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1人旅好き。2022年12月に世界一周出発。

アレクサンドロス大王が建設したアレキサンドリアへ、アレクサンドリア図書館(2024.1.21~23)

2024.1.21(月)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

ホテルチェックアウト

カイロのメラミーズホテルからの景色。カイロの旧市街地って廃墟しかない。

今日はひとりで北の海岸にあるアレクサンドリアへ移動しようと思う。ここまで一緒だった男性2名は、ヒッチハイクをしながらシワという西のリビアとの国境の町へ向かうらしいので、ここでお別れ。

NY在住の中国人ジョンに昨日「今後の予定は?」と聞かれ「アレクサンドリアに行く。」と言ったら「僕も行きたい。」と言い出した。いや、私はお前と行きたくない。
彼はずっと付いて来るが、もう我が強すぎてコリゴリだったので「いつ出るか分からないのー。」と日にちは濁しておいた。今日はこっそり出よう。

3日連続の同じ宿の朝食。ドミの私以外の若者2名は起きてこない。昨晩は朝まで中国人女性のジョジョも入れて、お酒を飲みながらゲームをしていたようだ。
朝食の時間とチェックアウトの時間に起こしてみたが、全然起きないので放置。

12時チェックアウトなので一人で宿を出る。
ここまで一緒だった人らとはあっけない別れとなったが、しょせん旅とはそんなもの。

カイロのラムセス鉄道駅へ

地下鉄駅を1駅乗ってカイロの鉄道駅へ。地下鉄はやはり6ポンドの安さ。

ラムセス鉄道駅に到着。

周囲の人に「チケット買いたいんだけど。」と言うとここに並べと。
しかし1番左が女性専用のレーンでだいぶ並んだのに、自分の番が来ると窓口の女性に「建物の中で買え。」と言われる。

駅の中は綺麗。「チケット買をいたい」と言うと、セキュリティを通して中に入れてくれた。

2階へ行けと言われた。何だろうこの豪華な造り。どうやら1年半前から外国人料金が導入されたようで、外国人だけこの特別な窓口でチケットを購入しないといけないらしい。

2年前の記事で125ポンド・・・千円位で行けると見たので列車で移動しようと思ったのだが、外国人の1等クラスは35$だった。うーん。エジプト人にお願いして買って来てもらっても乗り込む時にバレるかな。あまりの値段設定に馬鹿らしくなりバス移動に切り替える。

カイロ→アレクサンドリアまでバス

カイロからの駅、Torgoman bus stand

アレクサンドリア行きのバスが出てるという駅へ行く。地下鉄で1駅戻るだけ。

到着。余計な時間をくってしまった。

建物に入って右に行ったこの窓口でアレクサンドリア行きのバスチケットを買う。15時発でたったの100ポンドだった。

1時間近く待ち時間があるのでここに座ってコーヒーを飲んで休憩。

バスは予定より15分位遅れて出発。さよなら、混沌のカイロ。車窓からの景色もカオス。

アレクサンドリアの到着地

バスはチンタラゆっくり走行過ぎて18時半にアレクサンドリアのnewバスステーション到着。今日1日が移動で潰れてしまった。ちゃんと朝から動かないと。
ここから市内は30分程かかり遠いのでUberで移動。

Smoha Zahran Haus(ホテル)

Booking.comで予約したアパートに到着。

アレクサンドリアは海から近いからリゾート地なのか、街中のホテルはどこも高かった。ここはシングルで7.8$で口コミ評価も高かったので来てみた。

このマンションの7階だったが7階という記載がどこにもないし電話しても出ないので、最上階から1階1階降りていって探し大変だった。なぜ予約返信メールに位、階数を記載しないんだ。

どうやらオーナー夫婦の家の、余っている部屋を貸し出しているスタイルのようだ。オーナー夫婦は愛想いいし、部屋や水回りは凄い綺麗だけど、個人宅の廊下やリビングがすぐ隣なので、これまでのように音楽かけたり騒いだりは出来ないよな・・・

夜ご飯を求めて付近を散歩。住宅街にあるせいかスーパーはたくさん見るが何故か酒屋が1軒もない。GoogleMapで検索しつつビールを求めて付近を2時間彷徨うが、全く見つからず。我ながら凄い執念笑
疲れたのでスーパーで買った魚の缶詰とコーラで我慢することにする。


次の日。

ホテルからの景色。窓を開けると風が通って気持ちいい。ここらあたりはカイロよりは綺麗な住宅街か。どこもバルコニーはなく窓から洗濯物を干すスタイル。

昨日、Tから「ヒッチハイクが成功しないから自分たちもバスでアレクサンドリアに来た。このままミニバスを乗り継いでシワへ向かう。」と連絡があった。
カイロのドミで一緒だったヨーロピアン女子らも今シワにいる。日本のガイドブックやネットには載っていないが皆が向かうというシワとはどんな町なのか?私も行きたくなった。
今日1日アレクサンドリアを観光し、今晩の便か明日の便で私もシワへ向かうことにする。

シワ行きのバスはネット情報だと昨日降車したバスステーションなのだが、念のため宿のオーナー夫人に聞いたら「違う。GoBusステーションだ。」と自信満々に言う。GoogleMapにピンまで立ててくれたので、オーナーの言うことを信じ、チケットを買いにGoBusステーションへ向かう。

ひとりだったらUberで車を呼ぶよりバイクを呼んだ方が安いのでバイクを呼んだ。呼んだ場所が小学校の通り道だったらしく、待っている間10分以上、ずっと子供らに「マニマニー!」とからかわれた。ここはカイロに比べてずっと観光客が少ないので珍しいのだろう。彼らは裕福そうだし本気でお金を欲しがっているようには見えない。あまりの煩さとしつこさに後ろから飛び蹴りしたくなった。

やっとバイクが来てくれ、ノーヘルで後ろに乗り込みGoBusステーションに到着。バイク移動は寒くてかなり遠く感じた。
入口に立っていた係員に「シワに行きたいんだけど。」と言うと「今はここからシワ行きは出てないよ。」と言われた。バイクの運転手にも言われた。行く前に聞けば良かったな。・・・オーナー夫人の話を信じるんじゃなかった。

全く逆方向の昨日降りたバスステーションへ行く。同じバイクの人が親切にもそのまま連れて行ってくれたが、あまりの遠さに寒すぎるし顔が砂だらけになり、ケチらず車にしておけば良かったと大後悔。

窓口はいっぱい。だがこの「West DELTA」社だけシワに行くようだ。
時間は夜1本と朝8時半と10時の3本のみ。夜行はやはり人気で今晩の空きはないらしい。
明日の8時半のチケットを購入。230ポンド。

バスステーションのフードコートはぼったくり

お腹が空いたのでそのままバスステーションでエジプトの国民食コシャリを食べる。
ウエイターの勧誘がかなり強引で、勝手にオーダーを作り出すので警戒し、コシャリの金額を聞いたら「85ポンド」だと言う。まあ許容範囲内と思いOKすると、食べ終わった時に「会計は250」と言われた。
「明細を言え」と言ったらコーラ65、ティッシュが55だと言う。だったら合計は205だ。外国人とみると計算せずテキトーに金額を釣り上げているのが見え見え。因みにコーラはお店で買うと10ポンド。
水などオーダーしていないものが勝手に出て来て、手を付けるとお金を取られるのはこれまでの経験から知っていたが、まさかティッシュまでとはw
揉めるのは面倒なので200だけ払って出る。コシャリは茹で過ぎのブニュブニュパスタにご飯と豆を混ぜトマトソースをかけたもので言わば残飯めし。美味しくはなかった。

新アレクサンドリア図書館

今度は車のUberを呼んで新アレクサンドリア図書館に来た。世界史で学んだ世界で1番古い図書館がここにあったようだが消失したので再建され、全然違う建物になっている。
図書館のくせに入場料が要る。中の構造はネットの写真で見ると普通だったので入らなかった。

楽しみにしていた海岸沿いを歩く。ダハブのように癒されるかと期待してやって来たが、大しけで恐怖すら感じる。このまま有名な対岸にあるカーイト・ベイの要塞に行くつもりだったが、寒過ぎなのと雨で断念した。晴れていたら要塞は綺麗そうな建物だった。

そのままアレクサンドリアの町を歩く。

カイロよりマシだがゴミゴミしていて廃墟のような建物ばかりだ。

路面電車も走っている。乗ってみようとしたが、チケット売り場が見当たらないし行きたい方向でもないので止めておいた。

Egyptus Villa Hostel(ホテル)

移動が面倒なので昨日のホステルを延泊したかったが、満室となっていた。仕方ないので荷物をピックアップしてホテルを移動する。
オーナー夫人に「GoBusステーションからシワ行きのバスなかったよ。」と伝えたかったが、戻ると大夫婦喧嘩の真っ最中で、気まずくて伝えることが出来なかった。

Booking.comで目を付けておいたドミへUberで移動。

海岸沿いに1泊たった3ドルのドミがいくつかあったが、予約しようとしたらどこも「男性オンリー」となっていた。イスラムの国では男女混合ドミはあまり推奨されないのだろう。
ここは女性専用ドミがあり、綺麗なのは良かったが支払いが7ドルか7ユーロの現金のみでしか受け付けていない。同じ金額設定ならユーロで払うと損をする。そんなにもドルが欲しいのか。
手持ちのドルを減らしたくないので「多目に払ってもいいからエジプトポンドで支払えないか。」としつこく交渉したが無理だった。

更にレシェプションの男性に「デポジット5$」とその場で決めたような雰囲気で言われた。
人に寄って違う金額設定のような言い方だったし、私が支払ったデポジットの金額をどこかに控えておく様子もない。明日ちゃんと返ってくるだろうか。

この付近に酒屋があったのが救い。おしゃれな街並みでカフェもいっぱいあったが、コシャリでお腹がいっぱいで夜はビールだけで済ませた。


次の日、朝7時半に起床してチェックアウト。
宿は朝食付きだったが10時~とのことでどう転んでも食べれない。
チェックアウト時、レシェプションが女性2名に交代していて嫌な予感がしたが、案の定「デポジット5$返して。」と言うと本当に5$なのか確認のためにどこかに電話している。相手が電話に出ないので返してくれない。

Uberを呼びながら「8時半のバスに乗らないといけない。本当に今すぐ返してくれないか。」とお願いすると、下の階の別棟で寝ていた昨日のレシェプション男性を起こして返してくれた。なぜレシェプションの引き出しじゃなくて彼がポケットマネーのように5$持っているんだ。

アレクサンドリアからシワまでバス移動

Uberはすぐに運転手がつかまったが、カイロでもそうだったが、道路が渋滞していて全然Uberが到着しない。バス停に到着したのはバスの出発3分前だった。心臓に悪い。
乗客は全員地元の人で観光客は私のみ。満席だったので昨日予約しておいて良かった。

天気が悪くて残念なアレクサンドリアだった。
道中、土で出来たシ建物群の中にシンガポールのマリーナベイサンズを模倣したような建物が見える。

メルサマトルーで途中休憩

12時半。メルサマトルーという町のバス停で全員降ろされた。アナウンスは勿論アラビア語オンリー。
「休憩?乗り換え?」と聞くと運転手が紙に「13時半」と書いてくれた。
1時間の食事休憩のようだ。

バス停から少し歩いてみる。田舎の町。観光客がよっぽど珍しいのか、道歩く人全員が振り返りながら私を注視しているのをヒシヒシと感じる。

エジプトってこんなゴミだめばかりだな。南米ですら有料だったビニール袋はエジプトでは気軽に無料でポンポンくれる。しかも結構分厚い仕様。リサイクルは進んでいない。

もう飽きたが、バス停の横でファラエルサンドを頂く。2個で50ポンド(150円)。コーラも50円位で飲めちゃうからコーラ好きとしてはエジプトに長くいたい感じ。
バス停のトイレが無料だったのが衝撃。中東入国以来、トイレが無料の国ってイランだけだったので。

13時半にバスは出発。エジプトはほとんどがこんな砂漠地帯なら農業が発達するのは厳しいな。

途中1回休憩した。隣の席の客が入れ替わったので、この隣の席のおじいちゃんに挨拶したら持っている食事を分けてくれた。

チューブ式のチーズを乗せてくれ、これが結構美味しかった。前にも書いたが、私がこの旅で学んだのは言葉が通じなくても愛想よく挨拶しておけば、相手の反応が全然違うということだ。

18時50分。シワのバス停に到着。
砂漠にある小さなオアシスといった雰囲気。その町並みを見た瞬間に心が躍った。

田舎過ぎてUberは使えない。ここから歩いてホテルへ移動することにする。

長年憧れたピラミッドへ。墓地で暮らす貧しい人々『死者の町』を彷徨い歩く(2024.1.20)

2024.1.20(日)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒58エジプトポンド(闇レート)

本日は宿の人らと6人でピラミッド観光へ行く日。

案の定、待ち合わせの時間に起きない外人ら

ちゃんと5時半に目覚ましをかけて起きた。睡眠時間は4時間ちょっと。この時点で起きていたのは私、朝日が見たいと言い出しっペのジョン、同行者Tの3名だった。

昨晩、数時間前に全員で朝6時にタクシーで行こうって約束したんじゃないの?
フランス、スイス、中国のスマホには目覚ましってないの??

目覚ましすらかけていない彼らに衝撃!!

出発の6時になっても他のメンバーは寝ているので、3人でUberでピラミッドへ向かうことにした。
まあ、これまでの経験から想定の範囲内だがな。

出る直前にLenが上半身だけ起こして「ごめん、凄く凄く眠い。昼から他のメンバーと行くから。」と謝ってきた。
私も凄く眠いんですけどね。

Uberの中でギザ地区の日の出時刻を調べたら6時半。そして水を買いたいと買いに行ったジョンを待ってからタクシーが来たのが6時20分。
は?
ここからピラミッドまで30分掛かるのに、もう日の出なんて間に合わないだろう。なぜそんな皆自由なんだ。ふざけんな外国人。元々この計画は破綻している。

オープン時間を聞くMr.Jon

6時50分。日の出に間に合わなかったことには誰も触れずピラミッドの入口に到着。Uber150ポンド。

7時半にチケット売り場がオープンし順に入れると言うのでそれまで門の前の唯一空いてるいるお店でティータイム。70ポンドと言われたジョンは「高い」と50ポンド(150円)に値切っていた。
お前はミリオネアではないのか?

ピラミッド入場料

7時半になり、チケット売り場に並んでチケット購入。これはエジプシャン・アラブ人用窓口。

入場料が540ポンド、クフ王の墓の内部は別途900ポンド。

私はここで、その昔タイで知り合ったバックパッカーが「クフ王の墓の内部が別料金だったので入らなかったことを後悔している。」と言っていたことを思い出した。
Tは「高過ぎる」と言って入場チケットしか購入しなかったが、私とジョンはクフ王の墓内部のチケットも購入した。もちろんクレカ払いオンリー。エジプシャンたちは30ポンド位なんだろうなぁ。。。
(そして後日クレカの請求を見て入場料と合わせて7千円超えだったので、購入したことを後悔する。)

後から来たLenは地元の人にチケットを購入してもらい、シレ~っとエジプシャン・アラブ人料金で入ったらしい。凄い度胸だ。入場時、パスポートを確認される訳じゃないから、度胸さえあればそれでいけるかも。

ピラミッド入場

入って直ぐの道のり。朝日に焼けたピラミッドが徐々に見えてくる。壮大でなかなか感動する景色。
スフィンクスはこま犬のように2体いると思い込んでいたが1体だけだった。

右にクフ王のピラミッド、左にスフィンクスから真っ直ぐ伸びる道が見え人々が歩いている。しかしここからは柵があって左の道へは行けそうにない。入口の方から周って入るのだろうか?
するとジョンが柵の所に立っている従業員に話し掛け交渉を始める。
「彼がここの柵を通らせてやると言っている、3人で5ドル。細かいドル持ってる?さあ入ろう。」
は?
「いや、あの柵の向こうの人ら、いちいち道通るのにお金払ってないと思いますよ。入口方面からなら無料で入れると思うので後で周りましょう。」
「後からなら10ドルなのを今なら5ドルにまけると彼は言っている!今入らないと!」

なんで正規の入場料を払っているのに、近道するだけでそんなお金払わないといけないんだ。従業員のポケットマネー稼ぎでボラれているのに気付いてないのか?

「あの…8時に団体のバスが沢山到着して狭いクフ王のピラミッド内は混雑するそうです。先にクフ王の方へ行きましょう。」
「でも今なら3人で5ドルを割ればここは安く入れる!」
ジョンが自分の意見を譲らないのは初日で分かっている。
「ではジョンさんはここで左に行って下さい。私は混雑する前に1人でクフ王の方へ行くので。」
そう言うと渋々私の歩く方へ付いて来た。Tはクフ王のピラミッドには入らないので真っ直ぐ行くと言うので別れた。

ジョンとクフ王のピラミッドを目指して歩く。
入口は裏手の東方面にあるらしい。裏手へと続く道を歩いているとジョンがトイレに行きたいと言い出した。何故入場したばかりの今そんなことを言う。我慢できないとトイレを探すジョンを置いて、私はひとりでクフ王のピラミッド入口へ向かった。

クフ王のピラミッド

少し登ったところから入る。ここは盗賊が開けた入口のようだ。

さすがにクフ王ピラミッド側にも入口があるようだ。ギザの街並みと続々到着し出した観光バスが見える。
ここでドバイ在住というご夫婦と息子さん2人の日本人に会った。中東に入ってから毎日「ニーハオ、コリア?」と声を掛けられる私も、さすがに日本人から見たらしっかり日本人のようだ。

中に入り細長い急な坂道をどこまでも登る。急なのと換気口が無くて酸素が薄いのか、なかなかハード。暑いし夏ならたまったもんじゃないだろう。

1番奥の石櫃。盗賊に荒らされた後なのでこんなのしか残っていないようだ。
中では警備員がハイテンションで写真を撮ってくれ、様々なポーズを指定された。当然後からチップを要求されたが、謝って逃げた笑
これから続々観光客が到着するから、1人1$渡したとして彼はかなり稼ぐはずだからいいだろう。

それにしても。。。入場に5千円も払ったのにあっけなく終わってしまった。たったこれを見るためにこれはお金を取り過ぎだろう。入らなければ後悔したのかも知れないが。。。入ってみたら入った方に後悔した。

メンカウラー王のピラミッド

クフ王のピラミッドを出ると、悠長にトマトをかじりながら歩いているジョンに会った。もう既に観光バスの団体客が続々と入場してきているのに。この人は人の忠告を聞いているのだろうか。
「夕日までいたい。何時にここ出る?さっきの柵から入れる所で待ち合わせしよう。」と言うので
「私はもう12時過ぎには出るから、昼から来るLenやヨーロピアン女子たちと合流してね。」と告げて別れた。なぜそんなにあの有料の柵から入場したいのだろう。こだわりが強い。

更に西へ登ってメンカウラー王のピラミッドへ。
ここも別料金だったので入らなかった。

Panoramic View of the Pyramids(ビューポイント)

何となく砂漠が広がっていそうな西へ向かう。早朝に入場し過ぎたせいか、この地点まで到達している観光客が居なくてどっちに歩いていいか分からない。標識や地図、説明文が全くないのだ。

ひとりで歩いているとラクダ商人に声を掛けられた。金額を聞くとビューポイントまで案内して180ポンドだと言う。ピラミッドにいる商人たちはぼったくりばかりと聞いていたが、思っていたより安い。
1度断ったがしつこく追いかけて来て150ポンドにしてくれたので乗ることにした。

乗る時と降りる時に若干セクハラパイタッチをされたような気がするが。。。笑
本当にこういう時、女に生まれると面倒くさいと思う。
しかし初めてのラクダに乗る体験は面白かった。思っていたより凄く高いしかなり揺れる。そしてラクダは意味不明によくブルブル鳴く。意思疎通は無理そう。

このクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが3つ見える場所で降ろして写真を撮ってくれ、最初の提示金額しか要求されなかった。

9 Pyramids Lounge(景勝レストラン)

Tから「今、いい場所でお茶してます。」と連絡が来た。今いる場所から歩けそうなので行ってみた。
南西の方の入口で、主にツアー客たちが到着するレストランのようだ。メニューの全てがびっくりするような金額だったのでコーラだけ頼んだ。

砂漠の中のお座敷席。ここでピラミッドを眺めながら、16Personalitiesの性格診断をしながらのんびり。ダハブで出会った中国人や韓国人もやっていたのでこの性格診断は世界的に有名なものなのか。この時はレアキャラの「提唱者」だったけど、後日やってみたら「仲介者」だった。どちらにせよ私は人と共感して人の為になることで幸せを感じるタイプらしい。

お昼になったので入口の方へ向かう。Lenはさっき起きたところで、ドミの部屋には誰もいなくヨーロピアン女子たちにも置いて行かれたらしい笑

しかし逞しく、中国版旅掲示板で今からピラミッド観光に行く若い中国人女性を見つけたから彼女と周るのだそう。中国の人口は莫大なので、旅の同行相手がこんな直近でもすぐに見つかるらしい。なんて便利なんだ。莫大人口の国をこんなにも羨ましく思ったことはない。

