1€(ユーロ)≒175円、1アルバニアレク≒1.75
アルバニア1日目、ティラナ1日目
モンテネグロからアルバニアへ向かう。
アルバニアという国
アルバニアはエンヴェル・ホッジャが首相の共産主義時代(1944年から1985年)に鎖国していた国。1991年に共産主義体制が終わり、市場経済に移行すると多くの人々が投資の知識が乏しいままネズミ講に参加し、多くのアルバニア人が貯蓄を失い、1997年に国全体の経済が崩壊したという興味深い国。
日本人の99%が死ぬまでに行かない国と言われている。
モンテネグロのポドゴリツァからアルバニアのティラナへ移動
16時、モンテネグロのポドゴリツァを出発したミニバスは、窓が運転席と天窓しか開かないミニバン。なのにエアコンが壊れていて正に地獄の灼熱移動だった。
隣の席はレストランで一緒だったシンガポール人男性。私たちの席の隣はカーテンも壊れていてなく、直射日光とエアコンなしの状態で彼も参っていた。あまりの暑さに他の乗客たちも文句を言うが、壊れているものはどうしようもない。
国境でパスポートコントロール。外に出たら少し暑さはマシだが、ここで手持ちのペットボトルの水がなくなりかけ。頭痛もしてきたし熱中症になりかけかもしれない。これ、なくなったら死ぬのかな・・・なんて妄想が浮かんでくる位暑かった。
アルバニアに入ってから休憩所で停車する。
手持ちの水が全くなくなったのでコーラを買いたいがアルバニアのお金を持っていない。店主に聞いたらユーロでもOK と言われ、お釣りもユーロで返ってきた。アルバニアのお金はレクだがユーロも流通しているのだろうか?
水とコーラで合わせて1.5€。このバスに乗る時に買おうとしたモンテネグロのコーラは1本2.5€だった。
ティラナのバス停車場所
19時半。3時間半でティラナの市内に到着。
ティラノのバスの停車場所は、新しく出来た市内から車で30分以上南にあるバスターミナル(名称East Bus Terminal)なのだが、ドライバーが気を利かせて市内のショッピングモールの前で全員を降ろしてくれた。
バスターミナルから宿までのバスの番号は前日に調べていたのだが、訳の分からない場所で降ろされたらもちろん宿への行き方が分からない。
ボスニアのショッピングモールだとフリーWiFiが飛んでいたのになぁ。。。
ここのショッピングモールにWi-Fiはなかった。アルバニアはバルカン半島最貧国。その辺りは遅れているのかも知れない。中のATMでアルバニアのお金を下ろす。(やはり手数料は取られていなかった。)
宿の方角に向かって10分程歩いていると、パスワードなしのフリーWi-Fiが飛んでいるカフェがあった。すかさず電波をキャッチして、宿までのバスの番号を得る。
バスはこれまでの国と違って、中米であったような車内でチケット回収係が乗って来た人にチケットを販売するタイプ。40レク(80円)。アルバニアの物価は相当安そうだ。
バスに乗るとこれまでの国と明らかに違うのが、アジア人がほとんど来ないのかよほど私が珍しいらしく、皆私を見てくる。
チケット回収のおっちゃんは愛想良く金額を教えてくれるし、歩いていると挨拶してくれる人もいる。歓迎ムードではあるようだ。
Me & You Hostel
20時半宿に到着。
ヘトヘトだったので、オーナーの奥さんと思われる人に、1泊しか予約してないけど2泊お願いした。
1泊11€。宿の支払いは現金のみ。アルバニアレクで払いたいと言ったのだが、奥さんには英語が通じずユーロで払わされた。
ここはただチェックイン時間が遅くまでやっていたから選んだだけの宿なのに延泊を希望して失敗した。チェックイン後に気づいたが、ファンはあるがエアコンなし。もちろんむちゃくちゃ暑い。
夜、寝る時だけ部屋のドアを開けて廊下に1台だけあるいつの時代かというボロポロのエアコンを付けてくれた。
そして同室の黒人男性が「あなたさっき一瞬部屋に入りましたね?」というのがわかる位ワキガ臭い。そんなこと思ってしまう自分も嫌だが、本当に鼻がひん曲がる位臭くて耐えられないのだから仕方ない。そして、夜中を過ぎてもスマホから音を出している。今後は、延泊するかどうかは翌朝決めた方が良さそうだ。
ティラナ散策
次の日ティラナ観光。
