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ペトラからアカバへ移動、憧れのフェリー国境越えを果たす(2024.1.10~13 )

2024.1.10(水)1ドル≒209ヨルダンディナール

ペトラ遺跡2日観光を終え、エジプトにフェリーで上陸するべくアカバへ移動する。

ペトラからアカバへミニバスで移動

ペトラからアカバへの行き方と金額はホテルのフロントに張り出してある。
近くのミニバスステーションから人数が集まったら出る形式のミニバスで行くようだ。
金曜日は朝7時迄、他の曜日は9時までに行けば確実に乗れるようだ。

7時半にホテルをチェックアウトしてミニバスステーションへ向かう。

ミニバスステーションはホテルから歩いて10分。
到着するとすぐに「アカバ?」と声が掛かる。Googleの口コミを見ると「料金をごまかされまくった。」というひどい口コミばかりだが、金額を聞くと「As you like」と言うので「5JOD(1000円)でしょ?」と言うとそれだけしか取られなかった。
15分ほど待って5、6人集まるとすぐにバスは出発した。

こんなガラガラで元は取れるのかと心配になったが、なんてことはない。途中の路上で待っている地元民が何人もおり、停車する度に人が乗ってくるのであっという間に立ち乗りが出る程満席になった。

3時間弱でアカバの街に到着。

Pizza Street hostel(ホテル)

ホテルはバス停からすぐの口コミの良いこのホテルを予約しておいた。
最安値の6JOD。オーナーがお客さんを大切にしていてウエルカム状態、とても感じがいい。

女性専用ドミトリーに行くと、入国時からずっと一緒の韓国人の女の子がいた。お互いBooking.comで最安値のドミを選んでいるので会うのは当然だろう。

彼女は今夜のフェリーでエジプトへ行くと言う。宿にいた韓国人男性も一緒なので安全だろう。
この部屋は清潔でテラスで洗濯が干せるので2泊して溜まっている疲れと洗濯を一掃することにした。

ペトラ遺跡観光の往復6時間を2日連続でやり遂げた疲れが抜けず、近くをウロウロしてATMでお金を下ろし洗濯するだけで1日が終わる。
この辺りはピザ屋が多いからホステルの名前が「PIZZAPIZZA」なのか。

夕食は近所でファラエル(ひよこ豆コロッケ)サンド0.35JOD(80円)を食べたけど、金額相応で物足りない。
オーナーが今日は誕生日ということで、ライスにステーキを刻んだものとトマトを乗せてギトギトにオリーブオイルをかけただけの味付けの手作り夕食をくれた。
味がしないのでオーナーが見ていないところで手持ちの醤油をかけると美味しく食べれたが、ヨルダン人はこの味付けでいいのだろうか。

ATMで下ろしたヨルダンのお金。少し男尊女卑を感じる。

次の日。

午前中にアンマンの宿で出会ったTくんも同じ宿にやって来た。待ち合わせした訳ではないが、最安値の宿に泊まると、同じ旅人と再会するループになる。お陰で明日、エジプトのシナイ半島へのフェリー国境超えを一緒にすることになり心強い。

「現在、イスラエル関連でそこは治安が悪いのではないか?」という情報を他の旅人から貰っていて不安だったのだ。

フェリーチケット購入

昼からは一緒に旅行会社に明日夜のフェリーチケットを買いに行き、アカバを観光することにした。

オーナーに聞いたフェリー会社と私がネットでチェックしていた旅行会社と比べ、安い方で購入。54JOD。2人で購入すると1JOD安くなった。

フェリーは夜22時発の1本。3時間かかり夜中の2時にエジプトのヌウェバに着く。

アカバからタクシー5JODで港まで30分、アカバはUberは使えない。その後港でヨルダン出国税10JODを支払い、フェリーでアカバからヌウェバへ。3時間でヌウェバ到着後、港でエジプトビザ25$を支払い、夜中にヌウェバからダハブまで1時間かけてタクシーで行く。ヌウェバからダハブまで早朝にバスが出ているとネットで見たが今は16時半のみになっていた。

その後海を観光。5JODでボートに乗らないかと勧誘があるがここは節約。

ヨルダン最後の夜。ヨルダンのペトラビールは味のバリエーションも多く美味しかった。高いが。

宿のテラスでTくんとビールを飲みながらくつろぐ。これまで出会った旅人の男性はたいてい私のことに興味はなく、自分の旅や生い立ちのことばかり話して私自身のことについて質問はほとんどしてこない。10〜20歳の年齢差を考えれば当然のことだし、私はいつも聞き役にまわっていた。しかし彼はかなり私の人生の背景、趣味や好きな音楽についてまで様々な質問をしてくる。変わった子だ。絶景よりも旅先で知り合った人の背景に興味があるらしい。

