「エジプト」カテゴリーアーカイブ

3度目のカイロ、ニューカイロショッピング。旅の終わり(2024.2.1~5)

2024.2.1(木)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒65エジプトポンド(闇レート)

ウェイク アップ!カイロ ホステルからの景色。
カイロの建物は廃墟のようなものばかり。

宿の朝食。まあエジプトだとどこもこんなもの。
ここに日本人の大学生の男の子もいたので私たちと4人で食べる。ひとりで卒業旅行に来ている素直でかわいい子だった。

ここまでずっと一緒だった中国人のLenが、朝食後すぐ空港へ向かうと言うので下まで見送る。
彼の起床時間の遅さとシャワーの長さには散々振り回されたが、ダントツで彼の人格の魅力の方が勝っていた。本当に楽しかった。他の中国人たちとも触れ合い、中国人に対する見方が変わった。
この年齢になっても、人から影響を受けることがあるのが楽しい。

昼のハンハリーリ・バザール

カイロは3週間前に初めて来た時よりかなり寒くなっていた。
同行者のTがひとりでキャンプ用品を買いに行くと言うので、私は闇両替屋を探すことにした。
あと3日しかいないが、ホテル代をエジプトポンドで払うと足りない。ルクソールであんなにいいレートだったのでもっと替えておけば良かった。

宿の他の客が「GoBusステーション前で両替した。」と言うので行ってみたが、両替商みたいな人は見当たらない。外国人がたむろするバザールにならいるのではないか思いやって来た。
道路に寝そべっているノラ犬たちを、エジプシャンの女性たちは「どけ」と蹴りまくっている。エジプトのノラ犬は弱い。

Uberでバザールの入口で降りると、降りた瞬間から若いエジプシャンの男の子に「英語を練習したいから案内させてくれ。」と声を掛けられる。やはりひとりの方が、現地の人に声を掛けられる率は高い。

彼が付近を説明してくれる。
「あっちは〇〇モスク、登るのにお金がいるよ。あっちは香辛料マーケット、あっちはカーペット、あっちはブラックマーケット・・・」
「ちょっと待って。ブラックマーケットって何?」
やった、ビンゴ。しれーっと聞いてみる。
「闇両替屋だよ。」
「私両替したいんだけど。」
「僕が両替してあげるよ。1$=45ポンドでどう?」

昨日ルクソールで1$=65ポンドで両替したので、そんなレートでは両替しないと告げると、彼はあるカーペット屋の亭主の所へ案内してくれた。亭主は1$=55ポンドで両替してくれるという。
Tも両替したいと言っていたので、後で友人と必ず来ると約束して店を出た。

エジプシャンの男の子がもっと案内してくれると言うが、間違いなくチップを要求されそうなので丁重に断り、ひとりでファラエルサンド屋で昼食。たったの10ポンド(30円)だった。

バザールを歩いてみる。

前回は夜に来たので全く形相が違う。モスクが点在していて昼に来た方が建物見学としては楽しめる。

Al-Aqmar Mosque(モスク)

入口でエジプシャンに「中に入れよ。」と勧められるがままにモスクに入る。

無料のはずなのだが、出る時に「お布施、マニー!」とやはり請求される。

そのモスクの向かいの、モハメド アリの時代に設立されたというモスクにも入ってみる。

この地下は水を貯めていた場所らしい。ここのカギを開ける人が、鍵と一緒に100ポンドの札束を手にちらつかせていたのでそうなるとは思っていたが、見学後に100ポンドも請求された。
笑いながら謝ってダッシュで逃げた笑

その後、キャンプ用品店からやって来たTと合流して、さっきのカーペット屋へ行き2人で50$を両替した。Tは交渉が上手いので、一度1$=60ポンドで両替してもらえた。

ニューカイロ

Tがお目当てのキャンプ用品が見つからなかったと言うので、観光も兼ねてニューカイロのショッピングモールへUberで来た。移動は1時間近くかかった。

目星を付けていたモールは閉店。ニューカイロ、大丈夫なのか。
少し離れたショッピングモールにも行ってみたが、どこもショボかった。

ニューカイロは高級住宅地として開発中のような雰囲気で、車でしかモール同士は移動出来ない位離れている。モノレールは工事中だし、開発が失敗している感が否めない。

Citystars Mall

ニューカイロでキャンプ用品が見つけられなかったので、またUberで移動して、オールドカイロ近郊のショッピングモールへ。
ここに入っている店舗はどれもかなり高級店だったので、近くのキャンプ用品屋をみつけてお目当てのものを購入し、夜ご飯を食べて宿へ戻った。

サファリ ホステル

昨日のホテルが延泊出来なかったので、そこから徒歩で行けるホテルに移った。

雑居ビルの5~7階まで名前がは別だが経営者は同じっぽいホテルが並ぶ。昔日本人宿だったと思われる「ベニス細川家」という名前のホテルも6階にあったが、オーナーの細川さんはとっくに亡くなられていてフロントはエジプト人になっていた。

なかなかディープな内観のビル。

最上階なのにエレベーターが壊れている。スーツケースを上まで運ぶのは地獄だ。幸い登る時も降りる時も同じ宿の日本人男性が運んでくれた。助かる。

部屋はかなり天井が高くて広く快適だった。ツインで一部屋7$。


次の日。
宿は一応朝食付きだったが、キツイ内容。キッチンは使えるような清潔さではなかった。
1泊1人3.5$なのでまあいいが。
ここも昔日本人宿だったのか、本棚には日本語の漫画が並んでいた。
ここと下の階の「ベニス細川家」に日本人男性がいた。皆、今後アフリカへ南下すると言う。
アフリカへ行く人らが集まる宿なのか、ここは。

Tと最後の食事を食べに出掛ける。

レバー肉が美味しかった。彼は今日の夕方、別の国へ旅立つ。
3週間も一緒にいたがとうとうお別れだ。

何をするでもなく彼の飛行機の時間まで一緒にロビーで漫画を読み、時間になると下の階まで見送った。別れの時間が近づくにつれ淋しくなってきて会話がなくなった。

彼が「また会いましょう。」と言って手を差し出すので、握手をして別れた。

「ありがとう。」そう言って、彼に背を向けて町中へ歩き出す。ボロボロ涙がこぼれた。
他の人と別れる時はそんなことなかったのに。
ずっとほとんど一緒だったからだろうか。
なぜか彼とはいつまでも会話が続いて楽しかった。そして凄く頼りにしていた。

年齢も、性別も、住んでいる場所も全然違うので、もう会うのはきっとこれで最後だろう。
旅での出会いなんて一期一会。

大丈夫、日常に戻れば私はすぐに忘れるだろう。

ベニス細川家(ホテル)

昨日宿泊していたサファリ ホステルに「同じ料金で私一人だけ延泊したい。」と言ったら、面倒臭そうに「コンプリート(満室)」と言われた。嘘っぽいが鬱陶しいので下の階のベニス細川家の男女混合ドミトリーにBooking.comから予約を入れて宿を移る。

ドミトリーを予約したのに、フロントには「政府からの指示で女性はドミトリーに泊れなくなったんだ。予約システムが機能してなくてごめん。」と言われた。
ベッドが3台ある部屋に一人で泊めさせてもらう。190ポンド。

夜ご飯はウェイク アップ!カイロ ホステルで一緒だった大学生の子を誘って一緒に食べた。
イランに行った話をすると「イランって歴史あるんですか?」「イランってキリスト教?」など聞いてくる。これが日本の大学生と思うと頭が痛い。
高校でペルシャ時代とか習わないのだろうか?ニュースを見てもイランが何教なのか分かりそうなものだが・・・
しかし素直で人懐っこくて、倍以上の年齢の私に普通に会話してくれる彼はかわいかった。


次の日。ホテルからの景色。私も今夜の夜中3時の便で帰国する。

キッチンは上のホテルより清潔さがマシだったので、ここで余っている手持ちの米や調味料を全て使い切った。
ロビーで日本人男性に会った。今このホテルのドミには日本人男性が5名も宿泊していて、全員今からエチオピアまで飛行機で行き、そこからアフリカ大陸を縦断するらしい。

そこまで皆が行くアフリカに何があるのか。辛いと聞くので自分のルートには入れていなかったが興味が沸いてきた。サファリやマダガスカル位はルートに入れてもいいかも知れない。

カイロ国際空港まで地下鉄で移動

最終日にどこかのモスクにでも観光へ行こうかと思っていたが、気分が切れてしまい、行く気分になれなかった。

飛行機は夜中の3時だが、暖房のないホテルのロビーが寒すぎるので、もう空港へ向かうことにする。
時間がかなりあるので、暇つぶしに空港までタクシーではなくローカル移動に挑戦。

宿から地下鉄の駅まで歩き、グリーンのラインに乗る。8ポンド。24円、安過ぎる。

GoogleMapで見ると「El Nozha(エルノズハ)」という駅が空港に1番近いようなので、40分位乗ってそこで降りる。

降りるとすぐミニバスステーションのようなところがある。
「エアポートに行きたいんだけど。」とその辺りに立っているおっちゃんに聞くと
「このバスだよ。」と教えてくれた。そしてなぜかおっちゃんも一緒に乗り込んでくる。

地図で見ると空港まで近いのに、ミニバスでかなり走った。降りる時に30ポンド支払った。
ここからまた無料のシャトルバスでターミナル2まで移動しないといけないらしい。
一緒に乗り込んできたおっちゃんは手ぶらなので空港に用事はなさそうなのだが、親切に案内してくれる。
しかし・・・先程から微妙にボディタッチをしてくるのが気になる。

無料の空港シャトルバスが来た。
ここまで案内してくれたおっちゃんには「ここからは一人で行けるから大丈夫だよ!」と告げるが「俺も空港に行くから。」とまた一緒に乗り込んでくる。
2人掛けの座席の奥に私を座らせ、自分は通路側に座る。案の定、右手が伸びてきて、ずっともも、腰、お尻を触られた。

体をひねって抵抗して「もしもーし?」と話し掛けるが、その度にとぼけて「僕と手をつなぐ?」などと言ってくる。座席の奥に座らされて逃げれない。
エジプトではずっと複数人で移動していたから男性のセクハラ具合に気付かなかったが、女一人になったとたんやはりこんな目に遭う。イランでもすれ違いざまにお尻を触られた。イスラム教の国の男性って外国人は触ってもいいと思っているこんな人ばかりなのだろうか。

長い時間かけてやっとターミナル2に到着。

空港内まではおっちゃんはついて来なかった。

タクシーに乗らなかったおかげでお金が余り、空港内の高いケーキもラテもいただくことが出来たが、これはセクハラと引き換え・・・

0時になってチェックインカウンターが開いたので、荷物を預けセキュリティを通ってラウンジへ。

カイロ国際空港のラウンジはショボかった。シャワー有料、アルコールなし。

エディハド航空に3時に乗る。日本まで3.7万円という格安飛行機なのに預け入れ荷物も機内食も付いている。夜中3時発だから安いのだろう。

アブダビ国際空港

早朝、経由地のアラブ首長国連邦のアブダビ空港に到着。
トランジットの時間は12時間以上ある。職員に「1度外に出てもいいよ。」と言われたのでドバイ観光でもしようかと検討したが、眠過ぎて止めることにした。今の私にはあのソファで昼寝する方が魅力的だ。

さすがお金持ちの国。空港が綺麗過ぎる。外に出なくても、広いアブダビ空港のデザインを見ながらウロウロするのは楽しかった。ラウンジ内でもないただの通路にあるトイレに無料のシャワーが付いているのも驚き。持ち込み荷物にシャンプーを入れておくんだった。

ラウンジに行ってみた。プライオリティパスのHPには「滞在3時間まで」と書かれていたが、空いているからか、いつまででもいれるようだ。

ラウンジで思う存分食べ、ビールを飲み、昼寝した。
ギリギリまで寝てしまい、目が覚めるとまたいつものように私の名前がファイナルコールで呼ばれていた。

21時発の関空行きの飛行機に乗り込む。乗っているのは日本人ばかり。
ガラガラだったので3席利用して睡眠を取らせてもらった。
それにしてもエディハド航空の人たちはめちゃめちゃ感じがい

帰国

次の日の朝。10時間で関空に着いた。

ダサいデザインの空港。荷物受け取り所の床の、無機質なデザインのPタイルを見て1番に思ったことは

「帰ってきたくなかった。」

その思いが強かった。カイロからヨーロッパかアフリカ大陸南下か・・・そのままどこかの国へ移動してずっと旅を続けたかった。
ずっと、次に行く国のこと、国境の越え方など考えてワクワクしながら過ごしたかった。

保険が切れている状態で旅を続けるのは危険だろう。
昔、保険が切れていて病院へ行かずマラリアで亡くなられた夫婦の話はバックパッカー界隈では有名だ。
日本で色々書類で手続きをしないといけないこともあったし、このタイミングでの帰国は仕方ない。

9月半ばにウズベキスタンから始まり、ジョージア、イラン、エジプトにはかなり長い時間いた。
中東・アフリカ旅がこんなにも楽しいものだなんて。
まさか自分がイランに行くことになるなんて。行く前には想像だにしていなかった。

イスラム教の国のイメージがテロがあって怖いだなんて勝手な思い込みだ。
そこに暮らす人たちは皆、フレンドリーで親切だった。宗教観念上、助け合いの精神が根付いていてヒッチハイクが容易に出来、困った時にいつでも助けてくれる。島国で暮らす私たちは無知すぎる。

南米旅ではコロナ禍もありほとんど日本人に会わなかったが、今回はなんて沢山の出会いがあったのだろう。日本人だけでなく、出会った外国人らも含め、私は様々な影響を受け、考え方が変わった。

もう仕事を辞めて1年以上にもなるが、まだまだ行きたい国がある。もっと色んな人から色んな影響を受けたい。もっと見たことがない世界を見たい。
旅の途中で仲間の訃報を聞いて思ったが。。。

人はいつ死ぬか分からない。
今やりたいことを全力でやらないと「いつか」なんて思っていると、そんな日は永遠にやって来ないかもしれないのだ。

だから私は旅を続ける。これからも。

現在、一時帰国中。

私の旅はこれからも続く。

カイロまでミニバスで向かってみる。旅の途中で聞く仲間の訃報(2024.1.30~31)

2024.1.30(火)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒65エジプトポンド(闇レート)

10時頃起床してパッキング。残りのご飯やラーメンで朝食を作って食材を片付け12時にアパートをチェックアウトする。Lenは相変わらず12時位に起きてきて私たちと一緒にカイロに向かいたそうだったが「今から朝食を作って食べてから行く。」と言い出したのでアパートに置いてきた。

ルクソールからカイロへミニバスで向かう

いつも通り10ポンドを払って西岸から東岸へ移動。

荷物を引きずってルクソール神殿の前を通り・・・

鉄道駅付近の旅行会社へ来た。
ここからカイロ行きのGoBusに乗るつもりだったが、同行者が「それじゃあ面白くないからローカルバスで北上して途中の町で1泊しながらカイロへ行く。」と言うので、面白そうなのでついて行くことにした。
そんな経路はネットのどこを探しても載っていない。誰もがルクソールからはカイロ直行だろう。

旅行会社で、英語が堪能なTがローカルバスでの行き方をスタッフに聞いている。
私には「ここから15分歩いた所にあるミニバスステーションからバスでキナという町に行ってで乗り換えろ。キナからはソハグアシュートなど色んな町へ行く大きなミニバスステーションがあるよ。」という話しか聞き取れなかった。
15分以上スタッフと話し込んでいるTに「何を話しているの?全然聞き取れない。」と聞くと「ずっと同じ内容を繰り返し言ってた。」と言う。うーん、エジプト人しつこい。

最高レートの闇両替

更にここのスタッフに頼んで別の場所にいた闇両替屋も呼んでもらった。
最初1$=50ポンドと言われたのに、Tは「昨日65って言ってた人いたし、じゃあいいや。」と帰るふりなどして、あっという間に1$=65ポンドまで価格を釣り上げた。器用で交渉術に長けている人は羨ましい。私なら最初の50ポンドで両替していただろうな。ありがたく便乗してこの金額で30$だけ両替する。

それにしても本当はいくらでエジプトのブラックマーケットは流通しているんだ。
65ポンドで応じるってことは75ポンド位で取引されているのだろうか??

