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バンダレアッパーズからドバイ行きの船が出ない。寝台列車でテヘランに戻る(2024.1.2〜3)

2024.1.2(火)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

最悪の年末年始を迎えた後、本日はいよいよイランからドバイへ。

ドバイ行きフェリーターミナル

ドバイ行きのフェリーターミナルは市内から少し離れているのでSnapp!タクシーで移動。
出航は朝の10時だが、旅行会社のお姉さんに2~3時間前に行くように言われていたので8時に到着。

フェリーターミナルの入口でタクシーごと警察に止められた。チケットを見せろと言うので見せたら
「今日は欠航だぞ?」と。は?
心配してくれたタクシーの運ちゃんとフェリーターミナルの中へ。見事に誰もいない。
ペルシャ語の受付の男性の言葉を翻訳してくれる運ちゃん。
今日は波が荒くて船は出ない、来週も満席だから次に乗れるのは2週間後。チケットを購入した旅行会社へ行って払い戻ししてもらえだって( ;∀;)

運ちゃんにお礼を言って別れる。
チケットは昨年HさんMさんと一緒に旅行会社で購入したので同じ出発時刻。彼女らに連絡してみる。
「ごめーん、みきぷさんとっくに別の場所に移動してると思ってて。31日にキャンセルの電話を旅行会社からもらってたのよ。」と慌てて折り返しの電話がかかってきた。
旅行会社は3人一緒にいると思っているからHさんにしか電話しなかったよう。一瞬、2人とも私が他に移動してると思ってても念のため欠航の連絡をくれてもいいのに・・・とは思ったが、彼女らと密に連絡を取っていなかった自分が悪い。無精者って駄目だな。

その後はしきりに謝る彼女らと旅行会社で合流し、チケットを払い戻し。
1万円分のイランリアルを返してもらっても使い切れないので、ほぼ同額で私はここからテヘランまでの寝台列車と安かったのでテヘラン→トルコのアンカラまでの航空券を手配してもらった。
ドバイへ行くつもりがトルコ行きになってしまった。今回の目的地は残りヨルダンとエジプトだけなのでなるべくヨルダンに近づこうと思って。
そして1度イランで寝台列車に乗ってみたかったのでまあ良かった。バンデラ・アッパーズからなら当日の便が取れた。出発は15時半。

その後3人で近所のモスクを見学したり。。。

最後の食事。3人だと色んなものを食べれて良い。

Hさんはまだイランにいるそう。私とMさんは一緒に寝台列車でテヘランへ向かうのでスーパーで買い出し。大福みたいなものが売っていたが色が凄い。

バンデラ・アッパーズからテヘランまで鉄道で移動

15時過ぎ、MさんとSnapp!でバンデラ・アッパーズの鉄道駅へ。

荷物検査の後、駅へ。かなり早めに電車は来た。ここが始発のようだ。

寝台列車。ウズベキスタンのと造りは変わらない。
下の段なので助かった。イラン人女性親子2名と同じ部屋。
最初間違えて隣のコンパートメントに入れられたが、外国人が珍しいらしく何人ものイラン人女性に囲まれてチヤホヤされまくった。

車窓は絶景。20時間も乗るが、揺れないし足は延ばせるしトイレもついてるしで快適そのもの。

同じ部屋のイラン人親子はヤズドで降りたのでそこからは貸し切りになってしまった。Mさんは別の車両。最初は紅茶やお菓子が無料で出たが次の日の朝に紅茶を頼んだら有料だった。

12時。テヘラン駅に到着。

イラン入国時に宿泊した最高の宿、HeritageHostgelへ行こうと電話をしてみたがドミトリーがあと1室しか空いていないらしい。中心部でGoogleMapでゲストハウスと記載のあるとこに来てみたがGoogleの表示間違いなのか「宿ではない」とインターホン越しに怒られた。

困ってもう1度HeritageHostgelの予約状況をネットでみたらキャンセルが出たのか2室空いていたので慌てて予約して地下鉄で向かう。テヘランは渋滞しまくりでタクシーだと全然動かなかった。

2週間前は1泊7€だったのに今は10€にも値上がりしていた。
明日の早朝、トルコのアンカラへ。1度行っているのでもう降りたくないのでその日中にその空港からヨルダンへ行く航空券を取った。
明日は空港泊で飛行機3便乗り継ぎというキツイ旅程になる。

イラン人は親切でフレンドリーな人ばかりだったし治安も良くて一気にイランのイメージが覆った。いい国だと思った。諸外国と仲が悪いのが政府の政策(核兵器製作など)のせいなのが残念でならない。
お酒が飲めてヒジャブを被らなくて済むなら、物価が安過ぎてずっといれる自然豊かで美しい建築物でいっぱいの歴史の深い国である。

しかしビザは1ヶ月で切れるし、外国人はATMもクレカも使えないので手持ちの現金が切れる前にイランを出なくては。

明日、長かったイラン旅を終えてこの国を出る。

イランのただの路上で降ろされ最悪の年明けに。また宿がみつからない(2023.12.31~2024.1.1)

2023.12.31(日)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

本日はバムからバンダレアッパーズに戻る日。
イランのバンダレからドバイへのフェリーチケットは1月2日だが、ギリギリ前日1日に戻るのは不安なので31日の今日、バンダレに戻ることにする。

アクバルゲストハウス

宿代1泊10ドルを支払い、12時頃チェックアウトしようとするとアクバルおじいちゃんが
「こんな時間にどこに行くんだ?」と言う。

「午後にバスが通ると言ってたから、今からバスステーションに行ってバスを待つんだよ。」
「バスは15時~16時位の間に通るぞ。14時に車で送ってあげるからここで待ってなさい。」

と言われた。庭になっているオレンジも沢山くれた。おじいちゃんは頼もしい。日本人はもうほとんどここには来ないと言い少し寂しそうだった。

バムのバスステーション

14時過ぎにアクバルおじいちゃんが送ってくれた場所は、バムに来た時に降ろされたラウンドアバウト(円形環状交差点)だった。

バスターミナルからは少し離れた場所。
アクバルおじいちゃんはここの周囲の人らに私がバンデラ・アッパーズ迄行くことを知らせ「バスが来たらこの人たちが停めて呼んでくれるから大丈夫、この建物で待ってなさい。」と言ってくれた。
おじいちゃん、ありがとう。おじいちゃんの顔を忘れないように一緒に写真を撮った。

中で待っていたらお腹が空いてきたので隣のボロボロの売店でコーラとお菓子を購入。今日の食事はこれとオレンジのみ。
これでバス代とバンデラ・アッパーズに到着してからのタクシー代を残して、イランリアルは使い果たしてしまった。これも全て金曜日に全ての両替屋が閉まっていたせい。バムに来てから1度もレストランなどに入っていない。だいぶ痩せたような気がする。

バムからバンデラ・アッパーズへ移動

15時半にバスがやってきた。バスステーションでバスを停めてくれる役の人はちゃんと親切に呼びに来てくれた。乗客は今回は女性と子供のグループが3組乗っていたので少し安心。そして今回もバスはパキスタンからやって来たバスのようで、運転手と数人の給仕の人らは全てパキスタン人。こいつらがたちが悪かった。

バスに私のスーツケースを積み込もうとする時、油性マジックで直接何か数字を書こうとする。

「ちょっ直接書かないでよっタグか何かないの?」
「番号書かないといけないんだよ、ならこの黒い所に書くわ。」
「黒いとこに書いても見えないでしょうが!というか、油性ペンで直接書くな(-_-メ)」

という押し問答を繰り返し、私がノリ付き付箋を取り出してスーツケースに張り付けてやっとそこに番号を書いてくれた。これからも何か国か移動するのにその度にマジックで番号を書かれたら番号だらけになってしまう。一体人の荷物を何だと思っているんだ。

15時半に出発し行きと同じ時間かかるなら23時にバンデラ・アッパーズへ着けるだろう。
そう思ったがバスは走り出してすぐ経路をそれ、しばらく走って寂しい何もない廃墟に到着。
毎回ここに到着するるのか、このノラ犬たちも凄く懐いている。

ここで前後のガソリンの給水口にホースを差してずっと何かしている。待ち時間が長く退屈なのでバスから降りてその写真を撮ろうとしたら凄く怒られた。最初はガソリンを給油しているのかと思ったが、逆で抜いているようだ。この正面からの写真も撮ったら「消せ、もういいからお前は中に入っていろ」とかなり焦っている。

どうやら凄く悪いことをしているようだ。バス会社のお金で給油したガソリンをここで抜いて、それを別の場所で売りさばいてでもいるのだろうか。

ガソリン抜きでだいぶ時間をくっているのでさっさと進んで欲しいのだが、17時ピッタリになると急に砂漠の真ん中でバスは停まり、悪い奴らは降りてお祈りをし出した。

仏教の教えに沿って言えば、あんな悪いことをした後に神に祈っているのが滑稽に思えてならない。どれだけ祈ろうが地獄行き決定なのだが。。。
イスラム教の教えだと、どれだけ悪行を尽くしても神に祈りさえすれば天国に行けるのだろうか。

この後、給仕の人が私のバス代を回収に来たが行きは130万リアルだったのに200万リアル(600円)取られた。治安の良くないエリアだし、悪人数人どもに反論して機嫌をそこねても嫌だったので大人しく支払った。

(この後、バムと同じケルマーン州で1月3日に爆破事件が起こってしまう。)

帰りもバンデラ・アッパーズの町が近づいてきたかと思ったら道をそれて寂しい村の中に入り、廃墟でまた給仕の男性らがガソリンを抜いて床の大きな穴に入れている。そして何か別の液体と混ぜ出した。ここは彼らのアジトの製油所だろうか??同乗の女性家族らは慣れているのか終始無言で作業が終わるのを待っている。

バスにはまた別の液体を入れている。純粋なガソリンじゃないのかずっとバスの中はオイル臭かった。日本だったら警察に通報するのだがここでは何も出来ない。

これらの悪事と思われる作業を終え、バスが元の経路に戻った時点で0時を回ってしまった。

ハッピーニューイヤー2024!!

イランのバスの中で悪徳パキスタン人らと迎える最悪のカウントダウンだ。
イランはペルシャ暦で動いているので今ここは12月31日ではないのだが。
そして私からチケット代をぼったくった給仕係が、家族の写真を見せながらGoogle翻訳を使って話し掛けてくる。

給仕「今から僕の家族がパーティをするからお前は来ないといけない。」

なんで上から目線やねん!!しばくで、パキスタン人(; ・`д・´)
こういう場合、現地の人とコミュニケーションが取れて楽しい場合もあるかもだが、こいつはガソリン搾取野郎で信用できないので絶対行かない。
・行く前に襲われる
・行ってから「ペルシャ絨毯を日本に運んでくれないか。」と持ち掛けられる
のどちらかが関の山だろう。

バンデラ・アッパーズのバス停に辿り着く前に女性家族客らは自分たちの村辺りで降りてしまった。
結局給仕のホームパーティの誘いを断ると、終点まで行くのが面倒になったのか、乗客が私だけになったタイミングで「ここからはタクシーで行け。」と
何もない交差点でと降ろされた。
「バスターミナルまで行かないのか?」とGoogle翻訳で話すが返ってきた返事はこれ。

知ってるわ!!
絶対こんな交差点が終点ではないだろう。イラン人の親切さの欠片もないパキスタン人。深夜に外国人女性ひとりをこんなところで降ろせる神経が信じられない。くたばればいいのに。

元旦のバンダレ・アッパーズは宿がない

そこからSnapp!タクシーを呼んだが、呼んだタクシーが近づいてきたタイミングでニセのタクシーが停まり、私が「エスナップ??」と聞くと「そうだ。」と言う。信じ込んで乗り込んだらただの白タクで、本物のSnapp!タクシーなら目的地がアプリで分かるはずなのに運転しながら執拗に目的地を聞いてくる。全く英語が話せない人なので「港へ行ってくれ。」と言ってるのに通じず、紙に鉛筆でペルシャ語で「目的地は?」と書いてきた。聞いて分からない言葉を文字で書かれても分かるかい!なぜイラン人はペルシャ文字が外国人に読めると思っているのか??この時点で「エスナップちゃうやんっ」と言って怒って降りた。

もう一度タクシーを呼んだらちゃんと来てくれ、目星を付けていたホテルの前で降ろしてくれたが入口が閉まっていた。もう0時を回っているのでフロントの人も寝ているようだ。それもこれもこんな時間に到着したのは全てパキスタン人バスがガソリンを抜きに2回道から逸れたせい。

元々宿泊していたKawserホテルも満室。その通りにあるホテルも全て満室。見ると車が沢山停まっていて地方からここの海辺に来た宿泊客だらけのようだ。カウントダウンパーティでもあったのだろうか。

一人で深夜1時、スーツケースをガラガラ引いて歩いているとヤズドから来たという男性が心配そうに声を掛けてくれ「この街を独りで歩いていると危険だ。」と一緒にホテルを探してくれた。

結局10軒以上ホテルを周ったが空き室は見つからず「海辺で野宿するよ。」と言ったのだがヤズドの男性が「絶対だめ」と許してくれなかった。
2時間以上歩き回り、深夜3時になったので唯一見つかったGoogleMapで評判最悪の大規模ホテルのスイートルームに泊まることにした。値切ったがベッドが3台ある5000円以上するこのスイートルームしか空いていなかった。
疲労困憊。皆がカウントダウンで盛り上がっている中、海外旅行中にこんな悲惨な正月を迎えた人は他にいるのだろうか。

最悪な2024年の幕開けになった。


最悪のホテル

朝食付きだったのでほとんど寝ていないが8時に目覚ましをかけ朝食会場へ。

イランのヘラべったいパンが洋服入れのようなケースに入っていて食色が失せる。

いつもと同じメニュー。少しでも5千円の元を取ろうとお腹いっぱい食べた。

手持ちのイランリアルは昨夜全て使い切ってしまったので、両替屋へ。
やはり元旦は関係なく全ての店が開いている。テヘランと同じ1$=490万IRRで両替してもらい、チェックアウト時にホテルの真っ黒なチャドルを身にまとったフロントの女性に払ったら怒ったようにパスポートを投げて渡され、私が荷物を置いていた場所に消臭スプレーを大量に掛けられた。
外国人観光客への嫌悪感なのかアジア人差別なのか、チェックイン時間を過ぎていたから怒っているのか分からないが、イランに入って友好的な人ばかりだったので驚いた。

ムカついたのでホテルの口コミにくそレビューをしておいた

再びKawserホテルへ

再び以前宿泊していたKawserホテルに戻ってきた。昨日ホテルを探し回ったところ、バンダレではここの1900円より安いホテルはなさそうだ。
今回は空いていて同じ部屋に通された。さっきのフロントの女性の態度を思えば、私に愛想よく接してくれる従業員もいるし、ここがいいホテルに思えてくる。

ホルムズ島行き失敗

明日の朝にドバイ行きの船に乗るので、今日1日はケシュム島の隣にある小さな島、ホルムズ島へ日帰りで行こうと港のフェリー乗り場に13時半に来てみた。

チケット売り場に人はなく、13時のフェリーの次は17時だった。
ケシュム島はここからフェリーで1時間弱で到着する小さな島。着いたらレンタルバイクで1周しようと思っていたのだが次の17時のフェリーだと到着時は真っ暗だろう。計画が破れてショックだった。
ケシュム島へ行ってみたかった。

Fish Marketへ

ケシュム島は諦めてバンダレのFish Marketがある方へ歩いて行ってみる。

幼稚園かな?

海沿いなので地元のフェーストフード店のようなところで海老とライスを食べてみる。まあ美味しかった。コーラも入れて1000円位。

すぐ横のフィッシュマーケットに行ってみたが、鼻がもげるかと思う位臭かった。
よくみると魚の内臓を道路上でさばいて捨てている。衛生面とか大丈夫なのだろうか。
ここには「仮面の女」が沢山いると聞いていたとおり数人いた。

ケシュム島、行きたかったな・・・
しかし体力的に今日行くのは無理だったかも知れない。昨日数時間しか寝ていない。

中心地へ戻って来た。
ケンタッキーがあるのかとよく見てみたら・・・姑息に真似なんかしないで欧米文化を取り入れたらいいのに。イランの政治事情は複雑だ。

明日はとうとうイランを脱出してドバイへ向かう。

バンダレアッパーズからバムへ、古城アルケ・バムがどうしても見たい(2023.12.29~30)

2023.12.29(金)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

1月2日のドバイ行きの船が出るまで、ここバンダレ・アッパーズで時間を潰すのは何もなくて気が狂いそうなので、ここから北東にある古都バムへ行くことにする。

地震で壊滅したバム遺跡を見てみたい

226年のイランの王朝、ササン朝ペルシアの時代に最初の都市が建設されたと言われているアルゲ・バムは、1722年にアフガニスタンの軍による進行により廃墟。その後もシーラーズの攻撃によって再び町の放棄を余儀なくされたらしい。
アルゲ・バムは日干しレンガに似た、砂や粘土、わらなどの天然建材で建設された最大の遺跡だったのだが、2003年12月26日、マグニチュード6.3の直下型地震によって大きな損傷を受け、4万人もの人が亡くなった。2004年の世界遺産登録と同時に「危機にさらされている世界遺産」にも登録され、現在も修復が続いている。(危機遺産はその後解除)

GoogleMapで見ると5時間半位なので、シーラーズより近いと思うのだが。。。
行き方の情報がネットにほとんどない。バムがあるケルマーン州は現在外務省の海外安全情報で不要不急の渡航中止勧告が出ているせいなのか、それとも2007年に日本人誘拐事件があったのでそのせいなのか。
しかし2019年のブログなどで行っている人がいるにはいるようなので、安全とふんで行くことにする。どうしても砂の古城と迷路のような廃墟の都市を見てみたい。

金曜日はバンダレのお店も両替屋も全滅

手持ちのイランリアルは残り650万(1950円)しかないので、起床してから両替しに街に出てみたが昨日までと様子が違う。町がまるで廃墟のよう。金曜日はイスラム教の国の休日なので全ての店が閉まっているのだ。テヘランからシーラーズ迄の観光地では金曜日でもほとんどのお店が開いていたのでこれは盲点だった。
GoogleMapで表示される全ての両替屋を周り、2軒ホテルのカウンターまで行ったが全滅だった。
困り果てその辺の貴金属屋のお兄さんに両替を頼んでみたら1$=450万という最悪レートだったので断る。まあただの個人が善意で両替してくれるという形なので仕方ない。

Kawserホテルの愛想の悪いフロントに支払いは無理やり1$=480IRRでドル払いでお願いし、朝食兼昼食を数日前に購入したのと同じ路上弁当屋で50万IRR(150円)でナスのスープを購入。ご飯は半分残して夜ご飯用に置いておく。
もしバムにも両替屋がなければ、ここに戻ってくる3日後までなんとか手持ちの650IRR(2000円)で過ごさないといけない。

バンダレ・アッパーズのバスターミナル

両替屋を全て回っていたせいでもう13時。GoogleMapでバスターミナルと記載のある場所にSnapp!タクシーで来た。
宿の人にバスターミナルからバムに行けるか聞いたら「行ける。」とは言うが、英語で質問する度にうっとおしそうに「翻訳機でペルシャ語を使え」とスマホを指差してくるので何時発なのか詳しく聞けなかった。ムカつく宿だが、チェックアウト時間は14時だし個室だしWi-Fiがあるしで、他に選択肢がなく仕方ない。

ここのチケット屋もペルシャ語オンリー。受付のお姉さんは感じが良く「バム行きは15時。」と言ってチケットを発行してくれた。130IRR(390円)。
バスはこれまでのように1時間おきにあるかと思っていたのだが午後はこの1本のみのようだ。もしかしたら1日にこの1本だけかも知れない。

バンダレアッパーズからバムへ移動

10分前に乗り込んだら誰も乗っていなくて凄く不安だったが、15時ちょうどにどこで待機していたのかパキスタン人男性らがワラワラ乗ってきた。なぜパキスタン人だと分かるかというと、前後にエプロンをかけているような服装をしているからだ。どうやらこのバスはバムが終点ではなくパキスタンまで行く国際バスらしい。全員男性で女性は全くいないのが更に不安を煽る。

運転手までパキスタン人だったのだが、これまでのバスと違い一向にスムーズに進まない。
頻繁に停車しては、写真の左のように皆がたばこを吸い出したり、奥の方に行ってスカートのような服装を持ち上げて座ってトイレをし出したりする。
あらあら、おしりが隠れて便利な服装ね~( *´艸`)はあと♪とか思・・・

う訳ないだろういい加減にせえよ、パキスタン人!

