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バリの豪華ホテルでYoutubeを見るだけの日々、ベドゥグル日帰り観光(2024.11.24~29)

2024年11月1ルピア≒0.0095

ウブドの自堕落な日々

Gefecon Villaホテルの朝。

昨晩は貸し切りの部屋でYoutubeをずっと見て過ごした。朝食はセットで付いてくる、パンケーキにフルーツ、バナナウォーターメロンジュース。最高、最高すぎる。

その後も毎日、どんなデザインか気になり、1万以下のリゾートホテルを転々とした。
夜ご飯は大好きな海老を食べたり・・・

中心地に行って初見感動した3度目のレゴンダンス鑑賞。

初めて見た時よりも、顔芸がきついというか。。。踊るチームによって印象が変わるんだろう。

テガルサリアコモデーション

1泊8000円の三ツ星リゾートホテル。日本では考えられない価格。3人部屋だから友人と3人で来ていたら、一人3,000円もせずに泊まれるのか。バリはやっぱり友人か恋人と来た方が楽しいと思う。

何もしない。どこにも行かない。誰とも話さない日々。昼過ぎに起きてプールで泳いだ後は、ビールを飲みながらベッドの上でYouTubeを延々と再生していた。

自堕落な生活を送りながらも、やはりバックパッカーの血が騒ぐのか、空港泊、駅のベンチ泊、深夜バス移動、ドミトリー泊をしないとなぜか落ち着かない自分がいる。病気なのか。

夜ご飯、たった100円のナマズ食堂には毎日通った。この衛生状態でも私はお腹を壊さないので。

インスタを見ていたら、モロッコやルーマニアで一緒に飲んだAmさんがウブドの写真をストーリーにアップしていた。何たる偶然。彼女はフォロワーも多いし、私なんぞと3回目も飲みに行ってくれるかなと懸念したが、誘ってみると乗り乗りでOK。

彼女と彼女のお子さんとクラフトビールのお店で飲み、旅の話や帰国してからのこと、深夜まで盛り上がった。


ラスト・バリ ブドゥグル観光

次の日。もう帰国日が近い。明後日の帰国の飛行機を予約した。(インドネシア入国には出国航空券がいるが、いつものキャンセル可能チケットで入国していた。)

デンパサール空港に戻る前に、バリでウブド以外の場所も寄っておこうかと思った。北東にあるトランバンでダイビングでもしようかと思ったが、あいにくダイビングの免許を日本に忘れている。ダラダラし過ぎたせいで、もう英語で問い合わすのも面倒なくらいやる気はない。
PERAMA社のシャトルバスの時刻表とにらめっこしながら思案し、1日でウブド→ブドゥグル→クタを移動する経路を思いついた。ブドゥグルというのは湖のほとりの寺院が有名らしい。ここに決めた。

朝8時にウブドのPERAMA社のオフィスに来た。ウブド→ブドゥグルブドゥグル→クタのチケットを発券してもらう。クタまでかなり遠いが、たったの3,000円だった。乗客は私の他は一人旅の女性3名。皆、最北端のキャンプ地に行くという。

ブドゥグルが近づいてきたので、運転手にPERAMA社のオフィスにスーツケースを預けられないか聞いたら、ブドゥグルにはオフィスもバス停もないらしい。だが、私が持っている今日のブドゥグル→クタ行きのチケットは、今乗っているのと同じ車両だから車にそのまま乗せておけと言われた。お言葉に甘えてそうさせてもらう。

ブドゥグルのレストラン

帰りは14時に反対車線で待っててと言われ、ただの道路の適当な場所で降ろされる。

少し町をぶらぶらしてみたが、ここには何も無さそうだ。20年前に来た時は、ウブドもこんな景色だったのだが。今は観光地化され過ぎていてUberの車とバイクで大渋滞で風情がなくなっている。

結局、10時前で開いているレストランはバスを降りた場所にあった大型ホテルにしか見当たらなかったので、そこに行ってみる。

眺めがいいレストランだとGoogleMapの口コミにあったが、あいにくの曇り。
中華料理の店だが、店員に英語が全く通じない。ブドゥグルが地元の人しか来ないからなのか、店員が中国人だからなのか・・・

ナシゴレンは美味しかったが、ジュースや食べ物にひっきりなしにハエがやってくる。このレストランが不衛生には見えないが、なぜなのだろうか。寺院に行ってその謎がとける。

ウルン・ダヌ・ブラタン寺院

入場料750円くらいで寺院に入ってみる。

世界遺産のタマン・アユン寺院が有名だけど、前回行ったのでこっちに来てみた。こちらの方が規模はだいぶ小さそう。天気が良かったら綺麗なんだろうな。まあ今の時期はブドゥグルはほぼ曇りのようだ。

湖に浮かぶ寺院。バリ・ヒンドゥー教の水の女神「デウィ・ダヌ」に捧げられており、農業や灌漑の守護神として島の人々に深く信仰されているらしい。インドネシアのジャカルタの方はほとんどの人がイスラム教徒だが、バリ島ではバリ・ヒンドゥー教が信仰されている。

有料で入れる変なテーマパークもある。

このクオリティ・・・

そして疲れたので、ベンチに座ろうとして気付いた。ベンチにすごい量のハエがとまっているのだ。追い払っても追い払っても体にとまってくる。そうか、あのレストランが不衛生だったんじゃなく、ブドゥグルがハエが多いエリアなのだ。

ChatGTPにブドゥグルがなぜハエが多いか聞いたらこんな返事↓

「野菜畑+湿気+屋台の食べ物+湖の自然環境」が合わさって、ハエにとって最高の環境になっているのです。さらに雨季には湿度が非常に高いため、野菜くず・食べ残し・家畜の糞などの有機物が腐りやすく、ハエにとってはまさに「ごちそうが増える時期」。繁殖も加速します。

中でコーヒーを飲んでみるが、食べ物や飲み物を頼むとハエの寄ってくる量も凄くなる。ブドゥグル・・・景色はいいけど懲りた。

14時前にバスを降りた場所へ行ってみると、運転手は早くに到着していて私を待っていた。あのモスク、入ってみたかったな。

クタに到着

17時半。シャトルバスは3時間半でクタに到着した。

歩きたくないので、ペラマ社のバス停からすぐのホテルを予約したが、エアコン付きの個室で2,500円だった。

プールもあって最高。バリの物価も安い。

夜は大好きなオマールエビを食べに近くのレストランに来た。

オマール海老2,800円。

昔はこの浜辺でオマール海老を食べたよなぁと懐かしく思いながら海を眺め、バリ島最後の夜もマッサージに出掛ける。明日のUber代だけ残して、残りの現金を全てチップであげた。

