2024.1.27(土)1ドル≒30エジプトポンド(公定)、1ドル≒60エジプトポンド(闇レート)
西のシワの町から一気にルクソールまで移動する。
1日で凄い移動距離だなぁ。
シワからカイロへ、バスで移動
19時半にシワを出発し、早朝、カイロのGoBusオフィスに着いた。南米のバス程快適ではないが、同行者とずっと喋っている間にいつの間にか眠っていた。このままこのオフィスで10時発のルクソール行きのバスチケットを購入する。295ポンド。
オフィスにはなんとシワでお別れしたLenがいた。メルサマトルーでのパーティはどうだったのか聞いたら「宿のオーナーが最悪でパーティはなかった。騙された。一緒にルクソールへ行く。」と言う。あの涙のお別れはなんだったんだ、まあいいけど。
彼がお腹が空いて何か食べたいと言うが、6時なのでまだどの店も開いていない。
開いていて安そうな店をGoogleMapで検索して行ってみたら屋台だった。
いやーどうみてもゲロ・・・このセットで1人150円位。私は遠慮しておいた。
10時に3人で乗り込む。空いていて皆2席取れたので、ここで横になって爆睡しておく。
川沿いを走るかと思っていたが、地図を見るとずっともっと東の砂漠地帯を走っていた。川沿いは混むのだろうか。
砂漠を通る遠回りのせいか、20時半にルクソールに到着。シワから24時間以上かかった。
ここからタクシーでホテルまで向かう。
ルクソールの東側へ移動
去年ロスで一緒に食事したみどりさんから「自分が予約したルクソールのホテル4泊がキャンセル出来なかったので無料で使ってくれないか。」とありがたい提案を受けていたが、見事に4日丸々日にちがずれてしまった。残念。
シワの宿はキッチンがなく、男性陣らが「ラーメンが食べたい」とぎゃーぎゃーうるさかったので「3人でキッチン付きのアパートを借りないか。1日4回も外食するならそっちの方が食費が浮くのでは。」と提案したら採用。
ルクソールの町は、ナイル川を挟んで博物館などがある東側と王家の墓がある西側に分かれている。
予約した安いアパートは西側だが、バスで降ろされたのは東側。「フェリーで川を渡れる」とネットで見たのだが、乗り場がよく分からない。安全を取ってUberを呼んだら、川を越える橋はかなり北か南にしかなく、川のすぐ向こうに見えるホテルに着くのに40分も要した。
tara hostel
一応ホステルとあるが、3階建てアパート2LDKの3階部分をレンタル。
豪華なキッチンと・・・
洗濯機付きバスルーム。Lenは「これまで泊まった中で1番豪華だ!」と感動していた。
1室14$。西側のドミトリーが1泊1人6$だったのでこっちの方が安いし、食費も洗濯費も浮く。
他の観光客との交流がないのがちょっと寂しいが、久々の綺麗な個室で荷物も思いっきり広げられる。
男性陣らは「3週間ぶりに洗濯出来る。」と騒いでいた。そう言えばシワでは水シャワーだったからここ何日か風呂も入ってないみたいだし、汚いなぁ・・・男の人ってそんなもんなんだろうか。
もう夜中近かったが、10分程歩いた所に商店があったので卵、トマト、インスタントラーメンなどを買い皆で食べる。3人でわいわい料理するのもまた楽しい。オーストラリアでシェアハウスに住んでいた時を思い出した。
次の日。
屋上のテラスが気持ちいい。先に洗濯機を使わせてもらった。
エジプトでも1月は寒いが、日なたにいると暖かい。テラスから西側の町が見えた。
ルクソール町歩き
Lenは相変わらず昼を過ぎても起きてこないので、Tと町を散策に出掛ける。
フェリー乗り場(西岸)
川を渡った西側に行きたいが、GoogleMapにはいくつも「フェリー乗り場」と称する場所が登録されている。そこへ行って金額を聞くと「5~10$」などと言われ、観光価格だ。
普通の地元民が使っているフェリー乗り場をなんとか探す。思っていたよりかなり北のここ。
ここからだと向こう岸までたった10ポンド(30円)。地元の人らは5ポンドしか払っていないのでこれでも外国人料金を取られているが。
フェリーは2階建で、満席になったら出発するスタイル。2階の方がナイル川を見渡せて楽しい。
フェリー乗り場(東岸)
5~10分で向こう岸に着く。到着地点はルクソール博物館の裏。
町の中心へは10分程歩く。
ここから北にはカルナック神殿、南にはルクソール神殿があり、このスフィンクス参道で結ばれている。しかしスフィンクスはなく、台座しか見当たらない。
ルクソール神殿の前の広場までやって来た。
ルクソール鉄道駅でアスワン行きを検討
広場から5分程歩くと鉄道駅に着く。私とTはこの後、更に南下してスーダンとの国境近くにある有名な観光地、アスワンへ行く予定だ。しかしルクソールからアスワン行きの長距離バスはないらしく、誰に聞いても鉄道を案内された。鉄道は相変わらず外国人料金の26$。
鉄道以外で行くなら、旅行会社のバスに乗るかタクシーをチャーターするしかない。旅行会社のバスは全然安くならない。タクシーチャーターは3人で900ポンドまで値切ることが出来た。
ここからは、Tが「地元の人らが歩くような場所へ行くのが好き。」というので付いて行ってみた。
私は騒がしかったり人が多いところはスリに遭いそうで苦手なのだが、他人の趣味に付き合うのもまた違う景色が見れ、視野が広がりいいものだ。