次の日。

Tくんがキャンプグッズを買いたいと言うのでアカバのショッピングモールへ。エジプトの方が物価が安いらしいので物色するのみ。

モスクや海をブラブラして時間を潰す。

オーナーにフェリーでヌウェバに行くと言うと、お勧めのファラエルサンド屋に寄ってから港まで5JODで車で送ってくれると言う。

この辺りのタクシーはボッタクリが多いらしいので助かった。オーナーは既にコロナビールを少し飲んでいたが、ヨルダンでは飲酒では捕まらないのかな。

アカバフェリーターミナル

19時にフェリーターミナルに到着。出発は22時だが、荷物の積み込み等に時間がかかるので3時間前に行くように旅行会社の人には言われている。

周辺にはレストランも売店も何も無い。いるのは大量の輸入品を持った国境越えをする男性エジプシャンのみ。少しピリピリした雰囲気。

フェリーターミナルの中は売店、トイレ、両替屋、免税店、出国税支払い所、イミグレがあった。窓口で出国税10JODを支払い余ったヨルダンディナールをエジプトポンドに両替してもらう。すると何故か公定レートよりかなり多目に返ってくる。これはどういうことなのか。→エジプトでも闇レートが存在していることを後に知る。

免税店にビールがラスト1本だけ売っていたのでそれをTくんと分け合った。22時前になりイミグレで外国人だけ集められ優先的に先に船に乗れる。外国人は地元の人らの何十倍もの金額を支払っているからだ。

あの船らしい。

船に乗り込み、ここで荷物を預ける。外国人だけ荷物も固められる。乗客が100名以上いる中、全員男性だと思っていたが、ここで私以外の欧米人2名と現地人2名の女性がいたので少しホッとする。

夜中なのに船の中では大勢のエジプシャン男性らが騒いでいる。Tくんがいなかったら怖かったと思うのでいてくれて助かった。

船に入ると直ぐ真ん中辺りにある窓口で外国人だけパスポートを集められる。23時頃、1時間遅れで出港。地元の人らの入国手続きの列がかなり長く待たされた。

3時にヌウェバ到着。ここで荷物を回収。トラックのコンテナに詰められたエジプシャンたちの荷物が何台もあり、自分たちの荷物を見つけるのにかなり時間を要した。建物に入ると立って待ち構えている男性に25$のエジプトビザ代とパスポートを渡す。これも結構待たされてからエジプトビザが貼られたパスポートが返却されてきた。私は25$札を持っていなくて100$札を渡したが、きちんとドルでお釣りが返ってきた。ネットで「25$きっちり渡さないとお釣りが出ない」と見てビビっていたが、ネットの情報も当てにならないもんだ。

到着してからはビザ代回収の人と船の乗組員の男性がずっとピッタリ張り付いてくる。朝まで港か近くのカフェで過ごしてからバスでダハブまで行くと言っているのに「バスはないタクシーで行け。」の一点張りで離れてくれない。

港の建物を出てからもこの2人は張り付いて来て、グルなのかタクシー運転手2名の所に案内された。私たちがバスステーションに行こうとしたり、地元の人らが乗り込んでいるバスの値段を聞きに行こうとしても「ヌエバ、タクシー20ダラー、チープ、チープ」。連呼され阻まれる。かなりしつこい。これが世界3大ウザい国のエジプトの洗礼か。

ボラれているのが分かるので私はこの人らから離れ、せめて別のタクシーに乗りたかったがTくんは愛想良く丁寧に対応してあげている。私とは人間力が違う。結局PIZZAホステルのオーナーに教えて貰ったネットの予約サイトを見たら、ここからヌエバまでのバスはかなり安いが16時半の1本のみだったので15$に値切ってこのタクシーに乗ることにした。

一睡もせずに到着したヌエバ。暗い中、Booking.com掲載の激安ホテルを探したが見付からず、もうここでいいやとある辿り着いた。早朝過ぎてレセプションに誰も居なかったがフロントにあるマットレスでレセプションの人が出勤してくる8時迄寝させてもらった。

ダハブはダイビングのメッカで温暖な気候、物価の安さも相まって沈没する人が続出のバックパッカーの聖地だと言う。リゾートっぽい風景に気持ちが高揚してきた。

ついにインディージョーンズの世界、ペトラ遺跡へ、入場料1万円超え。お勧め裏ルート(2024.1.8~9)