バリから帰国、乗り継ぎのベトナムへ

朝からホテルのプールで泳いでから、Uberタクシーでデンパサール空港へ向かう。呼んだタクシーは、全身にタトゥーが入った若いお兄ちゃんで、「空港に入るのには別料金がいる。」と言われたが、昨日マッサージでチップであげてしまった。「現金こんだけしか持ってない。」と見せると「もうそれでいい。」と言ってくれた。それでもたぶんボラレていたと思う。

夜19時ベトナムのハノイに到着。

トランジットが12時間以上あるので、空港から15分歩いたところにあるホテルを予約してある。
しかしこれがまた、バリの空港と同じで、外にずっと柵がめぐらされていて徒歩で出れる場所がみつからない。駐車場ないをぐるぐる、ウロウロしていたら、優しいベトナム人のおっちゃんが見かねて車に乗せてくれ、予約しているホテルまで送ってくれた。海外で知らない人の車に乗るのは躊躇したが、歩いて出れないのだから仕方ない。そしてイランやモロッコでも結構、乗せてもらってる。

やはりこのタイプのドミトリーは快適。

次の日、早朝に空港へ向かう。次は徒歩で分かりにくい細道を抜けて空港へ入れた。

世界一周後の就職前の最後の旅行だったが、終わりが決められていると自由に思うように動けなかった。もっと日にちがあれば、北へ飛んでブルネイに行こうと思っていたのに。
もう一度世界一周のような、終わりが決められていない自由気ままな旅をしてみたいものだ。明後日から2年ぶりの仕事だというのに、もうそんなことを考えてしまっている。

次の就職先ではどんなことが待っているのだろうか。この時はしんどいなどとは露も思わず、期待に胸をふくらませながら帰国した。

~インドネシア編 おわり~

バリ島のクタからウブドまで安くシャトルバスで行く方法(2024.11.22~23)

2024年11月1ルピア≒0.0095

バリ島デンパサール空港到着

飛行機1時間半以上の遅れ。待っている人全員にお菓子と水が配られた。原因説明の英語アナウンスは私の英語力では聞き取れなかった

デンパサール空港、こんなんだったっけ?3度目なのに全然覚えていない。

空港から外へ出ようと歩いてると、途中の道でのタクシー勧誘が激しい。「歩いて外には出れないぞ?」と嘘をついてくる。旅行者は空港からはほぼタクシーを使うようで、徒歩で出る道を見つけるのは難易度が高いとネットで見た。

だが、そのネットの情報を鵜呑みにして、空港の建物を出て右側から出ようとしたら車道しかなく、歩いていたらクラクション鳴らされまくり、ひかれそうになりまくりで最悪だった。
何とか車道ゲートをくぐって違法な感じで空港の外へ出れたが、かなりの遠回りを強いられた。外へ出れる歩道があるのは空港の建物を出てから左の方向へ歩いていかないといけない。

到着した空港から歩いて行けるホテルのドミトリー。fora capsule 1泊1,050円。

カーテンもあるし、エアコンがきいていて涼しくて清潔気持ちいい。

宿のフロントの人も凄く親切で、紅茶を入れてくれたり、虫除けを貸してくれたりした。インドネシアの人は何でこんなに親切なんだろう。
共有スペースで、宿で買ったビールを飲んでいたら、オーストラリア人のおば様がサンドイッチをくれた。

次の日、宿からの景色。すごい晴天!

PERAMA(プラマー)社のシャトルバスがバリ中を運行

クタからウブドまではかなり遠い。タクシーだと2時間かかり高額だ。前回来た時は、日本から旅行会社を通じて予約していたが、今回は友人と割り勘もできないし自力で行く方法を模索する。
Youtubeで見ると、ローカルバス2本乗り継いで行けるようだが、 乗り換えがあるのに、GoogleMapに経路は出ないし、バスの表示はないし、英語が通じないので難易度が高過ぎて断念。

PERAMA社のシャトルバス

上記のバスが決まった時刻にバリ島内をくまなく走っているようだ。
クタからウブドまで1日3便、金額は100,000インドネシアルピ(≒950円)。
14時出発16時着のに乗って行くことに決めたが、ネット予約は2日前に締め切るようだ。当日でも現地のカウンターで購入できるのではないかと思い、取り敢えず12時頃にクタのPERAMA社へ行ってみることにした。

PERAMA社のシャトルバス

空港前のホテルから、クタのPERAMA社まではGlabタクシーで350円だった。

あまり客が来ない雰囲気が漂っている。窓口で、今日の14時発のシャトルバスに乗れるか聞いたら、若い女の子が嬉しそうに手描きの予約表をくれた。支払いは現金のみ。

出発まで1時間以上ある。上の階のレストランで昼食を食べながら時間を潰す。
景色はいいが、味はまあ見た通りイマイチ・・・

ウブドPERAMA社のバス停に到着

14J時にやってきたシャトルバスに乗り込む。客は私の他はインドネシア人のカップルだけだった。もっとこの便利で安いシャトルバス路線が広まればいいのに。

3度目のウブドに到着。ウブドのPERUMA社のバス停はここ。

ここから歩いて予約しているホテルを目指す。せっかくのバリにきたのにまたカプセルホテルというのも味気ない。ウブドは豪華なリゾートホテルが多く、格安で泊まれるようだ。なかなかそんな国も少ないので、バリではドミトリーはやめて豪華ホテルに泊まることにした。

Gefecon Villa(ホテル)

めちゃくちゃ素敵なホテルだった。フロントの人の英語は完璧。荷物は部屋まで運んでくれ、今度こそ無料のウエルカムドリンクをいただいた。

チェックインする時「1番いい部屋が空いてるから、そこへグレードアップするわね。」と言われた。

なんと目の前のインフィニティプールが貸し切り!