徒歩15分のローカルバスステーションまで歩いて行こうとすると、旅行会社のスタッフが知り合いのタクシーを呼んでくれた。ドライバーは自分で「俺はいい奴。バス停まで30ポンド(90円)でいい。」と自己紹介する。
そしてタクシーの中で話込んでいると、最後の方で「北上するのか・・・昨日オーストラリア人カップルを送迎したんだけど、川沿いのルートは検問があって外国人は通れなかったと言っていた。」と言い出す。

ルクソールのケナ行き、ミニバスステーション

そしてバスステーションに着くと、ドライバーはアラビア語で入口のガードマンに何か色々聞いていて「やはり川沿いを通るこのバスでは、途中でパスポートコントロールが3か所あり外国人は通れないらしいぞ。俺が検問のない砂漠地帯を通って送ってやる。2人で10$でいい。」と言う。

確かに、カイロからルクソールまで来るバスも、大きく迂回して砂漠地帯を通って来た。なので本当だろうか。
考えあぐねていたら、Tが「通れなかったら、もうケナに行くの止めて、ルクソールの町に戻って大きなバスでカイロまで行くよ。タクシーでは行かない。」とはっきり断る。
ドライバーは「絶対行けないぞ!それにタクシーの方が楽じゃないか。じゃあ8$!」と金額を下げてくる。それでも断ると「7$でいい、日本人からしたら7$は高くないだろう、なぜなんだ!」と態度急変。

ルクソールからケナまでミニバス移動

タクシーで1時間以上かかる距離を7$は高くはないけど、嘘をついて騙すその態度が嫌だ。それにローカル移動がしたい。
怒るドライバーを後にしてバスに近づくと「外国人は無理」など全く言われず普通に乗れた。

満席になったら出発するスタイル。30ポンド。「外国人は行けない」なんてやはりタクシー運転手は嘘をついていた。

途中の景色がのどかでいい。
砂漠地帯を通るGoBusに乗っていたら見れなかったであろう、川沿いののどかな田舎町の風景を堪能する。

ケナのミニバスステーション

1時間で終点のケナの町中に降ろされた。
乗客に英語を話せる人がいたので聞き込みをすると、ここからまた西へ車で10分程行ったミニバスステーションからでないと、他の町へ向かうミニバスには乗れないらしい。

その乗客の人がタクシーを呼んでくれ、バスステーションまでタクシーで40ポンドで行ってくれると言うのだが、さっきのタクシー運転手のせいで疑心暗鬼になっていた私は、更にその辺の地元の人に聞いてローカルバスに乗り込んでバス停へ向かうことにした。5ポンド。

15時半。ミニバスステーションに着いた。
Tが今日はアシュートという町まで行きたいと言うのだが、アシュート行きのバスはさっき出たばかりだと言う。

まあトイレに行ったりご飯を食べたりしていたら、すぐに人が集まってくるだろうとたかをくくっていたのだが・・・

私たち2名の他に全く人が集まらない。1時間以上経ってやっと他に2名だけ来た感じ。
ケナの町中に着いた時に、ここまでローカルバスじゃなくタクシーで来ていたらもう1本前のバスに間に合っていたのだろうか。自分が選んだ手段に後悔するが、たらればで判断が難しい。

2時間以上待っても6人しか集まらなかった。もうこの町に宿泊しようかと相談していたところ、運転手に「もう出発するけど一人100ポンドでいい?」と聞かれる。本当は70ポンド位の料金なんだろうけど快く了承する。

17時45分に出発。
満席になっていなくてもバス会社の負担を心配することはなかった。途中の道路でこのバスを待っていた地元の人たちが何人も立っていて、直ぐに満席になった。
そしてミニバス。昼間は感じなかったが、日が暮れるとびゅんびゅん容赦なく引き違い窓の隙間から冷たい風が入ってくる。それが冷たすぎて凍えそうになった。これは盲点だ。

アシュートに到着

21時にアシュートという町に到着した。
観光地ではないのか、Booking.comで予約できる宿がない。
町中の繁華街付近で今夜泊まれそうな宿を歩いて何軒も聞くが、安いところは満室、他は1泊1人3千円位と高かった。

エジプト最安値宿

歩いている地元の人に聞いて案内されるホテルも全部高かったので、Tがミニバスの中で予約しておいた郊外のユースホステルへタクシーで移動して行くことにした。
どうやって見つけのたか聞いたらGoogleMapで検索し、そこに載っている電話番号にかけて値段を聞き、押さえのために予約しておいたと言う。

ドミトリー1泊65ポンド。闇レートで両替しているせいもあるが、200円を切っている。しかもホットシャワー付き。なんでこんな安いんだ。

近所でチキン屋を見つけて食事。これも150円位。この日は移動だけの1日だった。

Tに付いて来たおかげで、他の人がどういう旅をしているか知ることが出来た。外国人向けの長距離バスでありきたりのルートを移動するのも楽だが、こうやって地元の人に聞きまくってローカルバスで移動するのも、ネットで見たことがない町へ行けて風情があっていい。

しかし私もこれなら経験はある。
ほぼ情報がないイランのホルムズ島だ。しかしホテルを探して長時間彷徨い歩くのは、楽しみより苦しみの方が大きかったような・・・次からは中東では英語が通じないと決めつけず、電話しまくろう。


アシュート町歩き

次の日。アシュートという町を歩いてみる。

ルクソールの旅行会社のスタッフは「とてもいいところだよ。」とお勧めしてくれていた町だ。
ナイル川の景色が美しい。

昼ご飯にハンバーガーセットを2人で分けて食べている時に、前の会社の人から「〇〇が亡くなった。」と連絡が来た。

〇〇さんというのは日本で皆でよく一緒に飲んでいた40代の男性だ。
花見、ビアガーデンんど毎年一緒に行っていた。なぜ亡くなったのかよく分からず頭が混乱したまま町を歩く。

同行者の気分が沈まないように、このことは黙っていたが、頭がぼーっとしていて私にはこれ以降の記憶があまりない。

列車、モスクや教会も訪問。かわいらしいデザインだ。この教会は外観の写真を撮っただけで警備の警官にめちゃめちゃ怒られた。付近のビルからいくらでも撮れると思うのだが・・・

アシュートからカイロまでGoBus

中に入る気分でもなく、そのまま15時発のGoBusでカイロへ向かう。

GoBusの方が隙間風はなく快適だった。200ポンド。

3度目のカイロに到着。

ウェイク アップ!カイロ ホステル

前回と同じホテルも面白くないので、バス停近くのドミを予約しておいた。朝食付きで1泊300ポンド。

場所もいいし、ベッドのふかふか具合がエジプトでNo.1だった。しかも安い。
延泊したかったのに次の日は予約でいっぱい。

近所の有名なコシャリ屋さんへ。5階まで満席という人気店。

有名店のコシャリなら好きになるかと思ったがやはり残飯感・・・柔らかいパスタ麺にただのトマトソース味は好きになれなかった。

そして本当にここ辺りの記憶がない。親しい人が亡くなったと聞いて精神状態が少しおかしかったと思う。全然喋らないし同行者に変に思われていないだろうか。
観光する気分でもないし、たまたま一昨日、一時帰国の便を予約していて良かった。

この日はここで就寝。

3日後に日本へ戻る。

ついにルクソールの王家の谷とルクソール神殿内部へ。1番良かった闇両替レート。(2024.1.29)

2024.1.29(月)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒60エジプトポンド(闇レート)

teraホステルの朝。

昨日、延泊したいと言ったら最上階は予約が入っているからと言われ下の階に移らされた。ベッドは2台しかなかったのでLenは床に敷いた布団で寝ている。料金は1$まけてもらった。
下の階は洗濯機は古いし、門の鍵をくれずに締め出しをくらうしでよくなかった。
昨晩、オーナーに門が閉まっていると電話すると「門の扉のホールに別のカギを入れて右に押せ」と何度も言われたのだが、エントランスホールに鍵を置いたら鍵が手元から無くなるじゃないかと全然意味が分からず開けれなかった。ホールはhallでなくhole(穴)のことだった。つくづく自分の英語力が嫌になる。

早朝から隣でプールを作っている工事の音が煩い。
タイルってあんな積み方で合ってたっけ?
ちゃんと糸で水平を取ってからモルタルも均一に塗らないと。

付近を散歩。今日はひとりで観光へ行く。
男性陣らは帰国便の予約や次に行く国のビザ取得に忙しそうだ。
私はまだ帰国日を決めていない。エジプトから日本までの航空券はいつ見ても3.7万円であるので、直前に購入しても大丈夫だろう。
帰国したくなかったが、パスポートは破れているしクレカの保険も切れているし、1度リセットしないと。

王家の谷へ

ナイル川を挟んで東岸は神殿などがあり生するものの町、西岸は墓がある死するものの町らしい。

ひとりで西岸にある王家の谷まで行くことにした。通常フェリー乗り場付近にたむろしているタクシーと交渉して行くのだと思うが、ネットで「自転車で行った」という情報を見たので、節約して自転車で行くことにする。

レンタルサイクル屋

3時間借りたいと言うと150ポンドと言われた。値切って120ポンドで借りる。

しかし、自転車は完全なるママチャリ。しかも油を差していないのか、漕ぐとギコギコいって全然進まない。ダハブで借りた自転車と大違いだ。自転車をチョイスしたことを後悔し出す。

漕いでも中々進まないまま、遠くに見える王家の谷を目指す。
小学生の頃に読んた伝記にあった、ハワード・カーターがツタンカーメン王の墓を発見した場所だ。
ついにそんな昔から憧れていた場所に行けるのだ。

メムノンの巨象

やっと一つ目の目的地に着いた。2体ともアメンホテプ3世の像らしい。
右の像の下に人がいるので、それと比べるとこれがどれだけ大きいか分かる。

所々に神殿跡やお墓のようなものがある。
王妃の谷へ行く道に迷い込んだりと寄り道をしていて、全然王家の谷へは着かない。
この道で合っているのだろうか。

向こう側にハトシェプスト女王葬祭殿が見える。
行ってみたかったがこの時点で自転車を漕ぎだしてから40分位過ぎている。それに遠過ぎて行く気になれない。

よく下調べをしないで勢いだけで来たのが間違いだった。王家の谷へのチケット売り場までの道のりをGoogleMapで調べ直すと、自転車を借りた場所から車で25分。しかもずっと登り坂だ。
タクシーがたまに通って心配そうに声掛けしてくれるが自転車があるので乗れない。ひとりだけ徒歩で来ているヨーロピアンの男性を見かけたが、それ以外誰もいない。辛い。。。

1時間以上漕いでやっとチケット売り場に到着した。
徒歩よりも遅い速度でひぃひぃ言いながら自転車を漕いでいたら、入口の警備員たちに大笑いされた。

王家の谷の入場料

入場料が600ポンド(3000円)、それとは別にツタンカーメン王の墓は500(2500円)、セティ1世の墓は1800ポンド(9000円!)かかるらしい。
カードしか使えないのでもちろん公定レート。なめてんのか、このぼったくり料金。

入場券だけ購入した。上側の枠の墓の中から3つだけ選んで入れるらしい。

チケットの入口の係員にパンチで穴を開けられ、3つ空いたら終了。
どの墓に入るべきか調べたかったが、ここではネットが繋がらなかった。

入場してからも有料のカート(10ポンド)で5分程進む。
後ろの座席に座りたかったが、運転手に「隣の席に座れ。」と言われた。
どこの国か聞かれ「ジャパン」と言うと座席の横のドリンクホルダーを指差し「チップ、チップ」と言われる。何もして貰っていないのにチップを要求される意味がわからない、もちろん逃げた笑

王家の谷に到着。
紀元前3000年頃にお墓として建てられたピラミッドは盗掘されまくったので、紀元前1600年頃、盗賊たちに発見されないように、この外からよく見えない谷に王の墓群が造られたらしい。
王の墓24個を含め全部で64個の墓があるらしい。

どれに入ればいいのだろう。分からないのでツアー客たちが群がっている人気の墓に入ってみることにする。これが正解。

ラムセス4世の墓

取り敢えずラムセス4世の墓へ。

たまたま誰もいない写真が撮れたが、この後あっという間にツアー客たちでぎゅうぎゅう。
ライトアップされた壁画は天井までカラフルでとても綺麗だ。
この石の棺にミイラが入っていたのだろう。

これが古代エジプトの象形文字、ヒエログリフというやつ。色付けまでされている。雨が降らず湿気が全くないので色が残っているのだろう。紀元前のものがこれだけの色彩で残っているなんて、結構感動。

ラムセス3世の墓

次も人気がありそうなところを選んで入った。さっきのお墓のお父さんの方だろう。奥までびっしりヒエログリフ。一体何が書かれているのだろう。

2階建てになっているホールもあり、結構大きな壁画が描かれている。頭が鳥なのは神様らしい。

メルエンプタハの墓

この「ラムセス2世の墓」が大きそうで入りたかったが、整備中で入れず。

ラムセス系以外のものにも入ってみようかと、最後の1つはメルエンプタハの墓にする。かなり地下まで潜って酸素が薄いのか息苦しい。

入口付近の壁画は洪水などの被害で少し色が落ちている。これまでの墓に比べて色彩は地味。

途中に石棺のようなものがあり、警官が立っていた。スマホをよこせと言うので渡したら、手を伸ばして下のガラスケースに入っているものの写真を撮っていた。

ばんざーい。なんじゃこりゃー。
案の定、警官に「チップ、1ダラー」と言われるが、丁重にお礼を言って走って逃げる。
彼は警備員ではなく制服を着た警官なのに、なに小遣い稼ぎをしているんだ。