2024.1.8(月)1ドル≒209ヨルダンディナール

本日はいよいよペトラ遺跡観光。
朝7時起床。ホステルからペトラ遺跡に向かう。やはり徒歩30分がまあまあ辛い。

ペトラ遺跡 入場券

昨晩、ペトラ在住の方に教えてもらった、絶景をトレッキング出来る裏ルート(バックドアハイキングルート)で観光することにする。
エントランスから普通に入るルートは1番奥まで片道10km。しかも800段近い階段を登らなければならず往復7時間も掛かる。ペトラ遺跡は広大なのだ。
これを無料シャトルバス+乗り合い4WD+トレッキング1時間で裏から下りて来るだけのコースを教えてもらった。ネットにもほぼ情報が出てこないコースである。

入口でチケットを買う。
世界一入場料が高い世界遺産のペトラ遺跡。入場料脅威の1万円超え。
1日券50JOD、2日券55JOD、3日券60JODという3日券を買わせようとする料金設定。
1日券だと1日で1万400円だが、2日券だと1万1400円なので1日当たりの単価が5,700円まで下がる。なので2日券を購入。3日券もあったがそこまでは要らないだろう。

窓口はドルでもユーロでもディナールでも払えた。クレカて支払うと2%の手数料が取られるのにクレカ払いにしてしまった。直ぐ横のATMで下ろせば良かったのに早朝で頭が働いていない。

裏トレッキングルート(Back Door hiking route)

博物館裏の来た時に降りたバスターミナルに来た。
シャトルバスが停まっていたので出発時間を聞くと8時20分だという。恐らく30分に1本の頻度。

8時20分、他の乗客中らと無料のシャトルバスに乗り込む。
ミニペトラ迄の景色もなかなか良かった。

ミニペトラ

15分走り、ミニペトラ到着。

なぜか誰もミニペトラを見ない。窓口で乗り合い4WDトラックのチケットを買っている。私だけミニペトラの写真を撮りに奥まで行き、その後に乗り合い4WDトラックのチケット5JODを購入すると、私待ちだったのか乗り込むと直ぐ出発した。
本来ならここで一応ペトラ遺跡の入場券をチェックされるようだが、係員が忘れているのかチェックされなかった。運が良ければ無料で入れるかも??

他の乗客は全て中国人。彼らはこの裏ルートの情報をどこで得たのだろう。さすが人口大国だけあって中国人コミュニティの情報量は凄い。

4WDは颯爽と絶景の中を進む。かなり揺れたり跳ねたりするがそれもまた楽しい。最後に乗り込んだお陰で1番後ろの席で絶景を楽しむことが出来た。早朝なのでかなり寒い。

15分程走るとただの岩場の近くで降ろされた。他の観光客がいなければ道が全然分からなかっただろう。

その後は絶景を1時間15分トレッキング。そんなに時間がかかると思っていなかったので、まあまあハードだった。しかしそんな疲れを払拭するほどの絶景だ。ペトラ遺跡よりこの絶景の方が楽しかったように思う。

同行の中国人たちも私の写真を撮ってくれたり親切だった。ロバを連れた客引きもいて疲れた人らは途中で乗っていた。

エド・ディル

ペトラ遺跡最奥のエド・ディル到着。

本来なら3時間掛けて辿り着くこの地にショートカットで来れた。
2000年前に50mを超える巨大な岩を削って作られたナバタイ人の修道院。元々は人々の集会場所だったが、のちにキリスト教の礼拝堂として再利用されたので修道院と呼ばれている。
1枚岩であることが1階部分の地層を見てもとれる。

ほっと一息つき、向かいの丘の上のビューポイントに登る。

砂漠地帯なのに猫がたくさんいる。ご飯をくれとまとわりつかれるので生活はかなり過酷なようだ。取れるエサなんてなさそうだし。

ペトラ在住の方の話によると、ペトラ遺跡では至るところに無許可の地元の人が入り込んで商売していたが、1週間前に政府によって一掃されてしまったらしい。
それでもまた入り込んでいる土産物屋が今は数軒あるだけで少し寂しい。
偽スターバックスなどもあり入ってみたかったが、ゆっくり写真を撮る暇もない位客引きがうざかったらしいので、観光地としてはなくなって良かったのかも知れない。

ここから800段近くある階段を下って正規の入り口まで歩いて行く。下りなのでまだましだったが、ホテルからペトラ遺跡までも30分歩いたし、更に1時間以上トレッキングした後なのでやはりキツイ。

途中、ペトラ迄一緒に来た韓国人の女の子とすれ違った。彼女は21歳という若さだが、それでももう相当疲れていた。私がどうやって彼女より早くここまで来たのか不思議そうだった。

獅子のトリクリニウムカスル・アル・ビント(娘の宮殿)を抜け、レストランがある地帯を通る。さらっと書いているがかなりの距離。足がガクガクしてきた。昔の人らはこの距離を移動していたのか?途中ロバが器用に階段を登っていくのを見たのできっとロバを使って荷物を運んだりもしたのだろう。
お腹が空いてきたが、ペトラ遺跡内のレストランはコーラですら相当な高額らしいので持参の水のみで過ごす。