大スフィンクス

チケットオフィスの辺りまで戻って来た。スフィンクスに近づくには入場料がまた別途かかるようだ。
入口の係員の男性に「チケット持ってないんだけど。」と言うと「しーっ。」と人がいないとこまで呼び寄せられ「お前らの国は?」と聞かれた。「ジャパン!」と言うと「日本人ならいいよ。タダ入れよ。」とこっそり入れてくれた。

ダハブの宿でも日本人の私だけまけてくれた。エジプシャンからの日本人の印象はいいのだろう。
それに応えられる行動を取らないと。私も。
客引きたちを一歩的に「ウザい」と切り捨てるのは簡単だが、彼らも生活がかかっているのだからあまりに失礼な態度は取りたくない。それに基本エジプシャンたちはおせっかいながらも親切なのだ。

昼過ぎ、ピラミッドを出て出口近辺でケバブを食べる。

Tが今後の旅では路上キャンプをするのでテントを買いたいと言うのでショッピングモールに来た。
宿がある旧市街地辺りはこんな感じのモールしか無くとてもキャンプ用品など見当たらなかった。
諦めてGoogleMapに「死者の町」と書かれている場所があるので、今から行かないか話がまとまる。

死者の町

13~16世紀頃に造られた墓地にホームレスの人たちが勝手に墓守として住んでいるという。
つまり、お墓とスラムが入り混じった街だ。
GoogleMapに「死者の町」と入れるとそのまま場所がヒットする。

「死者の町」は口コミを見ると相当治安が悪いようだ。最初Uberの目的地を「死者の町」にするとどのTaxiも全く来てくれなかったので、少し手前に設定したらやっと1台来てくれた。
「死者の町」へ向かうこの高架道路から見える風景すらも、廃墟だらけだ。

Uberを降り、徒歩で死者の町の北側に着いた。
偉い方々のお墓らしくひとつひとつ区切られ、ミニモスクも数々ある。

13世紀頃からのお墓・・・なのでもう訪問する家族もいないのかお墓自体も廃墟。
死者たちが生活に困らないように町に類似する施設を作ったらしいのだが、そのせいもあってホームレスが住み着いているようだ。エジプトって古代からずっと死後の世界があると考えられているんだな。

廃墟マニアとしては血沸き肉躍る風景・・・と言ったら不謹慎だろうか。

ところどころに座って雑談している十人たちを見掛ける。
フレンドリーに挨拶してくれたり、墓の中を案内してくれたりするので見学に来た外国人を排除する雰囲気は感じられない。

中心の方まで歩いて来たら、耳が全く聞こえなくて話せない男性が近づいてきて、手振り身振りでモスクの中を案内してくれるという。

賢者のお墓にはこんなモスクまで建設されたいたようだ。
全てゼスチャーでの説明だったので内容はよく分からなかった。説明後もチップを要求してこず、本当に善意で案内してくれたようだ。

お墓には1つ1つ鍵がかかっているが、また別の男性がカギを開けて家(というか人の墓に勝手に住み着いている場所)を案内してくれた。

高齢の母親と2人暮らしだという男性。部屋の中は6畳ほどで、ベッド、ミニキッチンなど全ての生活用品が揃っていた。彼らはどのようにして生活費を稼いでいるのだろう。
男性と母親は突然の外国人の訪問に終始嬉しそう。「ティー」を飲んでいけとしきりに誘ってくれたが日が暮れそうなので丁重にお断りして去る。お母様にはかなりしつこくチップを要求された。

南の方まで来た。北側はほとんど人がいなかったが、この辺りはミニ商店や集会所があり子供たちがバスケをしていた。ちゃんとした生活の場なのかミニバスも走っている。
2人組の少女とすれ違うと「マニマニ」とお金を要求される。このマニマニ攻撃は今後もエジプト各地で続く。エジプトはなぜこんなにも貧しいのか。昔ナイル川の恩恵で栄えた街も、現代では砂漠の気候で発展するのは難しいのかと考えさせられる。

「日が暮れる前にここを出た方がいい。治安が悪いぞ。」とまたも歩いている人たちから忠告を受けたので退散した。

中華レストランでまたも闇両替

夜はLenがまたもその広い中国ネットワークで、いいレートで両替してくれる中華レストランがあるというのでドミのメンバーと今日Lenと一緒にピラミッドを周った若い女の子のジョジョも加えてやって来た。ヨーロピアン女子たちは西のリビアとの国境近くの「シワ」という町へ旅立ってしまっていた。
久々の中華の味付けが美味しい。

街中のレストランで両替したジョンは1$=450ポンドだったらしいが、ここでは580ポンドで両替出来た。エジプトではアルゼンチンやイランのように白昼堂々闇両替屋が立っていないので、取り締まりが厳しいのかも知れない。なのでこのレストランの場所は伏せておく。

私とT以外の3名は中国人なので中国語で会話して盛り上がっている。何を言っているか分からないので英語で会話してもらった。21歳のジョジョはイギリス留学中らしいがこれまで出会った中国人と違い、物静かに話し動作も上品だ。イギリスでは1週間で家賃600$のところに住んでいるらしいので本物のお金持ち。

会計は全員で割り勘にしたのだが、NY在住医師のジョンが私に「タクシーを降りた後、あなたに20ポンド渡したからもう20ポンド払え。」と言ってくる。「20ポンドもらったかも知れないが、私はあなたがタクシーの支払いの時に足りないと言うから後ろの座席から20ポンド渡した。なのでチャラなのでは。」と言っても「20ポンド返せ」と言って引かない。お互い母国語じゃないので細かい説明が伝わらない。「それはタクシーの運転手が私の払ったお金はフェイクだと言って聞かなかったから。」とか訳の分からない話を挟んでくる。そもそも20ポンド返してもらった記憶もないし、あなた私がオーダーした海老30ポンド食べましたよね?

ミリオネラのくせに、たった60円を「返せ」と言ってくるジョンに「じゃあ払いますよ、100ポンドしか持ってないからお釣り下さい」と渡すと「お釣りナイネ!」と言ってくる。じゃあどうしたらいいんだ!この繰り返しで路上でかなりバトルした。

他の3名は呆れて笑っていた。帰りのタクシーでは後ろの座席で、助手席に座っているジョンに聞こえないように「あの人忘れっぽいよね。」と皆で笑い合って可笑しかった。

明日からは別行動。この楽しかったメンバーともお別れだ。

カイロ観光。考古学博物館とオールドカイロにナイル川、魑魅魍魎の宿メンバー(2024.1.19)

2024.1.19(土)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒57エジプトポンド(闇レート)

魑魅魍魎なドミトリーのメンツ

ホステルのドミトリー6人部屋には、私たち3名とフランス人、スイス人女性の他に、NY在住の中国人医師のジョンがいた。

60歳位かと思うのでドミの中では彼が1番私と年齢が近い。彼は岡山大学に留学していたことがあり日本語も少し話せた。彼は私がこれまで出会った高齢者に有りがちな自分のことだけを一方的に話すタイブの人だった。しかも自分の考えを押し付けてくる。
経歴を聞いていると自称中国の財閥出身で政治家や有名な医者とも繋がりのあるミリオネラの外科医なんだそうだが、そんな人が何故ドミトリーなんぞに泊まるのか疑問だ。理由を聞くと「人と交流がしたいから」だと言う。

メラミーズ ホステルの朝食。エジプト旅行の中じゃかなりいい方。

本日は3人で8時半に起床して博物館へ行こうと約束している。しかし中国人Lenは10時半にのそのそ起きだして朝食を食べた後、今からシャワーを浴びると言う。そして待てど暮らせどシャワー室から全く出て来ない。もう40分以上経つので中で倒れているのかと思い、Tに見に行ってもらった。やっとシャワーから出て来たLenに「なんでそんなに遅いんだ」と聞くと頭皮に美容クリームを塗ったり髪の毛がサラサラになるケアをしているからだと言う。Lenの髪は中国人には珍しくとても長い。
今どきの子だなぁ…

同室のフランス人とスイス人女性らも、朝食の後シャワーを浴び、部屋でのんびりと何時間も調べごとをしている。なんなんだ誰も観光に出掛けず6人全員部屋にいるこの時間は。私がせっかちなだけなのか??

お昼過ぎになってやっとLenが出掛ける準備ができたと言うので3人で博物館に行こうとすると『今日と明日はピラミッドを見に行く』と言っていたはずのジョンが何故かまだ部屋にいて、こう告げる。
「今から博物館は時間が足りないから止めた方がいい。僕は昨日、英語、中国語、日本語のガイドを雇って3パターンの説明を聞いた。僕は朝から閉館までいたのでもっとじっくり見た方がいい。明日にしなさい。今から僕と旧市街観光に行こう。」

。。。

なーんでやねーん\(^o^)/押しつけんなよ、自分の意見。

私「は?閉館までまだ5時間もありますよ。」
ジョン「僕は昨日、朝から3種類のガイドを雇って…」
同じ話、何度もええっちゅうねん。

Len「そうだよ!今から博物館じゃ時間が短いよ!」

お前が言うな。どの口が言う。

『ガイドは雇わないし、体力的に3時間で十分』とジョンに言ったのだが同じ説明を3回繰り返された。とにかく博物館は明日にしろの一点バリ。今からは僕と旧市街、明後日は僕とピラミッドにしろと。いつの間になぜ全ての予定があなたと一緒に・・・

『明後日のギザピラミッドの天気は曇りだから嫌だ』と私が感情的になりジョンと揉めていると、見兼ねたTが「旅のスタイルによると思うんですよ。ジョンさんは博物館を訪ねて知識を深めるスタイルだと思うんですが、僕は現地の人と会話して話その国の文化を知りたいスタイルなので、博物館の時間は短くていいので今から行きます。」と丁寧に説明してくれた。
ジョンは「じゃあ、あなたたちが戻ってくる15時から一緒に旧市街に行きましょう。」と納得してくれた。だからなぜ一緒に・・・?!

エジプト考古学博物館

ホステルから徒歩ですぐのエジプト考古学博物館へ行く。

入場は450ポンド。少し前迄は300だったのに凄い値上げだ。闇レート換算なら1,350円なのだが、そんなことをする奴を排除するためか、エジプトでは観光地の入場料金は少し前からクレジットカード払いオンリーになっている。クレカだと公定レートで決済されてしまうため2,200円になる。
エジプシャン・アラブ人だとこれの10分の1以下、わずか30ポンド(150円)で入れる。

貧しい国ほど観光の外国人料金と地元民料金の差が大きい。高額を支払ったのでこの広大な博物館をじっくり見学することにする。

中は人や動物のミイラからパピルス、死者の書に棺など・・・撮影は禁止だがツタンカーメン王の仮面や遺品の展示コーナーもあり展示物が多過ぎてとても全部は見れない。それに何より説明がほとんどないのでガイドと回らないと意味が分からないだろう。
中国人は撮影禁止でも平気でカメラを回しているのをよく見るが、例に漏れずもれず黄金に輝くツタンカーメン王の仮面をこっそり隠し撮りしたLenは、早々に飽きてさっさと先に帰ってしまった。おい、自由だなぁ。今朝、あーたを何時間待ったと思ってるんですか。時間足りないとか言ってませんでしたか?

オールド・カイロ(カイロ歴史地区)

ホステルに戻ってLenとも合流し、15時過ぎにジョンも含めたドミトリーの人らでUberでオールド・カイロ地区へ来た。

聖セルジウス教会は見れたが他のコブト博物館やムアラッカ教会などは16時閉館で入ることが出来なかった。きちんと開館時間を調べてから来るんだった。
いつもは一人なので観光地をちゃんと調べてから訪問するのだが、今回は同室メンバー6人と夜もずっと会話していて調べる時間がない。

入れなかったので外観だけ。キリスト教はエジプトではたった10%の人口比らしい。
入口に大きなモスクもあったのでじっくり見たかったが、若いLenは歴史的建造物には全く興味がないようでさっさと飛ばして食事がしたいと言う。

彼のペースで6人で近くのレストランで食事。16時だがこれはランチなのかなんなのか。

スラム街の子供たちとナイル川の夜景

ここから皆でナイル川を見に行くことに。直線コースで突っ切るとかなり賑やかな貧しい地域を通った。スラム街だ。外にビリヤード台が置いてあり皆で楽しんでいる。
私たち外国人6人を見ると子供たちが一斉に歓喜の声をあげ後から付いて来た。女一人ではとても怖くてここは歩けなかっただろう。

そこにいた少しパリッとした感じの年配の男性が「どこへ行くんだ?案内する。」とナイル川まで道案内してくれた。

柵があり川岸までは近寄れない。ジョンはずっと「こんな柵、デザインがなってない、景観に悪いね。NYでは・・・」とぼやいていたが、恐らく貧しい人たちが川岸で小屋を建てて生活するのを防止するために柵がしてあるのではないかと私は思った。

Qasr El Nil Bridge

おしゃれなデザインの橋まで来た。セルフィーを撮る地元の人らで溢れていた。
発展途上国にありがちな、小さな子供たちが花やティッシュを売りつけてくる。売れるのかな、大変だなぁ・・・

そして橋の上からナイル川を覗き込むとゴミ・・・ゴミ・・・

帰りはUberでなく地下鉄に乗ってみたいと誰かが言い出し、メトロで帰ることにした。年配のエジプシャンはこの駅までずっと案内してくれたが全くチップを要求してこなかった。
今のところエジプトがウザイ国だというのは全く感じられない。イスラム教の人々は助け合いの精神が根本にあるせいか、とても親切だと思う。

地下鉄とは名ばかりでなぜか地上を走っている。料金はたったの6ポンド(18円)。真ん中辺りの車両は女性専用車両になっている。

明日のピラミッド行きの意見がまとまらない

ホステルの最寄り駅まで戻って来た。
今のホステルは隣にリカーショップがあり好都合。Lenはかなりアルコール好きなようで、ワインやウォッカを買い込み上機嫌だ。ジョンの奢りで皆で共用部分でビールを飲む。

そこで明日は6人でピラミッドを見に行こうという話になるが、今日ピラミッドを見に行ったという隣の部屋のインド人が「ピラミッド内の敷地は広大でとても歩けないぞ。タクシーチャーターかレンタカーで行け。」と言うものだからジョンが「レンタカーを借りよう。免許持ってる?朝日と夕日が見たいので朝6時に集合してじっくり17時までピラミッドを見て・・・」と言う。そんな疲弊する長時間滞在はごめんだ。

私は「ネット情報だと、誰もレンタカーなんか借りてないので頑張れば歩けると思うんですが・・・」と言ったがジョンは「インド人が歩けないと言ったではないか。」と譲らない。レンタカーやタクシーチャーターの金額を聞くと高かったので、私たちが承諾しても、今席を外しているLenは絶対OKしないだろう。
集合時間も観光手段も0時を過ぎても話がまとまらないので「ごめん、眠いから先にシャワー浴びてくる。」と、この中で1番頼りになるTにまとめ役を任せて席を外した。

朝日を見るために6時に出ても、ピラミッドの開場が8時なので入口でかなり待機しないといけないと思うのだが・・・

よっぽど「一人で昼から行ってもいいですか?」と喉まで出かかったが、6人で行こうと言っているのにそれは協調性が無さ過ぎだろう。
結局シャワーから出たらT以外皆寝ていて「6時にここ出発でUberで行くことになりました。」と言われた。もう1時だが本当に皆起きてくるのだろうか?

目覚ましを5時半にセットして眠りについた。

ダハブからカイロへミニバス移動。バザールへ行き自分の旅のスタイルに疑問が・・(2024.1.18)

2024.1.18(木)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒57エジプトポンド(闇レート)

Oasis Fighting Kangarooホテルをチェックアウト。
水道に海水が混じっているのが難点だが、洗濯も干せる広いテラスがありシングルでたったの660円(闇レートで)ならもう少しいたかった。ダイビングが寒くなければもっとしていたと思う。

ダハブからカイロへバス移動

昨日、この目の前のGoBusというバス会社のオフィスで10時発のバスチケットを購入しておいた。
350ポンド。10分前に来いと言われたのでギリギリ到着。

本当にミニバス。11人乗りのバスに5人しか乗らずに出発。

車窓からは昨日サイクリングで来てみたかった景色がみれた。
途中の道端でエジプシャン男性らが3名乗ってきて少し座席が埋まった。

外務省渡航危険レベル3地域をミニバスで走る。東はすぐイスラエルとヨルダンだ。そのせいか途中の警察の検問はなんと10回以上。
停められる度に乗客全員分のパスポートや市民カードを見せる。非常に面倒くさい。

検問のうち1回は全員車から降ろされ、荷物の中を細かくチェックされた。
この時間帯のミニバスは座席がゆったり使えて楽だったが、昨晩の夜行ミニバスで移動した2人は頻繁に人の乗り降りがあり一睡も出来なかったという。
イランでもそうだったが、夜行のバスや列車は1泊料金が浮くため、人気がある。だが眠れないなら次の日が丸一日睡眠に当てられ無駄になるので考えものだ。

カイロ到着

17時にカイロのGoBusステーションに到着。裏はヒルトンホテル。

ダハブと違って凄い喧騒。寒くて排気ガスの嵐。
クラクションの音がそこら中に鳴り響いている。
エジプトでは最初にダハブに着くか、カイロに着くかでかなり印象は異なるだろう。

ヨルダンからずっと一緒だったTから「Lenが安宿を中国ネットワークで見つけてくれた。」とメッセージが来たのでお言葉に甘えて徒歩で同じホテルに行くことにする。
この博物館の前を通って行ったが、エジプトもイラン同様、歩行者信号が全くない。車が猛スピードで走る中、何車線もある道路をなかなか横切れずホテル到着が遅くなってしまった。

メラミーズ ホステル

バス停からは徒歩15分位。エレベーター完備で綺麗。朝食込1泊330ポンド(990円)。
Booking.comには掲載がないがAgodaにはある。

最初レセプションにいた男性にドミトリーの金額を聞いたら「10$」と言われた。奥のバルコニーで外国人女性と会話しているTが見えたので、いくら払ったか聞いたら「8$」だと言う。
こいつ・・・2$ちょろまかすつもりだったのか。エジプト人は要注意。

しかし共用部分はかなり綺麗で広い。

男女混合ドミトリー6人部屋。
TとLenは早速同室の若いフランス人、スイス人女性に声を掛けてコミュニケーションを取っている。このどこにでも飛び込める社交性が本当に羨ましい。

ハン・ハリーリバザール

カイロで有名なバザールへ皆でUberで行こうという話になりやって来た。
スイス人、フランス人、私たちの3名だと5名になり定員オーバーでタクシーに乗れないので別々に。
後からチェックインしてこの輪に入り込んだ私はお邪魔だったのではないのだろうか?という気分になる。

バザールは細い道が入り組んでいてかなりの雑踏。道が狭いのに車が入り込んできて、お互い正面でぶつかるとクラクションを鳴らしまくっている。なぜ1方通行にしないんだ。
というかこんな道、車通るなよっ。
ヨーロピアン女子たちは「変な人に追いかけられたし、ここは気に入らない。」と即帰ってしまった。

馬まで通るバザールの道端で3人で夜ご飯を食べることにした。

私は1日1~2食しか食べないので1食にお金をかけられる。なので、これまでレストランでいいものを食べていたが、若い彼らはかなりの頻度で大量に食べるので節約している。
Lenは実家や親戚中が農家なのに大学も出ていて、いいところに就職していたようだが、それでもやはり私たち日本人より給料は低い。かなり切り詰めたバックパッカー生活を送っている。なので、Lenに合わせるとどうしても路上食堂になる。

このレバー焼きセット50ポンド(150円)に落ち着いた。
Lenは何軒も安食堂を巡り、値段を聞いたり味見させてもらったりして店を選ぶ。20ポンド位の差なら私ならもう決めてしまう程度の差額でも、彼は妥協しない。

これは今後Lenに合わすと食事選びにかなり時間がかかるな・・・

そんなことを思ったが、嫌なら私が離れればいい。しかし彼らといると楽しいのだ。

旅のスタイルについて

彼らは地元の人やホテルにいる人らとコミュニケーションを取りながら情報を得て旅をしている。
世界3大ウザイ国と言われるエジプトでは歩いているともの凄い頻度で地元の人たちに「Welcome!」「チャイナ?」など声を掛けられる。しかし彼らが不機嫌になったり怒ったりしているところを一度も見たことがない。彼らはそれら全てに対してにこやかに応え、更に会話を広げて仲良くなっている。私が無視していた地元の人らのしつこい声掛けも、受け取り方でこんなにも違うものなのか。

私がネットで宿や観光地、行き方を調べて旅をしているスタイルと全く違うのだ。
私の中で疑念が沸く。

自分はこのままの旅のスタイルでいいのか?
私がしているのは旅ではなくただの『観光』ではないのか?