一番奥のホール。復元された棺などが置かれている。

もう3つの墓に入ってしまったので出る。どこに入るべきか悩みまくってウロウロしていたので、閉館の17時に近い。
Tから電話があり「今日の夕方、ルクソール神殿に行きたいって言ってましたよね?どこにいます?」と言われた。私が夕方に入りたいって昨日言ったんだっけ。「すいません一人で入っていて下さい。」と謝って急いで向かうことにする。

帰りのカートは無料。
もしかしたらお金がいったのかも知れないが、チケット売り場が分からずタダ乗り。

帰りは自転車は下り坂なので楽ちん。

日が暮れ始め、結局他の所には入れなかった。
しかしすっかり遺跡には飽きてしまっているのと、どこも入場料が高いので例え朝から来ていたとしても入らなかったと思う。

夕日に染まる砂漠の死者の街を自転車で走るのはいいものだ。
景色が黄金に輝いていて綺麗なので自転車で良かったかもしれない。

昼に見たメムノンの巨象も夕方の方が美しい。

この時間帯の王家の谷は美しかった。夕日に染まるルクソール神殿も見たいので急ぐ。

自転車は約束した3時間をとっくに過ぎていたが追加料金は言われなかった。
ルクソール神殿がある東岸へ行こうといつものフェリーに乗るが、行ったばかりだったようで人が全然集まらない。

結局30分近く待ったので、出発した頃には日が落ちてしまった。間に合わなかった。

ナイル川東岸

東岸に着き、ルクソール神殿を目指す。

昨晩はルクソール神殿を北側からしか見なかったが、南側に回ってみるとライトアップされた神殿の全体を見ることが出来た。

もう十分見えたし、これでいいのでは・・・
しかし丁度神殿から出て来たTと合流すると「間近で見たらとても良かった」と言うので今から入ることにする。今頃観光に来たLenはやはり「入場料が高いので入らない。」と言う。男性2人に今日の晩御飯の食材とビールを買ってきてもらうことにし、その間に私だけ入場させてもらう。

チケット売り場は目の前の広場から少し北へ行った場所。
GoogleMapに「入場料250ポンド(1250円)」とあったので安いし入ってもいいかなと思っていたのだが、入口に来てみたら手書きでマジックで400ポンド(2000円)に値上がりしている。入ろうかどうしようか、かなり躊躇した。

結局、明日はもうルクソールを出るので入ることにした。
ライトアップされた夜の方が人気があるのか、ツアーバスから団体客がぞろぞろ降りてくる。
あの尖塔、オベリスクは2本あったのに1本はナポレオンがフランスに持って帰り、パリのコンコルド広場にあるらしい。5年前にパリに行ったけど、その時はデモ中でコンコルド広場へは行っていないので見ていない。

入場して右側はスフィンクス参道。もっと北の方は台座しかなかったが、スフィンクスはここにいたのか。よく見ると一体一体形が違う。

左の本殿の方にも入ってみる。

壁画は夜なのでよく見えない。やはり夕方から入場するのが正解だったようだ。

建物内はかなり広く、外側にも展示物が沢山あった。夜でよく見えないのが残念。

ルクソールの闇両替

男性らが買い物を終えたと言うので、3人で合流した。
そして彼らがお土産屋に持ち掛けられた闇両替のレートは1$=60ポンド、鉄道駅の近くで声を掛けられた人からは1$=65ポンドを提示されたという。
偽札が混じっていることもあるようなので路上での交換はやめ、Lenだけお土産で20$だけ両替してもらっていた。すると見たことのない2$札が混じっている。Lenは偽札を疑いまくっていたが、ネットで調べたらヤフオクなどで高値で落札されているレア札のようなので「もらっておけ。」と言っておいた。
「中国でも売れるかな?」と不安そうだったが。

フェリーに乗ってまたアパートへ戻る。

明日は皆バラバラにカイロへ向かう。3人で過ごす最後の夜。
Lenがナス、インゲン、ジャガイモで時間を掛けて一品作ってくれた。やはり少し辛いけど、肉が全く入っていないのに凄く美味しい。これまでドミトリーで会った中国人は男性も皆料理が得意だ。

こういった3人の奇妙なシェアハウス生活も、20代の時のワーホリ以来で楽しかった。
世界一周に出る前は、もうそんな経験なんて一生することはないだろうと思っていたのに。
自分以外の人らの見た目が若いので、ずっと一緒にいて会話していると私は自分の年齢を忘れてしまっている。そして鏡を見て初めて思い出すのだ。残酷だ。

このまま楽しい時間が続けばいいのに。
しかしお別れはもうすぐそこ。

シワからルクソールへ移動、地元の人が歩くルクソールの地域を散歩(2024.1.27~28)

2024.1.27(土)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒60エジプトポンド(闇レート)

西のシワの町から一気にルクソールまで移動する。

1日で凄い移動距離だなぁ。

シワからカイロへ、バスで移動

19時半にシワを出発し、早朝、カイロのGoBusオフィスに着いた。南米のバス程快適ではないが、同行者とずっと喋っている間にいつの間にか眠っていた。このままこのオフィスで10時発のルクソール行きのバスチケットを購入する。295ポンド。

オフィスにはなんとシワでお別れしたLenがいた。メルサマトルーでのパーティはどうだったのか聞いたら「宿のオーナーが最悪でパーティはなかった。騙された。一緒にルクソールへ行く。」と言う。あの涙のお別れはなんだったんだ、まあいいけど。

彼がお腹が空いて何か食べたいと言うが、6時なのでまだどの店も開いていない。
開いていて安そうな店をGoogleMapで検索して行ってみたら屋台だった。

いやーどうみてもゲロ・・・このセットで1人150円位。私は遠慮しておいた。

10時に3人で乗り込む。空いていて皆2席取れたので、ここで横になって爆睡しておく。

川沿いを走るかと思っていたが、地図を見るとずっともっと東の砂漠地帯を走っていた。川沿いは混むのだろうか。

砂漠を通る遠回りのせいか、20時半にルクソールに到着。シワから24時間以上かかった。
ここからタクシーでホテルまで向かう。

ルクソールの東側へ移動

去年ロスで一緒に食事したみどりさんから「自分が予約したルクソールのホテル4泊がキャンセル出来なかったので無料で使ってくれないか。」とありがたい提案を受けていたが、見事に4日丸々日にちがずれてしまった。残念。
シワの宿はキッチンがなく、男性陣らが「ラーメンが食べたい」とぎゃーぎゃーうるさかったので「3人でキッチン付きのアパートを借りないか。1日4回も外食するならそっちの方が食費が浮くのでは。」と提案したら採用。

ルクソールの町は、ナイル川を挟んで博物館などがある東側と王家の墓がある西側に分かれている。
予約した安いアパートは西側だが、バスで降ろされたのは東側。「フェリーで川を渡れる」とネットで見たのだが、乗り場がよく分からない。安全を取ってUberを呼んだら、川を越える橋はかなり北か南にしかなく、川のすぐ向こうに見えるホテルに着くのに40分も要した。

tara hostel

一応ホステルとあるが、3階建てアパート2LDKの3階部分をレンタル。

豪華なキッチンと・・・

洗濯機付きバスルーム。Lenは「これまで泊まった中で1番豪華だ!」と感動していた。
1室14$。西側のドミトリーが1泊1人6$だったのでこっちの方が安いし、食費も洗濯費も浮く。

他の観光客との交流がないのがちょっと寂しいが、久々の綺麗な個室で荷物も思いっきり広げられる。
男性陣らは「3週間ぶりに洗濯出来る。」と騒いでいた。そう言えばシワでは水シャワーだったからここ何日か風呂も入ってないみたいだし、汚いなぁ・・・男の人ってそんなもんなんだろうか。

もう夜中近かったが、10分程歩いた所に商店があったので卵、トマト、インスタントラーメンなどを買い皆で食べる。3人でわいわい料理するのもまた楽しい。オーストラリアでシェアハウスに住んでいた時を思い出した。


次の日。
屋上のテラスが気持ちいい。先に洗濯機を使わせてもらった。

エジプトでも1月は寒いが、日なたにいると暖かい。テラスから西側の町が見えた。

ルクソール町歩き

Lenは相変わらず昼を過ぎても起きてこないので、Tと町を散策に出掛ける。

フェリー乗り場(西岸)

川を渡った西側に行きたいが、GoogleMapにはいくつも「フェリー乗り場」と称する場所が登録されている。そこへ行って金額を聞くと「5~10$」などと言われ、観光価格だ。
普通の地元民が使っているフェリー乗り場をなんとか探す。思っていたよりかなり北のここ。

ここからだと向こう岸までたった10ポンド(30円)。地元の人らは5ポンドしか払っていないのでこれでも外国人料金を取られているが。

フェリーは2階建で、満席になったら出発するスタイル。2階の方がナイル川を見渡せて楽しい。

フェリー乗り場(東岸)

5~10分で向こう岸に着く。到着地点はルクソール博物館の裏。
町の中心へは10分程歩く。

ここから北にはカルナック神殿、南にはルクソール神殿があり、このスフィンクス参道で結ばれている。しかしスフィンクスはなく、台座しか見当たらない。

ルクソール神殿の前の広場までやって来た。

ルクソール鉄道駅でアスワン行きを検討

広場から5分程歩くと鉄道駅に着く。私とTはこの後、更に南下してスーダンとの国境近くにある有名な観光地、アスワンへ行く予定だ。しかしルクソールからアスワン行きの長距離バスはないらしく、誰に聞いても鉄道を案内された。鉄道は相変わらず外国人料金の26$。

鉄道以外で行くなら、旅行会社のバスに乗るかタクシーをチャーターするしかない。旅行会社のバスは全然安くならない。タクシーチャーターは3人で900ポンドまで値切ることが出来た。

ここからは、Tが「地元の人らが歩くような場所へ行くのが好き。」というので付いて行ってみた。

私は騒がしかったり人が多いところはスリに遭いそうで苦手なのだが、他人の趣味に付き合うのもまた違う景色が見れ、視野が広がりいいものだ。
有名な観光地のルクソールでは、ほとんどの日本人が神殿・王家の墓・博物館だけで終わるのではないだろうか。

シワと同じく、道路は車とドンキ(ロバ)、馬が混在していてカオス。

地元の子供たちの公園に来た。熱烈な歓迎を受ける笑
たまにエジプト名物「マニ、マニー!」と言う子がいると、最年長らしき少年がその子らをドツく。
この子たちは貧しそうではないし、本気で言ってるのではないと思うが、彼位の年齢になると「そんな恥ずかしいことを言うな。」というプライドがあるのだろう。

Tが荷物が増えてきたので日本に荷物を送りたいと言うので、郵便局へ行くのも付いて行く。ノートPC1台1万円位かかり、送るのは断念したようだ。

お洒落なカフェがあったので入ってみる。全部で500円位とエジプトにしてはまあまあな値段。他の客は地元の若い女の子たちばかりだった。お金持ちでないとここは入れないだろう。

無料で外から見れるルクソール神殿

夕方、やっとLenから連絡があったのでルクソール神殿の前で集合する。何をしていたか聞いたら、客引きにあって市場を連れまわされた挙句、チップを請求されたらしい。
「大変だったよー、懲り懲り。」とか言いながら、彼のことだから1円も払っていないんだろうけど。

Tが「どこも入場料が高いのでルクソールでは1か所だけ入りたい。僕はルクソール神殿に入りたい。」と言うので「明日、夕方から夜にかけて入らないか。」と提案する。Lenは入場料を聞いて「そんな高いもん入らなくても、あのモスクの中から見えるらしいよ。」と言う。さすが中国ネットワーク。

モスクの中に入り込んで見下ろすと、なるほど。ライトアップされたルクソール神殿が無料で見れた。
入場料は最近値上げしたようで、400ポンド(2000円)もするのだ。

無料で見れて、神殿はもうこれでいいのではないだろうか。

ルクソールで散髪

Tが「散髪したい」と言うので、これまた3人でぞろぞろ連れだって行く。お店のクオリティもなかなか・・・どんな髪型にされるか楽しみだったが、案の定、オーダーしたのとは全く違う短いパツンパツンな髪型になって出て来た。しかし散髪屋の亭主は「どうだ。」と言わんばかりに満足そうだ。

そう言えば女性のヘアカットは見掛けない。人前で髪の毛を出してはいけないイスラム教の女性たちはどこで髪の毛を切っているのだろう。

帰り道、お祭り騒ぎの道路を覗いてみたら結婚式のパレードだった。若い綺麗な女性とおっさん・・・いや、それはいいのだけれど。
ウエディングドレスでも女性は髪の毛を隠した衣装になっている。髪の毛は出していた方が絶対綺麗に見えると思うが、イスラム教の教えなので仕方ない。

予約した宿のある西側は淋しい雰囲気だが、東側はお店がいっぱいある。
シワにはなかった酒屋も見つけたので皆ビールを買い込み、スーパーでチキンとラーメンを購入。
中国人のLenが「胸肉がいい」と言うのを日本人の私たちは「もも肉がいい」と対立、Lenが変な香辛料を大量に買おうとするのを止めたりとスーパーでかなり時間をくう。中国人と日本人は顔は一緒でも育った国が違うと味覚が全然違う。Lenは辛い食べ物が大好きだが私は全く食べれない。

フェリー乗り場まで15分歩くが、馬車の客引きがずっと声を掛けてくる。Tが適当に相手していたら1台40ポンド(120円)にまで値段が下がった。3人でフェリー乗り場まで乗せてもらった。

ナイル川をフェリーで渡る。たった30円のフェリーから見る夜景は、まるでヨーロッパで見た景色のように綺麗だった。

もも肉、胸肉対決は決着がつかず、それぞれ自分の好きな部位を購入して自分で料理することに。
寒いので、米よりラーメンの方が身に染みておいしい。

アスワン行きのタクシーの話をすると、Lenは「高いし春節までに中国に帰らないといけないので行かない。」と言う。アスワンからはアブシンベル神殿へ行けるのだが、そこもまた遠いし行くのが面倒になってきた。Tと相談してアスワンには行かず、もうルクソールでのんびりすることにする。

私は旅も5ヶ月目に入り、正直もう遺跡には飽きているのだ。今後、ヨーロッパでは凄い勢いでお金がなくなっていくだろう。なので自分が興味が薄れてきたことにお金を使うのはやめようと考えた。

