることにする。

私は旅も5ヶ月目に入り、正直もう遺跡には飽きているのだ。今後、ヨーロッパでは凄い勢いでお金がなくなっていくだろう。なので自分が興味が薄れてきたことにお金を使うのはやめようと考えた。

Lenは饒舌なので、毎日自分の考えや、傾倒している孟子の教えについてなど色んな話をしてくれる。「この単語は日本語でどう発音するのか。」とよく聞いてくるのだが、結構似ていたりして面白い。
そして大学では法学部だったというので学んだ教科を聞いたら、漢字が日本語とほぼ同じだった。

話をしていると、これまで会った中国人、韓国人の若い子らの方が「どこどこの国の大統領は誰々で、政治情勢はこうで・・・」といった話に詳しく自分が恥ずかしくなる。私だけでなく、日本人の多くは彼らほど世界情勢に詳しくはないだろう。
それは日本が海に囲まれていてどこの国とも接しておらず、インフラも経済も整っていて、自国の中だけで一生安全に平和に暮らせるからだろうか。
「失われた30年」と言いつつ、他国を訪問する度に「そんなことどうでもいい位、日本に生まれただけで恵まれてるよなぁ」と思わざるを得ない。

私も少しは英語のニュースも読もう・・・

そんなことを考えながら眠りについた。

シワの死者の山と砂漠へ、夕日の沈むシワが絶景過ぎた(2024.1.25~26)

2024.1.25(木)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

Palm Trees Hotelの朝。

洗濯物を干す所がない。バルコニーの手摺も庭の塀も、全て土で出来ているから掛けると土で汚れてしまう。朝食は付いてないしキッチンもない。それよりシャワーが水しか出ないので男性陣らはシャワーを浴びるのをここ2日やめてしまっている。私は髪の毛と下半身だけ濡らして何とかやり過ごす。真冬の水シャワーは心臓麻痺になりそうだ。文句ばかりだけど何か悪いか。移れそうな安ホテルは遠い。テラスが広いのと従業員の人らがフレンドリーなのが救い。

シワの中心地。ホテルから出てすぐ。こうやって見ると正に砂漠の中のオアシスって感じ。この規模の町は本当に癒される。

مطعم عسه(レストラン)

宿の中国人らに、美味しくて安いという食堂を教えてもらった。

座席は2つしかなくてテイクアウトメインのお店のよう。外では地元の人らの注文が絶えない。お店の人も超絶忙しそう。

エジプトに入ってから、肉は油を落としながら焼いているせいかパサパサで美味しくないと思っていたが、ここのチキンはとてもジューシーで美味しい。ご飯もお焦げと普通のご飯がちょうどいい塩梅で混じっていてめちゃめちゃ美味しい。これでたったの85ポンド(250円)。

狭い町で、この公園が中心地。昨日一緒に温泉プールに行った中国人らと偶然会う。
「この看板、昨日私たちが記念に建てたんだ~」って、いいんかいな勝手に(;^ω^)

男性らは宿の人らとたき火を囲んでずっと会話している。なので今日はひとりで観光することにする。

Gabal al-Mawta(死者の山)

岩山全体が古代の人々の墓になっているという「死者の山」へ歩いて向かう。
先住民族のベルベル人が暮らすというここシワでは、現地の女性はほとんど見かけない。たまに見かけても目以外の全身を真っ黒な布で覆う服装をしている。きっと女性は家にこもってあまり外出しないような文化なのだろう。

到着。出掛けたのが遅かったので、もう夕刻近い。
沢山の石窟がある。あの中に死者を葬っていたのだろうか。

看板にもMountain of The Deadと書かれている。
この穴の下には古代のミイラがいっぱい埋まっているんだろうな~不謹慎ながらも登らせてもらう。

山に登ると砂漠の中にある木々、シワの町並みが一望出来た。
観光客と一緒に来ていた、現地ガイドさんが話し掛けてきた。日本人だと言うとやはり好意的で、自分の客はそっちのけで写真をいっぱい撮ってくれた。

どこの景色を切り取っても美しい。ここはお墓なのだけれど。
夕日が沈む遺跡にひとり・・・というのはやはりロマンがある。

建物の中には誰もいない。宗教施設のような地下もあり集会中のようだったが、入口にあったアラビア語をGoogle翻訳で訳すと「関係者以外立ち入り禁止」と書かれていたので、中に入るのは遠慮しておいた。

砂で出来た建物を見るとイランのバムを少し思い出す。行くのは大変だったけど、あそこの迷路のような規模の街と砂の城は本当に良かった。
ここでいつまでも砂漠に沈む美しい夕日を眺めながら過ごした。