シャワー室は10帖位あり。

部屋でくつろぐ。ひとりでこんな部屋もったいない。天蓋付きのベッドに横になるともうこれ以上他の国や都市へ移動するのが嫌になってきた。こういうホテルって駄目人間製造装置だな。

懐かしいウブドの田園風景。夜までエアコン付きの部屋でごろごろし、こんな景色を独り占めしながらプールでずっと泳いだ。

Rina massage

夜になったので、歩いて行けるマッサージ屋へ行ってみる。さすがバリのマッサージ。こんなローカルちっくな場所でもすごく気持ち良かった。

このホテルはウブドの街中からは外れているようだ。バス停から繁華街と反対方向へ15分位歩いたせいでホテルもガラガラなのだろう。マッサージ屋も静かで良かった。

繁華街までは30分位歩くようなので、近所の地元の人らが入っているローカル食堂に行った。ナマズの看板が気になり過ぎた。

ビールは置いてあるか聞いたら「ないからコンビニで買ってこい」と言われたので、コンビニで購入して持ち込む。全部で≒200円。貴重なナマズ料理の唐揚げはビールとご飯にぴったりでとても美味しかった。

これから自堕落な生活が始まる。

虹色の街、マランのジョディパン村へ。マランからスラバヤ空港へ移動(2024.11.20~21)

2024年11月、1ルピア≒0.0095

ジョグジャカルタからマランまで

17時出発の列車は23時にマランの駅に到着した。

さすがの私でも列車6時間は疲れた。ここからGrabを呼ぶ。降りた乗客が駅で全員Grabを呼ぶので、捕まえるのに時間がかかった。

ホテルに到着した時は0時近く。そしてジョグジャカルタで気に入ったカプセルホテルチェーン「ボボポット(Bobopod)」のアプリから予約しておいたのだが、フロントで「お前が予約したのはマランじゃなくてバンドンのボボポットだ。」だと言われた。

アプリで見ると「Bobopod Alun-Alun, ○○」という前半の名前までが全く同じなのである。失敗した。マランのボボポットを取り直した。1,400円無駄にした。
フロントでは従業員の盗難防止のためか、一切現金は使えなかった。

虹色の村、ジョディパン村

次の日。ホテルから歩いてジョディパン村という川沿いの村へ行ってみる。

入口はあの橋にある小さな門。物売りのおば様たちが座っていた。

外国人には入場料を取るようだ。わずか100円。

貧しい地域の村興し。大学生のプロジェクトとして、ここの家々をカラフルに塗ったらしい。まるでコロンビアのメデジンではないか。

カラフルな色を見ていると、この村の未来を表しているようで元気が出てくる。

著作権とは。そしてのび太の雑な扱いとは。いや、ジャイアンの方が・・・

韓国のカムチョン文化村(甘川文化村)を思い出した。あっちはもっと迷路のような路地があり、山の斜面にずらりと並んだ家々の夜景が本当に美しく感動した。もう一度行ってみたい。

すごく SNS 映えしそうな場所なのに、観光客は私とインドネシア人の男性に2名しか見なかった。
「マラン」なんて地名、初めて聞いたし村おこしになっているのだろうか。

ガラスで下が透ける橋を渡って向こう岸へ渡る。

住人はお年寄りもいたが、小さいお子さんもいたので、今後この村が発展していけばいいな。

最後の方は壁画アートもある。猫なのか虎なのか?

橋の向こう側は、モロッコのシェフシャウエンのようにブルー一色で塗った建物らしいので、行ってみた。そこまでブルーでもなかったが。

マラン観光

そこから中心地まで歩く。オランダ統治時代の街並みが残っているらしいのだが、蒸し暑過ぎて歩く気がおこらないのと、本物のオランダに行った人からすれば、まぁレベルが違う。

商店などにも寄ってみる。

Google マップで高得点のレストランを見つけたので入ってみたら、レストランというよりは屋台のような作りだった。

言葉は分からないが、店の女亭主にめちゃくちゃ歓迎された。ナシアヤムというカレースープを頼んだ。めちゃくちゃ美味しい。

モスクの横に教会があるのがインドネシア人の寛容さを表している。ただ、インドネシアは世界最大のイスラム教徒を持つ国であり2億人以上いるらしい。法律で全国民に宗教を持つことが義務付けられていて、身分証明書にも記載されているらしい。

夜ご飯は宿の横のレストランで食べた。フードコートもあったが、夜遅くに行くと閉店してしまっていた。

色々な食材が並んでいて、指差しで選ぶタイプ。店主も愛想がいい。冷たいジュースと共に、インドネシアの食事はやはり美味しい。

スラバヤ空港へ移動

次の日だったので、ここから車で2、3時間のスラバヤ空港へ移動する。気づけば帰国まであと少し。
当初ここからブルネイという国へ飛ぼうかと計画していたが、面倒になってきてしまった。駐在員ら「別格でいい。」と言っていた目の前にあるバリ島へ飛ぶことにした。

Terminal Arjosari Malang(アルジャサリーバスターミナル)

朝9時。ホテルからタクシーでバスターミナルへ。タクシー代もどうせ400円位。今の時代GoogleMapで行き方が全部出てくるので、物足りないが楽ちん。

バスチケットを購入(≒200円)。ちゃんと紙でくれるからぼったくりがない。そう言えばバリ島のクタらへんと違って全くぼったくりがなかったな。

バスの中で座って出発を待っていると、ひっきりなしに物売りがやってくる。懐かしいこの感じ。

Terminal Purabaya(プラバヤバスターミナル)

スラバヤにあるプラバヤバスターミナルに到着。ややこしい。

ここからは空港まで30分置きにバスが出ているようだ。(≒350円)

スラバヤ空港

スラバヤ空港に到着。まだまだ出発まで時間がある。

空港の外のレストランで飽きる味のパッタイみたいなのを食べたら失敗した。空港の中のプライオリティパスが使えるラウンジの方がたくさん美味しそうなものが置いてあった。

プライオリティパスのHPのラウンジ情報に「設備:食事 アルコールは置いていません」と書いてあったので、食事も置いていないと思っていたのだ。「設備:食事はあり ※アルコールは置いていません」という意味だったようだ。表記が紛らわしい。
しかしちゃっかり食後のデザートをいただく。

17時。飛行機の出発の時間。

3度目のバリ島は楽しめるだろうか。前回は2回とも仲のいい友人と来たのでかなり楽しかった記憶がある。今回は一人でバリ島だ。

最高級コーヒー、コピ・ルアクを味わう。インドネシアの鉄道予約サイトTraveloka(2024.11.19~20)

2024年11月19日(火)~20(水)
1ルピア≒0.0095

憧れのボロブドゥール遺跡を見終わり出口へ向かう。久々の仏教遺跡は楽しかった。

ボロブドゥール遺跡からジョグジャカルタへ

入り口で貰ったサンダルを返そうと返す場所を探すが見つからない。ようやくサンダルはレンタルではなく付与されたものだと気付いた。出口付近は勧誘の激しいお土産屋を抜けないと外に出れなかった。

ボロブドゥールのバス邸まて戻ろうとしたら、乗り合いリキシャのお兄ちゃんが声をかけてきて、「バス停まで3000ルピア。」と言われた。Grabバイクだと1800ルピアだったのでそれを呼んでしまったが、インドネシアの物価は安いのだから、感じのいい人の商売には乗ってあげた方が良かったと後悔した。