有名な観光地のルクソールでは、ほとんどの日本人が神殿・王家の墓・博物館だけで終わるのではないだろうか。
シワと同じく、道路は車とドンキ(ロバ)、馬が混在していてカオス。
地元の子供たちの公園に来た。熱烈な歓迎を受ける笑
たまにエジプト名物「マニ、マニー!」と言う子がいると、最年長らしき少年がその子らをドツく。
この子たちは貧しそうではないし、本気で言ってるのではないと思うが、彼位の年齢になると「そんな恥ずかしいことを言うな。」というプライドがあるのだろう。
Tが荷物が増えてきたので日本に荷物を送りたいと言うので、郵便局へ行くのも付いて行く。ノートPC1台1万円位かかり、送るのは断念したようだ。
お洒落なカフェがあったので入ってみる。全部で500円位とエジプトにしてはまあまあな値段。他の客は地元の若い女の子たちばかりだった。お金持ちでないとここは入れないだろう。
無料で外から見れるルクソール神殿
夕方、やっとLenから連絡があったのでルクソール神殿の前で集合する。何をしていたか聞いたら、客引きにあって市場を連れまわされた挙句、チップを請求されたらしい。
「大変だったよー、懲り懲り。」とか言いながら、彼のことだから1円も払っていないんだろうけど。
Tが「どこも入場料が高いのでルクソールでは1か所だけ入りたい。僕はルクソール神殿に入りたい。」と言うので「明日、夕方から夜にかけて入らないか。」と提案する。Lenは入場料を聞いて「そんな高いもん入らなくても、あのモスクの中から見えるらしいよ。」と言う。さすが中国ネットワーク。
モスクの中に入り込んで見下ろすと、なるほど。ライトアップされたルクソール神殿が無料で見れた。
入場料は最近値上げしたようで、400ポンド(2000円)もするのだ。
無料で見れて、神殿はもうこれでいいのではないだろうか。
ルクソールで散髪
Tが「散髪したい」と言うので、これまた3人でぞろぞろ連れだって行く。お店のクオリティもなかなか・・・どんな髪型にされるか楽しみだったが、案の定、オーダーしたのとは全く違う短いパツンパツンな髪型になって出て来た。しかし散髪屋の亭主は「どうだ。」と言わんばかりに満足そうだ。
そう言えば女性のヘアカットは見掛けない。人前で髪の毛を出してはいけないイスラム教の女性たちはどこで髪の毛を切っているのだろう。
帰り道、お祭り騒ぎの道路を覗いてみたら結婚式のパレードだった。若い綺麗な女性とおっさん・・・いや、それはいいのだけれど。
ウエディングドレスでも女性は髪の毛を隠した衣装になっている。髪の毛は出していた方が絶対綺麗に見えると思うが、イスラム教の教えなので仕方ない。
予約した宿のある西側は淋しい雰囲気だが、東側はお店がいっぱいある。
シワにはなかった酒屋も見つけたので皆ビールを買い込み、スーパーでチキンとラーメンを購入。
中国人のLenが「胸肉がいい」と言うのを日本人の私たちは「もも肉がいい」と対立、Lenが変な香辛料を大量に買おうとするのを止めたりとスーパーでかなり時間をくう。中国人と日本人は顔は一緒でも育った国が違うと味覚が全然違う。Lenは辛い食べ物が大好きだが私は全く食べれない。
フェリー乗り場まで15分歩くが、馬車の客引きがずっと声を掛けてくる。Tが適当に相手していたら1台40ポンド(120円)にまで値段が下がった。3人でフェリー乗り場まで乗せてもらった。
ナイル川をフェリーで渡る。たった30円のフェリーから見る夜景は、まるでヨーロッパで見た景色のように綺麗だった。
もも肉、胸肉対決は決着がつかず、それぞれ自分の好きな部位を購入して自分で料理することに。
寒いので、米よりラーメンの方が身に染みておいしい。
アスワン行きのタクシーの話をすると、Lenは「高いし春節までに中国に帰らないといけないので行かない。」と言う。アスワンからはアブシンベル神殿へ行けるのだが、そこもまた遠いし行くのが面倒になってきた。Tと相談してアスワンには行かず、もうルクソールでのんびりすることにする。
私は旅も5ヶ月目に入り、正直もう遺跡には飽きているのだ。今後、ヨーロッパでは凄い勢いでお金がなくなっていくだろう。なので自分が興味が薄れてきたことにお金を使うのはやめようと考えた。
Lenは饒舌なので、毎日自分の考えや、傾倒している孟子の教えについてなど色んな話をしてくれる。「この単語は日本語でどう発音するのか。」とよく聞いてくるのだが、結構似ていたりして面白い。
そして大学では法学部だったというので学んだ教科を聞いたら、漢字が日本語とほぼ同じだった。
話をしていると、これまで会った中国人、韓国人の若い子らの方が「どこどこの国の大統領は誰々で、政治情勢はこうで・・・」といった話に詳しく自分が恥ずかしくなる。私だけでなく、日本人の多くは彼らほど世界情勢に詳しくはないだろう。
それは日本が海に囲まれていてどこの国とも接しておらず、インフラも経済も整っていて、自国の中だけで一生安全に平和に暮らせるからだろうか。
「失われた30年」と言いつつ、他国を訪問する度に「そんなことどうでもいい位、日本に生まれただけで恵まれてるよなぁ」と思わざるを得ない。
私も少しは英語のニュースも読もう・・・
そんなことを考えながら眠りについた。
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