とまあ。。。車窓は絶景で楽しめたが、5時間半で着くと思っていたのに何度GPSを見てもバムはかなり遠い。予約サイトに全くバムの宿が載っていないので今夜の宿は予約していない。夜中に着いたらどうしよう。。。

とうとう23時になってしまった。GPSを見たらバムまであと5分の距離なのに、なんとここで全員降ろされてこのレストランで30分休憩を取るという。はぁ?!バムを越えてから休憩せえよっ

23時半にバムの町に到着。ただの円形サークルがある場所に停まり、降りたのは私だけだった。
早速タクシーを呼ぼうとSnapp!アプリを起動させてもこんな田舎で誰もつかまらない。
目星を付けていたホテルまで徒歩20分。トボトボ歩き出すとすぐに親切なイラン人男性の車が横に停まってくれ、ホテルまで無料で送ってくれた。やはりイラン人は困っている人を見ると放っておけないのだろう。

Akbar Tourist Guest House(アクバル ホテル)

予約していないホテルに23時半に着いて入れてくれるか不安だった。
案の定入口は閉まっていたが、ブザーを押すとだいぶ時間が経ってから眠そうな老人がインターホンに出てくれた。オーナーのアクバルおじいちゃんだ。

もう寝ていたようでパジャマだった。
「とにかく部屋でもう休め。話は明日。」とスーツケース2階まで持って上がってくれた。
1泊10ドルで個室。

トイレは相変わらずシーラーズ以降は全てイラン式。おじいちゃんにお礼を言い、7時間半のバス移動の疲労のためすぐ眠りについた。


次の日。
朝起きるとアクバルおじいちゃんがニコニコ顔で固いせんべいのようなものと自家製リンゴジャムを出してくれた。紅茶はイラン式の飲み方だと角砂糖をかじって口に含んでから飲むらしい。虫歯になりそうなので、普通に紅茶に溶かしたが。

「昨夜は遅くに起こして本当にごめん。」と言うと「ホテルのオーナーの仕事として当たり前。」ととても感じがいい。英語講師をしていたそうで英語が堪能だ。「なんであんな遅くに着いたんだ?」と不思議そうだったので私が乗ってきたバスは特別遅かったようだ。

朝食後、シャワーを浴びた後も昼食をくれた。ラム肉だろうか。右下のフルーツは柿のような味がする。凄く美味しかった。手持ちのイランリアルが少ないので食事代が浮いて助かった。

このホテルはちょくちょく先人のブログで見掛け評判が良かったので来てみたのだが、日本人どころか外国人観光客すら見掛けない。私の他は、おじいちゃんの知り合いのイラン人が数人宿泊している感じだ。
しかし外の柱に日本語があるので、何十年も前はここに沢山日本人が来ていたのだろうか。

メインのアルゲ・バム遺跡に行く前にタクシーアプリでバスターミナルに来てみた。
このタクシーが初の若い女性ドライバーだったのだがかなり最悪だった。アプリで私の位置が分かるはずなのに、なぜか待っている場所に一向に来ない。何度もメッセージをやり取りしてやっと会えた。

助手席に2歳位の子供を乗せていて、乗った瞬間からずっと子供を指差しながら後ろを向いて一方的に喋ってくる。もちろん運転しながら。
雰囲気的に「子供の生活費が大変なの。」と言っている感じだ。何となく先が見えてきた。「ペルシャ語で話されても何言ってるか分からないよ。」と何度も伝えるが後ろを向いて喋るのをやめない。運転に集中していないので交差点でギアをバックに入れた時は、後ろの車と危うく衝突しそうになりヒヤっとした。
一方的な会話過ぎ、「分からないから。」と言うと今度は後ろを向きながら親指を中指をこすり出してくる。「金くれ。」の合図だ。

こちらが相手を気に入って最後にチップをあげるのはいいが、乗った瞬間からニヤニヤ笑いながらずっと金くれと言っているのが気に食わなかった。どのみち私の手持ちのIRRはほとんどないのでチップはあげれない。
目的地に着いたらSnapp!アプリに示されたのと全く同じ金額を渡したら案の定凄く文句を言ってきたが無視して降りた。
降りた後、歩いてバスターミナルの建物に入るまでに3回アプリに登録していた電話番号に電話がかかってきた。もうしつこくてホラーだった。

バスターミナルには窓口が2個あるだけで客も全くいなかった。バンデラ行きのバスはここから出ないのだろうか?「明日のバンデラ行きのバスチケットを予約したいです。」とGoogle翻訳で見せると「明日16時にここに来たら教えてあげる。」と言われた。
バスはここが始発ではなく、何時にここを通るか当日の夕方にならないと分からないようだ。チケットの予約は出来なかった。

アルゲ・バム

バムに来た目的、アルゲ・バム遺跡に行くことにする。バスターミナルから遠かったがSnapp!アプリで呼ぶとさっきの女の人が来たら嫌だったので30分歩くことにした。
歩きだしたらまたすぐ親切なイラン人男性の車が停まって無料でバム遺跡まで乗せていってくれた。

男性は「あなたはゲストです。是非僕もバムの中にも一緒に入ります。案内させて下さい。」
とこれまた親切に申し出てくれたが、Google翻訳でしか会話出来ないのが面倒で丁重にお断りして一人で入場した。200IRR(600円)。

観光客は全くおらず、入った瞬間から廃墟をひとりで歩いているという高揚感でわくわくが止まらなかった。これはまるでドラクエに出て来るダンジョンではないか。

砂浜で作ったような城の特大版みたいなものが見えてきた。あれが砂漠の古城バム!
中に鉄骨が入っていないとこれは地震で潰れるだろうなぁという造り。

集会所。この辺りは修復がだいぶ進んでいるようだったが、奥の廃墟とのコントラストが凄い。

城に登って見下ろしてみる。
元々が遺棄された廃墟だったらしいので、どこまでが元の姿でどこまでが地震で潰れたのかよく分からない。バムの町を遺棄した人々は故郷に戻ろうとは思わなかったのだろうか。

登れるところまで来ると正に修復現場。工事現場のイラン人男性3名がいた。
1人は工事監督なのか、座って何もしておらず2人だけが作業している。この広大な敷地に2人工。このペースだと元の姿に戻るのはあと百年ぐらいかかるかもしれない。

現場作業のおっちゃんらに日本人だと言うと「足場を支援してくれた。ありがとう。日本の足場はしっかりしている、イランのは木製。」と感謝された。世界を旅していると日本という国があらゆる国で支援を行っているのを知ることになり日本人として誇らしい。

現場監督のおっちゃんに、工事中のこのてっぺんまで登らないかと提案されたが、また「マネー」と言われたので引き返した。頼めばタダで登らせてくれそうな雰囲気だったがもうマネー攻撃にうんざりしていたので。

下に降りて地震で崩壊した現場を歩いてみる。
今にも私の方に崩れそう。侵入禁止の柵がちゃんとされていないので後から気付いたがここは入ってはいけないエリアだったよう。

1時間以上滞在した。夕日に輝く廃墟バムを見て、やはりここに来て良かったと思えた。
ほぼ貸し切りなのも哀愁が漂っていていい。

歩いてアクバル・ゲストハウスへ戻る。
途中の道はずっと車の整備工場が続きオイル臭く、カフェなどない。
バムは特段楽しめる町ではなさそうだ。明日にはバンデラ・アッパーズへ戻ろう。

20分ほど歩いて宿に戻ってきた。イランの世界地図はイラン中心で日本は切れていて見えない。
アクバルおじいちゃんに「バスターミナルでバスチケット買えなかったんだけど。」と言うと「円形サークルの場所で通るバスを待たないといけない。バスの時刻は午後しか決まっていない。」と言われた。それは難易度高そう・・・

残りのイランリアルが乏し過ぎるので、夜ご飯は近くのスーパーのポテチとレーズンケーキにする。隣の部屋のイラン人のおっちゃんらが大量にみかんをくれたので助かった。これで明日の朝食もいけそう。

砂漠地帯のバムの夜は寒すぎたので、アクバルおじいちゃんに言うとストーブを出してくれた。
明日は悲惨な年末年始を迎えることになるとは想像だにせず就寝した。

イラン、ケシュム島のチャコーキャニオンとスターズ・バレー(2023.12.27~28)

2023.12.27(水)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

一昨日は深夜バスで数時間だけの睡眠、今日も強欲おっちゃんの、余っている部屋の床で寝ただけなので疲れが全く取れていない。
仕方ないがスーツケースを持ったままSnapp!タクシーでケシュム島リフトという町から移動することにする。ケシュム島での今夜のホテルもまだ見つからないのも不安。

チャコー・キャニオン

Snapp!タクシーで来た今度のおっちゃんは信頼出来そうな人だった。
おっちゃんは警察官だが、昨年心臓の手術をしたのと娘が結婚したばかりでお金がかかるので副業でタクシー運転手をやっているそう。

観光客からお金を取ろうとする人はすぐ「他の観光はどうだ?」みたいな話をしてくるが、今回のおっちゃんは日本文化に興味があるようで「日本人の結婚する平均年齢は?ネットで見たが、日本は裕福な国なのになぜ自殺率が高いんだ?」など聞いてくる。悪徳タクシーではなさそうだ。
こちらもイランのことが色々聞けて楽しいのだが、おっちゃんが全く英語が話せないので助手席からGoogle翻訳を使いながらスマホの画面で会話するのはかなり疲れる。私が表示された日本語が一瞬で読めるのに対し、おっちゃんがペルシャ語を読むのは凄く時間が掛かっている。読みにくい記号みたいな文字だもんなぁ・・・

1時間近くタクシーに乗ってチャコー・キャニオンに到着。入口には「仮面の女」がお出迎え。

女性が仮面を付けて生活する文化がケシュム島には残っている。16世紀にイラン南部一帯を占領したポルトガル人から現地の若い女性を守るために、遠目に男性に見えるような口ひげ型の仮面を着けさせたことから始まったらしい。
今もケシュム島や隣のホルムズ島にはこの「仮面の女」がいる。私は昨日フェリー乗り場で見ることが出来た。目の部分はもっと細くしか空いていなかったので視野がかなり狭く歩きにくそうだった。

この仮面はネガーブと呼ばれお土産にもなっている。

さて。ここではネットが繋がらないので帰りのタクシーが呼べそうにない。
Snapp!のおっちゃんに、ここで1時間待機し、東のダルガハンまで追加料金で行ってくれるか聞いたら45分だけなら待てるという。
昨夜歩き回ったリフトの町には全然ホテルがなかったが、ダルガハンならHostel Worldという予約サイトに1軒だけホテルが掲載されていたので泊まれると思ったのだ。しかしネットから予約は出来なかった。

入口で入場料の100万IRR(300円)を払う。
おっちゃんには「ついてこなくていいよ、待ってて。」と言ったのだが、おっちゃんは運転手ということで無料で入場出来たのが嬉しいのか、一緒に中に入って楽しそうに写真を撮りまくっている。

私たちの写真も撮ってくれた。おっちゃんは娘さんにも電話して「ジャポンと一緒にいる。」みたいなことを楽し気に話している。

途中にある解説を読むと、恐らく昨年行ったアメリカのアンテロープキャニオンと同じように、鉄砲水による浸食で出来た地形のようだ。なかなか楽しい。

急ぎ足で45分で往復して入口に戻ってきた。
Mさんは、ここまでヒッチハイクをしながらやってくるHさんと合流し、もう1度ここをゆっくり見学してから2人でカウチソファー宅へ向かるそうなので別れた。狭くて3人は無理らしい。
私は目星を付けていた宿に向かうべくSnapp!おっちゃんにダルガハンまで送ってもらう。

チャコーキャニオンからダルガハンまで1時間。途中油田があった。

おっちゃんの車からはひっきりなしに無線がかかってきていて、焦って車を飛ばしている感じだった。Snapp!に表示された車のナンバーと違う車両だなぁとは思っていたが、恐らく警察の仕事中にバイトしているのだろう、こら。

ダルガハン到着

ダルガハン到着。
おっちゃんがトランクから私のスーツケースを出して渡してくれ、お礼を言って約束の350IRRを渡すと、やはり急いでいたようで猛スピードで町の中へ消えていった。

歩き出して30秒ほどで、車のトランクにスーツケースと一緒に入れていたジャケットを受け取り忘れたことに気付いた。トルコのイスタンブールであまりにも寒いので購入したのだが、ここは真夏のように暑いので脱いだもののスーツケースに入らないので横に置いておいたのである。
慌てておっちゃんの携帯に電話したら出てくれたのだが、こっちは英語、あっちはペルシャ語で全く会話が成り立たない。1つの単語も知らない言語だと、同じことをどれだけ繰り返し言われても、1ミリたりとも理解出来ないんだと英語の有難みをしみじみ感じた。
とにかく私が「トランク!ジャケット!」と言うとおっちゃんは「ジャケット!OK!ジャケット、ダルガハン!スリー!」と言ってくる。何のことか意味がわからないがこの会話の繰り返しなので「OK」と言って電話を切った。恐らく今は用事があって来れないが、3時にダルガハンに来ると言っているのだろう。しかしダルガハンのどこに?!

とにかく3時までは今日泊まれる宿を探すことにする。
ダルガハンで唯一Hostel Worldに掲載されていたホテルに直接行ってみたが閉まっていた。壁にある電話番号にもかけてみるが誰も出ない。

後から聞いたが、コロナ禍中にケシュム島にあったゲストハウスはほぼ全部潰れてしまったらしい。ここもそうだと思うのだが、だったらHostel Worldから掲載を消して欲しい。

とぼとぼと結構な距離を歩いて、GoogleMapでホテルが集まってそうな海沿いのエリアへ戻る。
3軒聞いたが満室と言われた。これまでホテルのフロントは皆英語が通じたがこの島では全く通じなかった。イラン人観光客は多そうだが外国人観光客は来ないのだろうか。

4軒目。高そうだが部屋数が多そうなホテルに行くと最初6000円位の金額を言われ、帰ろうとすると4500円に下がった。しかしバンデラ・アッパーズ同様ここもドル払い&クレカ不可なので泊まれなかった。私はイランリアルを3000円分しか持っていないのだ。これまでのゲストハウスはドル払いOK、しかも千円以下だったので、この物価の安いイランで最後にイランリアルが余らないように少しずつしか両替していなかった。

ホテルを出たらちょうど15時を過ぎていて、Snapp!のおっちゃんからまた電話かかってきた。
「ジャケット!ダルガハン!イラニアル☆◇※‰!OK?」と言ってくれている。別れてから2時間も経っているがダルガハンまで戻って来てくれたのだろうか?それともそんなもん車になかったよと言っているのだろうか。タクシーを降りた場所に戻ろうにもここから結構遠い。何度も同じ会話を繰り返し、お互い理解出来ないままなので「もういいよ、ジャケットあげるよ。こんな暑い地域で要らないと思うけど。」と私は諦め電話を切った。この後寒い地域に行くことになっても、まだ日本から持ってきたウルトラライトダウンがある。

暑さの中、ゲストハウスが見つからなくて途方に暮れてトボトボ大通りを歩いていたら、向かいから来たゴミ清掃車が私に向かってクラクションを鳴らしてくる。

うっとおしいなぁ・・・

すれ違った後、ゴミ清掃はピタリと止まり、なんと。そこからSnapp!のおっちゃんが降りてきた。
おそらく警察車両は仕事終わりに返却しないといけなくて、車を返却した後、地元のゴミ清掃車に乗ってここまで来てくれたのだろう。(イランの終業時間は早い)
走ってジャケットを渡しに来てくれたおっちゃんの優しい笑顔で、宿が見つからなくて凹んでいたのもあり、感激で半泣きになってしまった。思わずおっちゃんに抱きついて感謝の言葉を述べ別れた。やはりイラン人は親切だ。

ケシュム島のケシュムへ移動

バンダレ・アッパーズからフェリーが到着するケシュムエリアならゲストハウスがあるのではないかと、またスーツケースをひきずってSnapp!で移動。

ここでもGoogleMapやMapsMeを見て5軒以上ホテルを訪ねたが、ゲストハウスと名の付くホテルは市営なのかイラン人しか泊まれないと言われ、他のホテルは1万円以上か、年末年始のためイラン人観光客で満室だった。

やっと空いてる部屋を見つけたこのhotel lachin。GoogleMapの口コミは悪いし、ダルガハンのホテルと同じ4500円だったが、もう17時でヘトヘトだったのでここに泊まることにした。オーナーが出てきてくれドル払い(30$)が可能だった。

広いがトイレはイラン式(和式)、部屋は古いし陰気臭い。
ここが日本だとしてもせいぜい2000円レベルのホテルだが仕方ない。久々マットレスに寝れて良かったと言い聞かせる。

少し休んで、近くのショッピングモールへ行ってみた。

1階にツアーデスクが2軒あったので明日の島1周ツアーの値段を聞いてみたら4千円位だった。安い。聞き間違いで単位がトマンだったら4万円だが…本当に単位はドルで答えて欲しいのだがドル払い不可。
そしてほぼ英語が通じないので、この会社と電話で待ち合わせ出来る気がしない。何よりイランリアルを持っていないので申し込めない。つくづくクレカが使えない国は不便である。

海鮮レストラン رستوران شمالی بهشت قشم

夜は少し歩いたとこに行って魚料理を食べた。せっかく島に来ているので。

魚を頼んだら品切れとのことで、お勧めの海老カレー的?タマリンスパイス味を頼んだ。めちゃめちゃ美味しかった。全部で364IRR(1000円位)だがシーフードなのでこんなものだろう。

次の日。ホテルは朝食付きだった。普通のイランの朝食。ここの従業員はオーナー以外英語が全く通じないし、すこぶる愛想が悪い。シーラーズより南はトイレも和式になったしドルは使えないし少し状況が変わってきた。

仮面の女の壁画。歩いていてたまに見かけるが年配の人がほとんど。

後ろ姿を隠し撮り。こんなうっとおしい恰好、若い人はやらないよな。。。

スターズ・バレー

最後の足掻きで2軒他の安そうなホステルを訪ねてみたが、満室だった。もうここに宿泊するのは諦めて島を出よう。

Snap!タクシーを呼んでもう一つの観光地へ。今度は若い真面目そうなお兄さんだった。ここもネットが繋がらないので入口で1時間待機してから帰りも送ってくれるように頼む。