彼らには、私が見えていない世界がもっともっと見えているに違いない。

路上スポーツバーで皆サッカーに熱狂。

一緒にいるとTの能力にどうしても嫉妬してしまう。
「なんで皆、僕にばかり話しかけるんですかね?」
道行く人らは、にこやかで愛想が良くてスタイルがいい彼の顔を覗き込み、私ではなく彼に話しかける。

愛想よく振舞い、現地の人との交流を求めると世界が変わるかもしれない。旅のスタイルを変えてみようか。
そんなことを考えながらこの日は宿に戻り就寝した。

ダハブダイビング2本目。魅力的な中国人男性に巻き込まれ、アジアの若者らと過ごす日々(2024.1.16~17)

2024.1.16(火)1ドル≒31エジプトポンド(公定)、1ドル≒52エジプトポンド(闇レート)

本日も天国ダハブは快晴。

中国人男性Lenと出会う

7 Heaven Hotelの朝食。頼んでから出て来るのがめちゃめちゃ遅い。エジプト時間。

どこまでも広がる海に温暖な気候。安い物価に安全な地。ゆっくりとした時間が流れるエジプトのダハブは天国過ぎて長居してしまいそうだ。カザフスタンやキルギスでの寒さを忘れてしまう。

同行者がイランで会った中国人らと昼食を食べに行くというのでついて行った。
中国人男性のLenとLenが宿泊しているホステルの女性と食事。
Lenは24歳の若い男の子。中学レベルの英語ながら饒舌で流暢。国籍・年齢を越えて全ての人に裏表のない屈託のない笑顔で接する。中国人には見えない髪型に見た目の良さもさることながら、周囲の人を自分の世界に巻き込むとても魅力的な子だった。

どこで英語を学んだか聞いたら小学校から英語教育を受けているからだと言う。だが女性の方は全く英語が話せなくてコミュニケーションが取れなかった。彼女はダハブ滞在3ヶ月目だと言う。
中国は人口も土地も広大で様々な人がいる。そしてリアルタイム発信の旅の掲示板が発達しているようで、Lenを通じてその掲示板から得られる旅の情報量は日本語で得られるものとは段違いだった。

ダハブを歩いているアジア人は中国人と韓国人ばかり。
Lenは道を歩いているアジア人を見ると平気で話し掛けまくり、すぐに友達になる。
そのままダハブに1ヶ月滞在している韓国人ら4人グループとお茶することになった。

20代の中国人・韓国人の子たちとダハブの夕日を眺めながらゆっくりする。フリーダイビングに魅せられ、資格取得のためにここに長期滞在しているらしい。

夕食も彼らと共にした。韓国人の女の子は私の年齢に「全く見えない。」と驚いていた。
Lenも韓国人カップルも、日本の文化、流行りのドラマ、映画、歌、映画監督に社会活動家の名前まで知っていて私に感想を聞いてくる。若い彼らは年齢差も国籍の違いも何も気にせず対等に話してくれた。
それに比べて私はなんて彼らの国の文化や流行りを知らないのだろう。英語力も彼らの方が格段に上。
自分の興味の狭さ、知識の浅さにほとほと嫌気が差した。彼らはこんなにも日本という国に興味を持って知ってくれているというのに。
帰国したら真っ先に彼らの国の流行りを知り、英語を勉強し、もっと交流を持ちたいと心底思った。

ダハブでダイビング2本目

次の日。Lenと同行者はここからスエズ運河まで男2人でヒッチハイクで行くというので別れ、また一人に戻った。

宿泊している7 Heaven Hotelでまたダイビングを申し込む。インストラクター免許取得中の日本人の方におすすめポイントを聞き、『アイランド』というポイントにした。これもたったの35$。

ホステルからはこの砂漠地点まで車で行く。そしてここで警察の検問。たまたま鞄にパスポートを入れていて助かった。

陸地IN。入口から細いサンゴ礁の隙間に潜り込んで、サンゴのアーチをくぐる。
潜った先にはサンゴだらけの地形が待っていた。
複雑なサンゴの地形を上下しながら眺める。とても美しいスポットだった。

Oasis Fighting Kangaroo(ホテル)

ダイビングが終わるとホテルをチェックアウトし、Lenが宿泊していたホテルが個室で1泊250ポンド(750円)だと言うのでホテルを移った。

Booking.comに掲載されてはいるが、予約サイトでの金額は500ポンド越え。しかし予約せず直接訪問すると半額以下なのだ。本当に中国人の情報網は凄い。
訪れると、レセプションの人がなんとあちらから「日本人は礼儀正しいから好きなんだ。220ポンドでいいよ。」とまけてくれた。Lenには秘密だな・・・

使いやすい大きなキッチン

そんなことを考えながら海水が混じっている水道水で洗濯をしていると、今朝別れたLenと同行者が戻って来た。ヒッチハイクはすぐに成功したが、警察の検問に引っ掛かり「ここでヒッチハイクするな。」と車を降ろされたという。
シナイ半島は危険地帯だけあって警察の検問だらけでヒッチハイクは不可能のようだ。

そんな訳で再び皆でランチ。

ダハブでレンタサイクル

ここのところ海辺を散歩する日々だったので、反対の山の方まで行ってみようとレンタサイクルを借りてみた。値切って3時間で100ポンド。

西の方面へ自転車を飛ばす。あの山辺りに美しい地形が広がっているようなのだが・・・その手前に検問があるらしいので、自転車では行けないだろう。

ダハブの海辺から少し離れた高級住宅街や・・・

ショッピングエリア辺りまで来た。観光地の海とはまた違った景色が見れて楽しい。

ATMコーナーの扉が開いているが、それでいいのか?エジプト。

ダハブはネコ祭り。魚をよくもらっているのか本当に猫が多い。部屋のドアを開けていると何匹も何匹も入ってくる。追い出しても追い出してもしつこ過ぎて少し猫が嫌いになった。

Lenたちは夜行のミニバスでカイロへ出発した。私も明日10時発のミニバスのチケットをGoBusのチケット売り場で購入。

ダハブにはいつまでもいたくなるが、そろそろカイロを目指して移動することにした。

楽園ダハブでダイビング、エジプトの闇両替情報(2024.1.13~15)

2024.1.13(土)1ドル≒31エジプトポンド(公定レート)、1ドル≒52エジプトポンド(闇レート)

Rafiki Hostels – Dahab(ホテル)

朝8時。フロントの人が出勤してきたのでチェックインさせてもらう。
男女混合ドミトリー、朝食付7.7$。カーテン付で綺麗だったけど狭くて海に遠い割に高いかな。明日はホテルを移ることにする。

早速ダハブの海を見に行く。

凄い透明度。ここまで海が綺麗とは思わなかった。
1月なので水の中は寒いが、ウエットスーツを着たら泳げそう。

海を眺めながら食事。ここぞとばかりにシーフードパスタ。

この日は1日中海を眺めながらだらだらとして何もせず。ダハブの魔力にはまってしまう。

YUI Japanese Restaurant(日本食レストラン)

夜ご飯は日本食レストランへ。ホテルのルーフトップにあり場所は分かりにくい。

このレストラン唯一の男性従業員と話したところ、日本人2名と共同経営で立ち上げたレストランで日本のTVでも紹介されたらしいが、今は日本人シェフはいなくなってしまったらしい。
唐揚げ定食を頼んだが、味もご飯の固さも日本食そのもので出汁がきいていて美味しかった。


次の日。Rafiki Hostelsの朝食。よくあるエジプトの朝食。

この日も海を眺めたり街を散歩したり。海老ランチ食べたりと自堕落な生活。

7 Heaven Hotel & Diving Center Dahab(ホテル)

ホテルを同行者とシェアした方が安いと気付き、ツインルームで1番安かったホテルへ移る。
年齢が近い異性とのルームシェアは抵抗があるが、20歳以上年齢が離れているとただのルームメイト。

個室はやはりドミより断然いい。ひとり1泊250ポンド(750円)になった。

ホテルのWi-Fiが情報が全く見れない程めちゃめちゃ遅い。(これは今後エジプトのどのホテルでもそうだった。)
SIMカード屋へ行ったが500ポンドと言われ、高いと思い購入せず。ホテルのフロントの人に「SIMカードを売っているところを知らないか?」と聞くととエジプト人はもっと安く買えるというので買ってきて貰った。11Gで300ポンド。(カイロなどでは恐らく180ポンド+α)少しボラれている気はするが500ポンドよりはいいだろう。

エジプトの闇両替

フロントの人に「ドルをエジプトポンドに両替しないか」と持ち掛けられた。1$=45ポンドだと言う。
公定レートは30ポンドなので1.5倍のレートで両替出来る。これはどういうことなのか。
ここエジプトでも、自国通貨の下落が激しくてアルゼンチンと同じように闇両替が横行しているのだろうか。

直ぐにフロントでは両替せずに街中を歩いてみると、同行者がイランで出会った中国人に声を掛けられ、「おい、その辺のショップで1$=52ポンドで両替出来るぞ。」と教えてくれた。同行者はどこの宿でも一緒になった外国人らと堪能な英語でコミュニケーションを取るので、情報がたくさん入り頼りになる。
彼と水着を買いに行くと、お店の人にまたも「チェンジマニー?」と言われ、100$を5200ポンドに両替してもらった。

(この後、日々エジプトポンドが暴落しているのか?カイロでは1$=58~60、ルクソールでは1$=60~65という公定レートの倍の金額で両替出来た。相手の言い値は45~50スタートだが、かなり交渉しての金額。流通レートは恐らく1$=70ポンド)

公定レート計算だと、1ポンドを5倍にして円換算していたが、今後は3倍以下でいい計算になる。一気に金持ちになった気分。
ご機嫌でまたシーフードなんぞを食べたり、ビールと中華麺を宿に持ち帰ったりして過ごす。エジプトの闇両替情報はネットにもほとんどなかったので、これは嬉しいサプライズ。

同行者は初めて出会った時とはまるで印象が違い、話が弾んでかなり楽しい。お互いの旅の話やスタイルだけでなく、これまでの経歴やお互いの趣味や好きなこと性格や思考傾向、自分たちの目指しているものや、お互いの性格分析など・・・日々深い話をする。
年齢差を感じさせず話がどこまでも尽きないのは、きっと彼の人間性とコミュニケーション能力の高さがなせる業なのだろう。彼から学ぶことは多く、旅人でこんなにも尊敬出来る人は初めてだった。

ダハブでダイビング1本目

次の日。このホテルはダイビングショップも兼ねていてなんと1ダイブ30$だという。セブ島の4千円にはる安さ。アドバンス免許と水着は持って来ていたので早速申し込む。

宿で朝食を取ってから2人でダイビングに行く。きゅうりが冷凍でスカスカ。。。

宿の目の前のポイントからイン。セブ島以来のダイビング。水はまあまあ冷たいが澄んでいて楽しい。
フィリピンのセブ島ではインストラクターはこっちのことはフル無視だったので自由に泳げたが、このホテルのインストラクターのMIZUは厳しい。水中で「残りの酸素量は?」といったサインを手で送ってくるがこちらは免許を取ったのが20年以上も前なので全く手サインを覚えていない。
「お前は本当に3ヶ月前に潜ったのか??」と笑いながら怒られた。

その後、この日も何もしないネコのような自堕落な生活。
ダハブはバックパッカーの沈没地とよく聞くが、『何もしなくていい』と思える魔力がきっとこの地にはあるに違いない。

同行者はイランで出会った中国人が、今夜ダハブに到着するので会って来ると言って出かけてしまった。なのでひとり夜の散歩。

海沿いじゃない方にはモスクもある。エジプトのアザーンは他の国と違っておっさんが下手な演歌を歌っているように聞こえるのは何故なんだろう。そして演説みたいな声も音量MAXでうるさい、うるさい。とか言うとイスラム教の人に怒られるかな。

移動式ATM車を発見。しかしもはや闇両替の存在を知ってしまったので、エジプトでATMを使うことはないだろう。イラン旅に向けてトルコで下ろしたドルとユーロが、あまりのイランの物価の安さのお陰でまだかなり余っている。

一昨日食べた日本食レストランでうどんを頼む。210ポンド。
乾麺を茹でて生卵を落としただけだと思うがかなり美味しかった。しかしこのレストランも2回目だが、いつも客が私しかいなくて寂しいものだ。
ここダハブでは日本人観光客を全く見ない。中国人と韓国人の若者ばかり。日本人で出会ったのはノマドの女性と、ダイビングインストラクター免許取得のため滞在している女性の長期滞在者2名のみ。

外務省の渡航情報によるエジプト

ダハブがバックパッカーの聖地だというのに日本人がいないのは、そんな旅のスタイルはもう流行っていないのか、外務省からの渡航情報がシナイ半島全体が危険レベル3だからなのか。
しかしシナイ半島でもダハブとシャルム・エル・シェイクだけは危険レベルは1なので安全とふんでやって来た。

ダハブまで船で来るのは大変だったが、海も景色も美しく何もかもがキラキラして見えた。
もう少し楽園ダハブでダイビングしたりのんびりすることにする。

ペトラからアカバへ移動、憧れのフェリー国境越えを果たす(2024.1.10~13 )

2024.1.10(水)1ドル≒209ヨルダンディナール

ペトラ遺跡2日観光を終え、エジプトにフェリーで上陸するべくアカバへ移動する。

ペトラからアカバへミニバスで移動

ペトラからアカバへの行き方と金額はホテルのフロントに張り出してある。
近くのミニバスステーションから人数が集まったら出る形式のミニバスで行くようだ。
金曜日は朝7時迄、他の曜日は9時までに行けば確実に乗れるようだ。

7時半にホテルをチェックアウトしてミニバスステーションへ向かう。

ミニバスステーションはホテルから歩いて10分。
到着するとすぐに「アカバ?」と声が掛かる。Googleの口コミを見ると「料金をごまかされまくった。」というひどい口コミばかりだが、金額を聞くと「As you like」と言うので「5JOD(1000円)でしょ?」と言うとそれだけしか取られなかった。
15分ほど待って5、6人集まるとすぐにバスは出発した。

こんなガラガラで元は取れるのかと心配になったが、なんてことはない。途中の路上で待っている地元民が何人もおり、停車する度に人が乗ってくるのであっという間に立ち乗りが出る程満席になった。

3時間弱でアカバの街に到着。

Pizza Street hostel(ホテル)

ホテルはバス停からすぐの口コミの良いこのホテルを予約しておいた。
最安値の6JOD。オーナーがお客さんを大切にしていてウエルカム状態、とても感じがいい。

女性専用ドミトリーに行くと、入国時からずっと一緒の韓国人の女の子がいた。お互いBooking.comで最安値のドミを選んでいるので会うのは当然だろう。

彼女は今夜のフェリーでエジプトへ行くと言う。宿にいた韓国人男性も一緒なので安全だろう。
この部屋は清潔でテラスで洗濯が干せるので2泊して溜まっている疲れと洗濯を一掃することにした。

ペトラ遺跡観光の往復6時間を2日連続でやり遂げた疲れが抜けず、近くをウロウロしてATMでお金を下ろし洗濯するだけで1日が終わる。
この辺りはピザ屋が多いからホステルの名前が「PIZZAPIZZA」なのか。

夕食は近所でファラエル(ひよこ豆コロッケ)サンド0.35JOD(80円)を食べたけど、金額相応で物足りない。
オーナーが今日は誕生日ということで、ライスにステーキを刻んだものとトマトを乗せてギトギトにオリーブオイルをかけただけの味付けの手作り夕食をくれた。
味がしないのでオーナーが見ていないところで手持ちの醤油をかけると美味しく食べれたが、ヨルダン人はこの味付けでいいのだろうか。

ATMで下ろしたヨルダンのお金。少し男尊女卑を感じる。

次の日。

午前中にアンマンの宿で出会ったTくんも同じ宿にやって来た。待ち合わせした訳ではないが、最安値の宿に泊まると、同じ旅人と再会するループになる。お陰で明日、エジプトのシナイ半島へのフェリー国境超えを一緒にすることになり心強い。

「現在、イスラエル関連でそこは治安が悪いのではないか?」という情報を他の旅人から貰っていて不安だったのだ。

フェリーチケット購入

昼からは一緒に旅行会社に明日夜のフェリーチケットを買いに行き、アカバを観光することにした。

オーナーに聞いたフェリー会社と私がネットでチェックしていた旅行会社と比べ、安い方で購入。54JOD。2人で購入すると1JOD安くなった。

フェリーは夜22時発の1本。3時間かかり夜中の2時にエジプトのヌウェバに着く。

アカバからタクシー5JODで港まで30分、アカバはUberは使えない。その後港でヨルダン出国税10JODを支払い、フェリーでアカバからヌウェバへ。3時間でヌウェバ到着後、港でエジプトビザ25$を支払い、夜中にヌウェバからダハブまで1時間かけてタクシーで行く。ヌウェバからダハブまで早朝にバスが出ているとネットで見たが今は16時半のみになっていた。

その後海を観光。5JODでボートに乗らないかと勧誘があるがここは節約。

ヨルダン最後の夜。ヨルダンのペトラビールは味のバリエーションも多く美味しかった。高いが。

宿のテラスでTくんとビールを飲みながらくつろぐ。これまで出会った旅人の男性はたいてい私のことに興味はなく、自分の旅や生い立ちのことばかり話して私自身のことについて質問はほとんどしてこない。10〜20歳の年齢差を考えれば当然のことだし、私はいつも聞き役にまわっていた。しかし彼はかなり私の人生の背景、趣味や好きな音楽についてまで様々な質問をしてくる。変わった子だ。絶景よりも旅先で知り合った人の背景に興味があるらしい。

次の日。

Tくんがキャンプグッズを買いたいと言うのでアカバのショッピングモールへ。エジプトの方が物価が安いらしいので物色するのみ。

モスクや海をブラブラして時間を潰す。

オーナーにフェリーでヌウェバに行くと言うと、お勧めのファラエルサンド屋に寄ってから港まで5JODで車で送ってくれると言う。

この辺りのタクシーはボッタクリが多いらしいので助かった。オーナーは既にコロナビールを少し飲んでいたが、ヨルダンでは飲酒では捕まらないのかな。

アカバフェリーターミナル

19時にフェリーターミナルに到着。出発は22時だが、荷物の積み込み等に時間がかかるので3時間前に行くように旅行会社の人には言われている。

周辺にはレストランも売店も何も無い。いるのは大量の輸入品を持った国境越えをする男性エジプシャンのみ。少しピリピリした雰囲気。

フェリーターミナルの中は売店、トイレ、両替屋、免税店、出国税支払い所、イミグレがあった。窓口で出国税10JODを支払い余ったヨルダンディナールをエジプトポンドに両替してもらう。すると何故か公定レートよりかなり多目に返ってくる。これはどういうことなのか。→エジプトでも闇レートが存在していることを後に知る。

免税店にビールがラスト1本だけ売っていたのでそれをTくんと分け合った。22時前になりイミグレで外国人だけ集められ優先的に先に船に乗れる。外国人は地元の人らの何十倍もの金額を支払っているからだ。

あの船らしい。

船に乗り込み、ここで荷物を預ける。外国人だけ荷物も固められる。乗客が100名以上いる中、全員男性だと思っていたが、ここで私以外の欧米人2名と現地人2名の女性がいたので少しホッとする。

夜中なのに船の中では大勢のエジプシャン男性らが騒いでいる。Tくんがいなかったら怖かったと思うのでいてくれて助かった。

船に入ると直ぐ真ん中辺りにある窓口で外国人だけパスポートを集められる。23時頃、1時間遅れで出港。地元の人らの入国手続きの列がかなり長く待たされた。

3時にヌウェバ到着。ここで荷物を回収。トラックのコンテナに詰められたエジプシャンたちの荷物が何台もあり、自分たちの荷物を見つけるのにかなり時間を要した。建物に入ると立って待ち構えている男性に25$のエジプトビザ代とパスポートを渡す。これも結構待たされてからエジプトビザが貼られたパスポートが返却されてきた。私は25$札を持っていなくて100$札を渡したが、きちんとドルでお釣りが返ってきた。ネットで「25$きっちり渡さないとお釣りが出ない」と見てビビっていたが、ネットの情報も当てにならないもんだ。

到着してからはビザ代回収の人と船の乗組員の男性がずっとピッタリ張り付いてくる。朝まで港か近くのカフェで過ごしてからバスでダハブまで行くと言っているのに「バスはないタクシーで行け。」の一点張りで離れてくれない。

港の建物を出てからもこの2人は張り付いて来て、グルなのかタクシー運転手2名の所に案内された。私たちがバスステーションに行こうとしたり、地元の人らが乗り込んでいるバスの値段を聞きに行こうとしても「ヌエバ、タクシー20ダラー、チープ、チープ」。連呼され阻まれる。かなりしつこい。これが世界3大ウザい国のエジプトの洗礼か。

ボラれているのが分かるので私はこの人らから離れ、せめて別のタクシーに乗りたかったがTくんは愛想良く丁寧に対応してあげている。私とは人間力が違う。結局PIZZAホステルのオーナーに教えて貰ったネットの予約サイトを見たら、ここからヌエバまでのバスはかなり安いが16時半の1本のみだったので15$に値切ってこのタクシーに乗ることにした。

一睡もせずに到着したヌエバ。暗い中、Booking.com掲載の激安ホテルを探したが見付からず、もうここでいいやとある辿り着いた。早朝過ぎてレセプションに誰も居なかったがフロントにあるマットレスでレセプションの人が出勤してくる8時迄寝させてもらった。

ダハブはダイビングのメッカで温暖な気候、物価の安さも相まって沈没する人が続出のバックパッカーの聖地だと言う。リゾートっぽい風景に気持ちが高揚してきた。

ついにインディージョーンズの世界、ペトラ遺跡へ、入場料1万円超え。お勧め裏ルート(2024.1.8~9)

2024.1.8(月)1ドル≒209ヨルダンディナール

本日はいよいよペトラ遺跡観光。
朝7時起床。ホステルからペトラ遺跡に向かう。やはり徒歩30分がまあまあ辛い。

ペトラ遺跡 入場券

昨晩、ペトラ在住の方に教えてもらった、絶景をトレッキング出来る裏ルート(バックドアハイキングルート)で観光することにする。
エントランスから普通に入るルートは1番奥まで片道10km。しかも800段近い階段を登らなければならず往復7時間も掛かる。ペトラ遺跡は広大なのだ。
これを無料シャトルバス+乗り合い4WD+トレッキング1時間で裏から下りて来るだけのコースを教えてもらった。ネットにもほぼ情報が出てこないコースである。

入口でチケットを買う。
世界一入場料が高い世界遺産のペトラ遺跡。入場料脅威の1万円超え。
1日券50JOD、2日券55JOD、3日券60JODという3日券を買わせようとする料金設定。
1日券だと1日で1万400円だが、2日券だと1万1400円なので1日当たりの単価が5,700円まで下がる。なので2日券を購入。3日券もあったがそこまでは要らないだろう。

窓口はドルでもユーロでもディナールでも払えた。クレカて支払うと2%の手数料が取られるのにクレカ払いにしてしまった。直ぐ横のATMで下ろせば良かったのに早朝で頭が働いていない。

裏トレッキングルート(Back Door hiking route)

博物館裏の来た時に降りたバスターミナルに来た。
シャトルバスが停まっていたので出発時間を聞くと8時20分だという。恐らく30分に1本の頻度。

8時20分、他の乗客中らと無料のシャトルバスに乗り込む。
ミニペトラ迄の景色もなかなか良かった。

ミニペトラ

15分走り、ミニペトラ到着。

なぜか誰もミニペトラを見ない。窓口で乗り合い4WDトラックのチケットを買っている。私だけミニペトラの写真を撮りに奥まで行き、その後に乗り合い4WDトラックのチケット5JODを購入すると、私待ちだったのか乗り込むと直ぐ出発した。
本来ならここで一応ペトラ遺跡の入場券をチェックされるようだが、係員が忘れているのかチェックされなかった。運が良ければ無料で入れるかも??