ペトラ教会

少し本道を逸れたところにある教会跡へ。こちらは青の教会。

ペトラ教会。5世紀末に建立されたが地震で崩れたらしい。昨日博物館でみたモザイクタイルはここの床のものだったようだ。

この時点でもう体力をほぼ使い果たしたような状態になったしまった。
旅をするなら若い方がいいというのはこういうことか。なんとしてでも入り口まで戻らないと帰れない。ロバ商人がしきりに「ドンキー?ドンキー?」と話し掛けてくるが、乗っても大幹筋肉を使いそうだし途中までしかいかないので断る。

大神殿列柱道路王家の墓劇場は遠目に見るだけにし、ひたすら入口へ向かう。

エル・ハズネ(宝物殿)

13時。他の人よりかなりのスローぺース、鈍足歩行。1番の見どころエル・ハズネが隙間から見えてきた。

デカい!壮麗な神殿は高さ40m。
しかし動画など見過ぎたせいで、想像通りのインディージョーンズの世界。そこまでの感動はなかった。バックパッカーをスタートさせた20代の時に見たアンコール・ワットは声を失ったものだが・・・やはりこれも感受性が弱くなった年齢のせいなのか。

紀元前1世紀の建築物でやはり岩を彫られて造られている。足場なしでどうやって彫ったのだろうか?どのくらいの建設期間だったのだろうか?
この紀元前には相当な繁栄を誇ったペトラの都も、363年の大地震で壊滅的な被害を受け放棄されたらしい。
1812年にスイスの探検家が地元の人の案内で発見し、今では世界的な観光地として人々を魅了している。あんな入場料でもこれだけの人が来るのだから。観光客の半分は中国人。日本人は全く見なかった。

大きな岩を削って作られていて細かな装飾が入っている。しかし装飾の細かさは、何世代にも渡って岩を上から彫っていったインドのエローラ石窟群の方が勝っているか。

シークという通路を通って入口へ向かう。もう足を引きずるように歩いていた。
明日も歩けるかな。。。この体力だと犠牲祭壇以外全部見たし1日券でも良かったのかも。。。

The Cave Bar

14時半に入り口に戻ってきた。朝8時半にここに来たので6時間ほぼ歩きっぱなし。

出口にケイブ・バーというペトラビールが飲めるレストランがあるのでチェックしていた。
ここに入るのをひたすら楽しみにして、ペトラ遺跡の中ではレストランに入らなかったのだ。
15時のオープンと同時に入店。洞窟の中にいるようでなかなかおしゃれ。

久々の生ビール!!
やりきったという達成感と共に飲むビールは美味かった。勝利の美酒という感じ。
ビールもハンバーガーもサービス代込みだと1700円という驚愕金額だったが満足感の方が高い。
ハンバーガーは日本のハード・ロック・カフェにあるような肉汁たっぷりのものでかなり美味しかった。


次の日もペトラ遺跡へ。行こうか迷ったが、2日券を購入しているのでガクガクの足を引きずって8時にまた入口に来た。今日は正規のルートで昨日じっくり見なかった王家の墓あたりを周ろうと思う。

入ってすぐのDjinnブロック。入口で貰う解説書がなぜかここだけ韓国語なので読めない。ヨルダン人の仕事って・・・

エル・ハズネは11時頃が1番日が当たる

入口から歩いて30分でメインのエル・ハズネに到着。
人がいない写真を撮りたかったが、中国人団体客がずっとラクダに乗ったりした写真を撮っていてなかなかいい写真が撮れない。いなくなるのを待っていたら1時間以上経っていた。

10時を過ぎると太陽の光がエル・ハズネに当たり、昨日とは全く違う表情に見えたので待たされてかえって良かったかもしれない。

王家の墓

王家の墓群へ急な階段を登ってやってきた。中は地元の人が住んでいるような跡が??
こんな空間がいくつも並んでいるが本当に墓だったのかどうかは不明らしい。

ここでホステルで作って持って来たおにぎりを食べながら、絶景を楽しんだ。
ここまで登ってくるのは大変だからか人の気配はほとんどない。

大神殿

降りて紀元前1世紀の大神殿跡へ。ここも急な階段を登らないといけないからか全く人がいない。
この神殿でAmazonでダウンロードしておいた本を読んで過ごした。贅沢な時間の使い方だ。