経済崩壊から立ち直り、新しいビルがどんどん建っている。
そして、デザインがバラバラ、町の景観もバラバラ。
統一性ゼロでちょっと落ち着かない。
なんでわざわざそんなお金のかかる変な形のビルを建てるのだろう。抑圧された共産主義から解放され一気に弾けちゃったのだろうか。
ジャーミア・エトヘム・ベウト
歩いてると若いアルバニア人の男性に声をかけられた。何かの勧誘かと思ったが、よくよく喋るとナンパらしい。
「キュートなのでずっと前から貴方を見ていました。」と言われた。キモ男なら通報ものだが彼はかっこよかった。
「日本人は世界の美女200人に入っていましたね、家はイギリス、食は中国、嫁は日本人をもらえて言います。」
明るく喋ってくる。夜、一緒に飲みに行かないか誘われたが、どう見ても20代で申し訳ないし疲れていたので断ってしまった。
The Cloud
・・・断った後で、アルバニア人のことを知るいい機会だったのにと後悔した。若い彼もめったに見ないアジア人と交流を深めたかっただろうに。
自分の英語力がないせいでしんどさの方が勝ってしまう。もっと英語力を上げないと。
エンヴェル・ホッジャ博物館
道端のアイス100レク。175円。西ヨーロッパだと500円近かったのに。
Oda – Traditional Albanian Restaurant
夜はよく紹介されているODAというお店に行く。
羊肉のレバーのヨーグルトチーズソース。絶品と紹介されていたので食べたが、レバーはそんなに好きじゃなかったので違うものを頼めば良かった。ビールと合わせて1,155レク(2,000円)。
次の日。
BUNK’ART
共産党時代に作られた地下シェルター、BUNK’ARTを見に行く。
エンヴェル・ホッジャ政権時代に外部からの核攻撃に備えるために建設された多数のバンカー(核シェルター)。政府高官や軍事指導者のための避難施設として設計され、その数173,000。建設には巨額の資金が投じられ、これが他の経済的・社会的発展を阻害する一因となったという。だめだこの政治家。
アルバニアの共産主義時代の歴史と文化を理解するための重要な施設で、外国人に人気がある。
博物館として開放BUNK’ARTBUNK’ARTは1と2があり、市内中心にあるのは2。
しかしGoogleの口コミを見ると1の方がかなり広くて面白いらしいので、遠いがバスで向かってみる。
バス停を降りてからの行き方が複雑で分からなかったが、アルバニア人男性が声をかけてくれて、入口まで一緒に歩いて案内してくれた。バルカン半島以降、アルバニア人がダントツで親切だ。
このトンネルの向こうがチケット売り場。
ひんやりとした長いトンネルの中を歩くと、いかにもといった感じの怪しい電波的な音楽が流れていて怪しい雰囲気を盛り上げてくれる。センスいいな。
チケット代900レク(1,560円)を払い森の中を通ってバンカーへ。
地下シェルターの入口。
106の部屋と地下5階まであるトンネル。これはわくわくする。
秘密の通信部屋?この隣はベッドとシャワー室。独裁者エンヴェル・ホッジャの部屋らしい。窓がなくて鬱蒼とした雰囲気だ。
懐かしい黒電話。
共産主義時代のティラナ。雰囲気がまるで北〇鮮。
かなりの数の部屋に様々な写真や映像の展示がある。とてもじゃないけど全部見れないのでサラっと見て行くことに、
毒ガスを投げ込まれた時用の訓練らしい。馬まで・・・??
秘密警察に捕まった人か下っ端の部屋だろうか。なぜももひき状態なのか不明。
BUNK’ART、さらっと見ただけでも1時間以上かかった。
しかし地下シェルターなんて初めて入るし、80年前の鎖国時代のど田舎なティラナの映像など、展示も興味深いものばかりでかなり楽しかった。
外国人観光客もまぁまぁいて、皆、興味津々に見学していた。
またバスで40分掛けて宿に戻り、チェックアウト。
ATMでお金を5000レク降ろしたら5000レク札(8700円)が1枚出て来て困った。
両替屋で「細かくして」と頼んだら、手数料無料で笑顔で細かいお金に両替してくれた。やはり親切。
今からアルバニアを南下し、ベラトという千の窓を持つ街へ向かう。
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