他の乗客は全て中国人。彼らはこの裏ルートの情報をどこで得たのだろう。さすが人口大国だけあって中国人コミュニティの情報量は凄い。

4WDは颯爽と絶景の中を進む。かなり揺れたり跳ねたりするがそれもまた楽しい。最後に乗り込んだお陰で1番後ろの席で絶景を楽しむことが出来た。早朝なのでかなり寒い。

15分程走るとただの岩場の近くで降ろされた。他の観光客がいなければ道が全然分からなかっただろう。

その後は絶景を1時間15分トレッキング。そんなに時間がかかると思っていなかったので、まあまあハードだった。しかしそんな疲れを払拭するほどの絶景だ。ペトラ遺跡よりこの絶景の方が楽しかったように思う。

同行の中国人たちも私の写真を撮ってくれたり親切だった。ロバを連れた客引きもいて疲れた人らは途中で乗っていた。

エド・ディル

ペトラ遺跡最奥のエド・ディル到着。

本来なら3時間掛けて辿り着くこの地にショートカットで来れた。
2000年前に50mを超える巨大な岩を削って作られたナバタイ人の修道院。元々は人々の集会場所だったが、のちにキリスト教の礼拝堂として再利用されたので修道院と呼ばれている。
1枚岩であることが1階部分の地層を見てもとれる。

ほっと一息つき、向かいの丘の上のビューポイントに登る。

砂漠地帯なのに猫がたくさんいる。ご飯をくれとまとわりつかれるので生活はかなり過酷なようだ。取れるエサなんてなさそうだし。

ペトラ在住の方の話によると、ペトラ遺跡では至るところに無許可の地元の人が入り込んで商売していたが、1週間前に政府によって一掃されてしまったらしい。
それでもまた入り込んでいる土産物屋が今は数軒あるだけで少し寂しい。
偽スターバックスなどもあり入ってみたかったが、ゆっくり写真を撮る暇もない位客引きがうざかったらしいので、観光地としてはなくなって良かったのかも知れない。

ここから800段近くある階段を下って正規の入り口まで歩いて行く。下りなのでまだましだったが、ホテルからペトラ遺跡までも30分歩いたし、更に1時間以上トレッキングした後なのでやはりキツイ。

途中、ペトラ迄一緒に来た韓国人の女の子とすれ違った。彼女は21歳という若さだが、それでももう相当疲れていた。私がどうやって彼女より早くここまで来たのか不思議そうだった。

獅子のトリクリニウムカスル・アル・ビント(娘の宮殿)を抜け、レストランがある地帯を通る。さらっと書いているがかなりの距離。足がガクガクしてきた。昔の人らはこの距離を移動していたのか?途中ロバが器用に階段を登っていくのを見たのできっとロバを使って荷物を運んだりもしたのだろう。
お腹が空いてきたが、ペトラ遺跡内のレストランはコーラですら相当な高額らしいので持参の水のみで過ごす。

ペトラ教会

少し本道を逸れたところにある教会跡へ。こちらは青の教会。

ペトラ教会。5世紀末に建立されたが地震で崩れたらしい。昨日博物館でみたモザイクタイルはここの床のものだったようだ。

この時点でもう体力をほぼ使い果たしたような状態になったしまった。
旅をするなら若い方がいいというのはこういうことか。なんとしてでも入り口まで戻らないと帰れない。ロバ商人がしきりに「ドンキー?ドンキー?」と話し掛けてくるが、乗っても大幹筋肉を使いそうだし途中までしかいかないので断る。

大神殿列柱道路王家の墓劇場は遠目に見るだけにし、ひたすら入口へ向かう。

エル・ハズネ(宝物殿)

13時。他の人よりかなりのスローぺース、鈍足歩行。1番の見どころエル・ハズネが隙間から見えてきた。

デカい!壮麗な神殿は高さ40m。
しかし動画など見過ぎたせいで、想像通りのインディージョーンズの世界。そこまでの感動はなかった。バックパッカーをスタートさせた20代の時に見たアンコール・ワットは声を失ったものだが・・・やはりこれも感受性が弱くなった年齢のせいなのか。

紀元前1世紀の建築物でやはり岩を彫られて造られている。足場なしでどうやって彫ったのだろうか?どのくらいの建設期間だったのだろうか?
この紀元前には相当な繁栄を誇ったペトラの都も、363年の大地震で壊滅的な被害を受け放棄されたらしい。
1812年にスイスの探検家が地元の人の案内で発見し、今では世界的な観光地として人々を魅了している。あんな入場料でもこれだけの人が来るのだから。観光客の半分は中国人。日本人は全く見なかった。

大きな岩を削って作られていて細かな装飾が入っている。しかし装飾の細かさは、何世代にも渡って岩を上から彫っていったインドのエローラ石窟群の方が勝っているか。

シークという通路を通って入口へ向かう。もう足を引きずるように歩いていた。
明日も歩けるかな。。。この体力だと犠牲祭壇以外全部見たし1日券でも良かったのかも。。。

The Cave Bar

14時半に入り口に戻ってきた。朝8時半にここに来たので6時間ほぼ歩きっぱなし。

出口にケイブ・バーというペトラビールが飲めるレストランがあるのでチェックしていた。
ここに入るのをひたすら楽しみにして、ペトラ遺跡の中ではレストランに入らなかったのだ。
15時のオープンと同時に入店。洞窟の中にいるようでなかなかおしゃれ。

久々の生ビール!!
やりきったという達成感と共に飲むビールは美味かった。勝利の美酒という感じ。
ビールもハンバーガーもサービス代込みだと1700円という驚愕金額だったが満足感の方が高い。
ハンバーガーは日本のハード・ロック・カフェにあるような肉汁たっぷりのものでかなり美味しかった。


次の日もペトラ遺跡へ。行こうか迷ったが、2日券を購入しているのでガクガクの足を引きずって8時にまた入口に来た。今日は正規のルートで昨日じっくり見なかった王家の墓あたりを周ろうと思う。

入ってすぐのDjinnブロック。入口で貰う解説書がなぜかここだけ韓国語なので読めない。ヨルダン人の仕事って・・・

エル・ハズネは11時頃が1番日が当たる

入口から歩いて30分でメインのエル・ハズネに到着。
人がいない写真を撮りたかったが、中国人団体客がずっとラクダに乗ったりした写真を撮っていてなかなかいい写真が撮れない。いなくなるのを待っていたら1時間以上経っていた。

10時を過ぎると太陽の光がエル・ハズネに当たり、昨日とは全く違う表情に見えたので待たされてかえって良かったかもしれない。

王家の墓

王家の墓群へ急な階段を登ってやってきた。中は地元の人が住んでいるような跡が??
こんな空間がいくつも並んでいるが本当に墓だったのかどうかは不明らしい。

ここでホステルで作って持って来たおにぎりを食べながら、絶景を楽しんだ。
ここまで登ってくるのは大変だからか人の気配はほとんどない。

大神殿

降りて紀元前1世紀の大神殿跡へ。ここも急な階段を登らないといけないからか全く人がいない。
この神殿でAmazonでダウンロードしておいた本を読んで過ごした。贅沢な時間の使い方だ。

盗まれたユニクロライトダウン

16時にホステルに戻ってひと眠り。昨晩ベッドの上に置いていたユニクロウルトラライトダウンがテラスに行っている間に紛失していて、ホテルやレストランの人に聞いてもどうしても見つからない。盗まれたようだ。
観光に行くでもなく、昼間から部屋を真っ暗にしてずっと向かいのベッドで本を読んでいた男性がいたが、部屋で一人きりになれた人物は彼しかいないので彼が盗んでいったのだろう。貴重品やガジェット類だけはトイレに行くときでもスーツケースに入れて鍵をかけていたが、まさか上着を盗むなんて・・・

もう1枚トルコでジャケットを購入していて助かった。まああんな小さくパッキング出来る上着は外人も欲しいだろうな。

Alrobian Fish & More Restaurant

夜はホステルの近くにある口コミ5.0という魚料理のお店に来てみた。ケバブはもう飽きたのだ。
これらも全部で1700円という観光価格だった、口コミ通りのかなりの美味しさで満足。

ペトラ在住のRyoさんにはワディラム砂漠ツアーが感動したとかなり勧められたが、ネットで景色を見た感じ、南米のウユニ~アタカマで見た2泊3日の絶景の方が彩り豊かで上回っている気がしたのでやめた。死海には行ってみたかったが、またアンマンまで戻るのも面倒になり、明日はエジプト行きのフェリーが出るアカバまで移動する。

【死海への行き方】
JETTバスのHPからアンマン⇔死海への経路のバスは予約できないが、当日オフィスに行けばチケットが買える。朝8時半出発、戻りは夕方。
死海ではプライベートビーチのあるホテルを入場料とシャワーセットで5千円位で予約するか、公共ビーチに無料で入るかになる。「公共ビーチはコロナ以降閉鎖中」とネットにあるが「現在は入れた。ただしシャワーも着替え場所もないので女性にはキツイ。」と情報をもらった。

ヨルダンのアンマン観光。ペトラへ移動してペトラ考古学博物館へ(2024.1.6~7)

2024.1.6(土)1ドル≒209ヨルダンディナール

ヨルダンの首都アンマンでほぼ貸し切り状態だった高級ドミをチェックアウトし、そこから徒歩1分の最安値ドミへ移動。

ファラー ホテル

12時にThe Cabin Hostelをチェックアウト。このホテルに来てみたら14時からしかチェックインできないと言う。昨日はやはり早朝からチェックインさせてくれたThe Cabin Hostelにしていて良かった。1泊4.9JOD(999円)

このホテルはツアー・・・というか4名集まればドライバーを手配してくれるサービスを行ってくれている。ロビーの掲示板に行きたいツアーに名前を書き、3~4名集まると手配してくれる。
だが私が行きたい死海が含まれるツアーには誰も申し込みをしていない。1人で死海に行くにはどうしたらいいのか調べないと。

Amman Citadel(アンマン城塞)

チェックインは後にして、ホテルの裏にあるアンマンシタデル(城塞)へ来てみた。
地図だと直ぐ裏手だが、かなり急な坂を迂回して登る。途中の道では砂漠色の建物ばかりのアンマンが一望できた。

カテドラルの中への入場料は約600円。外からペルセポリスで見たような遺跡群がもう見えたので入らなかった。
ヨルダン人の入場料はたった50円。だが、ゲートを通らず横の塀を登って入り込んでいる若い男の子たちもたくさんいた。

反対側の道を下って行く。壁画アートを見るとコロンビアを思い出す。初めての南米入国は恐怖心と相まって印象深かった。

地元のモスクもある。イスタンブールのものに比べるとずいぶん地味だ。

ローマ劇場

I(。・ω・。)ノ♡AMMAN。ローマ劇場が見えてきた。

トルコのパムッカレで見たものよりだいぶ規模が小さい。無料で近づけるが、登るには入場料が必要。ここももう見えているので入らず。

野ざらしの遺跡。保護しなくていいのだろうか。

宿の近くのフセインモスクまで降りて来た。

周辺のバザールを歩き回ったが道がゴミだらけ。魚を洗った水なども散乱していて旧市街のアンマンはかなり汚い。

お腹が空いてきたのでラズベリージュースとファラエルサンド(ヒヨコ豆のコロッケを潰して入れたもの)を買って食べてみた。どちらも味のクオリティは低いが、100円位なのでレストランよりはだいぶ安い。
ヨルダンは思っていたより物価が高いので節約しないと。

ファラー ホテルにチェックイン

宿に戻ってチェックイン、女性専用4人部屋。
千円以下という安さだけあって水回りはかなり古かった。
女性専用部屋はこの部屋のみなので、昨日Uberシェアした韓国人の女の子がいた。彼女は死海へは行かず、明日ペトラ遺跡へバスで行きその後エジプト迄フェリーで行くと言う。ペトラまで一緒に行くとまたUberシェア出来るので私も明日ペトラに行くことにした。死海へはまたアンマンに戻って来てから行けばいいだろう。
(この時点では、私はペトラ遺跡に行った後アンマンに戻ってきて、飛行機でエジプトに飛ぶつもりだったが大きく計画を変えることになる。)

もう一人のシェアメイトは長期滞在者のインド人の女の子。
会話するでもないのに、私がベッドに座っていると正面のベンチの真正面の位置に座ってじっとこっちを見つめてくる。日本人なら正面の位置から外れて座ると思うのだが。。。不思議な感覚だ。
後から宿で会った日本人に「インドは人口密度が高過ぎるからパーソナル空間が小さいんじゃないですか。」と言われ納得。

彼女は私と韓国人の子が喋っていても、急に全然違う話題で会話に割り込んでくる。私の上のベッドで平気で人の顔の横に足を置いてきたり、飲みかけのドリンクが入ったコップを何個も共用部分の床に置くのもインドの文化なのだろうか??

ホテルの階段をを歩いていると、3週間前にイランの宿で会ったTくんに会った。彼はイランの後はイラクを旅していて陸路で昨日ヨルダンに入って来たという。 危なくなかったのか聞いたら全くそんなことはなく、楽しく地元の人らと交流しながら陸路移動していたらしい。私より20歳以上も年下なのに凄い人もいるもんだ。

イランの宿で会った時、無精者の私は彼と連絡先を交換しなかった。
だが、正月のホルムズ島で宿が3時間見つからなかった経験を踏まえ猛省していたので、今回は彼の夕食の誘いに乗り、ちゃんと出会う人らと旅の情報交換をすることにした。実際イランで一緒だったMちゃんは、彼にケシュム島の宿情報を貰ってそこに宿泊していた。コロナ禍以降のネット情報は少な過ぎるし、金額も時間もコロコロ変わる。リアルタイムの旅人からの情報が本当に大切だ。
彼に「同室の韓国人の子がエジプトまで飛行機でなく、船で行くと言っているのが興味がある。」と話すと「僕もそのルートで行くつもりです。」と言う。ならばもし日程が合えばタクシーシェア出来るし安全なので一緒に行こうと約束。


次の日。朝5時半起床。

宿の外は真っ暗。

Jettバスでアンマンからペトラへ移動

JETT Bus Station, Abdali

バスはJettバスという会社のオフィスから出ていて朝6時半の1日1本。片道10JOD。
韓国人の子と一緒にUberで行った。

チケットは昨日の昼間にJettバスのHPからネット予約しておいた。
「日本のクレカがはねられてネット予約出来ない。」との情報も見たが、メキシコでの予約でも強かったJALカードだと1発で予約出来た。
韓国人の子は自分のカードがはねられて決済出来ていなかったことに気付いておらず、窓口で「予約ないよ。」と言われ焦っていた。だが、5席だけ残っていたので当日券で無事乗れた。

だんだん夜が明けてきた。バスは座席が広く快適そのもの。

途中一度だけ休憩。砂漠地域の早朝は寒い。
寒過ぎてホットコーヒーが飲みたくなり、この土産屋でコーヒーとミニクッキーを購入した。レシートを見たら驚異4JOD(820円)。しかもクレカで払うと勝手に店員に日本円建て決済のボタンを押され、更に手数料を取られていた。くたばればいいのに金額は聞いてから購入しないと。

ペトラの町に到着

10時半、バスはペトラ遺跡の入口に到着。バスを降りた人らはこの横のホテルに予約を取っているか?日帰り訪問ですぐペトラ突撃なのか?散り散りに消えていった。

私と韓国人の彼女だけが重い荷物を背負い、急な坂を30分登りペトラの町の安宿街へ向かう。

Rafiki Hostel(ホテル)

韓国人の子はまたも最安値のドミ(バレンタイン・イン)へ行ったが、私はBooking.comの口コミを吟味し、もう少し清潔そうなこのホステルを予約した。
男女混合ドミトリー1泊5.5JOD(1,100円)

フロントにはここから各地への行き方と金額も記載されていて親切だ。

11時。やはり14時~しかチェックイン出来ないとのこと。
ペトラ遺跡へはオープンの7時から入場した方が人の少ない写真が撮れるとネットで見たので、ペトラ遺跡の観光は明日にすることにする。というより、この5時半起きの眠い状態で観光をしても楽しめないだろう。

チェックイン時間までは最上階のベンチで昼寝。

13時半にチェックイン。

ペトラの町は小さいくここしか栄えていない。ショッピングモールもない。たまたまSNSで「ペトラ在住」という男性が、リアルタイムでペトラでの日々を発信していたので連絡を取ってみた。情報が貴重ということを実感した私は即行動に移すタイプなのだ。

彼は今アンマンの死海に居るらしいので、夜にペトラに戻って来た時に一緒にお茶をしてくれると連絡が来た。返信も早いし、当日いきなり連絡が来た私に会ってくれるなんて好感の持てる男性だ。

ペトラ考古学博物館

シャワーを浴びたらすっかり夕方になってしまった。ペトラ遺跡の入口にある無料の博物館へ行ってみることにする。ホテルから30分の距離が地味に辛い。

おしゃれな近代的なデザイン。入場無料。20時半までオープンしている。

日本のJICAの協力の元、2018年にオープンした博物館。日本の国費で建てられているのだから遠慮なく無料で入ることにする。
ヨルダンは観光以外に主要産業がなく、その観光も世界遺産のペトラ遺跡が頼みの綱らしい。
人々の生活は苦しく、どうやら物価が高い=裕福な国という訳ではないようだ。

取り敢えず中に入ってみたが・・・うーん。それほど興味を引く展示はなかった。
綺麗過ぎなので、説明文を増やすとかもう少し工夫があった方がいいかも知れない。

床のモザイクタイルの復元。細かい作業だなぁ。

19時半に死海からローカルバスで帰って来たRYOさんと会って色々話を聞いた。
物腰も柔らかく、温厚そのものといった人柄の若い男性。
私なら3日で飽きてしまいそうなこのペトラの町に1年半も住んでいて、広報活動のために尽力していて感心する。

彼と会えたお陰で、ヨルダンがどういう国なのか、ペトラ遺跡のお勧めの周り方、死海とワディラム砂漠はどちらがお勧めかなどの情報を得ることが出来た。

RYOさんに感謝の意を伝え、ホテルに戻ってインスタントラーメンをすすりながら最上からの夜景を堪能する。窓枠やコーナー部分の淵がないお陰でまるでタワマンの上の階にいるような美しい夜景だ。

宿のわんこ。オーナーは親切だしこの宿は当たりだった。
明日はいよいよ、世界一入場料が高い世界遺産、ペトラ遺跡を訪問する。

イランからヨルダンへ飛ぶ、ヒジャブを取れる開放感(2024.1.4~5)

2024.1.4(木)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート),1ドル≒209ヨルダンディナール

フェリーでのドバイ行き断念。飛行機でイラン→トルコ→ヨルダンへと飛ぶことに。カスピアン航空で1度トルコに飛んだ方が安かったので。

テヘランのエマーム・ホメイニー国際空港

朝6時。テヘランの街中からイマームホメイニー空港へ向かう。イラン入国時は地下鉄で移動したが、始発は6時半かららしいのでSnapp!タクシーで移動、200IRR。

早朝過ぎてタクシーがつかまるまで10分以上費やし焦る。
タクシー運転手が英語を話せたので移動の1時間会話したが、やはり「イランの政治家が悪過ぎる、昔の方が良かった、生活が苦しい。」という内容だった。

7時、空港に到着。出発は9時。
バンデラの旅行会社でドバイ行きのフェリー1.1万がキャンセルになってしまったので、同価格のカスピアン航空というイランの航空会社の便を予約してもらった。
昨夜ネットからチェックインしようとしたが、HPがペルシャ語オンリー。どこまで独自路線なんだ。英語が選べない為、どこをクリックしていいか分からずチェックイン出来なかった。

出発2時間を切っているので、早くチェックインして荷物を預けたいが航空会社のカウンターが見つからない。なんとセキュリティチェックが先で、その向こう側に航空カウンターがあるという他の国とは逆の謎仕様だった。

セキュリティを抜け、チェックインカウンターへ行くと上司っぽい男性職員出て来て長々と私のパスポートをチェックし、どこかへ電話をかけている。
トルコはトランジットのみでヨルダンへ行くこと、ヨルダンは日本人はビザ不要であることを説明し、ヨルダン行きの航空券を見せやっと開放される。

その直後に受けた出国検査でなんと係員に「お前のパスポート、1ページ目が半分破れてるぞ。」と指摘を受ける。

は?!なんで??

