ボスニアヘルツェゴヴィナ

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールへ。負の遺産、スナイパータワーに登る(Day408-9)

ボスニアヘルツェゴヴィナ
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1€(ユーロ)≒175円、1兌換マルク≒88円
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ2日目、モスタール2日目

昨晩、クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールに到着。小さい町なのでバスターミナルから歩ける。

今後の東欧周遊計画

イタリアからもっと安い国へ移動しようと東欧に逃げてきた。ドゥブロヴニクは観光地なので高かったが、ボスニア以降は金銭的に少し楽になるだろう。

冬に一緒にアルメニアやトルコを周ったOさんがトルコで別れた後、東欧に3ヶ月も居たのでどこが良かったかメッセージを送ってみた。
彼はもう帰国しているが、行った国のリストを作成して送ってくれ、良かった国や町を丁寧に教えてくれた。相変わらず爽やかで性格がいい。モスタールも勧められたので来てみた。

ホステル ムサラ

宿はバスターミナルから歩いて行ける所を選んだ。かなり評判が良く、会って直ぐに若い男性オーナーのホスピタリティぶりが身に染みて分かった。

インテリアは綺麗でおしゃれ、コーヒーと紅茶が飲み放題。支払いはユーロでもマルクでもいいらしい。ボスニアではカードを使えるところは、観光客向けレストラン以外には難しそうだ。

そして宿を出たら、向かいの建物にものすごい数の弾痕跡。紛争の跡が生々し過ぎる。引く、普通に引く。

ボスニア紛争

私が学校で習った世界史の記憶は1991年まで。
ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビア脱退後の1992年~1995年まで激しい紛争があった。
国内に居住するムスリム(スラブ人のイスラム教徒) ,セルビア人,クロアチア人の3民族による武力衝突。3勢力が「民族浄化」の名のもとで他民族の追放、虐殺を行なうなど凄惨な戦いが続いた。

私はその頃「この辺の国っていつも戦争しているなぁ」位の感じでのほほんと学生生活を謳歌していた。しかしここでは、こんなにも銃弾が撃たれ、凄まじい数の市民が亡くなったのだろう。胸が痛む。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が解体された後、この周辺の国々は今はそれぞれどう発展しているのだろうか。紛争のことももっと知りたいし、東欧にものすごく興味がわいてきた。Oさんのように、ここを陸路で全部回ってみようと思う。

幸い今日のモスタールは雨。どこの都市からどこの都市をバスや列車で移動できるのかじっくり調べることにした。Amazon で地球の歩き方をダウンロードし、作戦を練る。

Aščinica Sahan(レストラン)

雨が止んだので、近所の評判の良さそうなレストランへ。

メニューもボスニア語、英語も全く通じないのでゼスチャーで上から2番目のものを頼んでみた。何が来るのだろう。

ボスニア料理。ビーフシチューとご飯、マッシュポテト的なもの。めちゃくちゃ美味しい。
パンも柔らかいし、660円でこれだけのものが食べられるなんてボスニア・ヘルツェゴヴィナ滞在は楽しいものになりそうだ。

モスタール観光

スーパーに行くとこれまでの西欧では見なかったパテの缶詰が沢山売られていた。ブタのパテが多い。私は苦手なので全く試さず。

観光地で有名な橋へ行く途中に紛争を忘れないためにか、わざと廃墟のまま残してあるビルがいくつかある。そして街の建造物は、使われているものでもかなりの割合、恐らく築30年以上のものはほとんど壁に弾痕がある。

スターリ・モスト

モスタールを象徴する橋にやって来た。1566年に造られたらしい。

1993年に橋を挟んでボスニア人とクロアチア人が対峙していたため破壊され、2004年に再建された。今では平和の象徴のように美しい。世界遺産。


次の日の朝も橋へ出かけてみた。

というよりモスタールにはここ位しか観光する場所はない笑

近くの都市からツアーバスが来るので観光客でごった返している。今日は快晴なので、泳ぐ人、橋から飛び込む人もいた。

美しい町だな。30年前に紛争があったなんて信じられない。

Restaurant Šadrvan

橋の近辺は観光地価格のレストランばかりなのだが、せっかくなので昨日は並んでいて入れなかった人気のレストランに来てみた。朝なら入れる。

ドルマ、ナスの米と肉詰めを頼んだ。ウズベキスタンでもあったな、こんな感じの料理。しかし味付けはビーフストロガノフ風で美味しい。15兌換マルク(1,300円)と昨日の倍の金額。

昨日行った廃ビルの場所を通りながら宿へ戻る。

スナイパータワー(Abandoned building)

モスタールの観光を調べると、スナイパータワーというものに登った人のブログに辿り着いた。
この建物の向かい。

紛争当時、この元銀行のビルが1番高かったため、セルビア軍がここに潜み、道路を横断する人を狙って狙撃したらしい。渡る人は命がけだ。

ビルの側面も弾痕だらけだった。この数で撃ち込まれたら生き残るのは不可能だろう。

廃ビルなので、入口は封鎖されていて入れない。

そこからビルをぐるっと時計周りに周ると地元の人らが詰んだ足場があり、そこをよじ登って入れる。
・・・不法侵入だろうな。警察に見つかったら怒られるかも。中も地元のジャンキーとかいたら怖い。

しかしどうしても入って登ってみたかった。30年前、スナイパーはここからどんな気持ちで人を狙撃したのだろうか。同じ場所に立って紛争を感じたかった。付近に誰も見てないことを確認し、塀を乗り越えて中に入る。

中は誰もいなかった。壁に書かれた絵がひたすらホラーで恐怖心をあおる。

廃墟具合が凄い。階段は側壁も手摺もないし、こんな薄っぺらいコンクリートで大丈夫だろうか。崩れたら一巻の終わりだな。

登っていいのか自問自答しながら、下を見ないようにしてどんどん登る。

最上階、8階だろうか?そこまで行く。
つまづいて横にこけたら落ちて死ぬな。直ぐ横に普通の住居があるのもなんか怖い。

最上階に来た。エレベーターもドアも籠も無くなっている。柵もないし誰も落ちたりしないのだろうか。

ここから狙撃したのか。下の道路を覗いてみる。

こんなに美しい景色なのに。この銀行ビルも当時は綺麗だったんだろうな。
ここを横断するどれだけの人が亡くなったのだろう。
ここから撃つスナイパーは心は痛まなかったのだろうか。

目的が民族淘汰だから痛まないか。自分たちと違う宗教の人らは全滅させてもいいという考えは無宗教の日本人にはピンとこない。
今でも戦争している国がある。そこではここで30年前に行われていたことがリアルタイムに行われているのだろう。
ボスニア・ヘルツェゴビナの人らは愛想がよく印象がいいので余計に町の銃弾の跡だらけなのが心に痛む。

複雑な気持ちのままボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボへ向かう。サラエボでもっと酷いものを見るとも知らずに。

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