Lenは饒舌なので、毎日自分の考えや、傾倒している孟子の教えについてなど色んな話をしてくれる。「この単語は日本語でどう発音するのか。」とよく聞いてくるのだが、結構似ていたりして面白い。
そして大学では法学部だったというので学んだ教科を聞いたら、漢字が日本語とほぼ同じだった。

話をしていると、これまで会った中国人、韓国人の若い子らの方が「どこどこの国の大統領は誰々で、政治情勢はこうで・・・」といった話に詳しく自分が恥ずかしくなる。私だけでなく、日本人の多くは彼らほど世界情勢に詳しくはないだろう。
それは日本が海に囲まれていてどこの国とも接しておらず、インフラも経済も整っていて、自国の中だけで一生安全に平和に暮らせるからだろうか。
「失われた30年」と言いつつ、他国を訪問する度に「そんなことどうでもいい位、日本に生まれただけで恵まれてるよなぁ」と思わざるを得ない。

私も少しは英語のニュースも読もう・・・

そんなことを考えながら眠りについた。

シワの死者の山と砂漠へ、夕日の沈むシワが絶景過ぎた(2024.1.25~26)

2024.1.25(木)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

Palm Trees Hotelの朝。

洗濯物を干す所がない。バルコニーの手摺も庭の塀も、全て土で出来ているから掛けると土で汚れてしまう。朝食は付いてないしキッチンもない。それよりシャワーが水しか出ないので男性陣らはシャワーを浴びるのをここ2日やめてしまっている。私は髪の毛と下半身だけ濡らして何とかやり過ごす。真冬の水シャワーは心臓麻痺になりそうだ。文句ばかりだけど何か悪いか。移れそうな安ホテルは遠い。テラスが広いのと従業員の人らがフレンドリーなのが救い。

シワの中心地。ホテルから出てすぐ。こうやって見ると正に砂漠の中のオアシスって感じ。この規模の町は本当に癒される。

مطعم عسه(レストラン)

宿の中国人らに、美味しくて安いという食堂を教えてもらった。

座席は2つしかなくてテイクアウトメインのお店のよう。外では地元の人らの注文が絶えない。お店の人も超絶忙しそう。

エジプトに入ってから、肉は油を落としながら焼いているせいかパサパサで美味しくないと思っていたが、ここのチキンはとてもジューシーで美味しい。ご飯もお焦げと普通のご飯がちょうどいい塩梅で混じっていてめちゃめちゃ美味しい。これでたったの85ポンド(250円)。

狭い町で、この公園が中心地。昨日一緒に温泉プールに行った中国人らと偶然会う。
「この看板、昨日私たちが記念に建てたんだ~」って、いいんかいな勝手に(;^ω^)

男性らは宿の人らとたき火を囲んでずっと会話している。なので今日はひとりで観光することにする。

Gabal al-Mawta(死者の山)

岩山全体が古代の人々の墓になっているという「死者の山」へ歩いて向かう。
先住民族のベルベル人が暮らすというここシワでは、現地の女性はほとんど見かけない。たまに見かけても目以外の全身を真っ黒な布で覆う服装をしている。きっと女性は家にこもってあまり外出しないような文化なのだろう。

到着。出掛けたのが遅かったので、もう夕刻近い。
沢山の石窟がある。あの中に死者を葬っていたのだろうか。

看板にもMountain of The Deadと書かれている。
この穴の下には古代のミイラがいっぱい埋まっているんだろうな~不謹慎ながらも登らせてもらう。

山に登ると砂漠の中にある木々、シワの町並みが一望出来た。
観光客と一緒に来ていた、現地ガイドさんが話し掛けてきた。日本人だと言うとやはり好意的で、自分の客はそっちのけで写真をいっぱい撮ってくれた。

どこの景色を切り取っても美しい。ここはお墓なのだけれど。
夕日が沈む遺跡にひとり・・・というのはやはりロマンがある。

建物の中には誰もいない。宗教施設のような地下もあり集会中のようだったが、入口にあったアラビア語をGoogle翻訳で訳すと「関係者以外立ち入り禁止」と書かれていたので、中に入るのは遠慮しておいた。

砂で出来た建物を見るとイランのバムを少し思い出す。行くのは大変だったけど、あそこの迷路のような規模の街と砂の城は本当に良かった。
ここでいつまでも砂漠に沈む美しい夕日を眺めながら過ごした。

シワのバスターミナル

帰り道、途中にある長距離用のバス停に寄った。明日の便でルクソールへ向かう。

直接ルクソールへ向かうバスはないようだ。カイロ、アレクサンドリア、メルサマトルー行きのみ。
一度カイロを経由しないといけない。しかも夜7時半の1本、340ポンドのみ。

宿にいる男性らも明日からルクソールへ向かうと言っていたが、自分の分だけチケットを買うのもいやらしいので買わずに宿に戻る。

シャリ要塞

町の中心近くのシャリ要塞に戻って来た。観光客だらけ。ここからの夕日も綺麗なんだろう。

宿に戻ると、昨日まで私たちと一緒にルクソールに行くと言っていたLenが「パーティがあるので、他の中国人たちとメルサマトルーへ行く」と言う。どうやらお気に入りのあの女の子が今メルサマトルーへ移動しているせいか。
3人でバス停に行き、私とTはカイロ行きのチケット、Lenはメルサマトルー行きのチケットを買った。

夜ご飯は、適当に入ったピザ屋でまた温泉プールに一緒に入った中国人グループと再会。皆で同じ部屋で食事する。この町は本当に中国人しかいないな。
日本人や韓国人が190ヵ国以上ビザなしで行けるのに対し、中国人は80ヵ国しかない。そのせいでこんなにも同じ国に集まるのか。莫大な人口のせいもあるだろうが。


次の日。朝10時。

なにやら宿のテラスが騒がしい。何十人ものエジプト人家族連れがチェックインしようと待機している。水シャワーしか出ないのに、本当にいいのか?ここで笑

またも宿で中国人カップルと会い、誘われたので一緒に昨日の食堂へ行く。
向こうから好意的にいっぱい話し掛けてきてくれて、私の中で中国人のイメージは本当にいいものになっている。

12時にチェックアウトして荷物を預け、Lenと写真を撮り合いっこして別れる。
彼は毎日朝までSNSをしていて昼過ぎまで起きて来ないし、時間は守らないし、シャワーは長いし、映え写真のためのセルフチェックの時間が長い困った奴だったけど、屈託のない笑顔でいつも元気に夢中になって話してくるのが無邪気過ぎて大好きだった。彼からは何の卑屈さも邪悪さも差別の気持ちも感じられない。中国の田舎育ちというけど、のびのび育ったんだろうなぁ。
最後の別れはちょっと泣きそうになった。

シワ砂漠

もうバス停へ向かうと言うLenと別れ、カイロ行きのバスの時間は夜なので、Tと砂漠方面へ散歩することにする。片道40分位かかるらしいが。

アスファルトの道路を南へ真っすぐ進むと砂漠に着いた。
ウズベキスタンでわざわざ100$払ってテント泊した砂漠よりずっと規模が大きい。
360度砂、砂、砂。

休憩と称していつまでもくだらない話で盛り上げり、気付いたら辺りはかなり曇ってきた。
向こうの方にはバギーでやって来ている観光客が見える。ちゃんと砂漠のサンドバギーツアーでも申し込んだ方が良かったか。

まあまた砂漠にはいつでも行けるだろう。私はこの後、一度帰国してからまたアフリカの地にあるモロッコへ行くつもりだから。モロッコにも砂漠ははずっと憧れていた青い街もあるしサハラ砂漠があるだろう。
帰り道は陽気なベルベ人たちに挨拶される。

夕日が暮れる中、同じ道を歩いてシワの町へ戻ってきた。

Muhra(海鮮レストラン)

18時。ホテルから荷物をピックアップして、海鮮レストランへ来る。
ここはホテルも兼ねているようだ。水回りは綺麗だけど部屋はテントだから蚊が心配かな。ここには韓国人らがたくさんいた。

時間がないのに、やはり注文してから30分以上してから魚と海老がきた。大急ぎで食べてバス停へ向かう。海沿いのメルサマトルーから仕入れているらしく、めちゃくちゃ美味しかった。ひとり250ポンド。

19時半。ギリギリの時間にバスに乗り込む。エジプトのバスでは荷物を自分で入れようとするとポーター的な人に遮られる。そして彼が荷物入れに荷物を入れただけで毎回「チップ、チップ」と言われるが、たった1秒だけの動作なので毎回フル無視している。

1日1本しかないのでやはり満席だった。人が溢れているので臨時で20時半にももう1本出発するらしい。
今からルクソールめがけてカイロへ向かう。

砂漠のオアシス、シワの町でヨルダンで果たせなかった死海に浮かぶ。クレオパトラの泉や温泉でも泳ぐ(2024.1.23~24)

2024.1.23(火)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

エジプトのシワに着いた。
Booking.comで検討を付けていたホテルは遠いか高い所しかなかったので、バスステーションから歩いて行けるLenが見つけたというホテルへ行ってみる。

シワ、小さい子を乗せたロバをよく見かける。土の色をした建物群もかわいい。癒される光景だ。

Palm Trees Hotel

どの予約サイトにも載っていないホテル。
「インドのホテルと同レベルに汚いけど大丈夫ですか?」との連絡は貰っていたが、一度そんなところも見てみたかった。口コミも「汚い」のオンパレード。

バルコニー付き個室で1泊200ポンド(600円)。男性2名はバルコニーなしで1室150ポンドだったらしいのでかなり割安。床のタイルは汚れまくり。そして水回りは・・・噂通りの・・・

閲覧注意



水回りが酷い。しかも水しか出ない。2月のエジプトは寒いのでこれはかなり辛い。

同行者に「文句ばっかり」と言われたが、これは文句ではなく、事実を述べているだけ。中庭では皆で寛げそうなのはいいかも。地面が砂漠の砂で洗濯物は落とすとキツい。

Lenは早速同じホテルの中国人4名と仲良くなっていて、皆で夜ご飯に出掛けた。カイロのルームメイトだったヨーロピアン女子2名ともまだ連絡を取っていたようで合流。全部で9名での食事。
ワイワイしていて楽しい。私一人ならこんな経験絶対出来なかっただろう。

先にシワ入りしていたヨーロピアン女子たちにアルコールを売っている場所がないか聞いたら、シワにはないという。ううぅ。大のビール好きのLenもショックで大騒ぎ。

これだけのセットでたった100ポンド

しかし今後も旅先で会った人らとこうやって英語で交流したいと思ったとしても・・・私は4歳頃、高熱を出したせいで左耳が全く聞こえない。騒がしい場所では左側に位置する人の声が、例え日本語であっても全く聞き取れないのだ。
中国人は声がデカイから大丈夫なのだが、ささやくような声のヨーロピアン女子たちとの会話は難しかった。これまでずっとネイティブの人らと交流したくなかったのはこのせいもある。物心ついた時から何度この耳を恨んだことか。

帰国したら片耳難聴用の補聴器も視野に入れようか。それとももう諦めるか。


次の日。

Lenは相変わらず正午を過ぎても起きて来ない。毎晩朝までSNSをやっているからだ。24歳、若い。
昨日一緒に食事した中国人の男女4名は「車チャーターしてシワ・オアシス(塩湖)に行く。」と言う。混ぜて貰おうかと思ったが5名になると車に乗せてもらえないだろうから遠慮した。

13時。やっと起きてきたLenと同行者とテラスで紅茶を飲んでいると、出掛けた中国人らが戻ってきた。車のチャーターが高かったという。ホテルのフロントの人に頼んでみると、私たち7人でトゥクトゥク2台チャーターで1人100ポンドで呼んでくれると言うのでお願いする。

シワ・オアシス(塩湖)

トゥクトゥクは3か所の観光スポットを周ってくれるという。1つ目はシワ・オアシス。

シワの町は両サイドに湖があるが、東にある方は塩の濃度が凄く高くて体が浮くらしい。
ヨルダンで、後日アンマンに戻って死海行きを計画していたのに急にフェリーでエジプト行きを決めたために行けなくなった私は、どうしても「塩湖で浮く」という体験をしてみたかった。まさかエジプトで塩湖に行けるなんて、感極まる。

湖に架かっている橋?道?を渡る。
地図で見た時、アスファルトで舗装された橋を想像していたが、ただのボコボコの砂利道だった。
おしりが痛い、そして風がやはり寒い。しかし皆、風を感じて大はしゃぎだ。

湖を渡り切った辺りで急に工事現場のような場所に入り込む。塩の採掘場のようだ。
勝手に入っていいんかな。

地面には大きな塩の結晶。水を少しなめると海よりもかなりの塩分濃度。飲まないようにしないと。

他にも数人先客がいる。皆で水着になって入ってみた。水はすっごく綺麗だが、風が強いせいか寒くてなかなか勇気がいった。
体を寝かせただけでぷかぷか浮き、水搔きするだけでどこまででもスイスイ移動する。

貴重な体験。「死海に行く」というバケットリストをまたひとつ叶えた。ヨルダンの死海ではないけど。
上がると簡易シャワーを詰んだトラックが停まっていた。10ポンドを払い、ぬるいシャワーを浴びさせてもらう。

クレオパトラの泉(Cleopatra Spring)

2つ目の観光スポットはクレオパトラも入ったという温泉。(たぶん嘘)笑

温泉というので、かなり楽しみにしていたが足をちょっとつけてみてもめちゃくちゃぬるい。そして藻でヌルヌルしている。底は見えない位深い。

Tだけジャンプしながら入って、他の人らは全く入らなかった。入った感想としては藻が多過ぎて気持ち悪かったらしい。彼は後日ずっと「目がかゆい」とも言っていたので、入らなくて無難だったと思う。

皆で湖を眺めながらすぐ横のカフェでお茶をした。皆、藻でヌルヌルは嫌なようだ笑

次の目的地へ向かう。夕方で引き上げるのか客引きの高匠の人も一緒に乗ってきた。

それにしても宿で会った中国人4名は、私となんの壁もなく親しく話してくれる。イラン以降、宿で会う中国人は皆そうだ。イランまではドミでは中国人と日本人は会話しないイメージがあったが、それは私の偏見か。若い子らには国籍は全く関係ないようだ。

道行く人たちが私たちを見て「ニーハオ!」と声を掛けてくるのにも、彼らと一緒になって笑いながら「ニーハオ!!」と叫び返す。自分の年齢を忘れ、彼らの中に入り込んでいるのが楽しかった。

Fatnas Island(夕日スポット)