盗まれたユニクロライトダウン

16時にホステルに戻ってひと眠り。昨晩ベッドの上に置いていたユニクロウルトラライトダウンがテラスに行っている間に紛失していて、ホテルやレストランの人に聞いてもどうしても見つからない。盗まれたようだ。
観光に行くでもなく、昼間から部屋を真っ暗にしてずっと向かいのベッドで本を読んでいた男性がいたが、部屋で一人きりになれた人物は彼しかいないので彼が盗んでいったのだろう。貴重品やガジェット類だけはトイレに行くときでもスーツケースに入れて鍵をかけていたが、まさか上着を盗むなんて・・・

もう1枚トルコでジャケットを購入していて助かった。まああんな小さくパッキング出来る上着は外人も欲しいだろうな。

Alrobian Fish & More Restaurant

夜はホステルの近くにある口コミ5.0という魚料理のお店に来てみた。ケバブはもう飽きたのだ。
これらも全部で1700円という観光価格だった、口コミ通りのかなりの美味しさで満足。

ペトラ在住のRyoさんにはワディラム砂漠ツアーが感動したとかなり勧められたが、ネットで景色を見た感じ、南米のウユニ~アタカマで見た2泊3日の絶景の方が彩り豊かで上回っている気がしたのでやめた。死海には行ってみたかったが、またアンマンまで戻るのも面倒になり、明日はエジプト行きのフェリーが出るアカバまで移動する。

【死海への行き方】
JETTバスのHPからアンマン⇔死海への経路のバスは予約できないが、当日オフィスに行けばチケットが買える。朝8時半出発、戻りは夕方。
死海ではプライベートビーチのあるホテルを入場料とシャワーセットで5千円位で予約するか、公共ビーチに無料で入るかになる。「公共ビーチはコロナ以降閉鎖中」とネットにあるが「現在は入れた。ただしシャワーも着替え場所もないので女性にはキツイ。」と情報をもらった。

ヨルダンのアンマン観光。ペトラへ移動してペトラ考古学博物館へ(2024.1.6~7)

2024.1.6(土)1ドル≒209ヨルダンディナール

ヨルダンの首都アンマンでほぼ貸し切り状態だった高級ドミをチェックアウトし、そこから徒歩1分の最安値ドミへ移動。

ファラー ホテル

12時にThe Cabin Hostelをチェックアウト。このホテルに来てみたら14時からしかチェックインできないと言う。昨日はやはり早朝からチェックインさせてくれたThe Cabin Hostelにしていて良かった。1泊4.9JOD(999円)

このホテルはツアー・・・というか4名集まればドライバーを手配してくれるサービスを行ってくれている。ロビーの掲示板に行きたいツアーに名前を書き、3~4名集まると手配してくれる。
だが私が行きたい死海が含まれるツアーには誰も申し込みをしていない。1人で死海に行くにはどうしたらいいのか調べないと。

Amman Citadel(アンマン城塞)

チェックインは後にして、ホテルの裏にあるアンマンシタデル(城塞)へ来てみた。
地図だと直ぐ裏手だが、かなり急な坂を迂回して登る。途中の道では砂漠色の建物ばかりのアンマンが一望できた。

カテドラルの中への入場料は約600円。外からペルセポリスで見たような遺跡群がもう見えたので入らなかった。
ヨルダン人の入場料はたった50円。だが、ゲートを通らず横の塀を登って入り込んでいる若い男の子たちもたくさんいた。

反対側の道を下って行く。壁画アートを見るとコロンビアを思い出す。初めての南米入国は恐怖心と相まって印象深かった。

地元のモスクもある。イスタンブールのものに比べるとずいぶん地味だ。

ローマ劇場

I(。・ω・。)ノ♡AMMAN。ローマ劇場が見えてきた。

トルコのパムッカレで見たものよりだいぶ規模が小さい。無料で近づけるが、登るには入場料が必要。ここももう見えているので入らず。

野ざらしの遺跡。保護しなくていいのだろうか。

宿の近くのフセインモスクまで降りて来た。

周辺のバザールを歩き回ったが道がゴミだらけ。魚を洗った水なども散乱していて旧市街のアンマンはかなり汚い。

お腹が空いてきたのでラズベリージュースとファラエルサンド(ヒヨコ豆のコロッケを潰して入れたもの)を買って食べてみた。どちらも味のクオリティは低いが、100円位なのでレストランよりはだいぶ安い。
ヨルダンは思っていたより物価が高いので節約しないと。

ファラー ホテルにチェックイン

宿に戻ってチェックイン、女性専用4人部屋。
千円以下という安さだけあって水回りはかなり古かった。
女性専用部屋はこの部屋のみなので、昨日Uberシェアした韓国人の女の子がいた。彼女は死海へは行かず、明日ペトラ遺跡へバスで行きその後エジプト迄フェリーで行くと言う。ペトラまで一緒に行くとまたUberシェア出来るので私も明日ペトラに行くことにした。死海へはまたアンマンに戻って来てから行けばいいだろう。
(この時点では、私はペトラ遺跡に行った後アンマンに戻ってきて、飛行機でエジプトに飛ぶつもりだったが大きく計画を変えることになる。)

