2024.1.6(土)1ドル≒209ヨルダンディナール
ヨルダンの首都アンマンでほぼ貸し切り状態だった高級ドミをチェックアウトし、そこから徒歩1分の最安値ドミへ移動。
ファラー ホテル
12時にThe Cabin Hostelをチェックアウト。このホテルに来てみたら14時からしかチェックインできないと言う。昨日はやはり早朝からチェックインさせてくれたThe Cabin Hostelにしていて良かった。1泊4.9JOD(999円)
このホテルはツアー・・・というか4名集まればドライバーを手配してくれるサービスを行ってくれている。ロビーの掲示板に行きたいツアーに名前を書き、3~4名集まると手配してくれる。
だが私が行きたい死海が含まれるツアーには誰も申し込みをしていない。1人で死海に行くにはどうしたらいいのか調べないと。
Amman Citadel(アンマン城塞)
チェックインは後にして、ホテルの裏にあるアンマンシタデル(城塞)へ来てみた。
地図だと直ぐ裏手だが、かなり急な坂を迂回して登る。途中の道では砂漠色の建物ばかりのアンマンが一望できた。
カテドラルの中への入場料は約600円。外からペルセポリスで見たような遺跡群がもう見えたので入らなかった。
ヨルダン人の入場料はたった50円。だが、ゲートを通らず横の塀を登って入り込んでいる若い男の子たちもたくさんいた。
反対側の道を下って行く。壁画アートを見るとコロンビアを思い出す。初めての南米入国は恐怖心と相まって印象深かった。
地元のモスクもある。イスタンブールのものに比べるとずいぶん地味だ。
ローマ劇場
I(。・ω・。)ノ♡AMMAN。ローマ劇場が見えてきた。
トルコのパムッカレで見たものよりだいぶ規模が小さい。無料で近づけるが、登るには入場料が必要。ここももう見えているので入らず。
野ざらしの遺跡。保護しなくていいのだろうか。
宿の近くのフセインモスクまで降りて来た。
周辺のバザールを歩き回ったが道がゴミだらけ。魚を洗った水なども散乱していて旧市街のアンマンはかなり汚い。
お腹が空いてきたのでラズベリージュースとファラエルサンド(ヒヨコ豆のコロッケを潰して入れたもの)を買って食べてみた。どちらも味のクオリティは低いが、100円位なのでレストランよりはだいぶ安い。
ヨルダンは思っていたより物価が高いので節約しないと。
ファラー ホテルにチェックイン
宿に戻ってチェックイン、女性専用4人部屋。
千円以下という安さだけあって水回りはかなり古かった。
女性専用部屋はこの部屋のみなので、昨日Uberシェアした韓国人の女の子がいた。彼女は死海へは行かず、明日ペトラ遺跡へバスで行きその後エジプト迄フェリーで行くと言う。ペトラまで一緒に行くとまたUberシェア出来るので私も明日ペトラに行くことにした。死海へはまたアンマンに戻って来てから行けばいいだろう。
(この時点では、私はペトラ遺跡に行った後アンマンに戻ってきて、飛行機でエジプトに飛ぶつもりだったが大きく計画を変えることになる。)
もう一人のシェアメイトは長期滞在者のインド人の女の子。
会話するでもないのに、私がベッドに座っていると正面のベンチの真正面の位置に座ってじっとこっちを見つめてくる。日本人なら正面の位置から外れて座ると思うのだが。。。不思議な感覚だ。
後から宿で会った日本人に「インドは人口密度が高過ぎるからパーソナル空間が小さいんじゃないですか。」と言われ納得。
彼女は私と韓国人の子が喋っていても、急に全然違う話題で会話に割り込んでくる。私の上のベッドで平気で人の顔の横に足を置いてきたり、飲みかけのドリンクが入ったコップを何個も共用部分の床に置くのもインドの文化なのだろうか??
