2023年4月18日(火)100チリペソ≒17.3円
おはようございます。ホテル シェ・ジェロームの朝です。
昨晩はシャワールームに入って、頭を濡らしてシャンプーをつけ、段々お湯が出て来ると思っていたらどれだけ待っても水しか出てきませんでした。
仕方なくめちゃ寒い中シャンプーを水で洗い流し、びしょびしょの頭のまま1階に行きシェ・ジェロームさんの奥さんに「お湯が出ない。」と言うと部屋まで見に来てくれたのですが、「給湯器の水圧が安定しなくて出ない時がある。明日も出なかったら他の部屋のシャワーを使わせてあげる。」と言われました。
いや、今寒いんですが
シェ・ジェロームの朝食
しかたなく水でシャワーを浴びて寝ました。飼われているワンコもしょぼん顔。
朝食会場に行くとシェ・ジェロームさんが謝って来て、部屋のシャワーの様子を見て下さいました。
安定しませんが、なんとかお湯は出てきました。
スタート時間の8時に行くと1番乗りです。
ここには私の他に、昨日から1人で宿泊しているブラジル人のおじさん、南米の若い女性2名組、昨日一緒に来たフランス人カップルの6名です。
ブラジル人のおじさんはずっと一方的に自分のことを捲し立てて話して来て、フランス人男性が優しく相手にしてあげてました。私とフランス人女性は終始顔を合わせて苦笑い(;^ω^)
イースター島の西側を散歩
ホテルの西側に湖があるようなので歩いてみます。
10分位歩いて気付きます。・・・とても歩ける距離じゃなかった。
馬が野放しで草を食べています。なんてのどかな景色。
本日も風が強く、急に大雨が降ってきたり・・・といった天気です。
天気予報を見ると明日が晴天みたいなので明日ツアーに参加しよう。
今日は雨でも行ける博物館に行くことにします。集落のあるハンガロア村へ。
ここを曲がればハンガロア村。
チリの本土と同じく、この島も大型犬の野良犬だらけです。狂犬病が恐いので避けながら歩く。
45分歩いて街の中心に来ました。ウミガメもいるんですかね、この島。見たいなぁ。
イースター島の歴史は地球への警鐘
イースター島は南米のチリから約3800km、タヒチからは約4000km、最も近い人が暮らす島までも約2000km。世界で類を見ない絶海の孤島です。
古くから伝わる文字を解読する術がなく、口承のみなので上記には諸説ありますが、以下が私が知っているものです。
ここにはるか昔に、船でポリネシア人が上陸し、鶏と大型のネズミ、ラットを持ち込んで食用としました。
7世紀頃にアフ(プラットホーム状に作られた石の祭壇)作りが始まり、10世紀頃に先祖を崇拝してモアイも作られるようになりました。
モアイを作り、運び、建てるためには大量の木材が必要で、伐採によって森が失われ、良質な土が海に流れてしまい作物や木が育たなくなりました。
そして僅か数10年の間に人口が4~5倍に膨れ上がり、1~2万人に達し、深刻な食糧不足に陥りました。耕作地域や漁場を巡って部族間に武力闘争が生じ、相手の部族の守り神であるモアイをうつ伏せに倒す「モアイ倒し戦争」が50年ほど続きました。
森林伐採は結果としてインフラストラクチャー整備を不可能にし、文明が崩壊し、ヨーロッパ人が到達したときは島民の生活は石器時代とほとんど変わらないものになっていたそうです。
最初にヨーロッパ人がこの島を発見したのは1722年の復活祭(イースター)の夜らしいので、1700年代で石器時代と変わらない生活だったそう。
1862年にはペルー人による奴隷狩りでは、数ヶ月間の内に当時の島民の半数に当たる約1,500人が島外に拉致され、また外部から持ち込まれた天然痘や結核が猛威を振るった結果、1872年にはわずか人口111人だったそうです。(今は6000人ほどが住んでおり島が狭いので全員顔見知り。)
なぜモアイが作られ、ある日突然作るのがやめられ、文明が崩壊したのか。
たった111人しか残っていなかった島民から、口承でのみ伝えられる絶海の孤島は謎だらけです。
人口増加・森林破壊・食糧不足・・・そして島民のいなくなったイースター島は、地球の未来への警鐘となっています。
Rapa Nui Museum(ラパヌイ博物館)
私はイースター島のモアイが見たいというより、上記の歴史にとても興味がそそられました。歴史を知るとこの島自体が更に神秘的に思えます。
馬がいたところから出発して1時間以上歩き・・・
ラパヌイ博物館に到着しました。
イースター島唯一の博物館ってことですが、小さ過ぎて入口が全然分からず、地元の人に聞きました。こんな場所にあります。
中は数人見学者がいました。中にいる方々、皆さん真剣に長時間解説を読んでいます。
鉄が取れないので、こんな石器や黒曜石でモアイの切り出しを行っていたそうです。
モアイの石はやわらかい凝灰岩で出来ているため加工が簡単なんですね。
モアイには元々サンゴで出来た目がありました。中心は赤色の凝灰岩で出来ているそうです。
モアイは目に霊力(マナ)に力が宿ると言われており、モアイ戦争の時にうつ伏せに倒され目は粉々に潰されたそう。
これは1978年にやっと発見されたとても貴重なもので、2つしか残っていないそうです。
現在島に立っているモアイに付いているサンゴの目は、後からつけたレプリカです。
これは2022年2月にチリのサンティアゴの国立自然史博物館から返還されたばかりの本物のモアイです。150年前に先住民のラパヌイ族から奪ったものだそうです、おいチリ人。
これはイギリスの大英博物館にあるモアイ像。
これも勝手に持って行かれたものだそうでホアハカナナイア「盗まれた友」と名付けられ、イースター島の人たちは返還を求めています。
背中には鳥人儀礼の説明が彫られています。
鳥人儀礼とは、離れた島の鳥の巣にある卵を競争して1番に持って帰ってきた人がその年のリーダーになれるとかいうやつです。
モアイの作り方。
石を掘り出して最後に背中を切り抜き、縄を使って立てました。
車輪がない文明だったので、大量の丸太を使って運んだ、もしくは両端から縄でひっぱって引きずるように動かしたなど諸説あります。この辺りも解明されていません。
推測したやり方で立つか実験しているところ・・・だと思います。
最後に発見された時は島中のモアイは倒されていたそうなので。
小さい博物館でしたが、イースター島の神秘を勉強して感慨に浸れました。
近く展望台があるようなので行ってみます。
Ahu Ko Te Riku (アフ・バイ・ウリ)
イースター島のモアイがあるところは国立公園の入場チケットがいるようなのですが、この辺りは無料です。
帽子も目も付いててかわいい!
潰れているのもありますね。
モアイは海岸沿いのものは海に背を向け、島の中にあるものは海に向かって建っています。
これは集落を見守るように建てられたからだそうです。
17時。
有名な夕日スポットのようですが、今日は雲だらけで見えなさそう。
朝に来ないと逆光ですね。
また少し歩いたところにもう一つのモアイスポットがあるようなので行ってみます。
長くなったので、また次回に続く。
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