再びボロブドゥールのバス停

バス停には切符売りのおじいちゃんが座っていて、13時にバスがあると教えてくれた。まだ30分ある。外国人がくると周囲にいたバイタクと物売りの人が目を輝かせ、「ジョグジャまで俺のバイクに乗れ」だの「T シャツやカード買え」など勧誘が激しくて落ち着かない。
ここでも勧誘にのってあげたいが、カードはボロボロだし、バスと同じ提示額でバイクの後ろに乗って帰るのは嫌だった。

なんとか逃げてかわし、やって来たジョグジャカルタ行きのミニバンに乗り込むと、直ぐに大雨が降ってきた。バイクで帰っていたらやばいところだった。

また1時間半でジョグジャの街に戻って来た。
一緒に乗っていた欧米人カップルは終点まで行かず、途中のショッピングモールで降ろしてもらっていた。お腹が空いてきたので私もそうすれば良かった。
こんな雨ではバス停から宿までも歩けそうにない。折り畳みの傘は毎日持ち歩いているが、さしても全身びしょ濡れになるのだ。

仕方なくバス停の屋台で地元の人らが食べているのと同じものを食べる。150円。味はイマイチ。

その辺のマッサージ屋に入って雨が止むまで時間を潰すことにする。オイルマッサージ1時間1600円。

いつも通り13時頃から降り出した雨は、17時を過ぎたら止む。一度宿に戻ってシャワーを浴び、繁華街までやって来た。

Pempek Ny. Kamto Beskalan 3(ペンペクレストラン)

ここの地元の料理で有名なペンペクというものを食べてみる。

甘いしょうゆダレがかかった固いはんぺんみたいなものだが、これが結構クセになる味で美味しかった。奥の写真のボトルはソース、もちろんここもビールは置いてない。380円。

宿に戻ってからは、従業員の若い女の子がめちゃめちゃ私に話しかけてきた。なぜ気に入られたのか分からないまま話を続けていると「私が日本に行った時、仕事を紹介してくれませんか」と言われた。
・・・そういうことか。日本の賃金の方が、ここのバイト代よりいいに違いない。彼女がちゃんと就労VISAを取得して日本でコンビニとかで働けたらいいんだろうけど、あいにく私にそんなツテはないので断る。

もし、自分がこの国に生まれていたら、たいして金持ちでなくても世界中を旅できる日本人は恵まれているように見えるだろうか。でも底なしに明るいインドネシアやフィリピンの人たちを見ていると、幸せはそこじゃない気がする。
そんなことを考えながら、夜にチェックインしてきた男性の体臭に悶絶しながら眠りについた。


次の日。
宿泊費についている宿の朝食は3種類から選べ、フレンチトーストを頼んだ。めちゃくちゃ美味しい。

Kraton Jogja(王宮)

朝から歩いて王宮に行って、ゴザに座って伝統の人形劇を観る。入場250円。

朝に行くと、無料で様々な伝統芸能をやっているらしい。

何十個ものガムランが奏でる音が心地よい。至福の時だと思いながら、いつまでもぼーっと眺めていた。

王宮併設の博物館へも入ってみる。

地元の幼稚園の子らの遠足とかち合った。女の子はこんな年齢からヒジャブを被っているのに驚いた。座って休憩していたら、小さな男の子がこっちへやって来てジェスチャーで「手を出して」と言ってくる。手を差し出すと、ひざまずきながら手の甲にキスをしてくれ、「Welcome to Indonesia!」と言ってくれた。

か、かわいー!かわいー!(≧◇≦)

連れて帰りたい。目もくりくり大きくて見た目もかわいい。
歩いているとよく挨拶されるし、インドネシア人は国民性が本当にいい。

Kopi Luwak(コピ・ルアク)を飲みに行く

そう言えば、一昨日街を案内してくれたお兄さんのジャコウネココーヒー、Kopi Luwak(コピ・ルアク)のお店に寄ってない。

律儀な私はこの街を出る前に寄ることにした。道案内をしてくれたお兄さんは不在だったが、オーナーのおばさまがちゃんと私のことを覚えていてくれた。

歓迎されながらコピアルクコーヒー900円を飲む。日本だと1杯3,000円~1万もする、かなりの高級コーヒーだが、普通のコーヒーとの違いが分からなかった。味音痴なのだろうか。なのでお土産に買うのはやめておいた。

野生のジャコウネコを捕まえて檻に入れているのはかわいそうだ。この商売は動物保護の観点でも海外から問題視されているらしいので、野生のものから採取する以外はいつかなくなっていくだろう。

宿をチェックアウトして、Glabタクシーで昨日外国人が寄っていった大きなショッピングモールに来てみた。期待していたほどの規模ではなく、やはり洋服屋ばかり。昼食を食べて時間を潰す。

お腹が膨れたら、またGlabタクシーでジョグジャカルタの鉄道駅へ向かう。

インドネシアの鉄道予約サイト(トラベロカ)

宿から鉄道駅までが遠いので、宿でフロントの女の子に鉄道のチケット手配をしていないか聞いてみたら「Traveloka(トラベロカ)というアプリで自分で予約できるよ!」と教えてくれた。
これでわざわざ駅まで行かなくていいし、時刻表や金額もわかっていい。やはり地元の人に聞くのはいい。
昨日のうちにチケットは予約済。

ジョクジャカルタ鉄道駅

17時発の列車に乗るのに、16時に鉄道駅に来たのは失敗だった。駅はベンチはあるが、蒸し暑く冷房がない。

実はこの後の行動を全然決めていない。インドネシアをゆっくり周ろうかと思っていたが、雨季で気分がそがれてしまった。どう移動しようか・・・
取り敢えず、マランという聞いたこともない街へ移動する。

ジョクジャカルタ観光、ボロブドゥール遺跡へローカルバス1本での行き方(2024.11.18~19)

2024年11月18日(月)~19(火)
1ルピア≒0.0095

インドネシアのジョグジャカルタ2日目。

ジョグジャカルタの宿を移る

ドミトリー550円の宿、Garser Homestayを移ることにした。便器に便座がないし、冷房がなく各ベッドにクリップ式のミニ扇風機が付いてるだけだったからだ。
チェックアウトの時、愛想のいいオーナーに「今日ここはどこへ行くの?」とニコニコ聞かれたのでめちゃくちゃ心が痛んだ。

「ごめん・・・宿を移るんだ・・・」そう言ってもオーナーの愛想は変わらなかった。
この宿を今Googleマップで見たら「閉業」となっていた。ドミトリーは貸し切り状態だったし、儲からなくてやめてしまったのだろうか。