チェックイン後2分も経っていないので、考えられるのはさっきのカウンターでスキャンした時か、ページをめくられた時に破れたとしか思えないが、証拠もなくあとの祭り。

この後、この半分破れたパスポートでトルコトランジット、ヨルダン、エジプトへ入国出来るだろうか?不安過ぎる。
ネットで調べるとパスポートを再発行(1.6万)しないといけないと出てきたのが、ブルーな気分に更に追い打ちをかける。

イランの空港にはプライオリティパスのラウンジはない

空港でプライオリティパスを使ってラウンジに入るのを凄く楽しみにしていたが、クレジットカードが使えないイランで、プライオリティパスの存在など誰に聞いても知るはずもなかった。
そりゃそうだな、私はあほか。あるのはビジネスクラスラウンジのみ。

空港内に2軒しかないお店で余ったイランリアルを使い切ろうとしたが、ヒジャブを被った女性店員等に「現金は使えない」「ジュースのみの購入は駄目」など冷たく言われ途方に暮れる。英語とペルシャ語を話せる男性客が助けてくれ、彼を連れて行くと現金が使えた。
イランは街中の人らはフレンドリーなのに、なぜか空港職員らは無表情で冷たい。

とうとうイラン出国。日本を出発する時はまさか自分がイランに行くなんて夢にも思わなかった。
旅先で出会った人からの影響は大きく、不思議な縁や力を感じる。

飛行機の中で、やっと外出時にずっと頭に被っていたスカーフ(ヒジャブ)を取った。イランを出たんだなと実感する。

カスピアン航空は機内食が出るようだ。スカイスキャナーの検索に出て来ないこの航空会社を使ったことがある日本人はほとんどいないだろう。

イランのテヘラン→トルコのアンカラ→アンタルヤ(トランジット)

懐かしのアンカラに到着。
1度来ているし、空港から市内まで距離があるのでこのままアンタルヤを経由してヨルダンへ飛ぶチケットを購入している。正月料金なので2.3万。

クレカが使える便利さ、ラウンジでお酒が飲める有り難さをしみじみ噛みしめる。25日ぶりのビールは苦かった。

20時発の飛行機に乗り込む。
アンカラからアンタルヤに飛んでからヨルダンへ。テヘランから直接アンタルヤに飛んだら良かったかな。ドバイ行きのフェリーキャンセル代で返金されたイランリアルの現金消化の為に、2回も乗り換えのハードスケジュールになってしまった。

ヨルダンのクィーン・アリア国際空港到着

夜中3時にヨルダンのクィーン・アリア国際空港到着。朝まで空港で寝るのももう慣れたもの。しかしここは手すり付きベンチオンリーなので横になって寝れない。

ATMでキャッシングできる喜びも1ヶ月ぶりに噛みしめる。
取り敢えず1万円分、50ディナール(JOD)分下ろしてみた。お札の枚数もゼロの数も少な過ぎて驚いた。これは・・・ヨルダンは物価の高い国なのか??元々ドバイに飛ぶつもりだったので下調べゼロ。

ヨルダンは楽天SIMを使えたが、空港のwi-fiが無料だったので助かった。トルコの空港は無料Wi-Fiは1時間だけだったので。
朝7時にここから市内までのバスが出ているらしい。チケットオフィスは空港から出て直ぐの外のこの小さい小屋。

空港から市内(7th Circle)まで3.3ディナール。イランよりは英語がまだ通じるが相変わらずチケットは何を書いているか分からない。ついついドルで計算してしまい安!っと思ったが、1ディナールは210円なので700円近い。この後もずっとドル換算のクセが抜けず、ヨルダンディナールの罠にはまる。

空港バス到着地点

空港から45分。ただの道路上で降ろされる。乗客はほとんどいなかった。
ここからホテルのあるエリアまでタクシーで移動しないといけない。降りると直ぐタクシーの客引きが寄ってきたが、同じバスに乗ってた韓国人のひとり旅の女の子と目的地が近かったので一緒にUberをシェアすることにした。1人1JOD。

The Cabin Hostel

空港で待機中に、旧市街にある口コミ評価の高いドミを予約したが、8.2JODで1700円以上もした。やはりドルで計算してしまっている。高いので明日からは韓国人の子が宿泊している最安値のドミへ移ることにする。

しかし金額だけのことはあり、かなり綺麗で早朝でもチェックインさせてくれたのが有り難い。ほぼ徹夜状態なので有り難く眠りにつく。

アンマンの旧市街を散策

目が覚め、シャワーを浴び外出。イランの寝台列車から殆どゆっくり出来ていないのでかなり疲れているようだ。

AlQuds Restaurant

近所に有名なヨルダン料理のレストランがあるようなので行ってみる。

マンサフという羊肉のヨーグルトの煮込み。お米がついているのがありがたい。
7.5JODと高かったこともあり、かなり美味しかった。本音を言えば塩と醤油で食べたかったけど。。。

夜の町を散歩。まだヨルダンの首都アンマンがどういう町なのかよくわからない。イスラム教の国なので女性はやはり皆ヒジャブを被っている。イランの若い女性はおしゃれなスカーフをふんわり被る感じにしている人が多かったのに対し、ヨルダンではぴっちり顔にフィットしたものを着用していて全く髪の毛が見えないようになっている。

ヨルダンには死海とペトラ遺跡が目的で来たのだが、アンマンには何があるのだろう。明日ゆっくり探索してみることにする。

バンダレアッパーズからドバイ行きの船が出ない。寝台列車でテヘランに戻る(2024.1.2〜3)

2024.1.2(火)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

最悪の年末年始を迎えた後、本日はいよいよイランからドバイへ。

ドバイ行きフェリーターミナル

ドバイ行きのフェリーターミナルは市内から少し離れているのでSnapp!タクシーで移動。
出航は朝の10時だが、旅行会社のお姉さんに2~3時間前に行くように言われていたので8時に到着。

フェリーターミナルの入口でタクシーごと警察に止められた。チケットを見せろと言うので見せたら
「今日は欠航だぞ?」と。は?
心配してくれたタクシーの運ちゃんとフェリーターミナルの中へ。見事に誰もいない。
ペルシャ語の受付の男性の言葉を翻訳してくれる運ちゃん。
今日は波が荒くて船は出ない、来週も満席だから次に乗れるのは2週間後。チケットを購入した旅行会社へ行って払い戻ししてもらえだって( ;∀;)

運ちゃんにお礼を言って別れる。
チケットは昨年HさんMさんと一緒に旅行会社で購入したので同じ出発時刻。彼女らに連絡してみる。
「ごめーん、みきぷさんとっくに別の場所に移動してると思ってて。31日にキャンセルの電話を旅行会社からもらってたのよ。」と慌てて折り返しの電話がかかってきた。
旅行会社は3人一緒にいると思っているからHさんにしか電話しなかったよう。一瞬、2人とも私が他に移動してると思ってても念のため欠航の連絡をくれてもいいのに・・・とは思ったが、彼女らと密に連絡を取っていなかった自分が悪い。無精者って駄目だな。

その後はしきりに謝る彼女らと旅行会社で合流し、チケットを払い戻し。
1万円分のイランリアルを返してもらっても使い切れないので、ほぼ同額で私はここからテヘランまでの寝台列車と安かったのでテヘラン→トルコのアンカラまでの航空券を手配してもらった。
ドバイへ行くつもりがトルコ行きになってしまった。今回の目的地は残りヨルダンとエジプトだけなのでなるべくヨルダンに近づこうと思って。
そして1度イランで寝台列車に乗ってみたかったのでまあ良かった。バンデラ・アッパーズからなら当日の便が取れた。出発は15時半。

その後3人で近所のモスクを見学したり。。。

最後の食事。3人だと色んなものを食べれて良い。

Hさんはまだイランにいるそう。私とMさんは一緒に寝台列車でテヘランへ向かうのでスーパーで買い出し。大福みたいなものが売っていたが色が凄い。

バンデラ・アッパーズからテヘランまで鉄道で移動

15時過ぎ、MさんとSnapp!でバンデラ・アッパーズの鉄道駅へ。

荷物検査の後、駅へ。かなり早めに電車は来た。ここが始発のようだ。

寝台列車。ウズベキスタンのと造りは変わらない。
下の段なので助かった。イラン人女性親子2名と同じ部屋。
最初間違えて隣のコンパートメントに入れられたが、外国人が珍しいらしく何人ものイラン人女性に囲まれてチヤホヤされまくった。

車窓は絶景。20時間も乗るが、揺れないし足は延ばせるしトイレもついてるしで快適そのもの。

同じ部屋のイラン人親子はヤズドで降りたのでそこからは貸し切りになってしまった。Mさんは別の車両。最初は紅茶やお菓子が無料で出たが次の日の朝に紅茶を頼んだら有料だった。

12時。テヘラン駅に到着。

イラン入国時に宿泊した最高の宿、HeritageHostgelへ行こうと電話をしてみたがドミトリーがあと1室しか空いていないらしい。中心部でGoogleMapでゲストハウスと記載のあるとこに来てみたがGoogleの表示間違いなのか「宿ではない」とインターホン越しに怒られた。

困ってもう1度HeritageHostgelの予約状況をネットでみたらキャンセルが出たのか2室空いていたので慌てて予約して地下鉄で向かう。テヘランは渋滞しまくりでタクシーだと全然動かなかった。

2週間前は1泊7€だったのに今は10€にも値上がりしていた。
明日の早朝、トルコのアンカラへ。1度行っているのでもう降りたくないのでその日中にその空港からヨルダンへ行く航空券を取った。
明日は空港泊で飛行機3便乗り継ぎというキツイ旅程になる。

イラン人は親切でフレンドリーな人ばかりだったし治安も良くて一気にイランのイメージが覆った。いい国だと思った。諸外国と仲が悪いのが政府の政策(核兵器製作など)のせいなのが残念でならない。
お酒が飲めてヒジャブを被らなくて済むなら、物価が安過ぎてずっといれる自然豊かで美しい建築物でいっぱいの歴史の深い国である。

しかしビザは1ヶ月で切れるし、外国人はATMもクレカも使えないので手持ちの現金が切れる前にイランを出なくては。

明日、長かったイラン旅を終えてこの国を出る。

イランのただの路上で降ろされ最悪の年明けに。また宿がみつからない(2023.12.31~2024.1.1)

2023.12.31(日)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

本日はバムからバンダレアッパーズに戻る日。
イランのバンダレからドバイへのフェリーチケットは1月2日だが、ギリギリ前日1日に戻るのは不安なので31日の今日、バンダレに戻ることにする。

アクバルゲストハウス

宿代1泊10ドルを支払い、12時頃チェックアウトしようとするとアクバルおじいちゃんが
「こんな時間にどこに行くんだ?」と言う。

「午後にバスが通ると言ってたから、今からバスステーションに行ってバスを待つんだよ。」
「バスは15時~16時位の間に通るぞ。14時に車で送ってあげるからここで待ってなさい。」

と言われた。庭になっているオレンジも沢山くれた。おじいちゃんは頼もしい。日本人はもうほとんどここには来ないと言い少し寂しそうだった。

バムのバスステーション

14時過ぎにアクバルおじいちゃんが送ってくれた場所は、バムに来た時に降ろされたラウンドアバウト(円形環状交差点)だった。

バスターミナルからは少し離れた場所。
アクバルおじいちゃんはここの周囲の人らに私がバンデラ・アッパーズ迄行くことを知らせ「バスが来たらこの人たちが停めて呼んでくれるから大丈夫、この建物で待ってなさい。」と言ってくれた。
おじいちゃん、ありがとう。おじいちゃんの顔を忘れないように一緒に写真を撮った。

中で待っていたらお腹が空いてきたので隣のボロボロの売店でコーラとお菓子を購入。今日の食事はこれとオレンジのみ。
これでバス代とバンデラ・アッパーズに到着してからのタクシー代を残して、イランリアルは使い果たしてしまった。これも全て金曜日に全ての両替屋が閉まっていたせい。バムに来てから1度もレストランなどに入っていない。だいぶ痩せたような気がする。

バムからバンデラ・アッパーズへ移動

15時半にバスがやってきた。バスステーションでバスを停めてくれる役の人はちゃんと親切に呼びに来てくれた。乗客は今回は女性と子供のグループが3組乗っていたので少し安心。そして今回もバスはパキスタンからやって来たバスのようで、運転手と数人の給仕の人らは全てパキスタン人。こいつらがたちが悪かった。

バスに私のスーツケースを積み込もうとする時、油性マジックで直接何か数字を書こうとする。

「ちょっ直接書かないでよっタグか何かないの?」
「番号書かないといけないんだよ、ならこの黒い所に書くわ。」
「黒いとこに書いても見えないでしょうが!というか、油性ペンで直接書くな(-_-メ)」

という押し問答を繰り返し、私がノリ付き付箋を取り出してスーツケースに張り付けてやっとそこに番号を書いてくれた。これからも何か国か移動するのにその度にマジックで番号を書かれたら番号だらけになってしまう。一体人の荷物を何だと思っているんだ。

15時半に出発し行きと同じ時間かかるなら23時にバンデラ・アッパーズへ着けるだろう。
そう思ったがバスは走り出してすぐ経路をそれ、しばらく走って寂しい何もない廃墟に到着。
毎回ここに到着するるのか、このノラ犬たちも凄く懐いている。

ここで前後のガソリンの給水口にホースを差してずっと何かしている。待ち時間が長く退屈なのでバスから降りてその写真を撮ろうとしたら凄く怒られた。最初はガソリンを給油しているのかと思ったが、逆で抜いているようだ。この正面からの写真も撮ったら「消せ、もういいからお前は中に入っていろ」とかなり焦っている。

どうやら凄く悪いことをしているようだ。バス会社のお金で給油したガソリンをここで抜いて、それを別の場所で売りさばいてでもいるのだろうか。

ガソリン抜きでだいぶ時間をくっているのでさっさと進んで欲しいのだが、17時ピッタリになると急に砂漠の真ん中でバスは停まり、悪い奴らは降りてお祈りをし出した。

仏教の教えに沿って言えば、あんな悪いことをした後に神に祈っているのが滑稽に思えてならない。どれだけ祈ろうが地獄行き決定なのだが。。。
イスラム教の教えだと、どれだけ悪行を尽くしても神に祈りさえすれば天国に行けるのだろうか。

この後、給仕の人が私のバス代を回収に来たが行きは130万リアルだったのに200万リアル(600円)取られた。治安の良くないエリアだし、悪人数人どもに反論して機嫌をそこねても嫌だったので大人しく支払った。

(この後、バムと同じケルマーン州で1月3日に爆破事件が起こってしまう。)

帰りもバンデラ・アッパーズの町が近づいてきたかと思ったら道をそれて寂しい村の中に入り、廃墟でまた給仕の男性らがガソリンを抜いて床の大きな穴に入れている。そして何か別の液体と混ぜ出した。ここは彼らのアジトの製油所だろうか??同乗の女性家族らは慣れているのか終始無言で作業が終わるのを待っている。

バスにはまた別の液体を入れている。純粋なガソリンじゃないのかずっとバスの中はオイル臭かった。日本だったら警察に通報するのだがここでは何も出来ない。

これらの悪事と思われる作業を終え、バスが元の経路に戻った時点で0時を回ってしまった。

ハッピーニューイヤー2024!!

イランのバスの中で悪徳パキスタン人らと迎える最悪のカウントダウンだ。
イランはペルシャ暦で動いているので今ここは12月31日ではないのだが。
そして私からチケット代をぼったくった給仕係が、家族の写真を見せながらGoogle翻訳を使って話し掛けてくる。

給仕「今から僕の家族がパーティをするからお前は来ないといけない。」

なんで上から目線やねん!!しばくで、パキスタン人(; ・`д・´)
こういう場合、現地の人とコミュニケーションが取れて楽しい場合もあるかもだが、こいつはガソリン搾取野郎で信用できないので絶対行かない。
・行く前に襲われる
・行ってから「ペルシャ絨毯を日本に運んでくれないか。」と持ち掛けられる
のどちらかが関の山だろう。

バンデラ・アッパーズのバス停に辿り着く前に女性家族客らは自分たちの村辺りで降りてしまった。
結局給仕のホームパーティの誘いを断ると、終点まで行くのが面倒になったのか、乗客が私だけになったタイミングで「ここからはタクシーで行け。」と
何もない交差点でと降ろされた。
「バスターミナルまで行かないのか?」とGoogle翻訳で話すが返ってきた返事はこれ。

知ってるわ!!
絶対こんな交差点が終点ではないだろう。イラン人の親切さの欠片もないパキスタン人。深夜に外国人女性ひとりをこんなところで降ろせる神経が信じられない。くたばればいいのに。

元旦のバンダレ・アッパーズは宿がない

そこからSnapp!タクシーを呼んだが、呼んだタクシーが近づいてきたタイミングでニセのタクシーが停まり、私が「エスナップ??」と聞くと「そうだ。」と言う。信じ込んで乗り込んだらただの白タクで、本物のSnapp!タクシーなら目的地がアプリで分かるはずなのに運転しながら執拗に目的地を聞いてくる。全く英語が話せない人なので「港へ行ってくれ。」と言ってるのに通じず、紙に鉛筆でペルシャ語で「目的地は?」と書いてきた。聞いて分からない言葉を文字で書かれても分かるかい!なぜイラン人はペルシャ文字が外国人に読めると思っているのか??この時点で「エスナップちゃうやんっ」と言って怒って降りた。

もう一度タクシーを呼んだらちゃんと来てくれ、目星を付けていたホテルの前で降ろしてくれたが入口が閉まっていた。もう0時を回っているのでフロントの人も寝ているようだ。それもこれもこんな時間に到着したのは全てパキスタン人バスがガソリンを抜きに2回道から逸れたせい。

元々宿泊していたKawserホテルも満室。その通りにあるホテルも全て満室。見ると車が沢山停まっていて地方からここの海辺に来た宿泊客だらけのようだ。カウントダウンパーティでもあったのだろうか。

一人で深夜1時、スーツケースをガラガラ引いて歩いているとヤズドから来たという男性が心配そうに声を掛けてくれ「この街を独りで歩いていると危険だ。」と一緒にホテルを探してくれた。

結局10軒以上ホテルを周ったが空き室は見つからず「海辺で野宿するよ。」と言ったのだがヤズドの男性が「絶対だめ」と許してくれなかった。
2時間以上歩き回り、深夜3時になったので唯一見つかったGoogleMapで評判最悪の大規模ホテルのスイートルームに泊まることにした。値切ったがベッドが3台ある5000円以上するこのスイートルームしか空いていなかった。
疲労困憊。皆がカウントダウンで盛り上がっている中、海外旅行中にこんな悲惨な正月を迎えた人は他にいるのだろうか。

最悪な2024年の幕開けになった。


最悪のホテル

朝食付きだったのでほとんど寝ていないが8時に目覚ましをかけ朝食会場へ。

イランのヘラべったいパンが洋服入れのようなケースに入っていて食色が失せる。

いつもと同じメニュー。少しでも5千円の元を取ろうとお腹いっぱい食べた。

手持ちのイランリアルは昨夜全て使い切ってしまったので、両替屋へ。
やはり元旦は関係なく全ての店が開いている。テヘランと同じ1$=490万IRRで両替してもらい、チェックアウト時にホテルの真っ黒なチャドルを身にまとったフロントの女性に払ったら怒ったようにパスポートを投げて渡され、私が荷物を置いていた場所に消臭スプレーを大量に掛けられた。
外国人観光客への嫌悪感なのかアジア人差別なのか、チェックイン時間を過ぎていたから怒っているのか分からないが、イランに入って友好的な人ばかりだったので驚いた。

ムカついたのでホテルの口コミにくそレビューをしておいた

再びKawserホテルへ

再び以前宿泊していたKawserホテルに戻ってきた。昨日ホテルを探し回ったところ、バンダレではここの1900円より安いホテルはなさそうだ。
今回は空いていて同じ部屋に通された。さっきのフロントの女性の態度を思えば、私に愛想よく接してくれる従業員もいるし、ここがいいホテルに思えてくる。

ホルムズ島行き失敗

明日の朝にドバイ行きの船に乗るので、今日1日はケシュム島の隣にある小さな島、ホルムズ島へ日帰りで行こうと港のフェリー乗り場に13時半に来てみた。

チケット売り場に人はなく、13時のフェリーの次は17時だった。
ケシュム島はここからフェリーで1時間弱で到着する小さな島。着いたらレンタルバイクで1周しようと思っていたのだが次の17時のフェリーだと到着時は真っ暗だろう。計画が破れてショックだった。
ケシュム島へ行ってみたかった。

Fish Marketへ

ケシュム島は諦めてバンダレのFish Marketがある方へ歩いて行ってみる。

幼稚園かな?