ケシュム島は面白い地形が多く、人が少ないので楽しめた。

途中、こんな崖を登るが、おばあちゃんが周りの人に抱えられながら降りていた。
なぜそんなサンダルで来たし。みたいなイラン人いっぱい。

ゼイトゥーン・パーク

45分で戻って来て今度は海岸まで送ってもらう。帰りはお兄さんともGoogle翻訳で会話が弾む。相手が聞いてくるので聞き返したら35歳独身だと言う。それにしてもイラン人は初対面でも直ぐに年齢と結婚、子供の有無を聞いてくる。

「お互い独身なので問題ありません。一緒に今夜僕のバンデラの家に帰りましょう。」としつこかったが断り車を降りる。私の方がかなり年上なのに、取り敢えずはなんでもいいのか?!帰りのタクシー代は「あなたはゲストだから。」と受け取らなかった。
イラン人は30代だと殆どの人が結婚しているようだが、なぜ彼はいい人っぽいのに独身なんだろう?収入が低いと結婚出来ないとは聞いたが…

ビーチでケバブとコーラでゆっくり過ごす。海は綺麗じゃなかったので泳がなくてもいい。

17時。そのままホテルに戻って荷物をピックアップし、Snap!を呼んで港からフェリーでバンデラ・アッパーズに帰ることにした。

イスラム教の女性って気が弱いかと思っていたが、チケットを買う時バンバン順番抜かしをされ、なかなか気が強い。船は満席になったら出発だが直ぐに満席になった。

バンデラ・アッパーズへ戻る

好きになれないゴミゴミしたバンデラアッパーズに戻って来た。

港から直ぐのショッピングモールの裏にいっぱいホテルが集まっている。Kawser Hotelがシングルで650万IRR(2000円)で無事1泊とれた。トイレがやはり和式で汚いのがおえー。

「wi-fiを繋げてよ。」と言うと「今配線がこんがらがっているから5分待て。」と言う。
10分後に行ったら「マダム!あと30分が待てないのか?!」と逆ギレしてくるほど従業員は愛想が悪い。
島のホテルにはWi-Fiがなかったので空港で購入した10Gがもう無くなりそうなのに。

ショッピングモールへ行ってみたがこじんまりした店の寄せ集め。一階のカフェが唯一マシっぽい感じ。この町にはおしゃれカフェなど無さそうだ。

こんな町でドバイ行きのフェリーが出る1月2日迄過ごせそうもない。GoogleMAPを見ながら思案し、明日はここから北東へ7時間ほど行った、捨てられた古城バムへ移動してみることにする。

バンダレ・アッパーズから無料フェリーでケシュム島へ、強欲おっちゃんの家に泊る(2023.12.26~27)

2023.12.26(火)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

世間ではいつの間にかクリスマスが過ぎてる。
先月からイスラム教の国にいるため、特にイランに入ってからはクリスマスイルミネーションを見ることが全くなく忘れていた。なんか損した気分になる。

バンダレ・アッパーズの港

シーラーズから夜行バスでフェリーターミナルに来た。
このまま眼前のケシュム島へ行ってしまいたい。フェリーは時間は決まってなく、満席になったら出発するタイプで200IRR(600円)。

同行者の2人はあまりにも荷物が多過ぎるので、カウチソファで募集があったホストの人に港まで迎えに来てもらい、そのお宅に大きな荷物を置かせてもらってからケシュム島に行くと言う。泊まらなくても車で迎えに来てくれるホストの人の親切心が凄い。なので港でホストの人が来るまで待機。

彼女らとはお互い、ケシュム島に行く前にドバイ行きのフェリーチケットを予約しようという話になり、彼女らはホストの家に荷物を置きに、私は荷物を置かないので旅行会社がありそうな通りで待ち合わせすることにした。
少し歩いてみたが、バンデラ・アッパーズの町はゴミゴミしていて好きになれそうにない。

シーラーズまでは寒かったのに、9時間南下しただけで急に真夏の暑さでびっくりする。着ているセーターを脱がないと汗でベタベタだが、脱ぐと薄着過ぎて体の線が見える服装をしてはいけないイランでは目立ち過ぎるので脱げない。せめて秋位の服装に着替えないといけないのが本当に面倒くさい。

イランのバンダレ・アッパーズからドバイ行きのフェリーチケット

旅行会社を見つけ聞いてみるとドバイ行きは週3回の運行で、明後日の12月28日か1月2日しか空いていないという。
12月30日に船でドバイに渡り、そこで華やかにカウントダウンを迎えたかったが仕方ない。
明後日だと急過ぎるので3人とも1月2日のチケットを取った。まあまあ先である。
金額は3740万リアル。1万1千円位で飛行機でドバイに飛ぶよりは安い。

大金なのに$払い不可。イランリアルでしか払えないとのことで両替屋へ。バンデラ・アッパーズには路上両替屋はいなかったが、両替店舗でもテヘランと同じ1$=490万IRRのレート。

ドバイ行きのフェリーは1万1千円位。100$札を3人分両替するとこんな大金に。
私たちはこの札束を数えるにかなり時間がかかったが、現地の人は慣れているようで一瞬で終わる。

ケシュム島への無料フェリー乗り場へ移動

やっと島へ行けるかと思ったが、2人がここからずっと西に行ったフェリーターミナルからだと無料でケシュム島へ渡れるのと言うので面白そうなので付いて行くことにする。
しかしここからタクシーで1時間以上の距離となると、いつも使っているタクシーアプリのSnapp!が使えなかった。長すぎる距離だと使用不可になるようだ。
すると旅行会社の英語ベラベラの優しいお姉さんが、仕事が終わる15時に西方面行きのタクシー乗り場まで車で送ってくれると言うので15時まで時間を潰すことに。

15時迄することがないので路上で弁当を買う。

チキンとザクロ入りライスが、たった70IRR(200円)。
めちゃめちゃ美味しいのだが、路上のベンチで食べると排気ガスが凄いのが残念。
町もゴミだらけで首都のテヘランより汚く感じる。早く島へ行ってしまいたい。

旅行会社のお姉さんが仕事終わりにタクシー乗り場まで送ってくれ、そこからタクシーでフェリー乗り場へ。同行者の2人は400IRRを280IRRまで値切り倒しており、更に270IRRじゃないと納得しないと交渉していて凄く時間が掛かった。こんなに物価が安いイランで値切るのは時間の無駄だし現地の人に悪いのではないかと私は思ってしまう。
もし自分の日本での時給が1500円だとする。数十円値切るのに20分掛かったとしたら、500円の労働力を使って数十円を値切ったことになる。
しかし旅のスタイルは人それぞれ。彼女らは楽しんでやっていて値切るのを時給に換算したりはしていないのだろう。

途中の景色。中心から外れたらこんな景色ばかり。

1時間タクシーに乗りやっと到着。
深夜バスで来てからずっと荷物を持ってうろうろしていたので私はタクシーで寝てしまっていた。

もう夕方。凄い疲労感。
フェリーというか車が乗るタンカーで座席はなし。

地元の人の足なのか、短い距離だからなのかなぜ無料なのだろう。
車とバイクだらけの隙間に立つ。ガソリンの匂いが臭過ぎて全くくつろげない。

ケシュム島の西側に到着

あっという間に対岸のケシュム島に着いたが、ここからが大変だった。
この経路を徒歩で渡る人などいないので、到着地点にタクシーがいない。
ネットの電波が届かないのでSnapp!タクシーも呼べない。ヒッチハイクで近くの町まで行くしかない。

なんとか3人でヒッチハイクで車を2台乗り継ぎ、Bandar e Laftという近くの大きそうな町まで来た。(写真は次の日の昼間の写真)
ウズベキスタン同様、助け合いの精神が根強いイスラム教の国のイランでは、割と簡単にヒッチハイクが出来てしまう。
旅のベテランのHさんは、ここから更に1人でヒッチハイクでカウチソファのホスト宅まで行くそうなので別れ、私とMさんでGoogleMapやMapsMeに出て来るホテルを渡り歩くが、harmony house1軒を除いて全て閉鎖中。外から錠前で鍵が掛かっている。harmony houseは1泊40$なので却下。

荷物を持って歩いていると親切な町の人らに次々に声を掛けられる。
安いホテルはないかパレスチナ人の男性に聞くと、どこかに電話をして一人のおっちゃんが車で迎えに来た。英語は単語だけのおっちゃん。自宅に泊めてくれると言うので、金額を聞いたら「1人100万」と言う。100万リアルは300円位なので「ありがとう。」と言ってMさんと車に乗り込むが、もう1度リアルかトマンか確認すると「100マントマン」だと言う。

あほかっ。

イランではリアルとトマンの両方の単位が使われていてややこしい。100万トマンは3000円である。1室6000円なんて、なぜさっきのリゾート風ホテルより高い金額なんだ。親切なイラン人が泊めてくれるのかと思ったのに、電話で呼び出されてやって来たのは強欲おっさんだった。

「そんなんだったら他を探す。」と車を降りようとすると1人250リアルまで下がった。最初の言い値の4分の1の金額である。
車で5分位でおっちゃんの家に到着し、部屋に案内されたら全く家具のないただの広間。広いので親戚とかが集まって食事をする部屋だろうか。というか・・・布団もマットレスもないのに一人750円はイランの物価からしたら高過ぎである。
2人で500万リアルを渡したら、おっちゃんはお金を手にした瞬間、顔をそらしながら悪徳代官のような笑みを浮かべたのを私もMさんも見逃さなかった。

「ちょーーっ!!見た?!今のニヤリ顔!!ぼったくり大成功って感じの顔!!」

おっちゃんが日本語を分からないのをいいことに2人でぎゃーぎゃー文句を言ったが、おっちゃんは(意味が分からないのでもちろん)気にせず「明日マングローブ、城壁、ボート!」など片言で言ってくる。「いや、いらん。もう眠い、寝る!!」と言っても英語は全く通じず、同じ言葉を何十回も繰り返し、更にボリボリに私たちから案内料金をせしめる気満々である。
紅茶とクッキーを持って来ながら部屋の片隅に座り込んできたので追い返した。この紅茶代も取られそうで不安。


次の日の朝。
部屋の周囲にあったクッションを並べてその上に横になったら、よほど疲れていたのか一瞬で寝てしまっていた。スーツケースを持ち運びながらあんなに町をウロウロしたのはこの旅で初めてだった。

朝起きたら強欲おっちゃんが朝食を運んで来た。警戒して「Free?」と聞いて頷いたのを見てから食べる。パンとジャムと紅茶。イランではこの丸いプチプチした形のついたパンがよく出てくるが、全く弾力がなく美味しくない。よく出て来るニンジンジャムは甘くて美味しい。

今朝も「castle wall、ボート、マングローブ!」と繰り返す。念のため金額を聞いたら「100万トマン。」だと。どうしても100万トマン、3000円が欲しいようだ。
「(あなたは強欲なので)結構です、どこも行きません。町の中心まで送ってくれますか?」と聞くと「OK」と言いつつ「朝食、昨晩の紅茶、送迎で100万トマン!」と言うので「朝食無料って言ったやん!」というやり取りを3回繰り返した。舌の根も乾かないうちにそんなこと言うか。

結局「送っていらん!町まで20分歩く!(-_-メ)」と車から荷物を降ろそうとすると、悪人になりきれないおっちゃんは「分かった、分かった。タダだから。」と言うので車に座ったらその数十秒後にGoogle翻訳で「送迎と朝食で100万トマン」と見せてくる。

えらい強欲じじいに当たってしまったもんである。ただの床だけの部屋に泊めただけで2人で1500円も貰えて感謝しろという感じなのだが、終始「100万トマン」の連発だった。
お金は払わなかったが町まではちゃんと送ってくれた。

ケシュム島の西側にチャコー・キャニオンという観光地があるようなので、Snapp!アプリでタクシーを呼んで行ってみることにする。
だいぶ待ったがフェリー乗り場辺りから来てくれるタクシーがつかまった。
次はいい人だったらいいのだが・・・

つづく。

ピンクモスクでうんざり、アートギャラリーへ行って夜行バスでバンダレ・アッパーズへ移動(2023.12.25)

2023.12.25(月)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

シーラーズ最終日。イランに行きたかった理由はインスタで有名過ぎるピンクモスク(Nasir al-Mulk Mosque)に行きたかったからだ。イスファハーンのモラッバシーハウスを知るまではここを目指していたと言ってもいい。とうとうピンクモスクを訪問する。

Nasir al-Mulk Mosque

ホステルの部屋が一緒のMさんとカウチソファでイランを私歩いているHさんと3人で行く。彼女らは数日前に1度行ったらしいが、入場料がかかるのにもう1度入りたいらしい。
ホステルから10分位の距離を一緒に歩く。

途中、こんなおしゃれな立体駐車場が。日本のも景観上こんなデザインにすればいいのに。

到着。このモスクはステンドグラスから日が差し込むのが朝の早い時間帯だけなのと凄く混むのでオープン前から並ぶのを推奨されている。
オープン8時の15分前に来たが、私たちの他は欧米系の男性1名のみ。

しかしオープンの8時と同時に、中●人のツアーグループ10名程がやって来て、私たちの方が先に並んでいたのにあっという間に先にモスクの中に入られた。
料金は100IRR(300円)で、女性はまたチャドルという布を入口で借りて身に付けないといけない。この時点で男性陣には入場を抜かされる。あー本当にこの制度、うっとおしい!何もかも女性が不便を強いられるなんて理不尽過ぎないか。

1番奥のスペースがインスタ映えスポット。あっと言う間に中●人らに陣取られポーズや向き、場所を変え動画撮影大会。こうなると長時間場所を占領され全く近づけない。仕方ないので他人の背中をパチリ。足を組んで床に座って黄昏れる写真を撮ってもらう角刈りのおっちゃんが1番滞在時間が長く、Mさんと「あの写真いるかなぁ・・・」と突っ込みまくり。

場所が空かないので天井でも撮りましょうかね・・・

親切なMさんが空いている場所で撮影してくれるが、背景が・・・(´;ω;`)
全然映えない。
もう人が混み過ぎうるさ過ぎ、映えスポット取り合いの嵐で私は「もうええわ、ここ。」とうんざりしていた。モラッバシーハウスや昨日の古民家群でお茶でもしていた方がよっぽどいい。

1時間以上経ってやっと場所が空いてMさんに写真を撮ってもらった。
朝1番の他人の写真と比べてもう光が落ちていて雰囲気が全然違う。8時にこの場所を取らないといけないのだ。しかしあの人らの勢いに勝てる気は全くしない。

9時半頃になると今度はイランの小学生らの遠足団体客が。皆私たちに興味深々で、英語を少し話せる子が代表で「どちらの国ですか?」と聞いて来る。「ジャポン!」と答えると「きゃぁぁぁぁ~」と喜びの歓声。日本人は珍しいとは思うが、どこ国の名前を言っても同じ反応なんだろうか?

イランで「ジャポン」と言うと決まって「ホンダ!カワサキ!マツダ!トヨタ!」「日本は商品の質がいい。中国製はすぐ壊れる。」と言われるので、日本人は見たことなくても日本と言う国は知っているよう。いい製品を作ってくれた戦後の世代にいつも感謝。
ちなみにイランに入国以来韓国人は全く見ない。中国人はビザ不要のため、ビジネスで滞在している人も多数で宿の半分は中国人が占めている。

MさんとHさんは1時間以上撮影大会をしていたので、私はぼーっと待ってから一緒に外へ。

イマムザデ・シーイド・アラジン・ホセインモスク

観光用のモスクではないが、見掛けたので入ってみる。

やはりキンキラキン。入口はセキュリティチェックとチャドルをまた頭から被せられる。
無料。ガイドのおばあちゃんが同伴で中が見学出来る。

中はもちろん女性のお祈り場所と男性のお祈り場所は分けられている。
Mさんがやたら愛想よくキュートな愛されキャラなので、私一人だけの時と反応が違い、あっと言う間に中のイラン人女性らに囲まれ写真を一緒に撮ってとせがまれる。しばし写真タイム。

Adel Yazdi Galleryخانه عادل یزدی(アートギャラリー)

一昨日訪問したQavam Houseから北に行くと壁画アートがたくさんある通りに出るので行ってみる。

おしゃれ壁画アート。歩いていると地元のおじいちゃんにペルシャ語で何か話し掛けられる。ジェスチャーからして「あの細い路地を入れ。」と言っているよう。

素直に入ってみるとこんな路地に。壁画アートデザイナー、アージール氏のアトリエらしい。写真を撮っていると、たまたま中からデザイナーのおじさまが出て来てなんとアトリエの中を案内してくれるという。

おじさまはここに1人で住んでいるという。弟子もいるみたい。

中に靴を抜いてあがると、暗くてよく見えないが天井から無数の指が下がっている。メタルで出来ていると思ったので落ちて来ないか心配だったが、触ってみると発砲スチロールだったので心配無用。一瞬タイのお寺がイメージとして浮かんだが、イスラム教の国でこれは何からインスピレーションを受けたのだろうか。

アジールさんは、このおしゃれなアートを無料で私たちに1枚ずつくれた。丁寧に案内してくれたので、最後に案内料金を請求されるかもと思ったが杞憂だった。このポスターは大事に持って帰ろうと思う。

更に北に行くとテイクアウト専門のカップケーキ屋がある。
私は既に一昨日来ていて、Mさんらに「中に入ると奥にいた男性陣らに『チンチョンチャン!(中国人!)フリー!』と言われたよ、お金置いていったけどね。」と言うと「私はタダで貰う!」とMさんは息巻いていた。彼女らは私が出会った中でもかなり極端な節約バックパッカーで、イラン人たちはよく好意で無料で食べ物をくれるのだが、かなりその恩恵にあずかっていた。

私は1つあたり1000IRR(3円)を置いていったのだが、地元の人らは皆50個以上で購入しているしお金を渡すと受付のお姉さんが嬉しそうだったので本当はもっと安いのかも知れない。
Mさんは持ち前の愛想の良さで、やはり見事タダで貰っていた。できたてはモチモチしていてうっすらメープルシロップの味もしてかなり美味しい。

ハーフェズ廟へ行こうかと思ったが、宿の他の宿泊客らが口を揃えて「何もない、面白くない」と言うのでやめ。
HさんとMさんは今夜から行くホルムズ島が宿がいっぱいで取れなかった時に野宿をするためのテントを買いに行くと言うので付いて行く。

お城から西のエリアでキャンプ用品が売られていたが、簡易テントは4000円だったし重いので彼女らは購入は諦めていた。

私とほぼ同い年の女性で異国の地でテントと寝袋で野宿かぁ。。。

凄い体力と気力で感心する。この年齢で毎日ドミの私でも節約型だと思っていたのに、彼女らは寝袋やキャンプ用品が詰まった15kg以上はあろうかというバックパックを背負い、時には野宿、時にはカウチソファでタダ宿泊、食事は毎日自炊で何ヶ月も旅をしている。私とは旅のスタイルがまるで違う。昨年ロサンゼルスを一緒に観光したみどりさんは、シェラトン系のホテルにばかり泊まっていたのでドミ宿泊の私は若干恥ずかしかったものだが。。。皆旅のスタイルはそれぞれ。

シーラーズからバンダレ・アッパーズへ深夜バスで移動

イラン入国前は、先人たちのブログでテヘランからシーラーズまで抜けたらここから飛行機でどこかの国へ飛ぶつもりだった。
イランの東はパキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンでビザ取得が大変そう(そもそも治安が悪そうで興味がない)だし、西はイラク(もっと治安悪そう)。北へ行けば陸路でアルメニアかトルコへ抜けれるが、そもそももう行ったし、テヘランからミニバスで24時間らしいのでそんな過酷なものには乗りたくない。

テヘランやヤズドのホステルで会った龍さんや、タクさんが「シーラーズから南へ行ったバンダレ・アッパーズ、最高だよ。」と言っていたのだが、暖かい以外何が最高なのか興味がなく詳しく聞いていなかった。(後にこれが命取りになる)

するとMさんとHさんが「バンダレ・アッパーズからドバイ行きの船に乗る。」と言うので私もそのプランに乗っかることにした。

ドバイへは行ったことがない。そしてドバイのあるアラブ首長国連邦からの飛行機は、石油産出国のためかめちゃめちゃ航空券代が安いのは知っている。次の目的地ヨルダンまでは探せばなんと3千円代のチケットがあるのだ。そして何より船で国境越えというのは浪漫以外何ものでもない。

ソフラン・ゲストハウスをチェックアウト

宿泊していたソフラン・ゲストハウスをチェックアウト。12時にチェックアウトしてからずっと外にいたので寒かった。この変な部屋の壁画ともお別れ。
しかしドミ1泊5$、ネットが早くていい宿だった。(他国に比べるとダントツで遅いが。)2

中庭で「昨日中国人らが市場で大量に海老を買い込んできて、1皿当たり30分も電子レンジでチンしてて、それが何皿もずっと連続でやるから全く電子レンジ使えなかったんだよね、しかも食べきれなかった海老、冷蔵庫じゃなくて部屋に持ち込むから部屋が臭くて臭くて・・・」とカウチソファをしていたHさんに説明していると、隣の席で雑談していた中国人男性が「ワタシ日本語ワカリマス、中国人の海老ガがクサくてレンジが使えなくてタイヘーンと言いましたか?」と言われたので笑って誤魔化したが焦った。いや、悪口ちゃうし事実やし!