SNOOZE Yogyakarta(ホステル)

そこから歩いて行ける場所に、Booking.comで高得点のホステルを見つけた。フロントは英語がべらべらの若いスタッフで構成されていて、ほぼ満室でめちゃめちゃ綺麗、朝食付きで¥1.220。

スタッフらには歓迎されまくって「ウェルカムドリンクいるー♪」と聞かれたので「是非♪」と答えたら、冷たいスイカジュースが出てきた。この蒸し暑いインドネシアで生き返った気分だ。
だが、チェックアウトの時にはちゃっかり¥350伝票につけられていた。ウェルカムドリンクって無料ちゃうんかい。

部屋もめちゃめちゃ綺麗でエアコンがきいていて快適。早くにチェックインしたので、下の段のベッドを確保出来た。

影工房と連れて行かれる

今日、世界遺産のボロブドゥール遺跡へ行くつもりだったが、月曜日は休みだった。
仕方なくジョグジャカルタの街を観光することにする。

徒歩15分の水の宮殿へ向かって歩いていると、愛想のいい地元のお兄さんに声をかけられた。
「日本人だ。」と言うと、めちゃめちゃ嬉しそうに「昔、陣内智則がここにやって来て、その番組に出たことがあるんだ~」とテレビ画面のスクショを見せてくれた。十年以上前の陣内智則が写っていて、かなり昔なのだろうが、彼にとってはとんでもなく大きな出来事だったのだろう。

しばらく雑談しながら一緒に歩いていると、「僕が働いているコピ・ルアク(Kopi Luwak)の店に案内する。」と連れてこられた。コピ・ルアク・・・確かジャコウネコのふんから出てきたコーヒー豆で、発酵していて美味しいとテレビで見たことがある。
ここでその、うんこ豆、三種類の匂いをかがされた。

影絵の製作工房も併設しているようだ。ジョグジャカルタは「ワヤン・クリ(Wayang Kulit)」という影絵芝居も有名らしい。

パーツが細かく分かれていて、細かく動く造りのようだ。影絵なのにカラフル。

作っているところも見せてくれた。水牛の皮でできていて、職人が何日もかけて作っているらしい。

肝心のジャコウネコちゃんは檻に入れられて寝ていた。
超高級コーヒーのコピ・ルアクを飲んでみたかったが、雨が降ってきそうなので「先に宮殿行ってから戻ってくるね!」と伝えて店を出た。

タマン・サリ(水の宮殿)

ジョグジャカルタ王国のスルタン(王様)とその家族、側室たちのために建てられたリゾート施設に来た。入場料250円。

晴れていたら綺麗だっただろうな。雨季だから仕方ない。

建物の2階に上がったり十分堪能して宮殿を出る。

宮殿の出口の先は、アート化された古い住宅地が並んでいた。屋台で購入したワッフルを食べながら歩く。

近くに廃墟もあったので登り、ジョグジャカルタの古い街並みを眺めた。

Bale Raos – The Sultan’s Dishes(レストラン)

宮殿は入口と出口が違っていたので、ジャコウネココーヒーの店への戻り方が分からなくなってしまった。宿に戻ると土砂降りの雨が降り出した。インドネシアはこの時期、昼過ぎ~17時位までは毎日大量の雨が降るので外を歩けない。

夜にやっと雨が止んだので、インドネシアの伝統料理のレストランにやってきた。

どれも美味しそうだ。ナマズ料理というのがあり。

黄色のソースが何の味なのかよくわからなかったが、ナマズ料理は美味しかった。「ジャカルタ・ビール」というを頼んだのだが、飲んでみたらショウガが入ったノンアルコールビールだった。イスラム教の国のこんな田舎では、アルコールを置いてある店を探すのは難しいから仕方ない。

デザートもメニューの写真と全然違ったけど、これはこれで美味しかった。

ローカルバスでボロブドゥール遺跡へ

次の日。早朝から宿を出てバス停へ向かう。ホステル主催のツアーもあったが高かったので、今回もローカルバスでボロブドゥール遺跡を目指すことにした。

Shuttle Damri Wisata(ボロブドゥール行きバス停)

ネットでローカルバスでの行き方を調べたが、どれもコロナ前のJomborかマリオボロのバスターミナルから行く「乗り換えあり」の行き方ばかりだった。
DAMRIというインドネシアの路線バスがあることは分かったので、バスのHPを調べながら、自分で行き方を模索する。

この宿から徒歩10分位のShuttle Damri Wisataというバス停から、Damri社のミニバンが出るようだ。
Damri社のHPには8:30とあるが、ちゃんとバスがあるか不安なので7時半に来てみた。その辺にいた職員のおっちゃんに声を掛けると、ミニバンはもう来ていてボロブドゥール行きは8時に出るらしい。予想通りインドネシアのHPはいい加減だ。

シンガポール、オーストラリア、中国の人等が乗ってきて14人乗りのバンはほぼ満席になり、8時より前に出発した。料金は2万ルピア(194円)。

あっという間にジョグジャの街中を抜ける。ずっとこんな風景。

お腹が空いたので宿で用意してもらったお弁当を食べることにした。インドネシア人の朝は遅いようで、宿泊費についている朝食は朝の10時からしか用意できないと言われたので、お弁当にしてもらったのだ。紙袋を開けたら、想像どおりバナナとケーキだった。日本のお弁当って凄いよね。

ボロブドゥールのDAMRI社のバス停

10時前にボロブドゥールのバス停に到着。乗り換えなしで、宿の近くから1本、200円で来れた。
ボロブドゥール遺跡は遺跡保護の目的で入場に人数制限があり、予約しないと入れないので、昨日10時半〜の入場を予約してある。間に合いそうだ。

時刻表が貼ってあった。「Malioboro」がジョグジャのバス停の名前だ。
10時半〜入場の登頂のツアーは12時で終了する予定なので、帰りも同じ経路で13時出発のバスで戻れる計算。

バス停からボロブドゥール遺跡の入口までは徒歩25分。ローカル市場の横を通って行く。暑いのでかなりしんどい。その辺を走っているバイタクやオート三輪者に金額を聞いてみたら2万ルピア(200円)だった。乗った方が良いだろう。歩いちゃったけど。

世界遺産のボロブドゥール遺跡入場

スマホの予約画面を見せて、入場チケットと交換する。4,700円。

バス停から歩いて行くと、ボロブドゥール遺跡の遺跡は反対側でかなり歩いた。手前の入口は閉鎖中。中に入ってからも無料のカートで入口まで移動。

奥で交換しろと言われた無料の水チケットと、ツアーの順番の番号。

水交換チケットと一緒に木の皮を編んで作られたようなサンダルをもらえた。遺跡保護のために、靴をこの柔らかいサンダルに履き替えないといけないらしい。

32番の番号が呼ばれるまで、皆で待機。
ツアーは何組にも分かれていて、相当な数の観光客が来ている。インドネシア人もたくさんいるようだ。料金はエジプトなどと同様、外国人料金の10分の1以下だと思うが。

番号を呼ばれて、英語ガイドの人に20人位でついていく。
あれが・・・・!世界史で最初に習った世界最大級の仏教遺跡、ボロブドゥール!