3つ目は夕日スポット。ファトナス島へ。

島というか、西側にある湖の岸で夕日を眺める。しかし日が落ちてきてもう寒すぎる。

皆ここで紅茶を頼み、薪がくべてあるベンチで休憩した。寒すぎて夕日どころではなかった。

日が暮れて、宿に戻ってもらい追加料金など請求されることなく運転手らに料金を支払った。若い中国人の彼らはチップを渡さないが、私は渡しても良かったのかもしれない。
確かにシワではコーラなどの値段も凄く安い。チャーター1台たったの300ポンドでも、シワでは生活出来るのだろう。

皆で温泉プールへ(Aman Ykden)

1度宿に戻って、昨日と同じレストランで皆で夜ご飯を食べた後、Lenがまた中国人ネットワークで他の宿に宿泊している人らと連絡を取り始めた。昼間の私たち7名の他に、更に若い男女3名が加わり「温泉に泳ぎに行く」と言うので付いて行く。

ミニトラック2台に乗って15分。21時半に到着。
クレオパトラの泉がある方角にあるホテルのプールのようだ。手前に砂地のテラスが広がり暗くてよく見えない。

女性4名でトイレで水着に着替えて温泉プールに入る。欧米人観光客らも数人いる。
少しぬるいが、温泉が湧き出ている付近ならまだ外よりは暖かい。真っ暗で中は見えないが、側面や椅子の形状になっている所に座るとかなりヌメヌメするので明るいところで見たらどれ位藻が発生しているのか。考えないようにしよ・・・

中国人の男の子は全く泳げなかった。水泳の授業は選択制なので選択しなかったらしい。足がつく深さの場所はないのであぷあぷ言っていた。私は顔をつけないようにして1時間位泳ぎまくったが、寒いのでそろそろ出たい。
しかし若い子らはずっとお酒もないのに盛り上がっている。ひとり21歳のかわいい子がいてLenはすっかり彼女が気に入ったようだ。ああ、青春っていいね。

隣のテラスで民謡音楽のようなものが鳴り出したので、着替えてその怪しいダンスに加わった。
23時を過ぎた辺りで電気が消灯しだし、やっと皆で帰ることになった。

帰り道はライトアップされたモスクなどが綺麗だった。そして急に雨が降り出した。体に当たる風が冷た過ぎて私と隣の女性はずっとトラックの荷台でかがんでいた。
「砂漠なのに雨が降るのか?」と運転手に聞いたら「1年に数回だけだよ。」と言われた。
そんな珍しい日に当たったことを、Lenは感動して「こんな楽しい日はない!僕は一生この日を忘れない!」と大声で叫んでいた。

ありがとう、でもごめん、きっと私は忘れてしまうんだろうけど・・・

私も今日一日、本当に彼らと一緒に行動していて楽しかった。
20代の時にやっていたバックパーカー時代に戻ったような気分だった。あの頃も、東南アジアで毎日宿で会う誰かとつるんで遊んでいて本当に楽しかった。一体何十年前の話なんだ。
ひとりでシワに来ていて、ひとりで車をチャーターして塩湖や温泉に行っても今日と同じように楽しめただろうか?
ひとりでじっくり遺跡や博物館を巡る旅もいいけど、塩湖や温泉で泳ぐのは、この人数の方がずっと楽しいだろう。エジプトで彼らに会わせてくれたことに神様に感謝せずにはいられない。

そしてその反面、ふと鏡に映る自分を見た時に彼らと違い過ぎて、私みたいな年齢で彼らについて回っていいのだろうかとも考えてしまう。考えたくなくてもどうしても。
年齢が私の半分以下のLenは全く気にしてないみたいだが。

最終的に温泉プールを出て、宿に着いた時には0時を回っていた。
Lenは今からまた別のキャンプ場所に行って、そこならアルコールが飲めるから行こうと言う。

いや、眠い。20代の子たちと別れ、私とTは不参加にさせてもらった。

アレクサンドロス大王が建設したアレキサンドリアへ、アレクサンドリア図書館(2024.1.21~23)

2024.1.21(月)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

ホテルチェックアウト

カイロのメラミーズホテルからの景色。カイロの旧市街地って廃墟しかない。

今日はひとりで北の海岸にあるアレクサンドリアへ移動しようと思う。ここまで一緒だった男性2名は、ヒッチハイクをしながらシワという西のリビアとの国境の町へ向かうらしいので、ここでお別れ。

NY在住の中国人ジョンに昨日「今後の予定は?」と聞かれ「アレクサンドリアに行く。」と言ったら「僕も行きたい。」と言い出した。いや、私はお前と行きたくない。
彼はずっと付いて来るが、もう我が強すぎてコリゴリだったので「いつ出るか分からないのー。」と日にちは濁しておいた。今日はこっそり出よう。

3日連続の同じ宿の朝食。ドミの私以外の若者2名は起きてこない。昨晩は朝まで中国人女性のジョジョも入れて、お酒を飲みながらゲームをしていたようだ。
朝食の時間とチェックアウトの時間に起こしてみたが、全然起きないので放置。

12時チェックアウトなので一人で宿を出る。
ここまで一緒だった人らとはあっけない別れとなったが、しょせん旅とはそんなもの。

カイロのラムセス鉄道駅へ

地下鉄駅を1駅乗ってカイロの鉄道駅へ。地下鉄はやはり6ポンドの安さ。

ラムセス鉄道駅に到着。

周囲の人に「チケット買いたいんだけど。」と言うとここに並べと。
しかし1番左が女性専用のレーンでだいぶ並んだのに、自分の番が来ると窓口の女性に「建物の中で買え。」と言われる。

駅の中は綺麗。「チケット買をいたい」と言うと、セキュリティを通して中に入れてくれた。

2階へ行けと言われた。何だろうこの豪華な造り。どうやら1年半前から外国人料金が導入されたようで、外国人だけこの特別な窓口でチケットを購入しないといけないらしい。

2年前の記事で125ポンド・・・千円位で行けると見たので列車で移動しようと思ったのだが、外国人の1等クラスは35$だった。うーん。エジプト人にお願いして買って来てもらっても乗り込む時にバレるかな。あまりの値段設定に馬鹿らしくなりバス移動に切り替える。

カイロ→アレクサンドリアまでバス

カイロからの駅、Torgoman bus stand

アレクサンドリア行きのバスが出てるという駅へ行く。地下鉄で1駅戻るだけ。

到着。余計な時間をくってしまった。

建物に入って右に行ったこの窓口でアレクサンドリア行きのバスチケットを買う。15時発でたったの100ポンドだった。

1時間近く待ち時間があるのでここに座ってコーヒーを飲んで休憩。

バスは予定より15分位遅れて出発。さよなら、混沌のカイロ。車窓からの景色もカオス。

アレクサンドリアの到着地

バスはチンタラゆっくり走行過ぎて18時半にアレクサンドリアのnewバスステーション到着。今日1日が移動で潰れてしまった。ちゃんと朝から動かないと。
ここから市内は30分程かかり遠いのでUberで移動。

Smoha Zahran Haus(ホテル)

Booking.comで予約したアパートに到着。

アレクサンドリアは海から近いからリゾート地なのか、街中のホテルはどこも高かった。ここはシングルで7.8$で口コミ評価も高かったので来てみた。

このマンションの7階だったが7階という記載がどこにもないし電話しても出ないので、最上階から1階1階降りていって探し大変だった。なぜ予約返信メールに位、階数を記載しないんだ。

どうやらオーナー夫婦の家の、余っている部屋を貸し出しているスタイルのようだ。オーナー夫婦は愛想いいし、部屋や水回りは凄い綺麗だけど、個人宅の廊下やリビングがすぐ隣なので、これまでのように音楽かけたり騒いだりは出来ないよな・・・

夜ご飯を求めて付近を散歩。住宅街にあるせいかスーパーはたくさん見るが何故か酒屋が1軒もない。GoogleMapで検索しつつビールを求めて付近を2時間彷徨うが、全く見つからず。我ながら凄い執念笑
疲れたのでスーパーで買った魚の缶詰とコーラで我慢することにする。


次の日。

ホテルからの景色。窓を開けると風が通って気持ちいい。ここらあたりはカイロよりは綺麗な住宅街か。どこもバルコニーはなく窓から洗濯物を干すスタイル。

昨日、Tから「ヒッチハイクが成功しないから自分たちもバスでアレクサンドリアに来た。このままミニバスを乗り継いでシワへ向かう。」と連絡があった。
カイロのドミで一緒だったヨーロピアン女子らも今シワにいる。日本のガイドブックやネットには載っていないが皆が向かうというシワとはどんな町なのか?私も行きたくなった。
今日1日アレクサンドリアを観光し、今晩の便か明日の便で私もシワへ向かうことにする。

シワ行きのバスはネット情報だと昨日降車したバスステーションなのだが、念のため宿のオーナー夫人に聞いたら「違う。GoBusステーションだ。」と自信満々に言う。GoogleMapにピンまで立ててくれたので、オーナーの言うことを信じ、チケットを買いにGoBusステーションへ向かう。

ひとりだったらUberで車を呼ぶよりバイクを呼んだ方が安いのでバイクを呼んだ。呼んだ場所が小学校の通り道だったらしく、待っている間10分以上、ずっと子供らに「マニマニー!」とからかわれた。ここはカイロに比べてずっと観光客が少ないので珍しいのだろう。彼らは裕福そうだし本気でお金を欲しがっているようには見えない。あまりの煩さとしつこさに後ろから飛び蹴りしたくなった。

やっとバイクが来てくれ、ノーヘルで後ろに乗り込みGoBusステーションに到着。バイク移動は寒くてかなり遠く感じた。
入口に立っていた係員に「シワに行きたいんだけど。」と言うと「今はここからシワ行きは出てないよ。」と言われた。バイクの運転手にも言われた。行く前に聞けば良かったな。・・・オーナー夫人の話を信じるんじゃなかった。

全く逆方向の昨日降りたバスステーションへ行く。同じバイクの人が親切にもそのまま連れて行ってくれたが、あまりの遠さに寒すぎるし顔が砂だらけになり、ケチらず車にしておけば良かったと大後悔。

窓口はいっぱい。だがこの「West DELTA」社だけシワに行くようだ。
時間は夜1本と朝8時半と10時の3本のみ。夜行はやはり人気で今晩の空きはないらしい。
明日の8時半のチケットを購入。230ポンド。

バスステーションのフードコートはぼったくり

お腹が空いたのでそのままバスステーションでエジプトの国民食コシャリを食べる。
ウエイターの勧誘がかなり強引で、勝手にオーダーを作り出すので警戒し、コシャリの金額を聞いたら「85ポンド」だと言う。まあ許容範囲内と思いOKすると、食べ終わった時に「会計は250」と言われた。
「明細を言え」と言ったらコーラ65、ティッシュが55だと言う。だったら合計は205だ。外国人とみると計算せずテキトーに金額を釣り上げているのが見え見え。因みにコーラはお店で買うと10ポンド。
水などオーダーしていないものが勝手に出て来て、手を付けるとお金を取られるのはこれまでの経験から知っていたが、まさかティッシュまでとはw
揉めるのは面倒なので200だけ払って出る。コシャリは茹で過ぎのブニュブニュパスタにご飯と豆を混ぜトマトソースをかけたもので言わば残飯めし。美味しくはなかった。

新アレクサンドリア図書館

今度は車のUberを呼んで新アレクサンドリア図書館に来た。世界史で学んだ世界で1番古い図書館がここにあったようだが消失したので再建され、全然違う建物になっている。
図書館のくせに入場料が要る。中の構造はネットの写真で見ると普通だったので入らなかった。

楽しみにしていた海岸沿いを歩く。ダハブのように癒されるかと期待してやって来たが、大しけで恐怖すら感じる。このまま有名な対岸にあるカーイト・ベイの要塞に行くつもりだったが、寒過ぎなのと雨で断念した。晴れていたら要塞は綺麗そうな建物だった。

そのままアレクサンドリアの町を歩く。

カイロよりマシだがゴミゴミしていて廃墟のような建物ばかりだ。

路面電車も走っている。乗ってみようとしたが、チケット売り場が見当たらないし行きたい方向でもないので止めておいた。

Egyptus Villa Hostel(ホテル)

移動が面倒なので昨日のホステルを延泊したかったが、満室となっていた。仕方ないので荷物をピックアップしてホテルを移動する。
オーナー夫人に「GoBusステーションからシワ行きのバスなかったよ。」と伝えたかったが、戻ると大夫婦喧嘩の真っ最中で、気まずくて伝えることが出来なかった。

Booking.comで目を付けておいたドミへUberで移動。

海岸沿いに1泊たった3ドルのドミがいくつかあったが、予約しようとしたらどこも「男性オンリー」となっていた。イスラムの国では男女混合ドミはあまり推奨されないのだろう。
ここは女性専用ドミがあり、綺麗なのは良かったが支払いが7ドルか7ユーロの現金のみでしか受け付けていない。同じ金額設定ならユーロで払うと損をする。そんなにもドルが欲しいのか。
手持ちのドルを減らしたくないので「多目に払ってもいいからエジプトポンドで支払えないか。」としつこく交渉したが無理だった。

更にレシェプションの男性に「デポジット5$」とその場で決めたような雰囲気で言われた。
人に寄って違う金額設定のような言い方だったし、私が支払ったデポジットの金額をどこかに控えておく様子もない。明日ちゃんと返ってくるだろうか。

この付近に酒屋があったのが救い。おしゃれな街並みでカフェもいっぱいあったが、コシャリでお腹がいっぱいで夜はビールだけで済ませた。


次の日、朝7時半に起床してチェックアウト。
宿は朝食付きだったが10時~とのことでどう転んでも食べれない。
チェックアウト時、レシェプションが女性2名に交代していて嫌な予感がしたが、案の定「デポジット5$返して。」と言うと本当に5$なのか確認のためにどこかに電話している。相手が電話に出ないので返してくれない。

Uberを呼びながら「8時半のバスに乗らないといけない。本当に今すぐ返してくれないか。」とお願いすると、下の階の別棟で寝ていた昨日のレシェプション男性を起こして返してくれた。なぜレシェプションの引き出しじゃなくて彼がポケットマネーのように5$持っているんだ。

アレクサンドリアからシワまでバス移動

Uberはすぐに運転手がつかまったが、カイロでもそうだったが、道路が渋滞していて全然Uberが到着しない。バス停に到着したのはバスの出発3分前だった。心臓に悪い。
乗客は全員地元の人で観光客は私のみ。満席だったので昨日予約しておいて良かった。

天気が悪くて残念なアレクサンドリアだった。
道中、土で出来たシ建物群の中にシンガポールのマリーナベイサンズを模倣したような建物が見える。

メルサマトルーで途中休憩

12時半。メルサマトルーという町のバス停で全員降ろされた。アナウンスは勿論アラビア語オンリー。
「休憩?乗り換え?」と聞くと運転手が紙に「13時半」と書いてくれた。
1時間の食事休憩のようだ。

バス停から少し歩いてみる。田舎の町。観光客がよっぽど珍しいのか、道歩く人全員が振り返りながら私を注視しているのをヒシヒシと感じる。

エジプトってこんなゴミだめばかりだな。南米ですら有料だったビニール袋はエジプトでは気軽に無料でポンポンくれる。しかも結構分厚い仕様。リサイクルは進んでいない。

もう飽きたが、バス停の横でファラエルサンドを頂く。2個で50ポンド(150円)。コーラも50円位で飲めちゃうからコーラ好きとしてはエジプトに長くいたい感じ。
バス停のトイレが無料だったのが衝撃。中東入国以来、トイレが無料の国ってイランだけだったので。

13時半にバスは出発。エジプトはほとんどがこんな砂漠地帯なら農業が発達するのは厳しいな。

途中1回休憩した。隣の席の客が入れ替わったので、この隣の席のおじいちゃんに挨拶したら持っている食事を分けてくれた。

チューブ式のチーズを乗せてくれ、これが結構美味しかった。前にも書いたが、私がこの旅で学んだのは言葉が通じなくても愛想よく挨拶しておけば、相手の反応が全然違うということだ。

18時50分。シワのバス停に到着。
砂漠にある小さなオアシスといった雰囲気。その町並みを見た瞬間に心が躍った。

田舎過ぎてUberは使えない。ここから歩いてホテルへ移動することにする。

長年憧れたピラミッドへ。墓地で暮らす貧しい人々『死者の町』を彷徨い歩く(2024.1.20)

2024.1.20(日)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

本日は宿の人らと6人でピラミッド観光へ行く日。

案の定、待ち合わせの時間に起きない外人ら

ちゃんと5時半に目覚ましをかけて起きた。睡眠時間は4時間ちょっと。この時点で起きていたのは私、朝日が見たいと言い出しっペのジョン、同行者Tの3名だった。

昨晩、数時間前に全員で朝6時にタクシーで行こうって約束したんじゃないの?
フランス、スイス、中国のスマホには目覚ましってないの??