シワのバスターミナル

帰り道、途中にある長距離用のバス停に寄った。明日の便でルクソールへ向かう。

直接ルクソールへ向かうバスはないようだ。カイロ、アレクサンドリア、メルサマトルー行きのみ。
一度カイロを経由しないといけない。しかも夜7時半の1本、340ポンドのみ。

宿にいる男性らも明日からルクソールへ向かうと言っていたが、自分の分だけチケットを買うのもいやらしいので買わずに宿に戻る。

シャリ要塞

町の中心近くのシャリ要塞に戻って来た。観光客だらけ。ここからの夕日も綺麗なんだろう。

宿に戻ると、昨日まで私たちと一緒にルクソールに行くと言っていたLenが「パーティがあるので、他の中国人たちとメルサマトルーへ行く」と言う。どうやらお気に入りのあの女の子が今メルサマトルーへ移動しているせいか。
3人でバス停に行き、私とTはカイロ行きのチケット、Lenはメルサマトルー行きのチケットを買った。

夜ご飯は、適当に入ったピザ屋でまた温泉プールに一緒に入った中国人グループと再会。皆で同じ部屋で食事する。この町は本当に中国人しかいないな。
日本人や韓国人が190ヵ国以上ビザなしで行けるのに対し、中国人は80ヵ国しかない。そのせいでこんなにも同じ国に集まるのか。莫大な人口のせいもあるだろうが。


次の日。朝10時。

なにやら宿のテラスが騒がしい。何十人ものエジプト人家族連れがチェックインしようと待機している。水シャワーしか出ないのに、本当にいいのか?ここで笑

またも宿で中国人カップルと会い、誘われたので一緒に昨日の食堂へ行く。
向こうから好意的にいっぱい話し掛けてきてくれて、私の中で中国人のイメージは本当にいいものになっている。

12時にチェックアウトして荷物を預け、Lenと写真を撮り合いっこして別れる。
彼は毎日朝までSNSをしていて昼過ぎまで起きて来ないし、時間は守らないし、シャワーは長いし、映え写真のためのセルフチェックの時間が長い困った奴だったけど、屈託のない笑顔でいつも元気に夢中になって話してくるのが無邪気過ぎて大好きだった。彼からは何の卑屈さも邪悪さも差別の気持ちも感じられない。中国の田舎育ちというけど、のびのび育ったんだろうなぁ。
最後の別れはちょっと泣きそうになった。

シワ砂漠

もうバス停へ向かうと言うLenと別れ、カイロ行きのバスの時間は夜なので、Tと砂漠方面へ散歩することにする。片道40分位かかるらしいが。

アスファルトの道路を南へ真っすぐ進むと砂漠に着いた。
ウズベキスタンでわざわざ100$払ってテント泊した砂漠よりずっと規模が大きい。
360度砂、砂、砂。

休憩と称していつまでもくだらない話で盛り上げり、気付いたら辺りはかなり曇ってきた。
向こうの方にはバギーでやって来ている観光客が見える。ちゃんと砂漠のサンドバギーツアーでも申し込んだ方が良かったか。

まあまた砂漠にはいつでも行けるだろう。私はこの後、一度帰国してからまたアフリカの地にあるモロッコへ行くつもりだから。モロッコにも砂漠ははずっと憧れていた青い街もあるしサハラ砂漠があるだろう。
帰り道は陽気なベルベ人たちに挨拶される。

夕日が暮れる中、同じ道を歩いてシワの町へ戻ってきた。

Muhra(海鮮レストラン)

18時。ホテルから荷物をピックアップして、海鮮レストランへ来る。
ここはホテルも兼ねているようだ。水回りは綺麗だけど部屋はテントだから蚊が心配かな。ここには韓国人らがたくさんいた。

時間がないのに、やはり注文してから30分以上してから魚と海老がきた。大急ぎで食べてバス停へ向かう。海沿いのメルサマトルーから仕入れているらしく、めちゃくちゃ美味しかった。ひとり250ポンド。

19時半。ギリギリの時間にバスに乗り込む。エジプトのバスでは荷物を自分で入れようとするとポーター的な人に遮られる。そして彼が荷物入れに荷物を入れただけで毎回「チップ、チップ」と言われるが、たった1秒だけの動作なので毎回フル無視している。

1日1本しかないのでやはり満席だった。人が溢れているので臨時で20時半にももう1本出発するらしい。
今からルクソールめがけてカイロへ向かう。

砂漠のオアシス、シワの町でヨルダンで果たせなかった死海に浮かぶ。クレオパトラの泉や温泉でも泳ぐ(2024.1.23~24)

2024.1.23(火)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

エジプトのシワに着いた。
Booking.comで検討を付けていたホテルは遠いか高い所しかなかったので、バスステーションから歩いて行けるLenが見つけたというホテルへ行ってみる。