元々仏教国だったこのインドネシアに8〜9世紀ごろ造られ、建材はすべて火山岩(約200万個以上)。
1991年にユネスコ世界遺産に登録。
後にイスラム教へと代わっていくうちに忘れ去られ、一時は火山噴火で土に埋もれてしまったけど、19世紀にイギリス人のラッフルズが再発見。ロマン、ロマン。

色の違う石がたくさんあるので、さすがにかなり修復されたものだろう。

ジャングルの中に取り残された遺跡。ストゥーパ(仏塔)が504基もある。

中には全部こんな風に仏像が入っていたそう。風化したり盗まれたりで今もこんな綺麗な形で残っているものは少ない。近くにいたガイドの人に場所を教えてもらった。

上へ何段も登っていく。仏像の手の形も上の段では形が違っていて仏教の教えを表しているそう。

真ん中の大きなストゥーパ。中は空っぽ。天気が怪しくなってきた。

12時。2時間でここを出ないといけない。
これで、アンコールワット、ピラミッドに続いて、世界三大遺跡は全て訪問したことになる。
下に降りて名残り惜しく遺跡を眺めた。

ジャカルタ、カプセルホテルに泊まって飲み会の日々。ジョグジャカルタへ移動(2024.11.16~17)

2024年11月16日(土)~17(日)
1ルピア≒0.0095

インドネシアのジャカルタ3日目。

Bobopod ホステル

宿泊しているカプセルホテル、Bobopodの朝。
延泊、延泊で3泊目。共同のシャワーもトイレも綺麗だし大満足。

H田くんら、駐在員の人らとの飲み会がすっかり恒例になってしまった。皆、英語もインドネシア語もベラベラで話のテンポがいい。単身赴任の人ばかりで、女関係はだらしないけど仕事はできるんだろうな。

Plaza Blok M(ショッピングモール)

歩いて直ぐのブロックM地域にあるショッピングモールにきた。やはりこの辺りは日本人街なのか日本食のお店も多い。

今日は飲み会にいたY本さんのご自宅のBBQに誘われている。Y本さんはインドネシア人の奥様とお子さんがいるおじさまだ。
手ぶらで行くのもどうかと思い、手土産においしそうな韓国ドーナツを20個買って行く。全部で2,000円しかしなかったが、帰国してから、日本ではこの韓国ドーナツが1つ400円近くで売られていることを知った。もっと食べれば良かった!

Y本さんの自宅の最寄りの駅まで地下鉄で向かう。到着初日に購入した500円分の「ジャカルタカード」はとうとうチャージが切れたので、駅の機械でリチャージした。
Y本さんの家まで地下鉄駅からは、徒歩15分なので歩けるかと思ったのだが・・・11月のインドネシアはとんでもない雨季で歩けたもんじゃなかった。

全身びしょびしょになりながら、地元の人らが乗る乗り合いバスを捕まえて、BBQ会場へ向かう。
料金はジャカルタカードで支払え、100円もしなかった。
こんな乗り合いバンに乗る外国人が珍しいのか、ドライバーのおっちゃんが「俺の隣の席に乗りなよ!」と愛想良くしてくれる。

インドネシアでは、駅でも「どこ行くの?大丈夫?」と駅員によく声をかけられるし、荷物を持ってくれたり、座席を譲ってくれたりする。インドネシア人は本当に親切で人がいい。

インドネシアに住む社長の豪邸で飲み

Y本さんの自宅はお手伝いさんがたくさんいる豪邸だった。広いリビングに従業員の女の子らも入れて、30人位でお酒を飲みながら、ケータリングサービスで頼んだであろうインドネシア料理を食べた。
びしょ濡れで到着したのは私だけだったので、他の人らはどうしたのかと聞いたら、皆、タクシーで来たか専用の運転手がいて、外の駐車場で待たせているという。

「宴会が終わるまで待たせてるの?!悪くない?」と聞くと
「いいの、いいの。すぐにサボるどこも雇ってくれない彼にかなりの日当払ってるし、彼は待ってる間、車の中で昼寝してるかスマホで遊んでいるだけだから。」と言われた。そう言われたら悪くはないか。それにしても駐在員とやらは、皆お金持だ。
「カプセルホテルに泊まってる。(ドミトリーちゃうねん、どや!)」と言うと「えっそんなホテル、インドネシアにあるの?」と驚かれた。私とは住む世界が違うらしい。

ご飯やお酒を存分にふるまって下さったY本さんと奥様にお礼をいい、夕方に解散。
しかしそれでは終わらず、ホステルで軽く仮眠を取ったらまたもいつもの居酒屋で飲む。

チーン全員酔い潰れ。

インドネシアのクラブ

本当に眠すぎるが、なぜかその後も6人でタクシーで移動し、クラブに行った。
私が日本で最後に行ったのは25歳位の時??
25年ぶり(笑)のクラブはインドネシアで体験することになったが、昔行ったことがあるのと雰囲気は全然変わらない。大音量に光の渦、たばこの煙だらけ・・・

外国人だからか?入口で「ボトルキープしないと入れない。」と言われ、皆で割ってウイスキーのボトルを入れた。
昼間はヒジャブを被っているはずのムスリムの若い女の子たちが、ここでは皆髪の毛も肌も露出して、プカプカとタバコをふかしている。飲み会に来ていた現地の女の子に聞いたが、インドネシア本島は約8割の人がイスラム教徒らしいが、規則はゆるいらしい。

DJのむっちりお兄さんはノリノリ。
私はこんなうるさい場所は苦手だ。年齢的に3歳年下のH田くんもそのはずなんだけど、大学生の頃と変わらずテンションが高い人だ。

もう朝の4時近い。眠すぎて解散。Grabバイクを呼んでホステルに戻った。他の人らはバイクの方は乗ったことないと驚いていた。GrabよりGrabバイクの方が安いのに。