目覚ましすらかけていない彼らに衝撃!!

出発の6時になっても他のメンバーは寝ているので、3人でUberでピラミッドへ向かうことにした。
まあ、これまでの経験から想定の範囲内だがな。

出る直前にLenが上半身だけ起こして「ごめん、凄く凄く眠い。昼から他のメンバーと行くから。」と謝ってきた。
私も凄く眠いんですけどね。

Uberの中でギザ地区の日の出時刻を調べたら6時半。そして水を買いたいと買いに行ったジョンを待ってからタクシーが来たのが6時20分。
は?
ここからピラミッドまで30分掛かるのに、もう日の出なんて間に合わないだろう。なぜそんな皆自由なんだ。ふざけんな外国人。元々この計画は破綻している。

オープン時間を聞くMr.Jon

6時50分。日の出に間に合わなかったことには誰も触れずピラミッドの入口に到着。Uber150ポンド。

7時半にチケット売り場がオープンし順に入れると言うのでそれまで門の前の唯一空いてるいるお店でティータイム。70ポンドと言われたジョンは「高い」と50ポンド(150円)に値切っていた。
お前はミリオネアではないのか?

ピラミッド入場料

7時半になり、チケット売り場に並んでチケット購入。これはエジプシャン・アラブ人用窓口。

入場料が540ポンド、クフ王の墓の内部は別途900ポンド。

私はここで、その昔タイで知り合ったバックパッカーが「クフ王の墓の内部が別料金だったので入らなかったことを後悔している。」と言っていたことを思い出した。
Tは「高過ぎる」と言って入場チケットしか購入しなかったが、私とジョンはクフ王の墓内部のチケットも購入した。もちろんクレカ払いオンリー。エジプシャンたちは30ポンド位なんだろうなぁ。。。
(そして後日クレカの請求を見て入場料と合わせて7千円超えだったので、購入したことを後悔する。)

後から来たLenは地元の人にチケットを購入してもらい、シレ~っとエジプシャン・アラブ人料金で入ったらしい。凄い度胸だ。入場時、パスポートを確認される訳じゃないから、度胸さえあればそれでいけるかも。

ピラミッド入場

入って直ぐの道のり。朝日に焼けたピラミッドが徐々に見えてくる。壮大でなかなか感動する景色。
スフィンクスはこま犬のように2体いると思い込んでいたが1体だけだった。

右にクフ王のピラミッド、左にスフィンクスから真っ直ぐ伸びる道が見え人々が歩いている。しかしここからは柵があって左の道へは行けそうにない。入口の方から周って入るのだろうか?
するとジョンが柵の所に立っている従業員に話し掛け交渉を始める。
「彼がここの柵を通らせてやると言っている、3人で5ドル。細かいドル持ってる?さあ入ろう。」
は?
「いや、あの柵の向こうの人ら、いちいち道通るのにお金払ってないと思いますよ。入口方面からなら無料で入れると思うので後で周りましょう。」
「後からなら10ドルなのを今なら5ドルにまけると彼は言っている!今入らないと!」

なんで正規の入場料を払っているのに、近道するだけでそんなお金払わないといけないんだ。従業員のポケットマネー稼ぎでボラれているのに気付いてないのか?

「あの…8時に団体のバスが沢山到着して狭いクフ王のピラミッド内は混雑するそうです。先にクフ王の方へ行きましょう。」
「でも今なら3人で5ドルを割ればここは安く入れる!」
ジョンが自分の意見を譲らないのは初日で分かっている。
「ではジョンさんはここで左に行って下さい。私は混雑する前に1人でクフ王の方へ行くので。」
そう言うと渋々私の歩く方へ付いて来た。Tはクフ王のピラミッドには入らないので真っ直ぐ行くと言うので別れた。

ジョンとクフ王のピラミッドを目指して歩く。
入口は裏手の東方面にあるらしい。裏手へと続く道を歩いているとジョンがトイレに行きたいと言い出した。何故入場したばかりの今そんなことを言う。我慢できないとトイレを探すジョンを置いて、私はひとりでクフ王のピラミッド入口へ向かった。

クフ王のピラミッド

少し登ったところから入る。ここは盗賊が開けた入口のようだ。

さすがにクフ王ピラミッド側にも入口があるようだ。ギザの街並みと続々到着し出した観光バスが見える。
ここでドバイ在住というご夫婦と息子さん2人の日本人に会った。中東に入ってから毎日「ニーハオ、コリア?」と声を掛けられる私も、さすがに日本人から見たらしっかり日本人のようだ。

中に入り細長い急な坂道をどこまでも登る。急なのと換気口が無くて酸素が薄いのか、なかなかハード。暑いし夏ならたまったもんじゃないだろう。

1番奥の石櫃。盗賊に荒らされた後なのでこんなのしか残っていないようだ。
中では警備員がハイテンションで写真を撮ってくれ、様々なポーズを指定された。当然後からチップを要求されたが、謝って逃げた笑
これから続々観光客が到着するから、1人1$渡したとして彼はかなり稼ぐはずだからいいだろう。

それにしても。。。入場に5千円も払ったのにあっけなく終わってしまった。たったこれを見るためにこれはお金を取り過ぎだろう。入らなければ後悔したのかも知れないが。。。入ってみたら入った方に後悔した。

メンカウラー王のピラミッド

クフ王のピラミッドを出ると、悠長にトマトをかじりながら歩いているジョンに会った。もう既に観光バスの団体客が続々と入場してきているのに。この人は人の忠告を聞いているのだろうか。
「夕日までいたい。何時にここ出る?さっきの柵から入れる所で待ち合わせしよう。」と言うので
「私はもう12時過ぎには出るから、昼から来るLenやヨーロピアン女子たちと合流してね。」と告げて別れた。なぜそんなにあの有料の柵から入場したいのだろう。こだわりが強い。

更に西へ登ってメンカウラー王のピラミッドへ。
ここも別料金だったので入らなかった。

Panoramic View of the Pyramids(ビューポイント)

何となく砂漠が広がっていそうな西へ向かう。早朝に入場し過ぎたせいか、この地点まで到達している観光客が居なくてどっちに歩いていいか分からない。標識や地図、説明文が全くないのだ。

ひとりで歩いているとラクダ商人に声を掛けられた。金額を聞くとビューポイントまで案内して180ポンドだと言う。ピラミッドにいる商人たちはぼったくりばかりと聞いていたが、思っていたより安い。
1度断ったがしつこく追いかけて来て150ポンドにしてくれたので乗ることにした。

乗る時と降りる時に若干セクハラパイタッチをされたような気がするが。。。笑
本当にこういう時、女に生まれると面倒くさいと思う。
しかし初めてのラクダに乗る体験は面白かった。思っていたより凄く高いしかなり揺れる。そしてラクダは意味不明によくブルブル鳴く。意思疎通は無理そう。

このクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが3つ見える場所で降ろして写真を撮ってくれ、最初の提示金額しか要求されなかった。

9 Pyramids Lounge(景勝レストラン)

Tから「今、いい場所でお茶してます。」と連絡が来た。今いる場所から歩けそうなので行ってみた。
南西の方の入口で、主にツアー客たちが到着するレストランのようだ。メニューの全てがびっくりするような金額だったのでコーラだけ頼んだ。

砂漠の中のお座敷席。ここでピラミッドを眺めながら、16Personalitiesの性格診断をしながらのんびり。ダハブで出会った中国人や韓国人もやっていたのでこの性格診断は世界的に有名なものなのか。この時はレアキャラの「提唱者」だったけど、後日やってみたら「仲介者」だった。どちらにせよ私は人と共感して人の為になることで幸せを感じるタイプらしい。

お昼になったので入口の方へ向かう。Lenはさっき起きたところで、ドミの部屋には誰もいなくヨーロピアン女子たちにも置いて行かれたらしい笑

しかし逞しく、中国版旅掲示板で今からピラミッド観光に行く若い中国人女性を見つけたから彼女と周るのだそう。中国の人口は莫大なので、旅の同行相手がこんな直近でもすぐに見つかるらしい。なんて便利なんだ。莫大人口の国をこんなにも羨ましく思ったことはない。

大スフィンクス

チケットオフィスの辺りまで戻って来た。スフィンクスに近づくには入場料がまた別途かかるようだ。
入口の係員の男性に「チケット持ってないんだけど。」と言うと「しーっ。」と人がいないとこまで呼び寄せられ「お前らの国は?」と聞かれた。「ジャパン!」と言うと「日本人ならいいよ。タダ入れよ。」とこっそり入れてくれた。

ダハブの宿でも日本人の私だけまけてくれた。エジプシャンからの日本人の印象はいいのだろう。
それに応えられる行動を取らないと。私も。
客引きたちを一歩的に「ウザい」と切り捨てるのは簡単だが、彼らも生活がかかっているのだからあまりに失礼な態度は取りたくない。それに基本エジプシャンたちはおせっかいながらも親切なのだ。

昼過ぎ、ピラミッドを出て出口近辺でケバブを食べる。

Tが今後の旅では路上キャンプをするのでテントを買いたいと言うのでショッピングモールに来た。
宿がある旧市街地辺りはこんな感じのモールしか無くとてもキャンプ用品など見当たらなかった。
諦めてGoogleMapに「死者の町」と書かれている場所があるので、今から行かないか話がまとまる。

死者の町

13~16世紀頃に造られた墓地にホームレスの人たちが勝手に墓守として住んでいるという。
つまり、お墓とスラムが入り混じった街だ。
GoogleMapに「死者の町」と入れるとそのまま場所がヒットする。

「死者の町」は口コミを見ると相当治安が悪いようだ。最初Uberの目的地を「死者の町」にするとどのTaxiも全く来てくれなかったので、少し手前に設定したらやっと1台来てくれた。
「死者の町」へ向かうこの高架道路から見える風景すらも、廃墟だらけだ。

Uberを降り、徒歩で死者の町の北側に着いた。
偉い方々のお墓らしくひとつひとつ区切られ、ミニモスクも数々ある。

13世紀頃からのお墓・・・なのでもう訪問する家族もいないのかお墓自体も廃墟。
死者たちが生活に困らないように町に類似する施設を作ったらしいのだが、そのせいもあってホームレスが住み着いているようだ。エジプトって古代からずっと死後の世界があると考えられているんだな。

廃墟マニアとしては血沸き肉躍る風景・・・と言ったら不謹慎だろうか。

ところどころに座って雑談している十人たちを見掛ける。
フレンドリーに挨拶してくれたり、墓の中を案内してくれたりするので見学に来た外国人を排除する雰囲気は感じられない。

中心の方まで歩いて来たら、耳が全く聞こえなくて話せない男性が近づいてきて、手振り身振りでモスクの中を案内してくれるという。

賢者のお墓にはこんなモスクまで建設されたいたようだ。
全てゼスチャーでの説明だったので内容はよく分からなかった。説明後もチップを要求してこず、本当に善意で案内してくれたようだ。

お墓には1つ1つ鍵がかかっているが、また別の男性がカギを開けて家(というか人の墓に勝手に住み着いている場所)を案内してくれた。

高齢の母親と2人暮らしだという男性。部屋の中は6畳ほどで、ベッド、ミニキッチンなど全ての生活用品が揃っていた。彼らはどのようにして生活費を稼いでいるのだろう。
男性と母親は突然の外国人の訪問に終始嬉しそう。「ティー」を飲んでいけとしきりに誘ってくれたが日が暮れそうなので丁重にお断りして去る。お母様にはかなりしつこくチップを要求された。

南の方まで来た。北側はほとんど人がいなかったが、この辺りはミニ商店や集会所があり子供たちがバスケをしていた。ちゃんとした生活の場なのかミニバスも走っている。
2人組の少女とすれ違うと「マニマニ」とお金を要求される。このマニマニ攻撃は今後もエジプト各地で続く。エジプトはなぜこんなにも貧しいのか。昔ナイル川の恩恵で栄えた街も、現代では砂漠の気候で発展するのは難しいのかと考えさせられる。

「日が暮れる前にここを出た方がいい。治安が悪いぞ。」とまたも歩いている人たちから忠告を受けたので退散した。

中華レストランでまたも闇両替

夜はLenがまたもその広い中国ネットワークで、いいレートで両替してくれる中華レストランがあるというのでドミのメンバーと今日Lenと一緒にピラミッドを周った若い女の子のジョジョも加えてやって来た。ヨーロピアン女子たちは西のリビアとの国境近くの「シワ」という町へ旅立ってしまっていた。
久々の中華の味付けが美味しい。

街中のレストランで両替したジョンは1$=450ポンドだったらしいが、ここでは580ポンドで両替出来た。エジプトではアルゼンチンやイランのように白昼堂々闇両替屋が立っていないので、取り締まりが厳しいのかも知れない。なのでこのレストランの場所は伏せておく。

私とT以外の3名は中国人なので中国語で会話して盛り上がっている。何を言っているか分からないので英語で会話してもらった。21歳のジョジョはイギリス留学中らしいがこれまで出会った中国人と違い、物静かに話し動作も上品だ。イギリスでは1週間で家賃600$のところに住んでいるらしいので本物のお金持ち。

会計は全員で割り勘にしたのだが、NY在住医師のジョンが私に「タクシーを降りた後、あなたに20ポンド渡したからもう20ポンド払え。」と言ってくる。「20ポンドもらったかも知れないが、私はあなたがタクシーの支払いの時に足りないと言うから後ろの座席から20ポンド渡した。なのでチャラなのでは。」と言っても「20ポンド返せ」と言って引かない。お互い母国語じゃないので細かい説明が伝わらない。「それはタクシーの運転手が私の払ったお金はフェイクだと言って聞かなかったから。」とか訳の分からない話を挟んでくる。そもそも20ポンド返してもらった記憶もないし、あなた私がオーダーした海老30ポンド食べましたよね?