もう一人のシェアメイトは長期滞在者のインド人の女の子。
会話するでもないのに、私がベッドに座っていると正面のベンチの真正面の位置に座ってじっとこっちを見つめてくる。日本人なら正面の位置から外れて座ると思うのだが。。。不思議な感覚だ。
後から宿で会った日本人に「インドは人口密度が高過ぎるからパーソナル空間が小さいんじゃないですか。」と言われ納得。

彼女は私と韓国人の子が喋っていても、急に全然違う話題で会話に割り込んでくる。私の上のベッドで平気で人の顔の横に足を置いてきたり、飲みかけのドリンクが入ったコップを何個も共用部分の床に置くのもインドの文化なのだろうか??

ホテルの階段をを歩いていると、3週間前にイランの宿で会ったTくんに会った。彼はイランの後はイラクを旅していて陸路で昨日ヨルダンに入って来たという。 危なくなかったのか聞いたら全くそんなことはなく、楽しく地元の人らと交流しながら陸路移動していたらしい。私より20歳以上も年下なのに凄い人もいるもんだ。

イランの宿で会った時、無精者の私は彼と連絡先を交換しなかった。
だが、正月のホルムズ島で宿が3時間見つからなかった経験を踏まえ猛省していたので、今回は彼の夕食の誘いに乗り、ちゃんと出会う人らと旅の情報交換をすることにした。実際イランで一緒だったMちゃんは、彼にケシュム島の宿情報を貰ってそこに宿泊していた。コロナ禍以降のネット情報は少な過ぎるし、金額も時間もコロコロ変わる。リアルタイムの旅人からの情報が本当に大切だ。
彼に「同室の韓国人の子がエジプトまで飛行機でなく、船で行くと言っているのが興味がある。」と話すと「僕もそのルートで行くつもりです。」と言う。ならばもし日程が合えばタクシーシェア出来るし安全なので一緒に行こうと約束。


次の日。朝5時半起床。

宿の外は真っ暗。

Jettバスでアンマンからペトラへ移動

JETT Bus Station, Abdali

バスはJettバスという会社のオフィスから出ていて朝6時半の1日1本。片道10JOD。
韓国人の子と一緒にUberで行った。

チケットは昨日の昼間にJettバスのHPからネット予約しておいた。
「日本のクレカがはねられてネット予約出来ない。」との情報も見たが、メキシコでの予約でも強かったJALカードだと1発で予約出来た。
韓国人の子は自分のカードがはねられて決済出来ていなかったことに気付いておらず、窓口で「予約ないよ。」と言われ焦っていた。だが、5席だけ残っていたので当日券で無事乗れた。

だんだん夜が明けてきた。バスは座席が広く快適そのもの。

途中一度だけ休憩。砂漠地域の早朝は寒い。
寒過ぎてホットコーヒーが飲みたくなり、この土産屋でコーヒーとミニクッキーを購入した。レシートを見たら驚異4JOD(820円)。しかもクレカで払うと勝手に店員に日本円建て決済のボタンを押され、更に手数料を取られていた。くたばればいいのに金額は聞いてから購入しないと。

ペトラの町に到着

10時半、バスはペトラ遺跡の入口に到着。バスを降りた人らはこの横のホテルに予約を取っているか?日帰り訪問ですぐペトラ突撃なのか?散り散りに消えていった。

私と韓国人の彼女だけが重い荷物を背負い、急な坂を30分登りペトラの町の安宿街へ向かう。

Rafiki Hostel(ホテル)

韓国人の子はまたも最安値のドミ(バレンタイン・イン)へ行ったが、私はBooking.comの口コミを吟味し、もう少し清潔そうなこのホステルを予約した。
男女混合ドミトリー1泊5.5JOD(1,100円)

フロントにはここから各地への行き方と金額も記載されていて親切だ。

11時。やはり14時~しかチェックイン出来ないとのこと。
ペトラ遺跡へはオープンの7時から入場した方が人の少ない写真が撮れるとネットで見たので、ペトラ遺跡の観光は明日にすることにする。というより、この5時半起きの眠い状態で観光をしても楽しめないだろう。

チェックイン時間までは最上階のベンチで昼寝。

13時半にチェックイン。

ペトラの町は小さいくここしか栄えていない。ショッピングモールもない。たまたまSNSで「ペトラ在住」という男性が、リアルタイムでペトラでの日々を発信していたので連絡を取ってみた。情報が貴重ということを実感した私は即行動に移すタイプなのだ。