シワ、小さい子を乗せたロバをよく見かける。土の色をした建物群もかわいい。癒される光景だ。

Palm Trees Hotel

どの予約サイトにも載っていないホテル。
「インドのホテルと同レベルに汚いけど大丈夫ですか?」との連絡は貰っていたが、一度そんなところも見てみたかった。口コミも「汚い」のオンパレード。

バルコニー付き個室で1泊200ポンド(600円)。男性2名はバルコニーなしで1室150ポンドだったらしいのでかなり割安。床のタイルは汚れまくり。そして水回りは・・・噂通りの・・・

閲覧注意



水回りが酷い。しかも水しか出ない。2月のエジプトは寒いのでこれはかなり辛い。

同行者に「文句ばっかり」と言われたが、これは文句ではなく、事実を述べているだけ。中庭では皆で寛げそうなのはいいかも。地面が砂漠の砂で洗濯物は落とすとキツい。

Lenは早速同じホテルの中国人4名と仲良くなっていて、皆で夜ご飯に出掛けた。カイロのルームメイトだったヨーロピアン女子2名ともまだ連絡を取っていたようで合流。全部で9名での食事。
ワイワイしていて楽しい。私一人ならこんな経験絶対出来なかっただろう。

先にシワ入りしていたヨーロピアン女子たちにアルコールを売っている場所がないか聞いたら、シワにはないという。ううぅ。大のビール好きのLenもショックで大騒ぎ。

これだけのセットでたった100ポンド

しかし今後も旅先で会った人らとこうやって英語で交流したいと思ったとしても・・・私は4歳頃、高熱を出したせいで左耳が全く聞こえない。騒がしい場所では左側に位置する人の声が、例え日本語であっても全く聞き取れないのだ。
中国人は声がデカイから大丈夫なのだが、ささやくような声のヨーロピアン女子たちとの会話は難しかった。これまでずっとネイティブの人らと交流したくなかったのはこのせいもある。物心ついた時から何度この耳を恨んだことか。

帰国したら片耳難聴用の補聴器も視野に入れようか。それとももう諦めるか。


次の日。

Lenは相変わらず正午を過ぎても起きて来ない。毎晩朝までSNSをやっているからだ。24歳、若い。
昨日一緒に食事した中国人の男女4名は「車チャーターしてシワ・オアシス(塩湖)に行く。」と言う。混ぜて貰おうかと思ったが5名になると車に乗せてもらえないだろうから遠慮した。

13時。やっと起きてきたLenと同行者とテラスで紅茶を飲んでいると、出掛けた中国人らが戻ってきた。車のチャーターが高かったという。ホテルのフロントの人に頼んでみると、私たち7人でトゥクトゥク2台チャーターで1人100ポンドで呼んでくれると言うのでお願いする。

シワ・オアシス(塩湖)

トゥクトゥクは3か所の観光スポットを周ってくれるという。1つ目はシワ・オアシス。

シワの町は両サイドに湖があるが、東にある方は塩の濃度が凄く高くて体が浮くらしい。
ヨルダンで、後日アンマンに戻って死海行きを計画していたのに急にフェリーでエジプト行きを決めたために行けなくなった私は、どうしても「塩湖で浮く」という体験をしてみたかった。まさかエジプトで塩湖に行けるなんて、感極まる。

湖に架かっている橋?道?を渡る。
地図で見た時、アスファルトで舗装された橋を想像していたが、ただのボコボコの砂利道だった。
おしりが痛い、そして風がやはり寒い。しかし皆、風を感じて大はしゃぎだ。

湖を渡り切った辺りで急に工事現場のような場所に入り込む。塩の採掘場のようだ。
勝手に入っていいんかな。

地面には大きな塩の結晶。水を少しなめると海よりもかなりの塩分濃度。飲まないようにしないと。

他にも数人先客がいる。皆で水着になって入ってみた。水はすっごく綺麗だが、風が強いせいか寒くてなかなか勇気がいった。
体を寝かせただけでぷかぷか浮き、水搔きするだけでどこまででもスイスイ移動する。

貴重な体験。「死海に行く」というバケットリストをまたひとつ叶えた。ヨルダンの死海ではないけど。
上がると簡易シャワーを詰んだトラックが停まっていた。10ポンドを払い、ぬるいシャワーを浴びさせてもらう。

クレオパトラの泉(Cleopatra Spring)

2つ目の観光スポットはクレオパトラも入ったという温泉。(たぶん嘘)笑

温泉というので、かなり楽しみにしていたが足をちょっとつけてみてもめちゃくちゃぬるい。そして藻でヌルヌルしている。底は見えない位深い。

Tだけジャンプしながら入って、他の人らは全く入らなかった。入った感想としては藻が多過ぎて気持ち悪かったらしい。彼は後日ずっと「目がかゆい」とも言っていたので、入らなくて無難だったと思う。