駐在員の人らとはここで最後のお別れ。飲み会は楽しかったけど、40歳も過ぎたおっさんが、インドネシア人の店員の若い女の子に抱きつくのを見た。日本だと警察沙汰だろう。結婚してるのに現地に彼女がいるという人もいたし、駐在員と結婚するもんじゃないというのが感想。

イスティクラル大モスク

次の日。

・・・眠い。
眠すぎる。昨日は昼から朝の4時まで飲んでいたから、いつものごとく二日酔いで頭痛が酷い。
しかし重い体を引き摺りながらシャワーを浴び、10時にチェックアウト。

最寄りのガンビール駅に来たが、モスクまではまだ遠い。地下鉄を出て直ぐにタクシーが2台待機していたので、物価的に安いだろうと思い、Glab(タクシーアプリ)を呼ばずにそのタクシー(ブルーバードタクシー)に乗ることにした。運転手のおっちゃんは愛想が良かったが、どうみても遠回りされた気がする流しのタクシー400ルピア(380円)。

11時。一昨日入れなかったジャカルタ最大のモスクに来れた。

ムスリムじゃない観光客は無料のツアーでしか入れない。11時半からの回に入れることになった。スーツケースも待ち合い室に置いておいた。

何十人もの外国人観光客らと入場。女性はやはり全員ヒジャブの貸し出し衣装を着せられ、短パンの男性らもパンツ貸し出し。

ガイドの男性は聞き取りやすい英語でモスクについて説明してくれる。内容は覚えていないが。

中心のお祈りの場所。聞きなれたアザーンが響き出した。

1961年に建設開始、1978年に完成。最大で約20万人収容できるらしい。
ちょうどお祈りの時間らしく、地元の人たちでぎゅうぎゅうだ。

他のツアー客らに写真を頼まれたので撮ってあげたら、私のことも撮ってくれた。まあこれだと誰かわからんか。

ジャカルタからジョグジャカルタへ移動

モスク見学が終わると、空港へ向かうことにした。地下鉄の移動は乗り換えがあり時間がかかりそうだ。モスクからGlabを呼んだ。運転手はかっぷくのいいおばさまだった。1,200円の料金にチップを上乗せして支払う。

無事、14時発の沖止め飛行機に乗り込む。
ジョグジャカルタまで鉄道の旅を検討していたが、半日かかって6千円。飛行機だと1時間で7千円だったので、ここは飛行機にした。

15時過ぎ、ジョグジャカルタの空港に到着。

お洒落なデザインの空港だ。

外に出て直ぐもイスラム感がある感じ。少しわくわくしてきた。

空港から市内への電車の駅は直結していた。手慣れた駅の女性職員が「市内よね?」と言いながら券売機で私のチケットを購入してくれる。1時間も乗るのに、たったの200円。

Yogyakarta駅

17時にジョクジャカルタ駅に到着。地元の人らは「ジョグジャ」と呼ぶらしい。綴りは「Yogyakarta」だけど。

市バスのバス停で待ってみたが、全然目当てのバスが来ないのと、乗り方っも分からないので予約しているホステルまで30分歩いてきた。この蒸し暑さでミニ扇風機しかない1泊550円のドミトリー。

オーナーの若い男性はめちゃめちゃ感じが良かったが、私には珍しく、衛生面がきつかった。550円だもんな。オーナーには悪いが、明日はもうちょっと課金して宿を移ることにする。

お腹が空いたので外を歩いてみる。周囲には欧米人らがいるピザ屋レストラン位しか見当たらない。

本当に付近にレストランがないので、インドネシアの屋台飯にチャレンジ。全く英語は通じなかったので、ジェスチャーと指差しで頼む。おっちゃんは歓迎してくれた。

屋台かと思えば、歩道にゴザが敷いてあり、ここで食べろと言う。道路交通法的にいいんか(笑)

パッタイのようなものがきた。汁麺を頼んだつもりだが、言葉が通じないのでそこはご愛敬。
1万5千ルピア、150円か。安い。そしてぼったくりが全くないのもインドネシアのいいとこだな。

さすがに今日はもう飲みたくない。
明日からのジョグジャカルタ観光も楽しみにしながら、宿に戻ってゆっくりして二日酔いと寝不足を解消することにした。

インドネシアの首都ジャカルタ観光。駐在員らと飲み会の日々(2024.11.14~15)

2024年11月14日(木)~15(金)1ルピア≒0.0095

就職前の最後の旅行。

中国の広州からインドネシアのジャカルタへ移動

南方航空が用意してくれた無料のトランジットホテルから、始発の送迎バスで広州空港に着いた。

空港に早く着いたのは、もちろんプライオリティパスでラウンジでビールを飲むため。
広州空港のラウンジ、缶だけどビールもあるし、雰囲気いいじゃないの。

お腹いっぱいなのに、またも機内食が出てしまった。このカレーはイマイチ。

ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港から市内へ移動

13時半、インドネシアのジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港に到着。インドネシアはバリ島には2回行ったことがあるが、ジャカルタは初めてだ。
友人のH田くんを訪ねてやって来たわけだが、彼は以前日本で会った時、「ジャカルタって、何もないからみきぷは来ないよね~」と言っていた。見どころがないのだろうか。

空港でアライバルビザが取れるようだ。私は事前に日本でネットで取得済みしておいて良かった。
50万ルピア(5,200円)。地味に高い。昔バリ島に行った時は要らなかったのに。

一応空港で5千円分位、ATMで現金をキャッシングしておく。

SHIA駅(空港駅)からManggarai駅まで、この券売機でVISAタッチでチケット購入。700円ちょっと。

列車の中で、駅に到着する度に流れるアナウンス。

「ハピハピモナカ、トゥリマカシ♪」

妙にリズミカルで、可愛らしい響き。これはマレーシアでよく聞いた「ありがとう」って意味だ。
そうか、インドネシアとマレーシアは距離が近いから言葉も似ているんだ。
大好きなマレーシアのことを思い出して、テンションが上がった。

こんな列車で約1時間で市内へ到着。

そこから、予約しているホステルの最寄り駅に行くのに苦労した。
地下鉄のチケットを買うのに、改札前の券売機モニターの決済画面で何度クレカを当てても購入出来ず。現金は不可。
しかしインドネシア人は本当親切で、外国人の私を見ると、周囲の人が直ぐに「どうしたの?チケット買いたいの?」とかまってくる。久々のこの感じ、中南米に似ていて懐かしく思い出す。

どうやら銀行で発行してもらうe-MoneyというICカード(手数料300円)じゃないと決済出来ないようだ。知らんがな。
外国人の私はチケットを買えないので、駅の窓口のお姉さんに観光客用の「ジャカルタツーリストパス」というカードを5万ルピア(現金500円分)で発行してもらった。これで何回分乗れるかは不明。