彼は今アンマンの死海に居るらしいので、夜にペトラに戻って来た時に一緒にお茶をしてくれると連絡が来た。返信も早いし、当日いきなり連絡が来た私に会ってくれるなんて好感の持てる男性だ。

ペトラ考古学博物館

シャワーを浴びたらすっかり夕方になってしまった。ペトラ遺跡の入口にある無料の博物館へ行ってみることにする。ホテルから30分の距離が地味に辛い。

おしゃれな近代的なデザイン。入場無料。20時半までオープンしている。

日本のJICAの協力の元、2018年にオープンした博物館。日本の国費で建てられているのだから遠慮なく無料で入ることにする。
ヨルダンは観光以外に主要産業がなく、その観光も世界遺産のペトラ遺跡が頼みの綱らしい。
人々の生活は苦しく、どうやら物価が高い=裕福な国という訳ではないようだ。

取り敢えず中に入ってみたが・・・うーん。それほど興味を引く展示はなかった。
綺麗過ぎなので、説明文を増やすとかもう少し工夫があった方がいいかも知れない。

床のモザイクタイルの復元。細かい作業だなぁ。

19時半に死海からローカルバスで帰って来たRYOさんと会って色々話を聞いた。
物腰も柔らかく、温厚そのものといった人柄の若い男性。
私なら3日で飽きてしまいそうなこのペトラの町に1年半も住んでいて、広報活動のために尽力していて感心する。

彼と会えたお陰で、ヨルダンがどういう国なのか、ペトラ遺跡のお勧めの周り方、死海とワディラム砂漠はどちらがお勧めかなどの情報を得ることが出来た。

RYOさんに感謝の意を伝え、ホテルに戻ってインスタントラーメンをすすりながら最上からの夜景を堪能する。窓枠やコーナー部分の淵がないお陰でまるでタワマンの上の階にいるような美しい夜景だ。

宿のわんこ。オーナーは親切だしこの宿は当たりだった。
明日はいよいよ、世界一入場料が高い世界遺産、ペトラ遺跡を訪問する。

イランからヨルダンへ飛ぶ、ヒジャブを取れる開放感(2024.1.4~5)

2024.1.4(木)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート),1ドル≒209ヨルダンディナール

フェリーでのドバイ行き断念。飛行機でイラン→トルコ→ヨルダンへと飛ぶことに。カスピアン航空で1度トルコに飛んだ方が安かったので。

テヘランのエマーム・ホメイニー国際空港

朝6時。テヘランの街中からイマームホメイニー空港へ向かう。イラン入国時は地下鉄で移動したが、始発は6時半かららしいのでSnapp!タクシーで移動、200IRR。

早朝過ぎてタクシーがつかまるまで10分以上費やし焦る。
タクシー運転手が英語を話せたので移動の1時間会話したが、やはり「イランの政治家が悪過ぎる、昔の方が良かった、生活が苦しい。」という内容だった。

7時、空港に到着。出発は9時。
バンデラの旅行会社でドバイ行きのフェリー1.1万がキャンセルになってしまったので、同価格のカスピアン航空というイランの航空会社の便を予約してもらった。
昨夜ネットからチェックインしようとしたが、HPがペルシャ語オンリー。どこまで独自路線なんだ。英語が選べない為、どこをクリックしていいか分からずチェックイン出来なかった。

出発2時間を切っているので、早くチェックインして荷物を預けたいが航空会社のカウンターが見つからない。なんとセキュリティチェックが先で、その向こう側に航空カウンターがあるという他の国とは逆の謎仕様だった。

セキュリティを抜け、チェックインカウンターへ行くと上司っぽい男性職員出て来て長々と私のパスポートをチェックし、どこかへ電話をかけている。
トルコはトランジットのみでヨルダンへ行くこと、ヨルダンは日本人はビザ不要であることを説明し、ヨルダン行きの航空券を見せやっと開放される。

その直後に受けた出国検査でなんと係員に「お前のパスポート、1ページ目が半分破れてるぞ。」と指摘を受ける。

は?!なんで??

チェックイン後2分も経っていないので、考えられるのはさっきのカウンターでスキャンした時か、ページをめくられた時に破れたとしか思えないが、証拠もなくあとの祭り。

この後、この半分破れたパスポートでトルコトランジット、ヨルダン、エジプトへ入国出来るだろうか?不安過ぎる。
ネットで調べるとパスポートを再発行(1.6万)しないといけないと出てきたのが、ブルーな気分に更に追い打ちをかける。

イランの空港にはプライオリティパスのラウンジはない

空港でプライオリティパスを使ってラウンジに入るのを凄く楽しみにしていたが、クレジットカードが使えないイランで、プライオリティパスの存在など誰に聞いても知るはずもなかった。
そりゃそうだな、私はあほか。あるのはビジネスクラスラウンジのみ。