海沿いなので地元のフェーストフード店のようなところで海老とライスを食べてみる。まあ美味しかった。コーラも入れて1000円位。

すぐ横のフィッシュマーケットに行ってみたが、鼻がもげるかと思う位臭かった。
よくみると魚の内臓を道路上でさばいて捨てている。衛生面とか大丈夫なのだろうか。
ここには「仮面の女」が沢山いると聞いていたとおり数人いた。

ケシュム島、行きたかったな・・・
しかし体力的に今日行くのは無理だったかも知れない。昨日数時間しか寝ていない。

中心地へ戻って来た。
ケンタッキーがあるのかとよく見てみたら・・・姑息に真似なんかしないで欧米文化を取り入れたらいいのに。イランの政治事情は複雑だ。

明日はとうとうイランを脱出してドバイへ向かう。

バンダレアッパーズからバムへ、古城アルケ・バムがどうしても見たい(2023.12.29~30)

2023.12.29(金)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

1月2日のドバイ行きの船が出るまで、ここバンダレ・アッパーズで時間を潰すのは何もなくて気が狂いそうなので、ここから北東にある古都バムへ行くことにする。

地震で壊滅したバム遺跡を見てみたい

226年のイランの王朝、ササン朝ペルシアの時代に最初の都市が建設されたと言われているアルゲ・バムは、1722年にアフガニスタンの軍による進行により廃墟。その後もシーラーズの攻撃によって再び町の放棄を余儀なくされたらしい。
アルゲ・バムは日干しレンガに似た、砂や粘土、わらなどの天然建材で建設された最大の遺跡だったのだが、2003年12月26日、マグニチュード6.3の直下型地震によって大きな損傷を受け、4万人もの人が亡くなった。2004年の世界遺産登録と同時に「危機にさらされている世界遺産」にも登録され、現在も修復が続いている。(危機遺産はその後解除)

GoogleMapで見ると5時間半位なので、シーラーズより近いと思うのだが。。。
行き方の情報がネットにほとんどない。バムがあるケルマーン州は現在外務省の海外安全情報で不要不急の渡航中止勧告が出ているせいなのか、それとも2007年に日本人誘拐事件があったのでそのせいなのか。
しかし2019年のブログなどで行っている人がいるにはいるようなので、安全とふんで行くことにする。どうしても砂の古城と迷路のような廃墟の都市を見てみたい。

金曜日はバンダレのお店も両替屋も全滅

手持ちのイランリアルは残り650万(1950円)しかないので、起床してから両替しに街に出てみたが昨日までと様子が違う。町がまるで廃墟のよう。金曜日はイスラム教の国の休日なので全ての店が閉まっているのだ。テヘランからシーラーズ迄の観光地では金曜日でもほとんどのお店が開いていたのでこれは盲点だった。
GoogleMapで表示される全ての両替屋を周り、2軒ホテルのカウンターまで行ったが全滅だった。
困り果てその辺の貴金属屋のお兄さんに両替を頼んでみたら1$=450万という最悪レートだったので断る。まあただの個人が善意で両替してくれるという形なので仕方ない。

Kawserホテルの愛想の悪いフロントに支払いは無理やり1$=480IRRでドル払いでお願いし、朝食兼昼食を数日前に購入したのと同じ路上弁当屋で50万IRR(150円)でナスのスープを購入。ご飯は半分残して夜ご飯用に置いておく。
もしバムにも両替屋がなければ、ここに戻ってくる3日後までなんとか手持ちの650IRR(2000円)で過ごさないといけない。

バンダレ・アッパーズのバスターミナル

両替屋を全て回っていたせいでもう13時。GoogleMapでバスターミナルと記載のある場所にSnapp!タクシーで来た。
宿の人にバスターミナルからバムに行けるか聞いたら「行ける。」とは言うが、英語で質問する度にうっとおしそうに「翻訳機でペルシャ語を使え」とスマホを指差してくるので何時発なのか詳しく聞けなかった。ムカつく宿だが、チェックアウト時間は14時だし個室だしWi-Fiがあるしで、他に選択肢がなく仕方ない。

ここのチケット屋もペルシャ語オンリー。受付のお姉さんは感じが良く「バム行きは15時。」と言ってチケットを発行してくれた。130IRR(390円)。
バスはこれまでのように1時間おきにあるかと思っていたのだが午後はこの1本のみのようだ。もしかしたら1日にこの1本だけかも知れない。

バンダレアッパーズからバムへ移動

10分前に乗り込んだら誰も乗っていなくて凄く不安だったが、15時ちょうどにどこで待機していたのかパキスタン人男性らがワラワラ乗ってきた。なぜパキスタン人だと分かるかというと、前後にエプロンをかけているような服装をしているからだ。どうやらこのバスはバムが終点ではなくパキスタンまで行く国際バスらしい。全員男性で女性は全くいないのが更に不安を煽る。

運転手までパキスタン人だったのだが、これまでのバスと違い一向にスムーズに進まない。
頻繁に停車しては、写真の左のように皆がたばこを吸い出したり、奥の方に行ってスカートのような服装を持ち上げて座ってトイレをし出したりする。
あらあら、おしりが隠れて便利な服装ね~( *´艸`)はあと♪とか思・・・

う訳ないだろういい加減にせえよ、パキスタン人!

とまあ。。。車窓は絶景で楽しめたが、5時間半で着くと思っていたのに何度GPSを見てもバムはかなり遠い。予約サイトに全くバムの宿が載っていないので今夜の宿は予約していない。夜中に着いたらどうしよう。。。

とうとう23時になってしまった。GPSを見たらバムまであと5分の距離なのに、なんとここで全員降ろされてこのレストランで30分休憩を取るという。はぁ?!バムを越えてから休憩せえよっ

23時半にバムの町に到着。ただの円形サークルがある場所に停まり、降りたのは私だけだった。
早速タクシーを呼ぼうとSnapp!アプリを起動させてもこんな田舎で誰もつかまらない。
目星を付けていたホテルまで徒歩20分。トボトボ歩き出すとすぐに親切なイラン人男性の車が横に停まってくれ、ホテルまで無料で送ってくれた。やはりイラン人は困っている人を見ると放っておけないのだろう。

Akbar Tourist Guest House(アクバル ホテル)

予約していないホテルに23時半に着いて入れてくれるか不安だった。
案の定入口は閉まっていたが、ブザーを押すとだいぶ時間が経ってから眠そうな老人がインターホンに出てくれた。オーナーのアクバルおじいちゃんだ。

もう寝ていたようでパジャマだった。
「とにかく部屋でもう休め。話は明日。」とスーツケース2階まで持って上がってくれた。
1泊10ドルで個室。

トイレは相変わらずシーラーズ以降は全てイラン式。おじいちゃんにお礼を言い、7時間半のバス移動の疲労のためすぐ眠りについた。


次の日。
朝起きるとアクバルおじいちゃんがニコニコ顔で固いせんべいのようなものと自家製リンゴジャムを出してくれた。紅茶はイラン式の飲み方だと角砂糖をかじって口に含んでから飲むらしい。虫歯になりそうなので、普通に紅茶に溶かしたが。

「昨夜は遅くに起こして本当にごめん。」と言うと「ホテルのオーナーの仕事として当たり前。」ととても感じがいい。英語講師をしていたそうで英語が堪能だ。「なんであんな遅くに着いたんだ?」と不思議そうだったので私が乗ってきたバスは特別遅かったようだ。

朝食後、シャワーを浴びた後も昼食をくれた。ラム肉だろうか。右下のフルーツは柿のような味がする。凄く美味しかった。手持ちのイランリアルが少ないので食事代が浮いて助かった。

このホテルはちょくちょく先人のブログで見掛け評判が良かったので来てみたのだが、日本人どころか外国人観光客すら見掛けない。私の他は、おじいちゃんの知り合いのイラン人が数人宿泊している感じだ。
しかし外の柱に日本語があるので、何十年も前はここに沢山日本人が来ていたのだろうか。

メインのアルゲ・バム遺跡に行く前にタクシーアプリでバスターミナルに来てみた。
このタクシーが初の若い女性ドライバーだったのだがかなり最悪だった。アプリで私の位置が分かるはずなのに、なぜか待っている場所に一向に来ない。何度もメッセージをやり取りしてやっと会えた。

助手席に2歳位の子供を乗せていて、乗った瞬間からずっと子供を指差しながら後ろを向いて一方的に喋ってくる。もちろん運転しながら。
雰囲気的に「子供の生活費が大変なの。」と言っている感じだ。何となく先が見えてきた。「ペルシャ語で話されても何言ってるか分からないよ。」と何度も伝えるが後ろを向いて喋るのをやめない。運転に集中していないので交差点でギアをバックに入れた時は、後ろの車と危うく衝突しそうになりヒヤっとした。
一方的な会話過ぎ、「分からないから。」と言うと今度は後ろを向きながら親指を中指をこすり出してくる。「金くれ。」の合図だ。

こちらが相手を気に入って最後にチップをあげるのはいいが、乗った瞬間からニヤニヤ笑いながらずっと金くれと言っているのが気に食わなかった。どのみち私の手持ちのIRRはほとんどないのでチップはあげれない。
目的地に着いたらSnapp!アプリに示されたのと全く同じ金額を渡したら案の定凄く文句を言ってきたが無視して降りた。
降りた後、歩いてバスターミナルの建物に入るまでに3回アプリに登録していた電話番号に電話がかかってきた。もうしつこくてホラーだった。

バスターミナルには窓口が2個あるだけで客も全くいなかった。バンデラ行きのバスはここから出ないのだろうか?「明日のバンデラ行きのバスチケットを予約したいです。」とGoogle翻訳で見せると「明日16時にここに来たら教えてあげる。」と言われた。
バスはここが始発ではなく、何時にここを通るか当日の夕方にならないと分からないようだ。チケットの予約は出来なかった。

アルゲ・バム

バムに来た目的、アルゲ・バム遺跡に行くことにする。バスターミナルから遠かったがSnapp!アプリで呼ぶとさっきの女の人が来たら嫌だったので30分歩くことにした。
歩きだしたらまたすぐ親切なイラン人男性の車が停まって無料でバム遺跡まで乗せていってくれた。

男性は「あなたはゲストです。是非僕もバムの中にも一緒に入ります。案内させて下さい。」
とこれまた親切に申し出てくれたが、Google翻訳でしか会話出来ないのが面倒で丁重にお断りして一人で入場した。200IRR(600円)。

観光客は全くおらず、入った瞬間から廃墟をひとりで歩いているという高揚感でわくわくが止まらなかった。これはまるでドラクエに出て来るダンジョンではないか。

砂浜で作ったような城の特大版みたいなものが見えてきた。あれが砂漠の古城バム!
中に鉄骨が入っていないとこれは地震で潰れるだろうなぁという造り。

集会所。この辺りは修復がだいぶ進んでいるようだったが、奥の廃墟とのコントラストが凄い。

城に登って見下ろしてみる。
元々が遺棄された廃墟だったらしいので、どこまでが元の姿でどこまでが地震で潰れたのかよく分からない。バムの町を遺棄した人々は故郷に戻ろうとは思わなかったのだろうか。

登れるところまで来ると正に修復現場。工事現場のイラン人男性3名がいた。
1人は工事監督なのか、座って何もしておらず2人だけが作業している。この広大な敷地に2人工。このペースだと元の姿に戻るのはあと百年ぐらいかかるかもしれない。

現場作業のおっちゃんらに日本人だと言うと「足場を支援してくれた。ありがとう。日本の足場はしっかりしている、イランのは木製。」と感謝された。世界を旅していると日本という国があらゆる国で支援を行っているのを知ることになり日本人として誇らしい。

現場監督のおっちゃんに、工事中のこのてっぺんまで登らないかと提案されたが、また「マネー」と言われたので引き返した。頼めばタダで登らせてくれそうな雰囲気だったがもうマネー攻撃にうんざりしていたので。

下に降りて地震で崩壊した現場を歩いてみる。
今にも私の方に崩れそう。侵入禁止の柵がちゃんとされていないので後から気付いたがここは入ってはいけないエリアだったよう。

1時間以上滞在した。夕日に輝く廃墟バムを見て、やはりここに来て良かったと思えた。
ほぼ貸し切りなのも哀愁が漂っていていい。

歩いてアクバル・ゲストハウスへ戻る。
途中の道はずっと車の整備工場が続きオイル臭く、カフェなどない。
バムは特段楽しめる町ではなさそうだ。明日にはバンデラ・アッパーズへ戻ろう。

20分ほど歩いて宿に戻ってきた。イランの世界地図はイラン中心で日本は切れていて見えない。
アクバルおじいちゃんに「バスターミナルでバスチケット買えなかったんだけど。」と言うと「円形サークルの場所で通るバスを待たないといけない。バスの時刻は午後しか決まっていない。」と言われた。それは難易度高そう・・・

残りのイランリアルが乏し過ぎるので、夜ご飯は近くのスーパーのポテチとレーズンケーキにする。隣の部屋のイラン人のおっちゃんらが大量にみかんをくれたので助かった。これで明日の朝食もいけそう。

砂漠地帯のバムの夜は寒すぎたので、アクバルおじいちゃんに言うとストーブを出してくれた。
明日は悲惨な年末年始を迎えることになるとは想像だにせず就寝した。

イラン、ケシュム島のチャコーキャニオンとスターズ・バレー(2023.12.27~28)

2023.12.27(水)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

一昨日は深夜バスで数時間だけの睡眠、今日も強欲おっちゃんの、余っている部屋の床で寝ただけなので疲れが全く取れていない。
仕方ないがスーツケースを持ったままSnapp!タクシーでケシュム島リフトという町から移動することにする。ケシュム島での今夜のホテルもまだ見つからないのも不安。

チャコー・キャニオン

Snapp!タクシーで来た今度のおっちゃんは信頼出来そうな人だった。
おっちゃんは警察官だが、昨年心臓の手術をしたのと娘が結婚したばかりでお金がかかるので副業でタクシー運転手をやっているそう。

観光客からお金を取ろうとする人はすぐ「他の観光はどうだ?」みたいな話をしてくるが、今回のおっちゃんは日本文化に興味があるようで「日本人の結婚する平均年齢は?ネットで見たが、日本は裕福な国なのになぜ自殺率が高いんだ?」など聞いてくる。悪徳タクシーではなさそうだ。
こちらもイランのことが色々聞けて楽しいのだが、おっちゃんが全く英語が話せないので助手席からGoogle翻訳を使いながらスマホの画面で会話するのはかなり疲れる。私が表示された日本語が一瞬で読めるのに対し、おっちゃんがペルシャ語を読むのは凄く時間が掛かっている。読みにくい記号みたいな文字だもんなぁ・・・

1時間近くタクシーに乗ってチャコー・キャニオンに到着。入口には「仮面の女」がお出迎え。

女性が仮面を付けて生活する文化がケシュム島には残っている。16世紀にイラン南部一帯を占領したポルトガル人から現地の若い女性を守るために、遠目に男性に見えるような口ひげ型の仮面を着けさせたことから始まったらしい。
今もケシュム島や隣のホルムズ島にはこの「仮面の女」がいる。私は昨日フェリー乗り場で見ることが出来た。目の部分はもっと細くしか空いていなかったので視野がかなり狭く歩きにくそうだった。

この仮面はネガーブと呼ばれお土産にもなっている。

さて。ここではネットが繋がらないので帰りのタクシーが呼べそうにない。
Snapp!のおっちゃんに、ここで1時間待機し、東のダルガハンまで追加料金で行ってくれるか聞いたら45分だけなら待てるという。
昨夜歩き回ったリフトの町には全然ホテルがなかったが、ダルガハンならHostel Worldという予約サイトに1軒だけホテルが掲載されていたので泊まれると思ったのだ。しかしネットから予約は出来なかった。

入口で入場料の100万IRR(300円)を払う。
おっちゃんには「ついてこなくていいよ、待ってて。」と言ったのだが、おっちゃんは運転手ということで無料で入場出来たのが嬉しいのか、一緒に中に入って楽しそうに写真を撮りまくっている。

私たちの写真も撮ってくれた。おっちゃんは娘さんにも電話して「ジャポンと一緒にいる。」みたいなことを楽し気に話している。

途中にある解説を読むと、恐らく昨年行ったアメリカのアンテロープキャニオンと同じように、鉄砲水による浸食で出来た地形のようだ。なかなか楽しい。

急ぎ足で45分で往復して入口に戻ってきた。
Mさんは、ここまでヒッチハイクをしながらやってくるHさんと合流し、もう1度ここをゆっくり見学してから2人でカウチソファー宅へ向かるそうなので別れた。狭くて3人は無理らしい。
私は目星を付けていた宿に向かうべくSnapp!おっちゃんにダルガハンまで送ってもらう。

チャコーキャニオンからダルガハンまで1時間。途中油田があった。

おっちゃんの車からはひっきりなしに無線がかかってきていて、焦って車を飛ばしている感じだった。Snapp!に表示された車のナンバーと違う車両だなぁとは思っていたが、恐らく警察の仕事中にバイトしているのだろう、こら。

ダルガハン到着

ダルガハン到着。
おっちゃんがトランクから私のスーツケースを出して渡してくれ、お礼を言って約束の350IRRを渡すと、やはり急いでいたようで猛スピードで町の中へ消えていった。

歩き出して30秒ほどで、車のトランクにスーツケースと一緒に入れていたジャケットを受け取り忘れたことに気付いた。トルコのイスタンブールであまりにも寒いので購入したのだが、ここは真夏のように暑いので脱いだもののスーツケースに入らないので横に置いておいたのである。
慌てておっちゃんの携帯に電話したら出てくれたのだが、こっちは英語、あっちはペルシャ語で全く会話が成り立たない。1つの単語も知らない言語だと、同じことをどれだけ繰り返し言われても、1ミリたりとも理解出来ないんだと英語の有難みをしみじみ感じた。
とにかく私が「トランク!ジャケット!」と言うとおっちゃんは「ジャケット!OK!ジャケット、ダルガハン!スリー!」と言ってくる。何のことか意味がわからないがこの会話の繰り返しなので「OK」と言って電話を切った。恐らく今は用事があって来れないが、3時にダルガハンに来ると言っているのだろう。しかしダルガハンのどこに?!