Bobopod Kebayoran Baru, Jakarta(ホステル)

当初、もっと観光中心地にある900円位のドミトリーを予約していたのだが、駐在員のH田くんに
「そこは、俺らがいつも集まる場所から遠い。」と言われたので、飲み会の場所の近くのカプセルホテルを取り直した。

料金は、ドミトリーからカプセルホテルに変更したので1,690円にアップ。

金額は上がっちゃったけど、綺麗だし朝食付きだし、カプセルって結局個室だし、ドミより快適。

駐在員の人らと飲み会

夜の19時半、仮眠をとってシャワーを浴びてから、友人に指定された居酒屋へ徒歩で向かう。
日本料理の店が多い。ブロックMと呼ばれるこのエリアは、どうやら日本人の駐在員らが住んでいる地域のようだ。

到着したら、既に20人位の駐在員の日本人男性らとインドネシア人の女の子が集まっていて、飲み会が始まっていた。週3日位、こうやって飲んでいるらしい。
食事や食べ物のメニューを見ると、物価の安いインドネシアの割に全然安くない。今の日本より高いかも・・・それでも彼らはガンガン、ビールや食べ物を頼む。相当いい給料をもらっているようだ。

私は全く人見知りしないので、初対面の人らと飲むのは平気だったが、さらに20代の頃からいつも人の輪の中心にいて盛り上げ役だったH田くんのお陰で、すんなり皆に溶け込んで笑わせてもらいながら楽しく飲んだ。

年上の人もいたけど、30代位の人らが多かった。思いのほか楽しくて、気づけば3日連続で一緒に遊ぶ約束をしていた。H田くんが私と一緒にバイトしていた大学生の頃、会計の時になるとトイレに行ったり先に帰っていたという、どんなにセコイ男だったかを暴露したらうけまくった。今は人に奢りまくる気前のいい男になっているらしい(笑)

2次会は近くの個室ラウンジに移動して、皆で大富豪。

さっきの居酒屋でもそうだったけど、駐在員の彼らは店員のインドネシア人の若い女の子を口説いたりしている。どう見ても彼女らは愛想笑いなのだが・・・
単身赴任の駐在員の人らって、こんな生活なのか。だめだこりゃ

大富豪では大貧民が毎回500円を払うルールで勝負。慣れていない私は負けまくった。

ジャカルタ2日目

Bobopod ホステルの朝。昨日の帰宅は夜中3時位で若干二日酔い。

120円で朝食を追加出来たから、追加したんけど、なんじゃこりゃー。。。
きゅうりとトマト、ほぼ骨だけの鶏肉でこのご飯の量は食べれない。延泊したけど、明日からは朝食いらないや。

ファミマってアジアのどこにでもあるね。

Blok M Square(ショッピングモール)

歩いて近くのショッピングモールへ来てみた。入口をぐるっと囲って食堂になっていて現地の人らで大混雑。めっちゃローカル。食べてみたいが、メニューがインドネシア語で読めない。

中はほぼ服やさん。値段は驚くほど安い。

隣にもショッピングモールがあってのぞいてみたが、店舗はほぼ潰れていた。
そこからまた閉店だらけのシャッター街の地下道を通って地下鉄の駅へ向かう。

観光をしようと、取り敢えず博物館へ向かってみる。GoogleMapで見て地下鉄とバスを乗り継いだ。バスも地下鉄も、昨日購入したジャカルタツーリストパスで乗れた。

National Museum of Indonesia(ナショナルミュージアム)

ケニアで懲りたくせに、またも「ナショナルミュージアム」というものに来てしまった。
駐在員らが言うとおり、ジャカルタに他に観光するべきものが見当たらなかったのだ。

入場料は5万ルピア(500円)。カードのみ、現金不可。インドネシアはキャッシュレス化がかなり進んでいるようだ。手元の現金って今後使える場所あるのかな。心配になってきた。

たいして面白くもない展示と言ったら失礼だが、インドネシア人観光客らには大人気だ。

これは魔除けみたいなもんなのかな。

独立記念塔(モナス)

ジャカルタの有名な観光場所はこのモナスという塔らしい。建設当時の大統領はデビ婦人の旦那さん、スカルノ大統領。
登ってみようと公園を通って入口に着いたが、16時に閉まるらしい。もう入れなかった。ここで日本語を話すインドネシア人のガイドのおっちゃんにしつこくツアー参加に勧誘されたが、断ったらかなり悲しそうな顔をされてしまった。

近くに見えていたイスティクラル・モスクに行ったら、「外国人は今日は入れない。明日また来て」と言われた。仕方なく向かいのジャカルタ教会を見学。
それにしても蒸し暑くてちょっと歩いただけで汗でびっしょり、排気ガスで喉が痛くてへとへとになる。

コタ・トゥア(Kota Tua)旧市街地

電車に乗って、旧市街地と呼ばれるJakarta Kota駅へ移動。
車両は日本から使わなくなったものを寄付してもらっているそうなのだが、駅を造る時に、ホームや線路の幅は計算しても、ドアの高さまでは計算しなかったんだろうなぁ・・・という感じの造り。

駅の外へ出てみる。

お洒落な街並み。オランダが350年占領していたらしいので、この街並みはその名残りだろう。

コロニアルな建物がかわいい。最初このドミトリー「ワンダーロフト ホステル」に泊る予定だったんだけど。

この大きな広場ではコンサートのようなイベントが行われていた。

カフェ・バタビア

ここに来た目的は、その向かいにあるこのレストラン。

中もおしゃれ~

2階の席に案内してもらえた。インドネシアと言えばナシゴレンってことで。ナシゴレンとサテのセットをマンゴージュースで食す。全部で2,000円と、物価からすると高額。

でも味も美味しかったし、この雰囲気の中で食べる食事は最高だった。

食べ終わると1時間以上かけて電車と地下鉄を乗り継いでホステルへ戻る。
今日もまた、昨日のメンバーと居酒屋で飲む。

ジャカルタには、「これぞ」という観光スポットが・・・ないのかもしれない。
駐在員の人たちには、離島やバリを勧められたけれど、「今は雨季だから、毎日すごい量の雨が降るよ」とも言われた。
……全然調べずに勢いでやって来たけれど、どうやら季節を間違えたようだ。

まあ、昔の仲間と飲むのも悪くないなと思いながら、この日も浴びるようにお酒を飲み、明け方近くまで大富豪をしては負けまくる。
駐在員の人たちと過ごしていると、自堕落な人間になったような気がしてくる。
旅もせず、楽なほうへ楽なほうへと流されていく自分がいた。