ミリオネラのくせに、たった60円を「返せ」と言ってくるジョンに「じゃあ払いますよ、100ポンドしか持ってないからお釣り下さい」と渡すと「お釣りナイネ!」と言ってくる。じゃあどうしたらいいんだ!この繰り返しで路上でかなりバトルした。

他の3名は呆れて笑っていた。帰りのタクシーでは後ろの座席で、助手席に座っているジョンに聞こえないように「あの人忘れっぽいよね。」と皆で笑い合って可笑しかった。

明日からは別行動。この楽しかったメンバーともお別れだ。

カイロ観光。考古学博物館とオールドカイロにナイル川、魑魅魍魎の宿メンバー(2024.1.19)

2024.1.19(土)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒57エジプトポンド(闇レート)

魑魅魍魎なドミトリーのメンツ

ホステルのドミトリー6人部屋には、私たち3名とフランス人、スイス人女性の他に、NY在住の中国人医師のジョンがいた。

60歳位かと思うのでドミの中では彼が1番私と年齢が近い。彼は岡山大学に留学していたことがあり日本語も少し話せた。彼は私がこれまで出会った高齢者に有りがちな自分のことだけを一方的に話すタイブの人だった。しかも自分の考えを押し付けてくる。
経歴を聞いていると自称中国の財閥出身で政治家や有名な医者とも繋がりのあるミリオネラの外科医なんだそうだが、そんな人が何故ドミトリーなんぞに泊まるのか疑問だ。理由を聞くと「人と交流がしたいから」だと言う。

メラミーズ ホステルの朝食。エジプト旅行の中じゃかなりいい方。

本日は3人で8時半に起床して博物館へ行こうと約束している。しかし中国人Lenは10時半にのそのそ起きだして朝食を食べた後、今からシャワーを浴びると言う。そして待てど暮らせどシャワー室から全く出て来ない。もう40分以上経つので中で倒れているのかと思い、Tに見に行ってもらった。やっとシャワーから出て来たLenに「なんでそんなに遅いんだ」と聞くと頭皮に美容クリームを塗ったり髪の毛がサラサラになるケアをしているからだと言う。Lenの髪は中国人には珍しくとても長い。
今どきの子だなぁ…

同室のフランス人とスイス人女性らも、朝食の後シャワーを浴び、部屋でのんびりと何時間も調べごとをしている。なんなんだ誰も観光に出掛けず6人全員部屋にいるこの時間は。私がせっかちなだけなのか??

お昼過ぎになってやっとLenが出掛ける準備ができたと言うので3人で博物館に行こうとすると『今日と明日はピラミッドを見に行く』と言っていたはずのジョンが何故かまだ部屋にいて、こう告げる。
「今から博物館は時間が足りないから止めた方がいい。僕は昨日、英語、中国語、日本語のガイドを雇って3パターンの説明を聞いた。僕は朝から閉館までいたのでもっとじっくり見た方がいい。明日にしなさい。今から僕と旧市街観光に行こう。」

。。。

なーんでやねーん\(^o^)/押しつけんなよ、自分の意見。

私「は?閉館までまだ5時間もありますよ。」
ジョン「僕は昨日、朝から3種類のガイドを雇って…」
同じ話、何度もええっちゅうねん。

Len「そうだよ!今から博物館じゃ時間が短いよ!」

お前が言うな。どの口が言う。

『ガイドは雇わないし、体力的に3時間で十分』とジョンに言ったのだが同じ説明を3回繰り返された。とにかく博物館は明日にしろの一点バリ。今からは僕と旧市街、明後日は僕とピラミッドにしろと。いつの間になぜ全ての予定があなたと一緒に・・・

『明後日のギザピラミッドの天気は曇りだから嫌だ』と私が感情的になりジョンと揉めていると、見兼ねたTが「旅のスタイルによると思うんですよ。ジョンさんは博物館を訪ねて知識を深めるスタイルだと思うんですが、僕は現地の人と会話して話その国の文化を知りたいスタイルなので、博物館の時間は短くていいので今から行きます。」と丁寧に説明してくれた。
ジョンは「じゃあ、あなたたちが戻ってくる15時から一緒に旧市街に行きましょう。」と納得してくれた。だからなぜ一緒に・・・?!

エジプト考古学博物館

ホステルから徒歩ですぐのエジプト考古学博物館へ行く。

入場は450ポンド。少し前迄は300だったのに凄い値上げだ。闇レート換算なら1,350円なのだが、そんなことをする奴を排除するためか、エジプトでは観光地の入場料金は少し前からクレジットカード払いオンリーになっている。クレカだと公定レートで決済されてしまうため2,200円になる。
エジプシャン・アラブ人だとこれの10分の1以下、わずか30ポンド(150円)で入れる。

貧しい国ほど観光の外国人料金と地元民料金の差が大きい。高額を支払ったのでこの広大な博物館をじっくり見学することにする。

中は人や動物のミイラからパピルス、死者の書に棺など・・・撮影は禁止だがツタンカーメン王の仮面や遺品の展示コーナーもあり展示物が多過ぎてとても全部は見れない。それに何より説明がほとんどないのでガイドと回らないと意味が分からないだろう。
中国人は撮影禁止でも平気でカメラを回しているのをよく見るが、例に漏れずもれず黄金に輝くツタンカーメン王の仮面をこっそり隠し撮りしたLenは、早々に飽きてさっさと先に帰ってしまった。おい、自由だなぁ。今朝、あーたを何時間待ったと思ってるんですか。時間足りないとか言ってませんでしたか?

オールド・カイロ(カイロ歴史地区)

ホステルに戻ってLenとも合流し、15時過ぎにジョンも含めたドミトリーの人らでUberでオールド・カイロ地区へ来た。

聖セルジウス教会は見れたが他のコブト博物館やムアラッカ教会などは16時閉館で入ることが出来なかった。きちんと開館時間を調べてから来るんだった。
いつもは一人なので観光地をちゃんと調べてから訪問するのだが、今回は同室メンバー6人と夜もずっと会話していて調べる時間がない。

入れなかったので外観だけ。キリスト教はエジプトではたった10%の人口比らしい。
入口に大きなモスクもあったのでじっくり見たかったが、若いLenは歴史的建造物には全く興味がないようでさっさと飛ばして食事がしたいと言う。

彼のペースで6人で近くのレストランで食事。16時だがこれはランチなのかなんなのか。

スラム街の子供たちとナイル川の夜景

ここから皆でナイル川を見に行くことに。直線コースで突っ切るとかなり賑やかな貧しい地域を通った。スラム街だ。外にビリヤード台が置いてあり皆で楽しんでいる。
私たち外国人6人を見ると子供たちが一斉に歓喜の声をあげ後から付いて来た。女一人ではとても怖くてここは歩けなかっただろう。

そこにいた少しパリッとした感じの年配の男性が「どこへ行くんだ?案内する。」とナイル川まで道案内してくれた。

柵があり川岸までは近寄れない。ジョンはずっと「こんな柵、デザインがなってない、景観に悪いね。NYでは・・・」とぼやいていたが、恐らく貧しい人たちが川岸で小屋を建てて生活するのを防止するために柵がしてあるのではないかと私は思った。

Qasr El Nil Bridge

おしゃれなデザインの橋まで来た。セルフィーを撮る地元の人らで溢れていた。
発展途上国にありがちな、小さな子供たちが花やティッシュを売りつけてくる。売れるのかな、大変だなぁ・・・

そして橋の上からナイル川を覗き込むとゴミ・・・ゴミ・・・

帰りはUberでなく地下鉄に乗ってみたいと誰かが言い出し、メトロで帰ることにした。年配のエジプシャンはこの駅までずっと案内してくれたが全くチップを要求してこなかった。
今のところエジプトがウザイ国だというのは全く感じられない。イスラム教の人々は助け合いの精神が根本にあるせいか、とても親切だと思う。

地下鉄とは名ばかりでなぜか地上を走っている。料金はたったの6ポンド(18円)。真ん中辺りの車両は女性専用車両になっている。

明日のピラミッド行きの意見がまとまらない

ホステルの最寄り駅まで戻って来た。
今のホステルは隣にリカーショップがあり好都合。Lenはかなりアルコール好きなようで、ワインやウォッカを買い込み上機嫌だ。ジョンの奢りで皆で共用部分でビールを飲む。

そこで明日は6人でピラミッドを見に行こうという話になるが、今日ピラミッドを見に行ったという隣の部屋のインド人が「ピラミッド内の敷地は広大でとても歩けないぞ。タクシーチャーターかレンタカーで行け。」と言うものだからジョンが「レンタカーを借りよう。免許持ってる?朝日と夕日が見たいので朝6時に集合してじっくり17時までピラミッドを見て・・・」と言う。そんな疲弊する長時間滞在はごめんだ。

私は「ネット情報だと、誰もレンタカーなんか借りてないので頑張れば歩けると思うんですが・・・」と言ったがジョンは「インド人が歩けないと言ったではないか。」と譲らない。レンタカーやタクシーチャーターの金額を聞くと高かったので、私たちが承諾しても、今席を外しているLenは絶対OKしないだろう。
集合時間も観光手段も0時を過ぎても話がまとまらないので「ごめん、眠いから先にシャワー浴びてくる。」と、この中で1番頼りになるTにまとめ役を任せて席を外した。

朝日を見るために6時に出ても、ピラミッドの開場が8時なので入口でかなり待機しないといけないと思うのだが・・・

よっぽど「一人で昼から行ってもいいですか?」と喉まで出かかったが、6人で行こうと言っているのにそれは協調性が無さ過ぎだろう。
結局シャワーから出たらT以外皆寝ていて「6時にここ出発でUberで行くことになりました。」と言われた。もう1時だが本当に皆起きてくるのだろうか?

目覚ましを5時半にセットして眠りについた。

ダハブからカイロへミニバス移動。バザールへ行き自分の旅のスタイルに疑問が・・(2024.1.18)

2024.1.18(木)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒57エジプトポンド(闇レート)

Oasis Fighting Kangarooホテルをチェックアウト。
水道に海水が混じっているのが難点だが、洗濯も干せる広いテラスがありシングルでたったの660円(闇レートで)ならもう少しいたかった。ダイビングが寒くなければもっとしていたと思う。

ダハブからカイロへバス移動

昨日、この目の前のGoBusというバス会社のオフィスで10時発のバスチケットを購入しておいた。
350ポンド。10分前に来いと言われたのでギリギリ到着。

本当にミニバス。11人乗りのバスに5人しか乗らずに出発。

車窓からは昨日サイクリングで来てみたかった景色がみれた。
途中の道端でエジプシャン男性らが3名乗ってきて少し座席が埋まった。

外務省渡航危険レベル3地域をミニバスで走る。東はすぐイスラエルとヨルダンだ。そのせいか途中の警察の検問はなんと10回以上。
停められる度に乗客全員分のパスポートや市民カードを見せる。非常に面倒くさい。

検問のうち1回は全員車から降ろされ、荷物の中を細かくチェックされた。
この時間帯のミニバスは座席がゆったり使えて楽だったが、昨晩の夜行ミニバスで移動した2人は頻繁に人の乗り降りがあり一睡も出来なかったという。
イランでもそうだったが、夜行のバスや列車は1泊料金が浮くため、人気がある。だが眠れないなら次の日が丸一日睡眠に当てられ無駄になるので考えものだ。

カイロ到着

17時にカイロのGoBusステーションに到着。裏はヒルトンホテル。

ダハブと違って凄い喧騒。寒くて排気ガスの嵐。
クラクションの音がそこら中に鳴り響いている。
エジプトでは最初にダハブに着くか、カイロに着くかでかなり印象は異なるだろう。

ヨルダンからずっと一緒だったTから「Lenが安宿を中国ネットワークで見つけてくれた。」とメッセージが来たのでお言葉に甘えて徒歩で同じホテルに行くことにする。
この博物館の前を通って行ったが、エジプトもイラン同様、歩行者信号が全くない。車が猛スピードで走る中、何車線もある道路をなかなか横切れずホテル到着が遅くなってしまった。

メラミーズ ホステル

バス停からは徒歩15分位。エレベーター完備で綺麗。朝食込1泊330ポンド(990円)。
Booking.comには掲載がないがAgodaにはある。

最初レセプションにいた男性にドミトリーの金額を聞いたら「10$」と言われた。奥のバルコニーで外国人女性と会話しているTが見えたので、いくら払ったか聞いたら「8$」だと言う。
こいつ・・・2$ちょろまかすつもりだったのか。エジプト人は要注意。

しかし共用部分はかなり綺麗で広い。

男女混合ドミトリー6人部屋。
TとLenは早速同室の若いフランス人、スイス人女性に声を掛けてコミュニケーションを取っている。このどこにでも飛び込める社交性が本当に羨ましい。

ハン・ハリーリバザール

カイロで有名なバザールへ皆でUberで行こうという話になりやって来た。
スイス人、フランス人、私たちの3名だと5名になり定員オーバーでタクシーに乗れないので別々に。
後からチェックインしてこの輪に入り込んだ私はお邪魔だったのではないのだろうか?という気分になる。

バザールは細い道が入り組んでいてかなりの雑踏。道が狭いのに車が入り込んできて、お互い正面でぶつかるとクラクションを鳴らしまくっている。なぜ1方通行にしないんだ。
というかこんな道、車通るなよっ。
ヨーロピアン女子たちは「変な人に追いかけられたし、ここは気に入らない。」と即帰ってしまった。

馬まで通るバザールの道端で3人で夜ご飯を食べることにした。

私は1日1~2食しか食べないので1食にお金をかけられる。なので、これまでレストランでいいものを食べていたが、若い彼らはかなりの頻度で大量に食べるので節約している。
Lenは実家や親戚中が農家なのに大学も出ていて、いいところに就職していたようだが、それでもやはり私たち日本人より給料は低い。かなり切り詰めたバックパッカー生活を送っている。なので、Lenに合わせるとどうしても路上食堂になる。

このレバー焼きセット50ポンド(150円)に落ち着いた。
Lenは何軒も安食堂を巡り、値段を聞いたり味見させてもらったりして店を選ぶ。20ポンド位の差なら私ならもう決めてしまう程度の差額でも、彼は妥協しない。

これは今後Lenに合わすと食事選びにかなり時間がかかるな・・・

そんなことを思ったが、嫌なら私が離れればいい。しかし彼らといると楽しいのだ。

旅のスタイルについて

彼らは地元の人やホテルにいる人らとコミュニケーションを取りながら情報を得て旅をしている。
世界3大ウザイ国と言われるエジプトでは歩いているともの凄い頻度で地元の人たちに「Welcome!」「チャイナ?」など声を掛けられる。しかし彼らが不機嫌になったり怒ったりしているところを一度も見たことがない。彼らはそれら全てに対してにこやかに応え、更に会話を広げて仲良くなっている。私が無視していた地元の人らのしつこい声掛けも、受け取り方でこんなにも違うものなのか。

私がネットで宿や観光地、行き方を調べて旅をしているスタイルと全く違うのだ。
私の中で疑念が沸く。

自分はこのままの旅のスタイルでいいのか?
私がしているのは旅ではなくただの『観光』ではないのか?