22時半、ホステルの前は道路が細くてタクシーが来てくれないとテヘランで会った龍さんから聞いていたので大通りまで出てからSnapp!タクシーを呼んだ。

Shiraz bus terminal(バスターミナル)

シーラーズのバスターミナルに到着。MさんとSnapp!タクシーで。やはり2人で割ればタクシー代も安くていい。

チケットは今回初めてホステルのスタッフにイランカードを使って予約してもらったが、これまではガラガラのバスだったのに夜行バスは宿泊代が浮くから人気のようで満席だった。
チケット代は211万IRR(610円)。レシェプションには手数料10%を払ったがそれでも60円。

23時にきっちり出発。初めて配られた夜食的なもの。中はリンゴとみかんの詰め合わせ。

早朝からピンクモスク観光で疲れていたようで、ずっと爆睡。途中のトイレ休憩も気付かなかった。
朝7時にトイレに行きたくなって目が覚めたらこんな景色。

う、運転手さんしょぼーん。倒れたばかりのようでどこかに電話している。
怪我が無くて良かったけど詰んでいたイモ全滅。怒られるだろうな。
イランは私がこれまで行った国の中でもダントツで交通マナーが悪いく交通事故の数も相当らしい。飛ばし過ぎたのだろうか。

トイレに凄く行きたかったがなんとか7時45分、約9時間でバンダレ・アッパーズに到着。
(イランの人らは皆ここを『バンダレバス』と言うが。)バスターミナルではなく港で降ろされた。

今からドバイ行きの船のチケットを買いに行く。

シャー・チェラーグ廟とシーラーズの古民家巡り(2023.12.23~24)

2023.12.23(土)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
リアルタイムではイランでパキスタン人の運転するバスに、ただの路上で降ろされた悲惨な新年の幕開けとなりました。
これからの1年、これより最悪な日はないと思うので2024年はいい年になると思います・・・

サフラン・ゲストハウス

サフラン・ゲストハウスの朝。本日は雨。
4人女性ドミトリーの部屋は、ヤズドのフレンドリーゲストハウスで朝の一瞬だけ会い連絡先を交換したMさんと同じ部屋だった。
Mさんがパジャマをフレンドリーに忘れていたので連絡し、渡してあげた。

旅先で会う人は20代後半~35歳位までの人が多いけどなんと1歳違い。
これまでもずっと世界中を回っている方で、全く英語を話せないのに愛嬌があってコミュニケーション能力が高いので常に宿の人気者になっているような素敵な人だった。

Mさんにイランの美味しいポテトチップスと砂糖菓子をお裾分けさせてもらう。
Mさんは今回のイラン旅はもう一人の100か国以上も行ってるHさんと一緒に回っていて、Hさんはずっとカウチソファ(無料で現地の人の家に泊めさせてもらうシステム)で宿泊しているので宿は別々だそう。

バザール

MさんはHさんのホストファミリーの家に行くそうなので私は一人でシーラーズの街をぶらぶらすることに。

バザールは細い道が入り組んでいて大きかったが飽きたしいつも通りの感じ。

今回の宿はキッチンが広くて自炊できるがまだ何も材料を買っていないので、道端でサモサ購入。
カレー味の野菜が入っていて美味しかった。60円位。

シャー・チェラーグ廟

その後もバザールを中心に町をうろうろしたが、特段見るべきものはない感じ。
この入り口の小さいモスクっぽいところがあったので入ってみることにした。

が、ここが入口のセキュリティを抜けるとかなり奥が広くなっていて、有名な観光地のシャー・チェラーグ廟だった。

料金は無料だったが、過去にここで銃撃事件があったらしく、ガイドの人と一緒じゃないと入れない。
ネットで調べたら2022年と2023年とかなり最近だ。セキュリティの意味あるのか。

そして女性はいつも通りチャドルという足元まである布を巻かないといけないようで、そこから髪の毛がはみ出ているのか、入口にいたおばあちゃんに何度も着付け直され、カオナシのようにビチビチに首を隠す感じに布を巻かれた。
あまりにも何度も髪の毛を入れ直し、チャドルを着付け直してくるので「そんなに入るの厳しいならもういい。」という気分になる。そしてガイドの人が来るのにかなり待たされた。

自分が元々身に付けていたヒジャブの上からチャドルをぴっちり巻かれてしまったので、耳が二重に塞がれていてガイドの英語がよく聞き取れない。
イランでは観光客でもヒジャブを被らないといけないのでもう本当に鬱陶しかった。ずっと被っていると微妙に肩が凝るし、走るとずれてくるし、今は冬だからいいが夏だとかなりべたべたになり暑いだろう。イスラムの教えだかなんだか知らないが、なぜ女性だけこんなことを強いられるのか。

モスクの中はかなり広かったので、ミラーの量も凄く見ごたえがあった。しかしガイドがビタっと張り付いてくるので落ち着いてゆっくり見れない。

落ち着かないまま早々にシャー・チェラーグ廟を後にした。

ホステルから西の方に抜けると野菜、果物、魚が売られている市場がずらっと並んでいた。ペルシャ語で数字が書いてあり、1kgでの値段のようだ。

市場の先に安くて品ぞろえが豊富なスーパーマーケットを見つけた。これまでペットボトルの水は道端の商店で買っていたがそれより安い。といってもイランの物価が安過ぎて20円が15円で買えるといったレベルだが。

イランではアルコールは禁止されているが、アルコール風のジュースはバラエティ豊かに売られている。フルーツと炭酸に少し麦の味といった感じだが、生ビールの美味しさには全くかなわない。
そういえばテヘランに入ってから何十日もアルコールを口にしていないが、人間手に入らなければその存在すらも忘れてしまっているものだ。日本のアル中患者は皆イランに来れば治るだろう。

パン粉って日本独自のものなのかな。


2023.12.24(日)

この日はインスタで有名になったピンクモスクに行こうかと早起きしたが、早朝は少しだけ曇っていたので明日にすることにし、Mさんと散歩に出かける。ゲストハウスの中庭は気持ちいい。

近所の市場に行く途中にあるモスク。

市場でみかんを買ってみた。日本のみかんのように柔らかそうなやつ。3つで15円なので、この辺りの国は果物と野菜が安過ぎる。日本が高過ぎるのか。

市場から北に行くとMさんに美味しいテイクアウトのお店があると教えてもらった。茄子と肉のカレーっぽい弁当を頼む。

待たされたが80IRRで250円位。このメニューから目当てのものを頼めるMさんのコミュニケーション能力には本当に尊敬の念しかない。

Mさんとは別れ、早速ホステルに戻りみかんと一緒に食べてみる。美味しい。ご飯は量が多いので夜ご飯に回す。

宿で20IRR(60円)でビールが売っていたので飲んでみるが、日本で10年以上前に初めて市場に登場したノンアルコールビールと同じようなまずい味がした。リピートはないな・・・今の日本のノンアルコールビール(特にアサヒ)はかなり美味しい。

昼以降はまたも歩いてペルシャ建築の古民家へ。

Qavam House

入場100IRR(300円)。

シーラーズはバラが有名らしく、モスクの入口などのタイルもバラが描かれているものが多い。

かわええーーー。いや、撃たれているみたいだから可哀想だけれど。

1800年代の金持ちの家らしい。

地下は博物館とタイルなどのお土産屋を兼ねている。

人も少なく綺麗な写真が撮れた。家具が少ないからかちょっと殺伐とした雰囲気。

Zinat Al-Molk Historical House

隣にも古民家博物館があったので行ってみる。こっちは80IRR(240円)。

さっきの邸宅と同じデザイナーなのかな。

奥にカフェがあったのでゆっくりしてもいいかも。誰もいなかったけど。

一応城壁もあったので寄ってから宿に戻る。中はまた入場料が掛かったので入らなかった。

夜ご飯は近所に売られていた市場でエビを購入して塩で炒める。この量で240円位。外食よりはお得かな。久々エビが食べられた。

ここの宿は市場や弁当屋、スーパーが近いし中庭で何台もガスストーブを燃やしてくれる上にたった5$なので長居してしまいそうになるが、シーラーズ自体はそこまで魅力があるのかどうか・・・
Mさんたちは今日ホストらと車で1時間以上掛かるピンクレイクに行ったらしいが、今の季節はグレーレイクだったらしい。

明日は恐らくイランで1番有名な観光地、ピンクモスクに行くことにする。

ペルセポリス遺跡、ナクシェ・ロスタム、キュロス王の墓(2023.12.22)

2023.12.22(金)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

ヤズドからペルセポリスへ

昨日の昼、同じ宿にいた中国人のルイに『明日シーラーズに行く3人でタクシーをチャーターしてペルセポリスに寄ってもらいながら行かないか?』と提案された。
ペルセポリスはシーラーズからタクシーをチャーターしないと行けないが、位置的にヤズドとシーラーズの間にあるのでここからチャーターした方がシーラーズまでのバス代も含めた金額と同じ位、かつ時間短縮になると言うのだ。
タクシーチャーター代は50$なので3人で割れば1人16.6$。提案された私とチェコ人のテレザが了承すると『約束破ったら駄目だからな。今からタクシー予約するぞ。』とルイに念を押された。

しかし本日、ペルセポリスにはルイだけと向かっている。

今朝7時に起床し、WhatsAppに届いていたテレザからのメッセージを見たところ…
『ごめんなさい。キャンセルします。』(約束してから12時間後)

なんでやねん!!

理由は昨日の夕方、ゾロアスター教の村に行ったら素晴らし過ぎて明日もまた行きたいからだそう。
まあ、分かるよ、私もそんなことあるよ。しかし約束を破ると迷惑かかるし信頼が落ちるから約束を優先するよね日本人なら。うん。それとも私が真面目過ぎておかしいのかな。

結局テレザは行かないのに自分の分の料金17$を払ってくれたが、私は陽気な彼女と一緒に行きたかったのでガッカリした。気難しそうなルイと2人である。

タクシーのおっちゃんはちゃんと待ち合わせの7時半前に来たが、ルイは7時半に姿を現してから朝食を用意し出したので出発は8時前になった。この待ち合わせ時間後に朝食を準備する感覚も私には分からない。

途中寄ったガソリンスタンド。給油口が日本と全然違う。蓋はなくオープンである。
石油産出国なので安いのだろうか。

タクシーは砂漠地帯を走り出し、絶景に感動するのも束の間。
タクシーの中が寒い!バスより地面との距離が近いため、床から上がってくる冷気で寒すぎるのだ。バスで行けば良かったと後悔すること然り。

ルイはタクシーの中でやたら私の日本での給料、家賃、ラーメン1杯の値段などを聞いてくる。
深セン在住らしいが、私が金額を答え「ルイのところは?」と聞くと「同じ位だ」と言う。日本とどっちが経済が発展しているか比べているようで、ライバル心剥き出しだった。

深セン、私が20年前に行った時は田舎臭い町だったのに随分発展したものよのう〜\(^o^)/
・・・とはプライドの高そうなルイには言えなかったが。

キュロス王の墓(Tomb of Cyrus the Great)

1箇所目、お願いしていなかったけどタクシー運転手が「サービスで寄ってあげる。」と言うので王の墓に寄る。100万IRR(300円)

入口から入ってこれだけしかない。なんじゃこりゃーーーっっ
と、入場料を払って寄って損したと思える場所No.1となった、運転手さん、本当にどうもありがとうございました。

※紀元前550年頃、ここら一帯を征服し古代オリエント諸国を統一し偉大なる王、キュロス2世の墓で世界遺産です。この時代の墓が残っているのは凄いです。

ナクシェ・ロスタム

2箇所目はルイのリクエストでナクシェ・ロスタムへ。入場料同じく300円。

ゾロアスター教のカーバ神殿と、紀元前1200年頃からの王の墓群もある。

こちらも解説を読みながら進んだが、ふーんといった感じ。まあさっきのより大きかったからマシかな。たった300円と言えど入る所を選ばないとどんどんお金が減っていく。

ここでシーラーズからやって来たタクシー運転手と交代。
なるほど、ヤズドから来た運転手はここでヤズドに戻り、シーラーズから来た運転手は私たちと一緒にシーラーズに帰るので2組のドライバーは自宅に戻れるというわけだ。
50$の内訳は半々ずつなのだろうか。

ペルセポリス遺跡

3箇所目、13時45分にやっとペルセポリス遺跡に着いた。ここも世界遺産。
タクシー運転手が『2時間待つね。』と言うと、ルイが『3時間待つ契約だ。』と軽く揉める。
結局16時半待ち合わせの2時間45分待ちでルイが押し通し入場。ここも300円。

って、なんで王の墓と同じ金額(; ・`д・´)
遺跡の広さと外国人入場料のバランスを考えろよって感じ。イラン人は30円位で入っていると思われる。

ルイは宿の朝食をタッパーに詰めてきたルイはタクシーの中で食事をしていたが、朝食抜きの私はお腹ペコペコ。ルイとは別行動にして入口のレストランでパスタを食す。
久々洋食を食べてめちゃめちゃ美味しかった。800円位して観光地価格だったが。

パスタが出てくるまで15分待つ→食べ終わるまで30分で、2時間45分中の45分をここで費やしてしまった。

私はセルフィーなどしないので残り2時間で周れるとは思う。
入口のクセルクセス門。足元には遺跡おきまりの自分の名前の落書きが。なんでこんな貴重な遺跡を傷つけて落書きするやからがどこにでもいるのだろう。

グリフォン像。
世界史でよく出て来るペルセポリス遺跡、もっと感動するかと思ったがふーん・・・しか思わなかった。絶景を見過ぎて、このレベルの遺跡には心が動かされなくなってしまったのだろうか。

かわええー。紀元前のこんな彫刻が残っているのが不思議。

アケメネス朝ペルシアの都ペルセポリス。
西はエジプトから東はインドに至る大帝国を築きあげたダレイオス1世が紀元前518年に創建した建築群。紀元前331年ギリシャのマケドニア王国アレクサンドロス大王によって侵攻され廃墟になった。ここも夢の跡。

クセルクセス2世の墳墓。
ガイドなどつけて入れば感動したのかもしれない。説明文を呼んでもいまいちピンと来ない。
人が多過ぎるのと、アジア人観光客が私とルイだけでずっとジロジロ見られたり、頻繁にニイハオ、ニイハオと声を掛けられるのがうっとおし過ぎたのもあるかもしれない。

イラン人、私を見たらニイハオしか言えんのか?!

中に別料金、これまた100IRR(300円)のミニ博物館があったので入ってみたが、展示物が少なく失敗した。しかもまたもチケット発券のおじさんが私が払ったお金はポケットに入れチケットは発券せず「中に入れ。」と指示する。
外国人料金をくすめるイラン人だらけなので、発見所は2名体制にした方がいいと思う。

最後は駆け足になったが、広いペルセポリス遺跡の全ての遺跡を周ることが出来た。
待ち合わせの16時半にもルイは遅れて来た。しかし博物館は有料だからパスしたそう。
私もあのおっさんのポケットマネーになる位ならそうすれば良かった。中国人は経済観念がしっかりしているよな。

20mもある柱。紀元前にこれだけの建築技術があったことに驚かされる。日本はまだ縄文時代だというのに。相当、王の権力があったんだろうな。崩れる前の建築を見てみたいものだ。当時の様子が見れるバーチャル眼鏡のレンタルはあったが高過ぎたので利用していない。

ソフラン・ゲストハウス(Sohrab Traditional Hostel)

タクシー運転手に宿の前で降ろしてもらった。
ヤズドから送迎してもらった運転手と違い、このドライバーのおじいちゃんはスーツを着てぴかぴかの車に乗っていたので金持ちそうだったが、降りる時に「2時間のはずが3時間待ったんだから100IRRチップをくれ」と言ってきた。
私はルイが3時間に設定したし、最後の待ち合わせ時間も遅れて来たので払うかと思ったが「学生だからお金ない」と言って払わなかった。いや、あんたエンジニアって言ってたよね。
私はおじいちゃんが帰りたそうにしながらずっとルイを待っていたのを見ているので気の毒になりチップを渡しておいた。
タクシーを降りたルイは「どうだ、俺のこのペルセポリス遺跡に寄りながらタクシーで来るアイデア、頭いいだろ?」と得意気だった。
私しか乗ってないけどね、のアイデア。
そしてチップ払えよ(´・ω・`)本当に中国人はしっかりしている。

ここはドミトリーが1日たったの5$。ヤズドの宿であったタクくんに教えてもらった。
ここもこれまでと同じ形式で中庭が広く、Wi-Fiはイラン宿の中で1番速かった。

本当は今回もシングルルームにしたかったがこのホステルはドミトリーしかなかった。
女性4人部屋で半地下だが、2段ベッドタイプじゃないし広いので快適。

この訳の分からん壁画を除けば。
なんですかこれは。
何かの物語だろうか、毎日部屋に入る度にこの両目に矢が刺さっている人の絵を目にすることになる。おえ~。
モルタルの上から描いたにしては上手いが、もうちょっと心安らげる絵のチョイスはなかったのだろうか。

明日の天気予報は雨。少しゆっくりすることにする。

ゾロアスター教の鳥葬の聖地の沈黙の塔、照明博物館、ダウラットアバド庭園(2023.12.21)

2023.12.21(木)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

昨日GoogleMapで騙された沈黙の塔。今日こそは本物の場所へ行く。
宿泊しているFriendly Hotelの周囲はこんな細い迷路のような道が入り組む旧市街。
道が細すぎてコーナー部分は車が擦った跡がいっぱい。Snapp!タクシーをここで呼んでも嫌がって来ないこともあるそうなので大通りに出てから呼ぶことにした。

この細い塔は「バード・ギル」といい、温められた空気が上部の細い隙間から逃げていくため冷たい空気が下から上へ抜けて行く冷却構造になっている。砂漠地帯をしのぐための昔の知恵だそう。

ゾロアスター教の聖地、沈黙の塔

本物の沈黙の塔はやはり街の中心から歩いて行ける距離ではなかった。砂漠の中だし。Snapp!で150円位で到着。

昼休憩を3時間半も取る施設。イランでは多い。
出る時に12時を少し過ぎていて入れない可哀想な老人グループを見た。
入場料金は100万IRR(300円)

