1€(ユーロ)≒163円、1ポーランドズウォティ≒38円
2024年8月。チェコ3日目、プラハ3日目
チェコのプラハからポーランドのクラクフへバス移動

チェコ、プラハの朝。今日は晴れている。昨日の天気が残念だ。
9時前に宿を出て、FlixBusのバスターミナルへ地下鉄で向かう。

バスターミナル併設の売店がコーラ400円もしたので、鉄道駅の横にあるスーパーまで戻って朝食を買ったらバスに乗るのがギリギリになった。コーラは半額で売っていた。
9時45分発。ポーランドのクラクフ迄のバスは6,000円と結構高かった。

19時半、約10時間掛けてクラクフ到着。バスも列車と同じクラクフ中央駅に着いた。
やはり昼に移動すると、他に何も出来ないので時間が勿体ない。しかしこの日の夜行バスは高かったのでこのバスに。
Lorf Hostel&Coffee(ホステル)

バスターミナルからホステルまで、歩けそうな距離なのでいつも通り歩く。
最安値の男女混合部屋を予約していたが、女性専用の部屋に無料で変更してくれた。
中央に化粧用のテーブルもあるし、何よりいびきがうるさくなくて静か、綺麗、ありがたい。男性がいないとこんなに平穏だなんて笑。1泊52ズウォティ(1,900円)

旧市街を歩くと、石畳の道を優雅に走る観光用の馬車に出会うことができ、中世にタイムスリップしたかのようだ。
狭い通りで馬車が車と正面から出くわしていたが、馬は後退が苦手なので、手綱を引く女性が文句を言って、スマホで通話しながら車をバックさせていた。器用だ。
今後のルート
クラクフには3泊する。4日後のフィンランド行きの飛行機が安かったからだ。
東欧に入った当初はバルト三国を抜けて、フェリーでフィンランドのヘルシンキへ行く計画を立てていたが、ヨーロッパの景色に飽きてきた。建物や雰囲気が似ていて刺激がない。南米とアフリカは刺激しかなかった。
同じような雰囲気の国を周っていても時間が勿体ないので、新たな景色や体験を求めることにする。
Szalone Widelce(レストラン)
昨晩、チェコでタタラークという生肉のタタキを食べられなかったのが残念で、隣の国のここにもあるのではと思い、Googleで検索してタタラークのあるレストランへやってきた。並んでいて人気店のようだ。
メニューにタタラークはあったが、メニューに載っていた写真のタタラークの量の多さで断念。

ポーランドの伝統料理の餃子「ピエロギ(Pierogi)」を頼んだ。
中の具はポテトやチーズなど選べたが、豚肉をチョイス。
ジョージアのヒンカリみたいなものを想像していたが、中はパサパサのツナのようなものが入っていた。しかもお通しで出来たこのパテとどうも同じ具材の気がする。

不味くはないが、ジューシーさに欠け飽きてくる。53.9ズウォティ(2,000円)と宿代より高い。
次の日。
今日はいよいよアウシュビッツ博物館へ向かう。ずっと行かなければと思っていた場所だ。
アウシュビッツ博物館への行き方と無料で入れる時間帯
アウシュビッツはクラクフから西へバスか列車で1時間。列車だと、降りた駅から博物館まで20分ほど歩かないといけないので、バスで行く。
アウシュビッツは、「多くの人に知ってもらいたい」という方針から入場は無料である。ただし、通常はガイド付きでの入場が基本とされており、ガイド料が必要となる。
数日前、日本人ガイドとして有名な方にメールで依頼を試みたが、直前すぎたため既に締め切っており、予約は無理だった。
英語ガイドを公式ホームページから予約することも考えたが、今回は一人でじっくり見学したいと思い、ガイドなしで訪れることにした。
ガイド付き入場の予約が可能なのは、通常10時から16時まで(※季節により変動あり)である。それ以外の時間帯、すなわち7時半〜10時までと16時以降であれば、ガイドなしで無料入場が可能となっている。
「朝に行って入れなかった」という記事をネットで見かけたため、安全策として16時の入場を目指すことにした。
アウシュビッツ強制収容所行きのバスターミナル

昨日、FlixBusが到着したのと同じセントラルバスステーション。
待合室にオシフィエンチム(Oświęcim)行きのバスの乗り場番号がD10と出ていたので、そのホーム、地下へ向かう。時刻表は予めネットで調べていた。