彼らには、私が見えていない世界がもっともっと見えているに違いない。

路上スポーツバーで皆サッカーに熱狂。

一緒にいるとTの能力にどうしても嫉妬してしまう。
「なんで皆、僕にばかり話しかけるんですかね?」
道行く人らは、にこやかで愛想が良くてスタイルがいい彼の顔を覗き込み、私ではなく彼に話しかける。

愛想よく振舞い、現地の人との交流を求めると世界が変わるかもしれない。旅のスタイルを変えてみようか。
そんなことを考えながらこの日は宿に戻り就寝した。

ダハブダイビング2本目。魅力的な中国人男性に巻き込まれ、アジアの若者らと過ごす日々(2024.1.16~17)

2024.1.16(火)1ドル≒31エジプトポンド(公定)、1ドル≒52エジプトポンド(闇レート)

本日も天国ダハブは快晴。

中国人男性Lenと出会う

7 Heaven Hotelの朝食。頼んでから出て来るのがめちゃめちゃ遅い。エジプト時間。

どこまでも広がる海に温暖な気候。安い物価に安全な地。ゆっくりとした時間が流れるエジプトのダハブは天国過ぎて長居してしまいそうだ。カザフスタンやキルギスでの寒さを忘れてしまう。

同行者がイランで会った中国人らと昼食を食べに行くというのでついて行った。
中国人男性のLenとLenが宿泊しているホステルの女性と食事。
Lenは24歳の若い男の子。中学レベルの英語ながら饒舌で流暢。国籍・年齢を越えて全ての人に裏表のない屈託のない笑顔で接する。中国人には見えない髪型に見た目の良さもさることながら、周囲の人を自分の世界に巻き込むとても魅力的な子だった。

どこで英語を学んだか聞いたら小学校から英語教育を受けているからだと言う。だが女性の方は全く英語が話せなくてコミュニケーションが取れなかった。彼女はダハブ滞在3ヶ月目だと言う。
中国は人口も土地も広大で様々な人がいる。そしてリアルタイム発信の旅の掲示板が発達しているようで、Lenを通じてその掲示板から得られる旅の情報量は日本語で得られるものとは段違いだった。

ダハブを歩いているアジア人は中国人と韓国人ばかり。
Lenは道を歩いているアジア人を見ると平気で話し掛けまくり、すぐに友達になる。
そのままダハブに1ヶ月滞在している韓国人ら4人グループとお茶することになった。

20代の中国人・韓国人の子たちとダハブの夕日を眺めながらゆっくりする。フリーダイビングに魅せられ、資格取得のためにここに長期滞在しているらしい。

夕食も彼らと共にした。韓国人の女の子は私の年齢に「全く見えない。」と驚いていた。
Lenも韓国人カップルも、日本の文化、流行りのドラマ、映画、歌、映画監督に社会活動家の名前まで知っていて私に感想を聞いてくる。若い彼らは年齢差も国籍の違いも何も気にせず対等に話してくれた。
それに比べて私はなんて彼らの国の文化や流行りを知らないのだろう。英語力も彼らの方が格段に上。
自分の興味の狭さ、知識の浅さにほとほと嫌気が差した。彼らはこんなにも日本という国に興味を持って知ってくれているというのに。
帰国したら真っ先に彼らの国の流行りを知り、英語を勉強し、もっと交流を持ちたいと心底思った。

ダハブでダイビング2本目

次の日。Lenと同行者はここからスエズ運河まで男2人でヒッチハイクで行くというので別れ、また一人に戻った。

宿泊している7 Heaven Hotelでまたダイビングを申し込む。インストラクター免許取得中の日本人の方におすすめポイントを聞き、『アイランド』というポイントにした。これもたったの35$。

ホステルからはこの砂漠地点まで車で行く。そしてここで警察の検問。たまたま鞄にパスポートを入れていて助かった。

陸地IN。入口から細いサンゴ礁の隙間に潜り込んで、サンゴのアーチをくぐる。
潜った先にはサンゴだらけの地形が待っていた。
複雑なサンゴの地形を上下しながら眺める。とても美しいスポットだった。

Oasis Fighting Kangaroo(ホテル)

ダイビングが終わるとホテルをチェックアウトし、Lenが宿泊していたホテルが個室で1泊250ポンド(750円)だと言うのでホテルを移った。

Booking.comに掲載されてはいるが、予約サイトでの金額は500ポンド越え。しかし予約せず直接訪問すると半額以下なのだ。本当に中国人の情報網は凄い。
訪れると、レセプションの人がなんとあちらから「日本人は礼儀正しいから好きなんだ。220ポンドでいいよ。」とまけてくれた。Lenには秘密だな・・・

使いやすい大きなキッチン

そんなことを考えながら海水が混じっている水道水で洗濯をしていると、今朝別れたLenと同行者が戻って来た。ヒッチハイクはすぐに成功したが、警察の検問に引っ掛かり「ここでヒッチハイクするな。」と車を降ろされたという。
シナイ半島は危険地帯だけあって警察の検問だらけでヒッチハイクは不可能のようだ。

そんな訳で再び皆でランチ。

ダハブでレンタサイクル

ここのところ海辺を散歩する日々だったので、反対の山の方まで行ってみようとレンタサイクルを借りてみた。値切って3時間で100ポンド。

西の方面へ自転車を飛ばす。あの山辺りに美しい地形が広がっているようなのだが・・・その手前に検問があるらしいので、自転車では行けないだろう。

ダハブの海辺から少し離れた高級住宅街や・・・

ショッピングエリア辺りまで来た。観光地の海とはまた違った景色が見れて楽しい。

ATMコーナーの扉が開いているが、それでいいのか?エジプト。

ダハブはネコ祭り。魚をよくもらっているのか本当に猫が多い。部屋のドアを開けていると何匹も何匹も入ってくる。追い出しても追い出してもしつこ過ぎて少し猫が嫌いになった。

Lenたちは夜行のミニバスでカイロへ出発した。私も明日10時発のミニバスのチケットをGoBusのチケット売り場で購入。

ダハブにはいつまでもいたくなるが、そろそろカイロを目指して移動することにした。

楽園ダハブでダイビング、エジプトの闇両替情報(2024.1.13~15)

2024.1.13(土)1ドル≒31エジプトポンド(公定レート)、1ドル≒52エジプトポンド(闇レート)

Rafiki Hostels – Dahab(ホテル)

朝8時。フロントの人が出勤してきたのでチェックインさせてもらう。
男女混合ドミトリー、朝食付7.7$。カーテン付で綺麗だったけど狭くて海に遠い割に高いかな。明日はホテルを移ることにする。

早速ダハブの海を見に行く。

凄い透明度。ここまで海が綺麗とは思わなかった。
1月なので水の中は寒いが、ウエットスーツを着たら泳げそう。

海を眺めながら食事。ここぞとばかりにシーフードパスタ。

この日は1日中海を眺めながらだらだらとして何もせず。ダハブの魔力にはまってしまう。

YUI Japanese Restaurant(日本食レストラン)

夜ご飯は日本食レストランへ。ホテルのルーフトップにあり場所は分かりにくい。

このレストラン唯一の男性従業員と話したところ、日本人2名と共同経営で立ち上げたレストランで日本のTVでも紹介されたらしいが、今は日本人シェフはいなくなってしまったらしい。
唐揚げ定食を頼んだが、味もご飯の固さも日本食そのもので出汁がきいていて美味しかった。


次の日。Rafiki Hostelsの朝食。よくあるエジプトの朝食。

この日も海を眺めたり街を散歩したり。海老ランチ食べたりと自堕落な生活。

7 Heaven Hotel & Diving Center Dahab(ホテル)

ホテルを同行者とシェアした方が安いと気付き、ツインルームで1番安かったホテルへ移る。
年齢が近い異性とのルームシェアは抵抗があるが、20歳以上年齢が離れているとただのルームメイト。

個室はやはりドミより断然いい。ひとり1泊250ポンド(750円)になった。

ホテルのWi-Fiが情報が全く見れない程めちゃめちゃ遅い。(これは今後エジプトのどのホテルでもそうだった。)
SIMカード屋へ行ったが500ポンドと言われ、高いと思い購入せず。ホテルのフロントの人に「SIMカードを売っているところを知らないか?」と聞くととエジプト人はもっと安く買えるというので買ってきて貰った。11Gで300ポンド。(カイロなどでは恐らく180ポンド+α)少しボラれている気はするが500ポンドよりはいいだろう。

エジプトの闇両替

フロントの人に「ドルをエジプトポンドに両替しないか」と持ち掛けられた。1$=45ポンドだと言う。
公定レートは30ポンドなので1.5倍のレートで両替出来る。これはどういうことなのか。
ここエジプトでも、自国通貨の下落が激しくてアルゼンチンと同じように闇両替が横行しているのだろうか。

直ぐにフロントでは両替せずに街中を歩いてみると、同行者がイランで出会った中国人に声を掛けられ、「おい、その辺のショップで1$=52ポンドで両替出来るぞ。」と教えてくれた。同行者はどこの宿でも一緒になった外国人らと堪能な英語でコミュニケーションを取るので、情報がたくさん入り頼りになる。
彼と水着を買いに行くと、お店の人にまたも「チェンジマニー?」と言われ、100$を5200ポンドに両替してもらった。

(この後、日々エジプトポンドが暴落しているのか?カイロでは1$=58~60、ルクソールでは1$=60~65という公定レートの倍の金額で両替出来た。相手の言い値は45~50スタートだが、かなり交渉しての金額。流通レートは恐らく1$=70ポンド)

公定レート計算だと、1ポンドを5倍にして円換算していたが、今後は3倍以下でいい計算になる。一気に金持ちになった気分。
ご機嫌でまたシーフードなんぞを食べたり、ビールと中華麺を宿に持ち帰ったりして過ごす。エジプトの闇両替情報はネットにもほとんどなかったので、これは嬉しいサプライズ。

同行者は初めて出会った時とはまるで印象が違い、話が弾んでかなり楽しい。お互いの旅の話やスタイルだけでなく、これまでの経歴やお互いの趣味や好きなこと性格や思考傾向、自分たちの目指しているものや、お互いの性格分析など・・・日々深い話をする。
年齢差を感じさせず話がどこまでも尽きないのは、きっと彼の人間性とコミュニケーション能力の高さがなせる業なのだろう。彼から学ぶことは多く、旅人でこんなにも尊敬出来る人は初めてだった。

ダハブでダイビング1本目

次の日。このホテルはダイビングショップも兼ねていてなんと1ダイブ30$だという。セブ島の4千円にはる安さ。アドバンス免許と水着は持って来ていたので早速申し込む。

宿で朝食を取ってから2人でダイビングに行く。きゅうりが冷凍でスカスカ。。。

宿の目の前のポイントからイン。セブ島以来のダイビング。水はまあまあ冷たいが澄んでいて楽しい。
フィリピンのセブ島ではインストラクターはこっちのことはフル無視だったので自由に泳げたが、このホテルのインストラクターのMIZUは厳しい。水中で「残りの酸素量は?」といったサインを手で送ってくるがこちらは免許を取ったのが20年以上も前なので全く手サインを覚えていない。
「お前は本当に3ヶ月前に潜ったのか??」と笑いながら怒られた。

その後、この日も何もしないネコのような自堕落な生活。
ダハブはバックパッカーの沈没地とよく聞くが、『何もしなくていい』と思える魔力がきっとこの地にはあるに違いない。

同行者はイランで出会った中国人が、今夜ダハブに到着するので会って来ると言って出かけてしまった。なのでひとり夜の散歩。

海沿いじゃない方にはモスクもある。エジプトのアザーンは他の国と違っておっさんが下手な演歌を歌っているように聞こえるのは何故なんだろう。そして演説みたいな声も音量MAXでうるさい、うるさい。とか言うとイスラム教の人に怒られるかな。

移動式ATM車を発見。しかしもはや闇両替の存在を知ってしまったので、エジプトでATMを使うことはないだろう。イラン旅に向けてトルコで下ろしたドルとユーロが、あまりのイランの物価の安さのお陰でまだかなり余っている。

一昨日食べた日本食レストランでうどんを頼む。210ポンド。
乾麺を茹でて生卵を落としただけだと思うがかなり美味しかった。しかしこのレストランも2回目だが、いつも客が私しかいなくて寂しいものだ。
ここダハブでは日本人観光客を全く見ない。中国人と韓国人の若者ばかり。日本人で出会ったのはノマドの女性と、ダイビングインストラクター免許取得のため滞在している女性の長期滞在者2名のみ。

外務省の渡航情報によるエジプト

ダハブがバックパッカーの聖地だというのに日本人がいないのは、そんな旅のスタイルはもう流行っていないのか、外務省からの渡航情報がシナイ半島全体が危険レベル3だからなのか。
しかしシナイ半島でもダハブとシャルム・エル・シェイクだけは危険レベルは1なので安全とふんでやって来た。

ダハブまで船で来るのは大変だったが、海も景色も美しく何もかもがキラキラして見えた。
もう少し楽園ダハブでダイビングしたりのんびりすることにする。