塀を抜けると想像だにしていなかった景色。市内から急に砂漠地帯の景色に代わる。
Snapp!の運転手に「右の塔と左の塔があるけど登るなら右が楽ちんでいいよ。」と言われた。
右が女性の鳥葬場所、左が男性。この辺の国の人は葬儀の場所ですら男女を明確に分けるのか。

所々にある解説を読むと、火をおこせる神を崇拝するゾロアスター教では、火だけでなく水、土も神聖なものとしており、これらを汚すことになる火葬や土葬を嫌い、遺体を鳥が食べることで自然に還すという方法を選んでいたそう。
死体をあの塔の上に置いてワシやタカに食べさせていたのだ。他にも乾燥した土の性質のため、土葬しても微生物が働かず土に還りにくかったのもあるらしい。
手前の建物は遠くから遺体を運んで来た家族らが宿泊するためのドーム。

そんな解説看板をじっくり読みながら進みたいのに・・・
人懐っこいイラン人観光客らがそれを許してくれない。「Mikipuー!!早く来なさいよ!」と絡まれまくって一緒に観光することに。私の年齢を聞いて何度も驚愕。アジア人は皆若く見えるからね。
そしてなぜそんな化粧濃いのか。最初妖怪人間べ
そしてこうして比べると本当に日本人って(いや私は)平たい顔族なんだね。

右の女性の塔から登る。確かにこっちは階段があって楽ちん。

なのであっと言う間に頂上に到着。
ここに1930年代まで遺体が安置され、残った骨はあの穴の中に放り込まれたそう。
覗いてみると・・・

何もない。まあ骨があったらびっくりする。

イラン人観光客の彼女らはバスの時間があるのでお別れ。
どうせ同じものだと分かっていても、好奇心がうずいて左の男性の塔にも登ってみる。

普通に道っぽいところを登ったのに、途中行きついたのはこんな所。
せっかく登ってきたのに戻るのも面倒なので、両手両足を駆使してここを渡り切る。
そういえば生配信しながら凍った富士山に登って滑落死した人がいたなぁ・・・なんて考えながら。
ここも落ちたら即死だと思われるので真似しないように・・・というか観光客が普通にこんな崖まで登れる造りがおかしいよね。いや、聖地に登る観光客がおかしいのかな。

こっちの方が放置されっぱなし感があるけど、やはり似たような感じ。
疫病蔓延を懸念して中止されたのが1930年代ってそこまで昔ではない。
当時を想像しながら街を一望。

ヤズドの街並みが見える。ビルとかないしトルコやアルメニアのように綺麗でもない。
遺体をこんな上まで運ぶのはとても大変なので「埋めるの面倒だから鳥に食べさせよう」なんて安易な考えではなく、とても神聖なる儀式だったよう。

Museum of Light and Illumination(照明博物館)

ヤズドはゾロアスター教の聖地なのでその博物館が有名だけど、ネットの口コミが「たったこれだけ」ばかりだったのでパスすることに。
仕事柄、日本でよく照明器具のショールームへ行っていたことを思い出し、Snapp!タクシーで照明博物館とやらに来てみた。

私設博物館のよう。
チケットカウンターのお姉さんに「500万リアル(2500円)」と言われ「わぉ!高!」と言って帰ろうとしたら「高い?待って。半額でいいわ。」って。
細かいお金は持ってないと言うと更に「200万リアルでいいわ。」言われる。
・・・ちょー待て。最初の金額、ボリボリ??
どうやら料金が明記されていないタイプの私設博物館って、チケットカウンターの人の気分で料金を決めているみたい。他の私設博物館もGoogleMapの口コミがどこも入場料マチマチだったのも納得。
これも余分にぶんどれたらぶんどってポケットマネーにしようという魂胆なのか。

壊されたら困る展示がいっぱいなのか、入口でスマホ以外をロッカーに預けさせられる。
そして英語ガイドの人がぴったりくっついて案内。ガイドの男性は上品ですこぶる感じが良く好印象。

チェコやフランス産の素敵な照明がいっぱい!
ゾロアスター教の聖地まで来て普通の観光客はここには寄らないだろうが、私は土器や鉄器、骨ばかりの考古学博物館よりもガラスや照明のこんな博物館の方が好きだ。

高そうなものばかり。これらを維持するために最初あんな高いぼったくり金額の提示を・・・

これは部屋の内部に設置する内窓。イラン人は相変わらず手先が器用だ。

観光客は他に2組だけだったが、美しいものをいっぱい見れて大満足の博物館だった。
ガイドの方にも「ジャポンから来た」と言うと大変歓迎された。私はGoogleMapを見て来たが、ガイドブックに載っていないここに来る日本人もそういないだろうから。

Dowlat Abad Garden(ダウラット・アバド庭園)

最後は同じ宿の人らが行くと言っていたダウラット・アバド庭園へ。
それほど興味はなかったが、皆が行くなら凄い観光地なのかと思い行ってみることに。

昨日のエセ沈黙の塔の近くだったからその時に寄れば良かった。入場料は100IRR(300円)。
風が抜ける構造の塔とのことですが・・・

内部はこれのみ。これだけ?!
イランで入場料払って損した観光地No.2だった。No.1は明日行くことになる。
塔から出ると「ニーハオ!」と若いサングラスの男性に声を掛けられ「あなたの国のコインが欲しいんだけど持ってる?」と聞かれた。面倒なので逃げ体制になりながら
「今ない、ホテル。」と言うと「どこ?今から行くフレンドリーホステル?」とズバリ当てられ焦りまくった。ホテルに来られても困るので「忙しいからごめん。」と逃げる。

目の前は噴水のある庭園。
1ヶ月前なら快適にここでゆっくり出来ただろうけど、今は寒さが身に染みて誰もいない。
出る時に、入口で同じ宿のチェコ人のぽっちゃり女性のテレザとシンガポール人のオカマっぽい可愛い男性のニャチャンに偶然遭遇。2人はイスファハーンの宿から意気投合してずっと一緒に観光している。
午前中にここに行くって言っていたのに今までどこを観光していたんだろう?外国人たちは朝食後いつまでもダラダラ会話しているので時間がもったいなくて私は2人を置いてきたのだ。
ここでニャチャンに晩御飯に誘われるもやはり断る。なんか体力的に疲れていてずっと英語で話す気になれない。イスファハーンでもっとゆっくりすれば良かったかも。

イマムザデ・ジャフェア

2人に別れを告げ、先にホステルに戻って仮眠。毎日こんなにも疲弊するのは乾燥した空気のせいなのか年齢のせいなのか。今日は最後のヤズドの夜なので、目が覚めてから近所のモスクへ行ってみる。

ここも観光地じゃないモスクだが、他と同じようにミラー張り。
中には地元の女性3名のみ。座り込んでパンと紅茶で楽しく雑談中。聖なる場所でいいのかな。

ヤズドはこれまでのテヘランやイスファハーンと違い田舎のせいなのか、歩いているとイラン人たちにずっと「ニーハオ!ニーハオ!」と声を掛けられる。「中国人じゃないよ。」と否定するのも面倒になる位の頻度なので最後の方は「はいはい、ニーハオ、ニーハオ。」と返しておく。「チン・チョン・チャン!」と言ってくる奴はバカにしてきているので無視。この日は「ヤルダ!ヤルダナイト!」と声を掛けられなんのことかと思えば『1年で1番夜が長い日』という意味らしい。
そんな夜の夜ご飯も1日目と同じレストランへ。美味しかったので。

ケバブを頼むと胸肉が出て来てパサパサなので「ウイング」と書いてある鶏肉を頼んでみる。
手羽の部分。こっちの方がジューシーなのに安い。
この時ニャチャンからまたWhatsAppで「夜ご飯どう?」とメッセージが来ていたようだが、ネットをVPNに繋げていなかったため気付いたのが夜中で入れ違いになってしまった。
彼はもうイランビザが切れそうなので夜行バスでテヘラン戻り、飛行機でシンガポールに帰るそう。
オカマっぽくて可愛かったニャチャン、さようなら。そしてこんなすれ違いがあるからネット規制は最悪だ。

旅先で知り合った色んな人との交流を楽しむタイプの人は多いと思うが、人見知り系の私は他人と話すと疲れ「孤独な自分と遺跡」「ひとりじっくり美術館」という状態を楽しむタイプなのであまり交流はしたくない。入ってくる情報が圧倒的に少ないので、社交的な人より損しているし羨ましくもあるが、疲れてしまうので仕方ない。酒が入ると社交的になれるが残念ながらイランではお酒は違法。

しかしイラン人も本当はお酒を飲みたくて、自宅では自家製のお酒をこっそり家族で飲んでいるらしい。だが粗悪なものを作ってしまい何十人も失明したりしているそう。

「本当はヒジャブがうっとおしくて外したい、酒飲みたい、政府がアメリカ嫌いなだけで英語を学んでアメリカに稼ぎに行きたい、毎日VPNに繋げてインスタばかり・・・」というイラン人の本音を聞いているとやはりイスラム革命って失敗だったのでは・・・と思ってします。
宗教の概念がほぼない日本人の私には、分からない部分も大いにあると思うが。

明日は同じ宿の中国人ルイの提案で、テレザも入れて3人でタクシーでシーラーズへ移動することにする。

イスファハーンからヤズドへ移動、沈黙の塔の罠に引っ掛かる(2023.12.19~20)

2023.12.19(火)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

14時半、ホテルに戻って荷物をピックアップし、バスターミナルへSnapp!で向かいます。
ドミ部屋は最終私とチェコ人女性のテラザだけになりましたが、今朝出発した彼女はヤズドでも私と同じホテルに泊まるそうなので再会出来ます。

イスファハーン→ヤズドへバス移動

たった4時間で到着するので深夜バスは辛いので、予約なしで15時飛びこみでバスターミナルへ。
深夜バスを予約した方は満席だったそうですが、この時間は乗車率50%位で快適でした。
イランのバスは席を指定したとしても、決まりなのか乗った後に女性と男性が隣どおしにならないように必ず座席を移動させられます。そんなにイラン人は痴漢が多いんですか。
女性の乗車率が低いので私はいつも1列の席に移動させられ隣に誰も来なくて快適なんです。

Kaveh Bus Terminal(イスファハーンのバスターミナル)

14時50分に北バスターミナルに到着。「ヤズドーヤズドー」と言いまくって窓口をたらい回し案内してもらい、15時発のバスチケットをこの窓口で無事買えました。130IRR(390円)。
貰ったチケットが相変わらずペルシャ語オンリーなので、窓口の男性に「何時に出発?」と聞くと「ファイブミニッツアワーズアゴー!」と言われ大混乱(;^ω^)何度も聞き直し。
5分前?5時間前?つーか、それもう出発してるやん!!

多分「5分後」と言いたかったのだと思う。片言でも英語話せるだけイランではマシなお方で有難いです。本当に現役学生かホテルのフロント以外はペルシャ語しか通じない。
15時のこのバスに乗り込みます。

このメーカーのチョコケーキやレーズンケーキが美味しくて、昼ご飯はいつもこれ系のお菓子とコーラ。

VIPとか指定していなくてもいつも3列のVIPバス。
イスファハーンは北と東に大きなバス停があってどっちから出発するか不安だったけど、なんてことはない。北バスターミナルで乗っても東バスターミナルに停車して乗客を乗せるのでどっちから乗ってもOK。北の方が始発なので乗りやすいでしょう。
前とのスペースはゆったりで足が持ち上がって快適。

たった4時間でヤズドに到着。今回もトイレ休憩なし。

まだ19時ですがもう真っ暗。
駅前にタクシー運転手のおじいちゃんがいたので、この方のタクシーに乗ってあげようとSnapp!で出て来た料金を見せて「これで行ってくれ。」とお願いするもそれより高い金額を言われる。だったらこのままSnapp!呼ぶわ、なんでやねん!と日本語で突っ込んでSnapp!を呼びました。ちょっと商売が下手じゃないですか。普通タクシーアプリに手数料を取られない分、その料金で行ってもおじいちゃんは得するはずなんですが。外国人旅行者は私しかいないので他の外人を狙ってる訳でもないし。

やって来たSnapp!タクシーのお兄ちゃんは20歳位でかなり若く、ずっとスマホにひっきりなしに届くインスタを見まくり、返信しまくりながら運転するのでいつ事故るか冷や冷や。おじいちゃんの方が良かったかな、しかしおじいちゃんタクシーは「スマホ使えない&英語通じない」なので目的地に辿り着くかも怪しいし。
ヤズドはこんな迷路みたいな細いくねくね道を通るのでGoogleMapが使えない運転手だとホテルに辿り着かないかも。

イランでは地下鉄で隣の人を覗き込んでも、若い人は90%以上の割合で画面がインスタでした。
イランでは政府にネット規制されていてVNPに繋がないとインスタは見れないので、皆VNPに繋ぎながらネットをしてるってことですよね。
それ、もうネット規制の意味あるのか?!って感じなので辞めればいいのに。

Yazd Friendly Hotel(ホステル)

テヘランやイスファハーンの宿で宿泊者らがお勧めしてくれたので、このゲストハウスへ。
オーナーは夜は不在で、代わりの足の悪いおっちゃんがいるけど英語が全く通じないのでオーナーと電話で話す。「朝食込で個室1晩10ドルでいいか?」と言われ即答でOKしたけど、後から先人のブログで「値切って1泊6$だった」とか見てショック。

個室・朝食付き10ドルって安いと思ったんだけど。宿代って値切れるのね。
お腹が空いたので散歩がてらレストラン探し。

迷路のような道を抜けて少し大きな通りへ。あれはジェームス・モスク

Baam Cafe Restaurant(レストラン)

この通りはTakeAwayのケバブ屋ばかり。ちゃんとしたレストランでペルシャ料理を食べたくてこの2階へ。

初めてチキンケバブを頼みました。イランのチキンってムネ肉なんですね・・・
もも肉の方が油が乗ってて美味しいのに、この辺は味覚の違いなんでしょうか。
今回はちゃんとただの白いご飯で美味しい~パンは要らん。ダジャレではない。
レモンスカッシュも入れて240IRR(700円)と観光地価格ですが美味しかったので満足。


2023.12.20(水)

おはようございます。Friendly Hotelの朝食。うっ( ;∀;)
Heritage Hostelと違いフルーツがない・・・既に取り分けられてておかわりも出来ないのでオーナーに「明日からは朝食要らない。」と言ったら9ドルに下がりました。

なんとここに日本人が3人もいました。イスファハーンのホテルには1人もいなかったのに。

テヘランでもイスファハーンでもそうでしたが、中庭があっていいホテル。お座敷も広くていっぱいあり、イランで宿泊したホテルではここの中庭が1番くつろげました。しかし今の時期だと寒い。それとここはWi-Fiが遅いのと、部屋で全くWi-Fiが繋がらないのが難点。
部屋でWi-Fi繋がらない→中庭だと繋がるけど寒い。というわけでここではブログ更新出来ず。

ヤズドの街を散歩します。

ジェームス・モスク

ホステルからすぐ近くのモスク。

内装はたいしたことないのに(コラ)、宗派によるのかここでもタージリッシュのモスクでそうだったように頭に被るヒジャブと別に足元まであるチャドルを着ないと中に入れてもらえませんでした。
大幅に時間くう・面倒・動きにくい・ずれてきてうっとおしいです。男性は軽装でOKなのがやはり納得いかない。

Amir Chakhmaq Complex

有名そうな広い広場に来ましたが・・・あの建物は横から見たらペラペラで中に施設があるわけではありません。

入るとこがないので仕方なく横にあったジュース屋でザクロジュースを頼む。テヘランで50万IRRだったのに80万IRR取られました。ボラれてるのか手絞りのせいなのか不明。

面白そうな建物を見ながら、その昔ゾロアスター教の鳥葬が行われていたという「沈黙の塔」へ向かいます。GoogleMapで検索すると歩いて行けそうです。

これは・・・少ない面積で2階を張り出して総床面積を稼ぐセコイ建築手法。固定資産税も安く済んでいいですね。
薄い。横から見たら薄すぎる。

エセ沈黙の塔

GoogleMapで「沈黙の塔」と日本語で入力して出て来た場所に30分歩いて辿り着きました。

ここ。
・・・・誰ですか、GoogleMapにここを「沈黙の塔」と登録したのは!!(≧◇≦)
確かに沈黙している廃墟の塔だけれども。
(宿に居た日本人男性も同じことをして本日ここに辿り着いたそうです。)

鳥葬を行うゾロアスター教の聖地にしてはえらい街中にあるな~とは思っていたんですよね。歩きながら全然砂漠っぽいのが見えて来ないので、これは怪しいとは思ってはいたのですが。
正解の場所は英語で「Zoroastrians Towers of Silence」と入れて出て来る場所。
やられました。日本語入力は危険です。

GoogleMapで見て12時半に閉館するようなのでSnapp!でホステルに戻ってきました。
30分以上も歩いたのが無駄足になりました。
夜のクロックタワーです。

昼間きたモスクのライトアップ。

ヤズドの細い路地にはお土産屋もあり。イスファハーンよりはかなり規模が小さいです。
お土産はイスファハーンが買うのが正解。

Cafe kolomboo

宿の周囲は旧市街地なのですが、その中でもお洒落そうなカフェレストランへ。
自炊すると安いのですが、ホステルのキッチンが1人位しか立てなくていつも占領されているので全て外食です。

屋上に上がるとビニールシートに囲まれて暖かなこたつが!こたつ!日本!嬉しい( ;∀;)

こたつの中を開けると中は電気ストーブが置いてあるだけ。火傷したらどうしてくれるんですか。

夜景を見ながら夜ご飯。給仕の男性が頻繁に話し掛けに中に入って来て、その度にビニールの隙間が空いて寒いので、有難い反面、ちょっとだけ迷惑・・・(;^ω^)

ナスとジャガイモを潰したものが入っているようなカレーのようなやつを頂きました。
イランではこれ系のスープカレーが1番美味しいかも。
今回もレモネードをつけて275万IRR(800円)と観光地価格でしたが、ロケーションがいいせいか観光客が次から次へと来てあっという間に満席に。

最後に会計を頼むと給仕の男性が「私は従業員です。よくやったと思ったら何か下さい。」とGoogle翻訳で訳した日本語を見せられました。
頻繁に来てくれたのには、まあそんな種明かしが。こっちが一瞬びっくりして怯むと「あっごめん、ごめん。会計は下だから降りてね。」とすぐ引き下がりました。

まあ、しかし一生懸命サービスしてくれて好感度が高かったので、チップあげれば良かったですね。
イランはチップ文化がなくて初めてだったのでびっくりしただけなんです。

さて。明日こそは本物の「沈黙の塔」へ行きます。

モラッバシーヒストリカルハウスが息をのむ美しさ、イスファハーンでの路上両替(2023.12.19)

2023.12.19(火)1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

リアルタイムはイラン南部の島。Wi-Fi事情が悪過ぎなので更新が滞っております。

Heritage Hostelの朝。女性ドミは沢山いた中国人が全員出て行ってしまいチェコ人と2人きり。
テヘランの時と違いイスファハーンは宿も人が少ない。テラスは寒すぎて誰も外で朝食を摂っていません。イランも冬真っ只中。

ジョージアで知り合った方に、美し過ぎる古民家、モラッバシーヒストリカルハウスを教えて貰ったので行ってみることにします。ここがイランでの1番楽しみにしていたところです。