16時から無料で入るため、15時半位にアウシュビッツに到着する14時のバスに乗ることにする。
駅で何か食べてから行くことにするが、安いのはパンのみ。ポーランドはヨーロッパの中では物価がまだマシなイメージがあったが、マックのカフェラテが430円と日本のスタバ並み。
(追記:帰国してみたらスタバのカフェラテはもう500円に値上がりしていたが。)

14時。地下へ降りD10のホームへ。運転手に「オシフィエンチム!」と告げて22ズウォティ(800円)をカードで支払う。
アウシュビッツ強制収容所
予定通り15時半にアウシュビッツ収容所前に到着。

入場自体は無料であるが、人数制限が設けられているため、チケットカウンターで整理券を受け取る必要がある。
バスは空いていたにもかかわらず、チケット売り場には長蛇の列ができていた。どうやら多くの人が、16時半以降の無料入場を狙っているようであった。
最終的に列に並んで整理券を受け取ることができたが、チケットに記載されていた入場可能時刻は17時15分であった。整理券の取得にはパスポートの提示が必要である。
Googleマップには閉館時間が19時と記載されていたが、それまでに2つの収容所を見学しきれるのだろうかと不安に思った(結果として、夏季時間帯だったためか、20時でも入場は可能であった)。
もうひとつの強制収容所の場所(ビルケナウ)
アウシュビッツ博物館には、アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)と、もう一つのビルケナウ強制収容所記念跡地の2つが存在する。後者へは、ここから無料のシャトルバスで約10分の距離である。そちらを先に訪れる時間はなかったため、大人しくこの場で1時間待つことにした。
アウシュヴィッツ第1強制収容所(基幹収容所)
17時15分前にセキュリティチェックを受けて中に入る。指定された時間の15分前から入れるようだ。入って直ぐのお土産屋で日本語の「案内書」を購入。

アウシュビッツ第一強制収容所の構内には多数の建物があり、敷地も広いため、入口付近で販売されているガイドブック付きの地図が非常に役立った。地図に記載された順路に従わなければ、どの建物に入れるのか分かりづらく、効率よく見学するのは難しい。展示内容の簡潔な解説も掲載されており、予備知識がなくても理解しやすかった。購入して正解であった。

静寂の中、レンガ造りの建物が並ぶ。有刺鉄線に高圧電流が流れていた柵。

有名な「働けば自由になる」のアイアンの看板。実際にここから生きて出られた人はほとんどいない。

有名なガス室。もうひとつの収容所にあったものは、終戦時すぐにジェノサイドの証拠隠滅としてドイツ軍に爆破されている。

その横に遺体を焼却するための焼却炉。これが100年も前のことではないのが恐ろしい。
アウシュビッツでの経験を乗り越えた生存者は少数だがいて、現在ほとんどの方が90歳以上。

ドイツは第一次世界大戦の敗戦により物資が不足し、ユダヤ人たちから取り上げた品。
松葉杖、ギブス、眼鏡、歯ブラシ…ないと生活に困るだろうなと思われるものばかり。これらを取り上げられて働けないと判断された者は即ガス室行き。女の人の髪の毛は絨毯になった。

労働させられるユダヤ人たちの横で笑っているナチスのドイツ人。どういう神経なんだろう。

脱走しようとした人らを銃殺する場所。花が添えられていた。

1947年、収容者ではない人物が処刑された絞首台が残されている。処刑されたのは、初代アウシュビッツ強制収容所所長であったSS大佐ルドルフ・ヘスである。一方、収容者用の絞首台は一度に複数人を処刑できるよう、より長く大きな構造となっていた。
他にもいくつも展示品はあったが、当時を想像してしまい、見ていられない。人体実験まで行われていたというから驚きだ。人類の犯したおぞましい行為。
入れる建物が多く、収容品だけでなく、写真、解説、映像など様々な展示がある。絞って入らないと何時間も掛かるだろう。
アウシュビッツ第2収容所ビルケナウ
案内所を見ながらかなり速く見学したつもりだが、2時間掛かった。
19時10分前。人も少なくなり、入れるのか不安だったが無料シャトルバスに10分乗り、もうひとつの強制収容所へ行く。
こちらも整理券チケットの確認があった。8月は日が長いので19時を過ぎていてもまだ入れるようだ。