空港内に2軒しかないお店で余ったイランリアルを使い切ろうとしたが、ヒジャブを被った女性店員等に「現金は使えない」「ジュースのみの購入は駄目」など冷たく言われ途方に暮れる。英語とペルシャ語を話せる男性客が助けてくれ、彼を連れて行くと現金が使えた。
イランは街中の人らはフレンドリーなのに、なぜか空港職員らは無表情で冷たい。

とうとうイラン出国。日本を出発する時はまさか自分がイランに行くなんて夢にも思わなかった。
旅先で出会った人からの影響は大きく、不思議な縁や力を感じる。

飛行機の中で、やっと外出時にずっと頭に被っていたスカーフ(ヒジャブ)を取った。イランを出たんだなと実感する。

カスピアン航空は機内食が出るようだ。スカイスキャナーの検索に出て来ないこの航空会社を使ったことがある日本人はほとんどいないだろう。

イランのテヘラン→トルコのアンカラ→アンタルヤ(トランジット)

懐かしのアンカラに到着。
1度来ているし、空港から市内まで距離があるのでこのままアンタルヤを経由してヨルダンへ飛ぶチケットを購入している。正月料金なので2.3万。

クレカが使える便利さ、ラウンジでお酒が飲める有り難さをしみじみ噛みしめる。25日ぶりのビールは苦かった。

20時発の飛行機に乗り込む。
アンカラからアンタルヤに飛んでからヨルダンへ。テヘランから直接アンタルヤに飛んだら良かったかな。ドバイ行きのフェリーキャンセル代で返金されたイランリアルの現金消化の為に、2回も乗り換えのハードスケジュールになってしまった。

ヨルダンのクィーン・アリア国際空港到着

夜中3時にヨルダンのクィーン・アリア国際空港到着。朝まで空港で寝るのももう慣れたもの。しかしここは手すり付きベンチオンリーなので横になって寝れない。

ATMでキャッシングできる喜びも1ヶ月ぶりに噛みしめる。
取り敢えず1万円分、50ディナール(JOD)分下ろしてみた。お札の枚数もゼロの数も少な過ぎて驚いた。これは・・・ヨルダンは物価の高い国なのか??元々ドバイに飛ぶつもりだったので下調べゼロ。

ヨルダンは楽天SIMを使えたが、空港のwi-fiが無料だったので助かった。トルコの空港は無料Wi-Fiは1時間だけだったので。
朝7時にここから市内までのバスが出ているらしい。チケットオフィスは空港から出て直ぐの外のこの小さい小屋。

空港から市内(7th Circle)まで3.3ディナール。イランよりは英語がまだ通じるが相変わらずチケットは何を書いているか分からない。ついついドルで計算してしまい安!っと思ったが、1ディナールは210円なので700円近い。この後もずっとドル換算のクセが抜けず、ヨルダンディナールの罠にはまる。

空港バス到着地点

空港から45分。ただの道路上で降ろされる。乗客はほとんどいなかった。
ここからホテルのあるエリアまでタクシーで移動しないといけない。降りると直ぐタクシーの客引きが寄ってきたが、同じバスに乗ってた韓国人のひとり旅の女の子と目的地が近かったので一緒にUberをシェアすることにした。1人1JOD。

The Cabin Hostel

空港で待機中に、旧市街にある口コミ評価の高いドミを予約したが、8.2JODで1700円以上もした。やはりドルで計算してしまっている。高いので明日からは韓国人の子が宿泊している最安値のドミへ移ることにする。

しかし金額だけのことはあり、かなり綺麗で早朝でもチェックインさせてくれたのが有り難い。ほぼ徹夜状態なので有り難く眠りにつく。

アンマンの旧市街を散策

目が覚め、シャワーを浴び外出。イランの寝台列車から殆どゆっくり出来ていないのでかなり疲れているようだ。

AlQuds Restaurant

近所に有名なヨルダン料理のレストランがあるようなので行ってみる。

マンサフという羊肉のヨーグルトの煮込み。お米がついているのがありがたい。
7.5JODと高かったこともあり、かなり美味しかった。本音を言えば塩と醤油で食べたかったけど。。。

夜の町を散歩。まだヨルダンの首都アンマンがどういう町なのかよくわからない。イスラム教の国なので女性はやはり皆ヒジャブを被っている。イランの若い女性はおしゃれなスカーフをふんわり被る感じにしている人が多かったのに対し、ヨルダンではぴっちり顔にフィットしたものを着用していて全く髪の毛が見えないようになっている。

ヨルダンには死海とペトラ遺跡が目的で来たのだが、アンマンには何があるのだろう。明日ゆっくり探索してみることにする。