名もなき古民家

モラッバシーヒストリカルハウスがGoogleMapで『9時オープン』となっていたので来てみたのですが、ペルシャ語の張り紙で「予約以外の人は11時~」とドアにあり閉まっていました。
仕方ないのでGoogleMapに近くの古民家博物館みたいなところがあったので寄ってみます。

改装中なのかやっていないのか・・・イランはGoogleMapの口コミが古すぎて閉店・閉館はザラです。
よく分かりませんが、屋根の上にしか人がいないので退散。

ハシュト ベヘシュト宮殿

アバッシーホテルの裏の公園にある宮殿に歩いて来てみました。
外から見て暗いがらんどうの内装なのに外国人入場チケットが500万リアル(1500円)。
誰が入るんですか、この規模の建物にそんな金額で。客は皆無だし料金設定を間違えていて閑古鳥が鳴いている建築物でした。

チェヘル・ソトゥーン宮殿

更に北に行ってチェヘル・ソトゥーン宮殿というところに入ってみます。ここは100万IRR(290円)。
GoogleMapの口コミで『2700円だったから気を付けろ』と書いている人がいたのですが、桁を1つ間違えています。イランのお金がゼロが多過ぎて間違うのも無理はないのですが、この方の口コミを見て来るのをやめた人がいたとしたら大変残念。結構上位にあるので。

西側から来たらぐるっと大回りした東の入口からしか入れず、かなり遠回りに。

突き出た木の軒が綺麗。なんでこんな造りなんでしょう。真ん中部分はいつも通り修復中。

変なライオン。顔は1つで体が2つ。

ミラー天井。

内部は大きな壁画がいっぱい。物語調の絵が描かれていて楽しく眺めていました。
綺麗なので修復済だと思われる。

外の公園に樹齢400年の樹の幹が展示。
行ってみるとスーツを着たインド人男性が幹の中に恥ずかしげもなく入っていて、写真を撮ってくれとお願いされました。ポーズを変え何枚も撮らされてしまいましたが、恥ずかしくないのでしょうか。国民性にないんでしょうね。

イスファハーンでの路上両替屋

テヘランで両替した100$、まだあまり減ってはいませんが田舎に行けば行くほどレートが悪くなるようなのでここでもう100€両替しておきます。少し多目に欲しいので今回は€で。レートは$でも€でも有利さは変わらない感じ。

場所はこのチェヘル・ソトゥーン宮殿の北東の路上です。まるで市場のように男性たちが大声で何か叫んでいるので直ぐに分かります。

札束を持っていない人に声を掛けられ両替を了承したら現金を持ってくるまでかなり待たされたので、札束持ちの人と両替した方がいい。

Mollabashi Historical House

13時過ぎに再びモラッバシーハウスに行くと、今度はドアが開いてました。

入口からしてもう綺麗。

中に入ると英語が話せるお姉さん3人が受付にいました。入場料は200万IRR(600円)。

料金を払って奥に入るとすぐカフェ。
右のカウンターにコーヒーメーカーが置いてあったので、注文すれば飲めるようです。

ここの時点で凄くデザインが凝っているので、期待に胸が膨らみます。

外に出ると更に中庭。壁画と噴水があります。

お客さんは私の他にはカップルと家族連れの3組だけのよう。
誰もいない建物の地下に先に行きます。博物館になっていますが、大したものは置いていない感じ。

メインの建物内はカップルが一眼レフカメラでずっと撮影をしていたので、先に受付裏の廊下を歩いてみまる。古民家なのに節電で人感センサーになっているのは現代的。

やっとカップルが部屋から出て来たので、このメインの建物に入ってみることにします。
外観は地味ですね。靴を脱いで中へ。

???えっ(; ・`д・´)

何が起こっているのでしょう。
想像を遥かに超えた光の美しさで、頭の中がバグっていて脳内処理出来ません。

中央の椅子。

想像を絶する、息をのむ美しさとはまさにこのこと。

奥の椅子。光が綺麗過ぎて落ち着かない。

大金持ちの家だったとのことですが・・・
この家の主はここに日々座って過ごしていたのでしょうか。羨ましい限りです。

反対側の壁もニッチ内が全部鏡で装飾されています。天井まで細かくて装飾だらけの内装なのに下品にならずどこまでも美しいのはなぜでしょう。
他の観光客が帰り、誰もいなかったお陰でここで1時間位ずっと座って光を眺めていました。
贅沢過ぎる楽し過ぎる時間。

だいぶ時間を費やし、ホステルに戻ります。帰り道の名もなきモスク。

誰もいない小さなモスクなんですが、そこにもこんな美しい装飾があるんですよね。
イランは歩いていて飽きません。

イスファハーンには探せば他にも古民家があり、もう1泊すれば良かったです。
この時はテヘランが雨で先を急ぎたかったのです。、ホステルに荷物をピックアップしてヤズドへ向かいます。

世界の半分、イスファハーンのイマーム広場周辺モスク(2023.12.18)

2023.12.18(月)
1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

今日もテヘランから変わらぬHeritage Hostelの朝食。パンはこっちの方が柔らかいですが、オレンジがないのが少し不満。
そしてドミは2段ベッドの上の段にアサインされたのですが、エアコン30℃設定の真下で顔から全身からカピカピです。昨日目が覚めてから「下の段に移りたい。」とレセプションに言ったのですが、PCで厳重に管理されているようで12時のチェックアウト時間までに言わないと変更不可でした。

昨日と同じくイマーム広場へ。本日は閉館していて入れなかったモスクを征服します。

アリ・カプ宮殿

まずはこの建物へ。屋上は木造でバルコニーになっています。入場100万IRR(≒300円)。

螺旋階段を登って上へ。6階建てだそうですが。

壁画が綺麗です。振り返ると・・・

おお~いい景色です。世界の半分と言わせるだけのことはあります。

紀元前3000年から文明が栄えていたイラン。ペルシャ王国時代の栄華を感じさせます。しかし見る度に少しもの悲しくなるのは何故でしょうか。
この下の広場の真ん中で写真を撮っていると、物乞いの小さな子らが寄ってきて私の身体をどつきまくるからでしょうか。栄枯盛衰・・・・

建物内はこんな感じで音楽堂として使われていたらしく、音が響く設計。

ケイサリ門

イマーム広場の北に来ました。広場を囲んだ一帯は全てバザールですが、その入口の門。

昔、薬局にいたサトちゃん??なぜ金色になった。

1番左の箱だけ絵がおかしい。

相変わらず可愛いお土産がいっぱい。家に欲しい、持って帰れたらなぁ。

シャー・モスク

1番南のシャー・モスクに。料金はどこも100万IRRで統一されているよう。

ここが1番広くて見どころがありました。

4方全てがこんな門に囲まれています。

壁から天井から・・・

タイルアートが繊細で美し過ぎます。ウズベキスタンのより美しいのではないでしょうか。
そして人がほとんどいないのもウズベキスタンと大違いです。

この色が違う石の上で声を出すと音が響く設計。ティカル遺跡などにもあった、昔拡散機がなかった時代に偉い人の声を響かせる工夫なんでしょうね。ここで歌を歌ってくれているガイドの方がいました。

裏の庭までもがこんな美しい造りです。そして誰もいません。

Naghshe Jahan Restaurant(レストラン)

建物が美しそうなペルシャ料理店をネットで見つけたので入ってみます。
入口が全然分からなかったのですが、中庭みたいな場所のこの階段を上がって行きます。

これはいい🥰光の入り方が相変わらず美しいです。

このお座敷みたいな所で食事出来ます。日本人はお座敷が落ち着くわぁ~( *´艸`)

ケバブが有名ですが、久々に魚が食べたいので頼んでみました。1人だと凄い量です。
ご飯は2種類あったので高い方を頼んでみたら、緑の葉っぱ入りみたいなご飯で失敗。
味は普通でしたが、この雰囲気で食事出来たのが最高に寛げました。金額はフレッシュオレンジジュース込で1500円位の観光地価格ですが、たまにはこんな食事もいいでしょう。

シャイフ・ルトゥフッラー・モスク

さて。最後にとっておいたここ。1番目立つ入口のシャイフ・ルトゥフッラー・モスクに入ってみます。

王のモスクらしく期待大。そして100IRR払っても発券のおっちゃんはチケットをくれず「中に入れ」とジェスチャーします。それ、海外あるあるの「あなたのポケットマネーにしてるよね?」って感じですがイランの発券所ではこんなことが3分の1はありました。そりゃ国も発展せんわ。

中は光が差し込んで綺麗ですが・・・

たったこれだけの空間
さっきのモスクが壮大で凄い広さだったのに対しここはこの空間だけ。なぜ同じ料金設定にした。

エスファハーン街歩き

疲れて宿に1度戻ると昼寝してしまいました。最近夕方位に凄い眠気が襲ってきます。旅の疲れが溜まっているようです。夜になってしまいましたが、イマーム広場以外にも行ってみます。

ジョージアで購入した化粧水がもうなくなりそうなので、ショッピングモールに買いにきたのですが・・・廃墟になっていました。

ハシュト ベヘシュト宮殿横の道が夜も人通りが多くお店がいっぱいあったので化粧品店を見つけておっちゃんから化粧水を購入しました。300IRR(≒900円)で購入したのですが、後で使用してみると全く潤わないのとイランの物価からすると激高でボラれていたのかも知れません。

イランのケーキ。いやなんで海外のケーキってブルーやグリーンの色の生クリームが好きなんでしょうか。

甘いものが食べたくなって道端で売っていたソフトクリーム屋に「ザクロソフト!」と注文したのですが黄色いソフトが出てきました。もう1度「これザクロ?」と聞いても「うん。」とうなずきます。ザクロって日本語だし通じているわけがありません。味はバナナなのか芋なのかよく分からないうすーーーい味。

イランは物価が安いので1度位はいいホテルに泊まろうかとこの有名なアバシ・ホテルを検討したのですが、残念ながら明後日まで満床。カフェだけでも入ろうかと思ったらなんと入場料金がいるので入りませんでした。

イマーム広場に戻って来ました。やはりライトアップは綺麗です。中はぼったくり一部屋だけの王のモスクですが。

今日はイマーム広場を取り囲むモスクに3つとも入りました。イスファハーンの主な観光地はここで終わりかと思います。
広くて綺麗なのに、16世紀まで栄華を極めたこのペルシャ帝国の今の状況を思うとしんみり。

明日はジョージアで知り合った方に勧めて頂いた古民家に行ってみます。ここが1番楽しみにしていた場所。明日の夜にはヤズドへ向かいます。

イラン人から見た30年前の日本。テヘランからイスファハーンまで夜行バス移動(2023.12.17)

2023.12.16~17(日)
1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)

イランモール→南バスターミナルへ

テヘランのイランモールは全部周ると6時間はかかるとGoogleMapにありましたが、もう21時を過ぎているのでホステルに戻ります。

イラン人から見た30年前の日本

モール前でSnapp!アプリでタクシーを呼ぶとすぐ来て、運転手のおじさんに「日本人ですか?」と聞かれたので「そうだ。」と言うとめちゃめちゃ感激しています。

おじさんは大声で後ろを向きながら「日本人、大好きデス。嬉しくて感激してイマス。私30年前に日本で10年働いてイマシタ。」と興奮しながら言ってきます。
そうですね、昔はイラン人労働者がいっぱい街にいました。っておい、お願い前向いて運転して。そしてハンドルから両手を離さないで( ;∀;)

彼は名古屋の栄で『奥村アキラ』さんという大金持ちの社長さんの元で、日当1万3千円で建築現場で働いていたそうです。それはそれは社長と社長の奥さん、数々の日本人に親切にしてもらったそうで日本人が大好きなんだそう。30分以上タクシーに乗っていましたが、ずっと日本のことを褒めてくれました。

・日本人は皆親切だ、社長にはボーナスまで貰えた
・日本の製品は優秀だ、中●のはすぐ壊れる
・イランだと政治家の悪口言うとすぐ警察に捕まって首を切られるが、日本の総理大臣は常に日本のことを1番に考えている、殺された安倍さん大好き
・イランでは偉い人らは自分と自分の家族が裕福になることしか考えていない、日本はそんなことない
・日本で生まれたことは最高にラッキーなことで、私は生まれ変わったら日本人に生まれたい

うーん。現在、日本人らが「日本は働きづらいので脱出したい。30年ずっと不景気で給与が上がらない。海外ノマドしたい。」と言っているのとイメージが違い過ぎますね(;^ω^)

よくよく聞いていくと・・・
「東京が世界1番物価が高い、東京最高!!日本の経済は世界で1番強い。今は1$=120円位か??」
と言われて気付きました。おっちゃんの記憶は30年前の日本で止まっているのです。ネットが規制されているので、今の日本の経済状況を知らないのでしょう。
おっちゃんが日本にいたのはバブル絶頂期。奥さんをスーパーに車で送っていっただけで小遣い千円を貰え、イランに住んでいた家族まで呼び寄せてくれて一緒に日本を観光させてもらったそう。日当の1.3万も今のイランの物価からすると相当な金額。彼が「30年前はイタリアやフランスも旅行した。」と言うのも納得です。「しかし今はイランの政治が悪すぎて日々の生活が苦しくなってしまった。」と。

「いや日本の経済も弱いし、アメリカやオーストラリアの方が全然物価高いよと言っても「何を言ってる、日本が世界でNo.1だ。」と言って信じてくれません。
。。。あぁ、日本もそんな時代あったなぁ。。。私も子供の頃を思い出し懐かしくなりました。

日本人と会ったのが久々で嬉し過ぎてチャイをしたいと言われましたが「早くバスターミナルに行かないといけないから、ごめん。」と言ってタクシーを降りました。
日本のことを褒めちぎってくれたお礼に料金は倍(と言っても余分に300円)支払うと凄く喜んでくれ、別れ際に振り返って見たおっちゃんは昔の良き時代に思いを馳せ涙ぐんでいるように見えました。

テヘラン南バスターミナル(South Bus Terminal)

心優しいおっちゃんとチャイをしたかったですが、私はまだバスのチケットを持っていないのが気になり心ここにあらず。
Heritage Hosutelで荷物をピックアップし「今から乗れるイスファハーン行きのバスある?」とレセプションの人にネットで予約サイトを見てもらったら
「今日は予約でいっぱいだよ。」と言われました(;´Д`)
「でも・・・直接バスターミナルに行ったらたぶん乗れるよ。」とのこと。

22時半にまたSnapp!アプリで南バスターミナルに到着。タクシーは15分位の移動ならたった100円です。
全く英語の通じないカウンターで「イスファハーン、イスファハーン」と言いまくっていたら「12番の窓口行け。」と言われ、窓口に行ったらパスポートを渡してチケットをくれました。

6時間も乗るのに150IRR(≒450円)ってタクシーと比較してもおかしい金額。しかも7万IRRまけてくれました。バス会社の利益はどうなってんの。そしてチケットのペルシャ文字、全く読めないんですが。何時にどこ??

「何時ー?」って窓口で騒いでいると「案内係がいるから。」とカウンターの向こうからおじいちゃんが出て来てくれ、下の階に停車しているバスまで案内してくれました。
23時にまだ7割位しか座席は埋まっていませんがバスは出発。イランのバスはチケット予約なしでも凄くスムーズ、そしてフットレストがあるのと前の席とのピッチが大きいのでとても快適・爆睡でした。

途中、こんなネオン煌びやかな場所で1回だけ休憩。トルコより休憩時間はかなり少な目です。給仕のおっちゃんに親切に何回もペルシャ語で「1度降りろよ、トイレとか食事とかあるぞ。」と言われている感じなのですが、眠すぎて降りませんでした。お酒を飲まなかったら6時間位トイレ行かなくても大丈夫ですね。

朝の5時。きっちり6時間でイスファハーンのバスターミナルに到着。街の中心からはかなり離れています。ここからもSnapp!アプリでホテルまで行ってもらいます。

Isfahan Heritage Hostel

タクシーは410,000リアル(115円)でホテルに到着。

今回も一見したところホテルとは分からない外観ですが・・・

中は安定のテラスありのHeritage Hostelです。テヘランのHeritage Hostelと全く造りが同じですし違うところに泊まりたかったのですが、地図を見るとどうみてもここが1番場所が便利で安いので、またここに。
イランのホテルの予約はVPNを繋いだらHostel Worldのサイトが見れて、残部屋数と料金、口コミなどが分かるのですが、イランに入国してからクレカが使えないので予約出来ず。以降全部飛びこみになります。

レセプションのお兄さんは朝の6時前だったので超絶迷惑そうwww
女性専用ドミトリーに半額の3ドル払ってアーリーチェックインさせてもらいました。チェックイン時間の14時まで待つ体力なんざもうありません(;´・ω・)

イマーム広場

起きたらもう14時。そこからシャワーを浴びて徒歩ですぐのイマーム広場へ。

うーん。裏口に周ってしまいひたすら遠回りです。モスクはまた改装中ですか。あの丸い形に足場を組むのが凄いなぁ。

こんな感じの周囲のお土産屋が並ぶ道に入り込んだら・・・

やっと中に入れました。これが16世紀に『イスファハーンは世界の半分』とまで称えられたイマーム広場です。アッバース1世によってつくられ、サファヴィー朝の都として栄えました。 確かにデカイ。写真じゃ伝わりませんがメキシコシティのソカロ(中央広場)も広過ぎてびっくり。
そして人が少なくて綺麗です。

馬車が走っています。昼寝しちゃったので、もう日が暮れてきました。

南はさっき足場があった17世紀のシャー・モスク

東は1600年代の古いシャイフ・ルトゥフッラー・モスク

繊細で上品なデザインです。イラン建築は本当に美しい。

西は木造の柱がある6階建てのアリ・カプ宮殿。どこも16時位には入場者を締め切るようで入れなかったのでまた明日訪問します。

周囲のお土産屋も覗いてみます。カーペット、貴金属、お茶セットなどが売られています。

木製の装飾箱には値札が付いていました。千円前後位。全部デザインが違っていて美しいですね。買いたいけどもうスーツケースには入りません。

やっぱり買って日本に送れば良かったかなぁ・・・

見ているだけで美し過ぎてあっという間に夜。私はやはり自然より建築物が大好きです。

ライトアップの仕方も美しく・・・さすが世界の半分、イスファハーン!
いや、そこまで広くないけど!!