TVでよく見る風景。私はこれを見ると「白い巨塔」のスペシャルを思い出す。
アウシュビッツについては世界遺産の番組やNHKの特集などでよく見ていたので展示の内容は理解できた。インスタに日本人ガイドの方の説明を丁寧に載せてくれている人もいたし。
それと映画の「シンドラーのリスト」で見る光景ばかりだった。あれはかなり忠実に現場を再現したものだろう。

実際に来てみて、初めて感じられるのはその広さ。想像を遥かに超えて建物が多く広い。
調べたところ、アウシュビッツで命を落としたユダヤ人の数はおおよそ110万人から120万人とされている。ホロコースト全体で迫害により命を奪われたユダヤ人は約600万人とされており、その中でもアウシュビッツでの犠牲者数はきわめて大きな割合を占めている。桁が他のジェノサイドと違い過ぎる。どれだけ毎日ガス室で・・・

半分は子供用の収容所だった。ただの木が横たわるひとつのベッドに何人も寝ていた。ガス室送りにならなくても餓死する人もいた。

この線路を走る列車に乗って連れて来られた。こういった施設でジェノサイドはの警鐘を鳴らしても、戦後も各地でそれが行われているのはなぜだろう。差別や戦争はなくならない。

20時。見学を終え、クラクフへ戻ることにする。
アウシュビッツ収容所からクラクフへ列車で戻る
ここへ来たのと同じバスは最終が19時半で、もう終わっていた。仕方なく他の観光客について行って鉄道駅まで20分歩く。
駅に到着してGoogleMapで路線検索をしたら、ICと言うウィーン迄の国際高速列車で戻れるようなのだが、チケット窓口はもう閉店。券売機を操作してみるも、表示がかなり難しくて全く購入方法が分からなかった。

列車がすぐ来たので仕方なくチケットを持たずに乗る。国際線だから駅員が検札に来た時に買えばいいだろう。もし罰金と言われたら払うしかない。

クラクフ迄の1時間、罰金が気になり気が気じゃなかったが、検察官は来なかった。

宿の近くのスーパーも閉まっている時間だろうから、鉄道駅にあった大きなスーパーでビールと寿司を買う。
酢飯じゃないし、パサパサのご飯でめっちゃ不味い笑
寿司と一緒に缶ビールを飲んでいたら、レセプションの人に怒られた。アルコール禁止らしい。
酔っ払いに騒がれるのが嫌なのか、たまにそういう宿がある。しかしキッチンの壁に小さくポーランド語で「アルコール禁止」と書かれていても読めるわけがない。理不尽。
昨日のレストランのメニューもポーランド語オンリーだったし、英語はあまり浸透していないのか。
次の日。
クラクフ観光

無事アウシュビッツを見学出来たので、安心して今日はクラクフの街を観光することにする。

クラクフ旧市街へ。お決まりのヨーロッパの風景。ポーランドは淡い色の建物。


ヴァヴェル城。
モロッコのシャウエンで同室だったポーランド人たちに「ヴィエリチカ岩塩坑」へ行けと推奨されていた。塩でできた広大な地下空間に、美しい彫刻や礼拝堂があるらしい。ネットで調べたらコロンビアで見た塩の洞窟「シパキラの塩の大聖堂」とコンセプトが似ていて、そっちの方が神秘的だと感じたので行くのはやめた。ごめんって感じだけど。

こっちの方がお勧めな気がする。南米のコロンビアだけど。

首都のワルシャワも、バルト三国も行くべきだったかまだ悩んでいるところに、アルバニアで一緒だったMlさんから連絡が来た。昨日迄エストニアにいて、住みたいかと思う位良かったらしい。人が親切で物価も安く、街並みがかわいいのだとか。
もう少し早く聞いていたらエストニアに寄っていただろう。凄く残念。
明日はいよいよ北欧、フィンランドへ飛ぶ。
コメント
はじめましてです
パントレ開発部と申します
現在、海外旅行のブログ/YouTube のまとめサイトを運営中で、そちらにmikipuさんのブログを紹介しても良いでしょうか?
https://pancake-trail.site
地図の地名を押すと画像が開き、画像を押すと記事一覧が開きます。
突然の連絡恐れ入りますが、ご検討いただけると幸いです。以上よろしくお願いします。
こんなサイトがあるんですね、どうぞお使い下さいませ。
ありがとうございます!よろしくお願いします。