とにかく3時までは今日泊まれる宿を探すことにする。
ダルガハンで唯一Hostel Worldに掲載されていたホテルに直接行ってみたが閉まっていた。壁にある電話番号にもかけてみるが誰も出ない。

後から聞いたが、コロナ禍中にケシュム島にあったゲストハウスはほぼ全部潰れてしまったらしい。ここもそうだと思うのだが、だったらHostel Worldから掲載を消して欲しい。

とぼとぼと結構な距離を歩いて、GoogleMapでホテルが集まってそうな海沿いのエリアへ戻る。
3軒聞いたが満室と言われた。これまでホテルのフロントは皆英語が通じたがこの島では全く通じなかった。イラン人観光客は多そうだが外国人観光客は来ないのだろうか。

4軒目。高そうだが部屋数が多そうなホテルに行くと最初6000円位の金額を言われ、帰ろうとすると4500円に下がった。しかしバンデラ・アッパーズ同様ここもドル払い&クレカ不可なので泊まれなかった。私はイランリアルを3000円分しか持っていないのだ。これまでのゲストハウスはドル払いOK、しかも千円以下だったので、この物価の安いイランで最後にイランリアルが余らないように少しずつしか両替していなかった。

ホテルを出たらちょうど15時を過ぎていて、Snapp!のおっちゃんからまた電話かかってきた。
「ジャケット!ダルガハン!イラニアル☆◇※‰!OK?」と言ってくれている。別れてから2時間も経っているがダルガハンまで戻って来てくれたのだろうか?それともそんなもん車になかったよと言っているのだろうか。タクシーを降りた場所に戻ろうにもここから結構遠い。何度も同じ会話を繰り返し、お互い理解出来ないままなので「もういいよ、ジャケットあげるよ。こんな暑い地域で要らないと思うけど。」と私は諦め電話を切った。この後寒い地域に行くことになっても、まだ日本から持ってきたウルトラライトダウンがある。

暑さの中、ゲストハウスが見つからなくて途方に暮れてトボトボ大通りを歩いていたら、向かいから来たゴミ清掃車が私に向かってクラクションを鳴らしてくる。

うっとおしいなぁ・・・

すれ違った後、ゴミ清掃はピタリと止まり、なんと。そこからSnapp!のおっちゃんが降りてきた。
おそらく警察車両は仕事終わりに返却しないといけなくて、車を返却した後、地元のゴミ清掃車に乗ってここまで来てくれたのだろう。(イランの終業時間は早い)
走ってジャケットを渡しに来てくれたおっちゃんの優しい笑顔で、宿が見つからなくて凹んでいたのもあり、感激で半泣きになってしまった。思わずおっちゃんに抱きついて感謝の言葉を述べ別れた。やはりイラン人は親切だ。

ケシュム島のケシュムへ移動

バンダレ・アッパーズからフェリーが到着するケシュムエリアならゲストハウスがあるのではないかと、またスーツケースをひきずってSnapp!で移動。

ここでもGoogleMapやMapsMeを見て5軒以上ホテルを訪ねたが、ゲストハウスと名の付くホテルは市営なのかイラン人しか泊まれないと言われ、他のホテルは1万円以上か、年末年始のためイラン人観光客で満室だった。

やっと空いてる部屋を見つけたこのhotel lachin。GoogleMapの口コミは悪いし、ダルガハンのホテルと同じ4500円だったが、もう17時でヘトヘトだったのでここに泊まることにした。オーナーが出てきてくれドル払い(30$)が可能だった。

広いがトイレはイラン式(和式)、部屋は古いし陰気臭い。
ここが日本だとしてもせいぜい2000円レベルのホテルだが仕方ない。久々マットレスに寝れて良かったと言い聞かせる。

少し休んで、近くのショッピングモールへ行ってみた。

1階にツアーデスクが2軒あったので明日の島1周ツアーの値段を聞いてみたら4千円位だった。安い。聞き間違いで単位がトマンだったら4万円だが…本当に単位はドルで答えて欲しいのだがドル払い不可。
そしてほぼ英語が通じないので、この会社と電話で待ち合わせ出来る気がしない。何よりイランリアルを持っていないので申し込めない。つくづくクレカが使えない国は不便である。

海鮮レストラン رستوران شمالی بهشت قشم

夜は少し歩いたとこに行って魚料理を食べた。せっかく島に来ているので。

魚を頼んだら品切れとのことで、お勧めの海老カレー的?タマリンスパイス味を頼んだ。めちゃめちゃ美味しかった。全部で364IRR(1000円位)だがシーフードなのでこんなものだろう。

次の日。ホテルは朝食付きだった。普通のイランの朝食。ここの従業員はオーナー以外英語が全く通じないし、すこぶる愛想が悪い。シーラーズより南はトイレも和式になったしドルは使えないし少し状況が変わってきた。

仮面の女の壁画。歩いていてたまに見かけるが年配の人がほとんど。

後ろ姿を隠し撮り。こんなうっとおしい恰好、若い人はやらないよな。。。

スターズ・バレー

最後の足掻きで2軒他の安そうなホステルを訪ねてみたが、満室だった。もうここに宿泊するのは諦めて島を出よう。

Snap!タクシーを呼んでもう一つの観光地へ。今度は若い真面目そうなお兄さんだった。ここもネットが繋がらないので入口で1時間待機してから帰りも送ってくれるように頼む。

ケシュム島は面白い地形が多く、人が少ないので楽しめた。

途中、こんな崖を登るが、おばあちゃんが周りの人に抱えられながら降りていた。
なぜそんなサンダルで来たし。みたいなイラン人いっぱい。

ゼイトゥーン・パーク

45分で戻って来て今度は海岸まで送ってもらう。帰りはお兄さんともGoogle翻訳で会話が弾む。相手が聞いてくるので聞き返したら35歳独身だと言う。それにしてもイラン人は初対面でも直ぐに年齢と結婚、子供の有無を聞いてくる。

「お互い独身なので問題ありません。一緒に今夜僕のバンデラの家に帰りましょう。」としつこかったが断り車を降りる。私の方がかなり年上なのに、取り敢えずはなんでもいいのか?!帰りのタクシー代は「あなたはゲストだから。」と受け取らなかった。
イラン人は30代だと殆どの人が結婚しているようだが、なぜ彼はいい人っぽいのに独身なんだろう?収入が低いと結婚出来ないとは聞いたが…

ビーチでケバブとコーラでゆっくり過ごす。海は綺麗じゃなかったので泳がなくてもいい。

17時。そのままホテルに戻って荷物をピックアップし、Snap!を呼んで港からフェリーでバンデラ・アッパーズに帰ることにした。

イスラム教の女性って気が弱いかと思っていたが、チケットを買う時バンバン順番抜かしをされ、なかなか気が強い。船は満席になったら出発だが直ぐに満席になった。

バンデラ・アッパーズへ戻る

好きになれないゴミゴミしたバンデラアッパーズに戻って来た。

港から直ぐのショッピングモールの裏にいっぱいホテルが集まっている。Kawser Hotelがシングルで650万IRR(2000円)で無事1泊とれた。トイレがやはり和式で汚いのがおえー。

「wi-fiを繋げてよ。」と言うと「今配線がこんがらがっているから5分待て。」と言う。
10分後に行ったら「マダム!あと30分が待てないのか?!」と逆ギレしてくるほど従業員は愛想が悪い。
島のホテルにはWi-Fiがなかったので空港で購入した10Gがもう無くなりそうなのに。

ショッピングモールへ行ってみたがこじんまりした店の寄せ集め。一階のカフェが唯一マシっぽい感じ。この町にはおしゃれカフェなど無さそうだ。

こんな町でドバイ行きのフェリーが出る1月2日迄過ごせそうもない。GoogleMAPを見ながら思案し、明日はここから北東へ7時間ほど行った、捨てられた古城バムへ移動してみることにする。

バンダレ・アッパーズから無料フェリーでケシュム島へ、強欲おっちゃんの家に泊る(2023.12.26~27)

2023.12.26(火)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

世間ではいつの間にかクリスマスが過ぎてる。
先月からイスラム教の国にいるため、特にイランに入ってからはクリスマスイルミネーションを見ることが全くなく忘れていた。なんか損した気分になる。

バンダレ・アッパーズの港

シーラーズから夜行バスでフェリーターミナルに来た。
このまま眼前のケシュム島へ行ってしまいたい。フェリーは時間は決まってなく、満席になったら出発するタイプで200IRR(600円)。

同行者の2人はあまりにも荷物が多過ぎるので、カウチソファで募集があったホストの人に港まで迎えに来てもらい、そのお宅に大きな荷物を置かせてもらってからケシュム島に行くと言う。泊まらなくても車で迎えに来てくれるホストの人の親切心が凄い。なので港でホストの人が来るまで待機。

彼女らとはお互い、ケシュム島に行く前にドバイ行きのフェリーチケットを予約しようという話になり、彼女らはホストの家に荷物を置きに、私は荷物を置かないので旅行会社がありそうな通りで待ち合わせすることにした。
少し歩いてみたが、バンデラ・アッパーズの町はゴミゴミしていて好きになれそうにない。

シーラーズまでは寒かったのに、9時間南下しただけで急に真夏の暑さでびっくりする。着ているセーターを脱がないと汗でベタベタだが、脱ぐと薄着過ぎて体の線が見える服装をしてはいけないイランでは目立ち過ぎるので脱げない。せめて秋位の服装に着替えないといけないのが本当に面倒くさい。

イランのバンダレ・アッパーズからドバイ行きのフェリーチケット

旅行会社を見つけ聞いてみるとドバイ行きは週3回の運行で、明後日の12月28日か1月2日しか空いていないという。
12月30日に船でドバイに渡り、そこで華やかにカウントダウンを迎えたかったが仕方ない。
明後日だと急過ぎるので3人とも1月2日のチケットを取った。まあまあ先である。
金額は3740万リアル。1万1千円位で飛行機でドバイに飛ぶよりは安い。

大金なのに$払い不可。イランリアルでしか払えないとのことで両替屋へ。バンデラ・アッパーズには路上両替屋はいなかったが、両替店舗でもテヘランと同じ1$=490万IRRのレート。

ドバイ行きのフェリーは1万1千円位。100$札を3人分両替するとこんな大金に。
私たちはこの札束を数えるにかなり時間がかかったが、現地の人は慣れているようで一瞬で終わる。

ケシュム島への無料フェリー乗り場へ移動

やっと島へ行けるかと思ったが、2人がここからずっと西に行ったフェリーターミナルからだと無料でケシュム島へ渡れるのと言うので面白そうなので付いて行くことにする。
しかしここからタクシーで1時間以上の距離となると、いつも使っているタクシーアプリのSnapp!が使えなかった。長すぎる距離だと使用不可になるようだ。
すると旅行会社の英語ベラベラの優しいお姉さんが、仕事が終わる15時に西方面行きのタクシー乗り場まで車で送ってくれると言うので15時まで時間を潰すことに。

15時迄することがないので路上で弁当を買う。

チキンとザクロ入りライスが、たった70IRR(200円)。
めちゃめちゃ美味しいのだが、路上のベンチで食べると排気ガスが凄いのが残念。
町もゴミだらけで首都のテヘランより汚く感じる。早く島へ行ってしまいたい。

旅行会社のお姉さんが仕事終わりにタクシー乗り場まで送ってくれ、そこからタクシーでフェリー乗り場へ。同行者の2人は400IRRを280IRRまで値切り倒しており、更に270IRRじゃないと納得しないと交渉していて凄く時間が掛かった。こんなに物価が安いイランで値切るのは時間の無駄だし現地の人に悪いのではないかと私は思ってしまう。
もし自分の日本での時給が1500円だとする。数十円値切るのに20分掛かったとしたら、500円の労働力を使って数十円を値切ったことになる。
しかし旅のスタイルは人それぞれ。彼女らは楽しんでやっていて値切るのを時給に換算したりはしていないのだろう。

途中の景色。中心から外れたらこんな景色ばかり。

1時間タクシーに乗りやっと到着。
深夜バスで来てからずっと荷物を持ってうろうろしていたので私はタクシーで寝てしまっていた。

もう夕方。凄い疲労感。
フェリーというか車が乗るタンカーで座席はなし。

地元の人の足なのか、短い距離だからなのかなぜ無料なのだろう。
車とバイクだらけの隙間に立つ。ガソリンの匂いが臭過ぎて全くくつろげない。

ケシュム島の西側に到着

あっという間に対岸のケシュム島に着いたが、ここからが大変だった。
この経路を徒歩で渡る人などいないので、到着地点にタクシーがいない。
ネットの電波が届かないのでSnapp!タクシーも呼べない。ヒッチハイクで近くの町まで行くしかない。

なんとか3人でヒッチハイクで車を2台乗り継ぎ、Bandar e Laftという近くの大きそうな町まで来た。(写真は次の日の昼間の写真)
ウズベキスタン同様、助け合いの精神が根強いイスラム教の国のイランでは、割と簡単にヒッチハイクが出来てしまう。
旅のベテランのHさんは、ここから更に1人でヒッチハイクでカウチソファのホスト宅まで行くそうなので別れ、私とMさんでGoogleMapやMapsMeに出て来るホテルを渡り歩くが、harmony house1軒を除いて全て閉鎖中。外から錠前で鍵が掛かっている。harmony houseは1泊40$なので却下。

荷物を持って歩いていると親切な町の人らに次々に声を掛けられる。
安いホテルはないかパレスチナ人の男性に聞くと、どこかに電話をして一人のおっちゃんが車で迎えに来た。英語は単語だけのおっちゃん。自宅に泊めてくれると言うので、金額を聞いたら「1人100万」と言う。100万リアルは300円位なので「ありがとう。」と言ってMさんと車に乗り込むが、もう1度リアルかトマンか確認すると「100マントマン」だと言う。

あほかっ。

イランではリアルとトマンの両方の単位が使われていてややこしい。100万トマンは3000円である。1室6000円なんて、なぜさっきのリゾート風ホテルより高い金額なんだ。親切なイラン人が泊めてくれるのかと思ったのに、電話で呼び出されてやって来たのは強欲おっさんだった。

「そんなんだったら他を探す。」と車を降りようとすると1人250リアルまで下がった。最初の言い値の4分の1の金額である。
車で5分位でおっちゃんの家に到着し、部屋に案内されたら全く家具のないただの広間。広いので親戚とかが集まって食事をする部屋だろうか。というか・・・布団もマットレスもないのに一人750円はイランの物価からしたら高過ぎである。
2人で500万リアルを渡したら、おっちゃんはお金を手にした瞬間、顔をそらしながら悪徳代官のような笑みを浮かべたのを私もMさんも見逃さなかった。

「ちょーーっ!!見た?!今のニヤリ顔!!ぼったくり大成功って感じの顔!!」

おっちゃんが日本語を分からないのをいいことに2人でぎゃーぎゃー文句を言ったが、おっちゃんは(意味が分からないのでもちろん)気にせず「明日マングローブ、城壁、ボート!」など片言で言ってくる。「いや、いらん。もう眠い、寝る!!」と言っても英語は全く通じず、同じ言葉を何十回も繰り返し、更にボリボリに私たちから案内料金をせしめる気満々である。
紅茶とクッキーを持って来ながら部屋の片隅に座り込んできたので追い返した。この紅茶代も取られそうで不安。


次の日の朝。
部屋の周囲にあったクッションを並べてその上に横になったら、よほど疲れていたのか一瞬で寝てしまっていた。スーツケースを持ち運びながらあんなに町をウロウロしたのはこの旅で初めてだった。

朝起きたら強欲おっちゃんが朝食を運んで来た。警戒して「Free?」と聞いて頷いたのを見てから食べる。パンとジャムと紅茶。イランではこの丸いプチプチした形のついたパンがよく出てくるが、全く弾力がなく美味しくない。よく出て来るニンジンジャムは甘くて美味しい。

今朝も「castle wall、ボート、マングローブ!」と繰り返す。念のため金額を聞いたら「100万トマン。」だと。どうしても100万トマン、3000円が欲しいようだ。
「(あなたは強欲なので)結構です、どこも行きません。町の中心まで送ってくれますか?」と聞くと「OK」と言いつつ「朝食、昨晩の紅茶、送迎で100万トマン!」と言うので「朝食無料って言ったやん!」というやり取りを3回繰り返した。舌の根も乾かないうちにそんなこと言うか。

結局「送っていらん!町まで20分歩く!(-_-メ)」と車から荷物を降ろそうとすると、悪人になりきれないおっちゃんは「分かった、分かった。タダだから。」と言うので車に座ったらその数十秒後にGoogle翻訳で「送迎と朝食で100万トマン」と見せてくる。

えらい強欲じじいに当たってしまったもんである。ただの床だけの部屋に泊めただけで2人で1500円も貰えて感謝しろという感じなのだが、終始「100万トマン」の連発だった。
お金は払わなかったが町まではちゃんと送ってくれた。

ケシュム島の西側にチャコー・キャニオンという観光地があるようなので、Snapp!アプリでタクシーを呼んで行ってみることにする。
だいぶ待ったがフェリー乗り場辺りから来てくれるタクシーがつかまった。
次はいい人だったらいいのだが・・・

つづく。

ピンクモスクでうんざり、アートギャラリーへ行って夜行バスでバンダレ・アッパーズへ移動(2023.12.25)

2023.12.25(月)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

シーラーズ最終日。イランに行きたかった理由はインスタで有名過ぎるピンクモスク(Nasir al-Mulk Mosque)に行きたかったからだ。イスファハーンのモラッバシーハウスを知るまではここを目指していたと言ってもいい。とうとうピンクモスクを訪問する。

Nasir al-Mulk Mosque

ホステルの部屋が一緒のMさんとカウチソファでイランを私歩いているHさんと3人で行く。彼女らは数日前に1度行ったらしいが、入場料がかかるのにもう1度入りたいらしい。
ホステルから10分位の距離を一緒に歩く。

途中、こんなおしゃれな立体駐車場が。日本のも景観上こんなデザインにすればいいのに。

到着。このモスクはステンドグラスから日が差し込むのが朝の早い時間帯だけなのと凄く混むのでオープン前から並ぶのを推奨されている。
オープン8時の15分前に来たが、私たちの他は欧米系の男性1名のみ。

しかしオープンの8時と同時に、中●人のツアーグループ10名程がやって来て、私たちの方が先に並んでいたのにあっという間に先にモスクの中に入られた。
料金は100IRR(300円)で、女性はまたチャドルという布を入口で借りて身に付けないといけない。この時点で男性陣には入場を抜かされる。あー本当にこの制度、うっとおしい!何もかも女性が不便を強いられるなんて理不尽過ぎないか。

1番奥のスペースがインスタ映えスポット。あっと言う間に中●人らに陣取られポーズや向き、場所を変え動画撮影大会。こうなると長時間場所を占領され全く近づけない。仕方ないので他人の背中をパチリ。足を組んで床に座って黄昏れる写真を撮ってもらう角刈りのおっちゃんが1番滞在時間が長く、Mさんと「あの写真いるかなぁ・・・」と突っ込みまくり。

場所が空かないので天井でも撮りましょうかね・・・

親切なMさんが空いている場所で撮影してくれるが、背景が・・・(´;ω;`)
全然映えない。
もう人が混み過ぎうるさ過ぎ、映えスポット取り合いの嵐で私は「もうええわ、ここ。」とうんざりしていた。モラッバシーハウスや昨日の古民家群でお茶でもしていた方がよっぽどいい。

1時間以上経ってやっと場所が空いてMさんに写真を撮ってもらった。
朝1番の他人の写真と比べてもう光が落ちていて雰囲気が全然違う。8時にこの場所を取らないといけないのだ。しかしあの人らの勢いに勝てる気は全くしない。

9時半頃になると今度はイランの小学生らの遠足団体客が。皆私たちに興味深々で、英語を少し話せる子が代表で「どちらの国ですか?」と聞いて来る。「ジャポン!」と答えると「きゃぁぁぁぁ~」と喜びの歓声。日本人は珍しいとは思うが、どこ国の名前を言っても同じ反応なんだろうか?