Cafe Museum

雰囲気が良さげなカフェがあったので入ってみました。

チーズケーキとカフェオレで全部で800円位でイランの物価からすると激高。
ケバブだけでなくこんな西洋よりのカフェや食事もあるんですね。

たまには観光も休憩してこんな風にのんびり過ごしたいなぁ。これぞ心と体力の休息。仕事だって週2回も休みがあるんだから、旅だって休まないと体力も気力もへとへとになってしまいます。

夜のイスファハーン、イマーム広場もなんて美しいんでしょう。夕方とはまた違った趣です。

ホステルに戻って来ました。
テヘランの Heritage Hostelは満床だったのに対し、こちらは同じホテルでもガラガラ閑古鳥状態。
設備もこっちの方が古くて掃除は行き届いていません、しかしやはり観光地から近いのはいいです。

明日はイマーム広場で入れなかったモスクたちを見に行きます。

タージリッシュのサーダバード宮殿と世界で5番目に大きいイランモールへ(2023.12.16)

2023.12.16(土)
1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)、1ドル≒143円、1ユーロ≒156円

タージリッシュのイマームデサレ霊廟をあとにし、サーダバード宮殿へ徒歩で向かいます。

急な坂を10分程登り到着。周囲は高級住宅街のようです。

サーダバード宮殿

パフラヴィー王家の夏の離宮として建てられ、広大な敷地にいくつもの宮殿が点在しているようです。

ここは入場100万IRR(≒300円)に加え、宮殿ごとに入場料が掛かるみたいです。よくわからんですが上の2つの高めの宮殿にしといたら間違いないかなと思い、メラット宮殿と緑の宮殿を申し込みました。各100万IRRずつです。

入口からずっとこんな坂道を上がります。私にここを紹介してくれたおば様はこの白樺の写真を見せてくれていたので、間違いなくここで合ってました。

緑の宮殿(シャーヴァンド)

ぜいぜい。かなり登ってきて辿り着きました。ここが1番のメインの宮殿のようで並んでいます。
外観の石の種類が緑色なので緑の宮殿と呼ばれています。屋根の色も合わせていてセンスいいですね。

落ち着いたリビングもありますが・・・

ここも鏡でキンキラキンなんですね。別荘なのに落ち着くんでしょうかこれ。

似てますが別の部屋。なぜイラン建築は鏡張りが好きなんでしょうか。高級感の頂点みたいな感じですね。

食堂です。そんな大勢で食べますか。

メラット美術館(ホワイト宮殿)

もう1つの白い宮殿の方へ来ました。レザー・パフラヴィ氏とファラー・パフラヴィ氏の公邸のホワイト宮殿を美術館にしたメラット美術館です。誰ですかそれは。

宮殿正面からの景色。

こっちはだいぶ後から出来たんですかね。落ち着いた現代風の内装です。

私の部屋、これくらいの広さでいいんですけどね~
天井が高いのが豪華ですね。あとこの大きさのペルシャ絨毯っておいくら位するんでしょう。
カーテンも洗濯機に入らないとか大きなお世話ですね。

とっても綺麗な別荘たちでした。タージリッシュに来て良かったです。
ガラスの柵でインテリアに近づけないのと、各部屋こじんまりしているので、壮大さはゴレスターン宮殿の方が圧倒的でしたが。あっちの方がお金があった時代の歴史的な建物なんでしょう。ここの別荘は周囲の森との景色を楽しめたのが良かったです。

帰り道のにゃんこ。温かくて気持ち良さそうです。

ATMの中で寝るんじゃない。自動ドアをどうやって出るつもりでしょうか。

GoogleMapを見て、せっかく遠回りして時間博物館とやらに来たのですが、受付の強欲そうなおっさんが提示するチケット代が500万IRR(≒2500円)でした。イラン人はどうせその20分の1とかなのに。
各国の色んな時計が展示されているようなのですが、ここがさっきの宮殿の5倍の料金というのはコスパ的にあり得ないので退散します。

タージリッシュはテヘランの中心より、ヒジャブを被らずおしゃれを楽しんでいる女性が多い気がします。前方の女性らのように全身黒マントの方もいるのですが。

タージリッシュ駅からイランモールへ向かう

今夜の深夜バスでイスファハーンへ向かう予定ですが、まだもう1か所、テヘランで行きたい場所があります。イランモールという西アジア最大、世界で5番目に大きいショッピングモールです。最寄りの地下鉄駅はないので、Snapp!というタクシーアプリでここからどれ位掛かるか調べると45分、金額は500円位と格安過ぎ。しかしタージリッシュ駅周辺が大渋滞で全く車が動いていないので、近くまで地下鉄で行ってみることに。

中心地からはかなり離れた西の方にあるんですよね。

2回も乗り換えてやっとこの黄色の路線の終点Eram-e Sabz駅に来ました。また乗り換え間違えをしましたが。ここで緑色の路線に乗り換えます。終点だけに大きな駅です。

ホームはいつの間にか地上駅。そして凄い人です。住宅街へ向かう路線なのでしょうか。
そしてうわっ京阪電鉄みたいな2階建て列車が来ました。

どこですか、ここは。

2階建て列車、30分以上どこにも停まらず降りれませんでした。なんと特急だったようです。

30分以上降りれず到着した無人駅はGoogleMapを見るとカラジュ地方にある駅で、イオンモールなんぞとっくに通り過ぎ、テヘラン中心~イオンモール間より更に遠い地方に来ています。あほですか私は。

反対側のホームへ行きまた2階建て列車に乗ります。今度は各駅停車。しかし英語のアナウンスはないし無人駅だし勘で乗るしかない感じ。

イランモール

イランモールが近づいたら駅を降り、Snapp!アプリでタクシーを呼び到着。
初めてのタクシーアプリ使用でドキドキしましたが15分乗って100円位の激安金額、お釣りもきっちり返ってきて便利アプリです。

なんか凄い豪華ですよ。「イオンモールへ行ってくれ。」とタクシーに乗る時いい間違えましたが。

ガラガラ過ぎて怖いです。まだ建設途中なんでしょうか。オープンしていないお店もいっぱい。
広過ぎて訳わかりませんが、図書館をモチーフにしたコーナーがあるとのことで行ってみます。

適当に歩いていたら着きました。

凄いですね。豪華な図書館コーナーです。サイドには図書館カフェがありました。

横の通路からクラフトショップコーナーへ行けるようです。

ペルシャ絨毯販売コーナーに・・・
ドバイの金持ちとかが買い付けに来るのでしょうか?

インテリアコーナー。

これは無料の展示室。
やはりミラー好きですね。時間があればカフェに入ったりゆっくりしたかったです。

GoogleMapの口コミで「全部周るのに6時間掛かった。」とあったので、端の方まで行けばかなり広いのでしょう。こんなホテルよりも無駄な空間がいっぱいあります。お金あるんですねイランって。

何とか安そうなフードコートを見つけてピザを注文。バスターミナルを下見に行った時、食堂がなかったので腹ごしらえをしてからバスに乗ります。

めちゃめちゃ愛想いい店員さんのお勧めミートピザ。出て来るのに15分以上掛かりましたが。
なんか味が薄いと思ったらケチャップは自分でかけて味付けしないといけないようです。一緒に焼いてくれた方がアツアツで美味しいと思うのですが。食べきれないので半分持ち帰ります。

さて、もう22時近いです。ホステルに戻って荷物をピックアップし、テヘランの南バスターミナルへ向かいます。

テヘランのタージリッシュ、驚異の鏡張りイマームデサレ霊廟(2023.12.16)

2023.12.16(土)
1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)、1ドル≒143円、1ユーロ≒156円

本日もHeritage Hotelの変わらぬ朝と変わらぬ朝食です。外で食べるのはだいぶ寒くなってきました。

テラスに噴水があって気持ち良く、ずっと同じ宿に長居してしまいました。
ドミトリーはエアコンの温風が全開なので、二段ベッドの上の段は熱すぎ・乾燥し過ぎなので下の段に移りたいのですが、イランでビジネスをしている中国人に占領されています。

延泊したら女性専用ドミが予約で満室で、男女混合ドミに移らされました。人気の宿のようです。
同室のイラン人女性らがうるさ過ぎたのでいいんですが、今度はイラン人男性の体臭が…どっちの方が耐え難いか勝負って感じです。両方ともペルシャ語だったのでイラン人かと思いましたがパキスタン人かもです。

タージリッシュ駅とバザール

本日はテヘラン行きの飛行機で隣の席のドイツ人おば様お勧めのタージリッシュという所へ行ってみたいと思います。ネット情報が出てこないのですが、地下鉄で行けるようなので。

テヘランの中心地から地下鉄で北に向かって40分ほど乗り、終点の駅に到着。

いつの間にか凄い地下に潜っていたようで、こんなエスカレーターを何本も乗り継いでやっと地上へ。

出てすぐ、おしゃれなバザールがあります。

結構歴史がありそうなタージリッシュ・バザール。

この道端で売っている赤い食べ物が何か気になっていたのですが、デーツ(赤カブ)でした。右は豆。

Imamzadeh Saleh(イマームデサレ霊廟)

バザールを抜けると左手にモスクが見えました。いつも通りのタイル張りのモスクだろうなと思いながらも中に入ってみることに。

入口

これまでのモスクと違い、入口で厳重なセキュリティチェック。私はイランではスカーフを頭に被ってダブダブの服をいつも着て観光しているのですが、それでも更に足元まである布を被せられました。
どう見ても異教徒の私ですが、それは気にならないようです。

ガイドブックやGoogleで検索しても出てこないので、観光地ではないようです。どうやらハズラット イマーム ムーサ アル カジムという偉大なる方の息子のお墓。シーア派の人気ある聖地ということしか分かりません。

正面の入口からは勿論男性しか入れないので、横へ回ります。本当、イスラムの国では女性は損だわ。

この石で何かしてお参りするようなのですが・・・ルールが分かりません。靴はカーペットの前で脱いで、靴を入れる袋は近くの方が皆に配ってくれています。

外国人観光客は私だけでアウエイ感は凄いです。
地方からお参りに来たイラン人観光客らが多く、私のことが珍しいのかめちゃめちゃペルシャ語で話し掛けられまくります。何を言っているのか全然分かりません。まぁいつも「どこの国から来た?」しか聞かれないので「ジャポン」と答えておきましたが。

イラン人観光客の人らは、写真を撮りまくっていたので私も便乗して写真を撮りながら中に入りました。どうせ女性しか入れないところはいつもショボ・・・

えっ(/ω\)凄いんだけど。

キンキンきらきら\(^o^)/♪
頭がおかしくなりそうな煌びやかなモスクです。外からこの中を想像出来たでしょうか。
女性エリアでこれだと男性エリアはどれだけ凄いんだ。み、見たい・・・

マハラジャですか。ディスコですか。なんでそんなにシャンデリア。

この赤い窓の向こうが四角い部屋になっていて覗き込むと棺が見えます。皆さん真剣にお祈りしています。
周りの人に見習って座って眺めていると、若いイラン人女性が英語で話し掛けてきて説明してくれました。
この窓の所に手を掛け、棺に向かってお祈りをすると何でも願いごとが叶うんだそうです。「何か願いなよ。」と言われましたが、金くれとか異教徒だしなぁ。。叶えてくれないでしょう。
そして「一人で旅している。」と言うと「??旦那も父親もなしでどうやって観光地を知ることが出来るの?」と不思議そうに言われました。彼女は地方の人っぽかったのですが、そこまで男性に頼る感覚なのでしょうか。今はネットがあるから女ひとりで生きていけるのだよ。

タージリッシュ散策

タージリッシュに来た目的はサーダバード宮殿に来たかったからなのですが。降り立った駅で思いもかけず驚異の鏡張り霊廟を拝見することが出来ました。そして本来の目的地へ向かいます。

途中、ショッピングモールを見掛けたのでトイレへ。こんなおしゃれなカフェもあるんですね。イラン人女性の服装とお店の近代ぶりが合ってない感じです。

若い子らが頭にヒジャブを被っていなかったり鼻ピアスをしていたりするのを見ていると、女性らは本当は強制されたうっとおしい体や髪を覆う布は取って、おしゃれを楽しみたいのではないのでしょうか。私の想像ですが・・・

おお~これはイースター島でモアイたちを無償で立て直したタダノのクレーンでは。こんなとこにもタダノ。因みにナンバープレート2つ目の文字は数字の5です。この数字を見る度におしりしか思い浮かばないので少し照れた気持ちになります。

短いですが今回はここまで。リアルタイムではイランのヤズドにいるのですが、宿のネットが遅すぎて画像がちょっとずつしかアップ出来ません。なのでちょっとずつの更新です。

次はサーダバード宮殿へ。

壮麗なるゴレスターン宮殿、鏡の量はベルサイユ宮殿超え(2023.12.15)

2023.12.15(金)
1ドル≒490万イランリアル(流通レート)、1ドル≒143円、1ユーロ≒156円

宿は2段ベッドの上の段なのと暖房のエアコンが一晩中ガンガンについているのが気に入りませんが、場所移動は面倒なので延泊します。闇レートIRR<ユーロ払い<公定レートIRRの順で支払いはお得です。

おはようございます。宿の前の人形館です。と思ったら労働組合でした。なんですかこの人形たち。
本日は晴れ。いよいよ楽しみにしていたイラン建築を見に行きます!

本日もテヘラン大渋滞。マスク必須ですね。持って来ていて良かったです。
していないと自分が排気ガスを吸っているのがモロに分かる感じ。

ゴレスタン宮殿

2013年世界遺産登録のゴレスタン宮殿とやらに来てみました。

現金で支払っているのは私だけで、他の人はイランカードだったので外国人観光客は私だけなんでしょうか。料金は650万リアル(≒1,900円)。

内部は7か所の建物があって1つ1つに料金が掛かるとネットで見たのですが、現在はこのチケットのみの販売で全ての建物に入れます。運営方法はコロコロ変わるようです。

タフテ・マルマル

正面から早速凄い建物に来ました。ペルシャ芸術の最高峰だそう。
内部が天井まで鏡張り?!心躍ります。

パフラヴィー朝イラン(1925~1979年)の王の王座の間。私がもう生まれている年代じゃないですか。

伝わりますでしょうか。この繊細なデザインと全てが鏡。
これまでのコーカサス地方のタイルデザインとは一線を画してます。

これだけの鏡を使った建築は、私が見たことある中ではベルサイユ宮殿でしょうか。しかしあっちの下品なゴテゴテデザインとは違い繊細さが凄い。こっちは何部屋もこうなので規模も桁違いです。

中は博物館になっていて、博物館を抜けると、靴にカバーを被せて宮殿の広間へ。

18世紀末、カージャール朝の4代目の王、ナーセルッディーン・シャーがヨーロッパに憧れ、ヨーロッパ風の建物を建てるように命じて建築されたのがこのゴレスタン宮殿です。

ヨーロッパとペルシャの文化が混じるとこんな凄いことに。

壁のアップ。
ベルサイユ宮殿がどーーんっと大きな鏡を張っているのに対し、こちらは1枚1枚細かく張り付けていて、しかも角度が付いています。それがこの部屋の壁から天井まで全部。

職人さんは手を切らなかったのでしょうか。気が遠くなるような作業です。そして肩が凝り凝りにならなかったのでしょうか。総建築費はいくらなのでしょうか。ドイツのノイシュバンシュタイン城やベルサイユ宮殿のように総工費にお金を掛け過ぎて国民から恨まれ、王は処刑されたりはしなかったのでしょうか。大きなお世話でしょうか。

(後で調べたらやはり暗殺されていました

鏡張りでない部屋もあります。しかしこの天井高さとシャンデリアのスケール感、溜息しか出ません。

イラン人は手先が器用なんでしょうか。私が学生の頃も上野駅に大勢イラン人がたむろしていて、精巧な偽装テレフォンカードを売りまくってましたもんね、そのせいで2000年以降入国禁止に

シャムス・オル・エマーレ

庭園を抜けて2つ目はシャムス・オル・エマーレ
時計周りに周ると年代別に周れるようです。

ステンドグラスも入ってきました。ちょっとデザイン変わりましたね。

バードギール

3つ目の建物。
外はこんな感じです。7つの建物のうち小さいものもあるので2~3時間で全て回れそうです。

モスクの天井でよく見るデザインです。鏡張り付け職人は首が痛くなったことでしょう・・

4つ目以降の建物

地下の迷路のような建物内に絵画が飾られている建物があったり、一部屋しかない建物などもありました。閉鎖されている部分も。

旧アブヤーズ宮殿(民族博物館)

そして最後の7つ目の建物、旧アブヤーズ宮殿は博物館となっており、民族衣装やイランの歴史を紹介しております。

悪魔の儀式・・・いや祭りに使われるもののよう。たぶんなまはげ的な。

シーシャばかり吸っているとこんな駄目人間になるよ。という展示でしょうか。私は吸わないので独断と偏見です。

イラン人家族の日常。日本みたいにこたつがあるんですね。

しかし家族の虚ろな目・・・家庭崩壊です。
旦那がDVか、ギャンブルばかりで家にお金を入れないとかでしょうか。子供のマネキン雑・・・

小林幸子?ラスボス感満載。

テヘラン鉄道駅

何時間もいたのですっかり夕方に。雨で前半テヘランで足止めをくらってしまいましたが、明日にはもうイスファハーンに移動しようと思うので、鉄道かバスのチケットを買いに。

しかしどう見ても鉄道は本数が少ない割に人が多過ぎて乗れそうにありません。ネットのHPで見ても3日以上先まで満席でした。

鉄道駅と南バスターミナルは地下鉄で1駅なのでバスターミナルの方に来てみました。

行き先も看板もペルシャ語表記のみで全く読めませんが、窓口がかなりあるので多分明日いきなり来ても買えるしょう。
テヘラン最終日の明日の観光は、遠くまで行こうと思うのでくので何時のバスに乗れるか読めないのです。雰囲気からして、多分当日いきなり来てチケットは買えるとふみました。

明日は、イラン入国時に飛行機の隣の席のドイツ人のおば様が勧めてくれたタージリッシュという町へ行ってみたいと思います。

雨のテヘラン、旧アメリカ大使館跡と闇両替へ。枚数をごまかされる(2023.12.12~14)

2023.12.12(火)
1ドル≒490万イランリアル(実勢レート)、1ドル≒143円、1ユーロ≒156円

イラン到着初日は、さすがに飛行機深夜便で24時間以上眠れていなかったので、外食しただけで終わってしまいました。

近所のケバブ屋

近所のケバブバーガー。メニューや看板はペルシャ語オンリーで全く読めず。店頭の肉を指差して注文しました。こんな落書きみたいな文字、イラン人は本当に読めるんでしょうか。
肉ケバブバーガーは1400000IRL(500円)もしたのに、あまり美味しくなかったです。量は多かったですが。ケバブはトルコが本場でしょうか。

Heritage Hostelでは誕生日パーティが行われていました。2時間以上踊っていました。ここはどうやらパリピが集まる宿のようです。私はもちろん入っておりません、もう年齢的にこういうのは苦手ですね。ひっそり隅で眺めさせてもらいました。

宿泊客は半分パキスタン人、半分中国人って感じの構成ですが1名だけこんなところに日本人がいました。20代男性の方で、ペルシャ語が話せるのでパキスタン人の輪の中にいつも入っています。かっこいいですね~


2023.12.13(水)

ホテルの朝食は毎日こんな感じ。

紅茶がいつでも飲み放題なのが嬉しいです。パンは固くて美味しくないのですが、トマトときゅうりはこれまでの国同様、味が濃くて美味しいです。

テヘランにはそれはそれは美しい宮殿があるようなのですが、本日と明日は曇りなので明後日に行くことにし、バザールや博物館を回ります。散歩がてら歩いて向かってみます。

紙袋屋さんでしょうか。早速もうイスラムちっくなデザインが美しいです。

この通りの両サイドから中のショッピングモールまで全てが靴屋さんです。他の町でもそんなエリアを見たのですが、イラン人は靴が好きなのでしょうか。

エルメスの靴屋発見!