ホテルの階段をを歩いていると、3週間前にイランの宿で会ったTくんに会った。彼はイランの後はイラクを旅していて陸路で昨日ヨルダンに入って来たという。 危なくなかったのか聞いたら全くそんなことはなく、楽しく地元の人らと交流しながら陸路移動していたらしい。私より20歳以上も年下なのに凄い人もいるもんだ。
イランの宿で会った時、無精者の私は彼と連絡先を交換しなかった。
だが、正月のホルムズ島で宿が3時間見つからなかった経験を踏まえ猛省していたので、今回は彼の夕食の誘いに乗り、ちゃんと出会う人らと旅の情報交換をすることにした。実際イランで一緒だったMちゃんは、彼にケシュム島の宿情報を貰ってそこに宿泊していた。コロナ禍以降のネット情報は少な過ぎるし、金額も時間もコロコロ変わる。リアルタイムの旅人からの情報が本当に大切だ。
彼に「同室の韓国人の子がエジプトまで飛行機でなく、船で行くと言っているのが興味がある。」と話すと「僕もそのルートで行くつもりです。」と言う。ならばもし日程が合えばタクシーシェア出来るし安全なので一緒に行こうと約束。
次の日。朝5時半起床。
宿の外は真っ暗。
Jettバスでアンマンからペトラへ移動
JETT Bus Station, Abdali
バスはJettバスという会社のオフィスから出ていて朝6時半の1日1本。片道10JOD。
韓国人の子と一緒にUberで行った。
チケットは昨日の昼間にJettバスのHPからネット予約しておいた。
「日本のクレカがはねられてネット予約出来ない。」との情報も見たが、メキシコでの予約でも強かったJALカードだと1発で予約出来た。
韓国人の子は自分のカードがはねられて決済出来ていなかったことに気付いておらず、窓口で「予約ないよ。」と言われ焦っていた。だが、5席だけ残っていたので当日券で無事乗れた。
だんだん夜が明けてきた。バスは座席が広く快適そのもの。
途中一度だけ休憩。砂漠地域の早朝は寒い。
寒過ぎてホットコーヒーが飲みたくなり、この土産屋でコーヒーとミニクッキーを購入した。レシートを見たら驚異4JOD(820円)。しかもクレカで払うと勝手に店員に日本円建て決済のボタンを押され、更に手数料を取られていた。くたばればいいのに金額は聞いてから購入しないと。
ペトラの町に到着
10時半、バスはペトラ遺跡の入口に到着。バスを降りた人らはこの横のホテルに予約を取っているか?日帰り訪問ですぐペトラ突撃なのか?散り散りに消えていった。
私と韓国人の彼女だけが重い荷物を背負い、急な坂を30分登りペトラの町の安宿街へ向かう。
Rafiki Hostel(ホテル)
韓国人の子はまたも最安値のドミ(バレンタイン・イン)へ行ったが、私はBooking.comの口コミを吟味し、もう少し清潔そうなこのホステルを予約した。
男女混合ドミトリー1泊5.5JOD(1,100円)
フロントにはここから各地への行き方と金額も記載されていて親切だ。
11時。やはり14時~しかチェックイン出来ないとのこと。
ペトラ遺跡へはオープンの7時から入場した方が人の少ない写真が撮れるとネットで見たので、ペトラ遺跡の観光は明日にすることにする。というより、この5時半起きの眠い状態で観光をしても楽しめないだろう。
チェックイン時間までは最上階のベンチで昼寝。
13時半にチェックイン。
ペトラの町は小さいくここしか栄えていない。ショッピングモールもない。たまたまSNSで「ペトラ在住」という男性が、リアルタイムでペトラでの日々を発信していたので連絡を取ってみた。情報が貴重ということを実感した私は即行動に移すタイプなのだ。
彼は今アンマンの死海に居るらしいので、夜にペトラに戻って来た時に一緒にお茶をしてくれると連絡が来た。返信も早いし、当日いきなり連絡が来た私に会ってくれるなんて好感の持てる男性だ。
ペトラ考古学博物館
シャワーを浴びたらすっかり夕方になってしまった。ペトラ遺跡の入口にある無料の博物館へ行ってみることにする。ホテルから30分の距離が地味に辛い。
おしゃれな近代的なデザイン。入場無料。20時半までオープンしている。
日本のJICAの協力の元、2018年にオープンした博物館。日本の国費で建てられているのだから遠慮なく無料で入ることにする。
ヨルダンは観光以外に主要産業がなく、その観光も世界遺産のペトラ遺跡が頼みの綱らしい。
人々の生活は苦しく、どうやら物価が高い=裕福な国という訳ではないようだ。
取り敢えず中に入ってみたが・・・うーん。それほど興味を引く展示はなかった。
綺麗過ぎなので、説明文を増やすとかもう少し工夫があった方がいいかも知れない。
床のモザイクタイルの復元。細かい作業だなぁ。
19時半に死海からローカルバスで帰って来たRYOさんと会って色々話を聞いた。
物腰も柔らかく、温厚そのものといった人柄の若い男性。
私なら3日で飽きてしまいそうなこのペトラの町に1年半も住んでいて、広報活動のために尽力していて感心する。
彼と会えたお陰で、ヨルダンがどういう国なのか、ペトラ遺跡のお勧めの周り方、死海とワディラム砂漠はどちらがお勧めかなどの情報を得ることが出来た。
RYOさんに感謝の意を伝え、ホテルに戻ってインスタントラーメンをすすりながら最上からの夜景を堪能する。窓枠やコーナー部分の淵がないお陰でまるでタワマンの上の階にいるような美しい夜景だ。
宿のわんこ。オーナーは親切だしこの宿は当たりだった。
明日はいよいよ、世界一入場料が高い世界遺産、ペトラ遺跡を訪問する。
コメント
ペトラけっこう歩くんですよね~
みきぷちゃんは大丈夫と思いますが、私は帰り道少しロバに乗ったりもしました…。
船でエジプトってなんかいいですね~
エジプトも夜は寒いけど元気で旅を続けてください(。•̀ᴗ-)
スフィンクスが待っていますよ!!
エジプトはちょっとイラッとする男いるかもです…。
ペトラ、めちゃ歩きました。往復6時間、身体がボロボロです笑
フェリー国境越えは浪漫たっぷりです。
エジプト、夜は寒いですね。エジプシャン、クソガキ共には「金くれ金くれ」とからかわれまくりました。