イランで「ジャポン」と言うと決まって「ホンダ!カワサキ!マツダ!トヨタ!」「日本は商品の質がいい。中国製はすぐ壊れる。」と言われるので、日本人は見たことなくても日本と言う国は知っているよう。いい製品を作ってくれた戦後の世代にいつも感謝。
ちなみにイランに入国以来韓国人は全く見ない。中国人はビザ不要のため、ビジネスで滞在している人も多数で宿の半分は中国人が占めている。

MさんとHさんは1時間以上撮影大会をしていたので、私はぼーっと待ってから一緒に外へ。

イマムザデ・シーイド・アラジン・ホセインモスク

観光用のモスクではないが、見掛けたので入ってみる。

やはりキンキラキン。入口はセキュリティチェックとチャドルをまた頭から被せられる。
無料。ガイドのおばあちゃんが同伴で中が見学出来る。

中はもちろん女性のお祈り場所と男性のお祈り場所は分けられている。
Mさんがやたら愛想よくキュートな愛されキャラなので、私一人だけの時と反応が違い、あっと言う間に中のイラン人女性らに囲まれ写真を一緒に撮ってとせがまれる。しばし写真タイム。

Adel Yazdi Galleryخانه عادل یزدی(アートギャラリー)

一昨日訪問したQavam Houseから北に行くと壁画アートがたくさんある通りに出るので行ってみる。

おしゃれ壁画アート。歩いていると地元のおじいちゃんにペルシャ語で何か話し掛けられる。ジェスチャーからして「あの細い路地を入れ。」と言っているよう。

素直に入ってみるとこんな路地に。壁画アートデザイナー、アージール氏のアトリエらしい。写真を撮っていると、たまたま中からデザイナーのおじさまが出て来てなんとアトリエの中を案内してくれるという。

おじさまはここに1人で住んでいるという。弟子もいるみたい。

中に靴を抜いてあがると、暗くてよく見えないが天井から無数の指が下がっている。メタルで出来ていると思ったので落ちて来ないか心配だったが、触ってみると発砲スチロールだったので心配無用。一瞬タイのお寺がイメージとして浮かんだが、イスラム教の国でこれは何からインスピレーションを受けたのだろうか。

アジールさんは、このおしゃれなアートを無料で私たちに1枚ずつくれた。丁寧に案内してくれたので、最後に案内料金を請求されるかもと思ったが杞憂だった。このポスターは大事に持って帰ろうと思う。

更に北に行くとテイクアウト専門のカップケーキ屋がある。
私は既に一昨日来ていて、Mさんらに「中に入ると奥にいた男性陣らに『チンチョンチャン!(中国人!)フリー!』と言われたよ、お金置いていったけどね。」と言うと「私はタダで貰う!」とMさんは息巻いていた。彼女らは私が出会った中でもかなり極端な節約バックパッカーで、イラン人たちはよく好意で無料で食べ物をくれるのだが、かなりその恩恵にあずかっていた。

私は1つあたり1000IRR(3円)を置いていったのだが、地元の人らは皆50個以上で購入しているしお金を渡すと受付のお姉さんが嬉しそうだったので本当はもっと安いのかも知れない。
Mさんは持ち前の愛想の良さで、やはり見事タダで貰っていた。できたてはモチモチしていてうっすらメープルシロップの味もしてかなり美味しい。

ハーフェズ廟へ行こうかと思ったが、宿の他の宿泊客らが口を揃えて「何もない、面白くない」と言うのでやめ。
HさんとMさんは今夜から行くホルムズ島が宿がいっぱいで取れなかった時に野宿をするためのテントを買いに行くと言うので付いて行く。

お城から西のエリアでキャンプ用品が売られていたが、簡易テントは4000円だったし重いので彼女らは購入は諦めていた。

私とほぼ同い年の女性で異国の地でテントと寝袋で野宿かぁ。。。

凄い体力と気力で感心する。この年齢で毎日ドミの私でも節約型だと思っていたのに、彼女らは寝袋やキャンプ用品が詰まった15kg以上はあろうかというバックパックを背負い、時には野宿、時にはカウチソファでタダ宿泊、食事は毎日自炊で何ヶ月も旅をしている。私とは旅のスタイルがまるで違う。昨年ロサンゼルスを一緒に観光したみどりさんは、シェラトン系のホテルにばかり泊まっていたのでドミ宿泊の私は若干恥ずかしかったものだが。。。皆旅のスタイルはそれぞれ。

シーラーズからバンダレ・アッパーズへ深夜バスで移動

イラン入国前は、先人たちのブログでテヘランからシーラーズまで抜けたらここから飛行機でどこかの国へ飛ぶつもりだった。
イランの東はパキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンでビザ取得が大変そう(そもそも治安が悪そうで興味がない)だし、西はイラク(もっと治安悪そう)。北へ行けば陸路でアルメニアかトルコへ抜けれるが、そもそももう行ったし、テヘランからミニバスで24時間らしいのでそんな過酷なものには乗りたくない。

テヘランやヤズドのホステルで会った龍さんや、タクさんが「シーラーズから南へ行ったバンダレ・アッパーズ、最高だよ。」と言っていたのだが、暖かい以外何が最高なのか興味がなく詳しく聞いていなかった。(後にこれが命取りになる)

するとMさんとHさんが「バンダレ・アッパーズからドバイ行きの船に乗る。」と言うので私もそのプランに乗っかることにした。

ドバイへは行ったことがない。そしてドバイのあるアラブ首長国連邦からの飛行機は、石油産出国のためかめちゃめちゃ航空券代が安いのは知っている。次の目的地ヨルダンまでは探せばなんと3千円代のチケットがあるのだ。そして何より船で国境越えというのは浪漫以外何ものでもない。

ソフラン・ゲストハウスをチェックアウト

宿泊していたソフラン・ゲストハウスをチェックアウト。12時にチェックアウトしてからずっと外にいたので寒かった。この変な部屋の壁画ともお別れ。
しかしドミ1泊5$、ネットが早くていい宿だった。(他国に比べるとダントツで遅いが。)2

中庭で「昨日中国人らが市場で大量に海老を買い込んできて、1皿当たり30分も電子レンジでチンしてて、それが何皿もずっと連続でやるから全く電子レンジ使えなかったんだよね、しかも食べきれなかった海老、冷蔵庫じゃなくて部屋に持ち込むから部屋が臭くて臭くて・・・」とカウチソファをしていたHさんに説明していると、隣の席で雑談していた中国人男性が「ワタシ日本語ワカリマス、中国人の海老ガがクサくてレンジが使えなくてタイヘーンと言いましたか?」と言われたので笑って誤魔化したが焦った。いや、悪口ちゃうし事実やし!

22時半、ホステルの前は道路が細くてタクシーが来てくれないとテヘランで会った龍さんから聞いていたので大通りまで出てからSnapp!タクシーを呼んだ。

Shiraz bus terminal(バスターミナル)

シーラーズのバスターミナルに到着。MさんとSnapp!タクシーで。やはり2人で割ればタクシー代も安くていい。

チケットは今回初めてホステルのスタッフにイランカードを使って予約してもらったが、これまではガラガラのバスだったのに夜行バスは宿泊代が浮くから人気のようで満席だった。
チケット代は211万IRR(610円)。レシェプションには手数料10%を払ったがそれでも60円。

23時にきっちり出発。初めて配られた夜食的なもの。中はリンゴとみかんの詰め合わせ。

早朝からピンクモスク観光で疲れていたようで、ずっと爆睡。途中のトイレ休憩も気付かなかった。
朝7時にトイレに行きたくなって目が覚めたらこんな景色。

う、運転手さんしょぼーん。倒れたばかりのようでどこかに電話している。
怪我が無くて良かったけど詰んでいたイモ全滅。怒られるだろうな。
イランは私がこれまで行った国の中でもダントツで交通マナーが悪いく交通事故の数も相当らしい。飛ばし過ぎたのだろうか。

トイレに凄く行きたかったがなんとか7時45分、約9時間でバンダレ・アッパーズに到着。
(イランの人らは皆ここを『バンダレバス』と言うが。)バスターミナルではなく港で降ろされた。

今からドバイ行きの船のチケットを買いに行く。

シャー・チェラーグ廟とシーラーズの古民家巡り(2023.12.23~24)

2023.12.23(土)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
リアルタイムではイランでパキスタン人の運転するバスに、ただの路上で降ろされた悲惨な新年の幕開けとなりました。
これからの1年、これより最悪な日はないと思うので2024年はいい年になると思います・・・

サフラン・ゲストハウス

サフラン・ゲストハウスの朝。本日は雨。
4人女性ドミトリーの部屋は、ヤズドのフレンドリーゲストハウスで朝の一瞬だけ会い連絡先を交換したMさんと同じ部屋だった。
Mさんがパジャマをフレンドリーに忘れていたので連絡し、渡してあげた。

旅先で会う人は20代後半~35歳位までの人が多いけどなんと1歳違い。
これまでもずっと世界中を回っている方で、全く英語を話せないのに愛嬌があってコミュニケーション能力が高いので常に宿の人気者になっているような素敵な人だった。

Mさんにイランの美味しいポテトチップスと砂糖菓子をお裾分けさせてもらう。
Mさんは今回のイラン旅はもう一人の100か国以上も行ってるHさんと一緒に回っていて、Hさんはずっとカウチソファ(無料で現地の人の家に泊めさせてもらうシステム)で宿泊しているので宿は別々だそう。

バザール

MさんはHさんのホストファミリーの家に行くそうなので私は一人でシーラーズの街をぶらぶらすることに。

バザールは細い道が入り組んでいて大きかったが飽きたしいつも通りの感じ。

今回の宿はキッチンが広くて自炊できるがまだ何も材料を買っていないので、道端でサモサ購入。
カレー味の野菜が入っていて美味しかった。60円位。

シャー・チェラーグ廟

その後もバザールを中心に町をうろうろしたが、特段見るべきものはない感じ。
この入り口の小さいモスクっぽいところがあったので入ってみることにした。

が、ここが入口のセキュリティを抜けるとかなり奥が広くなっていて、有名な観光地のシャー・チェラーグ廟だった。

料金は無料だったが、過去にここで銃撃事件があったらしく、ガイドの人と一緒じゃないと入れない。
ネットで調べたら2022年と2023年とかなり最近だ。セキュリティの意味あるのか。

そして女性はいつも通りチャドルという足元まである布を巻かないといけないようで、そこから髪の毛がはみ出ているのか、入口にいたおばあちゃんに何度も着付け直され、カオナシのようにビチビチに首を隠す感じに布を巻かれた。
あまりにも何度も髪の毛を入れ直し、チャドルを着付け直してくるので「そんなに入るの厳しいならもういい。」という気分になる。そしてガイドの人が来るのにかなり待たされた。

自分が元々身に付けていたヒジャブの上からチャドルをぴっちり巻かれてしまったので、耳が二重に塞がれていてガイドの英語がよく聞き取れない。
イランでは観光客でもヒジャブを被らないといけないのでもう本当に鬱陶しかった。ずっと被っていると微妙に肩が凝るし、走るとずれてくるし、今は冬だからいいが夏だとかなりべたべたになり暑いだろう。イスラムの教えだかなんだか知らないが、なぜ女性だけこんなことを強いられるのか。

モスクの中はかなり広かったので、ミラーの量も凄く見ごたえがあった。しかしガイドがビタっと張り付いてくるので落ち着いてゆっくり見れない。

落ち着かないまま早々にシャー・チェラーグ廟を後にした。

ホステルから西の方に抜けると野菜、果物、魚が売られている市場がずらっと並んでいた。ペルシャ語で数字が書いてあり、1kgでの値段のようだ。

市場の先に安くて品ぞろえが豊富なスーパーマーケットを見つけた。これまでペットボトルの水は道端の商店で買っていたがそれより安い。といってもイランの物価が安過ぎて20円が15円で買えるといったレベルだが。

イランではアルコールは禁止されているが、アルコール風のジュースはバラエティ豊かに売られている。フルーツと炭酸に少し麦の味といった感じだが、生ビールの美味しさには全くかなわない。
そういえばテヘランに入ってから何十日もアルコールを口にしていないが、人間手に入らなければその存在すらも忘れてしまっているものだ。日本のアル中患者は皆イランに来れば治るだろう。

パン粉って日本独自のものなのかな。


2023.12.24(日)

この日はインスタで有名になったピンクモスクに行こうかと早起きしたが、早朝は少しだけ曇っていたので明日にすることにし、Mさんと散歩に出かける。ゲストハウスの中庭は気持ちいい。

近所の市場に行く途中にあるモスク。

市場でみかんを買ってみた。日本のみかんのように柔らかそうなやつ。3つで15円なので、この辺りの国は果物と野菜が安過ぎる。日本が高過ぎるのか。

市場から北に行くとMさんに美味しいテイクアウトのお店があると教えてもらった。茄子と肉のカレーっぽい弁当を頼む。

待たされたが80IRRで250円位。このメニューから目当てのものを頼めるMさんのコミュニケーション能力には本当に尊敬の念しかない。

Mさんとは別れ、早速ホステルに戻りみかんと一緒に食べてみる。美味しい。ご飯は量が多いので夜ご飯に回す。

宿で20IRR(60円)でビールが売っていたので飲んでみるが、日本で10年以上前に初めて市場に登場したノンアルコールビールと同じようなまずい味がした。リピートはないな・・・今の日本のノンアルコールビール(特にアサヒ)はかなり美味しい。

昼以降はまたも歩いてペルシャ建築の古民家へ。

Qavam House

入場100IRR(300円)。

シーラーズはバラが有名らしく、モスクの入口などのタイルもバラが描かれているものが多い。

かわええーーー。いや、撃たれているみたいだから可哀想だけれど。

1800年代の金持ちの家らしい。

地下は博物館とタイルなどのお土産屋を兼ねている。

人も少なく綺麗な写真が撮れた。家具が少ないからかちょっと殺伐とした雰囲気。

Zinat Al-Molk Historical House

隣にも古民家博物館があったので行ってみる。こっちは80IRR(240円)。

さっきの邸宅と同じデザイナーなのかな。

奥にカフェがあったのでゆっくりしてもいいかも。誰もいなかったけど。

一応城壁もあったので寄ってから宿に戻る。中はまた入場料が掛かったので入らなかった。

夜ご飯は近所に売られていた市場でエビを購入して塩で炒める。この量で240円位。外食よりはお得かな。久々エビが食べられた。

ここの宿は市場や弁当屋、スーパーが近いし中庭で何台もガスストーブを燃やしてくれる上にたった5$なので長居してしまいそうになるが、シーラーズ自体はそこまで魅力があるのかどうか・・・
Mさんたちは今日ホストらと車で1時間以上掛かるピンクレイクに行ったらしいが、今の季節はグレーレイクだったらしい。

明日は恐らくイランで1番有名な観光地、ピンクモスクに行くことにする。

ペルセポリス遺跡、ナクシェ・ロスタム、キュロス王の墓(2023.12.22)

2023.12.22(金)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

ヤズドからペルセポリスへ

昨日の昼、同じ宿にいた中国人のルイに『明日シーラーズに行く3人でタクシーをチャーターしてペルセポリスに寄ってもらいながら行かないか?』と提案された。
ペルセポリスはシーラーズからタクシーをチャーターしないと行けないが、位置的にヤズドとシーラーズの間にあるのでここからチャーターした方がシーラーズまでのバス代も含めた金額と同じ位、かつ時間短縮になると言うのだ。
タクシーチャーター代は50$なので3人で割れば1人16.6$。提案された私とチェコ人のテレザが了承すると『約束破ったら駄目だからな。今からタクシー予約するぞ。』とルイに念を押された。

しかし本日、ペルセポリスにはルイだけと向かっている。

今朝7時に起床し、WhatsAppに届いていたテレザからのメッセージを見たところ…
『ごめんなさい。キャンセルします。』(約束してから12時間後)

なんでやねん!!

理由は昨日の夕方、ゾロアスター教の村に行ったら素晴らし過ぎて明日もまた行きたいからだそう。
まあ、分かるよ、私もそんなことあるよ。しかし約束を破ると迷惑かかるし信頼が落ちるから約束を優先するよね日本人なら。うん。それとも私が真面目過ぎておかしいのかな。

結局テレザは行かないのに自分の分の料金17$を払ってくれたが、私は陽気な彼女と一緒に行きたかったのでガッカリした。気難しそうなルイと2人である。

タクシーのおっちゃんはちゃんと待ち合わせの7時半前に来たが、ルイは7時半に姿を現してから朝食を用意し出したので出発は8時前になった。この待ち合わせ時間後に朝食を準備する感覚も私には分からない。

途中寄ったガソリンスタンド。給油口が日本と全然違う。蓋はなくオープンである。
石油産出国なので安いのだろうか。

タクシーは砂漠地帯を走り出し、絶景に感動するのも束の間。
タクシーの中が寒い!バスより地面との距離が近いため、床から上がってくる冷気で寒すぎるのだ。バスで行けば良かったと後悔すること然り。

ルイはタクシーの中でやたら私の日本での給料、家賃、ラーメン1杯の値段などを聞いてくる。
深セン在住らしいが、私が金額を答え「ルイのところは?」と聞くと「同じ位だ」と言う。日本とどっちが経済が発展しているか比べているようで、ライバル心剥き出しだった。

深セン、私が20年前に行った時は田舎臭い町だったのに随分発展したものよのう〜\(^o^)/
・・・とはプライドの高そうなルイには言えなかったが。

キュロス王の墓(Tomb of Cyrus the Great)

1箇所目、お願いしていなかったけどタクシー運転手が「サービスで寄ってあげる。」と言うので王の墓に寄る。100万IRR(300円)

入口から入ってこれだけしかない。なんじゃこりゃーーーっっ
と、入場料を払って寄って損したと思える場所No.1となった、運転手さん、本当にどうもありがとうございました。

※紀元前550年頃、ここら一帯を征服し古代オリエント諸国を統一し偉大なる王、キュロス2世の墓で世界遺産です。この時代の墓が残っているのは凄いです。

ナクシェ・ロスタム

2箇所目はルイのリクエストでナクシェ・ロスタムへ。入場料同じく300円。

ゾロアスター教のカーバ神殿と、紀元前1200年頃からの王の墓群もある。

こちらも解説を読みながら進んだが、ふーんといった感じ。まあさっきのより大きかったからマシかな。たった300円と言えど入る所を選ばないとどんどんお金が減っていく。

ここでシーラーズからやって来たタクシー運転手と交代。
なるほど、ヤズドから来た運転手はここでヤズドに戻り、シーラーズから来た運転手は私たちと一緒にシーラーズに帰るので2組のドライバーは自宅に戻れるというわけだ。
50$の内訳は半々ずつなのだろうか。

ペルセポリス遺跡

3箇所目、13時45分にやっとペルセポリス遺跡に着いた。ここも世界遺産。
タクシー運転手が『2時間待つね。』と言うと、ルイが『3時間待つ契約だ。』と軽く揉める。
結局16時半待ち合わせの2時間45分待ちでルイが押し通し入場。ここも300円。

って、なんで王の墓と同じ金額(; ・`д・´)
遺跡の広さと外国人入場料のバランスを考えろよって感じ。イラン人は30円位で入っていると思われる。

ルイは宿の朝食をタッパーに詰めてきたルイはタクシーの中で食事をしていたが、朝食抜きの私はお腹ペコペコ。ルイとは別行動にして入口のレストランでパスタを食す。
久々洋食を食べてめちゃめちゃ美味しかった。800円位して観光地価格だったが。

パスタが出てくるまで15分待つ→食べ終わるまで30分で、2時間45分中の45分をここで費やしてしまった。

私はセルフィーなどしないので残り2時間で周れるとは思う。
入口のクセルクセス門。足元には遺跡おきまりの自分の名前の落書きが。なんでこんな貴重な遺跡を傷つけて落書きするやからがどこにでもいるのだろう。

グリフォン像。
世界史でよく出て来るペルセポリス遺跡、もっと感動するかと思ったがふーん・・・しか思わなかった。絶景を見過ぎて、このレベルの遺跡には心が動かされなくなってしまったのだろうか。

かわええー。紀元前のこんな彫刻が残っているのが不思議。

アケメネス朝ペルシアの都ペルセポリス。
西はエジプトから東はインドに至る大帝国を築きあげたダレイオス1世が紀元前518年に創建した建築群。紀元前331年ギリシャのマケドニア王国アレクサンドロス大王によって侵攻され廃墟になった。ここも夢の跡。

クセルクセス2世の墳墓。
ガイドなどつけて入れば感動したのかもしれない。説明文を呼んでもいまいちピンと来ない。
人が多過ぎるのと、アジア人観光客が私とルイだけでずっとジロジロ見られたり、頻繁にニイハオ、ニイハオと声を掛けられるのがうっとおし過ぎたのもあるかもしれない。

イラン人、私を見たらニイハオしか言えんのか?!

中に別料金、これまた100IRR(300円)のミニ博物館があったので入ってみたが、展示物が少なく失敗した。しかもまたもチケット発券のおじさんが私が払ったお金はポケットに入れチケットは発券せず「中に入れ。」と指示する。
外国人料金をくすめるイラン人だらけなので、発見所は2名体制にした方がいいと思う。

最後は駆け足になったが、広いペルセポリス遺跡の全ての遺跡を周ることが出来た。
待ち合わせの16時半にもルイは遅れて来た。しかし博物館は有料だからパスしたそう。
私もあのおっさんのポケットマネーになる位ならそうすれば良かった。中国人は経済観念がしっかりしているよな。

20mもある柱。紀元前にこれだけの建築技術があったことに驚かされる。日本はまだ縄文時代だというのに。相当、王の権力があったんだろうな。崩れる前の建築を見てみたいものだ。当時の様子が見れるバーチャル眼鏡のレンタルはあったが高過ぎたので利用していない。

ソフラン・ゲストハウス(Sohrab Traditional Hostel)

タクシー運転手に宿の前で降ろしてもらった。
ヤズドから送迎してもらった運転手と違い、このドライバーのおじいちゃんはスーツを着てぴかぴかの車に乗っていたので金持ちそうだったが、降りる時に「2時間のはずが3時間待ったんだから100IRRチップをくれ」と言ってきた。
私はルイが3時間に設定したし、最後の待ち合わせ時間も遅れて来たので払うかと思ったが「学生だからお金ない」と言って払わなかった。いや、あんたエンジニアって言ってたよね。
私はおじいちゃんが帰りたそうにしながらずっとルイを待っていたのを見ているので気の毒になりチップを渡しておいた。
タクシーを降りたルイは「どうだ、俺のこのペルセポリス遺跡に寄りながらタクシーで来るアイデア、頭いいだろ?」と得意気だった。
私しか乗ってないけどね、のアイデア。
そしてチップ払えよ(´・ω・`)本当に中国人はしっかりしている。

ここはドミトリーが1日たったの5$。ヤズドの宿であったタクくんに教えてもらった。
ここもこれまでと同じ形式で中庭が広く、Wi-Fiはイラン宿の中で1番速かった。

本当は今回もシングルルームにしたかったがこのホステルはドミトリーしかなかった。
女性4人部屋で半地下だが、2段ベッドタイプじゃないし広いので快適。

この訳の分からん壁画を除けば。
なんですかこれは。
何かの物語だろうか、毎日部屋に入る度にこの両目に矢が刺さっている人の絵を目にすることになる。おえ~。
モルタルの上から描いたにしては上手いが、もうちょっと心安らげる絵のチョイスはなかったのだろうか。

明日の天気予報は雨。少しゆっくりすることにする。