そこら中に名もなきモスク

あんた誰やねん像の頭には必ず鳩が・・・

旧アメリカ合衆国大使館

イランとアメリカは対立しているのにアメリカ合衆国大使館があったので来てみました。
1979年のイラン・アメリカ大使館人質事件があった現場を「アメリカ大嫌い博物館」として再利用しているようです。無料で入れました。

外壁の壁画。う~ん、アメリカの国旗が溶けたんでしょうか。

こえーよ。

建物入って正面がこれです。Don’t with USAですか。
経済制裁を受けているせいで、イランは石油産出国なのに輸出出来ずイランリアルが大暴落しているんですよね。観光客もクレカが使えないせいで入ってこないだろうし仲良く出来ないんでしょうか。

そういえばイラン航空撃墜事件とかあったし無理ですかね・・・
小さい頃ですが薄っすらとニュースでやっていた記憶があります。

廊下も外壁と同じくこんな感じの風刺画がいっぱい。めちゃめちゃアメリカの悪口を書いています。
根深い恨みがあるんでしょうね。

当時の大使館の実際の現場。解説を読むと「スパイ行為を行っていた証拠」とあります。大使館の人々は400日以上も拘束されていて、救出されるために密かに外部と連絡を取っていたようです。

マネキンたち「詳しくは2012年の映画『アルゴ』を見てね!」
私は見てませんがネット環境が良くなったらみたいですね。イランの宿のネットは遅くて動画は無理です。

しかし中々こんな他国の悪口博物館設立って勇気がいるのではないでしょうか。衝突を避けたい日本人の感覚からすれば理解出来ません。世界から孤立したり戦争とかになったら嫌だし・・・その辺が歩んできた歴史や宗教の違いなのかも知れません。

これを見てアメリカと友好国の日本人は敵視されているのでは・・・とビビりましたが「日本はアメリカの敗戦国だから仕方なく言うことを聞いてるんだよね。」と思われているようです。ネットで見ただけなので本当かどうか知らんけど。
同じ宿のペルシャ語を話せる日本人に聞いたら「イラン人はイスラエル人と中国人は嫌いだけど、日本人は好きだよ。」と申しておりました。なんかどこでも嫌われてるなぁ・・・かの国は。

テヘラン夜歩き

地下鉄で移動します。空港からの地下鉄は15万IRRでしたが、街中は1回4万IRR(15円)です。

海外で夜は歩きたくないですが、冬は17時でもう真っ暗なので仕方ありません。
大通り沿いなら渋滞だらけ、女性も大勢歩いていて安全そうです。

それよりイランの車とバイクの運転が荒過ぎ注意。歩行者信号は皆無なのでベトナムのように車と車の間を縫って道路を渡らないといけません。加えてバイクはオール信号無視で全方向からやって来るのでアクションゲームのラスボス直前みたいに全方向攻撃で速攻やられそうです。

ショッピングモールに来てみました。全フロア携帯電話しか置いていません。最上階のフードコートも2店舗のみ。
なぜ他国みたいに服、化粧品、食料など置いてある複合施設にしないんですかね。靴売りエリアといいイランは1点集中勝負型なんでしょうか。

ビタミン補給は路上のザクロジュースで。搾りたてで激うまー。50万IRRでトルコより安いし量が多いのでリピ確定。

イランのインテリアはゴージャズですね。大通り沿いを歩いてこの日はホテルに戻りました。


2023.12.14(木)

この日は雨。
バザールとやらに来てみました。地下鉄の女性専用車両が山手線バリにぎゅうぎゅうでした。

・・・・

なんかもう無理。奥までびっしり人、人、人。
金曜日がイスラム教の国の休日なので休日前だからこんな殺人並みに人が多いんでしょうか。スリに遭う予感しかしないので抜けます。一応こんな昔風のバザールの横に・・・

中に入ってみると地下まであるようなこんな近代的なショッピングモールも混在しています。

ねこ公園(パーク・シャー)

ホステルにたった1名だけ日本人男性がいたので、その方に「ねこ公園がある」と教えてもらいバザールの近くだったので来てみました。

トルコじゃおっちゃんらが、ノラ猫を撫で抱っこしてめちゃめちゃかわいがっているのですが、イランではガキんちょ共が石を投げたり、大人は追い払ったりで全然可愛がられていません。
イスラム教だから(ムハンマドが可愛がっていたから)可愛がるという訳でもないんですね。

お前は・・・

マヌルネコ?!絶滅危惧種のマヌルネコ??(; ・`д・´)

テヘランで闇両替、金額ごまかしに注意

Ferdowsi Squareの周囲一帯に片手に札束、片手にスマホを持って立っている両替商らがいます。
この人らと両替すると実勢レートに近い金額でユーロとドルをイランリアルに交換して貰えます。

公定レートが1ドル≒420万リアル、実勢レートは500万リアルです。100ドル両替したら2500~3000円違うので、私もここで両替します。道端両替はアルゼンチンで慣れてます。

1番最初に「エクスチェンジ、ダラー?」と声を掛けてきた3人組のおっちゃんらが「1$=500万IRR」と言うので両替に応じます。私が持っていた100ドル札を先に取られ、こういう時はたいがい後で返してくれないので嫌な予感しかしません。
そして全てが50万リアルのお札を渡されました。200枚あるので凄い札束の量です。

1まーい、2まーい、3まーい・・・ん??
どう数えても80枚しかありません。2回数えて計算機を叩きながら首をかしげていると100万リアル札をパラパラ何枚か渡してきました。それでも足りないのでまた数えていると、また違った単位のお札をパラパラ渡してきます。こいつ・・・

「こらっ足りんやないかい!!(。-`ω-)
「手数料だよ、480000000リアルあるだろ?」
「1$=500万リアルって言ったやん」
「手数料がかかるんだよ」
「手数料、最初に言え!!私の100$返せ!」
「分かった、分かった、もうちょっと渡すから」

また細かいお金をぱらぱら渡してくるのですが、私には0が多過ぎて数えられません。
それより何により、最初にこいつが渡してきた金額が40万リアルで足りなかったのが気に食いません。

「返せ!返せ!かえせ~ボケっ!ヽ(`Д´#)ノ」

と、言いまくってやっと100$札を返して貰いました。例え後から正規の料金を渡してこようが、嫌な奴と取引したくありません。
幸い両替商はいっぱいいるので、道路を渡った向かい側に居た別の人に1$=490IRRで両替して貰いました。(5人に聞いて同じ金額)今度は先に$を渡せとか言ってこないちゃんとした人です。

100$両替してこれです。100万リアル札49枚。最初に渡されたのは50万リアル札だったのでこれの倍渡されたのです、道端で。あわよくば枚数ちょろまかし・・・とか思っていたんでしょうかね、最初の3人組は。でもきっと引っ掛かる人がいるからああいう事をするんですよね。

お金持ちになったので、猫公園横のフードコートへ。
並んでいたら中学性位の女の子がキラキラした目で私を見てきます。母親に「どこの国の人ですか?一緒に写真を撮ってやってくれませんか。」と頼まれました。アジア人が珍しいんですかね。

試食させてくれたミンチケバブと野菜の炒め物がとても美味しかったので頼みます。ご飯はザクロの粒が乗っていてなんて綺麗なんでしょう。全部で250IRR(850円)と高めでしたが凄い量。
他の地元の人はスープみたいなのと、この半分の量のご飯をを食べていたのでハーフサイズというのが注文出来たのかもしれません。英語が通じないので指差すしかないんですよね。半分は持ち帰って夜ご飯にさせて頂きました。

さて。明日からは晴れです。
ここからが本当のテヘラン観光。イラン建築を巡ることにします。

女ひとりイラン入国!意外と簡単、空港から市内まですんなり到着(2023.12.11~12)

2023.12.11(月)
1トルコ・リラ≒5.1円、1ユーロ≒156円

イスタンブール市内からサビハ・ギョクチェン国際空港へ

イスタンブールの新市街から地下鉄とトラムを乗り継ぎ空港へ。
バスだと1本で行けますが、これまでの経験から満員で乗れなかったり渋滞で動かなかったりとハラハラしまくりだったので、2回の乗り換えは大変ですが地下鉄で行くことにします。Googleの表記でもこれが1番早く空港に到着しそう。

ここで昨日購入したイスタンブールカード3回券が何回でも使えることに気付く。
どうやら『イスタンブールカード3回券』60TLと『イスタンブールシティカード3日券600TLを間違えて購入してしまったようです。トルコ語オンリーで見わけもつかん。

左がイスタンブールカード購入機械、右がイスタンブールシティカード購入機械。
画面の文字をゆっくり読んでいるとすぐ最初の画面に戻ってしまうので、3と6の数字だけ確認して早押ししたら罠にはまってしまっていたようです。
300円のカードを3000円で購入していたことに気付きしばしボーゼン(@_@。
返金窓口がないか(2日使っているから無理でしょうが)キョロキョロしていると「どうしたんですかー。」と改札口に案内しただけでチップをせしめようとするおっさんが声を掛けてきます。おっさんに時間を取られる方が損失なので返金は諦め、早急に空港へ向かいます。

ペガサス航空チェックイン 初ビザ確認

サビハ・ギョクチェン国際空港に到着。市内からは地下鉄で1時間位。
飛行機はペガサス航空というトルコの LCC のHPから取りました。イスタンブールからイランのテヘラン空港まで1.4万円。機内持込み荷物は8kgまででしたが、バッグ1つしか持ち込めないと規約にあったので預け入れ荷物可能のクラスに3000円追加でグレードアップしておきました。
夜中0時10分発3時半の到着ですが、空港で寝るのも慣れたので大丈夫。

ペガサス航空のチェックイン窓口はかなりスムーズ。列がスイスイ進みます。南米やフィリピンも見習って欲しいものです。
この旅で初めてビザを取得したので確認されました。最強パスポートを持ってしても日本人はイラン訪問にビザが要ります。
イランのテヘラン空港でアライバルビザが取得出来るようですが、取得した人の話だと手数料含め80€だったらしいので、予めジョージアのトビリシのイラン大使館で取得しておきました。

ジョージアのトビリシで取得したイランビザ

ネットからイラン外務省のHPでビザを申請後、返事は100%来ないので自ら朝9時にイラン大使館を訪問。ビザ取得窓口へはロッカーに全荷物を預けてからしか入室出来ず、Google翻訳が使えない状態でペルシャ語とジョージア語のこの紙を貰い、バスで1駅戻った所にあるTBC銀行で30€振り込んでからまた大使館に戻って来て受け取る。。。という流れで、なかなかハードルが高かったです。
しかしアライバルビザよりかなり安いのでお得ではないでしょうか。

サビハ・ギョクチェン国際空港のラウンジ

ラウンジは2か所あり、両方ともプラザ プレミアム ラウンジだったので搭乗ゲートに近い方に入りました。 

久々のラウンジを楽しみに空港には3時間以上前に到着していたのですが・・・

食事がこれしかなくカスでした。ビールとワインだけ堪能。

しかし初イラン、緊張で中々酔いません。酔わなくていいんですが。
テロや戦争で怖いイメージのある国ですよね。行くとアメリカに入国出来なくなるとの噂もあるため、行ったことのある人が少ない国です。(正確にはESTAで入れないです。現在はイランのビザがeVIZAになり、入国スタンプも別紙に押してくれるのでESTAで入ろうと思えば可能。)

ペガサス航空、搭乗時に先頭に並んでいたカップルが座席が余っていたら乗れる航空券だったため、スタッフに「列の最後まで待て」と言われ大喧嘩し出し、20分遅れの出発。

座席指定しなかったので3人席の真ん中です。
左はイラン人女性、右はドイツ人女性のイランでビジネスをしているというおば様。おば様はずっと話し掛けてきます。テヘランだと北の町のタージリッシュ、更に北上して北の海に面したチャールースが最高だそうです。GoogleMapに保存させられました。
お願い・・・深夜1時・・・寝させて(;^ω^)

イマーム・ホメイニー国際空港

首都テヘランのイマーム・ホメイニー国際空港に3時間で到着。トルコとは30分の時差があり3時40分です。
到着と同時に飛行機に乗っていた女性らが一斉に頭にスカーフか毛糸の帽子を被り出しました。イランではイスラム法で女性は髪の毛を覆うヒジャブを被り、体の線が見えないゆったりした服装が義務付けられています。しまった、スカーフはスーツケースの中。暑かったので脱いでいたセーターを頭に被って入国審査を済ませました。審査官は(なんじゃこいつ)と思っていたと思いますが、観光客が少ないせいか「Welcom!」とにこやか&迅速でした。

※実際入国してみるとスカーフを被っていない女性(全て若い女性が1割位いました。政府のヒジャブ規制に反発しているのかも知れません。

審査ゲートを出たら早速「タクシー?」「ダラー?」とおっちゃんたちに声を掛けられまくり。やはり怖いので、おっちゃんたちの攻防が治まるまでこの方と同じように朝までベンチで寝ること。

このベンチは冷たいし固いし1時間位しか寝れません。トルコの空港で残りのリラを使い切るために購入したドーナツを食べながら、ネットで事前に調べていた情報を再読。因みに350円という空港価格のボリボリドーナツです。

SIMカード購入

到着ロビーの奥に1か所だけSIMカード販売コーナーがあります。左奥の黄色の円形カウンター。
60日10Gで6ドル。ネットに「市内で購入したら2400円」とあったので、これまでの国と違ってイランでは空港で買うのが最安値のようです。アクティベートも受付のお姉さんにお願いしました。5分位掛かっていたので、自分では難しくて無理だと思われます。

イランのネットとお金事情

イランでは中国と同じく政府によってネットが規制されています。今回の旅ではそれが1番不安でした。VPNに繋がないとネットが思うように見れないらしいので、不安過ぎてVPNアプリを6つダウンロードしてトルコにいる間に使い方をマスターしてから来ました。
元々NordVPNの有料会員ですが有名どころは全く使えないそうなので。(実際使えなかった)有料のものは無料期間中に解約する予定。
しかし実際繋げてみると、見れないのはSNS(twitter、インスタ、LINEなど)だけでGoogleもGoogleMAPも見れるので心配は杞憂に終わりました。この2つだけで旅は事足ります。

お金は、イランはアメリカから経済制裁を受けているためクレジットカードが使えません。現金のみ。イラン人は皆、国民が登録出来るイランカードなるもので支払っていますが、外国人がそれを手に入れるのはハードルが高いので、現金を大量に用意して持って来ました。
トルコにウズベキスタンなどと同様にドルユーロを引き出せるATMがあるのでそこで7万円分ずつ降ろしました。(実際には物価が安過ぎて数万で足ります。)
宿代やSIMカードはドルやユーロで支払えました。€はトルコ同様、普通に流通しているのと両替も€の方がレートがいいので、ドルより€を持っていくべきだと思います。

タクシーアプリSnapp!登録

イランにもUberやYandexと同じようなタクシーアプリSnapp!があります。読み方はエスナップ。トルコでダウンロードしておいたのですがイランの電話番号がないと起動出来なかったので、ここでSIMカードに記載されている番号を登録し、予約していたホテル迄の料金を調べます。

1,670,000イランリアル…おかしい。イランはタクシーが安いと聞いていたのですが、出てきた料金をいつも使っているCurrencyという為替アプリで見ると5,600円します。うーん、そりゃここから1時間近く乗るしその位はするわな…

Currencyアプリはトマムという10分の1にした単位の金額を入力して正規の料金になるようで、本当は560円でした。
1時間乗ってこの金額とは驚きです。イランはリアルとトマムという両方の単位が使われていてそれもややこしいです。

空港タクシーのカウンターもありますが、タクシーアプリより高いだろうし…Metroと書かれた看板があるので地下鉄で移動することに。

空港で両替

次は両替。「ダラーダラー」と話掛けてくるおっちゃんらは闇両替の方々です。レートを聞くと1$=420,000リアル(^o^)
…って、桁が多過ぎて訳わからんわっっ\(^o^)/

枚数が少なかったり、桁を誤魔化されても今の段階だと全く分からないので、おっちゃんが言うレートより悪いですが、上の階に1か所だけある正規の両替カウンターで20$だけ両替します。

因みに現在イラン旅行中の人をジョージアの宿のオーナーに紹介してもらい、実際に流通しているレートを知っています。1$=500,000リアル。
なので空港のカウンターも空港のおっちゃんもボリボリにぼっております。この辺はアルゼンチンでもそうだったので慣れておりますが。

20$がこんな感じになりました。デカい印字で0を4つ除いた表記もありますが、あほの私にはもう全く計算が出来ません。インフレが凄いんでしょうね。途中でデノミネーション(通貨切下げ)とかしなかったんでしょうか…

イマームホメイニー空港から地下鉄で市内へ

地下鉄へは到着ゲートから1つ上の階に行き、隣の建物へ移動。誰も居なくて不安。

路線図があったので、GoogleMAPの自分のホテルの最寄り駅とにらめっこ。2回も乗り換えしないといけないみたい。

時刻表。1時間置きか…と思いきや、チケット売り場のおっちゃんがペルシャ語で言うには、右の列の時刻しか市内へ行かないみたいです。2時間置きかい!!

現在8時。「9時20分まで待合室で待て」と言われました。「チケット先に買いたいんだけど」と言っても英語が全く通じず「9時20分前に改札に来い」しか言われません。はあ

9時15分に改札に行き、両替したお金の100を出したら違うと言われ、10の方を出したら足りないと言われました。100の方はお釣り無いから無理と言われてもこの2種類しか持ってないんだけど。

料金は150,000のようです。だから先にチケット買いたいって言ったのに!
走って5分で空港に戻り、コーラを買って500,000まで崩しました(それより細かいのはないと空港でも言われた)が、それでも「お釣りがない」と。

えっ?!この電車に乗れなかったら次は2時間後?!

駅のおっちゃん、「もうタダで乗れ、早く行け!」と無料で改札を通してくれました。

イラン人も親切かも…そんなことを思いながら乗る朝の列車。
しばらくは地上を走り、初めて見る朝焼けのイランの景色に釘付け。
空港からの地下鉄は空いていて、私の他はイラン人のみ。

2駅目(と言っても距離的にかなり乗った)の駅で全員降りたので降り、他の乗客らについて行きます。乗り換えのようです。GoogleMAPでは鉄道やバスの経路までは出ないし、英語が通じないので路線図を見ながら頑張ります。

先頭と最後尾が女性専用車両みたい。

途中で地下に入り、2回乗り換えてホテル最寄りの駅に到着しました。
いつも通り、何回も乗り間違えて本当は4回乗り継ぎました。

もはや恒例。しかし苦労して目的地に辿り着くのは、ダンジョンをクリアした時に似た達成感があり楽しいのです。
これがホテル最寄りのBaharestan駅

Heritage Hostel(ホテル)

予約は先人たちもよく記載しているここ。
イランのホテルはアメリカの経済制裁のため、Booking.comなどの予約サイトに登録はなく、Hostel WoridTrip.com、もしくは直接ホテルのHPから予約することになります。
上記のサイトにも数軒しか登録がないため、必然的に旅人は最安値のここに集まることになると思われます。

駅から徒歩すぐですが、途中イラン人カップルに「Welcom to Iran!!」と言われ、ホテルまで案内してもらえました。これはホテルに見えないので助かる。
外国人観光客が少ないせいか、その後も歓迎ムードでよくイラン人に話し掛けられます。

女性専用ドミトリー、1泊7€。広くて窓もありいい感じです。
他の宿泊客は中国人とイラン人のみ。

14時からしかチェックイン出来ないとのことで、荷物をフロントに預けて外食しに行くことにします。
めちゃめちゃ眠いですが。
フロントは20代の人らがわいわいやっていて、オーナーではないのでルールが厳格です。

しかもフロントの女性らは英語ペラペラ、ヒジャブは被っていなく口ピアスなどしていて、失礼ながらイランの女性の法に縛られた暗いイメージが覆りました。
足元まである真っ黒衣装は年配の人だけです。若い人と年配の人らでかなりファッションや考え方に差があると思いました。

他にも「英語が通じない」「暦がペルシャ暦(イランでは現在1402年9月)」といった不安もありましたが、Google翻訳のペルシャ語をダウンロード、ペルシャ暦アプリをダウンロードで問題なさそうです。そもそもトルコも全然英語通じなかったし!

搭乗前に不安だった気持ちは全くなくなりました。女性ひとりで来ても全然大丈夫そうです。ネットの一方的な情報を鵜呑みにするのは考え物だとしみじみ感じさせられます。

それでは外出して来ます。