皆で湖を眺めながらすぐ横のカフェでお茶をした。皆、藻でヌルヌルは嫌なようだ笑

次の目的地へ向かう。夕方で引き上げるのか客引きの高匠の人も一緒に乗ってきた。

それにしても宿で会った中国人4名は、私となんの壁もなく親しく話してくれる。イラン以降、宿で会う中国人は皆そうだ。イランまではドミでは中国人と日本人は会話しないイメージがあったが、それは私の偏見か。若い子らには国籍は全く関係ないようだ。

道行く人たちが私たちを見て「ニーハオ!」と声を掛けてくるのにも、彼らと一緒になって笑いながら「ニーハオ!!」と叫び返す。自分の年齢を忘れ、彼らの中に入り込んでいるのが楽しかった。

Fatnas Island(夕日スポット)

3つ目は夕日スポット。ファトナス島へ。

島というか、西側にある湖の岸で夕日を眺める。しかし日が落ちてきてもう寒すぎる。

皆ここで紅茶を頼み、薪がくべてあるベンチで休憩した。寒すぎて夕日どころではなかった。

日が暮れて、宿に戻ってもらい追加料金など請求されることなく運転手らに料金を支払った。若い中国人の彼らはチップを渡さないが、私は渡しても良かったのかもしれない。
確かにシワではコーラなどの値段も凄く安い。チャーター1台たったの300ポンドでも、シワでは生活出来るのだろう。

皆で温泉プールへ(Aman Ykden)

1度宿に戻って、昨日と同じレストランで皆で夜ご飯を食べた後、Lenがまた中国人ネットワークで他の宿に宿泊している人らと連絡を取り始めた。昼間の私たち7名の他に、更に若い男女3名が加わり「温泉に泳ぎに行く」と言うので付いて行く。

ミニトラック2台に乗って15分。21時半に到着。
クレオパトラの泉がある方角にあるホテルのプールのようだ。手前に砂地のテラスが広がり暗くてよく見えない。

女性4名でトイレで水着に着替えて温泉プールに入る。欧米人観光客らも数人いる。
少しぬるいが、温泉が湧き出ている付近ならまだ外よりは暖かい。真っ暗で中は見えないが、側面や椅子の形状になっている所に座るとかなりヌメヌメするので明るいところで見たらどれ位藻が発生しているのか。考えないようにしよ・・・

中国人の男の子は全く泳げなかった。水泳の授業は選択制なので選択しなかったらしい。足がつく深さの場所はないのであぷあぷ言っていた。私は顔をつけないようにして1時間位泳ぎまくったが、寒いのでそろそろ出たい。
しかし若い子らはずっとお酒もないのに盛り上がっている。ひとり21歳のかわいい子がいてLenはすっかり彼女が気に入ったようだ。ああ、青春っていいね。

隣のテラスで民謡音楽のようなものが鳴り出したので、着替えてその怪しいダンスに加わった。
23時を過ぎた辺りで電気が消灯しだし、やっと皆で帰ることになった。

帰り道はライトアップされたモスクなどが綺麗だった。そして急に雨が降り出した。体に当たる風が冷た過ぎて私と隣の女性はずっとトラックの荷台でかがんでいた。
「砂漠なのに雨が降るのか?」と運転手に聞いたら「1年に数回だけだよ。」と言われた。
そんな珍しい日に当たったことを、Lenは感動して「こんな楽しい日はない!僕は一生この日を忘れない!」と大声で叫んでいた。

ありがとう、でもごめん、きっと私は忘れてしまうんだろうけど・・・

私も今日一日、本当に彼らと一緒に行動していて楽しかった。
20代の時にやっていたバックパーカー時代に戻ったような気分だった。あの頃も、東南アジアで毎日宿で会う誰かとつるんで遊んでいて本当に楽しかった。一体何十年前の話なんだ。
ひとりでシワに来ていて、ひとりで車をチャーターして塩湖や温泉に行っても今日と同じように楽しめただろうか?
ひとりでじっくり遺跡や博物館を巡る旅もいいけど、塩湖や温泉で泳ぐのは、この人数の方がずっと楽しいだろう。エジプトで彼らに会わせてくれたことに神様に感謝せずにはいられない。

そしてその反面、ふと鏡に映る自分を見た時に彼らと違い過ぎて、私みたいな年齢で彼らについて回っていいのだろうかとも考えてしまう。考えたくなくてもどうしても。
年齢が私の半分以下のLenは全く気にしてないみたいだが。

最終的に温泉プールを出て、宿に着いた時には0時を回っていた。
Lenは今からまた別のキャンプ場所に行って、そこならアルコールが飲めるから行こうと言う。

いや、眠い。20代の子たちと別れ、私とTは不参加にさせてもらった。